2018/3/22

京丹波を見る!2の12.白河上皇勅願により創建の曹洞宗の新宮寺!  文化財研修記

京都府船井郡京丹波町豊田新宮谷67には曹洞宗の古刹の新宮寺(しんぐうじ)がある。新宮寺は、1090年白河上皇の勅願により新宮重利が熊野権現を祀る社を建てたのが始まりと伝えられる。室町時代に竹翁和尚が再興し、曹洞宗新宮寺を開いて権現社との神仏習合となったといわれる。地元では子安権現と呼ばれ、権現信仰が続いている。山裾の自然と調和した境内は趣があり、静かな空気に触れる空間である。本尊は釈迦牟尼で、文化財としては不動明王坐像:府指定文化財、藤原時代、熊野十二所権現本地仏像:府登録文化財、権現堂:町指定文化財、法華経:町指定文化財がある。

1.新宮寺の全景
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2.本堂及び子安権現参拝口
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3.見事な山門
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4.子安権現参拝口
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5.見事な本堂
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6.本堂から見る風景1.
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7.同上2.
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8.同上3.
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9.同上4.
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2018/3/18

京丹波を見る!2の11.国重要文化財指定の九手神社(くてじんじゃ)!  文化財研修記

京都府船井郡京丹波町九手125には国重要文化財の九手神社(くてじんじゃ)がある。九手神社(くてじんじゃ)は、大山咋命 (おおやまくいのみこと)を主祭神とし、豊田地頭藤原定氏が京都の松尾大社より勧請した。長元2年(1029)9月31日に社殿が造営され、 明応7年(1498)3月3日再建される。これが現在の本殿である。天正10年(1582)3月17日松尾大社の神輿を受納した。安政4年(1857)3月御室御所が九手大明神の御染筆の鳥居額を納め、5月菊御紋章付き釣提燈1対を寄付した。 明治6年(1873)村社に列せられた。大正10年(1921)4月30日、当時の古社寺保存法に基づき、特別保護建造物(現行法の重要文化財に相当)に指定された。境内のアラカシは、平成16年3月5日、京都府京丹波町の天然記念物に指定されました。

1.九手神社の大鳥居と標柱(アラカシが左手い見えます。)
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2.駒札
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3.大鳥居を正面から見る!
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4.阿形の狛犬
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5.吽形の狛犬
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6.駒札
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7.正面は元舞殿
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8.駒札(画像をクリックすると拡大して読めます!)
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8.拝殿正面を見る!
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9.国重文の本殿を左側から見る!
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10.見事な国重文の本殿を右横から見る!
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2018/3/14

京丹波を見る!2の10.南丹市日吉町にある京都府指定文化財の多冶神社!  文化財研修記

京都府南丹市日吉町には大山咋神、天太玉命の2神を祀る多冶神社(たじじんじゃ)がある。社伝では、奈良時代前期の慶雲年間(704−707)、天智天皇第3皇子の田原左大臣(志貴皇子、施基皇子)による創建とされる。平安時代中期の『延喜式神名帳』では「丹波国船井郡 多沼神社(たひち・たぬ・たぬま-)」と記載され、式内社に列している。鎮座地の集落名が「田原(たはら)郷」であることから「多治」の字があてられたと考えられているが、鎌倉時代の乾元元年(1302)の棟札には「多沼大明神」の記載があり、「多沼」と称した時期もあったものと推測されている。明治10年、近代社格制度において郷社に列した。


1.神社の駒札(画像をクリックして頂くと拡大して読むことが出来ます。)
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2.多冶神社の標柱と鳥居
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3.二の鳥居
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4.京都府指定文化財の駒札
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5.手水舎
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6.舞殿(元)と拝殿・本殿を正面から見る!
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7.舞殿から拝殿を見る!
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8.拝殿を正面から見る!
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9.拝殿をアップで見る!
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10.拝殿背後の見事な本殿を横から見る!4度目の宝暦5年(1775)再建の本殿!
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11.摂社
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2018/3/10

京丹波を見る!2の9.丹波屈指の曹洞宗の古刹・玉雲寺!  文化財研修記

京都府船井郡京丹波町市森には応永23年(1416)に太容梵清禅氏が須知出羽守慶吉の慈請を受けて開山・創建された丹波屈指の曹洞宗の禅寺の玉雲寺(ぎょくうんじ)がある。かつては琴滝の滝つぼのすぐ脇に建っていたという。しかし天正7年(1579)、明智光秀の市森城攻撃によって寺の建物や宝物はほとんど焼失した。現代の境内・本堂・庫裏は光秀が禅氏の道徳を尊崇し、天正8年に再興したもの。広い境内には、本堂・庫裏・開山堂・観音堂・衆堂などが立ち並び、本堂と庫裏の庭が禅寺らしい厳かな雰囲気を醸し出している。本堂と離れの間には石組みとサツキを中心とした庭園があり、サツキの咲く季節は美しい。また、境内には「ツツジ」や「アジサイ」「シュウメイギク」「ツバキ」など、四季折々の花を咲かせ佳景を演出している。特に秋の紅葉は山寺のたたずまいと調和して、琴滝を訪れる観光客にも親しまれ、絶好の撮影ポイントとして多くのアマチュア写真家が訪れている。

1.玉雲寺の標柱と山門を見上げる!
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2.見事な山門です!
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3.山門をアップで見る。
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4.見事な鐘
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5.九重の石塔と庫裏
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6.右、本堂、左、庫裏と禅寺らしい庭園
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7.本堂を正面から見る!
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8.山門から石段参道を見下ろす!
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2018/3/6

京丹波を見る!2の8.船井郡一之宮で延喜式内社の摩気神社!  文化財研修記

京都府南丹市薗部町竹井宮ノ谷3には延喜式内社の摩気神社(まけじんじゃ)がある。南丹市園部町の最西端、胎金寺山の北麓に北面して鎮座する。宮本(鎮座地)である竹井集落を始め、篠山街道沿いに広がる周辺集落共通の氏神として近世以来「摩気郷十一ヶ村の総鎮守」と称されている。茅葺の覆屋内に鎮座する本殿・東摂社・西摂社は京都府指定文化財で、境内は京都府文化財環境保全地区に指定されている。その趣から、京都で撮影される時代劇のロケ地としてたびたび使用される。なお、社殿が北面する丹波地方唯一の神社としても知られる。祭神は大御饌津彦命 (おおみけつひこのみこと)、天児屋根命の御子神・天押雲根命の別称で、水や食物を司る神であるとしている。祭神については、大御気津姫命(おおみけつひめのみこと、大宜都比売神)と考証する異説もある[3]。また、神社名「マケ」は「御食(みけ)」から来たと考えられること、現行神事のお田植祭やお千度から農事に深く関わる神であることがわかることから、食物を主宰する食物神(御食津神[みけつかみ])であるとみられている(ただし、丹波道主尊を祀るとする説もあった)。なお、鎮座地の立地からかつては背後の胎金寺山を神体山とした可能性も指摘されている。近世では竹井村が篠田、摩気、上新江の3村に分かれていたように(上新江村は当神社祭礼に関する場合、更に今井、辻田の2村に分かれた[4])、他の集落も複数の村に分かれており、総鎮守とした村は都合19個村にも及んでいた(右表参照)。「十一ヶ村」の称には符合しないが、当社の氏子集落には別に村単位の氏神が合計11社あってそれらを当神社の末社として位置付けていた。そのことから、この場合の「十一ヶ村の総鎮守」とはその11社の上位に位する総氏神という意味である。また、「摩気郷」という郷名は史料に確認できないので地域的な通称と思われるが、祭祀圏が周辺村落に展開されていた点に極めて中世的な姿が認められることから中世に遡る広域名称であったことが想定できる。この地域が藩政時代にあって園部、亀山両藩に分かれながらも藩政の枠を超えて共同で祭祀を担当していたこともその一証とされる。(ウイキペデアより抜粋掲載)

1.摩気神社の鳥居と標柱
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2.大鳥居
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3.祭神ゆかりの御神泉
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4.アップで見る御神泉
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5.駒札(画像をクリックして頂くと拡大して読めます!)
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6.神門を見る!
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7.神門をアップで見る!
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8.神門から茅葺の拝殿、東摂社・西摂社(京都府指定文化財)を見る!
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9.御神水
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10.奉納絵馬が飾られている舞殿
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11.絵馬の一部
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12.阿形の狛犬
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13.吽形の狛犬
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14.丹波地方(兵庫県丹波を含む。)唯一の北面する拝殿、本殿、東摂社!
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15.本殿
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16.本殿をアップで見る!
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2018/3/2

京丹波を見る!2の7.国重文の本殿を持つ南丹市の春日神社!  文化財研修記

京都府南丹市高屋には国の重要文化財に指定されている春日神社がある。神社の駒札によれば「平安時代初期の大同2年(807)蟠根寺の守護神として春日大明神が建立され、仁平2年(1152)平清盛の進言により、桐ノ庄18ヶ村の総社として再建したと伝える。現在の社殿は、形式などから室町時代初期の建立と考えられる。
建物の内部は2室に区切られており、内陣前面中央間の板扉内面には、束帯姿の随身像が描かれている。本殿の柱は丸柱で、向拝柱は角柱である。この向拝柱の面取りが大きく取ってあるのが時代的な特徴で、その他、かえる股の彫刻や繋虹梁、鬼瓦等がよく時代の象徴を表している。
建物の形式は一間社流造。檜皮葺で瓦棟鬼瓦付きである。大正10年(1921)に重要文化財に指定された。


1.国重文の春日神社駒札と拝殿を見る。
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2.本殿の説明板
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3.春日神社の鳥居
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4.素朴な舞殿
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5.拝殿、本殿を斜めから見る!
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6.拝殿を正面から見る!
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7.御輿蔵と社務所
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8.春日神社を左側から見る!
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9.本殿の説明駒札をアップで見る!
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10.環境省巨樹・巨木DBによる春日神社の「鹿子(かご)の木」推定樹齢300年以上、樹高18メートル、幹周3.57メートル。
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