2017/12/31

京丹波を見る!25.菅原道真公を祀る京町天満宮!  文化財研修記

京都府亀岡市京町には菅原道真公を祀る京町天満宮がある。創祀は不詳ですが、縁起によれば、菅公大宰府左遷の時にお供をした春彦なる者、公の死後に形見の木像を御神体にして祀り奉つたのが始まりといふ。戦乱を避けて東本梅の大内村に仮の神殿を建てて安置、春彦の死後は大内村の楽音寺に祀られてゐたが、その後現在地の宝蔵寺境内に遷座した。維新後、宝蔵寺は廃され、天満宮のみが残つたという。旧城下町の京町に鎮座します。この辺りの道路には景観に配慮して石畳やアスファルトではない材質の舗装がしてあり、古い家並みも散見され、なかなか風情があります。本殿は道路の反対側を向いてゐます。また、本殿の道路側に時計が掛けてあるのがモダンな感じでした。境内は児童公園として整備されてをり、境内裏は盛土の塚になつてゐます。境内裏にお墓が残つてゐるのは宝蔵寺の名残りでしょうね。

1.京町天満宮
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2.駒札
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3.同上駒札
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2017/12/28

京丹波を見る!24、紅葉の延喜式内社の桑田神社!  文化財研修記

京都府亀岡市笹町山本には延喜式神名帳』に「丹波国桑田郡 桑田神社」と記載される式内社の桑田神社(くわだじんじゃ)がある。主祭神は市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと)、配祀神は大山咋命 (おおやまくいのみこと)と大山祇命 (おおやまつみのみこと)です。祭神の大山咋命・市杵島姫命は、鍬山神社(亀岡市上矢田町)祭神とともに、湖であった亀岡盆地を開拓のため保津峡を開削したといわれる。当地は盆地入り口にあたるため政治的にも重要な地で、秦氏の勢力がいち早く進出したとされる。社伝では、この地は「田庭」と呼ばれており「丹波」はこの田庭より名付けられたとされる。その後、田庭には早稲を作ったり桑を植えて養蚕を営んだことに因み、田庭を今でも小字で「桑の木」と呼んでいると伝える。天明年間(1781−1789)社殿が焼失。当地の地名が「桑田」であることは『大日本史神祇志』にも記されているが、明治6年まで川向うの神社と同じく「請田神社(浮田神社)」を名乗っていた。明治6年6月、近代社格制度において村社に列し、明治10年6月に式内社桑田神社を公称した。

1.紅葉の延喜式内社の桑田神社
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2.駒札
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3.紅葉と大鳥居
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4.紅葉の石段参道
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5.紅葉の境内
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6.亀岡盆地を見る!
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7.紅葉と見事な舞殿
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8.紅葉と本殿を横から見る!
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9.見事な紅葉と本殿
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10.摂社の一つ「九頭龍大神」
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11.紅葉の境内
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12.本殿をアップで見る!
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13.摂社・天満宮
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2017/12/23

京丹波を見る!23.延喜式内社の見事な村山神社!  文化財研修記

京都府亀岡市笹町森には主祭神(本殿)には大山祇命 (おおやまづみのみこと)と木花咲耶比売命 (このはなさくやひめのみこと)を祀り、配祀神(八幡宮)には応神天皇と仁徳天皇を祀る式内社の村山神社(むらやまじんじゃ)がある。本殿・八幡宮とも創建は不詳。『延喜式神名帳』には「丹波国桑田郡 村山神社」と記載されて式内社に列していることから、それ以前の存在は確認できる。境内背後の台地上には須恵器等の窯跡が見つかっており、裏山からもその破片が確認されている。社伝では、古くは広大な社地を有していたが兵乱で焼失し、応永27年(1420)に国恩寺の雑掌として当地を治めた渡辺六郎頼方が社殿を再興、その頃八幡宮を勧請して並列したという。本殿(右)と八幡宮(左)が最上段の板垣内に同一の規模で鎮座する。本殿・八幡宮それぞれに参道が設けられている。摂末社は百太夫社、厳島社、広田社、天皇社 ( 祭神:仲哀天皇)、五社大明神 は 稲荷社・天満宮社・大国主命社・野々社・愛宕社です。

1.村山神社の鳥居と標柱
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2.大鳥居をアップで見る!
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3.阿形の狛犬
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4.吽形の狛犬
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5.見事な舞殿を見上げる!
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6.見事な手水舎
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7.見事な舞殿をアップで見る!
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8.見事な八幡宮を見上げる!
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9.八幡宮をアップで見る!
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10.村山神社本殿
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11.村山神社本殿(七五三の特別参拝です!)
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2017/12/19

京丹波を見る!22.応神天皇を祀る保津川八幡宮社!  文化財研修記

京都府亀岡市保津町宮ノ上21には御祭神の応神天皇を祀る保津川八幡宮社(ほつかわはちまんぐうしゃ)がある。創祀は不明。社殿は寛永13年(1636年)に造立されたそうです。大洪水によって北桑田郡の細川村(現在の右京区京北細野町)にあった八幡宮が保津の地に流れ着き、当地の住民が再建したのが始まりとされています。又、この神社は保津川左岸を守る神社といわれています。保津地区は請田神社と保津八幡宮の二神を祀っています。請田神社が一時期保津八幡宮に遷座されていたことで、八幡宮内には請田神社の頓宮があり、請田神社の例大祭の宵宮では両神社合同で火まつりを行います。境内は平たんで広く、摂末社は山王・日吉大神、貴船神社、多賀神社、籠神社等があります。境内には樹高20m、胸高幹周5.2mの大きなクスノキがあり、「亀岡の名木」に指定されています。

1.神社の駒札
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2.八幡宮社の鳥居と左には舞殿、右には手水舎が見えます!
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3.見事な手水舎です!
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4.見事な大鳥居です!
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5.見事な舞殿です!
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6.阿形の狛犬と摂社群です。
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7.請田神社です!
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8.八幡宮社です!
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9.亀岡市の名木で、幹周は5.2mの見事なクスノキです!
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10.駒札
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11.この神社の上には和光院(現存しない)の鐘楼や陣屋跡があります。
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2017/12/15

京丹波を見る!21.見事な本殿の鍬山神社と八幡宮の二つの本殿が並列する珍しい神社!  文化財研修記

鍬山神社(くわやまじんじゃ)は、京都府亀岡市上矢田町にある神社です。式内社で、旧社格は府社。通称として「矢田社」や「矢田宮」とも呼ばれています。位置は面降山を始め、周辺は多くの古代遺跡が残る。太古は湖であったという亀岡盆地において、祭神の大己貴命(大国主命)が国作りの1つとして保津峡を開削して盆地を開拓、そして開削に使った鍬を当地に山積みしたという伝説に基づく神社である。境内の垣根内には本殿に並んで八幡宮が同規模・同形式で建てられており、両宮とも社殿は京都府登録文化財に登録されています。境内には多くの紅葉が植えられ、紅葉の名所でもある。また例祭「亀岡祭」は、亀岡市内までの神幸を行う亀岡市内では伝統的な祭りである。ご祭神は鍬山宮は大己貴命(おおなむちのみこと)、大己貴命は大国主命に同じで、出雲神。創建以来祀られる主神とされる。八幡宮は誉田別尊(ほんだわけのみこと、誉田別尊は応神天皇に同じで、八幡神。永万元年(11165)以降祀られる客神とされる。神紋は鍬山宮が大国主命に因み兎で、八幡宮は通例通り鳩です。桑田神社が鎮座する。鍬山神社の創建に関しては、延宝元年(1673)の『矢田之祠記』に伝承が残る。それによると、往古、泥湖であった亀岡盆地の開発のため出雲大神が八神と黒柄岳で談合した。そして一艘の樫の舟に乗り浮田(うけた)の峡(現在の保津峡の口)を切り開き、水を山城国方向に流して抜くことに成功して広大な平野が開拓されたと伝える。そして出雲大神は天岡山の麓に祀られ、鍬山大明神として崇められた。また、この神は出雲国における10月(神無月)の会合には出席せず、郡内の八神は鍬山神社に会した、というものである[1]。また、開削に用いた鍬が山積みされたことから「鍬山」の社名となったと伝えられる。鍬山宮・八幡宮の間にある小池両宮が争わないため設けられたという。並列する八幡宮に関して、『矢田之祠記』では永万元年(1165)に面降山(天岡山)に降臨したという。以来新八幡宮として鍬山宮の隣に祀っていたところ、雷雨の発生や鳩と兎の争いがあった。村人はこれを両神の不和と捉え、八幡宮を杉谷に遷したところ収まったといわれる。なお伝承との前後は不明ながら、現在鍬山宮は兎、八幡宮は鳩の神紋を用いている。慶長14年(1609)に両宮が現在地に遷されたのちも、争いを防ぐために両宮の間に小池が設けられ現在に至っている。社伝では鍬山宮の創建は和銅2年(709)といい、当初は面降山裏手、現社地から北西800mほどの医王谷にあった。面降山には山頂にかけて小祠が点在しており、山頂には八幡宮が降臨したという影向石が残る。周辺には古墳も多く、また三宅地区は屯倉が設けられたという伝承から国衙ないし郡衙があったという説もあり、面降山が一帯の祭政との関わりが指摘される。平安時代中期の『延喜式神名帳』には「丹波国桑田郡 鍬山神社」と記載され、式内社に列している。医王谷出身という医家の丹波康頼も鍬山神社を信仰したといわれ、「医王谷」の名も医学に精通した康頼に由来するという。地名「矢田」は鍬山神社に関わるもので、8つの神田を持っていたことから「八田」と言われ、のちに源頼政が当地を拝領するにあたって「矢田」に改めたという。また、古くから神輿祭・八日(1576)に丹波へ侵攻した明智光秀によりそれらの祭礼は廃され、別当寺として大智院(現在は廃寺)が建立された。また、8つの神田も接収された。慶長14年(1609)、亀山城主の岡部長盛が現在地に新社殿を造営して遷し、社地も寄進した。寛永16年(1639)には藩主の菅沼定房から社領が寄進された。延宝9年(1681)には杉原守親が『祭礼中興記』を記し祭礼を再興。同年に城主の松平忠晴から神輿が寄進され、以来例大祭は口丹波一の大祭「亀山祭(のち亀岡祭)」として賑わった。明治6年(1873)に近代社格制度において郷社に列し、昭和3年に府社に昇格した。本殿の鍬山宮と八幡宮は同じ垣内に鎮座し、鍬山宮は向かって左、八幡宮は右に位置する。両宮は同一の形式・規模であり、造営時期も江戸時代の文化11年(1814年)と同じである。鍬山宮は寛正3年(1462年)以来の棟札を現存している。形式は一間社流造で、千鳥破風を有する。正面に一間の唐破風造の拝所を付属して一体とし、屋根は柿葺。両宮とも京都府登録文化財に登録されている。(ウイキペジアより抜粋掲載)

1.鍬山神社の大鳥居
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2.駒札
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3.朱の鳥居と阿吽の狛犬と拝殿を見る!
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4.見事な紅葉をバックの社務所
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5.見事な紅葉に囲まれた摂社の天満宮など
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6.紅葉の囲まれた「安産石」など
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7.紅葉に囲まれた多くの摂社や境内社があります!
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8.見事な拝殿
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9.拝殿をアップで見る!
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10.紅葉に囲まれた石燈籠!!
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11.左、鍬山神社本殿、右、八幡宮本殿
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12.見事な鍬山神社本殿を正面から見る!
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13.見事な八幡宮本殿を正面から見る!
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14.駒札
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15.八幡宮本殿をアップで見る!
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16.再度、アップで左、鍬山神社本殿と右、八幡宮本殿を見る!
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17.紅葉の神の池!
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18.紅葉に囲まれた弁財天堂が池に浮かんでいます!
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2017/12/11

京丹波を見る!20.延喜式内の見事な薭田野神社!  文化財研修記

京都府亀岡市薭田野町佐伯垣内亦1には延喜式内の古刹・藊田野神社(ひえだのじんじゃ)がある。約3,000年程前にこの地に住み着いた祖先の人達が現在の社殿の裏にある土盛りの処で、食物の神、野山の神を祭り、原生林を切り拓き田畑を造り、収穫した穀物を供え作物の豊作と子孫の繁栄を祈り捧げました。それから時が流れ、大和朝廷の基礎が出来上がった和銅2年(709)、丹波国守大神朝臣狛磨が朝廷の指示によって土盛の前に社殿を造営し佐伯郷の産土神として祭り、国の安泰と五穀豊穣を祈りました。これが当社の起こりです。
特殊神事として8月14日に佐伯郷燈籠祭(さえきとうろうまつり)があります。かつて「宇治の県(あがた)は男が通う 男寝て待て女が通う 丹波佐伯郷(たんばさえき)の燈籠まつり」と呼ばれた女の夜這いの祭りであった。寛喜元年(1229)朝廷より賜った五基の神燈籠と台燈籠を中心に五穀豊穣祈願の祭りを斎行する。盆行事と豊作の祈願が合わさった特殊な神事として名高い。7月のはじめから準備がはじまり8月7日は「7日盆」と呼びこの祭りの準備の追い込みに入る重要な日。宮司は準備した五穀の種子を苗代に播き五穀の苗を発芽させる。当日この実生の苗は当社の御祭神「保食命」の分け御霊(わけみたま)として当日の祭礼の中心となります。 朝廷から奉納された五基の神燈籠と神輿の追いかけっこ(燈籠追い)、神輿と大太鼓の掛け合い(太鼓掛け)など勇壮な神事とともに台燈籠で演じる人形浄瑠璃は阿波の人形浄瑠璃よりもはるかに古い様式を持っています。
徳川中期以降、丹波の大祭として全国に知られ、現在京都府の無形民俗文化財の指定、また国の無形民俗文化財に値する祭礼として記録保存に採択されています。

1.薭田野神社の標柱と大鳥居
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2.神社の駒札
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3.癌封治瘤の木と稲荷神社
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4.二の大鳥居
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5.境内の紅葉
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6.阿形の見事な狛犬
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7.吽形の見事な狛犬
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8.見事な舞殿と左は「石の環」
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9.日本唯一の「石の環」を「00を御守り下さい」と唱えながら潜ります!
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10.御本殿を斜めから見る!
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11.気力石(石に手をあてて祈願するとやる気力が頂ける!)
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12.幸魂奇魂の魂石(神の奇しきご加護を頂く「00を御守り下さい!と願う!)
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13.摂社のゑびす神社
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14.鎌倉時代の本殿礎石を参観
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15.本殿に向かって左側には「鎌倉時代の美術品の京式八角灯篭(伝源義経の奉納)」
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2017/12/7

京丹波を見る!19.癌封じで有名な臨済宗の古刹の長源寺!  文化財研修記

京都府京丹波町出野岡の下25番地には臨済宗の古刹で癌封じで有名な長源寺がある。貞観114年(874)、文徳天皇の第一皇子惟喬(これたか)親王が皇立継承に敗れて出家、建立(寺伝)。名を梁覚(りょうかく)と改めて諸国行脚の旅に出て、出野を訪れた際、村人たちに癌封じの秘法を伝授したという伝説にちなんで癌封じ寺として信仰を集めている。境内には初代開基様として、惟喬親王の尊牌がおまつりしてある。なお、向かいにあるお椀を伏せたような山は出野城のあった所で、現在の氏神社となっているが、和知全半が一望できる。今の寺が167年前(平成22年現在)まであった寺屋敷は、現在地より山すそ200メートル東南に行ったところにより、「殿池」といって城主の産湯の池が今もある。
観音祭
毎年7月第1日曜日「観音まつり」が行われ、癌封じのご祈祷と癌封じ茶の接待、そうめん流し、福引が行われ、府下は勿論のこと全国各地から1,000人余の参詣があり、社会復帰された方々のお礼のご参詣も年々増えている。祈祷は8時〜15時。
大祭日以外の祈祷は事前連絡が必要です。また、希望により座禅も体験ですることができます。
癌封じ由来
癌封じ寺は臨済宗の寺院で長源寺という。承和11年(844)第55代文徳天皇の皇子惟喬親王が第1皇子としてお生まれになったにも関わらず、第4皇子の母方が藤原氏の出身であったため、時の勢力におされて異母弟の第4皇子惟仁(これひと)親王が第56代清和天皇として譲立された。惟喬親王は皇位継承の夢に破れ悲運のあまり出家され、僧名を梁覚と改めて諸国を巡歴行脚され、伝承によるとこの地にも逗留(とうりゅう)され庵を結び「観世音菩薩」をまつり安居(あんご)された。この地を去るにあたり、民衆に世話のなったお礼として癌封じの秘法を授けて滋賀県筒井へ去られた、ということである。御年54歳で寛平9年(897)2月20日に薨去された。(長源寺HPより)

1.見事な標柱と山門が見える!
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2.駒札
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3.見事な山門と参道
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4.ぼけ封じ観音様
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5.山門
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6.水子地蔵様
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7.癌封じの銘石
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8.癌封じの観音様を祀る本堂前の禅庭
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9.山門から和知が見える絶景地です!
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2017/12/4

京丹波を見る!18、曹洞宗の古刹で龍の天井画で有名な南陽寺!  文化財研修記

京都府京丹波市園部町には龍神祭の主役、龍の大作が園部町美園町の曹洞宗の南陽寺本堂の天井画に描かれています。この天井画は、円山応挙・松村呉春に始まる四条円山派の園部が生んだ偉大な画家、大塚春嶺(しゅんれい)の大作です。明治36年春嶺42才の時、大阪での観業博覧会で「豊公醍醐観花図」が明治天皇御買上作品となり、同38年には東京美術協会主催の「義経棒熱盤図」が東宮殿下御用達の指定をうけ、南陽寺の天井画はその5年後の明治43年8月、郷里に錦を飾った作品です。南陽寺は、徳雲寺系の禅寺で山号を「白崖山」と呼び、園部城築城期の元和年間に快天山門和尚により開創されたとしています。その前身は栄町の二本松の谷「少月庵」で、天神社の宮寺ともいわれています。元禄から享保にかけ、城下町の成立に伴って諸堂が建立され、伽藍が完備されましたが、明治に入って焼失、明治39年(1903)に再建されます。
そのべ昔話に登場する、「かねつき堂」が、この寺の裏山山頂にあったことが園部古城図で見うけられます。その鐘撞堂は、現在南陽寺の境内にあり、朝昼夕方に時を刻む梵鐘の音は、城下町の人々に安らぎを与え、心を清めると言われています。

1.南陽寺山門と標柱
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2.巨大な古木
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3.駒札
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4.見事な山門を正面から見る!
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5.鐘楼堂
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6.本堂
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7.本堂内
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8.本堂天井の龍図1.
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9.同上 龍図2.
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10.境内には多くの歌碑があります!その一つ!
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2017/12/1

京丹波を見る!17.綾部市に770石の飛び地を持った園部藩(園部陣屋)!  文化財研修記

園部城(天守閣がないので陣屋跡)は京都府南丹市園部町小桜町にあります。遺構は石垣、堀、巽櫓、櫓門、番所などで京都府指定文化財となっています。、園部城については、篠山城と同じく近世城郭で、元和5年(1619)の築城となっている。この年は、徳川家康が没して3年後にあたり、2代将軍秀忠の時代である。現地の説明板より「園部城は元和5年(1619)、但馬の出石から移封となった初代園部藩主小出吉親公は、約2年を費やしてこの地に園部陣屋を築きました。歳月を経て、おりしも伐辰戦争のさなか最後の園部藩主(第10代)小出英尚公は、明治新政府から園部陣屋をより堅固な園部城として整備する許可を受け、明治元年(1868)から2年(1869)にかけて、櫓門・巽櫓の他、小麦山山頂に3層の櫓などを築きました。しかし、新たな時代の潮流の中、園部城は明治5年(1872)そのほとんどが取り壊され、今は残った巽櫓などが往時を偲ばせます。 激動の時代に再整備されるという例のない歴史を持つ園部城も、現在はその跡地に園部公園や、京都府立園部高等学校が設置され、憩いの場・教育の場として住民から親しまれています。面白いのは隣に南丹市国際交流会館ができ、天守閣を持つお城の形をしています。順次紹介していきます。


1.園部城址付近の地図
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2.史跡 園部城址碑
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3.園部城駒札
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4.園部城櫓門(現、京都府立園部高校と同附属中学校の校門)
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5.同上アップで見る!
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6.巽櫓
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7.園部大橋碑文
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8.駐車場横の町モダンな園部城以上の城型の南丹市国際交流会館
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9.同上
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