2017/11/28

京丹波を見る!16.京丹波市八木町の式内社・船井神社を見る!  文化財研修記

京都府南丹市八木町船枝字才ノ上51には式内社で御祭神の表筒男命、中筒男命、 底筒男命、甕槌命、經津主命、 天兒屋根命、 比賣神を祀る旧郷社で式内社の船井神社(ふないじんじゃ)がある。 道路に面して境内入口の鳥居が立ち、境内は白壁で囲まれている。鳥居の左手に、竹垣に囲まれた祠があり傍らに安倍貞任の腕を祀った腕守社(かいなもり)があり宝筐院塔が祀られている。 鳥居をくぐると、綺麗な境内で参道の両脇に、円柱が二本ある。文覚池が決壊した時に破損した鳥居の足だそうだが幡日佐神社では、大堰川経由で鳥居を幡日佐神社へ鳥居を運ぶ途中、長かったので2尺ほど切って残したものだと伝わっている。 境内中央に拝殿があり、馬の絵や彫刻が奉納されている。 拝殿の後方、少し離れて垣に囲まれた美しい本殿が鎮座している。境内の隅には、磐座とも考えられる船石が祀られている。 最初は住吉明神と呼ばれていたが、保延2年(1136)、国司藤原家保が春日大明神を勧請し、近隣数ケ村の氏神となった。よって、祭神は住吉三柱の神々と、春日四柱の神と合計七柱の神を祀る。 江戸時代には、かやもり明神とも春日明神とも呼ばれているが式内社・船井神社に比定されている古社です。もとは、現在地の西北300mほどの瀛居(おこ)の杜、あるいは太古の森に鎮座していたが慶雲2年(705)、現在地(鹿野森)に遷されたという。左甚五郎作と伝わる拝殿の馬が毎夜抜け出して文覚池に水を飲みに行ったと云う。首に鈴を付けていたので、やかましく、村人は相談して網をかけたところ静かになったと云われている。

1.船井神社の大鳥居
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2.船井神社駒札
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3.鳥居を潜ると左側に「腕守社(かいもりしゃ)」の駒札がある!
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4.腕守社
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5・手水舎
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6.小さいが見事な拝殿(舞殿)
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7.小さいが見事な本殿
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8.見事な本殿の彫刻を見る!
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9.摂社三社
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10.摂社二社
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11.伊勢神宮遥拝所
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2017/11/25

京丹波を見る!15.菅原道真公が生前建てられた日本最古の天満宮!  文化財研修記

生身天満宮(いきみてんまんぐう)は、京都府南丹市園部町美園町にある神社。旧社格は府社。菅原道真の存命中の創建とされ、これをもって「生身天満宮(いきみてんまんぐう)」を称し「日本最古の天満宮」であるとしている。御祭神は勿論、菅原道真公 (すがわらのみちざね)です。南丹市の中心部、園部の天神山山腹に鎮座する。園部の地は菅原氏の知行所であり、小麦山に菅原道真の邸宅があったと伝えられている。延喜元年(901)に道真が大宰府に流された時、園部の代官・武部源蔵は道真の8男・慶能(けいのう)の養育を頼まれた。そして小麦山にあった邸内に小祠を作り、密かに道真の像を安置して生祠として奉斎したのが当社の始まりとする。延喜3年(903)に大宰府で道真が亡くなると生祠を霊廟に改め、天暦9年(956)、改めて神社として祭祀を行った。現在も続く宮司家は武部源蔵の子孫である。戦国時代には、当地を治めた丹波守護職・細川家や織田家管領が、境内に乱暴狼藉や伐採を禁止する禁制高札を立てて兵乱から守った。その高札は現存し、京都府指定文化財となっている。承応2年(1653)、園部藩初代藩主・小出吉親が小麦山に築城する際に現在地に遷座された。本殿は一間社流造檜皮葺。周囲にめぐらされている回廊とともに、京都府の文化財に指定されている。

1.生身天満宮の大灯籠
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2.生身天満宮の鳥居
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3.巨大な石灯籠が並ぶ登り参道
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4.第一の手水舎
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5.狭依姫命を祀る摂社の厳島神社
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6.振り返って参道を見る!
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7.稲荷神社の鳥居
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8.稲荷神社
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9.伊勢大神宮が見える!
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10.摂社の伊勢大神宮(天照大御神、豊受大御神を祀って」いる。)
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11.第二の手水舎
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12.左側は宮司居宅
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13.拝殿に向かって左側には「能舞台」がある!
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14.拝殿
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15.京都府指定文化財の回廊と本殿
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16.やっぱり天満宮です。牛像!
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17.本殿の回廊前から拝殿、宮司居宅を見る!(多くの絵馬が奉納されています。)
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18.本殿前
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19.本殿横の武部源蔵の墓(左、宝篋印塔)と武部源蔵社(現在も宮司家は竹部源蔵氏の子孫が続けています。小生のJTBで一年先輩の竹部氏もここの社家の出です。)
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2017/11/22

京丹波を見る!14.西国観音霊場第21番札所の穴太寺!  文化財研修記

京都市亀岡市で忘れてはならないのが、曽我部町(そがべちょう)穴太には西国観音霊場21番札所・天台宗の菩提山・穴太寺(あなおうじ)」がある。京都府指定文化財が多数あるので紹介します。宝徳2年(1450年)成立の『穴太寺観音縁起』によれば、慶雲2年(705年)、文武天皇の勅願により大伴古麻呂が開創したとされる。穴太寺の聖観音像は「身代わり観音」の伝説で知られ、この伝説が『今昔物語集』に取り上げられていることから、平安時代末期には観音霊場として当寺が知られていたことがわかる。『今昔物語集』所収の説話によると、昔、丹波国桑田郡の郡司をしていた男は、都の仏師に依頼して聖観音像を造り、仏師には褒美として自分の大切にしていた名馬を与えた。しかし、与えた名馬が惜しくなった男は、家来に命じて仏師を弓矢で射て殺してしまった。ところが、後で確認すると仏師は健在で、観音像の胸に矢が刺さっていた。改心した男は仏道を信じるようになったという。同様の説話は『扶桑略記』にもあるが、ここでは男の名が「宇治宮成」、仏師の名が「感世」とされている。

1.江戸時代中期再建の仁王門(京都府登録文化財)三間一戸の八脚門、入母屋造、本瓦で17世紀の中期頃の建立と思われるが、柱には改造痕跡が多く見られ、狩野永納が延宝4年(1676)に描いた「穴太寺観音縁起絵巻」にある楼門の古材を利用しての改築ではないかとも言われています。
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2.本堂「享保20年(1735)再建の京都府指定文化財」
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3.仁王門をくぐると右手に京都府登録文化財の鐘楼がある。方一間の四足、入母屋造、桟瓦です。
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4.京都府教育委員会の駒札
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5.多宝塔(府指定文化財)・三十三ヶ所観音堂で文化元年(1804)再建。三間の多宝塔で柱は全て円柱になり、切石積の基壇上に東面して建ちます。軒は下重に二間繁垂木、上重には二間扇垂木として変化をもたせ、東西南北に四神の彫刻をはめている。内部は四天柱が立ち来迎壁を設けて、禅宗様の須弥壇に釈迦如来と多宝如来の二仏を安置している。亀岡市で唯一の貴重な木造り塔です。その右手には三十三所観音堂です。
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6.多宝塔の手前が聖観音菩薩を祀る観音堂
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7.本堂内部には豪華絢爛の須弥檀(しゅみだん、仏壇のこと)があり、中央真中にご本尊薬師如来、左側に札所ご本尊聖観世音菩薩立像、右側に御前立札所本尊観世音菩薩立像の三尊が安置されていますが、全て秘仏で公開されていません。
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8.明治29年(1896)に本堂屋根裏からお出ましになった鎌倉時代の尊像で自分の病の箇所と尊像の同じ部分撫で自分の同じ箇所をさすり返すとお釈迦様のご利益を得て丈夫になるという「釈迦如来大涅槃像(等身大)」
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9.書院より「穴太寺庭園(京都府指定名勝)」を見る。
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10.穴太寺庭園その1.
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11.穴太寺庭園その2.築山の東部山すそより水が流れ出て、その前に岩山があり水分石となっている。築山の西部の池岸には舟付けがあって、その沖合いに向けて出舟の形式がとってあります。サツキの郡植は見事であり、センダン・クスノキ・ゴヨウ松の古木が散在して長閑な景色が広がります。書院から眺めると多宝塔が水面に姿を投影して、この庭園ならでの趣のある丹波の名園です。
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2017/11/20

京丹波を見る!13.丹波七福神の7番札所で福禄寿を祀る名刹の東光寺!  文化財研修記

京都府亀岡市千歳町には丹波七福神の第7番札所で福禄寿を祀っている臨済宗の名刹・東光寺があります。東光寺はその昔、平安時代の仁和年間(885〜889)に滋賀県大津の三井寺(園城寺)の開基で、比叡山延暦寺第5世の天台座主の主智証大師円珍が千年山の麓に金仙寺を創建し、自ら一刀三礼の薬師如来像をお祀りされたのが始まりとです。その後幾度もの重なる騒乱等の火災のため伽藍は荒れ果てました。話は飛びますが江戸時代中期の寛延年間(1748〜1751)には京都の洛北興聖寺の第13世月中和尚により現在地に移されました。又、明治39年に飛騨の名殺・本覚寺から智瑛道和尚を向かえ中興されました。(駒札より一部抜粋)


1.東光寺を見上げる!
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2.駒札
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3.見事な山門を見る!
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4.見事な山門をアップで見る!
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5.見事な境内を見る!福禄寿像もある!
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6.更に本堂へ向かう!
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7.本堂の横の福禄寿のお堂!
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8.お堂内の福禄寿様です!
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2017/11/18

京丹波を見る!12.丹波七福神の寿老人を祀る6番札所の極楽寺!  文化財研修記

京都府亀岡市千歳町には丹波七福神の一つ寿老人を祀っている6番札所で浄土宗本山知恩院の末寺で吉祥山・極楽寺がある。正保3年(1646)光誉雲哲の創建と伝えられ、本尊阿弥陀如来坐像は足利幕府初期のものと思われる。収蔵庫に安置している木造り十一面観音立像は高さ205センチメートルで、平安朝期の造立と見られてたいへん美しい姿である。この観音像は明治初期の廃仏希釈までは出雲神社に安置されていたことから、出雲神社神宮寺の仏像とみられ、雨乞いの神事にも使われていたといわれる。現在は国の重要文化財に指定されている。(一部駒札から抜粋。)

1.山門全体を見る!
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2.標柱と寿老人像
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3.駒札
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4.山門をアップで見る!
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5.国重文の十一面観音立像の安置されている収蔵庫の案内
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6.国重文の十一面観音像の収蔵庫
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7.本堂
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8.本堂内を覗いてみました!
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9.同上 アップで見る!
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10.国重文のの平安時代の十一面観音立像(拝観には予約と志納料が要ります!)
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2017/11/15

京丹波を見る!11.丹波七福神の第5番札所で恵比須尊を祀る耕雲寺!  文化財研修記

京都府亀岡市千歳町には丹波七福神5番札所で恵比須尊を祀る臨済宗妙心寺派の末寺の耕雲寺がある。本尊は聖観世音菩薩で、開創は慶長年間(1620)頃でありますが、火災による消失で開山並びに開基は不詳です。精鍛錬公禅師が当山の再興に尽鰲雲力されて、元禄8年(1695)京都の妙心寺塔頭の麟詳院の鰲雲元什和尚を迎えて復興されました。鰲雲和尚は妙心寺住姓世233世で大本山妙心寺の再住職に叙された方で、その復興にあたり越智駿河守正喬公の父、正則公の菩提追善のために供養を受けられた。正喬公は春日局の孫で、当山に正喬公の中老子の三幅画軸が伝わっている精鍛錬公禅師は弟子の宣練首座とともに、享保14年(1729)堂宇と共に焼死され、その後、元文2年(1737)頑渓全愚和尚が堂宇を建立した。神山志祐和尚が天明5年(1785)に観音堂を建立し、川東観音霊場の第4番札所であります。又、当山には石仏があり鎌倉時代中期の作といわれ、叡山系の石仏の流れをくむ弥陀9体仏と不動尊が大日堂に安置されています。(当山駒札より)

1.見事な景観の耕雲寺を見上げる!
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2.駒札
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3.石段参道
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4、本堂
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5.本堂と恵比須神を祀る!
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6.大日堂と恵比須神を祀る!
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7.恵比須神石像
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8.堂内を覗いて見ました!
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2017/11/13

京丹波を見る!10.丹波七福神4番札所で弁財天を祀る金光寺!  文化財研修記

京都府亀岡市千歳町には浄土宗総本山知恩院の末寺で丹波七福神の一つ弁財天を祀る金光寺がある。承応3年(1654)頃、文覚上人の創建と伝えている。本尊は木造り阿弥陀如来坐像で両脇に観音菩薩、勢至菩薩、脇壇には善導大師を祀っている。本堂は昭和55年(1980)壇信徒の浄財より再建。鐘楼堂の釣鐘も戦時中に供出したままのものを祈願鐘として、同年有縁の人々の浄志により再鋳したものである、薬師堂は、この寺の近接地にあった東林寺の建物で、江戸時代に火難を免れ当山に移築されたものと伝えられている。堂内の薬師如来像は木造りで40センチ程の坐像で、厨子に安置されている。脇士は日光,月光両菩薩十二神将を祀る。又、別に阿弥陀如来坐像も安置している。他に天満宮の社と行者堂がある。行者堂には大峰山の岩石・役行者、不動」明王、地蔵菩薩等の石仏、住吉神社、弁財天の社を祀っている。(お寺の駒札を一部抜粋)

1.見事な山門
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2.駒札
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3.山門をアップで見る!
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4.見事な境内
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5.鐘楼
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6.本堂
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7.石仏群と弁財天社など
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8.阿弥陀堂
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9.見事な亀岡盆地の眺め!
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2017/11/11

京丹波を見る!9.丹波七福神の一つで3番札所の大黒天を祀る蔵宝寺!  文化財研修記

京都府亀岡市千歳町には丹波七福神3番札所で大黒天を祀る臨済宗妙心寺派の蔵寶寺(ぞうほうじ)がある。往古は真言宗の寺であったともとも言われていますが、元和2年(1616)京都花園妙心寺派本山の妙心寺の塔頭寺院であった長興院より,南渓和尚が移住され、開山として再建され、禅宗の臨済宗妙心寺派本山妙心寺の末寺となりました。現在の本堂は昭和9年に改築されたものです。境内の東北の一角にある薬師堂は、寛延元年(1748)の創建で、堂内には薬師如来・地蔵菩薩・大黒天の木像が安置され、安産・火除けの霊像として古くから信仰を集めています、大黒天は丹波七福神札所三番の霊場として多くの人達が訪れています。お寺の駒札より一部抜粋。

1.蔵宝寺の標柱
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2.駒札
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3.見事な参道と正面に薬師堂が見える!
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4.本堂
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5.大黒天様
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6.薬師堂案内碑
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7.薬師堂をアップで見る!
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8.堂内を覗いて見た!
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9.境内から見る見事な亀岡市の田園風景!
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2017/11/8

京丹波を見る!8.明智光秀公が丹波攻略のため築いた亀山城跡!  文化財研修記

京都府亀岡市荒塚には明智光秀は、天正5年(1577)頃、丹波攻略の拠点とするために丹波亀山城を築城しました。保津川と沼地を北に望む小高い丘(荒塚山)に築かれましたが、正確な史料が残っていないため全容は分かっていません。光秀は近隣の村から人を呼び寄せ、城下町を形成しました。天正8年(1580)に丹波国を拝領した光秀は、本格的な城下町の整備と領国経営に着手しますが、そのわずか2年後に「本能寺の変」が起こります。亀山城はその後、羽柴秀俊(小早川秀秋)によって修築され、慶長15年(1610)岡部長盛の代に天下普請により近世城郭としての亀山城が完成します。この築城にあたっては城づくりの名手・藤堂高虎が縄張りを務め、五重の層塔型天守が造営されました。又、亀山城の天守は、創建当初では明智光秀によって3重の天守が構えられ、後の小早川秀秋の時、文禄2年(1593))に5重に改築されたという。以降この天守については不明であるが、建築史の観点では、破風の一切ない層塔型天守は慶長14・15年(1609・1610)以降に見られるもので、それ以前の小早川時代に改変されたという天守はそれ以降に再び改変されたか解体され、明治期に撮影された姿のものが新しく建造されたのではないかといわれている。
現在本丸・二の丸・西の丸の地は大本教亀岡本部の天恩卿(てんんおんきょう)となっているので見学には許可が必要です。

1.JR亀岡駅から南へ徒歩10分で城跡全体が見える公園に至る!シャチの模型が面白い!
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2.この南郷池を回って「惣構の嶺樹院」が此処にあった!
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3.懐かしくも、昔良く仕事で行った大本亀岡本部入口です!
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4.石垣
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5.内堀(万祥池)
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6.雨が又降り始めたので此処で退散!移築された城門の一部(千代川小学校)を借りてきました!
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7.下記をクリックして、「動画」で亀岡祭りを見て下さい!
https://youtu.be/jMlH-8sWAqg


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2017/11/5

京丹波を見る!7.丹波のほてい寺とも呼ばれる丹波7福神2番札所の養仙寺!  文化財研修記

京都府亀岡市千歳町には臨済宗で丹波の「ほてい寺」と呼ばれる丹波七福神第2番札所の養仙寺(ようせんじ)がある。養仙寺の創建は天平13年(741)とも寛正年間(1460〜66)とも云われる古寺ですが、往時は寺運も隆盛したとされますが度重なる兵火により衰微し、戦国時代には明智光秀の侵攻により衰退しました。境内に残された石仏、石碑、石塔等は光秀が築城した亀山城の石垣や石造物として利用され寺観も荒廃しました。寛永16年(1639)、大光普照禅師により再興され臨済宗に改宗、寺宝である木造地蔵菩薩立像は足利尊氏の念持仏と伝わる古仏像で平安時代末期から鎌倉時代初期に制作され、当初は愛宕神社の本地仏として祀らていましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令後に当寺に移されたとされます。又、丹波七福神二番札所としても知られ、境内には500体以上の布袋様を安置している事から「ほてい寺」の愛称があります。

1.養仙寺標柱と山門
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2.見事な山門と石段参道
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3.駒札
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4.見事な境内と布袋尊像
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5.布袋尊像
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6.見事な境内庭園
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7.下記をクリックして、「動画」で養仙寺を見て下さい!又,変わった感銘をうけますよ!
https://youtu.be/RyU4_s5C2ao


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