2017/10/31

京丹波を見る!5.丹波七福神の一つ毘沙門天を祀る神応寺!  文化財研修記

京都府亀岡市千歳町山麓には丹波七福神の一つ毘沙門天を祀る曹洞宗瑞雲寺・神応寺(じんのうじ)がある。神応寺の開創については、江戸時代末期の火災による資料類焼失により不詳であるが、神応寺の伝承によると、京都府八幡市にある神応寺の別院として建立されたのではないかと言われている。本堂裏手には300体以上の石仏が安置された庭園があり、8月23日には万灯会が行われ1万本のロウソクが灯る様は誠に見事です。

1.神応寺の山麓の「和らぎの道」案内図
クリックすると元のサイズで表示します

2.此処から徒歩で神応寺に向かいます。途中の銅像も楽しめますね!
クリックすると元のサイズで表示します

3.神応寺の標柱と山門
クリックすると元のサイズで表示します

4.本堂
クリックすると元のサイズで表示します

5.本堂横にある毘沙門堂
クリックすると元のサイズで表示します

6.毘沙門天像は残念ながら撮影不可能でした!
クリックすると元のサイズで表示します

7.仏様をお祀りしているお堂
クリックすると元のサイズで表示します

8.300体以上の石仏をお祀りしている本堂裏手の庭園
クリックすると元のサイズで表示します

9.同上
クリックすると元のサイズで表示します

10.8月23日の夜の1万本のローソクは見事ですね!
クリックすると元のサイズで表示します


綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2017/10/29

京丹波を見る!4.足利高氏公倒幕挙兵地の篠村八幡宮!  文化財研修記

京都府亀岡市篠町八幡には足利高氏公の倒幕挙兵地である篠村八幡宮(しのむらはちまんぐう)がある。ご主祭神は勿論、誉田別命 (ほんだわけのみこと、応神天皇)、合祀神は仲哀天皇、神功皇后様である。社伝や本殿の棟札によれば、延久3年(1071)に勅宣によって源頼義が誉田八幡宮(大阪府羽曳野市)から勧請し創建したとされる。延久4年(1072)5月113日付の頼義の社領寄進状も現存する。篠村の荘園は藤原氏によって開かれたものであったが、いつの頃からか源氏が相伝することになり、その荘園に勧請されたものとされる。当地は足利高氏(尊氏)が鎌倉幕府打倒の挙兵をした地として知られ、亀岡市指定史跡にも指定されている。高氏は元弘3年(1333)4月29日に篠村八幡宮に戦勝祈願の願文を奉じ10日間滞在したのち、六波羅探題を滅ぼして建武中興の礎を築いた。また後醍醐天皇と決別したのち、建武3年(1336)1月30日に京都攻防戦で敗れたため、2月1日まで篠村八幡宮で敗残の味方の兵を集めるとともに社領を寄進して再起祈願を行なっている。そして尊氏は九州へ逃れ、体勢を立て直すと京都に戻り室町幕府を開くこととなる。以上の篠村八幡宮への祈願の様子は、『梅松論』『太平記』『難太平記』に記されている。現在も高氏(尊氏)旗揚げの願文(京都府指定文化財)や御判御教書(寄進状)が伝わるほか、境内には矢塚や旗立楊が残されている。尊氏にとっては2度の岐路で篠村八幡宮により大願が成就したことから、貞和5年(1349)8月10日に尊氏自身が当社にお礼参りをしたほか、歴代足利将軍からも多くの社領を寄進され、盛時にはその社域は篠の東西両村に渡ったという。この頃、別当職は醍醐寺三宝院門跡が務めていた。しかし、のちの応仁の乱や明智光秀の丹波侵攻によって社伝・社域の多くを失ったという。
江戸時代に入り、寛永年間(1624-1643)、亀山城主・菅沼定芳によって本殿が改修され、以後亀山城主の直轄神社として庇護された。本殿は一間社流造。境内には、高氏挙兵にまつわる「矢塚」が残る。『太平記』によれば高氏は篠村八幡宮に願文とともに一本の鏑矢を供えたといい、多くの武将もそれに続けて供え、矢がうず高く積み上げられたという。矢塚は、これらの矢を埋納した場所とされ、塚上には椎の木が植えられている(現在は2代目)。
境内北方には、「旗立楊(はたたてやなぎ)」として、挙兵した高氏が味方武将に所在を知らせるため、4月27日から5月7日までの間「二引両」の家紋入りの旗を掲げたという楊(やなぎ。柳とは樹種が異なる)が立っている。この楊は『梅松論』にも記載がある。現在の木は昭和初期に挿し木したもので、高氏の時代より6・7代を経て引き継がれてきたものになる。

1.篠村八幡宮標柱と鳥居
クリックすると元のサイズで表示します

2.見事な参道
クリックすると元のサイズで表示します

3.手水舎
クリックすると元のサイズで表示します

4.境内社の一つ
クリックすると元のサイズで表示します

5.駒札
クリックすると元のサイズで表示します

6.境内にある相撲の土俵!
クリックすると元のサイズで表示します

7.境内図
クリックすると元のサイズで表示します

8.見事な拝殿
クリックすると元のサイズで表示します

9.見事な本殿
クリックすると元のサイズで表示します

10.境内社の一つ
クリックすると元のサイズで表示します

11.矢塚への道
クリックすると元のサイズで表示します

12.矢塚
クリックすると元のサイズで表示します

13.摂社の乾疫神社の駒札
クリックすると元のサイズで表示します

14.摂社・乾疫神社
クリックすると元のサイズで表示します

15.「旗立楊(はたたてやなぎ)」駒札
クリックすると元のサイズで表示します

16.旗立楊
クリックすると元のサイズで表示します

17.足利尊氏公生誕の地、綾部安国寺は下記をクリックして見て下さい!
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1519.html


綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2017/10/27

京丹波を見る!3.国史跡の丹波国分寺跡!  文化財研修記

京都府亀岡市千歳町国分には国史跡・丹波国分寺跡がある。丹波国分寺(たんばこくぶんじ)は、国分にある浄土宗の専念寺により管理されている。山号は護国山。本尊は薬師如来です。
奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、丹波国国分僧寺の後継寺院にあたる。本項では現寺院とともに、古代寺院跡である丹波国分寺跡(国の史跡)を説明する。創建は不詳。出土瓦から実際の創建は奈良時代末期と見られている。国分寺の付近は古代丹波国の中心地で、現在も丹波国一宮の出雲大神宮や千歳車塚古墳などが残る。『延喜式』主税上では、丹波国の国分寺料として稲4万束があてられた旨が記載されている。発掘調査からは平安時代末期頃の再建が認められるほか、平安時代後期の薬師如来坐像が本尊として伝わっているが、文献上ではその後の経緯は明らかでない。寺伝では、戦国時代に明智光秀の兵火により焼失したため、安永3年(1774護勇比丘によって現本堂が再建されたという。ただし、国分寺には元禄14年(1701)銘の鰐口が伝わることから、それ以前には復興されていたと考えられている。現在の本堂・鐘楼・山門は、安永3年(1774)の建立。いずれも亀岡市指定文化財に指定されている。
また境内には次の名木がある。
オハツキイチョウ(雌)
胸高幹周4.3メートル、樹高22メートル(1996年1月の調査時点)。乳イチョウとして知られる。亀岡市指定天然記念物、京都の自然200選、亀岡の自然100選選定。
カゴノキ(雄)
胸高幹周3.3メートル、樹高13メートル(1996年1月の調査時点)。亀岡市指定天然記念物。
ムクノキ
胸高幹周6.36メートル、樹高25メートル(1996年1月の調査時点)。亀岡市指定天然記念物。
イヌマキ
胸高幹周2.2メートル、樹高8メートル(1996年1月の調査時点)。亀岡市指定天然記念物。
本堂・鐘楼・梵鐘は亀岡市指定文化財です!

1.田圃の荒地の中にある駒札
クリックすると元のサイズで表示します

2.遠方の森が丹波国分寺跡だ!
クリックすると元のサイズで表示します

3.此処にも駒札がある!(亀岡市指定天然記念物イヌマキ!)
クリックすると元のサイズで表示します

4.山門です!
クリックすると元のサイズで表示します

5.山門をアップで見る!
クリックすると元のサイズで表示します

6.同上
クリックすると元のサイズで表示します

7.駒札
クリックすると元のサイズで表示します

8.手水舎
クリックすると元のサイズで表示します

9.鐘楼
クリックすると元のサイズで表示します

10.本堂
クリックすると元のサイズで表示します

11.駒札
クリックすると元のサイズで表示します

12.見事な亀岡市指定天然物の木・正に乳イチョウです!(風雨が強くなり此処で撮影は中止です!)
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2017/10/25

京丹波を見る!2.丹波国一之宮・出雲大神宮2−2!  文化財研修記

京都府亀岡市千歳出雲0番地には丹波国の一之宮・出雲大神宮(いずもだいじんぐう)がある。その歴史をHPより抜粋掲載します。当宮は大国主命とその后神、三穂津姫命御二柱の御神格を併せて主祭神と称え祀り、丹波國に御鎮座なされています。(他に天津彦根命・天夷鳥命を祀るという説もあります)。殊に三穂津姫命は天祖高皇産霊神の娘神で、大国主命国譲りの砌、天祖の命により后神となられました。天地結びの神、即ち縁結びの由緒は叉ここに発するもので、俗称元出雲の所以であります。日本建国は国譲りの神事に拠るところですが、丹波国は恰も出雲大和両勢力の接点にあり、此処に国譲りの所由に依り祀られたのが当宮です。古来大平和の御神意に拠り、国と国人総ての結びの大神を祀るとして上下の尊崇極めて篤く、崇神天皇再興の後、社伝によれば元明天皇和銅2年(709)に初めて社殿を造営。現社殿は鎌倉末期の建立にして(旧国宝・現重要文化財)それ以前は御神体山の御陰山を奉斎し、古来より今尚禁足の地であります。又御陰山は元々国常立尊のお鎮まりになられる聖地と伝えられています。社名は正しくは出雲大神宮、千年宮、出雲神社とも呼ばれています。

1.全境内図(御神体山の国常立像まで参拝できていません!)
クリックすると元のサイズで表示します

2.見事な拝殿
クリックすると元のサイズで表示します

3.拝殿を正面から見る!
クリックすると元のサイズで表示します

4.オガタマの霊木
クリックすると元のサイズで表示します

5.拝殿後部から斜めに本殿を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

6.本殿参拝所
クリックすると元のサイズで表示します

7.国重文の朱の本殿を横から見る!(南北朝の時代に足利尊氏公の崇敬を受け三間社流造・桧皮葺で貞和2年(1346)の建築である。)
クリックすると元のサイズで表示します

8.毎年4月の祭礼で踊られる「出雲風流花踊」を下記をクリックして「動画」で見て下さい!
https://youtu.be/wAUFubW9eIU



綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2017/10/23

京丹波を見る!1.丹波国一之宮・出雲大神宮2−1!  文化財研修記

京都府亀岡市千歳出雲0番地には丹波国の一之宮・出雲大神宮(いずもだいじんぐう)がある。その歴史をHPより抜粋掲載します。当宮は大国主命とその后神、三穂津姫命御二柱の御神格を併せて主祭神と称え祀り、丹波國に御鎮座なされています。(他に天津彦根命・天夷鳥命を祀るという説もあります)。殊に三穂津姫命は天祖高皇産霊神の娘神で、大国主命国譲りの砌、天祖の命により后神となられました。天地結びの神、即ち縁結びの由緒は叉ここに発するもので、俗称元出雲の所以であります。日本建国は国譲りの神事に拠るところですが、丹波国は恰も出雲大和両勢力の接点にあり、此処に国譲りの所由に依り祀られたのが当宮です。古来大平和の御神意に拠り、国と国人総ての結びの大神を祀るとして上下の尊崇極めて篤く、崇神天皇再興の後、社伝によれば元明天皇和銅2年(709)に初めて社殿を造営。現社殿は鎌倉末期の建立にして(旧国宝・現重要文化財)それ以前は御神体山の御陰山を奉斎し、古来より今尚禁足の地であります。又御陰山は元々国常立尊のお鎮まりになられる聖地と伝えられています。社名は正しくは出雲大神宮、千年宮、出雲神社とも呼ばれています。

1.出雲大神宮標柱と大鳥居
クリックすると元のサイズで表示します

2.参道途中の標柱
クリックすると元のサイズで表示します

3.見事な参道が続く!
クリックすると元のサイズで表示します

4.神池に浮かぶ摂社の弁財天社!!
クリックすると元のサイズで表示します

5.上手く撮影できません!
クリックすると元のサイズで表示します

6.駒札
クリックすると元のサイズで表示します

7.しあわせ なでうさぎ
クリックすると元のサイズで表示します

8.二の朱の鳥居
クリックすると元のサイズで表示します

9.手水舎
クリックすると元のサイズで表示します

10.見事な社務所
クリックすると元のサイズで表示します

11.滾々と湧き出る「真名井の御神水」
クリックすると元のサイズで表示します

12.摂社「夫婦岩」を祀る!
クリックすると元のサイズで表示します

13.全境内図
クリックすると元のサイズで表示します

14.拝殿前の駒札
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2017/10/21

越後を見る!30.(最終回)順徳上皇の持仏であった国重文の木造聖観音を祀る本光寺!  文化財研修記

越後佐渡市最後の見学先は佐渡市の宮川1082にある日蓮宗の日朗山・本光寺(ほんこうじ)です。日蓮聖人赦免の霊蹟であり、文永11年(1274)2月14日、鎌倉幕府の執権北条時宗の下した遠流の赦免状を捧持した高弟日朗上人は艱難辛苦(かんなんしんく)を重ね渡航し、3月8日夕刻、日蓮聖人の元へもたらした。日蓮聖人が赦免状を披見し、弟子信者と喜びを共にされた場所である。境内に宗祖の「袈裟掛け松」があり、至孝第一日朗上人遺骨、日興上人筆曼荼羅等を奉安する。また近くに宗祖と日朗上人が出会った「日朗坂」がある。此処から泉のバス停へ歩き、約1時間を掛けて佐渡市両津湊へ戻り、そこから水中翼船で65分新潟港に帰着した。佐渡市が物足りないと思われるかもしれないが、30数年前には佐渡市相川に1泊して、佐渡おけさの見事な踊りや金銀山は既に見ているので今回の越後の旅は此れで終わりです。新潟で夕食の魚介類を満腹食べ、夜行バスで京都へ帰り、朝の特急電車でJR綾部え帰着しました。

1.見事な本光寺の標柱
クリックすると元のサイズで表示します

2.見事な参道
クリックすると元のサイズで表示します

3.駒札
クリックすると元のサイズで表示します

4.参道と霊山橋を渡る!
クリックすると元のサイズで表示します

5.見事な山門
クリックすると元のサイズで表示します

6.本堂を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

7.本堂を斜めから見る!
クリックすると元のサイズで表示します

8.駒札
クリックすると元のサイズで表示します

9.本堂内
クリックすると元のサイズで表示します

10.宗祖の袈裟掛け松
クリックすると元のサイズで表示します

11.見事な境内
クリックすると元のサイズで表示します

12.両津湊前の「佐渡おけさの像」
クリックすると元のサイズで表示します

13.新潟駅前の地元の魚貝類の店の料理の一部(素晴らしい甘味のある魚貝類でした!)
クリックすると元のサイズで表示します


綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2017/10/19

越後を見る!29.世阿弥所縁で国の有形文化財の本堂や観音堂を持つ正法寺!  文化財研修記

佐渡市両津湊から定期バス本線で佐渡市泉のバス停まで約40分570円です。そこから徒歩で3分と説明書には書いてあるが、道に迷い地元の人が軽トラックで送ってもらった。正法寺(しょうほうじ)は曹洞宗の寺院で、世阿弥ゆかりの寺として知られる。境内北寄りに南面して建つ本堂は、入母屋造桟瓦葺で、正面に一間向背を付け、背面中央に開山堂を設けるなど、近世曹洞宗本堂の一例となっている。本堂の西南に東面して建つ観音堂は、入母屋造桟瓦葺で、内陣に壇を備える。本堂の南側には土蔵2棟と鐘楼が配され、境内の景観を整える。護国蔵は宝形造桟瓦葺で、中央に仏壇を置き、その周囲に経典棚を設ける。鐘楼は入母屋造、桟瓦葺で、方一間吹放ちの安定した外観になっている。境内の南端に建つ山門は切妻造桟瓦葺の四脚門で、本柱間の龍彫物や木鼻の霊獣の彫刻など、表情豊かに装飾されている。

1.神事めんの駒札「後藤淑(はじめ)により、「べしみ」面系列で南北朝時代から室町時代の作と鑑定された古面、神事面べしみ(県文化財)で、この面は旱魃の時、世阿弥正元清が着けて踊ったときには大雨となったいわれがある。
クリックすると元のサイズで表示します

2.見事な山門を持つ正法寺!
クリックすると元のサイズで表示します

3.山門の見事な彫刻
クリックすると元のサイズで表示します

4.山門の見事な木鼻などの彫刻
クリックすると元のサイズで表示します

5.同上
クリックすると元のサイズで表示します

6.国指定有形文化財の観音堂
クリックすると元のサイズで表示します

7.世阿弥元清の供養塚
クリックすると元のサイズで表示します

8.世阿弥元清を歌った多くの歌碑がある!
クリックすると元のサイズで表示します

9.同上
クリックすると元のサイズで表示します

10.本堂への境内
クリックすると元のサイズで表示します

11.歌碑
クリックすると元のサイズで表示します

12.見事な国指定有形文化財の本堂
クリックすると元のサイズで表示します

13.本堂に掛かる見事な扁額です!
クリックすると元のサイズで表示します

14.本堂裏は古墳群です!
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2017/10/17

越後を見る!28.佐渡の両津に指定文化財の能舞台を持つ八幡若宮神社  文化財研修記

佐渡には現在33ヶ所の独立能舞台があり、殆どが神社に併設されています。八幡若宮神社は,佐渡汽船ターミナルの南300メートルに鎮座する。参道は市立保育園の敷地でもある。一の鳥居と二の鳥居の間に車道が通っている。「神社明細帳」に「加茂郡湊町字川方 村社・八幡若宮社」とある。創立年月は不詳であるが、湊町の産土神で,もと「若宮八幡神社」と称した。江戸時代は佐渡奉行の崇敬もあったという。明治6年(1873),村社に列せられ,現社号に改称した。祭神は大鷦鷯尊(仁徳天皇)であり、明治39年(1908),北野神社(文禄元年〈1592〉創立で,祭神は菅原道真朝臣)を合併した。境内に大渡海神社,(船玉神社,琴平神社,大鰭神社,秋葉神社,龍王神社を合わせたもの)天満天神社,出雲大社を合祀した社殿がある。尚,「神社明細帳」が記録する境内社は4社である。秋鰭神社(佐比持神),秋葉神社(軻遇突知命),龍王神社(少童命),琴比羅神社(顕仁命=崇徳天皇)である。特記すべきは能舞台があり昭和まで使用されていた事。又、見事な佐渡様式の狛犬が一対ある。


1.見事な鳥居です!
クリックすると元のサイズで表示します

2.駒札
クリックすると元のサイズで表示します

3.見事な境内
クリックすると元のサイズで表示します

4.二の鳥居
クリックすると元のサイズで表示します

5.見事な佐渡型狛犬
クリックすると元のサイズで表示します

6.見事な拝殿
クリックすると元のサイズで表示します

7.舞台の建立年代は不明であるものの、文久3年(1863)の本間家文書「佐渡定能場届」に同神社の記録が残ることから、幕末から明治初年頃にはすでに舞台は存在していたものと思われる。この建物は東西に長い長方形をなしており、舞台は神前の北西側にある3間四方(約5.5メートル)の本舞台と東側にある桁行3間(約5.5メートル)、梁間1.5間(約2.7メートル)の後座からなり、屋根は寄棟造、瓦葺、床の高さは87.5pである。また、舞台の南側には桁行2.5間(約4.5メートル)、梁間1間(約1.8メートル)の地謡座があり、天井は全体に張ってあり、鐘穴も備えている。この能舞台は当時の建築様式と舞台構造を伝えるものであり、佐渡の能学史を研究する上で貴重である。なお、この舞台では昭和初期まで4月3日の祭礼に定例能が行われていたが、現在は中止している。
クリックすると元のサイズで表示します


綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2017/10/15

越後を見る!27.佐渡の両津湊にある県文化財の「洛中洛外図屏風」を持つ妙法寺!  文化財研修記

佐渡市両津湊には県指定文化財の「紙本金地著色(しほんきんじちゃくしょく)洛中洛外図六曲屏風」を持つ日蓮宗の妙法寺がある。両津港から西へ600メートルほど行くと、両津橋(両津甚句に歌われている。)を渡ると妙法寺に至る。この六曲屏風は回船問屋の本間儀左衛門が大坂から買い入れ寄進したもので、図中に「元和七年(1621)」の年号が書かれた大福帳がみえる。京都の建物や風景・風俗が描かれており、1双を二分して、春と秋の景色が対比されています。

1.妙法寺山門
クリックすると元のサイズで表示します

2.同上 正面から見る!
クリックすると元のサイズで表示します

3.駒札
クリックすると元のサイズで表示します

4.見事な境内
クリックすると元のサイズで表示します

5.見事なお地蔵菩薩様
クリックすると元のサイズで表示します

6.見事な本堂
クリックすると元のサイズで表示します

7.見事な本堂の彫刻(象鼻など)
クリックすると元のサイズで表示します

8.同上
クリックすると元のサイズで表示します

9.県文化財「洛中洛外図屏風」の一部をお借りして来ました!
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2017/10/13

越後を見る!26.佐渡の浄土真宗の基点で北一輝のお墓のある勝広寺!  文化財研修記

佐渡市両津港には佐渡の浄土真宗の基点で北一輝のお墓のある勝広寺(しょうこうじ)がある。羽州(秋田県)浜松からであることは秋田は当時から鉱山が盛んであった旨からも理解できる。鉱山が盛んという点では、秋田の方が酒田よりもはるかに納得でき、想像が広がってくる。秋田県は、銅は奈良時代から、金銀は鎌倉時代から知られ、明治時代には日本唯一の(秋田)鉱山専門学校(秋田大学鉱山学部(現、工学資源学部)の前身)ができ佐渡金山へも当学生が研修を兼ねて来ていたように 鉱山は大昔から盛んであった。勝広寺ができたのと同じようなことが、その100年前の1465年頃にもあったのを知っている。尾張国河野村の浄土真宗(一向宗)の善性をリーダーとする河野道場の者たちが、佐渡・筵場へ来て道場を開いた。現在ある本龍寺の前身。当寺に1464年大谷本願寺の蓮如自身が善性の願いによって河野道場の本尊として与えたものであることを記した花押付き墨書、親鸞の直筆とされる名号「帰命十万無擬光如来」が残っている。河野は木曽川中流域にあって交通の要所で近江商人が行き交う所、離れているが三河は雲母の産地。河野道場の門徒は、水利・採掘・製錬技術を備えた技術者集団とされる。北家もその一族といわれている。

1.勝広寺の山門
クリックすると元のサイズで表示します

2.見事な境内
クリックすると元のサイズで表示します

3.見事な本堂
クリックすると元のサイズで表示します

4.見事な鐘楼
クリックすると元のサイズで表示します

5.見事な山門を振り返って見る!
クリックすると元のサイズで表示します

6.親鸞上人像
クリックすると元のサイズで表示します

7.少し離れた青山墓地の北一輝のお墓(2・26事件で死刑となった国家社会主義者であった!)
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ