2016/11/29

山形・仙台を見る!34.縁結びと夏の三社まつりで有名な野中神社!  文化財研修記

仙台市青葉区中央の「一番町商店街」のど真ん中には今では「縁結びと三社まつり」で有名な野中神社があります。慶長6年(1601)、仙台城の町割りのために縄張りが行われました。この時に縄張りを行ったのは、ときの仙台藩主にして仙台の開府者である伊達政宗公です。このとき、縄張りの中心点として定められたのが野中神社だったと言われており、仙台城の城下町の縄張りを記念し、縄張りに使った縄を集めて埋めて、野中神社を祭ったという話がつたわっています。社殿は、昭和63年(1988)に伏見稲荷を模した形で、再建されています。次にお祭りですが、野中神社は旧暦の6月24日が祭礼とされ、仙台のにぎやかな夏祭りのひとつとされていました。しかし、今は三社まつり(仙台一番町三社まつり)として、毎年7月下旬になるとえびす神社・和霊神社と一緒に、一番町三社まつりが開かれ、神輿が商店街を練り歩きます。

1.一番町商店街の垂れ幕
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2.野中神社への横の参道
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3.狭いが朱の鳥居が一杯
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4.又,横道の参道
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5.野中神社の額が掲げられている朱の鳥居
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6.又、横道の参道
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7.ふれ「ここち」アベックで撫でると縁が良い諭旨です。
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8.又、登り階段前には額入りの朱の鳥居があります。
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9.ビルの上の野中神社への登り階段
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10.野中神社です!さすが繁華街の神社ですね!
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11.三社まつりを見たい方は、下記をクリックして動画で見て下さい!
https://youtu.be/29SlnwEFHQs

2016/11/27

山形・仙台を見る!33.福の神・仙台四郎を祀っていることでも有名な三瀧山不動院!  文化財研修記

仙台市青葉区中央2−5−7のクリスロード商店街のど真ん中には大日大聖不動明王をご本尊様(当寺では三瀧山不動尊という)を勧請し奉る真言宗智山派(総本山智積院・京都市東山区)に属する加持祈祷の専門寺院であります。又、福の神・仙台四郎を祀っていることでも有名です。当寺の沿革は定かではありませんが、郷土資料研究所によると、慶応元年(1865)加藤タケ尼律師が眼病平癒を祈り三・七・二十一日の祈願をこめたその満願の前日お不動さまに供える水を汲みに出て、はからずも拾い上げたのは四寸ばかりの不動尊であった。おおいに喜び床の間にご安置申し上げていたところ突然に神がかり状態になり、種々の事を口走るようになり信徒の人々が大いに驚き種々これに訊ねてみるとそれが皆的中するので尊信大いに得るに至ると記してると記してあり開山の縁起であります。「笑う門には福来る」そんな諺通りに笑顔を絶やさず商売繁盛を招く一人の男がいた。その名も「仙台四郎」少し知恵遅れであったことから(四郎バカ)と呼ばれてはいたが、当時の人々は、四郎の純粋な心と笑顔を愛し、大切にもてはやしたと言われています。四郎を慕って集まる子供たちは丈夫に育ち、彼の立ち寄った店は千客万来であった。そのような言い伝えから仙台の旧家や老舗等には「福の神仙台四郎」の写真が飾られています。

1.クリスロード商店街の垂れ幕
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2.クリスロード商店街からの参拝口
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3.アップで見る!
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4.商店街からの参拝参道
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5.手水処
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6.ビルの建物の2階へ上がる!
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7.見事な須弥壇です!
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8.須弥壇に向かって左側には「仙台四郎像と写真」が祀られています!
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9.右側には見事な神輿が祀られています!
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2016/11/25

山形・仙台を見る!32.日本三奇の一つと云われる御釜神社!  文化財研修記

塩釜市本町6−1には陸奥国一宮・鹽竈神社(しおがまじんじゃ)の境外末社である御釜神社(おかまじんじゃ)があります。この神社では塩竈市・鹽竈神社の名の由来となった塩釜(四口の神釜)を奉安しています。塩釜は天逆鉾(宮崎県高原町、高千穂峰山頂)、石の宝殿(兵庫県高砂市、生石神社)とともに「日本三奇」に数えられます。四口の神釜は塩土老翁神(しおつちのおじのかみ)が製塩に用いたものという伝承があります。元は7口あり、3口が盗まれて4口になったともいわれます。また、神釜の水は溢れることも涸れることもなく、世の中に異変が起こるときには色が変わるとも伝えられます。因みに、「竈」は「かまど」のことで、「塩竈」は製塩に使う竈のこと、「釜」はかまどにかけて煮炊きをする器具のことで、「塩釜」は「塩竈」に載せて潮水を煮詰めるための釜ということになります。神釜について、「神竈」という表記も見られますが、意味から考えると「釜」が適切だと思われます。「御釜神社」の名も同じでしょう。ただし、「塩竈」と「塩釜」はセットで使わなければ意味のないものですし、そもそもどちらも「かま」というのは語源が同じだからということのようです。鹽竈神社の「塩(鹽)竈」は、竈と釜を含めた総体としての塩竈を表しているのでしょう。ところで、『国史大辞典』によれば、6〜7世紀までの製塩は土器を使っており、塩釜が文献上に登場するのは奈良時代のことだそうです。当時の記録に残る塩竈は、御釜神社の神釜のような鉄製の浅い大皿のようなものでした。しかし、鉄製の塩釜は極めて希少で、わずかに国衙や寺院で用いられていたにすぎず、古代から中世においては石釜や土釜、貝釜、網代釜が一般的だっただろうと推測されているとのこと。さらに近世の入浜塩田では独特の構造の石釜が普及したといいます(若狭湾、駿河湾などでは鋳鉄の塩釜も使われたとのこと)。つまり、近世以前、鉄製の塩釜というのは極めて珍しいものだったようなのです。日本三奇とはいうものの、石の宝殿や天逆鉾に比べて塩釜は地味というか、なぜ三奇に数えられるのだろうと訝しく思っていたのですが、江戸時代以前の人たちにとっては鉄製の塩釜というもの自体が非常に貴重で希少なもの、つまり見慣れないものだったということを前提に考える必要があるようです。だからこそ神様が使ったもの、神様が愛でたものという伝承もできたのではないかと思慮します。

1.御釜神社の朱の大鳥居
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2.駒札
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3.境内
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4.駒札(芭蕉と御釜神社)
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5.御釜神社
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6.御釜社神釜奉置所(向かって左に神釜奉置所。この中に四口の神釜が奉安されています。神釜の拝観はできますが、写真は撮れません。許可がいります)。
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7.御釜神社塩竃(藻塩焼神事で使われる塩竈)
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8.同上
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9.御釜神社の境内社藤鞭神社(牛石ふじむちじんじゃ)
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10.御釜神社藤鞭社の池(こちらは境内にある藤鞭社とその脇にある池。伝承によれば、昔、和賀佐彦という神様が7歳の子供の姿となり、塩を乗せた牛を曳いていました。その牛が石になったのが牛石で、藤鞭社の脇の池に沈んでいるといいます。一年に一度の水替神事の際にその姿が見えるそうです。この池の水は海とつながっているともいいます。また、藤鞭社は、神様が使っていた藤の鞭を立てかけておいたところ、枝葉が茂って花が咲いたのでお祀りしたと伝えられていのです。東北大震災の時には池の水の色が変わったそうです。
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7月4日から6日にかけての神事は下記をクリックして見て下さい!
1.https://youtu.be/5A2f1FlE4k0
2.https://youtu.be/dNwVYTYTsgg

2016/11/23

山形・仙台を見る!31.延喜式内社で明神大社の志波彦神社!  文化財研修記

塩釜市一森山1−1には志波彦神社(しわつひこじんじゃ)があり志波彦大神をお祀りしております。あまり馴染みのない御神名ですが、『延喜式』の神名帳に記載されている2861社の中でもわずか225社しかない「名神大社」と言う格別の崇敬を朝廷より受けていた神社です。 元々は東山道より多賀城に至る交通の要所宮城郡岩切村(現仙台市宮城野区岩切)の冠川の辺(現八坂神社境内)に鎮座しておりましたが、中世以降衰微の一途を辿り境内も狭隘だったため、明治4年の国幣中社列格の際に社殿造営の事が検討され、明治7年12月24日この地を離れ鹽竈神社別宮に遷座され、この際の御祭文に後日鹽竈神社(しおがまじんじゃ)境内に社殿を造営する旨が奏上されました。 大正11年当時の宮司山下三次が政府に造営の陳情をしましたが、翌年の関東大震災発生にて効を奏せず、次代古川左京宮司が時の政府に強く訴えかけてようやく昭和9年に着手、明治・大正・昭和の神社建築の粋を集め昭和13年に完成したのが現社殿です。造営前の社殿地には2階建て社務所が建っておりましたが現在の場所に降ろし、その場所に志波彦神社を建立しております。 鹽竈神社とは趣を別にし、本殿・拝殿ともに朱黒漆塗りの極彩色社殿となっております。又全額国費を以て造られた最後の神社とも言われております。

1.志波彦神社の大鳥居
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2.登り参道途中にある石の五重搭
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3.登り参道
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4.登り参道途中から塩釜市街を見る!
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5.神門
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6.この神門の横にも石の五重塔がある!
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7.駒札
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8.手水舎
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9.見事な拝殿
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10.拝殿前にある阿形の狛犬
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11.見事な拝殿内陣
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2016/11/21

山形・仙台を見る!30.陸奥国一之宮鹽竈神社2−2!  文化財研修記

塩竈市一森山1−1には陸奥国(むつのくに)一之宮鹽竈神社(しおがまじんじゃ)がある。旧国幣中社で御祭神は、塩土老翁神(別宮)、武甕槌神(左宮)、経津主神(右宮)です。江戸時代以前はあまり判然とせず諸説があった模様ですが、 創建は奈良時代以前と伝えられていますが、詳細は不明です。 陸奥国一之宮ですが、『延喜式』にその名はなく、式外社となっています。鹽竈神社(しおがまじんじゃ)が発展してきた大きな要因に鎮守府としての国府多賀城の存在が大きく、その鬼門封じの位置にあったことから、多くの信仰を集めてきたとされています。唐門を入ると、正面に左右宮拝殿,左宮御本殿の御祭神は武甕槌神(たけみかづちのかみ)、御本殿
御境内は左に左右宮拝殿、右に別宮拝殿,別宮御本殿の御祭神は塩土老翁神(しおつちおじのかみ)別宮拝殿は 左右宮拝殿の右手に位置する。唐門を入って右手に右宮、左宮の御本殿、唐門を入ると、正面に左右宮拝殿、左宮御本殿の 御祭神は武甕槌神(たけみかづちのかみ)、右宮御本殿の御祭神は経津主神(ふつぬしのかみ)など見事な左右宮などを見て頂きます。

1.長明燈
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2.同上 駒札
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3.見事な唐門
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4.見事な唐門をアップで見て下さい!
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5.石燈籠と駒札
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6.唐門を潜ると正面に左右宮拝殿です!
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7.アップで見る!
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8.左右宮拝殿内陣
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9.右宮本殿を遠謀する!
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10.文治の燈籠
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11.同上 駒札
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12.左宮本殿を遠望する!
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13.別宮拝殿
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14.別宮本殿を遠望する!
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15.天然記念物は鹽竈神社(しおがまじんじゃ)の監竈桜
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16.能舞台
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2016/11/19

山形・仙台を見る!29.陸奥国一之宮鹽竈神社2−1!  文化財研修記

塩竈市一森山1−1には陸奥国(むつのくに)一之宮鹽竈神社(しおがまじんじゃ)がある。旧国幣中社で御祭神は、塩土老翁神(別宮)、武甕槌神(左宮)、経津主神(右宮)です。江戸時代以前はあまり判然とせず諸説があった模様ですが、 創建は奈良時代以前と伝えられていますが、詳細は不明です。 陸奥国一之宮ですが、『延喜式』にその名はなく、式外社となっています。鹽竈神社(しおがまじんじゃ)が発展してきた大きな要因に鎮守府としての国府多賀城の存在が大きく、その鬼門封じの位置にあったことから、多くの信仰を集めてきたとされています。
次回は唐門や神木杉は推定樹齢:八百年、神明社、八幡社、住吉社、稲荷社、文治の灯籠、多羅葉(たらよう)宮城県天然記念物、境内は左に左右宮拝殿、右に別宮拝殿,別宮御本殿の御祭神:塩土老翁神(しおつちおじのかみ)別宮拝殿は 左右宮拝殿の右手に位置する。唐門を入って右手に右宮、左宮の御本殿、唐門を入ると、正面に左右宮拝殿、左宮御本殿の 御祭神は武甕槌神(たけみかづちのかみ)、右宮御本殿の御祭神は経津主神(ふつぬしのかみ)など見事な左右宮などを見て頂きます。

1.東北大震災で津波はここまで来た!
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2.神社号標には、「東北鎮護鹽竈神社」と彫られています!
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3.登り参道と駒札
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4.登り参道と大鳥居
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5.ジュール・ブリュネの案内板
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6.同上 スケッチ
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7.「陸奥国一宮」と書かれた大鳥居と額
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8.登り参道
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9.凄い阿形狛犬
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10.同上 吽形狛犬
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11.随身門
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12.見事な随身門をアップで見る!
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13.阿形随身(右大臣)
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14.吽形随身(左大臣)
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15.随身門から唐門を見る!
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2016/11/17

山形・仙台を見る!28.伊達政宗が再建した国重文の五大堂!  文化財研修記

五大堂(ごだいどう)は、宮城県宮城郡松島町の景勝地松島にある仏堂であり、臨済宗妙心寺派の寺院である瑞巌寺の所属である。日本三景の1つである景勝地・松島の景観上重要な建物であり、本州海岸に近い小島に建つ。伝承によれば大同2年(807)、坂上田村麻呂が奥州遠征の際に、毘沙門堂を建立したのが始まりとされる。その後、円仁(慈覚大師)が延福寺(瑞巌寺の前身)を創建した際に仏堂を建立し、大聖不動明王を中央に東方降三世明王、西方大威徳明王、南方軍荼利明王、北方金剛夜叉明王の五大明王像を安置したことにより、五大堂と呼ばれるようになった。現在の堂は、慶長9年(1604)、伊達政宗が瑞巌寺の再興に先立って再建した。東北地方最古の桃山建築と言われ国の重要文化財に指定されている。本州と五大堂のある島とは橋で繋がっている。本尊の五大明王像は33年に1回開扉の秘仏で、21世紀に入ってからでは年(平成18年(2006)8月18日〜20日の3日間、「三聖堂、五太堂、日吉山王神社 三十三年御開帳」が開催された(堂の名は通常は「五大堂」と表記するが、前回の御開帳のときも「五太堂」という表記であった。五大堂の正面に掲げられている額に「五太堂」とあるが、筆の遊びで「大」が「太」になったといわれている。五大堂(重要文化財)、すかし橋 - 五大堂が建立された小島に架けられた橋。橋げたの隙間から海が見え、五大堂へ行く際に足元を見て気を引き締めるために造られたと言われている。木造五大明王像は33年に1回開扉の秘仏である。各像ともケヤキ材の一木造。不動明王像の像高64cm。作風から、平安時代中期の作で、中央(畿内)から持ち込まれたものではなく、地元で制作されたものと推定されている。

1.松島湾の日本三景の碑文
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2.海岸から五大堂を見る!
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3.第一の橋(海が横に見える!身が引き締まる!)
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4.第二はすかし橋(海が足元に見える!身が引き締まる!)
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5.お堂のある小島!
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6.第三もすかし橋(海が足元に見える!身が引き締まる!)
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7.駒札
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8.五大堂
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9.五大堂横から船着き場方向を見る!
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2016/11/15

山形・仙台を見る!27.芭蕉が恋した日本三景の松島湾クルーズ!  文化財研修記

松島には260余りの島々があり、平安の世から歌に詠まれたり、絵画に描かれていたりしたため、その名称はよく知れ渡っていました。伊達政宗の瑞巌寺、五大堂など、様々な寺院が建ち、
段々と松島を訪れる人も多くなっていきました。その美しさから、松島の名所を歌に詠んだり、名所を宣伝する本も多く世に出回りました。その中でも特に有名なのが元禄2年(1689))に訪れた松尾芭蕉です。この芭蕉の旅日記は【奥の細道】として、現在でも多くの人に読まれています。

1.クルーズ船乗り場
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2.クルーズ船航路
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3.出港中(50分10%引き1,350円で乗船)
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4.同上
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5.下記をクリックして、「音声付動画」で見て下さい!
https://youtu.be/H6vapVeI6ks

6.同上
https://youtu.be/ZoUBvp6NXfo

7.接岸中!五大堂が見えます!
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2016/11/13

山形・仙台を見る!26.国宝の本堂や庫裡を持つ日本三景の松島の瑞巌寺!  文化財研修記

瑞巌寺は正式名称を「松島青龍山瑞巌円福禅寺(まつしませいりゅうざんずいがんえんぷくぜんじ)」といい、現在臨済宗妙心寺派に属しています。開創は平安の初めにさかのぼります。天長5年(828)比叡山延暦寺第三代座主慈覚大師円仁が淳和天皇の詔勅を奉じ、3000学生・堂衆とともに松島に来て寺を建立しました。この寺は延暦寺と比肩すべき意を持って延福寺と命名され、平泉・藤原氏の外護を受けました。藤原氏滅亡の後は鎌倉幕府が替わって大檀越となりました。北条政子は当時学徳一世に高かった見仏上人に仏舎利を寄進し、夫の菩提を弔わせています。その仏舎利・寄進状は今に伝わっております。この天台宗延福寺は鎌倉時代中期、開創以来28代約400年の歴史をもって滅しました。 天台宗延福寺にとって替わった寺は、法身禅師が開山とされ円福寺と命名されましたが、正確な開創年はわかっておりません。 歴代住持の経営努力によってその勢力を岩手県南部にまで伸長していき、寺格も五山十刹に次ぐ諸山から、やがて十刹の高位に昇りました。しかし、戦国時代を経て次第に衰退し、妙心寺派に属するようになりました。慶長5年(1600)関ヶ原の戦いが終了した後、仙台に治府を定めた伊達政宗は、仙台城の造営と併せて神社仏閣の造営も行い、塩竃神社・仙台大崎八幡宮・陸奥国分寺薬師堂を相次いで完成させました。 当寺の造営は特に心血を注いだ事業でした。用材を紀州(和歌山県)熊野山中から伐り出し、海上を筏に組んで運びました。大工は梅村彦左衛門家次一家や、刑部(鶴)左衛門国次ら名工130名を招き寄せております。工事は慶長9年(1604)、政宗自ら縄張りを行って始まりました。丸4年の歳月をかけ、慶長14年(1609)に完成しております。伊達家の厚い庇護を受け、瑞巌寺は110余りの末寺を有し、領内随一の規模格式を誇りました。しかし、明治維新を迎え王政復古の政策は廃仏毀釈を惹起し、さらに伊達家の版籍奉還による寺領の撤廃が瑞巌寺を始め松島の諸寺院を直撃し、零落・廃絶・焼亡等の憂き目を見ることになりました。瑞巌寺はそれでも時の住持太陽東潮の努力により、ようやく維持されていたのですが、明治9年(1876)、天皇の行在所となり、内帑金千円が下賜され、復興の契機となりました。 現存する本堂・御成玄関、庫裡・回廊は国宝に、御成門・中門・太鼓塀は国の重要文化財に指定されています。(HPから抜粋)

1.瑞巌寺入口
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2.入口からずっと左側にある「法身窟」
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3.パンフレット
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4.同上
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5.国宝の本堂
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6.本堂前の臥龍梅(白)
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7.本堂入口
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8.本堂から埋木書院を見る!
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9.臥龍梅(紅)
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10.国宝の庫裡
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11.石斛(せっこく)の木の駒札
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12.石斛(せっこく)の木
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13.もう一度国宝の庫裡を見る!
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14.駒札
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15.駒札
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16.光雲観音像
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17.本堂を西国観音霊場33ヶ寺の本尊石仏が取り囲んでいます!
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2016/11/11

山形・仙台を見る!25.日本三景の松島にある名庭園・国重文を持つ円通院!  文化財研修記

宮城県宮城郡松島町(日本三景・松島)にある臨済宗妙心寺派の寺院である円通院(えんつういん)がある。旧字体:圓通院)は、本尊は聖観世音菩薩。瑞巌寺の南側に隣接してある。通称「バラ寺」「薔薇寺」。19歳で早世した伊達光宗の菩提寺であり、光宗の霊廟である三慧殿が「圓通院霊屋」の名で国の重要文化財に指定されている。光宗は仙台藩第2代藩主・伊達忠宗の次男であり、仙台藩祖・伊達政宗からみると孫にあたる。三慧殿の厨子には、慶長遣欧使節を率いた支倉常長が西洋から持ち帰ったバラと、フィレンツェを象徴する水仙が描かれている。この厨子のバラをヒントに天野明道住職が、「白華峰西洋の庭」(6,000平方メートル)にバラを植えて一般の観覧に供したため、「薔薇寺」の異名でも呼ばれるようになった。ただし、バラは開花時期が限られるため、院内を覆うコケの方が印象深い。そのほか、数珠作り体験と、庭園のライトアップで知られる。境内には「縁結び観音」もある。

1.JR仙台駅から約40分で日本三景の松島へ行く!
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2.円通院山門
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3.駒札
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4.山門から境内を見る!
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5.伊達藩江戸屋敷から移築した「遠州の庭」の一部
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6.禅林瞑想の庭
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7.同上 見事な苔の庭園です!
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8.伊達政宗公の嫡孫「光宗君」を祀る国重文の「三慧殿」
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9.三慧殿内宮殿型厨子
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10.アップで見事な彫刻の三慧殿を見る!
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11.バラ園の駒札
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12.同上 バラ園
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13.駒札
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14.同上 お墓
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15.約700年前の洞窟群
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16.松島町指定文化財の本堂「大悲亭」を斜めから見る!
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17.本堂内(読経中)
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18.数珠作りも可能です!
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