2016/8/31

高知・伊予を見る!27.国学者穂積重麻親子のお墓のある選佛禅寺!  文化財研修記

宇和島市丸伊根1143にはには臨済宗妙心寺派である選佛禅寺(せんぶつぜんじ)がある。この寺には穂積家の墓地があることで有名です。穂積重磨は宇和島藩に国学を導入し、子の重樹は藩校の国学教授となった方です。又境内に萩の花が咲き乱れ萩寺として親しまれています。又1987年3月木造鉄筋コンクリートの素晴らしい本堂に改築されています。

1.急な斜面に建つ選佛寺!
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2.見事な鐘楼
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3.見事な山門
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4.見事な木造鉄筋コンクリートの本堂
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5.境内から見る宇和島城
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6.選佛寺前近くの黒柿とその駒札
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2016/8/29

高知・伊予を見る!26.龍華山・等覚寺と伊達家西墓所!  文化財研修記

宇和島市野川1157に臨済宗妙心寺派で宇和島伊達家の西墓所がある龍華山(りゅうげざん)等覚寺(とうかくじ)がある。ご本尊は釈迦如来様です。大隆寺と並んで宇和島藩主伊達家の菩提寺です。宇和島市街地の南東部に位置する。宇和島藩初代藩主伊達秀宗が母の菩提を弔うために江戸時代初期の元和4年(1618)に建立した。建立当初は母親の法号から白雲山龍泉寺と呼ばれた。宇和島藩主の菩提寺は母親や藩主の法号からその名がついているため、領民には寺院を山号で呼ばせた。万治4年(1658)秀宗が没し、墓所が造営されると浄妙山等覚寺と改称された。その後、山号は現在の龍華山に改められた。現在の山門は明治の1894年に再建されたものです。伊達家墓所は本堂に向かって左側にある西墓所と、本堂裏側を通り右側にある東墓所に別れている。また、西墓所の隣には家臣団の墓地がある。西墓所に埋葬されている藩主・一族は次の通り。西墓所は伊達秀宗(初代)、殉死者の墓4基が並ぶ(後述)。伊達村年(4代)、伊達宗実(秀宗長男)、三保姫(3代伊達宗贇正室)佳子(9代伊達宗徳正室)、孝子(伊達宗徳継室)、伊達政宗供養塔など。

1.龍華山(りゅうげざん)等覚寺(とうかくじ)の山門を見上げる!
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2.駒札
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3.見事な山門(伊達家は三つの家紋、竹に雀、九曜、堅三つ引両の内の一番判りやすい堅三つ両引紋が三門の両側に浮き出ています。)
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4.山門から登り参道を見る!
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5.左側には豊川稲荷神社があります。
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6.境内の地蔵菩薩像
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7.近代的な本堂
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8.龍華山庭園の駒札
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9.伊達家西墓所案内図
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10.とちゅうにある桑山宗臣の駒札
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11.同上 お墓
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12.伊達家西墓所入口
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13.駒札
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14.初代藩主伊達秀宗公のお墓
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2016/8/27

高知・伊予を見る!25.大隆寺と伊達家東墓所!  文化財研修記

宇和島市宇和津町1−3−1には臨済宗妙心寺派の金剛山・大隆寺(だいりゅうじ)がある本尊は釈迦如来で次回紹介する等覚寺と並んで宇和島藩主伊達家の菩提寺である。宇和島市街地の南東部に位置する。慶長13年(1608)頃、伊達家以前の宇和島藩主富田信高が亡父知信の菩提を弔うために建立した。建立当寺は金剛山正眼院(しょうげんいん)と呼ばれていた。伊達氏入府後は等覚寺と並び伊達家の菩提寺となった5代藩主伊達村候が自らの墓所と定めた。寺院名も村候の法号から大隆寺と改められた。宇和島藩主の菩提寺は母親や藩主の法号からその名がついているため、領民には寺院を山号で呼ばせた。墓所に葬られている藩主および主な一族、家臣は以下の通りです。亀姫(初代伊達秀宗正室)、伊達宗時(秀宗二男)、伊達宗職(秀宗七男)、稲姫(2代伊達宗利正室)、伊達村候(5代)、護姫(村候正室)、伊達宗紀(7代)、観姫(宗紀正室)、伊達宗徳(9代)、宗徳生母、伊達康虎(宗徳二男)、10代伊達宗陳生母、山家公頼(藩惣奉行)廟、村田玄蕃(家老)などです。

1.大隆寺山門
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2.本堂への山門
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3.伊達家墓所への駒札
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4.初代藩主伊達秀宗公正室「亀の方」の墓石
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5.5代藩主伊達村候以下のお墓石
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6.本堂への山門を潜る!
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7.寺の駒札
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8.本堂と庭園の一部
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9.見事な鐘楼
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10.寺から宇和島城が見事に見えます!
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11.庭園の一部
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2016/8/25

高知・伊予を見る!24.宇和島市指定文化財の山家公頼のお墓(和霊廟)!  文化財研修記

宇和島市宇和津町には宇和島藩祖伊達秀宗が、宇和郡10万石に封ぜられ、宇和島(当時板島)に入ったのは元和元年(1615)のことであった。秀宗の父伊達政宗は、家臣の中より力量手腕の秀でた山家清兵衛公頼を総奉行として藩政を委託した。公頼は藩の財政の立て直し、民力の涵養に努めること5年間素晴らしい実績を挙げたのであった。しかし、元和5年幕府の命による大坂城石垣修築工事問題等を契機として、公頼排斥の空気がたかまり、元和6年(1620)6月30日の夜、秀宗の意をうけた武士たちが公頼の邸を襲い、公頼をはじめ、19歳になる2男治部、14歳の3男丹治は刃に倒れ、9歳になる4男の美濃は井戸に投げこまれ、命を落としたと伝えられている。山家邸は今の和霊神社(丸之内)の地であった。公頼に日頃から好意を寄せていた人達によって、遺骸はひそかに金剛山西の谷に葬られた。後、藩主秀宗も冤罪であったことを認め、また領内の庶民も公頼の高徳を慕い、香華の煙が絶えなかったという。現在、おたまや様(和霊廟)として、毎年7月29日の祭日には、多くの参詣人でにぎわっている。

1.宇和津彦神社から金剛山・大隆寺に向かって歩く!
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2.左側に和霊廟の庭が見えて来る!
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3.宇和島市指定史跡の駒札(よく読めないが内容は本文に記したものである。)
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4.和霊廟の拝殿
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5.本殿を左側から見る!
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6.本殿を右側から見る!
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7.山家公頼のお墓とその時殺された一族・家臣のお墓
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2016/8/23

高知・伊予を見る!23.宇和津彦命を祀る古社・宇和津彦神社!  文化財研修記

宇和島市野川新13には古社・宇和津彦神社(うわつひこじんじゃ)がある。延暦11年(792)創建の古社で、祭神は景行天皇の子である宇和津彦命(うわつひこのみこと)と味耜高彦根命(あじしきたかひこねのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)の三神を祀っている。かつては宇和町内にあったが、伊達藩による宇和島城下の造成で、現在地に勧請されたといわれる。丘陵が張り出した一段高い場所にあり、社殿は近年建て直されたものだが、境内から見る宇和島城の姿が美しい。毎年10月29日の秋祭りには、伊達氏とともに東北から伝えられたという八ツ鹿踊りが奉納され、牛鬼の先導する神輿が町を練り歩きます。八ッ鹿踊りは無形民俗文化財に指定されているが、あまり面白くないので可愛い女の子の踊りを見て下さい!

1.古社・宇和津彦神社の碑文
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2.宇和津彦神社の標柱
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3.一の大鳥居と二の大鳥居
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4.手水舎
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5.二の大鳥居
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6.阿形狛犬
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7.吽形狛犬
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8.竹陰筆塚の駒札
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9.竹陰筆塚碑
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10.兒島惟謙の駒札
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11.鎮魂兒島惟謙碑
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12.阿形狛犬
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13.吽形狛犬
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14.三つ目の阿形狛犬
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15.三つ目の吽形狛犬
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16.拝殿を正面から見る!
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17.拝殿の見事な彫刻
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18.珍しいい遥拝所
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19.本殿を横から見る!撮影が難しい!
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20.本殿を取り巻く家紋入りの塀
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21.下記をクリックして、「音声付動画」で宇和津彦神社の10月の秋祭りの一部を見て下さい!
https://youtu.be/5f9nWzOpleM

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2016/8/21

高知・伊予を見る!22.宇和島市立伊達博物館!  文化財研修記

宇和島市御殿町9−14には宇和島市立伊達博物館があります。「伊達は10万石、鶴島城跡・・・・」と宇和島小唄ににも歌われているように宇和島市は伊達10万石城下町として発展し、早くから文化の開けたところです。慶長19年(1614))、伊達政宗の長子である伊達秀宗が初代宇和島藩藩主となり、以降9代藩主伊達宗徳に至るまで当地を治めた伊達家伝来の貴重な史料や、宇和島に関する文化遺産を展示する。構内には芝不器男および松根東洋城の句碑、8代藩主伊達宗城像などがある。所蔵品のうち豊臣秀吉画像(国の重要文化財、宇和島伊達文化保存会所有)が著名である。入館料は個人で500円だったが国重文豊臣秀吉公画像(毎年5月の連休日前後2週間のみ展示です。今年は1月5日〜6月12日迄展示。)見れて満足であった!

1.宇和島市伊達博物館入口
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2.幕末に活躍した第8代目藩主伊達宗城(だてむねなり)公銅像
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3.芝不器男の歌碑
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4.パンフレットによる歴代藩主(パンフレットは竹に雀紋、竪三引両紋が載っています。)
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5.素戔嗚尊(すさのおのみこと)像
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6.展示内容を示すパンフレットから!
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2016/8/19

高知・伊予を見る!21.国名勝指定で江戸時代の池泉回遊式庭園・天赦園!  文化財研修記

宇和島市御殿町9−2には国名勝庭園で江戸時代の見事な庭園・天赦園(てんしゃえん)がある。元は宇和島藩2代藩主の伊達宗利が海を埋め立てて造成した浜御殿の一部であったが、幕末に7代藩主の伊達宗紀(百歳長寿の大名)が文久2年(1862)から隠居所とと定め、南御殿として住はじめ、慶応2年(1866)に築庭した。鬼ヶ城連峰を借景とした池泉回遊式の庭園で、大名庭園でもある。
天赦園の名は、伊達政宗が詠んだ漢詩:
馬上少年過世平白髪多残躯天所赦 不楽是如何(馬上に少年過ぎ世は平にして白髪多し残躯は天の赦す所楽しまずして是を如何せん)の一節にちなみ、余生を十分に過ごしたいという思いが込められており、宗紀は隠棲のためにこの天赦園を築き、庵を結んだ。園内には伊達家の家紋である「竹に雀」より竹を配しているのが特徴で、珍種も含め約20種もの竹や笹が植栽されている。また、伊達氏の先祖が藤原氏であったことから、多くの藤が植えられ、藤の名所としても名高い。宗紀は隠居後も宗城・宗徳を支えてこの地で家臣や蘭学者の高野長英や村田蔵六(大村益次郎)・薩摩藩の西郷隆盛らと、国事を論じたといわれている。

1.天赦園前バス停から降りると案内版があった。
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2.宇和島市地図で「天赦園」は一番上の右寄りです!
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3.駒札
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4.天赦園入口!内容的には300円の入園料は安かった!
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5.かずら石(元国宝の宇和島城の追手門の基礎石、戦災で追手門は焼失した!)
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6.天赦園案内板
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7.花菖蒲園の一部
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8.文学碑
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9.書室・春雨亭を見る!
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10.下記をクリックして、「音声付動画」で見事な天赦園をざーと見て下さい!
https://youtu.be/sa_x5SY7bFw


11.庭園尾池の一部
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12.同上
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13.オカメ笹(園内には20種類もの竹があります。)
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14.月見亭から天赦園を見る!
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2016/8/17

高知・伊予を見る!20.日本一の大鳥居を持つ和霊神社!  文化財研修記

宇和島市和霊町1451には高さ15mの花崗岩の日本一の大鳥居を持つ和霊神社(われいじんじゃ)がある。宇和島藩家老・山家公頼(通称 清兵衛)を主祭神とする。公頼は伊達政宗の家臣であったが、元和元年(1615)政宗の長男・秀宗が宇和島に移封されるのに従い、その家老として藩政を支えた。宇和島はそれまでの領主の悪政により疲弊していたが、公頼は租税軽減や産業振興を行い、効果を上げた。しかし、元和6年、藩主秀宗は公頼を嫉妬する藩士による讒言を信じ、公頼とその息子らを殺害させた和霊騒動が起こった。公頼を慕う領民たちは、密かに城北森安の八面荒神の境内に小祠を設けて公頼一族の霊を祀った。その後、公頼殺害に関与した者が落雷・海難などにより次々と変死し、また公頼の無実も判明したため、承応2年(1653年)、秀宗は公頼を祀る神社を創建し、山頼和霊神社と称した。享保20年(1735)に現在地に遷座した。大正8年(1919)に県社に列した。昭和28年(1953年)に神社本庁の別表神社に加列された。
昭和20年(1945年)に空襲で焼失されたが、昭和32年(1957)に見事再建された。
1月2日・3日には刀剣武術の居合いの奉納が行われる。7月23日・24日には和霊大祭が行われる。神社の分霊を祀る神社が四国・中国地方を中心に日本各地にある。

1.須賀川を渡ると和霊神社がある。
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2.日本一大きいと言われる大鳥居と神門
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3.和霊神社の神門
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4.手水舎
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5.神木の大イチョウの木(雨が激しく撮影困難です!)
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6.登り参道
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7.阿形の狛犬
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8.吽形の狛犬
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9.見事な躍動するご神馬像!
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10.見事な拝殿(雨で撮影困難です。)
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11.拝殿内陣をチラリと見る!
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12.日本一の巨大な鼻高像が飾られている!
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13.本殿裏から拝殿方面を見る!
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14.見事な本殿横側の彫刻(雨で台無しです!)
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15.下記をクリックして、「動画」で和霊大祭を見て下さい!
https://youtu.be/aXYBb3LNdm4


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2016/8/15

高知・伊予を見る!19.宇和島市の浄土宗の大寺・淨念寺!  文化財研修記

宇和島市藤江1535には浄土宗の淨念寺があります。浄念寺は、源蓮社法譽上人長残傳阿大和尚によって室町中期天文年間に創建されました。創建当時は浄念寺山中腹に建立されたといわれていますが、火災のため焼失し現在地に移転したものと思われます。焼失したため詳細は判明しませんが、言い伝えによると御本尊阿弥陀如来は鎌倉期のもので室町中期に25菩薩が加わり現在の25菩薩来迎の姿となりました(室町来迎様式)。山門横には芝崎観音堂があります。江戸時代当寺の前は海で芝崎の地と呼ばれており、その芝崎の地に流れ着いた観音様を大切に供養し、その地名をとって芝崎観音と呼ばれ尊崇されています。観音堂芝崎観音は千手観音菩薩です。御開帳は毎年7月17日で、芝崎観音夏祭りとして賑わっています。堂内には木彫りの33観音様、堂外には石彫りの33観音様をおまつりし、観音霊場として親しまれています。浄念寺本堂で平成27年11月23日に中村仁樹(尺八)、沖政一志(篳)、フジキテツ(キーボード)によるライブ演奏があったことでも知られています。(一部ホームページより抜粋)

1.淨念寺の見事な山門
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2.芝崎観音堂
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3.山腹に見事に立並んだ墓石群
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4.見事な本堂です!内部の天井には極彩色の花の画が見事だそうです。
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2016/8/13

高知・伊予を見る!18.宇和島市の多賀神社(性文化財凸凹神堂)!  文化財研修記

宇和島市藤江1340には多賀神社があります。祭神はわが国土、山川草木、もろもろの神を生み成された伊弉諾尊(イザナギノミコト)を主神に十一柱を祀る、神功皇后(ジングコウゴウ)摂政18年 (269年)の鎮座にして地方最古の社(ヤシロ)なる、千五百守社(チイホモリノヤシロ)と称(タタ)へ、死神が毎日千人とり殺すというを、大神はそれなら自分は千五百人の子供を生もうと詔(ノ)り給うた古事によるもので、古来より延命栄寿、治病子授け、健康の霊験あらたかな神社であります。なお境内には韓国新羅、李朝時代(1,000〜500年前)の石層塔、石人、石燈篭など韓国石造美術文化財が33件点在して偉観を呈しております。
 隣には境内摂社の粟島神社は医薬の少彦名命(スクナヒコナノミコト)を祀り、特に婦人病に効顕ある神として有名です。また、人形供養も行われており、有料にて随時受け付けております。性文化財凸凹神堂があり、性は宗教なり、哲学なり、性は道徳なり、科学なり、性は生命なり、人生なり、先代久保盛丸(クボモリマル)神主はここに悟道し、大生殖宗を開基せり、凸 凹寺とは寺に非ず陰陽研究の道場にして、浩瀚なる著書を開版す、それに加えて、現代凸凹丸(アイマル)宮司が世界の性宗教、民俗、風俗資料文献など数万点 を蒐集し、世界最高の性文化財資料館凸凹神堂に発展させたものであります。(多賀神社ホームページより抜粋)

1.多賀神社の鳥居
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2.鬱蒼とした境内
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3.二の鳥居
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4.ちょっと変わった阿形狛犬!玉の前足をかけている!
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5.ちょっと変わった吽形狛犬!玉を口にくわえています!
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6.手水舎
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7.境内社の一つ(石仏)
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8.ちょっと変わった手水舎!通常は龍が水を口から出しているのだが、これは獅子の胴体に蛇が水を出している感じだ!
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9.見事な韓国の桃抱如来像(500年の李朝時代のもので七重の石塔に安置されている。)
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10.韓国の石仏群
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11.見事な拝殿と両側の狛犬
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12.見事な阿形狛犬
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13.見事な吽形狛犬
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14.拝殿内陣を見ます!
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15.摂社 粟島神社
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16.境内社群
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17.性文化財凸凹神堂(入館料800円、撮影禁止でこの手の女将軍・男将軍など韓国で見ているので入館せず。)
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18.韓国の石仏群で中心はシバ神の愛人ハービナ女神!
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19.凸凹神堂のモットー
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20.もう一度境内と大釜を見てサヨウナラ!
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