2016/2/28
豊後・阿蘇を見る!19.日本国内羅漢寺の総本山で岩窟にある羅漢寺! 文化財研修記
羅漢寺(らかんじ)は、大分県中津市本耶馬渓町にある曹洞宗の寺院である。山号は耆闍崛山(ぎしゃくつせん)。本尊は釈迦如来。日本国内の羅漢寺の総本山である。本耶馬溪の近くの岩窟があり、山門も本堂もその中に埋め込まれるように建築されている。洞窟の中に3,700体以上の石仏が安置されており、中でも無漏窟(むろくつ、無漏洞とも)の五百羅漢は五百羅漢としては日本最古のものである。無漏窟の釈迦三尊像、五百羅漢像などの石仏群は2014年8月21日に国の重要文化財に指定された。伝承では大化元年(645)、法道仙人の創建といわれている。延元2年(1337)ないし暦応元年(北朝年号、1338)、円龕昭覚が当地に十六羅漢を祀ったのが実質的な開山である。この時の寺は、現羅漢寺の対岸の岩山にある「古羅漢」と呼ばれる場所にあったと推定されている。延元4年(1339)には中国から逆流建順という僧が来寺し、円龕昭覚とともにわずか1年で五百羅漢像を造立したという。寺は当初臨済宗であったが、慶長5年(1600)鉄村玄さく(「さく」は「族」の下に「鳥」)が来寺してから曹洞宗となった。1943年の火災で本堂を焼失し、現本堂は1969年の再建である。(ウイキペデアから抜粋)
1.羅漢寺登山口

2.駒札

3.禅海堂(青の洞門を掘った禅海和尚関係のものが展示されています。)

4.リフトで羅漢寺駅まで登ります!

5.リフトを降りて羅漢寺へ向かいます!

6.岩窟横の狭い参道を登ります。

7.山門

8.山門の駒札

9.本堂へ向かいます!

10.羅漢寺石仏群入口

11.駒札

12.本堂への入口

13.本堂

14.下記をクリックして、「音声付動画」で本堂付近を見て下さい!
https://youtu.be/oSqXV81ELSk
15.駒札

16.本堂付近から石仏群入口を見下ろします。

17.石仏群の一部を見ながらリフト乗り場へと下って行きます!

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1.羅漢寺登山口

2.駒札

3.禅海堂(青の洞門を掘った禅海和尚関係のものが展示されています。)

4.リフトで羅漢寺駅まで登ります!

5.リフトを降りて羅漢寺へ向かいます!

6.岩窟横の狭い参道を登ります。

7.山門

8.山門の駒札

9.本堂へ向かいます!

10.羅漢寺石仏群入口

11.駒札

12.本堂への入口

13.本堂

14.下記をクリックして、「音声付動画」で本堂付近を見て下さい!
https://youtu.be/oSqXV81ELSk
15.駒札

16.本堂付近から石仏群入口を見下ろします。

17.石仏群の一部を見ながらリフト乗り場へと下って行きます!

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2016/2/26
豊後・阿蘇を見る!18.日本三大奇勝の一つ耶馬溪(やばけい)を見る! 文化財研修記
耶馬渓(やばけい)は、大分県中津市にある山国川の上・中流域及びその支流域を中心とした渓谷である。景勝地として知られており、日本三大奇勝や日本新三景の一つに選ばれている。大正12年(1923)に名勝に指定され、昭和25年(1950)に一帯が耶馬日田英彦山国定公園に指定された。名勝としての指定地域は、中津市のほか、日田市、宇佐市、玖珠町、九重町を含む。耶馬渓六十六景として多くの奇勝地がある。
新生代第四紀の火山活動による凝灰岩や凝灰角礫岩、熔岩からなる台地の侵食によってできた奇岩の連なる絶景で、文政元年(1818)に頼山陽がこの地を訪れ、当時の「山国谷」という地名に中国風の文字を宛て、「耶馬渓天下無」と漢詩に詠んだのが、耶馬渓という名前の起こりである。凝灰岩や凝灰角礫岩の山には風食作用や河川の洗掘作用によってできた洞窟も多い。
頼山陽が耶馬渓と命名したのは、現在単に「耶馬渓」と呼ばれている辺りだけであるが、その後周辺の渓谷についても「耶馬渓」という名称が使われ、本耶馬渓・裏耶馬渓・深耶馬渓・奥耶馬渓などと称している。なお、「山国谷」に「ヤマ」と「クニ」の音が含まれること、「耶馬」は「邪馬」と字形が似ており「ヤマ」とも読めることから、邪馬台国の比定地をこの地に求める説もあるが、上述のように耶馬渓という名前は江戸時代まではなかったのであり、他の面からの研究によってもその可能性は低いと考えられている。(ウイキペデイから抜粋)
1.青の洞門へ行く途中にある耶馬溪橋(オランダ橋)大正9年(1920)から丸3ケ年をかけて造られた八連のアーチで日本一長い(116m)の石造り橋!

2.駒札

3.青の洞門近くの耶馬溪

4.同上

5.同上

6.移動して「一目八景」の耶馬溪を見る!

7.下記をクリックして、「音声付動画」で一目八景の本耶馬渓を見て下さい!
https://youtu.be/pXXO7oR1D_M
8.現在地

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新生代第四紀の火山活動による凝灰岩や凝灰角礫岩、熔岩からなる台地の侵食によってできた奇岩の連なる絶景で、文政元年(1818)に頼山陽がこの地を訪れ、当時の「山国谷」という地名に中国風の文字を宛て、「耶馬渓天下無」と漢詩に詠んだのが、耶馬渓という名前の起こりである。凝灰岩や凝灰角礫岩の山には風食作用や河川の洗掘作用によってできた洞窟も多い。
頼山陽が耶馬渓と命名したのは、現在単に「耶馬渓」と呼ばれている辺りだけであるが、その後周辺の渓谷についても「耶馬渓」という名称が使われ、本耶馬渓・裏耶馬渓・深耶馬渓・奥耶馬渓などと称している。なお、「山国谷」に「ヤマ」と「クニ」の音が含まれること、「耶馬」は「邪馬」と字形が似ており「ヤマ」とも読めることから、邪馬台国の比定地をこの地に求める説もあるが、上述のように耶馬渓という名前は江戸時代まではなかったのであり、他の面からの研究によってもその可能性は低いと考えられている。(ウイキペデイから抜粋)
1.青の洞門へ行く途中にある耶馬溪橋(オランダ橋)大正9年(1920)から丸3ケ年をかけて造られた八連のアーチで日本一長い(116m)の石造り橋!

2.駒札

3.青の洞門近くの耶馬溪

4.同上

5.同上

6.移動して「一目八景」の耶馬溪を見る!

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8.現在地

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2016/2/24
豊後・阿蘇を見る!17.名勝耶馬溪にある国史跡の青の洞門! 文化財研修記
名勝耶馬渓(やばけい)に含まれ、山国川に面してそそり立つ競秀峰の裾に位置する。全長は約342mで、そのうちトンネル部分は約144m。大分県の史跡に指定されるとともに、耶馬日田英彦山国定公園の域内にも含まれる。地形の関係上、一部では幅員が狭いため信号を使った片側交互通行が行われている。
寛延3年(1750)に第1期工事が完成し、最終的に開通したのは宝暦13年(1763)であった。諸国遍歴の旅の途中ここに立ち寄った禅海和尚が、断崖絶壁に鎖のみで結ばれた難所で通行人が命を落とすのを見て、ここにトンネルを掘り安全な道を作ろうと、托鉢勧進によって掘削の資金を集め、石工たちを雇ってノミと槌だけで30年かけて掘り抜いたといわれる。
寛延3年(1750)の第1期工事の完成後には、通行人から人4文、牛馬8文の通行料を徴収したという話が伝わっており、この洞門は日本最古の有料道路ともいわれている。安政元年(1854)から安政3年(1856)にかけて制作された歌川広重の『六十余州名所図会』には、「豊前 羅漢寺 下道」と題し、この洞門が豊前国の名所として描かれている。明治39年(1906)から明治40年(1907)にかけて陸軍日出生台演習場への輸送路整備のために大改修が行われ、車両が通過できるよう拡幅された。この工事の結果、完成当初の原型はかなり失われたが、明かり採り窓等の一部に手掘りのノミの跡が残っている。
大正8年(1919)に発表された菊池寛の『恩讐の彼方に』は、禅海和尚の逸話を元にして書かれたものである。ただし、この小説では、隧道は「樋田の刳貫」と呼ばれ、「青の洞門」という名称は用いられていない。また、主人公の僧の名は了海とされている。この小説とは別に、大正12年(1923)の『尋常小学国語読本 巻十二』でも教材として取り上げられ、これらによって青の洞門は広く世間に知られるようになった。完成した当時は「樋田の刳抜」(ひだのくりぬき)と呼ばれていたが、江戸時代末期から大正時代にかけて、「樋田のトンネル」や「青の洞門」と呼ばれるようになったとされる。 (ウイきぺデアから抜粋)
1.JR九州ホテルの大分駅内のブラッサムホテルからの夜景

2.JR大分駅内

3.大分バスの定期観光バスで耶馬溪、青の洞門へ向かう!

4.青の洞門近くにある「禅海和尚隧道碑」

5.駒札

6.青の洞門入口

7.青の洞門から刳り抜かれた明かり窓から外を見る!

8.青の洞門内部

9.青の洞門から刳り抜かれた明かり窓から外を見る!

10.青の洞門から出てバスガイドの案内でバス駐車場へ向かう!

11.禅海和尚像

12.菊池 寛肖像

13.耶馬溪から帰路、川向こうから「青の洞門」の外側を見る!

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寛延3年(1750)に第1期工事が完成し、最終的に開通したのは宝暦13年(1763)であった。諸国遍歴の旅の途中ここに立ち寄った禅海和尚が、断崖絶壁に鎖のみで結ばれた難所で通行人が命を落とすのを見て、ここにトンネルを掘り安全な道を作ろうと、托鉢勧進によって掘削の資金を集め、石工たちを雇ってノミと槌だけで30年かけて掘り抜いたといわれる。
寛延3年(1750)の第1期工事の完成後には、通行人から人4文、牛馬8文の通行料を徴収したという話が伝わっており、この洞門は日本最古の有料道路ともいわれている。安政元年(1854)から安政3年(1856)にかけて制作された歌川広重の『六十余州名所図会』には、「豊前 羅漢寺 下道」と題し、この洞門が豊前国の名所として描かれている。明治39年(1906)から明治40年(1907)にかけて陸軍日出生台演習場への輸送路整備のために大改修が行われ、車両が通過できるよう拡幅された。この工事の結果、完成当初の原型はかなり失われたが、明かり採り窓等の一部に手掘りのノミの跡が残っている。
大正8年(1919)に発表された菊池寛の『恩讐の彼方に』は、禅海和尚の逸話を元にして書かれたものである。ただし、この小説では、隧道は「樋田の刳貫」と呼ばれ、「青の洞門」という名称は用いられていない。また、主人公の僧の名は了海とされている。この小説とは別に、大正12年(1923)の『尋常小学国語読本 巻十二』でも教材として取り上げられ、これらによって青の洞門は広く世間に知られるようになった。完成した当時は「樋田の刳抜」(ひだのくりぬき)と呼ばれていたが、江戸時代末期から大正時代にかけて、「樋田のトンネル」や「青の洞門」と呼ばれるようになったとされる。 (ウイきぺデアから抜粋)
1.JR九州ホテルの大分駅内のブラッサムホテルからの夜景

2.JR大分駅内

3.大分バスの定期観光バスで耶馬溪、青の洞門へ向かう!

4.青の洞門近くにある「禅海和尚隧道碑」

5.駒札

6.青の洞門入口

7.青の洞門から刳り抜かれた明かり窓から外を見る!

8.青の洞門内部

9.青の洞門から刳り抜かれた明かり窓から外を見る!

10.青の洞門から出てバスガイドの案内でバス駐車場へ向かう!

11.禅海和尚像

12.菊池 寛肖像

13.耶馬溪から帰路、川向こうから「青の洞門」の外側を見る!

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2016/2/22
豊後・阿蘇を見る!16.天台宗別格本山六郷満寺総持院・両子寺! 文化財研修記
国東市安岐町(あきまち)両子1548には国東半島のほぼ中央に聳える両子山(ふたごやま、721m)から放射状にくにさきの谷々は海岸へと広がり、約28谷を六つの里に分け、六郷と称し、この地に開かれた天台宗寺院全体を総称しして六郷満山と呼び、奈良、平安・鎌倉の昔より、宇佐八幡〈全国八幡の総本社〉の庇護と影響の下に神仏習合の独特の寺院集団と信仰が形成され、往時には半島一帯に185の寺院、洞窟、僧坊、を含めて約八百の大小の堂、また、石仏・石塔が、点在し、ほとけの里といわれる六郷満山仏教文化圏が開かれてきました。
爾来約1300年間の星霜、寺院の栄枯盛衰があれども、人々の素朴な信仰は連綿として今日まで継承され、仏像・野の石仏、石造物、諸民俗的伝承行事、そして恵まれた自然の環境の中にいにしえの素朴な息吹を感じることができます。そしてほとんどの寺院の開基は仁聞(にんもん)菩薩、紀元718年開創以来やがて1300年の節目を迎えんとしています。
両子山の中腹に両子寺があります。六郷満山の中では中山本寺、すなわち山岳修行の根本道場に当たり、特に江戸期より六郷満山の総持院として全山を統括してきました。しかしながら時代の趨勢、明治初頭の神仏分離、第二次世界大戦等の法難、自然災害・人為災難等の遭遇により次第に堂宇は往時の姿を薄れてかけて来ましたが、歴代住職の懸命な精進と檀信徒の護持によりわずかながらも、面目を保ちつつ今日に至っています。
境内は瀬戸内海の国立公園、大分県史跡に編入され、全国森林浴の森百選の指定地として自然に恵まれ、四季を通じ殊に、新緑、紅葉のもみじには遠近を問わず、大勢の参拝客で賑わいます。
信仰として、特に子授けの祈願所、安産・厄除け・交通・家内安全・航海安全等各種祈願や幼没水子・先祖供養等の供養が一般、檀信徒を問わず広く門戸を開放し厳修されています。(HPより抜粋)
1.両子寺入山口

2.両子寺位置図

3.駒札

4.参道途中仏像など

5.庫裡

6.見事な護摩堂(九州不動明王霊場33ケ所の第一番札所)

7.護摩堂前の佛足石

8.護摩堂の扁額周囲には見事な千社札が貼られています!

9.鐘楼など

10.6地蔵様

11.道祖神(才の神)(村の掛口にはこのような道祖神が祀られ村を災難から護っています。)ここではこの両子寺を護っています。

12.摂社群

13.奥の院の登り参道には鎌倉時代の4.5mもある石造り国東塔があります。

14.奥の院登り参道

15.更に登ると1対の石造り狛犬が護っています。その阿形狛犬!

16.大講堂の駒札

17.大講堂(大きすぎて斜めから撮影)

18.更に奥の院へ向かいます!

19.石造りのる阿形仁王像です!

20.奥の院山門を潜ります!

21.山門を越えると巨大な像高2.3mもある阿形・吽形の仁王像が護っています!

22.奥の院

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爾来約1300年間の星霜、寺院の栄枯盛衰があれども、人々の素朴な信仰は連綿として今日まで継承され、仏像・野の石仏、石造物、諸民俗的伝承行事、そして恵まれた自然の環境の中にいにしえの素朴な息吹を感じることができます。そしてほとんどの寺院の開基は仁聞(にんもん)菩薩、紀元718年開創以来やがて1300年の節目を迎えんとしています。
両子山の中腹に両子寺があります。六郷満山の中では中山本寺、すなわち山岳修行の根本道場に当たり、特に江戸期より六郷満山の総持院として全山を統括してきました。しかしながら時代の趨勢、明治初頭の神仏分離、第二次世界大戦等の法難、自然災害・人為災難等の遭遇により次第に堂宇は往時の姿を薄れてかけて来ましたが、歴代住職の懸命な精進と檀信徒の護持によりわずかながらも、面目を保ちつつ今日に至っています。
境内は瀬戸内海の国立公園、大分県史跡に編入され、全国森林浴の森百選の指定地として自然に恵まれ、四季を通じ殊に、新緑、紅葉のもみじには遠近を問わず、大勢の参拝客で賑わいます。
信仰として、特に子授けの祈願所、安産・厄除け・交通・家内安全・航海安全等各種祈願や幼没水子・先祖供養等の供養が一般、檀信徒を問わず広く門戸を開放し厳修されています。(HPより抜粋)
1.両子寺入山口

2.両子寺位置図

3.駒札

4.参道途中仏像など

5.庫裡

6.見事な護摩堂(九州不動明王霊場33ケ所の第一番札所)

7.護摩堂前の佛足石

8.護摩堂の扁額周囲には見事な千社札が貼られています!

9.鐘楼など

10.6地蔵様

11.道祖神(才の神)(村の掛口にはこのような道祖神が祀られ村を災難から護っています。)ここではこの両子寺を護っています。

12.摂社群

13.奥の院の登り参道には鎌倉時代の4.5mもある石造り国東塔があります。

14.奥の院登り参道

15.更に登ると1対の石造り狛犬が護っています。その阿形狛犬!

16.大講堂の駒札

17.大講堂(大きすぎて斜めから撮影)

18.更に奥の院へ向かいます!

19.石造りのる阿形仁王像です!

20.奥の院山門を潜ります!

21.山門を越えると巨大な像高2.3mもある阿形・吽形の仁王像が護っています!

22.奥の院

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2016/2/20
豊後・阿蘇を見る!15.国東六郷満山霊場の第5番札所の天台宗の胎蔵寺! 綾部の文化財
国東半島のど真ん中の熊野磨崖仏のすぐ下には天台宗の古刹である今熊野山(いまくまのやま)胎蔵寺(たいぞうじ)がある。国東六郷満山霊場の第五番札所です。およそ1300年前、東大寺奈良の大仏ができる前から胎蔵寺は出来ました。菊の御紋を使えるのは国東半島でも3カ所しかありませんが、このお寺では使うことが出来ます。十六弁の菊の御紋を使えるお寺は全国でも少なく、本堂の中にあります。また、宝くじが良く当たる寺として有名です。宝くじのみならず勝負事に強いお寺で、受験生や就活中の方などもお参りする方がたくさんいます。他に、国東唯一の尼寺、雨風庵(うふうあん)が胎蔵寺内にできました。
1.駒札

2.胎蔵寺入口

3.参拝口

4.本堂

5.本堂前

6.スズの不動明王

7.熊野羊水

8.本堂を左側から見る!

9.観音立像

10.六郷満山霊場第5番札所堂

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1.駒札

2.胎蔵寺入口

3.参拝口

4.本堂

5.本堂前

6.スズの不動明王

7.熊野羊水

8.本堂を左側から見る!

9.観音立像

10.六郷満山霊場第5番札所堂

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2016/2/18
豊後・阿蘇を見る!14.日本一雄大荘厳の国指定史跡・重文の熊野磨崖仏! 文化財研修記
国東半島のど真ん中の豊後高田市田染平野には鬼が一夜で築いたという伝説のある自然石の乱積みの険しい石段を登ると、左方の巨岩壁に不動明王(8m)と大日如来(6m)が刻まれています。不動明王はどこか微笑んだような姿で、引き締まった表情の大日如来とともに、息を切らせて訪れた人たちをその神秘的な姿でやさしく出迎えてくれます。
これらは平安時代末期の作といわれており、国の重要文化財に指定されています。鬱蒼とした山中にこれほど巨大なものを刻んだことは、当時の信仰の強さを物語っています。豊後磨崖仏の代表的なもので、日本最大級のスケールを誇ります。
また、約10年に一度行なわれる六郷満山の伝統行事である峯入りの荒行は、この不動明王の前を出発点とし、護摩を焚いて行程150km、約10日間の行に入ります。
1.熊野磨崖仏への登り口

2.『赤鬼が築いた九十九の石段』昔、赤鬼が この里にやってきて 人間を食べると言う話を聞いた 熊野の権現様は、何かよい方法はないかと考えました。そこで、鬼に一夜にして 百の石段を築いたならば、許してやろうという条件を出したのです。 権現様は、とうてい無理だと踏んでいたのですが、赤鬼は軽々と石段を作っていくではありませんか。なんとかしなければと思い そこで、権現様は、赤鬼が九十九段まで積み上げて、百段目を積み上げようと 石を担いで登ってきた所で、権現様は、夜明けの合図である鶏の「コケコッコー」と 物まねをしました。それを聞いた鬼の方は、夜明けだ。 負けてしまった!! 逆に権現様に食われてしまう」と勘違いし最後の石を担いだまま 石段を駆け下りていった。平地に出た鬼は、そのまま倒れ、息絶えてしまったそうです。(パンフレット)から!工事中です!

3.更に登ります。

4.まだ登り参道です!

5.漸く石造り鳥居にたどり着く!

6.下を見ると一生懸命登ってくる人達です!

7.駒札

8.左、不動明王像(両脇に脇童子(せいたか童子、こんがら童子が刻まれています。)右側は大日如来像です。

9.左の不動明王像

10.右下の大日如来像

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これらは平安時代末期の作といわれており、国の重要文化財に指定されています。鬱蒼とした山中にこれほど巨大なものを刻んだことは、当時の信仰の強さを物語っています。豊後磨崖仏の代表的なもので、日本最大級のスケールを誇ります。
また、約10年に一度行なわれる六郷満山の伝統行事である峯入りの荒行は、この不動明王の前を出発点とし、護摩を焚いて行程150km、約10日間の行に入ります。
1.熊野磨崖仏への登り口

2.『赤鬼が築いた九十九の石段』昔、赤鬼が この里にやってきて 人間を食べると言う話を聞いた 熊野の権現様は、何かよい方法はないかと考えました。そこで、鬼に一夜にして 百の石段を築いたならば、許してやろうという条件を出したのです。 権現様は、とうてい無理だと踏んでいたのですが、赤鬼は軽々と石段を作っていくではありませんか。なんとかしなければと思い そこで、権現様は、赤鬼が九十九段まで積み上げて、百段目を積み上げようと 石を担いで登ってきた所で、権現様は、夜明けの合図である鶏の「コケコッコー」と 物まねをしました。それを聞いた鬼の方は、夜明けだ。 負けてしまった!! 逆に権現様に食われてしまう」と勘違いし最後の石を担いだまま 石段を駆け下りていった。平地に出た鬼は、そのまま倒れ、息絶えてしまったそうです。(パンフレット)から!工事中です!

3.更に登ります。

4.まだ登り参道です!

5.漸く石造り鳥居にたどり着く!

6.下を見ると一生懸命登ってくる人達です!

7.駒札

8.左、不動明王像(両脇に脇童子(せいたか童子、こんがら童子が刻まれています。)右側は大日如来像です。

9.左の不動明王像

10.右下の大日如来像

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2016/2/16
豊後・阿蘇を見る!13.巨大な9体の仏像を持つ真木大堂! 文化財研修記
国東半島の豊後高田市田染真中1796には真木大堂(まきおおどう)がある。六郷満山本山本寺(もとやまほんじ)、馬城山(まきさん)伝乗寺(でんじょうじ)の堂宇の1つとして建立されたと伝えられています。伝乗寺はかつて六郷満山の「本山八ヵ寺」中でも最大の規模を誇り、満山の中心的寺院として隆盛を極めたといいます。しかし、その草創については確たる文献もなく、『幻の大寺』とされている寺院です。真木大堂に収められた9体の仏像はその名残と伝えられ、地元の人々の厚い信仰を集めてこの地で大切に保管されてきました。いずれも国の重要文化財に指定され、藤原時代の傑作です。 本尊は、東西南北に邪鬼を制する四天王を従えた阿弥陀如来坐像です。藤原時代の作で、その表情は慈愛に満ちています。白い水牛にまたがり、六面・六臂・六足を持ち大憤怒といわれる激しい怒りの表情をたたえた大威徳明王像。この像としては日本一の大きさで(252cm)で動物の木造彫刻としても大きく珍しいものです。ほかにも不動明王像は大火焔を背に立ち、コンガラ童子、セイタカ童子を脇に置くその姿は圧倒的な存在感を漂わせています。また、この地域に散在していた石塔・石仏を損壊や紛失から守るためにこれらを一堂に集めた古代公園があります。この公園内には、かつて伝乗寺が田染盆地に36坊もの伽藍を擁して隆盛を誇っていた頃の名残が随所に散りばめられています。
1.真木大堂参拝口

2.面白い御意見箱を持つ石像

3.駒札

4.珍しい「十二支燈明石」です!

5.見事な鐘楼です!

6.六郷満山最大の寺・伝乗寺登り参道

7.真木大堂を横から見る!

8.駒札

9.大堂前と銅鑼(どら)

10.大堂を覗いて見ます!

11.その2.

12.大堂内撮影禁止(パンフレットで見て下さい!)

13.市指定文化財の「庚申塔(こうしんとう)」(人の体内にいる三戸(さんし)が60日ごとの庚申の夜、天に上りその人の罪過を天帝に訴えて、罰を下される。其れを逃れるため庚申塔を拝んだのです。これは古代中国の道教から来ています。)

14.駒札

15.市指定文化財の国東塔

16.市指定文化財の五輪塔群

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1.真木大堂参拝口

2.面白い御意見箱を持つ石像

3.駒札

4.珍しい「十二支燈明石」です!

5.見事な鐘楼です!

6.六郷満山最大の寺・伝乗寺登り参道

7.真木大堂を横から見る!

8.駒札

9.大堂前と銅鑼(どら)

10.大堂を覗いて見ます!

11.その2.

12.大堂内撮影禁止(パンフレットで見て下さい!)

13.市指定文化財の「庚申塔(こうしんとう)」(人の体内にいる三戸(さんし)が60日ごとの庚申の夜、天に上りその人の罪過を天帝に訴えて、罰を下される。其れを逃れるため庚申塔を拝んだのです。これは古代中国の道教から来ています。)

14.駒札

15.市指定文化財の国東塔

16.市指定文化財の五輪塔群

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2016/2/16
豊後・阿蘇を見る!12.九州最古の国宝の大堂をもつ富貴寺! 文化財研修記
国東半島の豊後高田にある富貴寺(ふきじ)は平安時代に宇佐神宮大宮司の氏寺として開かれた由緒ある寺院です。中でも阿弥陀堂(いわゆる富貴寺大堂)は、宇治平等院鳳凰堂、平泉中尊寺金色堂と並ぶ日本三阿弥陀堂のひとつに数えられ、現存する九州最古の木造建築物であり、国宝指定されている、まさに『仏の里くにさき』を代表する文化財です。
富貴寺大堂とその中に収められている本尊の阿弥陀如来像は970丈にも及ぶ一本の榧の巨木から六郷満山寺院を開基したとされる仁聞菩薩の手によって造られた、と伝えられています。大堂内は極楽浄土の世界を描いた壁画が施されており、風化が激しいが、極彩色で描かれていたという調査結果から県立歴史博物館に忠実に再現されています。
他にも大堂の周囲には僧侶が修行のときに使用したとされる、梵字が刻みつけられた仁聞石や鎌倉時代の笠塔婆、室町時代の国東塔等があり、かつての富貴寺の繁栄ぶりを偲ぶことができます。また、春の梅や新緑、秋のイチョウ・モミジなど四季の彩りも印象的です。
1.富貴寺標柱と登り参道

2.巨大な仁王門

3.仁王門の天井にも「千社札」が貼られている。何白、千社札を貼る棒が市内で売っているそうだ!

4.阿形の仁王像

5.吽形の仁王像

6.国宝で九州最古の大堂(おおどう)

7.斜めから見る大堂!

8.大分県指定有形文化財の富貴寺の「笠塔婆群の一部」

9.同上

10.富貴寺境内図

11.堂内撮影禁止!パンフレットです!

12.堂内で説明するご住職

13.駒札

14.裏山の権現神社

15.境内から仁王門を見下ろす!

16.富貴寺前のレストランンで昼食

17.団子汁定食?1,080円(ご飯は余り食べないので減らして貰った。美味かった!)

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富貴寺大堂とその中に収められている本尊の阿弥陀如来像は970丈にも及ぶ一本の榧の巨木から六郷満山寺院を開基したとされる仁聞菩薩の手によって造られた、と伝えられています。大堂内は極楽浄土の世界を描いた壁画が施されており、風化が激しいが、極彩色で描かれていたという調査結果から県立歴史博物館に忠実に再現されています。
他にも大堂の周囲には僧侶が修行のときに使用したとされる、梵字が刻みつけられた仁聞石や鎌倉時代の笠塔婆、室町時代の国東塔等があり、かつての富貴寺の繁栄ぶりを偲ぶことができます。また、春の梅や新緑、秋のイチョウ・モミジなど四季の彩りも印象的です。
1.富貴寺標柱と登り参道

2.巨大な仁王門

3.仁王門の天井にも「千社札」が貼られている。何白、千社札を貼る棒が市内で売っているそうだ!

4.阿形の仁王像

5.吽形の仁王像

6.国宝で九州最古の大堂(おおどう)

7.斜めから見る大堂!

8.大分県指定有形文化財の富貴寺の「笠塔婆群の一部」

9.同上

10.富貴寺境内図

11.堂内撮影禁止!パンフレットです!

12.堂内で説明するご住職

13.駒札

14.裏山の権現神社

15.境内から仁王門を見下ろす!

16.富貴寺前のレストランンで昼食

17.団子汁定食?1,080円(ご飯は余り食べないので減らして貰った。美味かった!)

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2016/2/12
豊後・阿蘇を見る!11.全国八幡総本宮の国宝の宇佐神宮!2−2! 文化財研修記
宇佐神宮は国の神社の中でも社格の高さが、伊勢神宮に続く二番手ということで、とてつもなく規模の大きなお宮です。歴史的にも非常に古く、霊的な意味も強い土地に建設され、様々な謎があるとされるのも宇佐神宮の特徴です。境内にある寄藻川(よりもがわ)には屋根付きの珍しい橋が架かっています。南面している御祭神は、左から第一殿は八幡大神(はちまんおおかみ・応神天皇)、比売大神(ひめおおかみ・宗像三女神)、神功皇后(じんぐうこうごう・応神天皇の母君)ということですが、中央に祀られている比売大神が何者かははっきりせず、比売大神を卑弥呼とする「邪馬台国宇佐説」があります。ここの主祭神は八幡大神のはずですが、実際の社殿の並びを見ると、主祭神の位置(中央)に鎮座しているのは、比売大神なのです。これは創設が第一殿が最初に創設され、第二殿、第三殿が造営されました。そして宇佐神宮の参拝方法は、出雲大社と同じ「二礼四拍手一礼」で、全国広しといえどもこの参拝方法は、宇佐神宮と出雲大社の2つだけです。風水上の位置でもなにかを意味するような配置がとても謎めいています。勝利祈願の軍神として武士の崇拝を集めた八幡神(応神天皇)を主祭神としているこの神社、戦国時代の武将はこぞって八幡の加護を受けた鎧を装備していました。(応神天皇=誉田天皇廣幡八幡麻呂が正式名称、鎧は八幡具足として今も多数現存し、宝物館に展示されています。八幡は八つの幡(簡単に言うと旗のこと)を立て、万物の徳を表現する手段として一つの宗派を意味するものです。全ての神々を八つの方角から招き、それを掲げるというのが八幡を統括する宇佐神宮なのです。「宇佐神宮神託事件」では神護景雲3年(769)に和気清麻呂が宇佐に派遣され、「無道の人(道鏡)を排除せよ}との神託持ち帰って,道鏡の即位が阻止された。此のように国家政治的な重要な節目において、国家神として大きな役割を担って来た宇佐神宮です。
1.表参道の朱の第三の鳥居

2.表参道を登って行く!

3.参道途中の駒札

4.摂社の若宮神社(仁徳天皇他4柱を祀っている。)

5.西大門前の八幡鳥居

6.西大門

7.表へ回り手水舎で手を清める!

8.摂社の亀山神社(大山積命を祀っています。)

9.再度、西大門から本殿境内に入る!

10.大元神社(奥宮)遥拝所

11.霞んでいるが宇佐神宮発祥の地、御許山を見る!

12.御神木

13.神宮の駒札

14.国宝の本殿・一之御殿(八幡大神・応神天皇を祀っている。)

15.国宝の本殿一之御殿、二之御殿(比売大神を祀る。)三之御殿(応神天皇の母、神功皇后を祀る。)とても写真では入らないので「音声付動画」で撮影しました。下記をクリックして見て下さい。
https://youtu.be/P4DfMagan6M
16.本殿・二之御殿

17.本殿・三之御殿

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1.表参道の朱の第三の鳥居

2.表参道を登って行く!

3.参道途中の駒札

4.摂社の若宮神社(仁徳天皇他4柱を祀っている。)

5.西大門前の八幡鳥居

6.西大門

7.表へ回り手水舎で手を清める!

8.摂社の亀山神社(大山積命を祀っています。)

9.再度、西大門から本殿境内に入る!

10.大元神社(奥宮)遥拝所

11.霞んでいるが宇佐神宮発祥の地、御許山を見る!

12.御神木

13.神宮の駒札

14.国宝の本殿・一之御殿(八幡大神・応神天皇を祀っている。)

15.国宝の本殿一之御殿、二之御殿(比売大神を祀る。)三之御殿(応神天皇の母、神功皇后を祀る。)とても写真では入らないので「音声付動画」で撮影しました。下記をクリックして見て下さい。
https://youtu.be/P4DfMagan6M
16.本殿・二之御殿

17.本殿・三之御殿

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2016/2/10
豊後・阿蘇を見る!10.全国八幡総本宮の国宝の宇佐神宮2−1! 綾部の文化財
大分県宇佐市には全国約11万の神社のうち、八幡さまが最も多く、4万600社あまりのお社(やしろ)があります。宇佐神宮は4万社あまりある八幡さまの総本宮です。御祭神である八幡大神さまは応神天皇のご神霊で、571年(欽明天皇の時代)に初めて宇佐の地に ご示顕になったといわれます。応神天皇は大陸の文化と産業を輸入し、新しい国づくりをされた方です。725年(神亀2年)、現在の地に御殿を造立し、八幡神をお祀りされました。これが宇佐神宮の創建です。宇佐の地は畿内や出雲と同様に早くから開けたところで、神代に比売大神が宇佐嶋にご降臨されたと『日本書紀』に記されています。宇佐の地は畿内や出雲と同様に早くから開けたところで、神代に比売大神が宇佐嶋にご降臨されたと『日本書紀』に記されています。比売大神様は八幡さまが現われる以前の古い神、地主神として祀られ崇敬されてきました。八幡神が祀られた6年後の731年(天平3年)に神託により二之御殿が造立され、宇佐の国造は、比売大神をお祀りしました。三之御殿は神託により、823年(弘仁14年)に建立されました。応神天皇の御母、神功皇后をお祀りしています。神功皇后は母神として神人交歓、安産、教育等の守護をされており、そのご威徳が高くあらわれています。八幡大神の御神徳は強く顕現し、三殿一徳のご神威は奈良東大寺大仏建立の協力や、勅使・和気清麻呂(わけのきよまろ)公に国のあり方を正してゆく神教を賜ったことで特に有名です。皇室も伊勢の神宮につぐ第二の宗廟としてご崇敬になり、勅祭社16社に列されています。明治の神仏分離令以前は「藩万八幡大菩薩宇佐宮」と呼ばれていました。また、一般の人々にも鎮守の神として広く親しまれてきました。
(宇佐神宮ホームページから抜粋)
1.今回はJR大分駅前から「大分バスの定期観光バス」で右手に別府湾を見ながら国道10号線を通って宇佐市へ向かいました。右手が別府湾です。

2.国道10号線を約1時間20分で宇佐神宮駐車場に到着。徒歩で見学開始です。宇佐市地図

3.宇佐神宮境内図(現在地は境内図の左上の赤印の所です。)

4.遙かかなたの宇佐神宮へ向かう。

5.やっと朱の大鳥居を一対の狛犬の所に来ました。

6.巨大な阿形の狛犬

7.吽形の狛犬

8.参道の左側には昔の宇佐参宮線を走っていた26号蒸気機関車が展示されていた。

9.寄藻川に架かる神橋が見えて来た!

10.宇佐神宮の標柱と神橋

11.右手には摂社の黒男神社(祭神は武内宿禰)がある。

12.第二の巨大な朱の大鳥居です!

13.右手には宇佐神宮廰があります。

14.菱形池には能舞殿があります。

15.絵馬堂内の絵馬の一つ

16.和気清麻呂が神託を乞うている絵馬です。

17.第三の朱の大鳥居(ここを潜っていくと本殿に向かうことになりますが、小生は右に折れて下宮へ向かいます。)

18.大鳥居前には奉納のお酒が一杯あります。

19.下宮(御炊宮(みやけのみや)へ向かいます!

20.摂社の春宮神社(祭神は菟道稚郎子命(応神天皇の御子神)です。)

21.下宮の駒札

22.下宮の神門

23.下宮全体を見る!(一番手前が三之御殿で神功皇后を、真ん中が二之御殿で比売大神(ひめのおおかみ)、一番左が一之御殿で八幡大神(応神天皇)を祀っています。この祀りの形は国宝の本殿も同じです。)

24.三之御殿(神功皇后を祀っています。)

25.真中は二之御殿(比売大神(ひめのおおかみ)を祀っています。)

26.一之御殿(八幡大神(応神天皇を祀っています。)次回の記事で国宝の本殿などを見ます!

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(宇佐神宮ホームページから抜粋)
1.今回はJR大分駅前から「大分バスの定期観光バス」で右手に別府湾を見ながら国道10号線を通って宇佐市へ向かいました。右手が別府湾です。

2.国道10号線を約1時間20分で宇佐神宮駐車場に到着。徒歩で見学開始です。宇佐市地図

3.宇佐神宮境内図(現在地は境内図の左上の赤印の所です。)

4.遙かかなたの宇佐神宮へ向かう。

5.やっと朱の大鳥居を一対の狛犬の所に来ました。

6.巨大な阿形の狛犬

7.吽形の狛犬

8.参道の左側には昔の宇佐参宮線を走っていた26号蒸気機関車が展示されていた。

9.寄藻川に架かる神橋が見えて来た!

10.宇佐神宮の標柱と神橋

11.右手には摂社の黒男神社(祭神は武内宿禰)がある。

12.第二の巨大な朱の大鳥居です!

13.右手には宇佐神宮廰があります。

14.菱形池には能舞殿があります。

15.絵馬堂内の絵馬の一つ

16.和気清麻呂が神託を乞うている絵馬です。

17.第三の朱の大鳥居(ここを潜っていくと本殿に向かうことになりますが、小生は右に折れて下宮へ向かいます。)

18.大鳥居前には奉納のお酒が一杯あります。

19.下宮(御炊宮(みやけのみや)へ向かいます!

20.摂社の春宮神社(祭神は菟道稚郎子命(応神天皇の御子神)です。)

21.下宮の駒札

22.下宮の神門

23.下宮全体を見る!(一番手前が三之御殿で神功皇后を、真ん中が二之御殿で比売大神(ひめのおおかみ)、一番左が一之御殿で八幡大神(応神天皇)を祀っています。この祀りの形は国宝の本殿も同じです。)

24.三之御殿(神功皇后を祀っています。)

25.真中は二之御殿(比売大神(ひめのおおかみ)を祀っています。)

26.一之御殿(八幡大神(応神天皇を祀っています。)次回の記事で国宝の本殿などを見ます!

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