2015/12/31

丹波の寺社を見る!14.国重文の能舞台を持つ春日神社!  文化財研修記

春日神社(かすがじんじゃ)は、兵庫県篠山市黒岡75にある神社で奈良の春日大社から分霊された。奈良の春日大社の分祠を祭り、地元では「おかすがさん」と呼ばれる氏神。能楽殿で演じられる春の春日能と秋の祭礼(10月第3土・日)の京都八坂の祇園祭を模したといわれる4基の神輿、華麗な飾り付けを施された9基の山鉾巡行は京文化を強くうかがわせ、笛や鐘の囃子を響かせながら小京都雰囲気の残るの古い町並みを練り歩く様子は、近代的な町で行われる本場の京都の祇園祭よりも情緒あるものとして知られる。平安時代初期の貞観18年(876)当時、日置荘を領有者であった藤原基経、藤原時平父子により藤原氏の氏神である春日大社(奈良県)より分祀し黒岡村南部の当時は笹山と呼ばれた現在は篠山城のある小山に勧請し、祀り氏神としたのが起源とされる。後の慶長14年(1609)、篠山城築城の際に現在の地に遷された。
 秋の祭礼に使われる4柱の神霊を移した金神興は、2基を黒岡村より元禄7年6月に、他の2基は安永8年9月で篠山町より寄進されたもの。9台のちんちき山と呼ばれる山鉾は寛文3年以降に各町内より寄進されたもので、京都の祇園の山鉾を模し造られており、絢爛豪華である。明治後期までは鳳凰・孔雀・蘇鉄・猩猩等の鉾をつけ巡行したが、電線が障害となり現在は鉾を付けずに巡行される。また太鼓御興は、文化・文政のころに、王地山焼の陶工たちが担ぎ始めたのが始まりと伝えられる。
鉾山巡行 蘇鉄山(魚屋町)長さ6メートル、高さ約5メートル、屋根までの高さは京都祇園祭・山鉾の約3分の2ほどの規模ながら京都の祇園祭に強い影響を受けている。初期の鉾山は現在よりも小形で簡素なものだったが、江戸時代中期頃に現在の規模となり華麗さを増した。初めて鉾山が作られたのは寛文3年(1663)の三笠山 (上河原町)と伝えられる。篠山市指定文化財。4台は三笠山(上河原町)、鳳凰山(下河原町)、孔雀山(上立町)、高砂山(下立町)他の5台は剣鉾山(呉服町)、猩々山(上二階町)、諫鼓山(下二階町)、蘇鉄山(魚屋町)、鏡山(西町)神輿は元禄7年(1694)及び安永8年(1779)に寄進奉納されたが、4基あるのは春日神社の4祭神にちなんだもので、4祭神とは天児屋根命(あまのこやねのみこと)、武甕槌命(たけみかつちのみこと)と経津主命(ふつぬしのみこと)比売神(ひめのおおかみ)である。翁奉納は篠山藩主13代藩主青山忠良によって江戸時代末期である文久元年(1861)に建てられた能舞台。建築は稲山嘉七、永井理兵衛、舞台背景に描かれた松の絵は松岡曾右衛門によるもので、当時箱根以西において最も立派なものであると称えられた。正月の1月1日には、翁奉納および毎年、桜の咲く時期の4月上旬に「篠山春日能」が催される。平成15には国の重要文化財に指定される。絵馬堂は昭和27年8月に平和記念に建立された。内部の馬絵は、当初は旧拝殿内に会ったものだが慶安2年に松平忠国が奉納した狩野尚信作の黒神馬は、精緻なもので価値が高い。この絵馬だけには金網が張ってあったが、それはこの馬が夜な夜な絵から抜け出しては黒岡の田畑の豆を食い荒らしたという伝説があるためである

1.春日神社の石造りの二の大鳥居
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2.振り返って一の朱の大鳥居を見る!
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3.見事な仁王門
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4.天満宮
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5.見事な絵馬堂(正面の黒い馬が飛び出しが夜な夜な絵から抜け出しては黒岡の田畑の豆を食い荒らしたという伝説があるためである。)画像をクリックすると3,200ピクセルの大画面となります。
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6.手水舎
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7.神鹿が護っています。
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8.国重文の能舞台ですが、祭礼の準備で覆われています。
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9.第13代藩主青山忠良(ただなが)の像です。
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10.能舞台の駒札
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11.他から能舞台の写真をお借りして来ました!
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12.拝殿
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13.本殿を横から見る!
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14.下記をクリックして、「音声付動画」で鉾山巡行を見て下さい!
https://youtu.be/apjjkVEuKdY

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2015/12/30

丹波の寺社を見る!13.丹波篠山市の曹洞宗の古刹・太寧寺!  文化財研修記

丹波篠山市奥畑193には曹洞宗の古刹寺院である太寧寺(たいねいじ)がある。、丹波篠山五十三次に選ばれており、石段を上がると本堂、禅堂、庫裡、鐘楼など八棟が整然と並んでいます。ご本尊は、聖観世音菩薩座像です。由緒書きにもあるように、細川持春(よしはる)が、嘉吉3年(1443)、亡父満国の供養のために、摂津護国寺の惟忠守勤禅師を招いてこの寺を創建したといいます。太寧寺の名は、満国の諡名(いみな)の太寧寺殿にちなみます。初代城主・松平公の息女(おふく様)が永眠。篠山城の鬼門にあたり、その祈祷寺である。古木の殿様椿で有名です。更には、「ひょうごの巨樹・巨木100選」によれば、幹周3.1m、樹高8mの タラヨウ(多羅葉)としては兵庫県下最大、全国でも有数の巨樹です。タラヨウはモチノキ科の常緑高木で、葉は厚い皮質で、傷をつけると黒く変色します。それを経文を葉に傷をつけて書く多羅樹(ヤシ科の一種)の葉にたとえて名付けられたものです。

1.太寧寺の標柱
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2.駒札
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3.樂寿観音像
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4.山門を見上げる!
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5.山門
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6.本堂を見上げる!左側には殿様椿が見えます!
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7.見事な殿様椿です。
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8.見事な鐘楼です。
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9.見事な本堂です。
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10.本堂に引き継いている見事な庫裡
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11.本堂の裏山の「、「ひょうごの巨樹・巨木100選」によれば、幹周3.1m、樹高8mの タラヨウ(多羅葉)としては兵庫県下最大、全国でも有数の巨樹です。
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2015/12/29

丹波の社寺を見る!12.竹林精舎と呼ばれる丹波丹波古刹15ケ寺の一つ常勝寺!  文化財研修記

丹波市山南町には天台宗の古刹で千手観世音菩薩様をご本尊とする常勝寺がある、この寺ははるかなるインドより万里の波涛を超えて渡来した法道仙人(大化年間、孝徳天皇の御代(645〜50)は、七尾七谷の此の山に七堂伽藍を建て、寺運日増しに栄え、僧坊70余りの大山地となりましたが、永保年間に出火し堂塔すべて灰燼に帰しました。  その後、泉州槙尾山の浄意上人が本堂および諸堂を建てましたが、天正3年10月3日(1575)、戦国動乱の兵乱により、全山ことごとく炎上し、のち当山の智光法印が再建に着手しましたが、工半ばにして遷化された。爾来、寺運なく、荒れるにまかせ、元禄10年(1697)ようやく良海法印が本堂を修復し、寺坊七舎のうち、慈眼、松林、普賢、蓮乗、宝樹の五ヶ院とし、寺運更に沈み遂に慈眼院のみとなり、明治に入っても尚風雪つよく、うらぶれの明け暮れでありました。時うつり、当山第十六世、実應法印の学徳秀れ、自ら、霜をふんで山林経営に粉骨し、入りては法灯を高くかかげて諸堂修復に粉身し、寺運、日を重ねてよみがえり、今日に至りました。 山清く澄んで深く、千古の老杉は亭々として磴(とう)を覆ひ、梢をわたる風は野鳥の声をはこび、木漏れ日に映える青葉、若葉、蝉しぐれ、虫の宴、栗鼠(りす)に揺らぐ紅葉、冬ざれの石仏等四季の情趣に恵まれております。特に例年2月11日(祝)午後1時からの「鬼追い」行事は丹波唯一で輸名です。桜・紅葉も見事です!(寺院HPより抜粋)

1.常勝寺の標柱と桜の仁王門
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2.駒札
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3.見事な仁王門
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4.仁王門の吽形の仁王像
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5.常勝寺の駒札
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6.庫裡への登り参道
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7.庫裡前から見下ろす!
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8.庫裡(宝樹閣と呼ばれています。)
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9.庫裡から更に本堂へ向かう登り参道
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10.登り参道の養側にはこのような石仏が数多くあります!
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11.登り参道の石仏群!
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12.やっと本堂が見えて来ました!
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13.本堂を左側から見ます!
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14.本堂の8代目中井権次正胤作の彫刻
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15.同上
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16.本堂を見街側から見ます!
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17.本堂内をちょっと覗いて見ました!
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18.鐘楼と石塔です!
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19.下記をクリックして、「音声付動画」で2月11日の「鬼追い」をU−tubeで見て下さい!
https://youtu.be/dWVIRU_2R50

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2015/12/28

丹波の社寺を見る!11.丹波古刹15ケ寺霊場で国登録文化財となった山南町の慧日寺!  文化財研修記

兵庫県丹波市山南町には臨済宗妙心寺派の古刹で釈迦牟尼仏をご本尊とする萬松山・慧日寺(えにちじ)がある。慧日寺にある方丈(本堂)など5棟がこのほど国の有形文化財に登録されました。国登録有形文化財は市内4カ所目で、寺社建造物では初めてとなります。今回、慧日寺で有形文化財に登録された5棟は方丈 (本殿) 木造平屋、 茅葺、 江戸時代後期。庫裏も同じ、経蔵は木造2階、 桟瓦葺、鐘楼は木造2階、 桧皮葺、 慶応3年(1867)、裏門は木造平屋で 銅板葺の5棟。 いずれも江戸中期後期後期に建てられ、方丈と庫裏はかやぶきの大屋根が約200年にわたって維持されています。 永和元年(1375)細川頼之が創建、特峯禅師により開山され、七堂伽藍他山内の塔頭18ケ寺に及ぶ丹波禅寺の中心として栄えました。
その後、明智光秀の丹波攻め(16世紀末)や度重なる火災のため、創建当時の面影を失い、現存の仏殿(県指定文化財)は元禄年間(117世紀末)方丈・鐘楼等は18世紀末に再建されたものです。

1.鬱蒼とした参道を登る!
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2.駒札
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3.山門
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4.境内にある「八百姫髪塚」(その昔八百姫は中国や印度で厳しい修行を行い、その後丹波慧日寺の特峯禅師を訪ねてきました。問答のすえ、 自らの悟りが浅く本当の悟りではないと気づいて、特峯禅師の弟子となりました。死後、和尚は得度で落とした黒髪をこの地に埋めました。
この碑は、美麗、不老長寿、心願成就の八百姫大明神として人々の信仰を集めています。)
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5.見事な仏殿
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6.境内のお地蔵様
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7.国登録文化財となった経蔵
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8.国登録文化財の庫裡
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9.国登録文化財の方丈(本堂)
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10.国登録文化財の鐘楼
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2015/12/26

丹波の社寺を見る!10.丹波市山南町には3つの大歳神社がある!その一つ太田にある大歳神社!  文化財研修記

全国的に大歳神社(おおとしじんじゃ)があるのですが、特に兵庫県に多い神社です。大歳神を祀った神社である。『古事記』によれば、大歳神は素戔嗚尊が大山津見神の女、神大市比賣に娶いて生みませる神であり、宇迦之御魂神(お稲荷様)とは同胞神である。名義に関して、本居宣長は『古事記伝』に「大は例の称え名、歳は田寄なり、多余を切めて登となる、(略)然云故はまず、登志とは穀のことなり、其は神の御霊以て、 田に成して、天皇に寄奉賜ふゆえに云り、田より寄すと云こころにて、穀を登志とはいうなり」と述べているが、"トシ"とは本来穀物の稔りの義であり、一回の収穫を得るのに一カ年の時間を有することから、四季の一巡する期間も"トシ"と称している。従って、大歳神とは穀物、特には稲の生育・成熟の霊験を象徴した神名でああり、 宇迦之御魂神が同胞神であるのも、また神裔として御年神の名があるのも、こうした神格の現れと思慮される。 『延喜式神名帳』には山城国乙訓郡、大和国高市郡(二座)、和泉国大鳥郡、遠江国長上郡 但馬国二方郡、岩美国那賀郡に計七座の大歳神社が記載されている。現在もこの社名を有する神社は中部日本以西に広く分布しているが、東日本には比較的少ない。大歳神【オオトシノカミ】とは”年”を司る神であり転じて穀物、特に稲(田)の神とされる。素戔嗚尊【スサノオノミコト】」と「神大市比賣【オオイチヒメ】」の子供です。 妹神はお稲荷さんで有名な稲荷大明神、「宇迦之御魂神(ウカノミタマノミコト)」妹神を祀ってる大きな社は、伏見や豊川、最上などあるのに対し兄神が大々的に祀られている社のなんて少ない事です。神戸に行ってその大歳神社の多いことにはびっくりです。
この丹波市山南町の3つの大歳神社とも柏原の名彫刻師の中井権次一党がそれぞれ見事な彫刻をしていることです。この丹波市山南町吉田五反田590にある大歳神社を取り上げて見ました。

1.太田の大歳神社全景
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2.石造り鳥居と全景
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3.真ん中が見事な大鳥造りの大歳神社本殿です!((左側は白鹿神社です!)
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4.左側の白鹿神社です!(延享3年(1746)のある春の日、右脚に傷をおった美しい白い鹿が太田の里に下り、川に落ちて流され、 助けた村人の手厚い介護もむなしく死んでしまいました。時の柏原藩主織田公からはお供え物を賜わり、 吉祥として白鹿をねんごろに葬れとのお言葉があったそうです。 村人は瑞鹿(しろしか)神社として祀り、以来足の病に霊験あらたかといわれ、お祭には沢山の参拝者が訪れるそうです。
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5.本殿
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6.本殿を斜めから見る!
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7.本殿の見事な彫刻は直系で無いが中井清次郎正実作です!
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8.同上
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9.天明5年巳(1785)の銘のある石灯籠
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2015/12/24

丹波の寺社を見る!9.足利初代将軍尊氏公2代将軍所縁の石龕寺!  文化財研修記

石龕寺(せきがんじ)は、兵庫県丹波市にある高野山真言宗の寺院で山号は岩屋山で本尊は毘沙門天で岩屋寺(いわやでら)とも称される。もみじの寺、足利氏の寺、仁王像の寺として知られる。竹林山常勝寺(天台宗)、萬松山慧日寺(臨済宗)とともに山南三山の一つ。用明天皇の丁未の年である587年、聖徳太子(574〜622)による創建と伝えられる。聖徳太子が深く帰依した毘沙門天を本尊とする。鎌倉時代から室町時代に隆盛を極める。寺号の「龕」とは、仏像などを安置する厨子や壁面の窪みを意味する。本堂から山上約800mに奥の院があり、その石窟が石龕寺の寺号の由来となっている。山門の金剛力士像(仁王像)は、慶派の「肥後法橋定慶」によって仁治3年(1242)に制作された仏像で国の重要文化財に指定されている。南北朝時代、足利尊氏とその弟直義の争いである観応の擾乱にて尊氏が敗れ一時、京都から播磨に逃れる際、嫡子義詮に仁木頼章、義長兄弟を添え、2,000騎を当地に留めた。このとき、石龕寺の僧が足利氏に丹波栗を献上すると義詮はその一つに爪痕を付け、「都をば出て落ち栗の芽もあらば世に勝ち栗とならぬものかは」(もしこの栗が芽を出せば、都に出て天下を取ったものと思ってくれ)という歌を添え、栗を植え立ち去った。その後、首尾よくそのとおりとなったため「爪あと栗」または「ててうち栗」として伝えられる。南北朝・室町時代に入ると、丹波国井原庄の石龕寺(岩屋寺)の修験者達の活動が知られるようになる。彼等は熊野先達として近隣の村々から旦那を引き連れて熊野本宮に向かったようで、「熊野本宮大社文書」の中に残された、南北朝・室町時代から戦国時代にかけての御師文書の中に、石龕寺先達として法忍坊(応安2年〈13693年〈1457年〉前後か)などの坊名・院名が散見される。中世末期の戦国時代には織田信長(明智光秀)の丹波攻略を受け、天正7年(1579)には兵火により全山ことごとく焼失、仁王門を残すのみとなる。江戸時代以降に徐々に復興。奥の院(1994)、毘沙門堂(本堂)、鐘楼堂、持仏堂、庫裏、客殿などが再建された。境内には仁治2年(1241)創建の焼尾神社があり石龕寺の鎮守として弁才天が祀られていたが、明治の神仏分離により市杵島比売命を祀ることとなり、弁才天は石龕寺に保管されているが、未だに弁才天の幟が立てられ、幸運、財宝、福徳の神として作家、音楽家、歌手、俳優に人気がある。本堂前の石段左手の中国原産スギ科「コウヨウザン」は高さ37mで県下最大。客殿前の谷の「大槽(おおぶね)谷の水」は、聖徳太子が毘沙門天像を洗い、水面が常に黄金に輝いていたとの伝説があり古来名水、霊水として知られる。
境内にはもみじが多く、毎年11月第3日曜日には「もみじ祭り」が催され護摩供養、武者行列などの行事が催され多くの参拝客で賑わいを見せる。

1.石龕寺(せきがんじ)の駒札
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2.現在地
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3.国重要文化財の金剛力士を持つ仁王門!
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4.国重文の阿形の金剛力士像
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5.同上 吽形の金剛力士像
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6.登り参道
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7.ここでU−tubeから11月の第3日曜日の「もみじまつり」の「音声付動画」をお借りしてきましたので、2分40秒です。下記をクリックして見て下さい!
https://youtu.be/yzxIfU89h0g

8.漸く本堂近くに来ました!
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9.左側に「焼尾神社の駒札」がありました!
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10.焼尾神社への急な登り参道です!
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11.見事な彫刻の神社です!
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12.境内の摂社群!
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13.本堂(毘沙門天童)
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14.本堂の見事な彫刻
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15.ここから奥の院への道
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16.もの凄い山道の登り参道!ギブアップです!
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17.本堂周辺には多くの石仏・石碑が立っています!
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2015/12/22

丹波の寺社をみる!8.第4代柏原の名彫刻師中井言次君音の彫刻のある日吉神社!  綾部の文化財

丹波市山南町には豊臣秀吉公、家康公に認められた初代京都大工棟梁中井大和守正清(お墓は30年前京都市下京区樋ノ下町の長香寺の大大名に匹敵する巨大な墓を見た。)の縁戚である中井家は兵庫県柏原の真田家に仕えた。この日吉神社は元来は巨岩の磐座(いわくら)である。 イザナギ、 イザナミなどが祭神なのだが、 滋賀の日吉大社より分霊され、 その後、 宝暦11年 (1761) に再建されたものだ。 神社の片隅に巨大なカヤの木がある。 市の天然記念物です。神社再建後ほどなくして、柏原の第4代目の 中井言次君音が相方の久須善兵衛政清とともに神社の彫刻をしつらえていった。 柏原の五社稲荷の彫刻を数年がかりで完成したのち、 第二の仕事として日吉神社を選んだものと思われる。この第4代目で柏原中井家を不動のものとし、中井家のメインテーマの 「竜」が主流だが、 ここでは京都で身につけた、 その他の多彩な彫り物を一気に披露した。本殿の正面向拝 (こうはい)や蟇股(かえるまた) の竜は比較的小さなものだが、 木鼻 (きばな) には唐獅子と獏、 蟇股 (かえるまた) とおぼしき所には波や仙人、 また柱の先端には鶴が翔ぶ。 脇障子には、 中国の仙人が彫られている。彫刻の部分撮影は失敗で、本殿の彫刻を左右から見て下さい。中井家は次の3大名人がでてその名を不動のものにした。5代目丈五郎橘正忠、6代目権次橘正貞、7代目権次橘正次である。この日吉神社の彫刻の撮影は失敗だが、どこかで挽回します。

1.日吉神社の鳥居と拝殿を見上げる!
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2.境内の巨大な碑文
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3.拝殿正面を見上げる!
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4.拝殿を通して本殿を見るが彫刻は見れない!
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5.左側から本殿の彫刻を見る!画像をクリックされると3200ピクセルの大画像となります。
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6.右側から本殿の彫刻を見る!画像をクリックされると3200ピクセルの大画像になります。
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7.御神木のカヤの木で丹波市の天然記念物です!
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2015/12/20

丹波の寺社を見る!7.柏原八幡神社の厄神大祭!  文化財研修記

兵庫県丹波市柏原町には有名な柏原(かいばら)八幡神社とその境内社で有名な柏原厄除神社がある。この八幡神社はうっそうと生い茂る入船山の頂上ある。この神社は岩清水八幡宮の「柏原別宮」とも称されており、6メートルある兵庫県指定文化財の「木の芽橋(このケヤキの幹は6メートルを越え奥村川の欄干の下をくぐっている)」を渡り、大きな鳥居をくぐり数百段の石段を登り頂上へ向かうと社務所が最初に目立つ。社務所を出て更に上ると国の重要文化財の「拝殿」更に奥には同じく国の重要文化財の「本殿」がある。社殿は万寿元年(1024)に造営されたが、織田信長の丹波攻めの時、明智光秀の兵火で消失。現在の社殿は天正10年(1582)豊臣秀吉の命により家臣の堀尾吉晴が再建したものである。本殿の奥には兵庫県指定文化財の三重の塔があり応永年間(1467〜69)に僧秀慶が創建したその後の兵火にあい、現在のものは文化12年(1815)に完成したものである。向かって左側の梵鐘は明智光秀が現丹波市氷上町の高山寺から取り寄せたもので康応元年(1389)の銘がある。この八幡神社の境内社は厄除神社、住吉神社、春日神社、香良神社があり、厄除神社は毎年2月17日と18日が厄除神社の大祭で数万人もの人達が参拝するので有名である。尚、江戸時代柏原織田藩(織田信長子孫)は綾部市に飛地を」有していたので綾部とも大いに関係があった。を本年18日(水)大変良い天候であったので家内の運転でお参りと取材に行ってきたものです。

1.県指定文化財の「大ケヤキ」樹高22メートル、幹周6メートル、根は6メートルの奥村川を越えている。後ろは露天商
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2.柏原八幡神社の大鳥居と石段
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3.石段から鳥居前の広場と木の芽橋を見る
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4.柏原八幡神社の拝殿(国の重文)後に三重の塔が見える。
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5.見事な本殿側面の彫刻
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6.厄除神社(大勢の人々が順序良く列をつくってお参りです)
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7.破魔矢のセットを購入し、購入券と交換に神官よりは破魔矢セットを受けとる人々
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8.三重塔(左側に鐘楼が見える)
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9.無料サービスの甘酒と本殿裏側を見る
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10.三つ打って厄を逃れる「梵鐘」大行列であり諦めた!
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11.舞台で巫女さんの厄除けの舞いとお祓いがあった!
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12.人が多くて見れなかった柏原の名彫刻師、第5代中井丈五郎橘正忠派が三重塔に掘った彫刻です。
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13.同上 拝殿前の木造の狛犬一対
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2015/12/18

丹波の寺社を見る!6.真言宗大覚寺派の古刹・高山寺!  文化財研修記

兵庫県丹波市氷上町には県指定文化財の朱塗りの仁王門をもつ真言宗大覚寺派で丹波古刹15ケ寺霊場第7番の弘浪山・高山寺(こうざんじ)がある。天平宝字5年(761)、法道仙人が弘浪山で千日参籠し十一面観世音菩薩を感得した霊場である。その後、荒廃したが源頼朝の命を受けた東大寺俊乗坊重源上人によって再興された。健久年間(1190〜99)には後鳥羽天皇勅願所となる。歴史が経過する中、再び荒廃したが日向の国(宮崎県)より開長上人を向かえ釈迦を復興させる。堂、仁王門も再建されたが明治初年の廃仏棄釈による仏教排撃運動。その後の戦争、台風災害などで山中での維持管理が困難となり、昭和32年に当時の住職、寛園上人(後の京都・大覚寺59世門跡)が常楽の地に移築工事を開始し、翌年本堂、仁王門、庫裏の移築を完了した。 現在の高山寺は丹波古刹霊場の第7番にされ、本堂外陣には鬢頭盧尊者(びんずるそんじゃ)が安置され、自分の患部と同じ部分をなぜると完治するとして信仰されている。
又、もみじの名所としても名高く、参道両側に並ぶ石灯籠とマッチする紅葉絵巻は多くの参拝者から大変な人気がある。


1.兵庫県の重文の朱塗りの山門と標柱
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2.山門の仁王像は金網で撮影が不可能だが、天井画の天女の像です!
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3.白龍の天井画も素晴らしい!
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4.山門の周囲には弘法大師の生涯が描かれています!
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5.同上
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6.山門から境内を見る!
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7.鐘楼
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8.本堂と手前の太鼓橋
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9.本堂を正面から見る!
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10.駒札
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11.本堂の蟇股の見事な彫刻
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12.長生木
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13.四国88ケ所霊場の石佛
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14.同上
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15.手切地蔵菩薩
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16.庫裡の見事な蟇股の彫刻
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2015/12/16

丹波の社寺を見る!5.弘法大師が開基したという真言宗大覚寺派の古刹・岩瀧寺!  文化財研修記

兵庫県丹波市氷上町香良613(高取山山中)には真言宗大覚寺派も古刹で不動明王をご本尊とする岩瀧寺(がんりゅうじ)がある。かの弘法大師が開基したと伝えられる古刹で弘仁年間(809〜823)、住吉明神から夢のお告げを受けた嵯峨天皇が、弘法大師をこの地に遣わし、坊舎を建立し、七堂伽藍を整備したことが始まりと伝えられています。 天正時代の兵火で全山が焼失しましたが、慶長年間に時の領主・別所豊後守重公が再興され、1,500年の歴史を今に伝えています。独鈷(どっこのたき)や奇岩もあり、岩石の中に弘法大師が刻んだという不動明王があるが、平成26年の大なだれで川が埋まったり、橋が破損して独鈷の滝方面には行けません。

1.駐車場でトレッキング・シューズに履き替えて参拝道を登りましたが、崖崩れで参道は散々です!漸くかの有名な「鐘楼門」にたどりつきました。左側の工事中の写真がどうして入ります。
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2.庫裡
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3.本堂(住職不在で中へは入れませんでした!)
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4.夫婦杉の案内板
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5.巨大な夫婦杉
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6.独鈷の滝・奇岩等への案内板
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7.ここで橋が落ち渡れなかったので、引き換えした!
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8.再び「鐘楼門」を内側から見て下山です!
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