2015/11/30

家康公400年祭!49.江戸城(千代田城)を歩く4−1!  文化財研修記

江戸城は長禄元年(1457)に太田道灌によって創築されたが、天正18年(1590)に北条氏が滅亡し、徳川家康が居城をここに定めた。
 以来、家康、秀忠、家光の三代にわたって西の丸、北の丸の増設や外郭の整備が行われ江戸城の総構が完成した。
 明治維新後江戸城は皇居となり、昭和24年に西の丸下及び現在の皇居を取りまくお濠の地域を「国民公園皇居外苑」として一般に開放され、昭和44年からは北の丸地域が加えられ広く国民に親しまれている。
 この江戸城跡は、三百年近くにわたる将軍の居所として、また政治の中心としての史的価値が極めて大きくその規模はわが国随一のものであることから、昭和38年5月30日に文化財保護法による「特別史跡」に指定された。
 現在皇居の東側地区の内、江戸城の中心であった本丸・二の丸と三の丸の一部約21万uが整備・造園され「皇居東御苑」として公開されています。それから皇居の西の丸と吹上御苑は、公式行事のある新宮殿や天皇・皇后の住居である吹上御所等があるため、ただ新年と天皇誕生日の一般参賀の際と特別に宮内省の許可を係員の引率の元での見学は可能である。
 4回に分けて徒歩にて見学します。

1.和田蔵門前
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2.江戸城駒札
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3.皇居東御苑入口(大手門)
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4.大手門駒札
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5.巽櫓を外から見る!
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6.桔梗門(内桜田門)入場不可。幕末に此処で井伊直弼大老が暗殺された!
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7.再び大手門に戻り、大手門から入城です!
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8.大手門
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9.三の丸尚蔵館を右手に見る!
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10.同心番所
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11.更に三の丸門跡
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12.百人番所
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13.中之門
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14.大番所
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15.更に本丸・富士見櫓へ向う!
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16.途中、左の富士見櫓へ。駒札
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17.富士見櫓
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18.皇居にいる野鳥の案内板
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19.松の大廊下跡
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20.富士見多聞駒札
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21.富士見多聞
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22.本丸址広場に出る!天守閣址以下は次回で掲載します。
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2015/11/28

家康公400年祭!48.大阪夏の陣で滅ぼされた天下の大阪城!  文化財研修記

通称「太閤さんのお城」とも呼ばれているが、昭和34年(1959)の大阪城総合学術調査において、城跡に現存する櫓や石垣などは徳川氏、徳川幕府によるものであることがわかっている。
 大坂城は、上町台地の北端に位置する。かつて、この地のすぐ北の台地下には淀川の本流が流れる天然の要害であり、またこの淀川を上ると京都に繋がる交通の要衝でもあった。元々古墳時代の古墳があったと言われ、戦国時代末期から安土桃山時代初期には石山本願寺があったが、天正8年(1580)に石山合戦で焼失した後、豊臣秀吉によって大坂城が築かれ、豊臣氏の居城および豊臣政権の本拠地となったが、大坂夏の陣で豊臣氏の滅亡とともに焼失した。徳川政権は豊臣氏築造のものに高さ数メートルの盛り土をして縄張を改めさせ豊臣氏の影響力と記憶を払拭するように再建したとされる。その後、幕府の近畿地方、および西日本支配の拠点となった。姫路城、熊本城と共に日本三名城の一つに数えられている。
現在は、昭和初期に復興された天守と幕末期の櫓や門などが現存し、城跡は、国の特別史跡に指定されている。

1.大阪城観光地図 JR大阪城公園駅からは大阪城ホール、梅林公園横を通って天守閣へ行くが、天守閣の反対側の「西の丸庭園」には600本もある桜の名所が有りますが、今回は時間の都合で行かなかった。
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2.大阪城は8階あります!各階出展示があります!撮影したいが出来ないところが歴史遺産でした。
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3.国重要文化財の「金明水井戸屋形」です!皆覗き込んでいました。
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4.同上 駒札
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5.大阪城号砲(時間を知らせる大砲)
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6.天守閣はエレベーターで7階へ、帰路は歩いております!春休みで物凄い人!入場料大人600円で、中学生以下は無料で、2名1,200円で済みました。
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7.7階から8階の展望室へは歩いてあがります。其処から見た大阪市内!
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8.8階から大阪市内四方を「音声付動画」で撮りました、下記をクリックして見て下さい。
1.http://youtu.be/pUfmBWKUnKY


2.http://youtu.be/Hcl0L9tYviQ


3.http://youtu.be/08TujxMV1ss


4.http://youtu.be/cc2QnYNVwo8

9.過日TVで放映していた大阪城の「紅白の梅ノ木」を望遠レンズで撮影です!
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10.各階ではTV等で秀吉の出世物語や城郭の案内がTVであります!
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11.特別展での秀吉の物語展の一部
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12.天守閣から降りてくると、広場に「大阪城・上田城友好城郭記念碑」がありました。
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13.小生の信州上田城の記録を見たい方は下記をクリックして見て下さい!
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1571.html

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2015/11/26

家康公400年祭!47.家康公がほぼ天下を掌握した関ヶ原合戦!  文化財研修記

関ヶ原古戦場は国史跡で岐阜県不破郡関ヶ原町関ヶ原にある。慶長5年(1600)9月15日早朝から徳川家康率いる東軍兵力約7万4千人(遅参した徳川秀忠の軍約3万人は含まず。)と石田三成率いる西軍兵力約8万2千人とが戦ったところである。戦いは主に関ヶ原町一帯の比較的狭い山間の一帯で繰り広げられた。戦況は昼過ぎまで一進一退だったが、家康と密約のあった松尾山に陣を置く西軍の小早川秀秋(1万5千名)の内応により、対峙している大谷吉継の陣が先ず破られ松尾山の対峙している天満山の宇喜田秀家1万7千人、小西行長4千名や笹尾山の石田三成本陣約8千人(石田三成に過ぎたるもの二つあり、島左近に佐和山の城、佐和山城登山記録は最後にクリックして見て頂けます。)で大砲も3門所持していたが、勇将の島左近が銃撃で負傷し、東軍の福島正則6千人、藤堂高虎、京極高知、松平忠吉(井伊直政)、細川忠興5千人、黒田長政5,400人の猛攻を受け、午後3時頃東軍の大勝利となった。
 
1.徳川家康公最後の陣地跡の幟
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2.同上 碑
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3.同上 駒札
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4.陣場野の徳川家康の床凡場の絵
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5.同上 床凡場跡碑
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6.ボランテアガイドさんの案内で石田三成公の佐和山城址へ登りましたが、関ヶ原合戦後、井伊直正公が国宝の彦根城を築城した時、佐和山城の石垣、山門などことごとく他へ移築または利用して見る影もありませんが、下記をクリックして見て下さい!
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1242.html

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2015/11/24

家康公400年祭!46.豊臣秀吉公没落家康公の台頭の原因となった名護屋城址!  文化財研修記

唐津市と玄海町に広がる国特別史跡「名護屋城跡並びに陣跡」は、豊臣秀吉による文禄・慶長の役(1592〜1598)の出兵基地であり、日本列島と朝鮮半島との長い交流史のなかで、その関係を一時断絶させた不幸な歴史の舞台です。同時に、名護屋城跡を中心に半径3キロメートルの範囲にひろがるこの遺跡群は、全国から130を超える大名が集結し陣屋を構築して在陣するという、日本の歴史上にも類を見ない、広域かつ特異な遺跡群です。
名護屋城は天正19年(1591)年10月から翌年2月にかけてわずか5ヶ月で完成した広さ17万平方メートルの巨大な城で、当時は大坂城に次ぐ全国2番目の規模でした。現在は城跡の石垣が当時の面影を伝えています。また、全国から集まった武士と商人で人口20万人を超える城下町ができました。秀吉ら朝鮮へ渡海しなかった大名たちは能楽や茶の湯といった桃山文化を名護屋に持ち込みました。平成9年(1997)には名護屋城跡の山里丸(秀吉の居館跡)で茅葺の草庵茶室跡が発見され大きな話題となりました。また、文禄・慶長の役では朝鮮半島から多くの人々が戦国大名によって日本に連れて来られました。その中の優れた技術を持つ陶工は九州各地で製陶を行いました。佐賀県を代表する唐津焼、有田焼も彼らが作り始めたと言われています。家康公は関東の護りとして出兵しなかった!のは対秀吉公への作戦勝であった。

1.JR唐津駅からの乗り合いバスを名護屋城博物館入口で下車
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2.徒歩で大手口へ向かう
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3.大手口手前の案内石版(画像をクリックして拡大すると読めます。)
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4.当時の各大名の陣構え図
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5.現在地
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6.大手口跡方面
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7.案内石版
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8.大手口跡
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9.名護屋城址と陣地図
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10.下記をクリックして、「音声付動画」で東出丸からの現在の景色を見て下さい!
http://youtu.be/g-Zmuj6osAQ

11.東出丸案内版
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12.東出丸の巨大な石壁
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13.本丸方面へ向かう
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14.東郷平八郎の名護屋城址碑
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15.青木月斗句碑
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16.名護屋城天守台碑
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17.天守台碑
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18.下記をクリックして、「音声付動画」で、玄界灘方面を見て下さい!
http://youtu.be/rmri7J44J7M

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2015/11/22

綾部市内(吉美、八田)の文化財を訪ねて  綾部の文化財

Facebook綾部の文化財を守る会同HP委員会:山田委員のFacebook取材ページ)から編集しています。
FBには、URLがないため引用リンクが効かず(垂れ流し)、タイムラインの過去に沈むと、データーベースとしての活用が極めて困難なための措置です。
なお、主なコメントも収録しました。

(1)仏南寺
  市指定文化財「木造 虚空蔵菩薩立像」及び「木造 大日如来像」

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Q:Masao Dobuchi ほんと、綾部市はなかなか、歴史の重みを感じる寺院や仏像があるんですね。
A: 綾部の文化財を守る会 いつもコメントをいただき有難うございます。綾部市の指定文化財、遺跡・古墳などについては、綾部市資料館のHPをご覧ください。http://www.obs.ayabe.kyoto.jp/~a-museum/
 因みに京都市に次いで当市は京都府内で2番目の指定文化財数があると云われています。これも先人の郷土史家(綾部史談会)の先生方(故人が多い)のご努力の賜物です。

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貞観5年(863)真言院の官寺とされた。室町時代末期に荒廃したが、万治年間(1658〜1661)に宗讃禅師が臨済宗として堂宇を建設した。元禄の初めに火災で焼失し、元禄8年(1695)に再建された。(「あやべ歴史のみち」)

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市指定文化財 「木造 虚空蔵菩薩立像」
平安時代 11世紀ごろの作と考えるのが穏当であろう
等身大 (「あやべ歴史のみち」)

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市指定文化財 「木造 大日如来像」
平安時代 12世紀初頭を下らない作と思われる
(「あやべ歴史のみち」)

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本堂での講話

(2)聖塚古墳
  国指定史跡 聖塚・菖蒲塚古墳

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聖塚古墳
古墳時代中期の造り出しをもつ大型方墳。同時期の大型前方後円墳と同じ築造手法を採る。
(「あやべ歴史のみち」)

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聖塚古墳を見学


(3)岩王寺(しゃくおうじ)
国指定重要文化財「髹漆卓」  市指定文化財「仁王門」「本堂」「足利尊氏寄進状「足利尊氏寄進田数目録」 *岩王寺石(硯石)は有名
 

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神宮寺山岩王寺は高野山真言宗の寺院である。天歴3年(949)に空也上人が顕密の道場として創設したことに始まる。盛時には僧百人・寺領七百石があったという。元弘3年(1333)の足利尊氏の挙兵に際し、戦勝祈願を行い、その功により田地の寄進を受けた。慶長(1596〜1615)頃に寺領を失い衰退したが、江戸中期に復興された。本堂の薬師堂ほか小堂宇が付近の農民の帰依によって守られ、幕末に至ったものと思われる。
(「あやべ歴史のみち」)

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国指定文化財「髹漆卓」
室町時代

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市指定文化財「仁王門」

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市指定文化財「本堂」

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市指定文化財「足利尊氏寄進状」
室町時代

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岩王寺石を加工した硯石。
寺の近くで産する岩王寺石は嵯峨天皇の命名と伝え、硯石などとして有名であった。(「あやべ歴史のみち」)

(4)安国寺
  ◎国指定文化財「木造 釈迦三尊座像」「木造 地蔵菩薩半跏像」「安国寺文書」「絹本墨書天庵和尚入寺山門疎」 ◎府指定文化財「絹本著色天庵妙受像」「仏殿」「山門」「鐘楼」「庫裡」 ◎市指定文化財「宝篋印塔」

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「木造 釈迦三尊坐像」の前にて
鍋師 有 社殿や山門などをバックに集合写真の撮影は普通であるが、重要文化財の仏像をバックに写真を撮れるのは初めてなので、綾部の文化財を守る会の研修として記念するショットである。地元の仏さまのご利益かも♪♪

Q:Masao Dobuchi 普段は見させていただくことはできるんですかね?

A:綾部の文化財を守る会 仏殿や庫裡は入れないと思います。もみじ祭りなどの折には仏殿に入れます。国指定文化財なのに撮影自由です!

A:綾部の文化財を守る会 釈迦三尊坐像をバックに集合写真を撮りFacebookに掲載することは、安国寺藤本住職さま、ガイドの方にも了解いただいています。(今回は費用の関係で参加者への記念写真配布はありません)
 因みに、個人で参詣する場合よりも研修先の社寺で法話を聞いたり、社寺の由縁や秘蔵の文化財の説明をいただいたりして、当会の活動で研修すると得るものが多いと思います。

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国指定文化財「木造 釈迦三尊坐像」南北朝時代

景徳山安国寺は臨済宗東福寺派に属する。はじめ光福寺と称して上杉氏の氏寺であったが、足利尊氏の帰依を受けて全国安国寺の筆頭におかれた。(「綾部の文化財・図録」)。幕府権威の衰退とともに寺運も衰微した。享保20年(1735)に大雨で山崩れが発生し、すべての殿堂が倒壊・埋没してしまった。現在の堂宇はすべて近世建立のものである。(「あやべ歴史のみち」)

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国指定文化財「木造 地蔵菩薩半跏像」
平安時代

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府指定文化財「仏殿」

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府指定文化財「山門」

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市指定文化財「宝篋印塔」 南北朝時代
      左:上杉清子 中央:足利尊氏 右:赤橋登子

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宝篋印塔 説明こま札

(5)医王寺
  国指定文化財「木造 阿弥陀如来坐像」

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「木造 阿弥陀如来坐像」
国指定文化財  鎌倉時代
作者:法印尭円

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四方 續夫 この医王寺は今は廃寺で一堂宇の金庫の中に国重文の木造阿弥陀如来がおわします!その見事さに見な「唖然として」拝観してもバスに戻ろうとはしないので小生がひっぱり戻しました。

(6)石田神社
  ◎国指定文化財「石田神社境内社恵比須神社本殿」 ◎府指定文化財「石田神社本殿」「石田神社文化財環境保全地区」

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府北部最古の神社遺構

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国指定文化財「石田神社境内社恵比須神社本殿」(西宮大明神)
鎌倉時代

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府指定文化財「石田神社本殿」


(7)淵垣八幡宮   
   府登録文化財「八幡神社本殿」

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淵垣町の氏神である。現本殿は棟札により康永2年(1343)丹波守護仁木頼章が造営したものを、江戸時代中期の元文4年(1739)淵垣氏子中により再建されたものである。足利氏にとってこの八田郷が重要な土地であったことがわかる。(「あやべ歴史の道」)

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「八幡神社」「二宮神社」

四方 續夫 山田松雄総務の傑作写真集で大変な努力で撮影して投稿して貰いました!大感謝!

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2015/11/22

家康公400年祭!45.詩人北原白秋が8年間「ミミズクの家」を建て多彩な文芸活動をした伝肇寺!  文化財研修記

小田原市城山には北原白秋が大正7年(1918)から8年間、「木兎(みみずく)の家」を建てて住んだ伝肇寺(でんちょうじ)がある。伝肇寺の創建は、成安2年(1300)で鎌倉時代の末期である。関東初の念仏道場として永徳年間(1300年頃)、浄土宗列祖 良肇(りょうじょう)和尚が知恩院法脈を伝え、伝肇寺と号して、関東最初の念仏道場とした。 出世寺の別名があり3世道誉(どうよ)、4世感誉(かんよ)両和尚は、後に増上寺9世、10世となる。
又、往時は、紫衣勅許(地位の高い紫の衣を着る許可を得ること)の際は伝肇寺の添状を要したので、「出世の寺」の別称があった。北条氏直の帰依は天正期(戦国時代の1587)、北条氏直は、伝肇寺10世の底牛和尚に深く帰依し2万数千坪の寺領と、朱印数通を与えた。
大正7年(1918)34歳の北原白秋は、小笠原から小田原に転居した。自然と一体の生活を望んでいて、伝肇寺34世の云隆和尚を頼り、境内に芭蕉好みの南方的な庵室「木菟(みみづく)の家」を建てた。 大正15年、東京に転居するまで、短歌、論文、小説等を多数発表、華々しい活躍をした。あわて床屋」、「かやの木やま」等の童謡を世に送り、有名になった。白秋の生地は福岡県の柳川市で、当時、それに似た町並みを持つ城下町小田原は、深く彼の心をとらえていた。そのためか、当時の文学題材は、その殆どが付近の風物に印象を得ている。白秋は、昭和17年11月2日に没したが、彼にとって、小田原は、第二の故郷と言っても過言ではなかろう。

1.伝肇寺標柱と山門
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2.本堂(本堂の前にはミミズク幼稚園がある。)
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3.栢木(かやのき)地蔵堂
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4.石造りの栢木地蔵尊
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5.六俵大黒天像
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6.駒札
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7.境内にある北原白秋のミミズクの家の碑
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2015/11/20

家康公400年祭!44.昔からの道中薬・常備薬の「ういろう」で知られる外郎家の祖が開基の玉伝寺!  文化財研修記

小田原市城山4−22−21には昔からの道中薬・常備薬として「ういろう」で知られる外郎(ういろう)家の祖である宇野藤右衛門が開基として玉伝寺(ぎょくでんじ)を建立し、開山は大永2年(1522)身延13世・日伝により建てられた法華宗系単立寺院です。この玉伝寺は、光浄山三寳院と号します。ご本尊は三寳四菩薩諸尊及祖師様です。境内の墓所には外郎家代々のお墓があります。

1.玉伝寺標柱
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2.境内社の玉伝稲荷神社
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3.見事な境内1.
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4.同上 2.
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5.本堂
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6.外郎家(ういろうけ)のお墓
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7.同上
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2015/11/18

家康公400年祭!43.この地の名族の三浦荒次郎公を祀る居神神社!  文化財研修記

居神神社(いがみじんじゃ)は小田原市の旧十字地区と大窪地区板橋を統括する神社で現住所は小田原市城山4ー23ー29。国道1号線に面し、光円寺に隣接する。場所柄、海・港に近く漁師が多いことに加え、石屋、畳屋などの職人も多く、祭礼の際は居神流と呼ばれる荒々しい担ぎ方をする神社である。 境内には小田原市重要文化財に指定された古石碑群がある。ご祭神は三浦荒次郎義意 (みうらあらじろうよしおき)、木花咲耶姫命 (このはなさくやひめのみこと)、火之加具土神 (ひのかぐつちのかみ)です。正確な創立年月日は不明。口伝により永正年間(1504〜1521)と言われる。祭神である三浦荒次郎義意公が北條軍と格闘し、奮戦するも最後に自害したところ、その首が当社の松に引っ掛かり開眼したまま数年間そのままだった。放置された首を見た人々が気絶したりと不幸な事が続いたため、久野の総世寺の住職が和歌を詠み供養した処、首が落ち成仏できたと言われ、そこに祠を建てて祀った事が初まりとされている。
北條五代祭りでパレードする居神神社の本社神輿。八棟造の2点棒で神輿振りを行う。
居神神社、本社神輿(神社神輿)の宮入り 例大祭は5月4日(宵宮)、5日(神幸祭)の2日間で行われる。神社神輿は5月3日の北條五代祭りのパレードと5日の神幸祭のみに担がれる。5日は朝に宮出しされた神輿は13時頃に荒久海岸で浜降りをし、そして夜の19時30分からの宮入でクライマックスを迎える 神輿は明治21年(1888)年小田原藩の宮大工香川文造高之(香川若狭藤原高之)の作である。

1.居神神社の標柱
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2.二の鳥居と三の鳥居
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3.三の鳥居と登り参道
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4.駒札
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5.子安地蔵尊堂
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6.三の鳥居と手水舎
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7.見事な朱の手水舎
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8.一対の狛犬と拝殿
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9.拝殿の大天狗と少天狗の珍しい彫刻
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10.下記をクリックして、「音声付動画」で5月5日の「居神神社の八棟造り二点棒での大神輿浜降り」を見て下さい!約3分強!
https://youtu.be/XTrUi1ZtwIY

11.小田原市指定文化財の駒札
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12.古碑文の一部
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13.同上
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14.小田原市指定保存樹52号の巨大なクスノキです!
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2015/11/16

家康公400年祭!42.春日局開基の浄土真宗本願寺派の光円寺!  文化財研修記

小田原市城山4−23−32には浄土真宗本願寺派(西本願寺)の寂静山・光円寺(こうえんじ)がある。この寺は寛永9年(1632)、春日局の長男(稲葉丹後守正勝)が小田原城主となり、徳川家康公も念仏者であったので、小田原城主より821坪を賜り春日局が開基となり寺を建立した。その時は実相寺と言ったが、明暦元年(1655)4月23日に光円寺と改名した。国道沿いの寺には銀杏の木があり、「見附けの大イチョウ」と呼ばれています。又本堂の軒下の龍の彫刻も有名です。

1.国道沿いの光円寺の土塀の上の巨大な標識
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2.山門
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3.本堂
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4.本堂の軒下の見事な龍の彫刻
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5.見附けの大イチョウ
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2015/11/14

家康公400年祭!41.江戸時代の小田原藩主家大久保一族のお墓のある大久寺!  綾部の文化財

小田原市の箱根登山鉄道板橋駅から徒歩10分で大久寺は宝聚山随心院と号法華宗(現在は日蓮宗)の寺で、小田原大久保の初代七郎を開基とする寺である。天正18年(1590)の小田原合戦に、徳川家康に従って参戦した遠州二俣城主大久忠世は、合戦後論行賞によって小田原城4万5千石が与えられた。この時、忠世は日頃から帰院依していた僧自得院日英を二俣から招請し、しばらくは石垣山三の丸(古称聖人屋敷)に仮住いでいた。そして忠世が開基となって寺の建設をすすめ、翌天正19年堂字が完成すると、日英を開山とする大久保家の菩提寺とした。慶長19年(1614)二代相模忠隣の時、大久保家が改易になると寺も衰退したので、寛永10年(1663)石川主殿頭忠総(忠隣二男・石川日向守成養子)が大久寺を江戸下谷に移した、
その後、大久保新八郎康任が石塔、位牌を戻して大久寺がこの地に再建された。墓石は正面右から小田原大久保氏3代加賀守忠常、2代相模守忠隣、藩祖七郎右衛門忠世、勘三郎忠良(忠勝5男)、五郎左衛門忠勝(忠後の子)、常源忠後(忠世の伯父)、忠良の娘の墓で、これらは前期大久保氏一族の墓所として小田原市の史跡に指定されている。大久保氏の墓所は、法華宗陣門流の大本山京都の本禅寺、愛知県岡崎市の長福寺、東京青山の教学院にもある。

1.大久寺標柱
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2.山門
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3.駒札
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4.本堂
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5.本堂内の見事な須弥檀
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6.本堂の巨大な古瓦!
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7.大久保一族の墓所の駒札
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8.墓所その1.
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9.墓所その2.
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10.墓所その3.
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