2015/6/30

薩摩・日向の旅!6.JR鹿児島中央駅東口の「若き薩摩の群像!」他!  文化財研修記

「若き薩摩の群像」 JR鹿児島中央駅前にあります。 建立は昭和57年3月。 高さ:12.1メートル(台座部分9.49メートル) 製作は中村晋也氏で題字は山之口安秀氏です! 前後、上下、両側面に合計19体の像があります。1865年、薩摩藩が密かに派遣した英国留学生たちの像です。1863年の薩英戦争でヨーロッパ文明の偉大さを知った薩摩藩は前藩主島津斉彬の遺志を継いでイギリスへ新納久修以下の留学生並びに外交使節団を派遣しました。 一行の留学体験は、後の日本の近代化に大きく生かされました。
碑の由来 (以下碑文より)
 薩摩は、明治維新など日本の近代化に有為の人材を輩出した誇り高き土地柄であり、現代の私たちにも先人の情熱が脈々として流れています。
 この像は、日本の開化期に大きな役割を果たした薩摩藩英国留学生を主題とした「若き薩摩の群像」です。
 薩英戦争において西欧文明の偉大さを痛感させられた薩摩藩は、鎖国の禁を犯し、1865年、藩士17名の留学生を英国に派遣しました。
 一行は、強靭な士魂と熱烈な郷土愛をもって異国における数々の障害を克服し、学問や技術を修め、帰朝後は、黎明日本の原動力となり各分野で不滅の業績を残しました。
 鹿児島市が、今日50万都市達成の記念すべき時にあたり、私どもはこれらの偉業と古来進取的であったわが郷土の気風に学び、あすの郷土の限りない発展を念じてこの像を建立したものです。 昭和57年3月  鹿児島市長 山之口安秀   題字:山之口安秀 制作:中村晋也

 1863年の薩英戦争でヨーロッパ文化の偉大さを知った薩摩藩では、前藩主島津斉彬の遺志をついで、イギリスへ新納久修以下の留学生並びに外交使節団を派遣した。
  当時爆破日本人の海外渡航を禁じていたので、甑島大島辺出張として、すべて変名を用いた。
一行は1865年4月17日串木野羽島浦を出港して、道中驚きの目を見張りながら66日目の6月21日、ロンドンに到着した学生たちは、ロンドン大学に留学した。留学生と共に渡航した新納久修、五代友厚らは、イギリスで紡績機械を購入し、1867年5月鹿児島市磯に日本最初の機械紡績工場鹿児島紡績所を建設した。機械の据付けや操業指導のため来日した英人技師たちの宿舎が磯に現存する異人館である。  更に松木弘安は、かつて2年間イギリスに滞在した経験を活用してイギリス外務省当局に働きかけ、天皇のもとに統一国家日本をつくる必要を力説して、イギリス当局の理解を得た。以来イギリスの対日方針は一変し、フランスが幕府を支援するのに対してイギリスは薩長倒幕派を支援するようになり倒幕運動の進展に重大な影響を与えた。また薩摩藩が1867年のパリ万国博覧会に、幕府と対等の立場で出品することになったのも、彼らの働きの結果である。日本国内では薩長同盟の成立以後、幕府と討幕派の対立が激化し、国内政局は大きく動揺したが、討幕派の頂点に立つ薩摩藩当局は派遣団からのヨーロッパ情報に、大きな力を得て、情勢と有利に展開した。留学生はその後、大部分の人がアメリカやフランスに渡って留学生活を続け、帰国後明治政府に仕えて、留学の成果を大きく発揮した、鮫島尚信、吉田清成、中村博愛は共に公使となって外交界で活躍、田中盛明は生野銀山の開発に尽くし、畠山義成は東京開成学校長、森有礼は初代文部大臣となって、いずれもわが国文教の発展に尽くした。松村淳蔵はアメリカアナポリスに海軍兵学校を卒業してわが国海軍の建設に力を尽くし、海軍中将となった。留学当初13歳という最年少の長沢鼎は生涯をアメリカで送り、広大なぶどう園の経営とぶどう酒製造に新生面を開き、ぶどう王と言われた。また使節団の新納久修は家老、のち司法官となり、町田久成は内務省に出仕、五代友厚は大阪商工会議所を創設して、初代会頭となり、松木弘安は外務卿となって活躍した。このように、薩摩藩当局の勇気ある決断と若き薩摩の青年たちの積極的熱意とは、日本の歴史を大きく転換させ、新生日本んを建設する原動力となったのである。

1.JR鹿児島中央駅東口の「新茶祭り」
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2.同上 の東口にある「若き薩摩群像」像とゴミ拾いに集まった人々!
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3.ここまでは下記の一日乗り放題500円切符を利用したが、ここからは徒歩で見学した。
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4.たかみ橋を渡る!
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5.大久保利通像
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6.同上 駒札
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7.ここから公園を抜けて「鹿児島市維新ふるさと館」へ向かう!
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8.午後2時45分遅い中食ながら「ここで美味しいマグロの店を見つけた!」
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9.出て来たマグロ定食!
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10.名前の如く美味なマグロだ!
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11.薩摩焼酎が飲みたくなって注文したら、最低が2合入りだった!そして合計がこの値段!
デザートとコーヒーもついています!ここは安くって美味いと聞いていた通りで小生の後にもお客さんが続々入ってくる!
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12.ほろ酔いで「鹿児島市維新ふるさと館」へ!
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13.館内
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14.同上
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15.同上
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16.同上
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2015/6/29

薩摩・日向の旅!5.仙巌園と鶴嶺神社2−2!  文化財研修記

鶴嶺神社(つるがねじんじゃ)は鹿児島市吉野町の神社です。鎮座地は仙巌園の中。島津氏の先祖を祀る為に明治2年(1869)に創祀された神社である。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつである。島津氏初代忠久公以降の歴代当主とその家族、及び分家筋の玉里家歴代当主とその家族を祀る。就中、16代当主義久公の3女である亀寿を祀る神社として有名で、また歴代当主を祀るという性質上、時勢や江戸幕府への対応について百八十度意見を異にしたために不仲であったとされる斉興公と斉彬公父子も共に祀られている。幕末の頃から廃仏毀釈運動の煽りを受けて薩摩藩領内の寺院を廃止する機運があったが、明治2年3月24日、島津忠義の正室である照(てる)姫が死去した際、葬儀を神式で行うことが決まったことをきっかけとして薩摩藩領内の寺院の排斥が一気に進行、かつて島津氏歴代当主の菩提を弔っていた福昌寺も廃絶の憂き目にあった。その代わりとして同年11月に忠義が鹿児島郡坂本村山下鶴峯(現鹿児島市照国町)に祖先を祀る神社を創建しこれを竜尾神社と号したのに創まる。なお、同時に従来の菩提寺で保管していた歴代当主の肖像画や宝物などは竜尾神社をはじめ他の神社へ移された。明治6年(1873)に県社に列し、大正6年(1917)に島津氏歴代の別館地であった事から祭神とも縁が深い現鎮座地を当時の当主忠重から寄進されて遷座、神社名を鶴嶺神社と改称した。因みにこの名称は旧鎮座地に由来する。西南戦争の際、島津家は中立を保っていたにもかかわらず、当神社は官軍の強奪被害に遭い、多数の貴重な文化財を失った。これらの宝物の消息は現在に至るまで不明であり、鹿児島県が現在に至るまで文化財過疎県である一因となっている。

1.大河ドラマ「篤姫」の撮影場所・水道橋付近の駒札
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2.同上
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3.仙巌園の花のみごろの駒札
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4.丁度5月中旬に見事な珍しい「アキバブラシの木」が満開でした!
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5.溶鉱炉跡
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6.山科宮大妃の歯・髪の駒札
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7.同上碑
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8.再興した150ポンド砲
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9.鶴嶺神社と亀寿姫の駒札
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10.鶴嶺神社
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11.見事な拝殿(舞殿)
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12.同上を横から見る!
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13.権殿と本殿!
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2015/6/26

薩摩・日向の旅!4.国名勝指定庭園の元島津家別邸の仙巌園(磯庭園)2−1!  文化財研修記

仙巌園(せんがんえん)は鹿児島県鹿児島市吉野町字磯にある薩摩藩主島津氏の別邸跡とその庭園。別名磯庭園(いそていえん)。敷地面積は約5haもある。万治元年(1658)に第19代当主であった島津光久によって造園され、その後も歴代当主による改築が重ねられてきた。借景技法を用い、桜島を築山に、鹿児島湾を池に見立てた素晴らしい景色と広大な庭園が特徴で、昭和33年(1958)に国の名勝に指定された。幕末には第28代当主島津斉彬がこの敷地の一部を使ってヨーロッパ式製鉄所やガラス工場を建設するなどの近代化事業(集成館事業)を起こした。安政4年(1857)には、園内の石灯籠にガス管をつないで点火させ灯火として用いたことから、日本のガス灯発祥におけるルーツの一つとして挙げられる場所にもなっている。明治21年(1888)からは焼失した鹿児島城に代わり島津忠義公爵一家の住まいとなっていたが、忠義の死後に跡を継いだ島津忠重は薩摩藩出身の新政府高官らによって東京市に移住させられ、仙巌園も住人不在となった。昭和24年(1949)、華族制度廃止に伴い鹿児島市の管理下に置かれたが、昭和32年(1957)には島津家に返還され、現在は島津興業が管理している。春の曲水の宴や江戸時代の作法に則って行われる端午の節句、七夕の展示、初冬に行われる草鹿式などが有名です。

1.駒札
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2.磯庭園正面門
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3.篤姫ロケーション場所
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4.駒札
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5.薩摩藩独特の示現流!
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6.同上 駒札
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7.島津家家紋!
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8.駒札
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9.下記をクリックして、「音声付動画」で磯庭園の一部や御殿を見て下さい!
https://youtu.be/arv0ctvOuEU

10.表門
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11.御殿の一部
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12.鈴門
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13.磯庭園の一部
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14.同上
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15.快晴の時にはこのように桜島が見える!
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2015/6/25

薩摩・日向の旅!3.鹿児島城山公園と西郷洞窟などを見る!  綾部の文化財

城山は市のほぼ中心にある小高い山で、全体が亜熱帯樹木におおわれ、標高107メートルの展望台や自然遊歩道が設けられた公園となっています。展望台から鹿児島市内と桜島が見渡たせます。展望台の眼下には照国神社の鳥居が見え、桜島は正面左手に大きく見えます。今回は雨で全然桜島も見えなかった。指宿からの帰りに見ていただきます。 城山周辺は西南戦争最後の激戦地で、西南戦争に関わるさまざまな旧跡が残っています。城山公園のバス路途中の(城山展望台から徒歩約15分の)岩崎谷は西南戦争最後の本陣で、西郷隆盛が自決するまでの5日間を過ごした「西郷洞窟」があります。城山公園登り口には西郷隆盛が自決した場所を示す記念塔が立っています。

1.駒札
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2.薩摩義士碑
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3.城山へ登る途中にある「敬天愛人」の駒札
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4.電車のトンネルに描かれています!
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5.城山公園方面へ!
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6.トンネルを歩いて通る!
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7.大昔泊まった城山ホテル!
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8.雨で桜島全然見えず!次回で見て頂きます!城山ホテル横の大樹林!
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9.西郷洞窟碑
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10.西郷洞窟
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11.駒札
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2015/6/22

薩摩・日向の旅!2.鹿児島城址(鶴丸城址)を見る!  文化財研修記

JR鹿児島駅なにある観光案内所でバス路線と時間表を貰い、雨の名を見学開始だ!
 鹿児島城は別名「鶴丸城」と言われていた城です。この城は慶長7年(1602)に初代薩摩藩主・島津家久(忠恒)の命によって築城をし、 2年後に完成したもので、「人をもって城となす」の考えで天守閣もなく質素な屋形造りでした。鶴が翼を広げた形をしていたので「鶴丸城」と言われていたが明治6年の大火で焼失しました。現在、本丸跡には明治100年を記念して造られた鹿児島県歴史資料センター「黎明館」(れいめいか)が あり鹿児島の歴史を4つに分けて展示しています。特に明治維新の時代は興味深いものがあります。また、二の丸跡には鹿児島県立図書館、鹿児島市立美術館、鹿児島県立博物館などが建っています。


1.一日乗り放題500円のバス券を購入して、鶴丸城址へ向かう!途中でバス内から西郷どんの像を撮影!
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2.鶴丸城址の堀
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3.同上
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4.鶴丸城址碑
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5.本丸に向かう!
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6.駒札
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7.別な入口から本丸跡に建つ鹿児島県歴史資料センター「黎明館」(れいめいかん)を見る!
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8.七高生の像
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9.天璋院篤姫像
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10.「黎明館」の中では大河ドラマ篤姫のものは撮影可能だった!
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11.大河ドラマの時の着物
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12.大河ドラマの時の「女乗物」
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2015/6/20

薩摩・日向の旅!1.大阪東梅田から夜行の高速バスで鹿児島中央駅へ出発!前哨戦!  文化財研修記

5月に行った薩摩国(鹿児島県)と日向国(宮崎県)の旅の記事の掲載開始です。JR綾部駅からJR京都駅へJR園部駅乗り換えで普通電車で行き、JR京都駅からは懐かしいのでJR高槻駅までは普通電車でJR高槻駅から快速電車に成る電車でJR大阪駅に午後5時55分に到着した。東梅田の近鉄高速バス乗場を確認できたのは午後6時30分!近鉄高速夜行バスは通路が2つあり、横列で3名でカーテンで個室化できる。バス席6番の後ろの低い所に様式トイレが付いており、座席もおおよそ180度近く倒れるようになっており、毛布や紙スリッパもあるので慣れれば結構快適である。只今回は出発時間が夜8時25分でJR鹿児島中央駅到着は翌日午前8時30分である。出発待ち時間おおよそ2時間もあり、夕食を兼ねて東梅田の地下街レストランに荷物持参で行った。余りにもビールや焼酎が上手いのですっかり飲み過ぎたようになった。

1.JR綾部駅プラットフオーム(小生の記事の写真は画像をクリックするとすべて3,200ピクセルの大画面と成り駒札も読めます!)
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2.大阪東梅田の地下街のレストラン
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3.大阪東梅田の地下街のレストランで約2時間近くの飲食でした。その料金はそんなに高くないでしょ!薩摩いも焼酎3合、中生ビール2杯と食事を含めての値段です!
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4.美味いビールやビールドウシのカクテルを素早く準備するバーテンダーさんです!
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5.メニュー
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6.食べたものの一つ
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7.ソーセージはわかりますよね!美味かった!
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8.酔っていたのかバス内の写真は皆ぶれて役に立たず!朝6時頃停車のバスの横を撮影!
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9.現在地
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10.朝8時過ぎのJR鹿児島中央駅東口に到着!!!雨だ!!!!
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2015/6/17

西毛の文化財・史址をみる!16(最終回)徳川忠長が28歳で自刃した客殿のある長松寺!  文化財研修記

高崎市赤坂町の高崎神社のすぐ近くには徳川忠長が28歳で自刃した客殿のある曹洞宗の長松寺(ちょうしょうじ)がある。火災で焼失した長松寺本堂の再建は、寛政元年(1789)と伝えれています。又、本堂及び本堂の向拝には、3点の天井絵は、再建時に制作し掲げられたもので、作者は狩野探雲(かのうたんうん)です。探雲は甘楽郡野上村(現富岡市野上)出身で、狩野探林の弟子として修学、幕府画所(えどころ)で15人の扶持(ぶち)をうけ、江戸城西の丸普請(ふしん)の際、その障壁画(しょうへきが)等の製作に従事した人物です。後に七日市(なのかいち)藩の御用絵師(えし)として勤めましたが、文化9年(1812)5月に88歳で亡くなっています。龍と天女の絵と涅槃図の掛け軸がある。これは、高崎市指定重要文化財である。涅槃図の掛け軸は毎年2月だけに公開される。雨の日には血が出るという怖い話もあるそうです。

1.長松寺の標柱と山門
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2.山門の扁額を見る!
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3.本堂を見る!
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4.駒札
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5.向拝とその天井画と本堂の窓ガラスに映る風景が面白い!
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6.向拝の見事な天井画を見る!
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2015/6/16

西毛の文化財・史址を見る!15.高崎の総鎮守の高崎神社!  文化財研修記

高崎市赤坂町94には高崎市の総鎮守の高崎神社がある。ホームページによると当社は旧熊野神社と称し、伊邪那美命(いざなみのみこと)、速玉男命(はやたまのおのみこと)、事解男命(ことさかのおのみこと)、他17柱をはじめ、合併による天新地祇を祭神としてお祀りしています。 後嵯峨天皇の寛元年中(鎌倉時代中期)和田城主和田小太郎正信が相模国三浦より城内榎森に勧請し、後に慶長3年井伊直政築城の際、今の地に奉遷し、高崎の層鎮守と為す旨仰せられました。明治41年境内末社12社及び両度にわたり市内17町鎮座の36社を合併し、此時熊野神社は高崎神社と改称されました。 天文3年(1534)の銘ある鰐口が社宝となっております。

1.高碕神社の標柱
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2.駒札
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3.石造り鳥居と左側には手水舎が見える!
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4.右側の阿形の狛犬(まるで狛獅子のようだ!)
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5.拝殿を正面から見る!
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6.本殿を斜めから見る!
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7.大黒社を斜めから見る!
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8.大黒社を正面から見る!
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9.五社稲荷大明神
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10.大黒社の本殿を後部から見る!中々のバックシャンだ!
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2015/6/13

西毛の文化財・史址をみる!14.駿河大納言徳川忠長のお墓のある大信寺!  文化財研修記

JR高崎駅から西へ歩くとすぐ高島屋があり、すぐ近くに駿河大納言徳川忠長のお墓の在る浄土宗の大信寺(だししんじ)がある。二代目将軍秀忠の次男で三代将軍徳川家光の実弟にあたる徳川忠長は、言行粗暴・大逆不遜の罪人として嫌疑をかけられ、寛永9年(1632)に高崎城に幽閉されました。 高崎城主 安藤重長は、しばしば赦免を哀訴しましたが認められず、寛永10年0(1633)に切腹を命じられました。忠長は28歳の若さで切腹により自ら命を絶つことを選んだのでした。その後、当大信寺11世心誉上人によりこの地に埋葬されました。法名は「峰巌院殿前亜相晴徹暁雲大居士」といいます。 死後43年の延宝3年(1675)の四代将軍家綱の時に免罪され、ようやく墓石を建立することができました。このため大信寺は以前受けた7石に更に100石の石高を加増されました。忠長の墓石は大信寺の境内にある巨大な高さ2.3メートル余の五輪塔で、周囲には石の玉垣がめぐらされ、さらに鎖でつながれていたため、「鎖のお霊屋(たまや)」と呼ばれていました。正面の石の扉には三葉葵の裏紋が刻まれています。墓はもともと立派な廟の中にありましたが、廟は戦災で焼失してしまいました。大信寺には忠長没後に姉の千姫より供養として寄進された、葵紋付きの硯箱、自刃に用いた短刀、婚礼時に使用した金色の長柄の銚子、自筆の手紙、茶器、仏舎利塔、豊臣秀頼の陣羽織をなおした袈裟などが位牌とともに安置されています。

1.大信寺の標柱
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2.駒札
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3.山門は横へ曳いて開けて入り、閉めてから本堂の裏へ回ると徳川忠長のお墓が見れます。と書かれていいました。扉には徳川家の葵の紋が入っていますね!
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4.本堂
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5.本堂横の駒札
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6.本堂裏にある徳川忠長のお墓
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7.徳川忠長の墓石
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8.同上 駒札
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9.徳川忠長のお墓のちかくにある「守隋彦三郎の駒札」
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10.守隋彦三郎のお墓
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2015/6/11

西毛の文化財・史址を見る!13.源三位頼政公を祀る頼政神社!  文化財研修記

高崎市宮元町には源三位頼政公(みなもとのさんんみよりまさこう)を祀る頼政(よりまさ)神社がある。元禄8年(1695)松平右京大夫輝貞公(大河内氏)が高崎藩主に封ぜらるや、同11年(1698)其の祖先源三位頼政公を祀って城東石上寺境内(現在東京電力営業所のある所)に頼政神社を建てた。宝永7年(1710)輝貞公が越後村上に転封せらるるや、社も亦其の地に移され、数年にして享保2年(1717)高崎に再転封されるや社はまた現在地に移されたのです。 頼政公は、平安末期に、源家正統に生まれた武将にして歌人である。白河法皇に擢んでられて兵庫頭となり保元、平治の乱に功をたてた。後に剃髪して世に源三位入道と称した。  後年以仁王を奉じて平氏の追討を図り事破れて治承4年(1180)宇治平等院で自刃した。家集『源三位頼政御集』がある。又、宮中で鵺を退治した話は有名である。  当社の祭礼は、例年頼政公自刃の日、5月26日に行なわれ旧藩時代は上野随一の祭であったと云われています。

1.鳥居と拝殿
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2.阿形狛犬(狛獅子?)
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3.吽形狛犬
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4.拝殿を下から見上げる!
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5.駒札
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6.拝殿をアップで見る!
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7.拝殿後部と朱の本殿
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8.朱の本殿
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9.八幡宮と稲荷神社
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10.八幡宮の扁額と彫刻を見る!
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