2015/2/28

九州の文化財・史址を見る!23.長崎茂木港から天草本島へ!!  文化財研修記

JR長崎駅より市内バスで茂木街道を約20分で茂木港に到着。茂木港から苓北観光船で約45分で天草島の富岡港へ至る。この富岡城は唐津藩主寺沢広高によって慶長7年(1602)によって築かれ嫡男の寺沢堅高が4万石で城代を置いて守っていたが、天草島原の乱(1637〜38)に城代の三宅藤兵衛は本渡にて討死したが、何とか死守した。しかしながら寺沢堅高は油断した罪に問われ江戸にて自刃、後継者が無く家は断絶。城郭は一時破却されたが寛文11年(1671)幕府領となり幕末まで置かれた。

1.JR長崎駅南口の盲目の少女と盲導犬像を見る!市バス08:49発
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2.茂木街道を走り、市バスは茂木市内バス停に09:10着。長崎代官アントニオ村山等安別邸宅跡碑を見る!
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3.同上 駒札
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4.近年運航開始した苓北観光船の茂木港駅
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5.港内(09:45発の船が欠航、更に台風の影響で11:45発も欠航!いつ出るか判明しない!)
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6.港に1台のタクシーがあったので、交渉して島原半島を半周して内航船の出る口之津港へ向かうことに決めて、料金交渉120キロ、2万を1万5千に交渉)口之津港11時30分発確認できた!)
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7.タクシーぶっ飛ばしで諫早市251号線、雲仙市の57号線となる。この当たりは雲仙市千千!
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8.南島原市の海岸あたり!
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9.南島原市口之津の半島近くに至る!
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10.口之津港到着後、すぐに折り返し午前11:30発のフエリーが到着してきた!
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11.乗船
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12.天草の鬼池港到着30分で12時予定
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2015/2/26

九州の文化財・史址を見る22.ドイツ領事が西本願寺、日光とともに日本三大美術建築と褒た松森神社!  文化財研修記

長崎市上西山町4−3には長崎駐在ドイツ領事が京都西本願寺、日光とともに日本文明史の三大美術建築と称賛した松森神社(まつのもりじんじゃ、松森天満宮)がある。創建は寛永3年(1626)今博多町に住む川上久右衛門と称する浪人が持っていた菅原道真公直筆の露像が、様々な奇跡を現すことから、家のそばに小さな祠(ほこら)を建てて、天満宮と名付け人々の信仰を受けていたが明暦2(1656)年、長崎奉行黒川興平(よへい)の肝入りで諏訪神社があった現在の地に移った。社殿の建築はとても美しく、長崎駐在のドイツ領事シュルレルベークは、京都西本願寺と日光とともに日本文明史の三大美術建築なりと賞賛している。長崎でもっとも古い歴史のある神社の一つでもある。

1.松森神社(松森天満宮)
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2.正門
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3.一の鳥居
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4.二の鳥居と石橋
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5.松森天満宮境内図
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6.手水舎
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7.拝殿を遠方より見る!
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8.拝殿に向かって右側には多くの境内社がある。これは八幡宮です!
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9.長崎市指定天然物の大クスノキ群の一つ
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10.同上 駒札(画像をクリックすると拡大して読めます。)
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11.拝殿後部から権殿と見事な本殿を見ます!
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12.本殿後部をぐるりと回ると拝殿の塀に長崎県有形文化財の「職人尽(しょくにんずくし)の彫り物が多数あります!
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13.その一部「化粧箱製造図」
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14.その一部「造船の図」
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2015/2/23

九州の文化財・史址を見る!21.日本三大祭りの一つ「長崎くんち」で有名な諏訪神社!  文化財研修記

長崎市上西山町3には長崎の総鎮守社であり「お諏訪さん」の呼び名で知られ、又秋の例大祭の「長崎おくんち」でも有名で三祭神(諏訪大神、森崎大神、住吉大神)を祀る鎮西大社・諏訪神社(すわじんじゃ)がある。長崎は、戦国時代にイエズス会の教会領となり、かつて長崎市内にまつられていた諏訪・森崎・住吉の三社は、焼かれたり壊されて無くなっていたのを、寛永2年(1625)に初代宮司青木賢清によって、西山郷円山(現在の松森神社の地)に再興、長崎の産土神としたのが始まりです。さらに、慶安元年(1648)には徳川幕府より朱印地を得て、現在地に鎮西無比の荘厳な社殿が造営されました。 安政4年(1857)不慮の火災に遭い、社殿のほとんどを焼失しましたが、孝明天皇の思召しにより、明治2年(1869)に約10年の歳月をかけて以前に勝る社殿が再建され、さらに、昭和59年の御鎮座360年祭、平成6年の370年祭を記念して、二度の造営を行い現在の社殿が完成されました。当神社の大祭(長崎くんちは10月7・8・9日)は、絢爛豪華で異国情緒のある祭として日本三大祭の一つに数えられ、国の重要無形民俗文化財に指定されています。

1.ホテルから稲佐山方面を見た100万ドルの夜景(撮影良くないですね!)
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2.同上  朝の撮影
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3.諏訪神社標柱と一の大鳥居
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4.壮観な一の大鳥居と二の鳥居、三の鳥居が見えます!
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5.二の鳥居、三の鳥居
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6.登り参道の左側には見事な自筆の石碑があります!
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7.登り参道右側には「迷い子知らせ石」があります。(画像をクリックすると拡大して読めます。)
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8.三の鳥居と狛犬
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9.登り参道の境内には福沢諭吉像があります。
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10.見事な大門
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11.大門の阿形随身は豊磐窓命(黒袍)
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12.大門の吽形随身は豊磐窓命(赤袍)
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13.御神輿殿
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14.見事な諏訪神社の拝殿など全体を正面から見る!
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15.拝殿を斜めから見る!
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16.拝殿の向拝をアップで見る!
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17.高濱虚子の句碑の駒札
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18.高濱虚子(黒御影石)などの句碑群
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19.酒田恒山顕彰碑文
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20.トゲ抜き狛犬(トゲぬき狛犬は初めて見た!)
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21.拝殿後部の珍しい祝詞殿(のりとでん)
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22.祝詞殿と本殿(格式が高い!)
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23.長崎くんちの夜の神輿行列の一例を借りて来ました!
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24.U−tubeより「長崎くんち」の「音声付動画」をお借りして来ました!凄いですね下記をクリックしてお楽しみ下さい!
http://youtu.be/3-gwhrFOUos?list=PL4C58B4560240EC26


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2015/2/21

九州の文化財・史址を見る!20.国宝の大浦天主堂(日本二十六殉教者天主堂)!  文化財研修記

長崎市南山手町2−18には国宝の大浦天主堂(おおうらてんしゅどう)がある。長崎県長崎市にあるカトリックの教会堂で、元治2年(1865)に建立された日本最古の現存するキリスト教建築物です。正式名は日本二十六聖殉教者堂です。その名のとおり日本二十六聖人に捧げられた教会堂で、殉教地である長崎市西坂に向けて建てられている。昭和28年(1953)に国宝に指定された。また、平成19年(2007)にユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストへ掲載が決まった「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を構成する文化財の1つである。観光客の増加に伴い、昭和50年(1975)に、天主堂に登る石段横の隣接地にカトリック大浦教会が建てられ、毎日のミサは大浦教会で行われています。文久2年(1862)12月 フランスのパリ外国宣教会宣教師で日本教区長のジラール神父の命により、横浜にいたフランス人司祭(神父)フューレが長崎に赴任。司祭館と教会堂の建築準備に着手しました。西坂の丘に慶長元年12月19日(1597)殉教した26名(日本二十六聖人)が、この年にローマ教皇ピオ9世により列聖されました。元治2年(1865)1月24日 大浦天主堂が完成、献堂式が挙行された。二十六聖殉教者堂と命名され大浦天主堂は日仏修好通商条約に基づき、フランス人の礼拝堂として建設され、教区長ジラールが宣教師プティジャン、ロカーニュを従え、献堂式を執り行った。献堂式には居留外国人を含め、長崎港に停泊中のフランス、ロシア、イギリス、オランダの艦長がそれぞれカトリック信者の水兵数名を従え参列した。 設計はフューレ、プティジャンの2名で施行は天草御領島出身の小山秀之進が大工棟梁として施工しました。様式は3本の塔を持つゴシック風のつくりながら、正面中央の壁面はバロック風で、外壁はなまこ壁という特殊なスタイルであった。明治8年〜明治12年 天主堂の大規模な増改築を実施。 外壁を煉瓦造にあらため完全にゴシック風の建物になるなど、創建当時の外観から大きくその姿を変えた。木造だった創建時に対し、明治12年5月22日に献堂された新教会堂は九州初の煉瓦造構造となった。昭和28年年(1962)3月31日 文化財保護法に基づき国宝に指定された(洋風建築としては初の国宝指定である)。(教会HPを抜粋)

1.市電・大浦天主堂下で下車(此処には南山手居住街跡碑などがある。)
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2.石畳の坂道を登って行く!
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3.三本の塔をもつ正面はバロックで美しいゴシック風の国宝の大浦天主堂が見えて来た!
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4.左側には「この教会へ初めて日本人の隠れキリシタン信者が名乗り出た100周年記念のレリーフ」1965年2月17日建立。
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5.法皇聖ヨハネ・パウロ二世の胸像
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6.国宝の美しい大浦天主堂
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7.正面をアップで撮影!
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8.大浦天主堂近くから長崎港を見る!
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2015/2/18

九州の文化財・史址を見る!19.国宝の第一峰門と大雄宝殿を持つ黄檗宗の崇福寺!!  文化財研修記

長崎市鍛治屋町7−5には国宝の第一峰門と大雄宝殿を持つ黄檗宗(禅宗)の崇福寺(そうふくじ)がある。聖壽山崇福寺は、黄檗宗の寺院で、興福寺・福済寺とともに「長崎三福寺」に数えられる。長崎唐寺(とうでら)は、キリシタン弾圧が厳しかった時代の寛永年間(1624-1643)、キリスト教禁令下において中国の人たちは仏教徒であることを示すために出身地別に長崎唐寺を建立したともいわれる。崇福寺は、寛永6年(1629)、福州地方出身の長崎在住唐人が中心となって、 唐僧・超然(ちょうねん)禅師を招き創建した黄檗宗寺院で、福州出身者で建立されたことから「福州寺」とも呼ばれていた。当初、長崎唐寺の特色は宗教的行事ではなく、航海安全の祈願や先祖供養を主としており海の神様である媽姐を祀る「媽姐堂(まそどう)」をもつことであった。その後、寄進によって大雄宝殿や山門、媽姐堂などの整備が進み寺院としての機能を持つようになった。  承応3年(1654)、唐僧・隠元禅師が渡来、「興福寺」住職として滞在され、翌明暦元年(1655)には、崇福寺にも進み、2ヶ月住して法を説かれた。隠元禅師の高弟で大雄宝殿の扁額「世尊(釈迦の意)」を書いた即非如一(そくひにょいつ)や、 即非禅師の高弟で大釜を造らせ施粥を行った千呆禅師(せんがいぜんじ)などは崇福寺の歴代の住持である。崇福寺には、竜宮門を思わせる三門や珍異奇功を極めている第一峰門がある。第一峰門と大雄宝殿は国宝に指定され、そのほかにも国指定重要文化財5、県指定有形文化財3、市指定有形文化財6、県市指定史跡5を持つ文化財の宝庫です。旧暦の7月26日〜28日の3日間は全国から華僑の人たちが集まり盛大に中国盆会が開催され、華やかな中国情緒を漂わせている。(一部HPより抜粋)九州には国宝が5つあり、その内2つが当寺にあります。

1.三門の一(嘉永2年(1849)棟梁大串五郎平が造った門。
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2.急な石段参道を登る!
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3.参道途中のお堂
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4.国宝崇福寺第一峰門の駒札(画像をクリックして頂くと拡大して読めます。)
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5.見事な国宝の第一峰門
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6.崇福寺西側にある三門の一つの駒札
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7.三門の一つ
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8.国宝の大雄宝殿を正面から見る!
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9.大雄宝殿を左側から斜めに見る!”
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10.県指定文化財の梵鐘の駒札!
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11.国重文梵鐘楼の駒札
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12..国重文梵鐘楼
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13.長崎市指定文化財の大釜(唐僧・千鼓が天和2年(1682)建造のもの)
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14.国重文の媽姐門(まそもん)
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15.県指定文化財の媽姐堂
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16.下記をクリックして、「音声付動画」で国宝の大雄宝殿、大釜、媽姐堂、などを見て下さい!
http://youtu.be/k_S96Hymszc

17.媽姐堂内
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18.国宝の大雄宝殿内
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2015/2/16

九州の文化財・史址を見る!18.国重文の本堂を持つ珍しい真言宗霊雲派の長崎山・清水寺!  文化財研修記

長崎市鍛治屋町には元和9年(1623)京都音羽山清水寺の僧・慶順が創建した長崎山清水寺がある。京都清水寺の僧・慶順は全国巡錫を経て長崎に辿りついた、信心修行を怠らず布教に努め、その説法を聞き観音様に帰依する者も多かったと言われています。慶順は長崎奉行の長谷川権六より長崎での寺院建立の敷地を与えることを約束され、然るべき土地を得て寺院を建立できるよう千手観音に祈願した。するとある夜、東の方角に白く輝く雲のようなものが立ち昇っている光景を目にします。夜明けを待ってその不思議な場所へ行ってみると、そこには一つの大石があり、その大石からは光が発せられていました。慶順は観音様のお導きと喜び、この地に念願の堂宇を建立し京都清水寺と同様、檀家を持たない祈願寺として長崎山清水寺を創建しました。
その後の経過は寛永4年(1627)島原城主松倉豊後守重政が、京都「清水の舞台」を擬して、堂前に石欄等を建造 。寛永19年(1642) 博多の商人伊藤小左衛門尉吉次が京都三条釜座伊豆守藤原朝臣真次鋳造の梵鐘を奉納。(中略)寛文8年(1668) 唐商何高材の寄進により清水寺本堂建立。(中略)宝暦10年(1760) 長賢、大師堂を本堂脇に建立。明和8年(1771) 四方田慈輔、石造の中門を建造。(中略) 廃藩置県により、八坂神社から鐘楼移築 。昭和51年(1976) 梵鐘が長崎市有形文化財に指定、昭和54年(1979) 御朱印船の絵馬が長崎市有形文化財に指定。平成2年(1986) 不動明王三童子像が国の重要文化財に指定。平成22年(2010) 清水寺本堂(観音堂)が国の重要文化財に指定。(清水寺のHPを一部抜粋)

1.長崎山・清水寺の標柱と左側は清水の舞台(撮影失敗です。)
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2.清水の石の舞台です。(ビンボケです)
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3.山門
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4.長崎県指定文化財の梵鐘をもつ鐘楼
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5.国重文の本堂(観音堂)寛文8年(1688)建立。
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6.本堂の軒の見事な彫刻と装飾は中国様式
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7.瑞光石(僧・慶順が奉持していた観音像に夜分祈っていた時、東方に白く輝く雲のようなものが立ち上っていた。それがこの2.5メートルあもある安山岩で瑞光石となずけた。)
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8.境内の一部
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9.大師堂駒札
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10.大師堂
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111.古木の巨大な櫻の木
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2015/2/14

九州の文化財・史址を見る!17.ほおずき祭(祇園祭)で有名な長崎の八坂神社!  文化財研修記

長崎市鍛治屋町8番53号には 素戔嗚尊(スサノオノミコト)を祀る八坂神社がある。盛夏7月に執り行われる「ぎおん祭」は約380年前より疫病退散、家内安全、天下安泰の神事として行われてきました。長崎の人々には親しみを込めて「ぎおんさん」と呼ばれています。古くから「長崎の夏は祇園さんのほおずき市で始まり、中国盆会で終わる」と言われるほど、八坂神社のほおずき市は7月第4土曜日をはさむ金、土、日曜日長崎の夏を彩る風物詩のひとつとして、人々から親しまれてきています。陽が落ちる夕刻より、縁起物の「ほおずき」を買求める人、 夕涼みを兼ねた浴衣姿の参詣の方が訪れる風景は、「夏の風物詩」です。起源は長崎市今篭町に樹齢数百年を数える一老木があり。いつの頃からか此の樹蔭に小石祠を設けて天王社と称し、霊験殊に著しとして里民の崇敬を集めた。寛永3年(1626)長崎奉行の許しにより京都祇園社の御神霊をその天王社に合祀し、祇園宮延寿院と称した。寛永15年(1638)) 当社参拝の老若日に数を加えたこと、人口の増加のため街膨張したことによりそれまでの敷地が狭隘となり、当時人家からは程遠い所であった現在の地に遷宮された。元禄15年(1702) 悪疫退散予防の神事を行い、神輿市内巡幸の儀を行った。この行列に供奉すれば疱瘡を免れるとの信仰により、子を持つ親は幼児を抱いたり、背に負い幣を捧げて参加した。明和3年(1766) 西古川町より出火した大火に際し、当社も難を免れず正殿、拝殿、庫理などを焼失し致命的損害を受けた。安永2年(1773) 市中の町々や人々の寄附により再建された。明和3年の大火の経験からそれまでの社地の上段を切り開き、土石を運び石壁を築きさらに壇を設けて神殿を建立した。現在の境内地は大部分がその当時のものである。明治元年(1868)ながく祇園社と呼ばれていたが、明治維新の神仏分離に伴って、時の九州鎭撫総督澤宣嘉卿により八坂神社と命名され現在に至る。(神社HPを抜粋編纂)

1.平戸島より平戸大橋を渡る!
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2.日本最西端の松浦鉄道の「かびら平戸駅」碑
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3.松浦鉄道でJR佐世保駅乗り換えJR長崎駅に至る!
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4.長崎は市電を利用し見学
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5.寛永3年(1626)京都の祇園社の分霊を合祀した八坂神社の朱の大鳥居と標柱
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6.二の朱の大鳥居と神門を見上げる!
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7.見事な神門
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8.手水舎
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9.筆供養塚
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10.拝殿を斜めから見る!
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11.拝殿、権殿、本殿と格式が高い!
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12.清水寺から再度、拝殿、権殿、本殿を見下ろす!
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13.境内社の櫻姫美人稲荷(若い女性に人気のあるスポットである諭旨!なるほどと感ずる!)
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2015/2/12

九州の文化財・史址を見る!16.二つの国指定無形民俗文化財を持つ平戸市の亀岡神社!  文化財研修記

長崎県平戸市の平戸城内には、二つの国指定重要無形民俗文化財を持つ亀岡神社(かめおかじんじゃ)がある。一つは「平戸神楽」で平戸神楽の由来は、元亀年間(1570〜1573)に松浦氏の領地となった壱岐の神職が、平戸の松浦氏の居城をおとずれ、壱岐の御竈祭の神楽を舞い、その後に平戸の神職も加わって神楽が行われるようになったといわれています。現在の平戸神楽の基礎は、松浦家29代鎮信(天祥)の時代に、壱岐出身の神職で国学者であった橘三喜が、正保年間(1644〜1648)に全国各地の一の宮を巡拝して調査研究を重ね、24番におよぶ平戸神楽を完成させたと伝えられています。平戸神楽は、壱岐を除く旧平戸藩領内の各神社の祭礼で舞われており、神社の祭式にあわせて小神楽(8番)、中神楽(12番)、大神楽(118番)、大大神楽(24番)の4種に別けられ、代々神職によって伝承されています。
 最も番数の多い大大神楽は岩戸神楽とも呼ばれ、亀岡神社の秋季例大祭(毎年10月26日)でのみ奉納されており、全てが終了するまでに7〜8時間を要します。平戸神楽を代表する「二剣」は、真剣3本を使うことから別名「三本舞」とも呼ばれ、舞手の技術力・体力・集中力が求められる最も難しい演目であり、「二剣」の出来で神楽全体の完成度が決まるともいわれています。平戸神楽は、宮崎県の高千穂神楽とともに九州を代表する神楽であり、昭和62年1月28日、同じ旧藩領内の壱岐神楽とともに、国の重要無形民俗文化財に指定を受けています。
又、平戸ジャンガラの語源については松浦家34代清(静山)の著書「甲子夜話」(県指定有形文化財・平成17年3月25日指定)に『「ジャン」ト云ハ、鉦ノ音、「グワラ」ト云ハ、腰鼓ノ声ナリ』と書かれています。また、イギリス商館長リチャード・コックスの日記にも記述が見られ、江戸時代初期にはすでに、奉納されていたことがわかっていますが、起源については定かではありません。一説には「朝鮮半島より伝わった」ともされています。各神社仏閣に踊りを奉納し、雨乞いや五穀豊穣を祈願します。伝承されているのは城下組 (平戸・中野)、下組(宝亀・紐差・根獅子)、大下組(中津良・津吉・野子・大志々伎)の9地区です。城下組では中踊りが1人、下組・大下組では2人が中心になって踊るなど9地区で踊り・構成にはいくつかの違いがあります。奉納は、8月の14日に野子・大志々伎、15日に宝亀・紐差・根獅子・中津良・津吉、16日に中野、18日に平戸の日程でそれぞれ実施されています。HPより抜粋。

1.平戸城二の丸へ降りてくる!(日本最初のたばこ種子渡来の地碑ががる。)
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2.二の丸には「中山愛子像」が建てられている。(34代藩主松浦清の第11女は、京都の中山大納言家に嫁ぎ、その姫慶子(よしこ)は明治天皇の御生母となった。)
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3.亀岡神社の神楽殿(この神楽殿で平戸神楽が盛大に催行されます。周囲は大きく広がっています。)
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4.大修理中の亀岡神社全体
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5.手水舎
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6.神門
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7.拝殿
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8.拝殿を横から権殿、本殿を見る!
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9.同上
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10.平戸おくんち案内板
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11.平戸神楽は下記をクリックして見て下さい!約7分
http://youtu.be/bKdtqwjQFG0

12.平戸ジャンガラもU-tubeにありましたので下記をクリックして見て下さい!
http://youtu.be/9KN8CZtqgQk

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2015/2/10

九州の文化財・史址を見る!15.平山城で唯一山鹿流兵法で築城された平戸城!  文化財研修記

平戸城(ひらどじょう)は、長崎県平戸市にあった城で江戸時代には平戸藩松浦氏の居城であった。別名は亀岡城(かめおかじょう)、亀甲城、日之嶽城とも呼ばれていた。
 平戸島の北部、平戸市街の東部に位置する。平戸港を見下ろし、対岸の九州本土を望む平戸瀬戸に突き出た丘陵上にある。三方を海に囲まれ天然の堀としている。丘陵の頭頂部に本丸が築かれ、その南側に二の丸、東側に三の丸が配された梯郭式の平山城である。最初は安土桃山時代の末期に松浦鎮信(法印)によって築かれたが破却され、江戸時代中期になって再建された。再建にあたっては山鹿素行の軍学に沿って縄張りがなされた。平城の赤穂城と並んで、平山城では唯一の山鹿流による城郭である。下松浦党の棟梁である松浦鎮信(法印)は、豊臣秀吉の九州平定に加わり松浦郡と壱岐の所領を安堵された。文禄・慶長の役の後、慶長4年(1599)現在の城地である日之嶽に最初の築城を開始した(現・平戸市岩の上町)。しかし、完成も間近となった慶長18年(1613)自ら火を放ち城を破却した。理由としては、豊臣氏と親交が厚かったことによる江戸幕府の嫌疑から逃れるためとも、最愛の嗣子、久信の死によるものともいわれている。鎮信は、平戸港を挟んだ北側に「中の館」と呼ばれる居館を構え、平戸藩の藩庁とした(現・平戸市鏡川町)。ここには明治時代に松浦氏の私邸が築かれた。現在は松浦史料博物館となっている。元禄15年(1702)4代藩主松浦鎮信(天祥)は幕府に築城を願い出て、翌年の元禄16年(1703)許可された。江戸時代中期に築城が裁可されたのは異例である。これは徳川家との姻戚関係と東シナ海警備の必要性によるものと言われる。鎮信(天祥)は山鹿素行の弟子であり、素行とともに全国を歩き資料集めを行い山鹿流軍学に基づく縄張りがなされた。素行を平戸に迎えたいと希望したが叶わず、実子の山鹿高基・義昌の兄弟が藩士として迎えられた。実際の築城指導は山鹿義昌によってなされた。5代藩主松浦棟によって元禄17年(1704)2月に着工され、宝永4年(1707)にほぼ完成した。天守は上げられず、二の丸に建てた3重3階の乾櫓をその代用としていた。

1.平戸海上ホテルより平戸城を見る!
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2.下記をクリックして、「音声付動画」で大しけの平戸大橋や平戸城を見て下さい!
http://youtu.be/EDySS3-7eDI

3.平戸城北虎口門(石垣と石垣の間にのった「渡櫓」様式で、城内に現存する唯一の木造遺構)
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4.同上から本丸二重櫓を見る!
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5.本丸二重櫓を見上げる!
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6.見事な本丸二重櫓
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7.城内に展示の見事な鎧兜と武具
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8.城内展示の見事な刀剣類(4世紀頃西海鎮護のため、駐留した十城別王(仲哀天皇の弟)の武将、七郎氏広の佩刀と云われる見事な鐶頭太刀もあったがガラスで撮影失敗!)
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9.城内展示の見事な武具類
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10.平戸城古地図
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11.天守櫓から見た平戸湾
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12.天守櫓から見た平戸大橋と平戸湾
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13.第二の櫓「見奏櫓」へ向かう
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14.二の丸大手門
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15.傍の面白い名前の「狸櫓(たぬきやぐら)」
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16.狸櫓をちょっと覗く!
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2015/2/8

九州の文化財・史址を見る!14.歴代平戸藩松浦家の菩提寺の雄香寺!  文化財研修記

長崎県平戸市にある臨済宗妙心寺派の寺院である山号は俊林山(しゅんりんさん)雄香寺(ゆうこうじ)がある。元禄8年(1695)、当時の平戸藩主松浦棟により的山大島の江月庵を移し現在地に建立された。開山は棟が師事していた禅僧の盤珪永啄。棟以降歴代平戸藩主の菩提寺となった。境内には歴代藩主の墓所の他、平戸出身の作曲家藤浦洸の墓もある。
開山堂は開山当初の建立であり、昭和62年に長崎県指定有形文化財となっている。堂前に並ぶ数十基の石灯篭の銘もこの時期のものが多いことからも推測されます。入母屋作りで、正面、側面に出入り口があり、床は仏壇前が板張りでその他は瓦の敷で禅宗様式が取り入れられていま当初は第30代棟(雄香)、盤桂禅師、妙光禅師が祭られました。その後第31代篤信(松英)を祭るため北側側面に増築が成され、現在に至っています。外面全体が総丹塗りされていることから通称「赤堂」と呼ばれています。棟(雄香)以降は同寺が平戸松浦家の菩提寺となり、開山堂南にある墓域には第29代鎮信(天祥)、第32代有信(等覚)、第33代誠信(安靖)、第34代清(静山)、第36代曜(諦乗)ら歴代当主と夫人、側室、子息の墓碑が荘厳に立ち並んでいます。 当地は、平戸松浦家第21代義(天叟)が木ヶ津の景勝を愛し、隠宅を作ることから始ったとされています。その後は、さまざまな変遷を得ながら、平戸松浦家第35代煕(観中)が天叟を偲び宝永2年(1705)に龍瑞寺を建立し、天叟が建立した普門寺の末寺とします。このとき当時の工芸技術の粋を集め、堂、庭園を造営します。中でも景粛堂は暴風により倒壊した樹齢300年を越える杉材だけを利用し作られたとされ別名「一本堂」と呼ばれています。常盤蔵は30m×20mの当時としてめずらしい石造倉庫です。石灯篭は9090基を超え同型のものはありません。明治4年(1871)に普門寺が正式に廃寺となったため龍瑞寺が普門寺と呼ばれるようになりました。この地を愛した第35代煕(観中)は、敬愛する義(天叟)、夫人、子息とともに寺域に眠っています。

1.平戸海上ホテルの左側が登り参道です!薬師堂の駒札(画像をクリックすると拡大して読めます。)
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2.薬師堂
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3.凄い石段参道です!
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4.漸く山門に至ります。
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5.あれ!まだ石段参道と第二の山門が見えます!
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6.本堂
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7.仏殿
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8.下記をクリックして、「音声付動画」で本堂境内などを見て下さい!
http://youtu.be/-OkMFMgCr88

9.朱の開山堂(長崎県指定文化財です)
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10.平戸藩松浦藩主家墓地方面へ!90もの石灯籠があります!
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11.平戸藩松浦藩主家墓地
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