2015/1/11

房総の文化財・史址を見る!42.(最終回)北辰妙見尊星王を祀る古社・千葉神社!  文化財研修記

千葉市中央区院内1−16−1には祭神・北辰妙見尊星王(ほくしんみょうけんそんじょうおう)を祀る千葉神社がある。この千葉の地を治めた千葉氏の祖・平良文(たいらのよしぶみ)は、戦のたびごとに妙見尊に祈願して御加護をいただき、 常に大勝利を収めておりましたので、以後、千葉家では代々一門の守護神として熱烈な信仰を捧げてまいりました。
このような関係から、現在地には千葉家三代忠常により先に御分霊が祀られ(年代不詳)、 その後、忠常の次男、覚算大僧正により立派に伽藍整備がなされ、第66代・一条天皇の眼病平癒の勅願所としての功ともあいまって、 長保2年(1,000)『北斗山金剛授寺』なる寺号を賜り中興開山されました。さらに、千葉家7代常重により大治元年(1126)には、この信仰の頂点に立つ御本霊を千葉城よりお遷し申し上げることにより合祀され、 以後、厄除開運・八方除・身上安全の守護神である妙見様の本宮として、全国の善男善女の深い尊崇を集めてまいりました。
 源頼朝も当社に参詣し、自筆の願文、太刀、武具などを奉納して、ついに武運を開くに至りました。 また、日蓮上人が宗門弘通の誓願をたてて当社に参籠した時に、有難い奇瑞をいただきましたので 「この妙見尊こそ わが宗門の守護神である」と讃嘆され、誓願成就の後に、細字法華経を自筆して奉納されました。 徳川家康も当社に深く崇敬の誠を捧げ、大久保岩見守に命じて祭祀の料田として永代2百石を寄進され、10万石の大名と同等の格式を賜り、その後も代々の将軍家より神領、特権を許されてまいりました。さらに、明治2年(1869)の新政府発令による「神仏分離令」により、 平安時代後期の御本霊合祀の翌年である大治2年(1127)より連綿と続く神輿渡御(一言妙見大祭)を残すべく『千葉神社』と改称し今日に至り、 その御霊徳はいよいよ高く輝き、千葉の妙見様として四方八方にあまねく知られてまいりました。(千葉神社HP抜粋)

1.千葉神社の鳥居(三方に同様の鳥居があります!)
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2.千葉神社の楼門と全体を遠方より見る!
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3.神社駒札(画面をクリックして頂くと3000ピクセルの画像になり読めます!)
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4.楼門を斜めから見る!
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5.楼門正面
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6.楼門をアップで見る!
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7.楼門正面2.
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8.本殿
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9.本殿の扁額
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10.下記をクリックして、本殿前から境内周辺を「音声付動画」で見て下さい!
http://youtu.be/fea5aQR83T8

11.境内を見て回る!
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12.神明様
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13.境内社を見る!
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14.境内
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15.弁天堂
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16.亀岩(画像をクリックして頂くと拡大され読めます)
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17.千葉天神駒札
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18.千葉天神
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2015/1/9

房総の文化財・史址を見る!41.千葉市でも最も古い真言宗豊山派の千葉寺!  文化財研修記

千葉県千葉市中央区千葉寺町161には真言宗豊山派で千葉市では最も古い寺院で海上山千葉寺(せんようじ、ちばでら)がある。本尊は僧・行基によって彫られたという十一面観音であり、坂東33三観音霊場第29番札所で、関東88霊場第47番でもある。
 寺伝によれば、和銅2年(709)この地を訪れた行基が十一面観音を安置したのに始まり、聖武天皇の命により千葉寺と称したという。永暦元年(1160)に落雷により伽藍をを焼失しているが源頼朝の命により建久3年(1192)千葉常胤が再建した。千葉氏の居城である千葉城(亥鼻城)に近いことから千葉氏の祈願所となった。境内には瀧蔵神社がある。
文化財としては県指定天然記念物千葉寺のイチョウや関連文化財鋳銅梅竹文透釣灯籠(国の重要文化財)「千葉寺愛染堂 天文十九年」(1550)の銘がある。明治43年(1910年)に千葉寺東南方の竹薮から発掘されたもので、発見者から東京国立博物館に寄贈され、同館に所蔵される。尚、「千葉笑い」があり- 岡本綺堂がこの習俗を題材にした戯曲を著している。

1.千葉寺楼門(モノレール県庁駅から徒歩15分)
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2.楼門の見事な彫刻
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3.楼門の阿形仁王像
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4. 同上 吽形像
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5.境内の樹齢1000年を超える大イチョウ!(県指定天然記念物)
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6.同上碑
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7.同上 駒札
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8.千葉寺駒札
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9.手水舎
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10.本堂正面
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11.本堂の扁額
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12.本堂内
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13.千葉笑の駒札
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14.関東88ケ所霊場
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15.墓地碑文等
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2015/1/7

房総の文化財・史址を見る!40.房総の大豪族千葉氏の千葉城と源頼朝!  文化財研修記

千葉市中央区玄鼻1−6−1には千葉城(亥鼻城)があるこれは昭和42年に建設、昭和58年に千葉市立郷土博物館となった。城の建築構造は(本館) 鉄骨鉄筋コンクリート造(城郭建築4層5階)(収蔵棟) 地上1階地下2階の塔屋である。
 古くは「玉の浦」と呼ばれていた海岸が「九十九里浜(くじゅうくりはま)」になったのは源頼朝公に由来すると言われています。頼朝の命により、古代の1里である6町(1町は109m)ごとに矢を立てたところ、99本になった(約60km)との伝承です。
  そのエピソードが示すように、房総半島は源頼朝の鎌倉幕府成立において大きな役割を果たしました。鎌倉幕府のあった三浦半島と房総半島はわずか10キロメートルの距離。千葉氏や三浦水軍の味方を得た頼朝にとって房総半島は自分の庭のような存在だったのである。
 平将門の乱の後、この地は藤原一族が国司となって管理しましたが、国司に恭順を示した平氏一門はさらに土地を開拓し、寺社に寄進する形でその地の支配を強めていきました。
 当時は白河法皇の院政期で、房総の平氏たちが各郡や荘の名を苗字に変えていった時期。この中の一党に千葉氏がありました。千葉氏は平氏の分流ですが、中世、この半島の武将として名高い千葉氏が歴史にあらわれるのは下総(しもうさ)の初代守護・千葉常胤(ちばつねたね)からでしょう。 1180年、頼朝は伊豆で挙兵しますが石橋山の敗戦で千葉常胤を頼って安房(あわ)国に逃れ、反撃に転じました。その後も常胤は、頼朝の絶大な信頼を得て、下総の守護としてゆるぎない地位を築きます。千葉氏は鎌倉幕府の名門へのし上がり、以後、室町時代まで権勢を誇ったのです。千葉一族は分家しながらも全国各地で勢力を伸ばし、陸奥相馬(むつそうま)氏のように明治時代まで生き残った家系もあります。
 
1.県庁前から見る千葉城(モノレール千城台駅から県庁前駅まで510円、徒歩15分)
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2.近辺地図
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3.千葉城(亥鼻城、千葉市立郷土博物館)碑文
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4.千葉城
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5.千葉城と千葉常胤騎馬像
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6.同上
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7.天守閣
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8.天守閣内展示室
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9.千葉常胤像
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10.千葉氏系図
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11.千葉氏の遺品
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12.天守閣から見た千葉市内!
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2015/1/5

房総の文化財・史址を見る!39.東金御成街道の真言宗の古刹・金光院!  文化財研修記

千葉市若葉区金親町(御成街道)には高札場址から街道を東南方に歩いて300メートルほど行った左側の奥まった所に、由緒ありげな山門が見える。ここが愛染山延命寺(あいぜんざんえんめいじ)金光院(こんこういん)で、薬師如来を本尊とする真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)の名刹である。縁起によると鎌倉時代の後半にあたる正応(しょうおう)2年(1289年)金親村の中原なかはらの地に貞成(じょうせい)上人が開基したが、天文(てんぶん)20年(1551)全山焼失したので、千葉氏の重臣原胤清はらたねきよが同村北寺山きたてらやまの山林20余町歩を寄進して現在地に再建したと伝える。この寺の創立に関する直接資料としては、「正応2年2月日」在銘の板碑いたび、「正応2年2月吉日」の墨書銘ぼくしょめいの箱書はこがきのある胎蔵界たいぞうかい・金剛界こんごうかい一隻の大曼荼羅まんだらがある。また元和(げんな)元年(1615)11月16日家康が2度目に東金とうがねへの鷹狩の途中、金光院に宿泊した際に使用した什器じゅうき、庭の桜をほめたと伝える「御手掛おてかけの桜」がある。また山門は御茶屋御殿(おちゃやごてん)の裏門と云われている。

1.金光院山門(元茶屋御殿の裏門と伝わる。)
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2.境内
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3.駒札
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4.両界曼荼羅駒札
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5.見事な鐘楼
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6.地蔵菩薩像
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7.本堂
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2015/1/3

房総の文化財・史址を見る!38.千葉市にある東金御成街道!  文化財研修記

千葉県千葉市御殿町には東金御成街道(とうがねおなりかいどう)がある。、九十九里方面での鷹狩のために徳川家康が土井利勝に命じて造らせた道路。船橋〜東金間約37キロメートルをほぼ一直線に結んでいた。なお東金市田間から山武市小松までの部分は砂押街道と呼ばれる。
 沿道の村々の農民たちが石高に応じてかり出され、「三日三晩で造られた」とか、「昼は白旗、夜は提灯を掲げて昼夜兼行で工事が行われ、一晩のうちに完成した」などといわれ、提灯街道、一夜街道または権現道などとも呼ばれるが、慶長18年12月12日(1614年1月21日)に着工し、翌慶長19年1月7日(1614年2月15日)に完成した。なお、東金市田間から山武市小松までの部分は砂押街道、あるいは御成新道と呼ばれ、別のもので後から造成されたような印象を受けるが、実際には山武市小松までを含めた御成街道全体が同時に造成された。また将軍が休息・宿泊する為に船橋御殿(現・船橋東照宮)、御茶屋御殿(千葉市若葉区御殿町)、東金御殿(現・千葉県立東金高等学校)も造られた。
 家康が慶長19年(1614)正月に初めて九十九里方面を訪れてから、秀忠や権大納言時代の家光もこの街道を利用した。その後寛永7年(1630)を最後に九十九里方面での鷹狩は行われなくなり、寛文11年(1671)頃には3つの御殿も取り壊しになったが、東金御殿、御茶屋御殿ともに移築と伝わる建物が現存している。

1.JR木更津駅からJR千葉駅までJRで40分(JR千葉駅とモノレール駅は併設)
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2.JR千葉駅からモノレールと徒歩で見学開始、モノレール千城代駅まで27分で470円
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3.御成公園横を歩く!
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4.同上
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5.御成街道へ出る!
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6.提灯塚
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7.提灯塚駒札
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8.御成街道図
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9.長屋門 1.
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10.長屋門 2.
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2015/1/1

房総の文化財・史址を見る!37.「狸ばやし」で有名な證誠寺(しょじょじ)!  文化財研修記

木更津市富士見2−9−30には浄土真宗西本願寺派で「狸ばやし」で有名な證誠寺(しょじょじ)がある。江戸時代の初期(17世紀中ごろ)證誠寺は誕生しました。 当時のこの付近は「鈴ヶ森」と言って、杉や松や桧が生い茂ってその周りを竹薮で囲まれた昼間でも暗く薄気味悪いところでした。 初代住職(了念法師)の父親は、鎌倉で狩野派の絵師をしていたらしく,住職はその次男で、医者になった三男と共に陸路,江戸を経て鎌倉から木更津に渡ってきて住み着いたそうです。 房総半島の東京湾に面した地区を内房と呼びますが、この内房地区は、真言宗のお寺が大変多く(木更津市内寺院の半数以上が真言宗)、浄土真宗のお寺は木更津でもこのお寺1ヶ寺だけです。江戸時代初期に、この地に移り住んだ上方(関西地方)の商人たちが、最初のご門徒(檀家さん)になりました。このお寺に限らず千葉県の海沿いにある浄土真宗の古いお寺は、船に乗ってこの地に渡ってきた上方の人たちが関係している場合が多いようです。
本堂の裏に墓地がありますが、古いお墓をよく見ると「河内国惣持寺村」「越前」「阿波屋」「紀州」など関西方面をはじめとして西日本の地名が多く見られます。狸ばやしについては町外れでも大変活発に活動していた證誠寺でした。在来の寺院にはみられない布教活動や行事を行い、雅楽などを用いた法要は村人たちの耳に不思議に聞こえて話題になり、いつしか狸ばやしの伝説が生まれたという説があります。伝説がいつごろ生まれたかは定かでありません。 明治38年、松本斗吟という方が地元の文芸誌『君不去』にこの話を紹介しました。 大正8年、木更津町と君津郡の教育委員会の招きで木更津へ講演会に訪れたのが詩人の野口雨情先生でしたが、世話役の先生から素材の提供を受け、童謡「証城寺の狸ばやし」として大正14年に『金の星』という雑誌に発表され、中山晋平先生の曲を得て、ついに歌が完成しました。(証城寺のHPより)

1.證誠寺の案内標柱
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2.門前の案内板
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3.駒札
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4.駒札
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5.見事な鐘楼
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6.童謡碑への門
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7.童謡碑
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8.句碑
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9.筆子塚
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10.狸塚
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11.光輪堂
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12.本堂を左側から斜めに見る!
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13.本堂正面
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14.墓地の巨木
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15.證誠寺橋もあります!
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