2015/1/31

九州の文化財・史址を見る!10.国史跡で文禄・慶長の役の出兵の城・名護屋城跡!  文化財研修記

唐津市と玄海町に広がる国特別史跡「名護屋城跡並びに陣跡」は、豊臣秀吉による文禄・慶長の役(1592〜1598)の出兵基地であり、日本列島と朝鮮半島との長い交流史のなかで、その関係を一時断絶させた不幸な歴史の舞台です。同時に、名護屋城跡を中心に半径3キロメートルの範囲にひろがるこの遺跡群は、全国から130を超える大名が集結し陣屋を構築して在陣するという、日本の歴史上にも類を見ない、広域かつ特異な遺跡群です。
名護屋城は天正19年(1591)年10月から翌年2月にかけてわずか5ヶ月で完成した広さ17万平方メートルの巨大な城で、当時は大坂城に次ぐ全国2番目の規模でした。現在は城跡の石垣が当時の面影を伝えています。また、全国から集まった武士と商人で人口20万人を超える城下町ができました。秀吉ら朝鮮へ渡海しなかった大名たちは能楽や茶の湯といった桃山文化を名護屋に持ち込みました。平成9年(1997)には名護屋城跡の山里丸(秀吉の居館跡)で茅葺の草庵茶室跡が発見され大きな話題となりました。また、文禄・慶長の役では朝鮮半島から多くの人々が戦国大名によって日本に連れて来られました。その中の優れた技術を持つ陶工は九州各地で製陶を行いました。佐賀県を代表する唐津焼、有田焼も彼らが作り始めたと言われています。

1.JR唐津駅からの乗り合いバスを名護屋城博物館入口で下車
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2.徒歩で大手口へ向かう
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3.大手口手前の案内石版(画像をクリックして拡大すると読めます。)
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4.当時の各大名の陣構え図
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5.現在地
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6.大手口跡方面
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7.案内石版
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8.大手口跡
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9.名護屋城址と陣地図
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10.下記をクリックして、「音声付動画」で東出丸からの現在の景色を見て下さい!
http://youtu.be/g-Zmuj6osAQ

11.東出丸案内版
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12.東出丸の巨大な石壁
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13.本丸方面へ向かう
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14.東郷平八郎の名護屋城址碑
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15.青木月斗句碑
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16.名護屋城天守台碑
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17.天守台碑
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18.下記をクリックして、「音声付動画」で、玄界灘方面を見て下さい!
http://youtu.be/rmri7J44J7M

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2015/1/29

九州の文化財・史址を見る!9.黒田藩2代黒田忠之が再建した黒田藩主家墓地・東長寺!  文化財研修記

福岡市博多区御供所町2−4には真言宗の古刹である南岳山東長寺(とうちょうじ)がある。本尊は千手観音(重要文化財・秘仏)・弘法大師(秘仏)・不動明王で創建年は(伝)大同元年(806年)開基(伝)空海で文化財は千手観音立像(国の重要文化財)六角堂、福岡藩主黒田家墓所(市文化財。九州における真言宗九州教団の拠点寺院(別格本山)である。九州八十八カ所第一番霊場・九州三十六不動尊結願霊場・九州二十四地蔵尊第二十二番霊場。空海(弘法大師)が唐での修業ののち帰国し、博多滞在の折に密教東漸を祈願して建立したと伝える。ただし、初期の伽藍は大水道(呉服町)にありそこでの寺運は盛んだったという。
 その後永禄・天正の兵火に焼け荒廃していたところを近世に福岡藩2代目藩主の黒田忠之が寺禄300石と山林15万坪を寄せ、寺基を現在地に移して諸堂宇を再興させ菩提所とした。墓所の入り口にある六角堂は江戸時代に太田万歳楼が建てたもので、扉には聖福寺の僧を始めとした有名人の自筆書画が刻まれてある。

1.東長寺山門を斜めから見る!
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2.山門正面
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3.駒札(画像をクリックすると、大画面で駒札が読めます。)
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4.手水舎
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5.壮大な本堂
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6.市指定文化財の六角堂
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7.五重塔と庫裡
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8.五重塔の駒札
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9.五重塔
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10.市史跡黒田家2代藩主黒田忠之のお墓
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11.市史跡黒田家3代黒田のお墓
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12.市指定文化財黒田家8代黒田治高のお墓
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2015/1/27

九州の文化財・史址を見る!8.黒田長政が再建した福岡藩黒田家の菩提寺・崇福寺!  文化財研修記

福岡市博多区千代17−79には臨済宗大徳寺派に属する古刹の横岳山勅賜萬年崇福禅寺(すうふくじ)がある。仁治元年(1240)筑紫郡大宰府町横岳の地に随乗坊湛慧(ずいじょうぼうたんえ )禅師によって創建された。翌年、聖一国師が宋より帰朝されるや湛慧は国師を迎え 開堂演法を請う。国師は宋の経山佛鑑禅師より授かった「勅賜萬年崇福禅寺」の八文字を 堂々と揚げ、ここに崇福寺は名実共に成立した。天正14年(1586)岩屋城落城(島津、大友氏の戦)の際、兵火によって堂塔伽藍、 重宝、什物等創建以来350余年にして勝禅院のみを残し 悉ことごとく鳥有に帰したが 、その跡に近年、仏殿、開山堂、禅堂、侍物寮、書院、山門、中門等が 大宰府別院として再興された。慶長5年(1600)黒田長政公が筑前国主となり大徳寺春屋和尚の請により復興を計画 、大宰府は不便につき現在地に移し、雲英、江月、江雲和尚の三代にわたり総門、御成門、 山門、仏殿、方丈、庫裡こり、書院、衆寮、開山堂等の伽藍が造営再建され、 慶長17年(1612)博多の巨商島井宗室の寄進により塔頭瑞雲庵(開山大應国師) 再興され、更に元和元年(1615)宗庵(当寺5世、大徳寺開山大燈国師塔所)再興された。寛永元年(1624)に久野重剛が檀越となって正伝庵(大徳寺一世大現国師塔所)再興された。 又、長政公より寺領として3百石、開山堂領として50石が寄進され、境内は東西が 馬出まいだし口より石堂際、南北が大通りより海浜までと広大な寺領を有し、大徳寺末、 筑前の触頭寺院として末寺、末々寺合わせて37ヶ寺を配下に置き、歴代藩主の 菩提寺として面目を保ったのである。(HPより抜粋)

1.崇福寺山門(元福岡城お表御門を移築したもの。県指定文化財)
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2.境内へ入る!
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3.崇福寺の唯一の塔頭寺院・仏宗庵
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4.同上 駒札
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5.庫裏・仏殿へ向かう
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6.本堂
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7.見事な鐘楼
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8.境内
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9.唐門(元名島城の門を移築したもの。県指定文化財)
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10.黒田家墓所へ向かう
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11.黒田家墓所の駒札
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12.お墓配置図
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13.黒田如水公(官兵衛)墓碑
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14.黒田長政公墓碑
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15.下記をクリックして、「音声付動画」で広大な黒田家墓地を見て下さい!
http://youtu.be/1juZ8Fxd1Gc

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2015/1/25

九州の文化財・史址を見る!7.黒田長政が築城した福岡城!  文化財研修記

慶長5年(1600) 黒田孝高・長政父子は関ヶ原の戦いの功績により豊前国中津16万石から、一躍筑前一国52万3千石を得て名島城に入城した。便宜上から名島城を廃し、福崎丘陵(現在の舞鶴公園・福岡城跡)を新城候補地に選定した。慶長6年(1601)には築城が開始され、7年後の慶長12年(1607)に竣工した。福岡城は福岡市中央区に位置する梯郭式平山城である。普請奉行は野口佐助一成である。城地とされた福崎丘陵(那珂郡警固村福崎)は、博多と那珂川を挟んだ西側にある。主に、本丸を囲むように二の丸、その外に大きく三の丸が配され、47の櫓を配し縄張りの範囲は約25万平方メートルに及ぶ。大阪以西では最大規模の城郭で同じ九州の熊本城よりも大きかった。東側に那珂川を以って堀とし、また西側の干潟「草ヶ江」を大堀として活用した。この大堀は現在大濠公園として整備されている。城下町は城の北側(博多湾側)に開かれた。東側の城址は舞鶴公園となっている。築城の際に、福崎を黒田家ゆかりの地である備前国福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)の地名にちなみ「福岡」と改めている。現在、城跡には門・櫓が現存し、多聞櫓とそれに続く二の丸南隅櫓は国の重要文化財に、潮見櫓・大手門・祈念櫓・母里太兵衛邸長屋門が福岡県指定文化財に、名島門が福岡市文化財にそれぞれ指定されている。また、多聞櫓に続く二の丸北隅櫓が復元されているが、戦後急激に開発が進み、城内、舞鶴公園外には東西を遮る道路、全国でも珍しい城跡にある住宅私有地、公営競技場、裁判所、市立美術館、ありとあらゆる施設が建築され、城郭遺構としては未整備である。現在、福岡市は福岡城周辺をセントラルパークのように大規模な公園とする計画を発表し、20年計画で進行中です。

1.地下鉄大濠公園下車にある立札
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2.下之橋御門へ向かう


3.下之橋御門と多門櫓方面を見る!
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4.下之門御門
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5.同上
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6.門をくぐる
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7.旧福岡城図面(画像をクリックすると大画面で見れます!)
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8.汐見櫓
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9.祈念櫓
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10.鉄御門跡
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11.本丸跡は撮影失敗です!外から汐見丸櫓や下之も門を再度見ます!
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12.南多門丸櫓と城壁を見ます!
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2015/1/23

九州の文化財・史址を見る!6.大宰府天満宮!  文化財研修記

福岡県太宰府市宰府4−7−1には大宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)がある。ご存じの通り祭神は菅原道真公(清らかな誠心で今も人々の尊崇を集める天神様)で当代一流の学者であり、優れた政治家でもありました。その生涯は国家と天皇家のために命をかけ栄達を極めた一方で、57歳の時、時の左大臣藤原時平の讒言により大宰権帥に左遷となります。大宰府下向の跡は配所であった榎寺から一歩も出ることなく、約2年後、無実の罪が晴れることなく59歳で逝去しました。後に時平の讒言を知った朝廷は、菅公の名誉挽回に努め、正一位太政大臣を追贈。菅公は天満大自在天神として、人々の尊崇を集めるようになっていったのです。延喜19年(919)、左大臣藤原仲平が勅によって社殿造営を行いました。数度の炎上を経た天正19年(1591)に小早川隆景が再建します。五間社流造り、檜皮葺で、正面には唐破風状の向拝が付く、桃山時代の豪壮華麗な様式で、右には飛梅、左には皇后梅が配されています。現在国の重要文化財として指定されています。右に配される飛梅は、大宰府へ左遷された際に菅公を慕って一夜のうちに京から空を駆けてきたという伝承をもつご神木で、千年以上の時を経た今も毎年その清香の華を咲かせます。飛び梅ほか6000本も植えられている梅をはじめ、大樟や花菖蒲など、菅公を祀る境内は豊かな緑と花に包まれ、四季ごとに美しく彩られます。(神社HPより一部抜粋)

1.西鉄大宰府駅前から参道を見る!
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2.大宰府天満宮標柱と二の鳥居
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3.境内図
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4.延寿王院山門(非公開)
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5.同上 駒札(画像をクリックして頂くと拡大し、読めます)
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6.三の鳥居と太鼓橋
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7.太鼓橋
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8.太鼓橋から心字池を見る!
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9.下記をクリックして、「音声付動画」で太鼓橋周辺や心字池を見て下さい!
http://youtu.be/XqcO_TktX3s

10.2つの太鼓橋の間にある国重文の摂社の志賀社(長禄2年(1458)創建)
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11.第四の鳥居と楼門
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12.見事な手水舎
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13.見事な楼門と石灯籠
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14.見事な御神牛
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15.見事な国重文の御本殿
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16.本殿内にての特別参拝者
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17.本殿を横から見る!
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18.御神木の大榎
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2015/1/21

九州の文化財・史址を見る!5.筑前国の一之宮で日本三大八幡宮の一つ筥崎宮!  文化財研修記

福岡市東区箱崎1−22−1には筑前国(ちくぜんのくに)一之宮で、大分県の宇佐八幡宮、京都府の石清水八幡宮とともに日本三大八幡宮と呼ばれる筥崎宮(はこざきぐう)がある。勿論祭神は応神天皇、神后皇后、玉依姫命であり、延喜式神名帳に記載される式内社である。。創建の時期については諸説あり断定することは困難ですが、古録によれば、平安時代の中頃である延喜
21年(921)、醍醐(だいご)天皇が神勅により「敵国降伏」(てきこくこうふく)の宸筆(しんぴつ)を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(923)筑前大分(だいぶ)宮(穂波宮)より遷座したことになっております。創建後は祈りの場として朝野を問わず篤い崇敬を集めるとともに、海外との交流の門戸として重要な役割を果たしました。
 鎌倉中期、蒙古(もうこ)襲来(元寇)のおり、俗に云う神風が吹き未曾有の困難に打ち勝ったことから、厄除・勝運の神としても有名です。後世は足利尊氏、大内義隆、小早川隆景、豊臣秀吉など歴史に名だたる武将が参詣、武功・文教にすぐれた八幡大神の御神徳を仰ぎ筥崎宮は隆盛を辿りました。江戸時代には福岡藩初代藩主黒田長政、以下歴代藩主も崇敬を怠ることはありませんでした。明治以降は近代国家を目指す日本とともに有り、同18年には官幣中社に、大正3年には官幣大社に社格を進められ、近年では全国より崇敬を集めるとともに、玉取祭や放生会大祭などの福博の四季を彩る杜(もり)として広く親しまれています。一部神社HPを抜粋。

1.筥崎宮の長い参道
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2.一の鳥居
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3.一の鳥居をアップで見る!
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4.楼門を遠方より見る!
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5.大社 筥崎宮駒札(画像をクリックすると拡大し読めます。)
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6.駒札
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7.見事な手水舎
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8.湧出石!
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9.同上駒札
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10.御神木の筥松(画像をクリックすると拡大して読めます)
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11.楼門(楼門が拝殿となっています。この楼門は小早川隆景により文禄3年(1594)の造営です。見れない本殿と拝殿は大内義隆により天文15年(1546)に再建したものです。)
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12.楼門の中央の屋根をアップして見ます!
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13.楼門内の拝殿が見えます!
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14.境内には多くの境内社があります!
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15.筆塚
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16.木造亀山上皇御神象(銅像原型)総高612.4Cmもああり明治の木造彫刻としては最大です。ガラスで覆われているので反射して撮影は上手にできません。)
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17.同上 駒札(画像をクリックして拡大して読んで下さい。)
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18.御神木の大楠
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19.唐船塔など
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20同上 駒札(画像をクリックして頂くと拡大して読めます。)
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2015/1/19

九州の文化財・史址を見る!4.宗像三女神を祀る宗像大社!  文化財研修記

福岡県宗像市田島2331には宗像3女神を祀る宗像大社(むなかたたいしゃ)がある。宗像三女神は伊勢神宮・天照大神の御子神として誕生した三柱の女神で、お名前は田心姫神(たごりひめのかみ)、湍津姫神(たぎつひめのかみ)、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)の三姉妹の神様です。長女の田心姫神は玄界灘の孤島、沖ノ島・沖津宮に祀られており、次女の、湍津姫神は大島・中津宮に祀られ、 末女の市杵島姫神は宗像大社境内の辺津宮に祀られています。伝えられる伝承では日本神話に起源を持つという。天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけい)の際、天照大神の息から生まれたのが宗像三女神ということになっていて、彼女達は天照の勅命を奉じ皇孫を助けるため筑紫の宗像に降りこの地を治めるようになったのが起源とされている。宗像は『古事記』では胸形という字が当てられ、また胸肩、宗形とも表記されるが、元は水潟であったとする説もある。古くから海の神として信仰を集めてきたが、神功皇后が三韓征伐の際ここに航海の安全を祈り霊験があったといわれ、事あるごとに国に幣使を遣わす習いになったとされる。またこの逸話からは航海安全の守護神として崇められるようになった経緯がうかがえる。大化の改新(645)によって国郡の制が敷かれると、宗像一郡が神領として与えられ、豪族宗像氏が神主として神社に奉仕し、神郡の行政も司ることになった。在地豪族の胸肩君(むなかたのきみ宗方氏)の由緒を記した石碑によれば、宗像氏の当主が2代にわたって中国宗の商人の娘を正妻に迎えている。また胸肩君徳善(とくぜん)は娘の尼子姫を天武天皇の後宮に入れ、白雉5年(654)に二人の間に生まれた高市御子は壬申の乱(672)で父を助けて大勝利し、後に太政大臣に任ぜられる。鎌倉時代以降は武家の信奉も多く拝殿は戦国の知将・小早川隆景が天正16年(1590)に再建、杮(こけら)葺きの大屋根が美しい本殿は天正6年(1578)に宗方大宮司貞が再建したもの。筑前黒田氏などによる社殿の造修営、社領の寄進が伝えられている。
 秋季大祭は毎年10月1〜3日の辺津宮本殿での催しに先立って中津宮・沖津宮で神迎えの神事があり、漁船群の立てる色とりどりの旗や幟で海上神幸を行う(みあれ祭)。本殿では翁舞、風俗舞、流鏑馬、奉納相撲などが披露される。起源は平安時代にまで遡るといい、「放生会」と呼ぶこともある。七夕祭は 毎年旧暦7月7日夕刻時、筑前大島の中津宮末社で行われる。牽牛社・織女社というのがあり、その前に短冊を付けた竹笹を立てて技芸の上達を祈る。水に映る姿を見て男女の因縁を占う神事や、七夕揮毫大会も開かれる。

1.宗像大社標柱と大鳥居
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2.宗像大社駒札(画像をクリックして頂くと拡大して読めます)
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3.宗像大社の鳥居と10月3日の秋の祭り最終日で夕刻から賑やかになります!
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4.太鼓橋を渡る!
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5.同上
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6.神門
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7.大祭受付
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8.平成の大修理で仮拝殿で神事がおこなわあれます!
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9.国重文の本殿(写真はお借りしてきました。)
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10.第三宮、第二宮への参道
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11.同上
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12.御神木
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13.第三宮、第二宮
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14.下記をクリックして、「音声付動画」で宗像大社境内を見て下さい!
http://youtu.be/ehPFW3KUlaU


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2015/1/17

九州の文化財・史址を見る!3.豊前国の総鎮守の八坂神社!  文化財研修記

北九州市小倉北区城内2−2には、素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀る豊前国の総鎮守の八坂神社がある。祇園さま(すさのおのみこと)は九世紀頃には、既にここ、小倉の地に祀られておりました。 元和3年(1617)に丹後国(現在の京都府)から小倉の地に移ってきた細川忠興公が、改めて祇園社(のちの八坂神社)の社殿を 小倉・鋳物師町に創建しました。
忠興公が祇園社(のちの八坂神社)を建て直したきっかけは、ある日、城外に鷹狩りに出かけた忠興公は、小さな社を見つけ、祠の中にある御神体を覗き見ようとしました。杖でこじ開けようとしたところ、中から一羽の鷹が飛び出し、忠興公の目を蹴ったのです。失明同然になった忠興公は、神様に対して非礼を働いた神罰だと深く反省し、荘厳な社殿を建立したのでした。これによって忠興公の目も快癒したと伝えられています。
以後、八坂神社は変わることなく小倉城下の人々の信仰を集めてきました。 明治になり、祇園社から八坂神社へと名前が変わり、昭和6年に現在の小倉城内にご遷座されています。
又、小倉祇園祭りは7月の第3日曜日を挟んだ3日間行われるが、そのとき各町内の小倉祇園太鼓(福岡県民俗文化財)が打ち鳴らされ、市街地で豪快な響きを発しています。

1.八坂神社の大鳥居(花崗岩の一石から彫りだされている複架式の大鳥居高さ4.51Mもあり元和4年(1618)3月7日細川忠興の眼病平癒を祈願して家臣が奉納したと刻まれています。県指定文化財。)
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2.第2の鳥居
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3.楼門
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4.多くの摂社がありますが、その内の一つ、猿田彦社と駒札
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5.百度石と歌碑
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6.東の楼門
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7.三本松稲荷社
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8.神楽殿
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9.見事な拝殿を正面から見る!
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10.左側横から見る、右手が拝殿、真ん中が権殿、左手が本殿と格式が高い!
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2015/1/15

九州の文化財・史址を見る!2.「唐造り」と呼ばれる珍しい天守閣を持つ小倉城!  文化財研修記

北九州市小倉北区城内2−1には細川忠興が築城した関門海峡を望み九州の玄関口に位置する小倉城(こくらじょう)があります。永禄12年(1569)、中国地方の毛利氏が現在の小倉城のある場所に城を造り、慶長7年(1602)、細川忠興が今のような城を造りました。  関ヶ原の戦いで徳川方の武将として活躍した忠興は、小倉を中心に約39万9千石の土地を治めました。寛永9年(1632)、2代目藩主細川忠利は肥後国へ移り、変わって播磨国から譜代大名の小笠原忠宗が小倉に入国しました。細川忠興(1563〜1646)は、織田信長・豊臣秀吉につかえ、丹後国(京都府宮津市、舞鶴市)を与えられました。忠興の忠は、織田信忠(信長の子)の一字をもらって名付けられました。秀吉の死後、徳川家の家来となり、関ヶ原の戦いでも活躍し豊前一国と豊後の2郡を与えられ、最初に中津城を居城としたが小倉の方が領国の支配の条件に恵まれており新城を小倉に造りました。小倉藩主としては歌や茶を好み、海外貿易にも力を入れました。当時としては大変珍しい「唐造り」と呼ばれる5層6階(高さ29M)の天守閣の平城の小倉城をつくり、城下町小倉を賑わいのある町につくり上げました。小笠原家は関ヶ原の戦い以前から徳川家に仕えた譜代大名でした。小笠原忠真(1596〜1667)は、大阪の陣で徳川方として戦い、父と兄が戦死したため、小笠原家を継ぐことになりました。忠真の忠は、二代将軍徳川秀忠の一字をもらって名付けられました。小倉藩主としては、広寿山福聚寺を建てたり、中国から伝わった黄檗美術(書・絵など)を広めたりしました。

1.JR小倉駅
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2.小倉城(勝山城)(JR小倉駅より徒歩15分)
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3.小倉城駒札(画像をクリックして頂くと3000ピクセルの大画面で読めます。)
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4.下記をクリックして、「音声付動画」で小倉城を見て下さい!
http://youtu.be/drGq4Sf52Co

5.小倉城天守閣へ向かう!
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6.大手門跡
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7.槻門跡
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8.小倉城天守閣(修理工事で入場できず!)
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9.同上
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10同上
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11.中津口門の大石の駒札(画像をクリックして頂くと拡大して読めます!)
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12.細川石
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13.小笠原石
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2015/1/13

九州の文化財・史址を見る!1.下り路線のみにある壇ノ浦PAパーキングエリア!  文化財研修記

今回から「九州主として北部・西部の文化財・史址」を見てまわります。第一日目はJR京都駅を夜8時35分発の夜行バスで翌日朝6時から6時30分壇ノ浦PAに停車して、午前7時05分JR小倉駅到着でした。今回の記事は壇ノ浦PAです!壇之浦パーキングエリア
 所属路線は関門自動車道で本線標識の表記は壇之浦で起点からの距離は1.6Km(下関IC起点)◄下関IC (1.6Km)(1.4Km) めかりPA►供用開始日は昭和48年(1743)11月14日です。所在地は山口県下関市壇之浦町です。この壇之浦パーキングエリア(だんのうらパーキングエリア)は、山口県下関市壇之浦町の関門橋上(門司方面のみ)にあるパーキングエリアで下り路線のみにあります。関門海峡を眼下に望み、対岸には九州を見渡せる位置に設置されており、多くの車が休憩する。地形の関係もあって、本線の上り線側に施設が集約されているため、本線とは関門橋を一旦くぐる形で接続しており、エリアからは関門橋を見上げる形になる。24時間営業の売店やレストランが設置されている。これは、本州の対岸に位置するめかりPAについても同様である。ただし、この先の九州道古賀SAまでは、ガソリンスタンドがない。
 高速道路の関門橋は福岡県北九州市門司区に所属し、長さ1,068メートル、最大支間は712メートル、路線幅26メートル、高さ海綿状141メートル(主塔)もある鋼製の吊り橋です。

1.壇ノ浦PAから関門橋を見上げる!
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2.壇ノ浦PAから関門橋と関門海峡、壇ノ浦方面を見る!
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3.下記をクリックして、「音声付動画」で関門橋、関門海峡などを見て下さい!
http://youtu.be/o3nj_nlTuFw

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