2014/12/30

房総の文化財・史址を見る!36.石造りの大黒天で有名な成就寺!  文化財研修記

木更津市富士見1−9−17には法華宗単独寺院の満足山・成就院(じゅおうじゅじ)がある。
開創は応永33年(1426)2月8日鶴林院日運上人で、日運上人は日蓮聖人の立正安国論を携え、京都、鎌倉、武州、会津各地を巡錫、のち妙満寺第4世となり、晩年木更津に来て成就寺を開創した。第6世日勢上人は安房の国主里見義宣の弟である。師が里見家より持参の大黒天は今もなお福徳の相を示現している。また第4世日芙上人は、隣地購入により成就寺の経済基礎を確立して、中興開基の祖と仰がれている。(「木更津市史」より)

1.第一の山門
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2.庫裡
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3.見事な鐘楼
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4.忠魂碑と鐘供養塔
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5.歴代住職のお墓
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6.石造大黒天
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7.石造大黒天を中心とした七福神の浮彫
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2014/12/28

房総の文化財・史址を見る!35.歌舞伎「与話情浮名横櫛」で有名な「こうもりやすのお墓」のある選擇寺!  文化財研修記

木更津市中央1−5−6には浄土宗の選擇寺(せんちゃくじ)がある。上総の国で生まれた観誉祐崇(かんよゆうそう)上人が享徳3年(1454)に選擇寺と号しました。正しくは「鶏頭山西休院選擇寺(けいずさんさいきゅういんせんちゃくじ)」といいます。上人が初めてこの地で休まれたときの草庵が西休院と呼ばれていたことと、朝目を覚ました時に周囲の松の木の枝に鶏がとまり天高く鶏鳴を響かせた様子から、中国で有名な鶏頭摩寺(けいずまじ)という修行道場を思い起こし、この故事を偲んでこの山号と院号を持つようになりました。観誉祐崇上人は後に、鎌倉大本山光明寺第九代の法燈を継承した高僧で、後土御門天皇に宮中に招かれ浄土の法門をご進講されました。  法然上人の言葉では「選擇」とは選びとることの大切さを表わしています。
 人生において進路や職業を選ぶことや、生涯の伴侶を選ぶことは非常に難しいことですが、それ以上に沢山ある御仏の教えの中から本願の念仏・浄土の御教えを選びとられたという大切な意味が込められています。現在の本堂は、昭和5年に建立された鉄筋コンクリートの建造物で、平成12年2月に国指定の登録有形文化財に指定されています。大正12年の震災で被害を受けた本堂を、昭和初期に伝統的な木造建築の仏堂形態を正確にコンクリートで再現したことが評価されたものです。ご本尊は平安時代後期に慈覚大師円仁により作られた阿弥陀立像です。通常はお前立の阿弥陀仏、観音、勢至の三尊仏がお前立本尊としてご安置されています。本尊の阿弥陀如来像は等身大で厨子の中に安置されており、年に一度お十夜法要の際に開扉され拝むことができます。毎年8月16日に行われている「おえんま様ご縁日」は、古く江戸の時代より続くお盆の締めくくりの行事です。 歌舞伎「与話情浮名横櫛」の切られ与三朗の相棒として有名なこうもり安の墓が境内にあります。   本名を山口瀧蔵という木更津生まれのこの男は、美声の持ち主で花柳界の寵児と言われるほどでした。太股にこうもりの刺青を入れており、毎晩ふらふらと遊び回ることから通称こうもり安というあだながつけられました。

1.選擇寺標柱
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2.本堂(コンクリート製の建物ながら内部の和式の造り様式が認められ国の登録文化財です。)
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3.駒札
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4.元の本堂の大鬼瓦
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5.保科正重(徳川家光の異母弟の保科正之を養子にした義父)とその母の墓
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6.同上 駒札
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7.国登録文化財の本堂
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8.勢至丸さま(法然上人の幼児期の像)
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9.こうもり安の墓
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2014/12/26

房総の文化財・史址を見る!34.歌舞伎「与話情浮名横櫛」で有名な与三郎の墓のある光明寺!  文化財研修記

木更津市中央1−3−5には日蓮宗の吉祥山・光明寺がある。開創は建武2年(1335)4月4日日輪上人の創立です。日輪上人は池上本門寺第3世にて南総弘法の道場として本寺を開いた。南総七本寺のひとつである。現本堂は文政13年(1830)4月、東京、芝、日本榎の承教寺客殿で11間4面のものを間口8間半、奥行7間に取縮めて移築した。のち天保年間、明治30年、昭和6年に大改修、鐘楼堂は同39年、また同35年七面倒改築等で結構見るべきものがある。なお昭和47年本堂を前面改築す。(「木更津市史」より)
 境内に入り、奥へ行くと、お墓があります。その中に、歌舞伎「与話情浮名横櫛」(よわなさけうきなのよこぐし)の主人公「与三郎」のお墓があります。墓の脇には、歌舞伎の片岡仁左衛門と坂東玉三郎が立てた追善の塔婆もあります。

1.光明寺の山門
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2.山門を横から見る!
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3.鐘楼
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4.淨行菩薩
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5.七面堂
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6.本堂前の「舞鶴の松」(樹齢400年以上で鶴が舞う姿の倉松の大木)
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7.黒松の下の碑文(どうしても読めない!)
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8.見事な本堂
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9.本堂の扁額
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10.本堂内
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11.歌舞伎で有名な「切られ与三郎の墓」
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2014/12/24

房総の文化財・史址を見る!33.関東一の大神輿をもつ八剣八幡神社!  文化財研修記

千葉県木更津市富士見1丁目6−15には関東一の大御輿を持つ八剣八幡神社(やつるぎはちまんじんじゃ)がある。社伝によると往昔このあたり一帯の地を八剱の里と呼び、この里の神を八剱の神と称え、この神に仕えるはふりを八剱と申した。人皇第12代景行天皇の40年、日本武尊御東征の折り、相模国(神奈川県)より此の地に渡らんとするとき、浦賀沖で暴風雨に遭遇し御船が転覆寸前となった。そのとき妃橘姫が、「これ尊の相模の地より此の海を望み給ひて、これ小海なり、立跳りにも渡りつべし、とあさみ給ひしに依りて渡津海の神の怒り給ふなり」と海の神の怒りを静めようとして、尊の身代わりとなって御入水あそばれた。そのことにより、尊は無事に此の地にお着きになりましたが、姫の死を悼んでしばらく当社にご滞留になり、此の地を去ることをなさらなかったので、「君去らず」と呼ぶようになり、なまって現在の「木更津」になったと伝えられる。源頼朝鎌倉幕府開幕に当たり、神領を寄進して社殿を造営する。天正19年(1591)徳川家康公社領3石2斗を寄進せられ、御朱印の証を授与される。慶長19年(1614)大阪冬の陣が起こると木更津より多くの船頭が召出されて、向井忠勝、小浜光隆軍のもとで目覚しい働きをした。これも八剱八幡神社の霊験加護のたまものであるとして、特に当社の宮司らを駿府城内に招き、銅鳥1隻(指定文化財)と銀子を贈り神恩に感謝した。宝暦2年(1753)に木更津の大火に依り社殿焼失。安永2年(1774)に現社殿を再建。寛政9年(1890)に社殿修理を加える。大正3年に社殿の大改修をする。また、明治4年には郷社に列せられる。昭和55年の社殿改修に際しては、格天井装飾画(162枚、指定文化財)も復元され、現在は厄除・交通安全・初宮詣・七五三詣・商売繁盛・合格祈願・学業成就等の守護神として鎮座している。(神社HPより抜粋・加筆)

1.関東一の大神輿を持つ八剣八幡神社の夏祭りのパンフレット(毎年7月12日と13日)
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2.7月12日午後4時の神社の鳥居前
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3.賑やかな境内
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4.社務所
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5.見事な拝殿
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6.拝殿の扁額
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7.神社 駒札
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8.源頼朝公の巨大になった「お手植えの蘇鉄」
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9.同上 駒札
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10.神輿蔵(時間が合わず関東一の大神輿は見れなかった!)
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11.同上 駒札
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12.拝殿後部と本殿を見る!
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13.幣殿に続く本殿を横から見る!
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14.御神木
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15.三神神社(流造)
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16.同上 駒札
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17.祖神社(土蔵造)
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18.嶺田楓江寿碑
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19.同上 駒札
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2014/12/22

房総の文化財・史址を見る!32.木更津市の真言宗豊山派の古刹の長楽寺!  文化財研修記

千葉県木更津市請西(じょうさい)982には真言宗豊山派の古刹の長楽寺がある。長楽寺の創建年代等は不詳ながら、鎌倉時代の創建(自性院境内掲示)といい、永禄年間(1558〜15700)に請西本郷より当地へ移転、旧上総四本寺の一つだといい、近世には末寺を36ヶ寺擁する中本寺格の寺院だったといいます。昭和47年南総山君津寺を合併しています。
 初め稲荷山長國寺と称して請西本郷にあったものを、永禄年間に現在地へ移転したといわれる。明治18年海量僧正が大師堂を建立し、大正14年に海応僧正が、さきに震災で倒壊した客殿を再建した。昭和47年1月12日木更津市中央1-3-10所在の南総山君津寺を吸収合併した。君津寺は真言宗豊山派の所属で本尊は不動明王、明治元年12月再建。なお、明治30年(1897)8月17日海量僧正により無量山光徳寺、八幡山泉蔵寺を合併君津寺という。大正4年本堂を改築。(「木更津市史」より)

1.長楽寺入口(JR安房勝山からJRにて50分でJR木更津駅に至る。木更津駅から徒歩5分)
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2.駒札
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3.長楽寺標柱など
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4.石造り地蔵菩薩
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5.本堂
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6.本堂の扁額
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7.見事な大師堂
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8.同上 駒札
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9.五輪塔
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10.同上  駒札
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11.見事な五輪塔群
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12.寺の裏の庭園  1.
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13.同上      2.
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14.下記をクリックして、「音声付動画」で長楽寺の庭園を見て下さい!
http://youtu.be/ZhUTWPqM2nk

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2014/12/20

房総の文化財・史址を見る!31.源頼朝安房国上陸地!  文化財研修記

千葉県安房郡鋸南町(きょなんちょう)竜島165−1の竜島海岸には「源頼朝上陸地」がある。治承4年(1180)、伊豆国で挙兵した源頼朝は、目代の山木兼隆を討ち相模国へ進軍するが、石橋山で大庭景親・伊東祐親らの平氏軍に敗れ、山中を逃亡の上、真鶴岬から安房国へと船出した。上陸したのは、安房国の平北群猟島。現在の鋸南町竜島辺りと伝えられている。従っていたのは、安達盛長、岡崎義実、新開忠氏、土屋宗遠、土肥実平、田代信綱。湯河原町城願寺には、真鶴岬から船出した頼朝主従七騎の伝説が残されている。『吾妻鏡』によれば、治承4年(1180)8月28日、源頼朝は、土肥実平の命により用意された小舟で真鶴岬から安房国へ向かった。翌29日、安房国の平北群猟島に舟を着け、先に到着していた北条時政らが迎えたという。頼朝が船出する前日、北条時政、北条義時,、岡崎義実らも船出していた云われている。
  石橋山の戦いから船出までの間には、三浦義明の衣笠城が畠山重忠・河越重頼・江戸重長によって攻められ、義明が討死した(衣笠合戦)。義明の子義澄ら三浦一族は城を逃れ、海路安房へと向かい源頼朝と合流している。このとき和田義盛は頼朝に「侍所の別当」にしてくれるよう頼み皆を笑わせたという。

1.JR安房勝山駅(JR館山駅からJRで16分で到着。バスも無いのでタクシーで源頼朝上陸地へ行き、待たせて撮影し、再びJR安房勝山駅え帰る。タクシー代870円)
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2.竜島の海岸には「源頼朝上陸地」碑がある。
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3.鋸南町教育委員会が昭和55年建設の碑
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4.同上 駒札
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5.下記をクリックして、「音声付動画」で竜島海岸の源頼朝上陸地近辺を見て下さい!
http://youtu.be/dUzbS4Nun58

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2014/12/18

房総の文化財・史址を見る!30.南総里見八犬伝として有名な館山城!  文化財研修記

千葉県館山市上真倉2177には館山城址がある。天正6年(1578)、安房岡本城に居城していた里見義頼が重臣に築城を命じ、天正8年(1580)には城番を置いたという。その子義康が天正16年(1588)年に大規模な改修を行い、天正18年(1590)に完成した。この年の小田原の役で、里見義康は三浦半島・鎌倉方面に進軍したが、この行為が豊臣秀吉に「関東惣無事令」違反として、また参陣が遅れたことを咎められ、上総を没収され、安房一国のみを安堵される。慶長5年(1600)年の関ヶ原の役では徳川家康の東軍に属して宇都宮を守った功により、鹿島3万石を加増された。この頃には城山周辺に惣構えの工事を行い、鹿島領民が担当した堀は「鹿島堀」と呼ばれた。しかし、慶長19年(1614)の大久保忠隣事件で、忠隣の孫娘を室にしていた里見忠義は嫌疑をかけられ、結局城の無断改修と召抱えの家臣が多すぎることなどを理由に安房9万2千石を没収、鹿島3万石の替え地として伯耆国倉吉に事実上の配流となった。忠義は倉吉の地で失意のうちに死去し、里見氏は途絶えた。このとき殉死した八人の忠臣の遺骨が密かに館山に持ち帰られ、城山の地に葬られた。滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」はこの八人の忠臣をモデルにしたと言われる。

1.JR館山駅(此処からバスで15分190円、徒歩で5分で城山公園に至る。)
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2.城山公園前で下車、そこから見る館山城(里見氏ゆかりの地のシンボルとして昭和58年に建設された館山城(館山市立博物館別館)
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3.徒歩5分の所で見る館山城
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4.城山公園案内図
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5.小高い丘の上にある館山城への途中には浅間神社がある。
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6.同上 駒札
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7.館山城(八犬伝博物館)の全景を見る!
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8.館山市史跡「館山城跡」
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9.天守閣をアップして見る!
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10.下記をクリックして、「音声付動画」で館山城や館山航空隊基地を見て下さい!
http://youtu.be/2fF6KfbkW5Q

11.関東の富士見100景の一つの場所ですが、今回は富士山は見れなかった。
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12.城内は南総里見八犬伝の関連の写真等が数多く展示されていますが、撮影禁止です!
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13.天守閣の展望台から館山市内を見る!
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14.下記をクリックして、「音声付動画」で天守閣からの風景を見て下さい!
http://youtu.be/SfWyuKbgpmg

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2014/12/16

房総の文化財・史址を見る!29.安房一之宮で延喜式内社の安房神社!  文化財研修記

千葉県館山市大神宮589には安房一宮で延喜式内社である安房神社(あわじんじゃ)がある。
四国阿波(あわ)の忌部(いんべ)氏を率いてこの地に上陸したという天富命(あめのとみのみこと)祖先である天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祀っています。は天太玉命 (あめのふとだまのみこと) 日本の全ての産業創始の神であります。「延喜式」神名帳には「安房坐神社(あわにいますじんじゃ)」と記され、古代では伊勢神宮、出雲大社、鹿島神宮、香取神宮などとともに神郡におかれた8社のうちの一つです。安房神社の創始は今から2670年以上も前に遡り、神武天皇が即位になられた皇紀元年(西暦紀元660年)とも伝えられています。時代が下がり養老元年(717)にになると吾谷山(あづちやま)の麓である現在地に安房神社が遷座され、それに伴い天富命と天忍日命(あめのおしひのみこと、天太玉命の兄弟神)を祀る「下社」の社殿も併せて造営されました。平安時代には「延喜式」の「神名帳」に記載された式内社となり、その中でも特に霊験著しい明神大社(みょうじんたいしゃ)として国家から手厚い祭祀を受け、「安房一之宮」として広く一般庶民からも崇敬をうけました。(参考文献:安房神社HP)

1.安房白浜行バスに乗車(JR館山駅発バスで所要20分、片道480円)大神宮前下車!
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2.大神宮橋を徒歩で渡たる!
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3.石の大鳥居(徒歩15分)
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4.安房神社境内図(広大な境内です!)
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5.御手洗池
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6.御神木の巨大な槇!
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7.二の鳥居
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8.神社駒札
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9.上の宮の拝殿
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10.洞窟の摂社・厳島神社
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11.見事な上の宮の拝殿
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12.拝殿の特別参拝の内陣
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13.上の宮の拝殿後部と本殿を見る!
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14.御仮屋
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15.拝殿後部と本殿を見る!
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16.本殿を横から見る!(本殿の撮影が難しい!)
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17.安房神社の下の宮を見る!
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18.下の宮(天富命を祀る!)
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19.下の宮拝殿内陣
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2014/12/14

房総の文化財・史址を見る!28.安房鴨川の仁右衛門島とチサンリゾート鴨川!  文化財研修記

千葉県鴨川市太海(ふとみ)浜445には県名勝の「仁右衛門島(にえもんじま)がある。仁右衛門島は太平洋にある島で全島砂岩よりなる。千葉県鴨川市太海の沖合約200メートルにあり、周囲約4キロメートルの千葉県でもっとも大きな島で個人所有で源頼朝や日蓮の伝説で知られる。千葉県指定名勝で新日本百景にも選ばれている。島主である平野仁右衛門の名に因み、この名前になったといわれている。夏涼しく冬暖かい風光明媚な自然の楽園。金銀針茄子(キンギンハリナス)という珍しい植物もみられる。島の南側は荒々しい海岸線がみられ、自然の防波堤の役割も果たしている。代々島主は平野仁右衛門を名乗り、現在の島主が推定で38代目です。治承4年(1180)、石橋山の戦いに敗れた源頼朝が安房に逃れた際、平野仁右衛門に助けられ、この島で平家軍から一時身を隠し、巻き返しを図ったと言い伝えられる。現在に至るまで平野仁右衛門一族がこの島を守り伝えている。島の東部には日蓮上人が朝日を拝したと伝えられる神楽岩や石橋山の戦に敗れた源頼朝が、夜襲を避けて潜伏したとされる洞窟があり、正一位福女稲荷大明神が祀られている。しかし、この伝承は資料に乏しく、『仇討ち事件と房総のアワビ漁』(北総ふるさと文庫)よると、花房藩の資料に平野家は江戸時代に和泉の国から太海の地にやってきたという記述があり、事実は判然とせず、あくまでも伝説である。現在の平野家家屋は、宝永元年(1704年)に建て直されたとされたもので、観光客に公開されている。

1.最寄駅のJR太海(ふとみ)駅(JR内房線でJR安房小湊から安房鴨川乗り換えで約30分、但し、無人駅でタクシーも無かった!)
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2.荷物をガラゴロと引っ張って15分、仁右衛門島の案内看板が見えて来た!
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3.今夜、宿泊のチサンリゾート鴨川ホテルに荷物を預けて仁右衛門島へ向かう!
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4.港の渡船場は時間が遅くて、渡船は無しで諦める!
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5.これが仁右衛門島です!
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6.諦めて、チサンリゾート鴨川ホテルへチェクインする!
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7.部屋は最上階に近い5階でこのホテルは全てシーサイドビューです!
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8.同上   2.   値段も2食付ツインのシングルユースで12,500円と安い!
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9.同上   3.   但し、部屋には専属の風呂が無く3つの大浴場の利用となります。
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2014/12/12

房総の文化財・史址を見る!27.日蓮上人誕生の地に建てられた大本山・誕生寺2−2!  文化財研修記

千葉県鴨川市小湊183には日蓮上人誕生の地として日蓮宗大本山の誕生寺(たんじょうじ)がある。日蓮聖人は、貞応元年(1222)2月16日、小湊片海の地に降誕した。 その時、庭先から泉が湧き出し産湯に使った「誕生水」、 時ならぬ時に浜辺に青蓮華が咲いた「蓮華ケ渕」、 海面に大小の鯛の群れが集まった「妙の浦」という不思議な「三奇端」が伝えられている。
 聖人は幼名を善日麿といい12歳までこの地で暮らした。 文永元年(1264)聖人は母梅菊の病を祈願し蘇生させる。 延命した母梅菊はそれを記念し、「菩薩荘厳堂」を創建。 その後直弟子日家上人が建治2年(1276)10月、聖人生家跡に一宇を建立し 高光山日蓮誕生寺と称したのが当山の始まりである。明応7年(1498)、元禄16年(1703)の2度の大地震、大津波の天災にあい、その後現在の地に移る。 26代日孝上人は水戸家の外護を得て七堂伽藍を再興し、小湊山誕生寺と改称す。しかし、宝暦8年(1758)の大火により仁王門を残し全山を焼失。 49代日闡上人が弘化3年(1846)現在の祖師堂を再建し、当時関東随一と称された。
 また、国守里見家、正木家より御朱印を賜る。 明治に入り大正天皇御幼少時、病弱の為病気平癒の御祈願を行った。昭和から平成にかけて、50万人講を発願し諸堂を復興し、平成4年5月落慶式を行う。 現在日蓮宗の大本山として全国信徒の参拝の地となっている。(誕生寺HPを抜粋)

1.見事な鐘楼
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2.祖師堂への参道
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3.祖師堂(正面から撮ると松並木が入ります。)
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4.忠霊塔
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5.見事な手水舎
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6.見事な本堂(全く巨大です。横からの写真も見て下さい!)
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7.本堂手前の淨行堂
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8.本堂正面をアップで撮影(見事な彫刻です!)
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9.巨大な本堂を横から見ます!
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10.日蓮上人御幼少像
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