2014/11/30

房総の文化財・史址を見る!21.利根川河口の銚子港の歴史を誇る大新旅館!  文化財研修記

千葉県銚子市中央町10−27には「国際観光旅館・銚子市利根川畔の大新旅館」がある。銚子に行ったらここに泊まろうと決めていた。小生は江戸が17世紀世界にまれなる100万都市となって以来「下りもの」(京、大阪)から送られてくる薄口醤油や魚介類や着物類をそう呼んでいた。そこで大都会江戸の人口に見合うだけの産物を江戸近郊で造り上げる必要があった。銚子における濃口醤油がまず、出来た!又遅れていた漁業が次いで紀伊半島からこの利根川河口に来て紀州漁方を教えたという。この大新旅館もこの銚子に来て「網元」として漁業と教えて又宿泊事業も始めた。この国際観光旅館は日本政府が明治時代に外国人を受け入れる必要があり、明治政府が認定したのが始まりである。大新旅館の創業は正保2年(1645)である。又明治31年4月2日夕暮れの銚子駅に一人の若い男が降り立った。折からの春雨の中を「大新」に向かって急ぐその男こそ,やがて「落梅集」として発表する26歳の島崎藤村であった。銚子は昔から人の心をひきつけやまない魅力があり、「利根川大海に流れ込むところを一目見たい」との願望から旅立った島崎藤村も竹久夢二もこの旅館に宿泊して、新鮮な魚介にお舌鼓を打ったのでしょう!又東京の各大学のボート部も利根川はボートの遠漕に最適で河口に位置するこの宿を合宿場所として利用して来た。銚子遠漕の”かぞえうた”には、♪十と出たホイのホイ 遠い旅路をつつがなく ホイホイ 今宵 大新 飲み明かす・・・・とうたわれてきた。大変面白く楽しい大女将との話で大変美味しい酒と魚介が楽しめた!

1.国際観光旅館・大新の表札
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2.大新玄関口(勿論、銚子犬吠崎には新しいコンクリートの建てのHotel ニュー大新もできています。)
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3.部屋から内庭を見る!
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4.食堂に飾られている正保2年(1645)創業の緞帳
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5.素晴らしく新鮮な魚介類の朝食(夕食撮影漏れでした!吃驚の内容でした!)
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6.一人で10畳の間を占有(夜間台風が通過するので、若女将が枕元に懐中電灯を置いてくれた!白河夜船で台風の通過は覚えていませんでした。1泊2食付オール込11,500円のみ。)
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2014/11/28

房総の文化財・史址見る!20.阿倍野清明所縁の銚子の川口神社!  文化財研修記

千葉県銚子市川口町2−6378には 社伝によれば、寛和2年(986)の創建で、祭神は速秋津姫命(ハヤアキツヒメ)を祀る川口神社がある。ハヤアキツヒメは、普通、ハヤアキツヒコとセットで、「古事記」では「水戸神」、「日本書紀」の一書では「水門の神」と記し、「みなとのかみ」即ち、港の神であるという。また、港は多く河口に造られたため河口の神でもあり、穢れを川に流すところから祓除の神ともされるらしい。 銚子市に残る安倍晴明伝説によれば、晴明の偽計によって、晴明が死んだと悲観した延命姫は屏風ヶ浦の崖から海に身を投げ、その遺体は粉々に砕けてしまった。延命姫の歯と櫛だけが現・銚子市川口に流れ着いた(川口には「千人塚」があり、海難漁民慰霊塔が建立されている。かつては、銚子付近の海で遭難すると、川口に遺体が流れ着いたという。)。この歯と櫛を丘に埋めて延命姫の霊を祀り、「歯櫛明神(はくしみょうじん)」と称した。これが、いつしか「白紙明神」と呼ばれるようになり、明治3年に現在の「川口神社」と改称したという。こうした伝承から、櫛や鏡を奉納して祈願すると美人になるといわれ、また、当神社が頒布する「白粉」をつけるとアザが消えるとされていたようだ。もちろん、銚子港を見下ろす立地からして、銚子の漁民からも信仰が篤かった。有名な「銚子大漁節」にも「九つとせ この浦守る川口の 明神御利益あらわせる この大漁船」と詠われている。
さて、それにしても「銚子の安倍晴明伝説」が不思議なのは、わざわざ主人公を陰陽師・安倍晴明にしながら、全く陰陽師らしいことはしていないことである。騙されて死んだ延命姫の亡霊が怨念・妄執をもって晴明を襲い、これを晴明が呪術をもって鎮める・・・というのなら、それらしいのだが、単なる延命姫の悲恋物語で終わっている。また、晴明が銚子に来た理由は「花山天皇の失脚に身の危険を感じて」ということだったが、このとき寛和2年(986))、晴明は(通説によれば)既に65歳くらいである。京都を離れたという記録はなく、寧ろ翌年には一条天皇のために反閇を奉仕したという資料がある。そもそも、晴明が陰陽師としての活躍が目立つようになるのは、一条天皇や藤原道長の信頼を得たことによるもののようである。安倍晴明を主人公とする伝説は全国各地にあり、その多くは後世、在野の陰陽師の活動によって発生したものだろう。

1.二の鳥居
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2.一の鳥居を見下ろす!
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3.石段参道を登る!
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4.漸く拝殿が見えてくる!
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5.石段参道の両側には碑文や石仏が多数あります。
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6.同上
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7.同上
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8.手水舎
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9.こんこんと湧き出る御神水!
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10.拝殿
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11.関東では7月の第2土・日曜日が夏の大祭が多く、川口神社でも宵宮神事が行われていました!
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12.同上
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13.拝殿後部から本殿を見ます!
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14.御神輿も準備されています!
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2014/11/26

房総の文化財・史址を見る!19.源義経が弁慶や他のお供と参拝して白い旗を残したという白幡神社!  文化財研修記

千葉県銚子市中央町8−19には源義経公が弁慶・亀井六郎をお供に参拝し、白い旗(幡)を残したという白幡神社(しろはたじんじゃ)の伝説から来ています。白幡神社の祭神は、味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)といい、父である大国主命の国造(くにつくり)の事業を助け、諸国を巡り土地を開き農民に耕作の道を教えた「開拓の神」とされています。境内には他に出雲神社と庚申神社(こうしんじんじゃ)が祀られています。白幡神社の東隣には出雲神社があります。出雲神社は、島根県出雲市にある出雲大社の分社で、因幡の白兎で知られる大国主命が祀られています。白幡神社と出雲神社の間に、庚申神社があります。以前は石社でしたが、現在ではそれを覆う形で木造の神殿が建てられています。この庚申神社の基となっている庚申信仰とは60日に一度巡って来る庚申(かのえさる)の日の夕方4時から次の日の朝4時までの間、人間が寝ている時に体の中にいる3匹の虫(三尸(さんし)が天に上り、その人の罪悪を天の神様に告げ、それにより命を縮めるという道教の信仰から来ています。この為、人々は庚申の日に悪事を告げ口されないように一晩中起きていたというとても庶民的な信仰です。これを“庚申待ち”或いは“守庚申”(しゅこうしん)といいます。庚申神社の裏手には庚申塔群をみることが出来ます。まず、見ざる聞かざる言わざるといういわゆる三猿を彫った塔で、延宝8年(1680)と彫られていることから、銚子で一番古い庚申塔だと考えられています。この庚申塔の裏側には荒野村の町割りが延宝2(1674)に始まって翌年の延宝3年(1675)に終了した。)と彫られており、銚子の歴史を知る上での貴重な金石文(きんせきぶん)となっています。また、仏様があまのじゃくを足で抑え付けている庚申塔や明和3年(1766)に建てられた大青面金剛童子(だいしょうめんこんごうどうじ)が彫ってある庚申塔で、奥州石之巻(宮城県石巻市)の船頭他乗組員が建てたことが彫られているものなどがあります。  白幡神社のもう一つの見所は、本殿の左右にある「金歯の狛犬」です。時代はわかりませんが、氏子の歯科医が遊び心で金歯にしたと言われています。  白幡神社には、かつて醤油蔵で働く人々が力比べをしたと思われる重さ60貫もある力石と呼ばれる石もあります。この石には、当時持ち上げることが出来た人や力比べ大会の世話人の名前も彫られています。
 
1.白幡神社の鳥居 
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2.手水舎
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3.見事な拝殿
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4.拝殿内陣には神輿が祀られている珍しい拝殿です!
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5.右側から拝殿後部と回廊と本殿を見ます!
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6.回廊と本殿
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7.本殿右側の庚申神社
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8.珍しい形の出雲神社
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9.本殿後部にある石仏群など
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2014/11/24

房総の文化財・史址を見る!18.銚子市海上郡60余郷の総社・海上八幡宮!  文化財研修記

銚子市柴崎町1−7には八幡大神・比売大神・神功皇后を祀る海上八幡宮(うなかみはちまんぐう)がある。旧郷社で海上郡60余郷の総鎮守総鎮守・総社八幡として崇敬されている。
総社八幡宮・柴崎八幡宮とも呼ばれている。大同22年(807)8月1日に白鷺がしきりと鳴き、空中から八幡大菩薩の尊像を落としたことから、芝野の上に青竹5本を宮の形に結んで、尊像を祀ったことに始まるとも、宇佐八幡を勧請したとも伝わる古社である。
治承4年(1180)に現在地に遷座。もともとは堀内と称していた当地であったが、尊像を芝の上に祀ったことから芝崎と称するようになったという。現在の本殿は天和3年(1683)の建立。江戸時代前期を象徴する三間社流造として、千葉県の有形文化財に指定されている。文化財指定後に茅葺きを銅板葺きにふきかえ、解体調査が4年にわたっておこなわれ、本殿を建築当初の姿に戻すために拝殿と本殿を結ぶ幣殿を改築し、拝殿も前に移築するなど大がかりな修復が行われ平成15年に現在の姿となる。海上八幡宮では、旧暦の8月15日(現在の9月24日前後)に祭礼があり、「お的式」と呼ばれる流鏑馬が奉納されている。
また、一の鳥居から続く桜並木は、例年人々の目を楽しませている。

1.JR佐原駅(大分台風の影響で風が強くなった)佐原から松岸駅までJRで40分!
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2.JR成田線の小見川駅(利根川沿いに銚子に向かっている。)
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3.JR成田線松岸駅からタクシーを貸し切って見学開始(台風避けに!)海上八幡宮(うなかみはちまんぐう)鳥居
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4.拝殿に向かって左側には巨大な平和記念碑がある!
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5.他にも巨大な記念碑があるが「神輿蔵建造記念」位で内容は良く読めない!
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6.巨大な御神木
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7.手水舎
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8.拝殿正面
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9.神社駒札
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10.拝殿と後部の見事な県指定文化財の本殿
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11.本殿を後ろから見る!見事な江戸時代創建のものだ(平成15年解体修理されているのがわかる。)
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12.左側から拝殿と本殿を見る!
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2014/11/22

房総の文化財・史址を見る!17.小江戸・佐原の諏訪神社!  文化財研修記

千葉県香取市佐原イ1020には建御名方神(たけみなかたのかみ)を祀る諏訪神社があります。当社御祭神は大国主命の御子にして父神と共に日本建国創業の昔土地を拓き荒ぶるものどもを平定し医薬を施し民衆をご神徳により導くなど、国土の経営民主の安定にご功績のあった神であります。遠き昔より産業開拓の神、知徳の神として又近年進学の神様としても、尊崇されております。天慶の乱に大神惟季なるもの伊予国に藤原純友を伐った功績により下総国大須賀荘領主に任ぜられ領内鎮護の神として信濃国諏訪大社より勧請その後20余代を経て天正年間領内の農民を率い佐原を開発するに際し奉遷守神と仰いだものであります。現在の社殿は嘉永6年嘉永6年(1853)に再建されたものです。又、御例祭及神幸祭佐原の大祭として毎年10月第2土曜日を中日として、前後3日間行われます。その際、山車が14台も出る佐原の秋の大祭です。

1.諏訪神社の一の鳥居
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2.14の山車の一基の蔵
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3.同上 駒札
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4.二の大鳥居
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5.参道
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6.石段参道
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7.拝殿がやっと見えてくる!
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8.神社の駒札
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9.拝殿正面
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10.左側から拝殿と本殿横を見る!
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11.見事な本殿横側です!
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12.巨大な御神木です!
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13.拝殿前から摂社琴平神社、松尾神社、市守社を見下ろす!
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2014/11/20

房総の文化財・史址を見る!16.小江戸佐原の法界寺を見る!  文化財研修記

香取市佐原イ1057には山号を理智山と呼ぶ浄土宗の法界寺(ほうかいじ)(照徳院とも呼ぶ)がある。天正11年(1583)開創と伝えられるが、現在の本堂伽藍は7間四面で1,000坪で享保元年(1716)より5年の歳月を要し建立された。 墓域内には佐原開拓者の一人、小井戸貞恒・儒者葛井文哉・侠客佐原の喜三郎こと本郷喜三郎・昌平讐に学び神童と言われた渡辺徳蔵らの墓碑および墓石がある。 梵鐘は本堂裏手の山腹の鐘楼にかかっており、作者は芸術院会員で、文化勲章を受賞された鋳金家・香取秀真氏と令息正彦氏である。秀真氏は子規門下の歌人としてもまた著名である。さらに当地より徒歩10分の所に「乳出し不動」ともいわれる奥の院・清水不動尊がある。また、当山の第12・13世の頃に相当する宝暦年間、阿弥陀如来を安置する近在の48箇所の寺院を巡礼して歩く、いわゆる阿弥陀様の「札打ち」が勧請創設され、現在もなお連綿として絶えることなく、年中行事の一つとして行われている。寺院HPより抜粋。

1.法界寺標柱と山門
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2.見事な山門の扁額「理智山」
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3.見事な本堂です!
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4.呑龍堂
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5.本堂前の見事な湧水の池
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6.本堂前の地蔵像など
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7.浮彫の阿弥陀三尊像
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8.見事な蘇鉄の庭と庫裡
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2014/11/18

房総の文化財・史址を見る!15.小江戸佐原の伊能忠敬旧宅などを見る!  文化財研修記

千葉県香取市佐原は小江戸佐原とも呼ばれている。ここには江戸時代、日本国中を測量してまわり、初めて実測による日本地図を完成させた伊能忠敬(いのう旧宅があります。忠敬は、延享2年(1745)現在の千葉県九十九里町で生まれ、横芝光町で青年時代を過ごし、伊能家は、代々名主を務める家柄で佐原でも最も有力な商人でした。忠敬は、17歳で伊能家10代目当主として婿養子で迎えられます。家業は主に酒造業を営んでおり、当時の屋敷絵図には、酒蔵がいくつも並び盛んであったことがわかります。忠敬は17歳で伊能家当主となり、佐原で家業のほか村のため名主や村方後見として活躍します。その後、家督を譲り隠居して勘解由と名乗り50歳で江戸に出て、55歳(寛政12年、1800)から71歳(文化13年、1816)まで10回にわたり測量を行いました。その結果完成した地図は、極めて精度の高いもので、ヨーロッパにおいて高く評価され、明治以降国内の基本図の一翼を担いました。現在は、店舗・正門・書院・土蔵が国指定史跡に昭和5年4月25に指定されています。また旧宅敷地内には、江戸時代につくられた農業用水路の一部が残っています。かつてここを流れた水が小野川に流れ落ちジャージャーと音がしたことから、樋橋のことを通称ジャージャー橋と呼ばれています。現在は、当時の様子を復元して、30分ごとに水が流れるようになっています。


1.小野川前の伊能忠敬の旧宅標柱と樋橋
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2.伊能忠敬旧宅(国史跡)(残念ながら修復工事で入館できませんでした。)
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3.樋橋の駒札
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4.小野川乗船場(水郷佐原12橋めぐりは台風で中止で残念!)
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5.小野川の樋橋から反対の北側を見る!
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6.伊能忠敬像と象限儀のオブジュエ
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7.伊能忠敬像横にある「一等水準点」
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8.伊能忠敬画像
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2014/11/16

房総の文化財・史址を見る!14.下総の一之宮・香取神宮2−2!  文化財研修記

千葉県香取市香取1697には神代の神・ 経津主大神(ふつぬしのおおかみ)又の御名は伊波比主命(いはひぬしのみこと)を祀る下総一之宮・香取神宮がある。内容は、はるか昔、天照大神(伊勢神宮・内宮の御祭神)が日本の国を治めようとしましたが、荒ぶる神々が争い、乱れていました。 大御神は八百万神に相談すると、天穂日命(あめのほひのみこと)がすぐれた神であるということで遣わされましたが、  出雲国の大国主神(おおくにぬ しのかみ)に従ってしまったので、次に天稚彦(あめのわかひこ)が遣わされました。 天稚彦もまた忠誠の心なく、 顯國玉神(うつしくにたまのかみ)の娘の下照姫(したてるひめ)を妻として、自ずから国を乗っ取ろうとしましたが、亡くなってしまいました。このようなことが二度つづいたので、大御神が八百万神に慎重に相談させると、神々が口を揃えて、経津主神こそふさわしいと申し上げました。 そこへ武甕槌大神(たけみかづちのかみ・鹿島神宮の御祭神)が申し出られたので、 共に出雲に派遣されることになりました。経津主、武甕槌の二神は出雲国の稲佐の小汀(いなさのおはま)に着いて十握剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さに突き立て、武威を示されると 大国主神は大御神の御命令に全く異議はありませんということで、平国の広矛(くにむけのひろほこ)を受け取り、二神は日本の国を平定して、大御神の元へ復命されたのです。古くから国家鎮護の神として皇室からの御崇敬が最も篤く。特に『神宮』の御称号(明治以前には伊勢・香取・鹿島のみ)を以て奉祀されており、中世以降は下総国の一宮、明治以後の社格制では官幣大社に列し、昭和17年、勅祭社に治定され今日に至っています。奈良の春日大社、宮城の鹽竈神社を始めとして、香取大神を御祭神とする神社は全国各地に及んでいて、広く尊崇をあつめています。
 一般からは家内安全、産業(農業・商工業)指導の神、海上守護、心願成就、縁結、安産の神として深く信仰されています。さらに、その武徳は平和・外交の祖神として、勝運、交通 安全、災難除けの神としても有名です。午年ごとに行われる式年神幸祭は毎年4月15日に行われておりますが、12年に一度の午年には15・16日の2日間に渡って神事が行われます。

1.楼門から見事な拝殿を見る!
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2.拝殿前の大正天皇御手植松
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3.見事な拝殿
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4.見事な拝殿内陣
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5.見事な拝殿を左側から見る!
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6.拝殿と後部の国重文の本殿の一部を見る!
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7.練習艦・香取の碇
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8.神饌殿(神様の食事をお供えする神殿)
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9.国重文の本殿の一部を左側から見る!
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10.旧拝殿で現在祈祷殿(千葉県指定文化財)
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11.国重文の本殿を右側から見る!
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12.数多くの摂社の一つ鹿島神宮社!
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13.御神木
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14.黄門櫻
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15.庭園の一部
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16.千葉県指定史跡の駒札
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16.剣聖・飯篠長威斉のお墓の標柱
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17.要石
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2014/11/14

房総の文化財・史址を見る!13.下総一之宮・香取神宮2−1!  文化財研修記

千葉県香取市香取1697には神代の神・ 経津主大神(ふつぬしのおおかみ)又の御名は伊波比主命(いはひぬしのみこと)を祀る下総一之宮・香取神宮がある。内容は、はるか昔、天照大神(伊勢神宮・内宮の御祭神)が日本の国を治めようとしましたが、荒ぶる神々が争い、乱れていました。 大御神は八百万神に相談すると、天穂日命(あめのほひのみこと)がすぐれた神であるということで遣わされましたが、  出雲国の大国主神(おおくにぬ しのかみ)に従ってしまったので、次に天稚彦(あめのわかひこ)が遣わされました。 天稚彦もまた忠誠の心なく、 顯國玉神(うつしくにたまのかみ)の娘の下照姫(したてるひめ)を妻として、自ずから国を乗っ取ろうとしましたが、亡くなってしまいました。このようなことが二度つづいたので、大御神が八百万神に慎重に相談させると、神々が口を揃えて、経津主神こそふさわしいと申し上げました。 そこへ武甕槌大神(たけみかづちのかみ・鹿島神宮の御祭神)が申し出られたので、 共に出雲に派遣されることになりました。経津主、武甕槌の二神は出雲国の稲佐の小汀(いなさのおはま)に着いて十握剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さに突き立て、武威を示されると 大国主神は大御神の御命令に全く異議はありませんということで、平国の広矛(くにむけのひろほこ)を受け取り、二神は日本の国を平定して、大御神の元へ復命されたのです。古くから国家鎮護の神として皇室からの御崇敬が最も篤く。特に『神宮』の御称号(明治以前には伊勢・香取・鹿島のみ)を以て奉祀されており、中世以降は下総国の一宮、明治以後の社格制では官幣大社に列し、昭和17年、勅祭社に治定され今日に至っています。奈良の春日大社、宮城の鹽竈神社を始めとして、香取大神を御祭神とする神社は全国各地に及んでいて、広く尊崇をあつめています。
 一般からは家内安全、産業(農業・商工業)指導の神、海上守護、心願成就、縁結、安産の神として深く信仰されています。さらに、その武徳は平和・外交の祖神として、勝運、交通 安全、災難除けの神としても有名です。午年ごとに行われる式年神幸祭は毎年4月15日に行われておりますが、12年に一度の午年には15・16日の2日間に渡って神事が行われます。

1.JR鹿島神宮駅発11:32
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2.大河の利根川を越えるとそこはもう下総・千葉県です!
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3.大昔、いたこの川船に乗ったことがあります。歌で有名ですね!
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4.佐原駅11;53着、乗り合いバスは日祝のみで、タクシーで15分1,500円で香取神宮へ到着。一の鳥居をタクシー内から撮影!
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5.香取神宮前到着!土産物屋が多い!
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6.朱の二の鳥居が見えてくる!
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7.千葉県の駒札
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8.同上 要石の駒札
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9.第3の鳥居と総門
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10.見事な総門
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11.総門から手水舎を見る!
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12.木母杉と駒札
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13.神社の駒札
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14.楼門前の天皇陛下お手植えの木
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15.見事な国重文の入母屋造りの楼門
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16.楼門の阿形随身
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17.吽形随身
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2014/11/12

房総の文化財・史址を見る!12.常陸一之宮「鹿島神宮」2−2!  文化財研修記

茨城県鹿嶋市宮中2306には常陸の国一之宮・鹿島神宮がある。鹿島神宮の御祭神「武甕槌大神(たけみかずちのかみ)」は武道の神です。神代の昔、天照大御神の命を受けて香取神宮の御祭神である経津主大神と共に出雲の国に天降り、大国主命と話し合って国譲りの交渉を成就し、日本の建国に挺身されました。鹿島神宮御創建の歴史は初代神武天皇の御代にさかのぼります。神武天皇はその御東征の半ばにおいて思わぬ窮地に陥られましたが、武甕槌大神の[霊剣」の神威により救われました。この神恩に感謝された天皇は御即位の年、皇紀元年に大神をこの地に勅祭されたと伝えられています。その後、古くは東国遠征の拠点として重要な祭祀が行われ、やがて奈良、平安の頃には国の守護神として篤く信仰されるようになり、また奉幣使が頻繁に派遣されました。さらに、20年に一度社殿を建て替える造営遷宮も行われました。そして中世〜近世になると、源頼朝、徳川家康など武将の尊崇を集め、武神として仰がれるようになります。
 現在の社殿は徳川二代将軍の秀忠により、また奥宮は徳川家康、楼門は水戸初代藩主徳川頼房により奉納されたもので、いずれも国重要文化財に指定されています。
 鹿島神宮の例祭は毎年9月1日に行われますが、うち6年に一度は天皇陛下の御使である勅使が派遣される勅祭となり、さらにそのうち2回に1回、すなわち12年に一度の午年には、水上の一大祭典である御船祭も斎行されます!

1.楼門を潜ると広い境内に出ます!
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2.国重文の拝殿と後部の本殿を見ます!
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3.拝殿内部
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4.国重文の拝殿を左側から見ます!
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5.拝殿途中から国重文の見事な本殿を見ます!
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6.国重文の仮殿
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7.石灯籠(元和5年(1619)この鹿島神宮の社殿建設に関わった安藤対馬守の寄贈のもの)
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8.国指定史跡の鹿島神宮境内
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9.奥宮への参道
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10.奥宮の駒札
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11.見事な奥宮
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12.奥宮の拝殿をアップで撮影
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13.松尾芭蕉の句碑
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14.要石の駒札!
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15.要石!
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16.小林一茶の句碑
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17.宝物館
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18.最後にもう一度見事な国重文の楼門を内側より見る!
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