2014/9/29

大津の文化財・史址を見る!2.延喜式内社で八大龍王神と石座大神を祀る石座神社!  文化財研修記

大津市西の庄15番16号には延喜式内社の石座神社(いわいじんじゃ)がある。天智天皇8年(669)旧9月9日に御霊殿山(ごりょうどのやま)の神奈備の天津磐座(あまついわくら)に石座大神が御出現された。朱鳥元年(686)旧5月1日、石座野(いわすの)の王林の広庭に八龍王宮・正霊天王宮の両殿を創建された。光仁天皇宝亀4年旧12月3日正一位勲1等の神階を贈り給い鎮護国家之神也と御勅宣あり。宝亀5年12月3日勅祭を行わせ給う。以後12月3日をもって勅祭とされ永く恒例とされた。鎌倉時代文永3年(1266)旧8月29日現在地に両殿御遷座。慶長5年関ヶ原の役で大阪方の大軍来たりて神域に陣し敗軍に及んで社頭火を放つ時に、八大龍王宮は災いを免れたものの上古より伝わる古記録宝物を焼失する。江戸時代・膳所城主の篤い崇敬を受ける。明治時代高木神社と改称、大正6年旧石座神社に復す。大正9年6月10日・時の記念日が定められ、時の記念祭を執り行う。石座神社の厄除け参りは、2月節分当日に節分厄除大祓を執り行い「知らず知らずに犯せる罪・穢れを人形に託して大祓い行います。又6月夏至直後の日曜日には「茅の輪」くぐりの神事を執り行い「みな月の なごしのお祓
 する人は 千歳のよわい のぶというなり」で現在に至っています。(神社パンフレットより抜粋)本殿は滋賀県指定文化財で、鎌倉時代の三間社流造・檜皮葺で棟札の写しから文永3年(1266)の建築とわかる。又、本殿に祀られている木造一本木造りの天命開別命(あめのみことひらけわかすみこと)坐像、伊賀采女宅子媛(いがのうねめやかこひめ)坐像、弘文天皇坐像、彦坐王(ひこいますおう)坐像の4体は国の重文で平安時代後期の作風を残しています。

1.石座神社の標柱と鳥居
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2.神社の駒札
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3.石の鳥居と扁額
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4.神社駒札
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5.大津市指定樹木の大エノキの木
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6.見事な拝殿
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7.拝殿手前の神殿
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8.拝殿をアップで見る!
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9.拝殿斜めから見事な本殿を見る!
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10.見事な手水舎
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11.石神社
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12.朱塗りの鳥居を持つ弁財天社
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13.稲荷社
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14.御霊殿山遥拝所
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2014/9/27

大津市の文化財・史址を見る!1.木曽義仲公・芭蕉翁のお墓のある義仲寺!  文化財研修記

 大津市馬場1丁目には義仲寺(ぎちゅうじ)がある。旧東海道に沿っている。このあたり、古くは粟津が原といい、琵琶湖に面し、景勝の地であった。 朝日将軍木曽義仲公の御墓所である。
 治承4年(1180)、義仲公は信濃に平氏討伐の挙兵をし、寿永2年(1183)5月、北陸路に平氏の大軍を討ち破り、7月に京都に入られた。 翌寿永3年1月20日、鎌倉の源頼朝の命を受けて都に上ってきた源範頼、源義経の軍勢と戦い、利なく、この地で討ち死にされた。 享年31歳であった。 その後、年あって、見目麗しい尼僧がこの公の御墓所のあたりに草庵を結び、日々の供養ねんごろであった。里人がいぶかって問うと、 「我は名も無き女性」と答えるのみである。この尼こそ、義仲公の側室巴御前の後身であったという。尼の没後、この庵は「無名庵」ととなえられ、あるいは 巴寺といい、木曽塚、木曽寺、または義仲寺とも呼ばれたことは、すでに鎌倉時代後期弘安ごろの文書にみられる。時代は移り、戦国の頃には、当寺も大いに荒廃した。時に近江国守佐々木侯は、石山寺参詣の途次、この地を見て、「源家大将軍の御 墳墓荒れるにまかすべからず」と、当寺を再建し寺領を進めた。その頃当寺は石山寺に、近世に至って三井寺に属した。貞享年間(1684〜88)に大修理の記録があり、芭蕉翁がしきりに来訪し宿舎としたのは、この頃からである。元禄7年(1694)10月12日、 芭蕉翁は大阪の旅窓で逝去されたが、「骸は木曽塚に送るべし」との遺言によって、遺骸を当寺に運び、現在地に墓を建てた。明和6年(1796)に蝶夢法師の中興があり、その後も、安政3年(1856)の火災、明治29年(1896)の琵琶湖大洪水の後、明治45年と、たびたび の改修が行われたが、大東亜戦争を経て戦後において、寺内全建造物の荒廃その極に達し壊滅に瀕した。ここにおいて、昭和40年(1965)、三井寺円満院 より買い取り、宗教法人法による単立寺院とし、寺域を整頓し、朝日堂、無名庵の改築、翁堂の修復をなし、同年の時雨忌に昭和再建落慶の法要を 行った。この再建に要した一切の費用は、東京在住の一個人の篤志家の寄進によったもので、子細は境内の昭和再建碑に記されている。 本寺は、昭和42年11月、境内全域が文部省より国の史跡に指定された。

1.義仲寺の標柱
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2.義仲寺の駒札
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3.山門
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4.山門右手前にある巴地蔵堂
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5.同上には石彫地蔵尊が祀られています。
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6.小さいが美しい境内
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7.史料館
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8.史料館内
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9.史料館前の松尾芭蕉翁の歌碑「行春をあふミの人とおしみける」
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10.朝日堂(本堂)
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11.本堂内(本尊は木彫の聖観世音菩薩え、義仲公、義高公の厨子や今井兼平、芭蕉翁合わせて31柱の位牌が安置されています。)
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12.三浦義一翁歌碑で巴御前をうたったもの!
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13.巴塚(義仲公の側室であった山吹御前の墓がJR大津駅前からこの寺に昭和48年移されたが、撮影漏れ!)
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14.芭蕉翁の歌碑「古池や蛙飛び込む水の音」
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15.木曽義仲公墓
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16.義仲公の右側にある松尾芭蕉翁のお墓
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17.下記をクリックして、「音声付動画」で義仲寺の全体を見て下さい!
http://youtu.be/gzZmMEtlH7w

18.翁堂(正面祭壇に芭蕉翁坐像、去来先生像など多くの木像、額が飾れています!)
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19.芭蕉翁の最後の歌碑「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」
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20.木曽八幡社(義仲寺の鎮守社として古図にも載っています。)
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2014/9/25

京都近辺の文化財・史址を見る!37(最終回)延喜式内社の羽束師神社!  文化財研修記

京都市伏見区羽束師志水町219には山城国式内社の羽束師神社 (はずかしじんじゃ)がある。
御祭神は高皇産靈神(たかむすびのかみ)、神皇産靈神で摂社は北向見返天満宮「菅原道眞」、籠守勝手神社などがあります。高皇産靈神を祭神とする式内社5社の一である。他には対馬国下縣郡の高御魂神社などがある。『延喜式神名帳』山城国の筆頭に記載されている名神大社は「高御産日神(たかむすびのかみ)・神御産日神である。。 文政年間の当社神主古川為猛の『羽束師社舊記』によれば、雄略天皇21年(477)建とある。当社の創建には、賀茂氏や秦氏の他に品部の一である泊橿部がこの地域に居住しており、彼らが祀ったのではないかとも言われている。 泊橿部(丈部)は、『姓氏録』左京神別に、天足彦国押人命孫比古意祁豆命の後、また山城国神別に鴨懸主同祖、鴨建津身命之後、西泥土部は鴨懸主同祖、鴨建玉依彦命之後、丈部首は武内宿禰男紀角宿禰之後と出ている。丈部は歴代宮廷の警護に係わったいわば「武士」であり、有力な各氏族に所属していた者達もいたようであり、当地の丈部も淀川の水運に係わった氏族との関連があったものと見ていい。孝昭天皇の御子の天足彦国押人命は春日臣、小野臣などの祖である。また当地は菅原道真公の太宰府左遷の際に北を向いて見返りの場として記念された北向見返天満宮が鎮座しており、 土師氏との関わりがあった土地とも推測できる。土師(はじ)と羽束師、似ているようで似ている。また古くから「羽束師の森」と言われており、入水した竹野姫の霊を祀った森ではないかともされている。山陰道の起点にあたり、当地を乙訓と称するのは堕国と言われたからとの理由である。

1.羽束師神社の2之鳥居
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2.鳥居と扁額
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3.巨大なクスノキ
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4.ちょっと変わった手水舎(稲荷神社が祀られています。)
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5.ちょっと変わった境内社
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6.神社の駒札
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7.割拝殿
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8.割拝殿の中にはお祭りの写真が飾られています。
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9.割拝殿から本殿正面を見る!
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10.本殿正面
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11.本殿正面から振り返って割拝殿を見る!
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12.割拝殿と本殿を横から見る!
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13.多くの摂社(両側にが天照大神など11社が祀られています。)
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14.見事な稲荷社
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2014/9/23

京都近辺の文化財・史址を見る!36.京都市伏見区にある北向山不動院!  文化財研修記

京都市伏見区竹田浄菩提院町にある北向山不動院(きたむきざんふどういん)は、近畿36不動尊霊場の第22番のお寺で、一般に、「北向不動」、「北向きのお不動さん」の名で親しまれている天台宗の単立寺院です。一歩境内に入ると、庶民のお寺らしい雰囲気が漂っています。この、北向山不動院は、平安時代の大治5年(1130)、鳥羽上皇の勅願により鳥羽離宮内に興教(こうきょう)大師覚鑁(かくばん)を開山として創建したと伝えられ、元々は天台宗延暦寺末寺だったようです。本堂に興教大師が仏師康助に刻ませた本尊・不動明王(重要文化財)を王城鎮護のため都のある北向きに安置したために、鳥羽上皇から北向山不動院の名を賜ったといわれています。その後、久寿2年(1155)に、播磨国(兵庫県)大国の庄に寺領千石を賜って藤原忠実が中興したと伝えられます。応仁の乱の兵火などしばしば災害に遭いましたが、幸い本尊不動明王は難を逃れ、江戸時代に朝廷の保護により復興しました。現在の本堂は正徳2年(1712)に東山天皇の旧殿を賜って移築したものと伝えられ本尊・不動明王(重要文財)を祀ります。また境内鐘楼にかかる梵鐘は、二品済深(ひほんしん)親王の御銘があって、元禄7年(1694)に名士・名越浄味によって鋳造されたと伝えるということです。門を潜ると東側に千手観音、虚空蔵、文殊、普賢の各菩薩が安置され、境内には薬師如来堂、役行者の滝行場、六体地蔵その他様々な小堂や石仏が点在しています。また「洗心井」という井戸があり、井戸の石鉢には「嘉永2年(1849)」の年号が刻まれています。 なお、鳥羽上皇の誕生日の正月16日には大護摩法要が行われていますが、俗に「一願の護摩」と呼ばれ,参詣すると一つの願いが叶うと伝えられています。

1.北向山不動院の標柱
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2.朱塗りの門
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3.菩薩像群
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4.右側の別な門
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5.地蔵菩薩像群
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6.「洗心井戸」とその駒札
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7.夜叉明王像と背後には洗心井戸が見える!
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8.大護摩修行道場
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9.降三明王菩薩像
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10.本堂
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11.本堂正面
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12.薬師如来堂
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13.役行者と滝
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14.地蔵堂
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15.朱塗りの鳥居のある山王権現と陀枳尼天(だきにてん)
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16.無数のお地蔵様
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17.不動明王像
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18.一願不動梵鐘(鐘つき堂)
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2014/9/21

京都近辺の文化財・史址を見る!35.安楽壽院と鳥羽離宮跡!  文化財研修記

 京都市伏見区竹田中内畑町74には現在の真言宗智山派の安楽寿院(あんらくじゅいん)があります。平安時代、平安京の南の鳥羽は南には池が広がり、水鳥が群れる風光明媚な地でした。この池の畔に離宮が造られ、技術の粋を尽くした御殿が建ち並びその美を競っていといいます。この鳥羽離宮の東殿に保延3年(1137)御堂が建てられました。これが安楽寿院で、その名のとおり、浄土教に基づき極楽浄土を希求するため阿弥陀三尊を本尊としています。その後、本御塔、九躰阿弥陀堂、閻魔堂、不動堂、新御塔が次々落慶し一応の完成。当時の寺領は膨大なもので今の茨城県から九州の間に散在し、最盛期には32国63ヶ荘に及んでいました。その後、南北朝争乱に巻き込まれ寺領の多くを失い、徐々に寺の規模を縮小。桃山時代に豊臣秀吉より近辺の五百石分の寺領はあらためて保証する旨の朱印状を頂戴し、江戸時代も徳川歴代将軍より寺領を安堵され運営されてきました。江戸期には12院5坊の塔頭を要する学山として多くの学匠を輩出しています。 )境内は京都市史跡に指定され、平安時代の三尊石仏、鎌倉時代の石造五輪塔(重文,前回紹介のもの)、冠石(前回紹介のもの)が現存し、孔雀明王画像、阿弥陀聖衆来迎図、普賢菩薩画像(いずれも鎌倉時代、重文等)を所蔵しています。又、後には平清盛に後白河上皇もここに押しこめられました。

1.鳥羽離宮とその庭園の駒札
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2.安楽壽院と宝篋印塔
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3.安楽壽院の表門
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4.竜の手水舎と背後に三如来石仏が見えます!
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5.鐘楼(新しいいもので、昭和34年(1959)建立。)
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6.安楽壽院本尊の阿弥陀如来坐像の駒札
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7.三如来石仏 (石造三尊像)釈迦三尊、薬師三尊、阿弥陀三尊と呼ばれる平安時代の3面の石仏で、江戸時代に出土したと伝えられています。もっとも保存状態のよい阿弥陀三尊像は京都国立博物館に寄託されています。(博物館の前庭に設置)もろい凝灰岩でできており、昔はこの石仏のお体を削って水で練り子供の顔に塗ると、くさが直るという信仰があったため傷んでいます。
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7.大師堂(大師堂は慶長元年(1596)の山城、伏見の大地震の時に新御塔が倒壊。そのとき一時しのぎで集めた材料で、建てられました。弘法大師像を本尊。他に大日如来、薬師如来、聖観音、十一面観音、千手観音、地蔵菩薩、不動明王、歓喜天など旧塔頭の仏様がお祀りされています。
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8.同上 扁額
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9.本堂前の庭園
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10.同上
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11.近衛天皇安楽壽院南陵の駒札
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12.現在の近衛天皇安楽壽院南陵の多宝塔は慶長11年(16066)豊臣秀頼により、片桐且元を普請奉行として再興されたものです。
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2014/9/19

京都近辺の文化財・史址を見る!34.三代の天皇に56年もの院政を敷いた白河天皇と鳥羽天皇の陵!  文化財研修記

京都市伏見区竹田浄菩提院町には白河(しらかわ)天皇陵(成菩提院陵(じょうぼだいいんのみささぎ)があります。白河天皇は、延久4年(1073)に20歳で即位し、翌延久5年(1074)に父の三条天皇(病気により退位し上皇となっていました)が崩御すると親政を行いました。そして、応徳3年(1086)に上皇となって、大治4年(1129)に77で崩御するまで、堀河・鳥羽・崇徳三代に渡って院政を敷きます。約56年間に渡って政治の実権を握った天皇(上皇)は極めて稀な存在の天皇でした。白河天皇は、即位時点から非常に幸運に恵まれていました・・・父・後三条天皇が藤原氏勢力の抑制政策を採ったため、その恩恵を受けた白河天皇は藤原氏に気兼ねなく延久4年(1073)に二十歳で即位することが出来ました。そして、最大の幸運は、白河天皇の後はその異母弟達(白河天皇よりも藤原氏と関係の薄い実仁親王、輔仁親王)を即位させようと考えていた後三条上皇が、翌延久5年(1074)に崩御したことでした(在位は約5年間のみ)、そうでなかったら歴史で大きな役割を果たせなかった可能性が高いように思慮されます。後三条上皇が崩御し、さらに応徳2年(1085)に異母弟の皇太弟・実仁親王が15歳で病死するという幸運に恵まれると、翌応徳3年(1086)に白河天皇は父の遺命に背いて、もう一人の異母弟・輔仁親王を退けて、自身の子(堀河天皇)を即位させて上皇となり、自身の皇統を守りました。その後、嘉保3年(1096)に出家して法皇となっています。また、成長した子の堀河天皇は、白河院政に批判的な関白・藤原師通の補佐を受けて法皇の政治上のライバルになる可能性がありましたが、嘉承2年(1107)に29歳で崩御します。代わって5歳で即位した孫の鳥羽天皇はもちろん法皇の完全な傀儡で、以後、大治4年(1129)の白河法皇の崩御まで法皇の専制政治が続くことになります。「今鏡」は、白河帝は、父の後三条に似て性格は繊細にして気丈と記しています。ただ倹約を旨とした後三条に対して、豪華な寺院や堂塔(鳥羽離宮や法勝寺他)の建造を行うなど贅沢な派手好きだったことで知られます。また「今鏡」は、身辺を常にチェックして必要なもの以外は整理整頓して片付けていたとも記しています。(長期に渡って政治を行ったためエピソードも多く、「古事談」等にも数々の逸話が出てきます。)その他、寵愛した中宮・藤原賢子(ふじわらのけんし)の死後に多くの女性関係があったことから、信憑性は不明ですが、白河法皇が養女の藤原璋子(待賢門院 後に鳥羽天皇中宮)と密通し崇徳天皇が誕生したという「古事談」の有名な逸話や、平清盛も白河法皇の御落胤であるという説が生まれました。

1.白河(しらかわ)天皇陵(成菩提院陵(じょうぼだいいんのみささぎ)駒札
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2.同上
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3.西行寺跡(この地は,白河天皇陵の北にあり,西行(1118〜90)が鳥羽上皇(1103〜56)の北面の武士であった頃の邸宅跡と伝える。江戸時代には庵室(西行寺)があり,境内には月見池・剃髪堂があった。明治11年(1878)年観音寺(伏見区竹田内畑町)に併合。観音寺には西行法師像といわれる坐像が安置される。この石標は西行寺の跡を示す。)
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4.鳥羽天皇安楽壽院陵(あんらくじゅいんのみささぎ)の駒札
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5.同上
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6.石造五輪塔(国重文の鎌倉時代の石造五輪塔(重要文化財)、冠石)
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7.冠石
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8.安楽壽院と近衛天皇陵に向かって歩く!
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2014/9/19

古屋トチの実拾い 綾部自然の会の現地学習会に参加  綾部自然の会現地学習

限界集落・水源の里の村おこしボランティアで「トチの実拾い」などが催されているが
当会の参加は昨年に続き2回目(22名参加)
雨模様の中を参加してきた。

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JR綾部駅北口を8時40分に出発。マイクロバス1台、軽トラ2台
古屋公民館に着き登録(収穫量の予想クイズ)

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集合して地元責任者の方から話し
当会以外にも15名の一般参加者と合同

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軽トラに分乗して古屋奥の登山口まで谷沿いの林道を走る。降りて班分けの点検

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歩いて谷に入りトチの実採取地に向かう

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安全を祈願して峠の地蔵

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右手を登る「洞峠」への分岐標識
洞峠の風に吹かれる会(綾部・和知)は秋の催し、やっと分かり易い標識が立った

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綾部自然の会の古木・名木100選の案内
古屋奧 爺谷北谷:古屋奥爺谷のトチノキ  樹周:7.40 樹高:46m
と樹周:6.86 樹高:43mの2本ある
古屋奧爺谷の滝もある

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綾部自然の会の古木・名木100選の案内
樹周:5.2 樹高:30m

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どちらにも寄らずに渓流を渡り、直進してネットの張られた所に出た

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ネットの下をくぐる

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ここで上に登るグループと別れる

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渓流の中に落ちているトチノミを拾う

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大きな橡の木が沢山生えている

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殻から実を覗かせたトチノミ 大きな殻には2個入っている
殻がなかなか割れないものも

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橡の木の根元と渓流

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トチノミを拾う

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殻の付いたトチノミ 殻を割って網袋に入れる

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渓流

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トチノミの大漁場所に出会ったとたん
昼食時間だと呼ばれた。濡れた地面にシートを敷き食事

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食事を終わって
まだ雨模様で少し寒い、カッパを出して着る
蜂が出るので白いウェア、蚊の予防ネット帽子もしてきたが涼しくて、蜂も蚊もいなかった!

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緑の森林浴 満喫

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下山して軽トラに到着
入山口に綾部市内の養蜂家が蜜蜂の巣箱を置いていられる(トチノミの花粉受精に役立つ)
獣よけの設備、囲いがしてある

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拾ったトチノミを持って山から出てくる

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軽トラに分乗して林道へ
でこぼこ道でよく揺れ弾む

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1人ずつ秤で計量してもらう
3Kg余りを拾ったYさん(写真)がTOPだった。賞品も用意されていた

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綾部自然の会で集めたトチノミ

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収穫を前に一同で集合写真

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まぼろしの滝発見と騒がれた堂奥谷の滝(5段)とオオトチの木
初雪の日に登り私は滝直前まででリタイヤした

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古屋公民館に入り寛ぐ

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トチ餅のぜんざいの接待
大きなトチモチが2個入り美味しかった

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トチノミおかきの出来るまで

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乾燥中のトチノミおかき

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トチノミおかきを袋に詰められている

藁葺きの古屋の二軒屋の写真、お堂で参加した数珠講、万年自治会長だった細見さん(古屋の水で日本一美味い米を作る、上津灰・天狗畑・君王山林道など奥上林の山事情を伺った)のことなど、90歳の女性と話しを交わした。

数珠講はもうやっていないとのことだった。
トチノミの数珠があればと思う。むらおこしのミーティングの小道具にHITするのでは?
(新聞ニュースの仕掛けに好適・東北地震でも数珠講復活のニュース多い)

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トチノミおかき 500円
トチノミあられ 300円

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天日に広げられたトチのみ

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やっと昨夜の天気予報どうりの秋日和になった。天日に広げるのを手伝う会員

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全行程GPSトラック・マップ

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歩いた部分のGPSトラック・マップ
ほとんど運動にならなかった。登山グループに入れば良かった。

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2014/9/17

敬老会に初参加  あやべの街

私は今年の暮れに78歳を迎えるが老人会参加はまだまだ早いと考えている。
ところが綾部健康ブラザの運動仲間であるシャンソン歌手のミッシェル・フローさんから敬老会に出演するので応援をと誘われた。
昨年は台風襲来の大雨で敬老会が中止になり、今年はとの思いで参加した。
しかし残念なことにミッシェル・フローさんは体調を崩され欠席されていた。ご健康の回復を切に祈ります。

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自治会連合会長:安積将明氏のご挨拶
昨年は体調を崩されていたが元気になられた様子。

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ご来賓の方々

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綾部市長:山崎善也氏から出席されている前列に座られた、88歳(米寿)の方々に
祝い品(赤座布団)を贈呈

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80歳(傘寿)の代表者に朝倉会長から祝品贈呈

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来賓祝辞 綾部市長:山崎善也氏
綾部の状況は100歳以上が68名(女性48名)など統計数値を元に
健康長寿のまちづくりを紹介された

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綾部幼稚園児代表から花束を受け取る長寿代表の方

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綾部幼稚園児の合唱

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綾部幼稚園児の「よっちょれ」踊り

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綾部小学校児童代表からお祝いのことば

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綾部小学校4年生の歌と演奏 代表のお祝いのことば

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ステージと客席一杯に踊る「綾部おどり」の生徒たち

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雪の女王から「ありのままで」を歌う生徒たち

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赤い衣装をぬぎすて一気に変身

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中神宮寺参加者の昼食(15名)と自治会長、役員の方々
市の送迎バスで9時に公会堂から出発。マイクロバスに乗れないほどの参加だと思っていたが、僅かの15名だけ。開会10時半まで随分待たされた。
帰りのバスは来た順番とのことで1番早く帰れた(合計7台のバスでシャトル運行の由)

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福祉のお祝い弁当。お茶と酒(ワンカップ)つき。持ち帰り禁止

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満席の中丹文化会館大ホール
昼食は自治会で別れ、隣接の中央公民館の部屋や屋外、ここのホワイエ(ロビー)で食べている。救護所も設けられている。

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午後のアトラクション第1部:シャンソン
ミッシェル・フローさんの欠席の案内が流れる(手話も用意されている)
ジュセパ、ラメール、Mr.サマータイム、いとしのエリー、アヴェ・マリアなどプログラムに・・
聞けなくて残念。

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繰り上げて第2部:日本舞踊 菊宣会から始まる
人生夢太鼓

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人生夢太鼓

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かあさんの歌

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黒田節

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ふるさと

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河内の次郎長

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東京ブギウギ

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シャンソンが中止になった穴を菊宣会皆様の演技で埋めてもらう
上を向いて歩こう

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もみじ

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綾部市を中心に活躍されている菊宣会

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荒城の月

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第3部:歌謡ショー 橋本やすこさん
山家さくら祭りなどのイベントで活躍されていた。
会場席を回られる「ふるさとあやべ(オリジナル)」

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「ふるさとあやべ(オリジナル)」

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ステージで熱演
ナツメロメドレー:瀬戸の花嫁、ラブユー東京、津軽海峡冬景色、人生一路
おしどり山河(オリジナル)
海シリーズメドレー:宝船、北の酒場、哀愁港
知覧の母(熱演だった)、郡上の女(オリジナル)
アンコールにも応えられ素晴らしかった。

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2014/9/17

京都近辺の文化財・史址を見る!33.春と秋の平安の庭での曲水の宴で有名な城南宮!  民俗民具

京都市伏見区中島鳥羽離宮町7には主祭神の息長帯日売命(神功皇后)、八千歳神(大国主神)、国常立尊を主祭神とし、他に天照皇大神、品陀別命、別雷神、大山咋神、天児屋根命、宇気毛智神を祀る祀る城南宮(じょうなんぐう)がある。式内社で、旧社格は府社で「方除の大社」として知られている。
 創立年代は不詳である。この地にあった式内社「真幡寸神社」に、神功皇后の三韓征伐の際に船上に立てた旗に神功皇后・八千戈神(大国主神)の神霊を添えて奉斎したのに始まると伝える。平安遷都の際に国常立尊が併祀され、城(平安京)の南にあることから「城南神」と呼ばれた。白河天皇が鳥羽離宮(城南離宮)を造営してからはその一部となり、代々の天皇や上皇の行幸がしばしばあった。また後代になると京都御所の裏鬼門を守る神となったことから貴族の方違の宿所となり、方除けや厄除けの神としても信仰されるようになった。
 応仁の乱などの戦乱で荒廃したが、江戸時代になって復興された。幕末の文久3年(1863)には孝明天皇の攘夷祈願の行幸があった。新政府軍の掲げる錦の御旗の前に旧幕府軍が総崩れとなった慶応4年(1868)の鳥羽・伏見の戦いの主戦場となったものこの地である。明治10年(1876)には式内社「真幡寸神社」に比定され、社名を「真幡寸神社」に改称した。しかし昭和43年(1968)に「城南宮」に復し、「真幡寸神社」はその境内摂社として境内に新たに社殿を設けて奉祀されることになった。
 近年では転居、旅行の厄除けから転じて交通安全の神としても広く信仰されており、毎年7月には自動車の茅の輪くぐりが行われる。

1.城南宮の石の大鳥居
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2.境内の駒札
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3.朱の鳥居(赤い鳥居はよく見ると変わった様式となっている。これは城南宮鳥居と呼ばれ、基本型は神明鳥居に属するが、柱下に饅頭があり、棟の部分に島木・笠木を重ねて、さらに屋根を葺いている。その島木の正面中央に神紋の金具が打たれている。)
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4.名水の出る「手水舎」
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5.名水「菊水若水」の駒札
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6.熊野詣出立の地の駒札
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7.拝殿
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8.本殿修復中で真正面から撮影
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9.見事な本殿の内陣!
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10.見事な本殿を横から見る!
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11.見事な神楽殿
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12.源氏物語「花の庭」案内パンフレット
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13.春の山の一部(作庭は中根金作氏)
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14.御神木の残株
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15.平安の庭の一部
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16.平安の庭の一部(この当たりが、 年中行事「曲水の宴」 春(4月29日)・秋(11月3日の場所です。)
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17.道を横切って「室町の庭」の一部に向かいます!
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18.桃山の庭の一部
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19.城南離宮の庭の一部
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20庭を出て白河天皇陵へ向かう、左手に「真幡伎神社」があります!
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21.正面の石の大鳥居の反対側にある鳥居を潜ります!
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2014/9/15

京都近辺の文化財・史址を見る!32.国重文の本堂・多宝塔など広大な寺域の宝塔寺!  文化財研修記

京都府伏見区深草宝塔寺町32には広大な寺域(3万3,000平方メートル)を持ち本尊は三宝尊の日蓮宗の深草山「宝塔寺(ほうとうじ)」がある。寺名は日像が京都の七口(京都に入る7つの街道の入口)に建立した題目石塔の1つを日像の廟所に祀ったことによる。平安時代に藤原基経の発願により創建され源氏物語にも言及される極楽寺が前身である。藤原基経が発願した極楽寺が宝塔寺の前身とされている。極楽寺は基経の没後、嫡子の藤原時平により昌泰2年(899)建立されたもので、『源氏物語』「藤裏葉」帖に寺名が言及されている。
 鎌倉時代末期、京都で布教にあたっていた日像は当時の極楽寺の住持・良桂と法論を行った。良桂は日像に帰依し、真言律宗寺院であった極楽寺は延慶年間(1308〜1311)日蓮宗に改宗した。興国3年/康永元年(1342)日像は妙顕寺で入寂、遺言により当寺において荼毘に付された。寺は応仁元年(1467)の応仁の乱で焼失後、長らく再建されなかったが、天正18年(1590)8世日銀が伽藍を再建された。

1.石峰寺から南へ300メートルの所に宝塔寺の駒札と宝塔寺がある。
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2.総門(室町時代の国重文の四脚門です。)
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3.登り参道(両側には6つの塔頭寺院があります。)
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4.塔頭寺院の大雲寺(各塔頭寺院は参拝許可がいります。)
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5.同上 直勝寺
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6.日像荼毘処碑
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7.荼毘処横の駒札
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8.塔頭寺院の雲光院
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9.仁王門から本堂をも見る!
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10.阿形の仁王像
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11.吽形の仁王像
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12.仁王門を内側から見る!
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13.国重文の本堂(慶長13年(1608)建立。入母屋造、本瓦葺き。桁行七間、梁間五間。釈迦如来像、十界曼荼羅のほか、日蓮と日像の像を安置している。)
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14.勅使門
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15.鐘楼
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16.本堂を横から見る!
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17.五重の石塔と日像霊廟への参道
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18.日像霊廟への参道(七百宮参道)
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19.途中の三十番神
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20七面大明神への参道
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21.経一丸(日像の修行に入る時)さま像
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22.日像菩薩霊廟
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23.国重文の多宝塔(室町時代)
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