2014/8/30

京都近辺の文化財・史址を見る!23.天台宗の門跡寺院で有名な毘沙門堂(護法山出雲寺)!  文化財研修記

京都市山科区安朱稲荷山町18には天台宗の山号は護法山で護法山安国院出雲寺とも称し、本尊は毘沙門天を祀り、天台宗京都五門跡の一である、毘沙門堂(びしゃもんどうがある。)「毘沙門堂門跡」とも呼ばれています。
 寺伝によれば、毘沙門堂の前身の出雲寺は文武天皇の勅願により、大宝3年(703)行基が開いたという。その後、平安時代末期には出雲寺は荒廃していたが、鎌倉時代初期、平親範が平家ゆかりの3つの寺院を合併する形で再興。中世末期には再び荒廃していたが、近世に至り、天海とその弟子の公海によって現在地に移転・復興され、天台宗京都五門跡の一として栄えた。
 前身寺院である出雲寺は、京都市上京区の相国寺の北、上御霊神社付近にあったと推定される。付近からは奈良時代前期にさかのぼる古瓦が出土しており、行基の開基であるかどうかは別としても、この付近に平城京遷都以前にさかのぼる寺院のあったことがわかる。また、一帯には現在も「出雲路」の地名が残されている。この出雲寺は平安時代末期には荒廃していたことが『今昔物語集』の記述などから伺われる。
 建久6年(1195)の平親範置文(『洞院部類記』)という史料によると、同年、平親範は平等寺、尊重寺、護法寺という平家ゆかりの3つの寺院を併合し、出雲路に五間堂3棟を建てたという(「五間堂」とは間口の柱間が5つある仏堂の意)。置文によれば、平等寺は桓武天皇の皇子で桓武平氏の祖である葛原親王(786〜853)の創建で、太秦(現京都市右京区)に所在。尊重寺は平親信(945〜1017)の創建で、五辻(京都市上京区)に所在。護法寺は平親範の父・平範家が伏見(京都市伏見区)に創建したもので、応保元年(1161)北石蔵(京都市左京区岩倉)に移転するが、長寛元年(1163)に焼失し、本尊だけが大原(京都市左京区大原)に移されたものという。こうしてできた寺は出雲寺の寺籍を継いで護法山出雲寺と称し、最澄(伝教大師)自作と伝える毘沙門天像を本尊としていた。中世には出雲寺は桜の名所として知られ、藤原定家の日記『明月記』や、『沙石集』(無住道暁編)にも言及されている。
 この鎌倉復興の出雲寺もやがて荒廃したが、慶長年間(17世紀初頭)に至り、天台宗の僧で徳川家康とも関係の深かった天海によって復興が開始された。江戸幕府は山科の安祥寺(9世紀創建の真言宗寺院)の寺領の一部を出雲寺に与え、天海没後はその弟子の公海が引き継ぎ、寛文5年(1665)に完成した。後西天皇皇子の公弁法親王(1669〜1716)は当寺で受戒し、晩年には当寺に隠棲している。以後、門跡寺院(皇族・貴族が住持を務める格式の高い寺院の称)となり、「毘沙門堂門跡」と称されるようになった。

1.奥深い参道を登って行くと前方に勅使門が見えて来ました!
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2.勅使門(後西天皇より拝領した檜皮葺きの総門でかっては陛下の行幸かその代参、現在は当門跡の門主の晋山式のみ以外は開聞されない開かずの門です。)
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3.山門
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4.見事な宸殿
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5.護法山の扁額が掲げてある玄関
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6.宸殿前の枝垂れ櫻(樹齢は百十数年でその枝張りは三十メートルにも及ぶ、満開の桜の時期4月10日〜15日は素晴らしい枝垂れ櫻が見れます。)
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7.見事な宸殿を横から見ます!
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8.毘沙門堂の駒札
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9.仁王門(寛文5年(1665)に再建されたもので急な石段の上にあります!)
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10.仁王門から登りの石段を振り返って見ます!
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11.阿形の仁王像
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12.吽形の仁王像
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13.仁王門から本堂(毘沙門堂)を見ます!
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14.見事な大理石の龍の手水鉢
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15.本堂(毘沙門堂)
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16.出雲寺の扁額が掲げてある本堂正面
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17.再び降りてきて宸殿内を見ます!
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18.下記をクリックして、「音声付動画」で宸殿や廊下などを見て下さい!
http://youtu.be/7Qb3Id7sbyI

19.宸殿から霊殿を見る!
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20宸殿内(狩野探幽の養子で駿河台派の始祖狩野益信が描いたどの角度から見ても、鑑賞者が中心となるという逆遠近法の手法の障壁画が116面もあります。)
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21.同上
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22.同上
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23.晩翆園(ばんすいえん)の駒札
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24.晩翠園の一部で裏山の観音堂が見えます!
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25.下記をクリックして、「音声付動画」で名園の晩翆園を見て下さい!
http://youtu.be/SpZ51dYlnm4

26.宸殿からる霊堂への廊下
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27.霊堂から門を見下ろす!
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28.見事な霊堂の屋根
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2014/8/28

京都近辺の文化財・史址を見る!22.浄土真宗の宗祖親鸞上人誕生の日野誕生院!  文化財研修記

京都市伏見区醍醐日野西大道町の国宝の阿弥陀堂と阿弥陀仏を持つ法界寺のすぐ上には日野誕生院(ひのたんじょういん)がある。浄土真宗本願寺派の仏教寺院で誕生院(たんじょういん)とも呼ばれる。「大谷本廟」・「角坊」とともに「宗教法人 本願寺」が所有する飛地境内建物であり、親鸞の誕生の地を記念して昭和6年(1931)に建立された。親鸞は永承6年(1051)法界寺を建立した日野資業(ひのすけなり)の5代後の子孫の日野有範(ひのありのり)を父として誕生する。当時、有範は皇太后の大進(だいしん)という役職にあったとされる。母親は、清和源氏の八幡太郎義家の孫娘の吉光女であったと伝えられている。
また、親鸞6歳の姿を写した銅像、得度式(とくどしき)に詠んだという和歌の「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」の石碑が建てられている。
 本堂は、格調高い雰囲気の回廊をめぐらし、中庭は銅灯ろう一基を中心に配し白州で構成されており、平安時代の貴族の館のような造りとなっている。
 併設されている誕生院保育園の向こう側(法界寺の横手)の飛地に、「産湯の井戸」や「ゑな塚(えなづか)」が残る。

1.法界寺横には親鸞上人の「産湯の井戸」や「ゑな塚(えなづか)」がある。
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2.誕生院保育園
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3.誕生院保育園の横には「一子地碑」がある。
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4.日野誕生院駒札
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5.石段参道の前にある親鸞上人誕生地碑
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6.石段参道
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7.山門前の藤棚
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8.藤棚の駒札
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9.見事な山門です!
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10.見事な本堂です!
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11.本堂を横から見る!
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12.本堂の内陣の一部
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13.境内にある親鸞上人誕生之地碑と鐘楼
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14.親鸞上人像
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15.記事欄に記した親鸞上人が得度式の時、詠んだ歌碑!
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2014/8/26

京都近辺の文化財・史址を見る!21.国宝の阿弥陀堂と阿弥陀如来坐像を持つ法界寺!  文化財研修記

京都市伏見区醍醐日野西大道町には山号を東光山とする真言宗醍醐派別格本山の寺院・法界寺(ほうかいじ)がある。本尊は薬師如来(秘仏)、開基は伝教大師最澄とされている。藤原氏の一族である日野家の氏寺で、「日野薬師」あるいは「乳薬師」の別名で知られる薬師信仰の寺であるとともに、国宝の阿弥陀堂と阿弥陀如来像を有することでも知られる。
 法界寺は、醍醐寺の南方、宇治市との境界に近い、京都市伏見区日野に所在する。日野は、『方丈記』の著者である鴨長明の住んだ地であり、親鸞の生誕地としても知られる。かつて山城国宇治郡日野と呼ばれたこの地は、日野家の領地であった。日野家は藤原北家の一族で、儒学や歌道をよくした家柄である。平安時代後期の永承6年(1051)、もと文章博士で後に出家した日野資業が、薬師如来を安置する堂を建てたのが法界寺の始まりとされている。薬師如来像の胎内には、日野家に代々伝わる、伝教大師最澄自作の三寸の薬師像を納入したという。
寺の草創時期については別の伝えもある。すなわち、日野資業の4代前の藤原家宗が弘仁13年(822)、最澄自作の薬師像を本尊とし、最澄を開基として一族の氏寺を建てたとするものである。その後、平安後期の阿弥陀信仰の高まりや末法思想の普及にともない、法界寺にも阿弥陀堂が建てられた。平安時代後期の法界寺には、当時の日記等の記録で判明するだけで少なくとも5体の丈六の阿弥陀如来像が存在したことがわかっている。現在、阿弥陀堂に安置される像がそのうちのどれに当たるかは判明していない。なお、浄土真宗の開祖である親鸞は、承安3年(1173年)に日野有範の子として、法界寺にて生まれたとされている。(法界寺の近くには親鸞の生誕地にちなんで江戸時代に創建された日野誕生院があるので次回紹介します。)
 薬師堂(本堂、国重文)は明治37年(1904)、奈良県斑鳩町竜田にあった伝燈寺の本堂を移築したもの。室町時代、康正2年(1456)の建築です。上述の伝燈寺は龍田神社の神宮寺であったが現在は廃絶しています。本尊薬師如来立像(重文)は平安時代後期の作で、この像に祈願すると女性の乳の出がよくなるとされ、「乳薬師」として信仰を集めている。
阿弥陀堂(国宝)は鎌倉時代初期の建築。承久3年(1221)の兵火で焼失後、まもない頃の建立と推定されます。方五間(間口、奥行ともに柱間の数が5間)の堂の周囲に1間の裳階(もこし)をめぐらした形で、屋根は宝形造(ピラミッド形)で檜皮葺きである。内陣の柱や長押上の小壁には創建当時の絵画が残っています。

1.法界寺山門
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2.同上 駒札
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3.京都市指定史跡法界寺境内の駒札
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4.国宝阿弥陀堂の駒札
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5.見事な国宝の阿弥陀堂(内陣の撮影が禁止です!国宝の阿弥陀如来坐像も見事でした!特に光背の天女の像など素晴らしいものでした。)
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6.国重文で秘仏の薬師如来像を祀る国重文の薬師堂です。秘仏は見れませんでした。綾部市は京都府において京都市に次ぐ、指定文化財が沢山あります。宇治市より多いのです。庚申堂など60年にたった一日御開帳の秘仏もあり、住職さんに聞くと子供のころ見ただけで今70歳で生きている内にもう一度見たいと云われるお寺も現存しています。)
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7.薬師堂内
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8.一応秘仏の写真が掲げられていました!
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9.見事な鐘楼と鐘!
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10.弁財天堂
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11.境内の池の方から阿弥陀堂、薬師堂を撮影!
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12.下記をクリックして、「音声付動画」で国重文の薬師堂、国宝の阿弥陀堂などを見て下さい!
http://youtu.be/xjji_KB9r0k


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2014/8/24

京都近辺の文化財・史址を見る!20.朝鮮通信史の往来した淀城!  文化財研修記

京都市伏見区淀本町167には「淀城跡」がある。徳川二代将軍秀忠は、元和5年(1619年)の伏見城の廃城に伴い、新たに桂川、宇治川、木津川の三川が合流する水陸の要所であるこの淀の地に松平定綱に築城を命じて 元和9年(1623)に着工し 寛永2年(1625) に竣工した。翌 寛永三年秀忠・家光が上洛の途次にはこの城を宿舎としている。寛永10年(1623)、 国替え(くにがえ)により 永井尚政が城主となり その後 諸大名が次々と入城したが 享保8年(1723)春日局の子孫である稲葉丹後守正知が下総・佐倉より淀へ移り、 明治維新までの148年間、この淀城は 稲葉氏10万2千石の居城であった。江戸時代の淀城は周囲に二重 三重の濠(ほり)をめぐらし「 淀の川瀬の水車 だれを待つやら くるくる 」と歌で名高い水車は直径8メートルもあり 城の西南と北の2ヶ所に取りつけられていた。
 淀城とその城下町の繁栄は延享5年(1748)に朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし、将軍への祝賀使節)の様相を写した 「朝鮮聘礼使淀城着来図」に詳しく描かれている。
 昭和62年(1987 夏に天守台の石垣解体修理に伴い 発掘調査が伏見城研究会によって行われ 大小の基石を含む 石垣が発見された。これは四隅に櫓(やぐら)を持つ白亜五層の天守閣と地下室の基礎であり、宝暦6年(1756) の雷火で炎上する前の勇姿を偲ばせてくれるものである。なお淀君ゆかりの淀城は 現在の淀城跡にはなく この位置から北方約500メートルの納所(のうそ)にあったと推定される。
 東海道53次は京都の三条大橋であるが54次が京伏見であり55が淀宿であり、橋本、枚方、守口、大阪天満橋の八軒家が59次ということになる。秀吉が淀君のために築いた淀城は、伏見城造営の際にとりこわされ、その後、徳川幕府による伏見廃城とともに、その一部を移築し、桂、木津、宇治の三川合流の三角州の上に再び新淀城が築かれた。「淀宿」はこの城内の三町と、淀小橋でつながった城外の三町とによって形成されて水陸交通の要衝として「問屋場」、「伝馬所(てんましょ)」が設けられた。淀城は京都二条城に入る前の徳川将軍の宿泊所でもあり 朝鮮通信使のような賓客もここに宿泊した。

1.淀城の駒札(以下写真をクリックすると1,600ピクセルの大画面で見れます。) 
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2.淀城跡碑
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3.淀城内の稲葉神社の駒札
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4.同 上 鳥居
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5.稲葉正成公と妻・春日局を祀る稲葉神社
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6.唐人雁木跡(朝鮮通信使一行400名が大阪から淀川を漕ぎ上り、この淀城で泊まり、江戸城まで拝賀の旅を続けた。)
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7.淀城小橋跡碑
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8.天守台跡(今後天守閣の建設が計画されています。)
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9.二重堀の内堀壁
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10.同上
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11.巨石を使った城壁
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12.内堀の城壁
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13.ここにも淀城跡碑があります!
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2014/8/22

京都近辺の文化財・史址を見る!19.国重文の拝殿を持つ式内社の與杼(よど)神社!  文化財研修記

京都市伏見区淀本町には淀地方唯一の式内社で與杼(よど)神社は、淀・納所・水垂・大下津の産土(うぶすな)神として鎮座しています。  祭神は、中央に豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)向かって右側に高皇産霊神(タカミムスビノカミ)向かって左側に速秋津姫命(ハヤアキツヒメノミコト)の三柱であります。 この神社は、僧の千観内供が応和年間961〜963)に肥前国(佐賀県)佐賀郡河上村に鎮座の與止日女(ヨドヒメ)神社より、淀大明神として勧請したのに始まるとある。しかし、延喜式(901〜)第9巻「山城国乙訓郡」中に、與杼神社の名がある処からみて、応和年間より以前に鎮座していたと考えられます。 元の鎮座地は、今の宮前橋の下流、桂川右岸の川原になっているあたりで、古来よりこのあたりを「大荒木の森」と呼ばれていた。 (当時は、ここを乙訓郡水垂村といった) 桂川河川敷の拡幅工事が実施されることになったので、本殿以下の建物は、明治33年5月24日付の神社移転許可により、明治34年7月移転工事に着工、翌年5月完成、明治35年6月21日、神社のすべてが現在の淀城址内に遷座されました。
  なかでも本殿・拝殿は明治年間に移築・遷座が行われたにも拘らず、良く当初の建築様式を保存していたので、昭和46年6月22日に本殿(本殿内の木造狛犬一対を含む)と拝殿の二棟が国の重要文化財に指定されました。
  しかし、残念ながら本殿は、昭和50年8月5日未成年者達の花火(飛翔性花火)遊びにより国指定の貴重な重要文化財の本殿はは全焼してしまいました。

1.予杼(よど)神社の鳥居
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2.神社標柱と駒札
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3.参道
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4.手水舎
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5.両側のご神木の大イチョウに連なる「大注連縄」
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6.国重文の拝殿
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7.摂社 川上大名神
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8.摂社 豊丸大名神
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9.摂社 長姫弁財天
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10.国重文の拝殿を横から見る!
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11.三神を祀る本殿
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12.本殿内陣
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13.本殿を斜めに見る!
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14.本殿横の「大阪淀屋奉納のの高灯籠」
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2014/8/20

京都近辺の文化財・史址を見る!18.京都駅前の夜の「AQUA FANTAST」とお奨め駅前ホテルと食事処!  文化財研修記

 毎夜、古都京都の玄関JR京都駅前(地下街ボルタ屋上)で”人々を魅了する道の感動の世界へどうぞ”と「音楽と光の芸術噴水」が開催されています。誰でもその時間に行くと無料でみれます!今回はそのAQUA FANTASYとお奨めの駅前のホテルや食事処をご案内します。

1.京都駅八条口前の新京都都ホテル(ダブルのシングルユースで1泊朝食付きJTBの朝食付きパック利用で9,800円でした。7階で夜景は抜群でした。)
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2.ダブルべドのシングルユースで広くゆったりしています!
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3.7階の部屋からJR八条口方面を見る!
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4.AQUA FANTASY のパンフレット表紙
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5.ショーの時間表約20分です!
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6.京都の象徴の京都タワーホテル!部屋が狭いのが難点!
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7.下記をクリックして、「音声付動画」でAQUA FANTASYショーのほんの一部を見て下さい!
http://youtu.be/tLUXH2rkLRI

8.地下街を八条口方面へ歩いていきます!
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9.お奨めの店です!
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10.店内
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11.注文した夕食と生ビール!大変美味でした!
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12.さて、料金は掲載の通りやすいです!
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2014/8/18

京都近辺の文化財・史址を見る!17.徒然草(つれずれくさ)にも記された化野念仏寺!  文化財研修記

京都市右京区嵯峨鳥居本化野(あだしの)町17には、徒然草(つれずれぐさ)にも「あだし野の露消える時なく・・・・・」と記された浄土宗の化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)がある。
小倉山の麓は化野という。この辺りは都の西の風靡の地(無常所)であった。都の東では鳥辺野が風葬の地であった。都の東・鴨(川)の河原や鳥辺野の無縁仏は六波羅密寺(京都市東山区)に集め供養されたが、この辺り化野の無縁仏はこの念仏寺の草創で供養されることになる。
弘法大師は、弘仁2年(811)化野の風葬の惨めさめを知り、五智山如来寺をつくり里人に土葬という埋葬を教えた。その後・・・法然上人がここに念仏道場を開いたことから化野念仏寺と呼ばれることになった。現在の建物は江戸時代の始め(正徳2年・1712)に再建されたもので、明治に入りさらに化野に散在していた無縁仏、石仏、石像約8,000体を集め今日の形に供養するようになった。毎年8月23・244の両日に千灯供養が行われる。数多い石仏に一斉にろうそくが点灯される。

1.祇王寺から人形の家の前を通り、嵯峨鳥居本の化野念仏寺へ歩く!
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2.途中左側には多くのお墓が並んでいます!
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3.同上
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4.鳥居本に至ると両側に多くのお土産店があります!
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5.漸く左側に化野念仏寺の標柱が見えてきました!
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6.駒札
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7.山門が見えてきました!
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8.山門を潜り、苔むした境内を通り、西院の河原へ向かいます。
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9.西院の河原
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10.下記をクリックして、「音声付動画」で西院の河原を見て下さい!
http://youtu.be/gjQdSQBGesQ

11.西院の河原を別な角度から見ます。
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12.本堂
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13.本堂内
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14.水子地蔵尊
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15.庫裡
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16.庫裡の玄関
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17.鐘楼
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18.もう一度西院の河原を見て、自家用車を駐車した清凉寺へ向かいます!
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2014/8/16

京都近辺の文化財・史址を見る!16.平清盛と祇王・妓女で有名な祇王寺!  文化財研修記

京都市右京区嵯峨鳥居本小坂32には祇王寺(ぎおうじ)がある。大覚寺塔頭(たっちゅう:大寺院の敷地内にある小寺院)の尼寺で、法然(ほうねん)上人の弟子・良鎮(りょうちん)が創建した往生院(おうじょういん)の跡に建てられたと伝えられています。往生院は江戸時代末期まで広大な敷地を占めていましたが、明治時代に荒廃してしまいました。しかし、往生院に残る哀しい物語に心を動かされた当時の京都府知事によって、尼寺「祇王寺」として残されることになったのです。
 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・」の冒頭で知られる「平家物語」。 「平家物語」は鎌倉時代に成立した、平家の栄華と没落を描いた軍記物語です。
平家物語に登場する、祇王(ぎおう)・祇女(ぎにょ)の姉妹は、美しい白拍子(しらびょうし:平安時代に流行した歌舞を演じる遊女)として評判で、そのうわさは当時の政権を握っていた平清盛にも届くほどでした。彼女たちの舞をみて、後に姉の祇王は清盛の寵愛をうけるようになりました。ある時、白拍子の仏御前(ほとけごぜん)という若い女性が現れます。仏御前は門前払いをされてしまいますが、心やさしい祇王は館へ招き入れました。すると仏御前の舞を見た清盛は、なんと仏御前に心を移してしまったのです。仏御前が祇王に遠慮すると、清盛は祇王を追い出してしまいました。しかしその後、歌舞を演じるよう清盛に呼ばれた祇王たちは、その屈辱から母である刀自(とじ)と共に尼となり、現在の祇王寺で仏門に入ります。さらに、世の無常を感じた仏御前も清盛の元を去り、祇王らを追ってこの地で尼となり、余生を送ったのです。

1.二尊院から祇王寺への道
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2.右手に檀林寺(だんりんじ)を見てさらに進みます!
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3.檀林寺駒札
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4.元往生院山門(現祇王寺山門)
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5.山門の扁額
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6.祇王寺への参道
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7.左は滝口寺への参道、右は祇王寺へ!
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8.祇王寺山門
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9.祇王寺庭園(苔の庭)
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10.同上
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11.庭から祇王寺を見る!
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12.吉野窓
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13.仏間の仏壇には本尊大日如来、清盛公、祇王、妓女、母刀自、仏御前の鎌倉時代の木像が祀られています!
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14、左の宝篋印塔は祇王、妓女、母刀自の墓で、右の五輪塔は清盛公供養塔です!
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15.帰り道
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2014/8/14

京都近辺の文化財・史址を見る!15.国重文の釈迦如来・阿弥陀如来を祀る「二尊院」!  文化財研修記

京都市右京区嵯峨二尊院門前長神町27番地には「百人一首」で名高い小倉山の東麓にあって、本尊に国重文の釈迦如来像と阿弥陀如来像を祀るため二尊院(にそんいん)と呼ばれていますが、正しくは「小倉山二尊教院華台寺(けだいじ)」といい嵯峨天皇の勅願により浄土宗の寺として慈覚大師(じかくだいし)円仁(えんにん)が承和年間(834〜847)に開山したと云われています。法然の弟子・湛空(たんくう)が堂宇を増築、天台・真言・律・浄土の4宗兼学の寺として盛んになった。応仁の乱(1467〜1477)により諸堂が焼失したが、法然が九条兼実の助力で本堂、唐門(勅使門)は約30年後に再建されました。唐門「小倉山」後柏原天皇の勅額、本堂「二尊院」後奈良天皇勅額はこの時下賜されたものです。当寺は明治維新まで天皇名代として勅使参詣(ちょうくしさんけい)があり、御所の仏事を司り、公家方との交流も盛んでした。現在も旧摂関家の「二条家」「鷹司家」「三条家」「「四条家」香道の創始家「三条西家」や「角倉家(すみのくらけ)」の菩提寺です。明治以降は元の天台宗に戻っている。

1.二尊院総門(京都府指定文化財であり豪商・角倉了以が伏見城の「薬医門」を慶長18年(1613)に移築したものです。)
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2.境内図
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3.総門を潜るとすぐ左手に「西行庵碑」があります。
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4.深い参道(秋の紅葉の素晴らしさから「紅葉(もみじ)の馬場」と呼ばれています。)
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5.参道終わり近くに歌碑がありますので2つばかり紹介します。丸山海道と妻・佳子の歌碑!
  春深し佛の指の置きどころ 海道、萩咲かす二尊に触れて来し風に 佳子。
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6.高浜虚子歌碑! 散紅葉こゝも掃きぬる二尊院
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7.黒門
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8.勅使門(唐門)
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9.門から覗き見る!
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10.本堂(京都市指定文化財、室町時代)
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11.本堂を横から見る!(本堂前の庭は竜神の庭と呼ばれています。)
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12.下記をクリックして、「音声付動画」で本堂、唐門、竜神の庭を見て下さい!雨が降っていますので音楽を入力します。
http://youtu.be/axMBLqRSnM0


13.本堂の後奈良天皇の勅額「二尊院」
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14.本堂内の「お駕籠」
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15.本堂内
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16.本堂裏の「六道六地蔵の庭(苔の庭)」
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17.下記をクリックして、「音声付動画」で裏庭を見て下さい!雨が降っていますので音楽を入力します。
http://youtu.be/KiBmT0D3cro

18.九頭龍弁財天堂
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19.扇塚
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20.角倉了以の像
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21.小倉飴発祥の地碑
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22.京都府指定文化財の「八社ノ宮」(室町時代)
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23.鐘楼(現在の鐘は突けます。)
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24.旧鐘(慶長9年(1604)の銘あり)
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25.坂東妻三郎のお墓
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26.角倉了以のお墓
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27.二条家のお墓
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28.三帝陵への道
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29.三帝陵
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2014/8/12

京都近辺の文化財・史址を見る!14.常寂光寺から二尊院への道!  文化財研修記

京都市右京区嵯峨小倉山の常寂光寺から有名な二尊(釈迦如来、阿弥陀如来)を祀る二尊院へと歩き始めた。途中すぐ右手に土佐四天王(中岡新太郎、坂本龍馬、武市瑞山、吉村寅太郎)の像に出会った。

1.土佐四天王像碑文(各画面をクリックすると、1,200ピクセルの拡大画面が見れます。)
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2.同上 土佐四天王像
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3.次に嵯峨天皇の皇女で有智子内親王(うちこないしんのう)の陵が見えた。有智子内親王は初代加茂斎王を務め、のち嵯峨西荘に住み、詩文全盛時代の才女であった。
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4.この道は二尊院へと続きます!
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5.途中、右手に「去来先生墳碑」が見えたので立ち寄ることにした。
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6.更に西行井戸碑もあったが、井戸はカットして二尊院で西行庵址を見ることにした!
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7.去来・西行井戸百人一首碑
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8.少し行くと左手に「去来の墓」が見えた!向井去来は有名な儒医・天文学者の向井元升の二男で、慶安4年(1651)長崎で生まれで、最終的には芭蕉に学び芭蕉に師事して落柿舎を営み芭蕉十哲の一人である。)
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9.そこから元の二尊院への道に戻り二尊院総門に至った!
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