2014/6/29

小さな旅!松阪と綾部九鬼藩主家所縁の鳥羽の城下町を歩く!7.九鬼藩家霊廟のある常安寺!  文化財研修記

三重重県鳥羽市鳥羽二丁目12−3には曹洞宗永平寺派の玉龍山・常安寺(じょうあんじ)がる。ご本尊は釈迦如来坐像にて創建年は慶長12年(1607)で常安寺に改称した年である。
開山は貫室善道、開基は九鬼嘉隆(くきよしたか)で鳥羽市指定文化財5点がある。鳥羽藩初期の藩主・九鬼氏の菩提寺である。鳥羽志摩には曹洞宗の寺院が多いが、九鬼守隆がこの寺の伽藍を整備したことと、鳥羽藩後期の藩主・稲垣氏が曹洞宗の金胎寺を菩提寺としたことが影響している。鳥羽三山の1つ樋ノ山の北麓に位置する。水軍を率いた九鬼嘉隆の子である九鬼守隆が父・嘉隆を開基に立て、父の帰依が深かった玉龍山大福寺を一大伽藍とした寺院である。
 本堂を中心に、薬師堂・准提堂・庚申堂・十王堂・地蔵堂などの堂と山門、鐘楼がある[3]。九鬼家の墓所は、山門から本堂の方向を見た時、左手にある山裾を進むとある。境外には、鎮守として豊川だ枳尼尊天堂がある。屋根瓦などには九鬼家の家紋である九曜星が入っている。
 創建年代は不詳であるが、本尊の釈迦如来坐像は室町時代の作である。常安寺を名乗る前は玉龍山大福寺と称し、真言宗の寺であった。文禄の役(文禄元年 - 文禄2年(1592−1593)の折に九鬼嘉隆の香花院となる。九鬼嘉隆は曹洞宗への信仰が篤く、三河国宝飯郡(現在の愛知県豊川市)の豊川妙厳寺から天堂伊尭(てんどう いぎょう)禅師を招き、大福寺を 曹洞宗に改めた。慶長5年(1600)、豊川妙厳寺七世悳善達和尚の法嗣・貫室禅道和尚を大福寺に招聘(しょうへい)し、同寺の末寺となった]。同年、九鬼守隆は両親の菩提を弔うため、大福寺の改築を開始した。当時の本堂は現在の薬師堂だったとされている。慶長12年2月(グレゴリオ暦:1607年2月〜3月)に七堂を持つ伽藍が落成、入仏式に際して玉龍山大福寺を東照山常安寺に改めた。九鬼守隆は寺領100石と境内外の灯籠の油料20石を寺に寄進した。こうして九鬼氏から保護を受け大きくなった常安寺であったが、寛永9年(1632)に守隆が逝去し、翌・寛永10年(1633)に家督争いが原因で九鬼氏が国替えとなると、寺領と油料は失われた。しかしその後も九鬼氏の崇信は続き、丹波国綾部藩に転封となった九鬼隆季は、遺言により常安寺で葬儀を執り行った。また、摂津国三田藩に移封となった九鬼久隆 は以前から移封先にあった梅林寺を心月院に改名し、常安寺から覚雄是的和尚を招き、心月院を宗廟とした。万治から元禄(1658−1703)にかけての間に山号が東照山から玉龍山に自然に戻る]。文政9年(1812)に本堂を改築。嘉永7年(1854)に発生した安政東海地震では、内陸にある常安寺まで津波が押し寄せたという記録がある。慶応2年(1866)には、稲垣氏3代の墓所が九鬼氏の廟所の隣に設けられた。稲垣氏は歴代の墓を群馬県伊勢崎市にある天増寺に置いているが、幕末の激動期にあって同寺に移すことができず、鳥羽市にある菩提寺の金胎寺の境内が狭かったため、常安寺に墓を置くこと となった。明治時代には西南戦争勃発を受け、鳥羽港に寄港した明治天皇が常安寺の奥書院に宿泊した。昭和25年4月23日から5月7日にかけて開催された「パールカーニバル 鳥羽みなとまつりでは、昭和天皇の採集された標本の展示を常安寺で行った。寺宝として、九鬼嘉隆が自害した際に用いたとされる短刀がある。以下の5点が鳥羽市の文化財に指定されている。常安寺の涅槃図は 有形文化財(絵画)、安土桃山時代で 文禄の役で九鬼嘉隆が李氏朝鮮から持ち帰ったものとされる。常安寺薬師堂の鰐口は有形文化財(工芸品)で江戸時代、九鬼守隆の寄進。伊勢・志摩両国の境界を示す史料の1つである。常安寺境内の石燈籠は九鬼守隆の寄進。灯籠の高さは2.8メートル、幅1メートル、稲垣氏歴代の墓碑及び霊廟、霊廟は鳥羽市の金胎寺にある。幕末の稲垣氏の墓所。九鬼家の廟所は散在する墓を供養墓を1ヶ所に集めたものです。


1.常安寺前の駒札
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2.明治の西南戦争の時、この寺の奥書院に滞在された記念の「明治天皇行在所碑」と薬師堂
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3.山門
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4.見事な鐘楼
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5.旧本堂の鬼瓦(文政7年(1824)の銘がある。)右、黒丸7つの九曜紋(本紋)左、略紋
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6.本堂
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7.本堂の見事な変額と彫刻
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8.九鬼家、稲垣家霊廟への道
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9.九鬼家霊廟の駒札(画面をクリックして拡大して見て下さい。)
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10.九鬼霊廟
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11.九鬼氏の後、入部した譜代大名稲垣家霊廟入口
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12.稲垣氏霊廟
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13.同上 駒札
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14.答志志島和具浦にある九鬼嘉隆公の胴塚
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2014/6/28

綾部愛石会第48回グンゼ集蔵(つどいぐら)で6月28日・29日開催中!  綾部の文化財

恒例の綾部愛石会第48回展グンゼ「集蔵(つどいぐら)」水石展が6月28日(土)午前10時〜午後5持迄、6月29日(日)は午前10時〜午後4時まで開催されています。
 主催は綾部愛石会(屋敷憲介会長)で、後援は綾部市文化協会、あやべ市民新聞です。
私がこの綾部愛石展を始めて見たのは6年前、以後毎年見続けており、今年で6回目となります。
 自然石と盤と卓が三位一体となって非日常的な美を追求されています。始めて見たときショックを受け、今回も販売されている、愛石家マニア向けの専門情報誌「愛石」を購入して読んで見た!素晴らしいカラー写真入りで解説も大変解りやすい説明で良く水石の魅力が理解できた!
 入場料も無料です。駐車場も広くて便利で無料です!皆さんに鑑賞をお薦めしたくて、此処に掲載しました。
 見学者は広く京阪神一円にわたり、遠くは東京からもある諭旨です。
撮影ミスでビンボケの写真も有りますが、敢えて掲載しました。是非ホンモノを見てその良さを味わって下さい。尚、出展の自然石は毎年違った石が展示されています。
 おまけに、今回は有料で1,500円〜2,500円位で販売されていた石が無料で貰えました。早いもの勝ちです!今回は石に名前が付いていなかったが、元綾部の文化財を守る会々員の岸見直氏が丁寧に案内して貰って助かったです!
 ついでに、お隣に今年5月24日オープンの「綾部特産館」をも見てきました。綾部産の野菜が特に安いのが目につきました。グンゼ博物苑駐車場無料、愛石会展示も無料です!

1.会場受付午前9時45分
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2.出展目録(以下画面をクリックして頂くと1,500ピクセルの大画面で見れます。)
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3.飾り付け!
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4.屋敷憲介会長の大江山石(京都府)
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5.林 弘康氏の「お迎え石}の副題がつく瀬田川石(滋賀県)
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6.寺山重則氏の玄海石(福岡県)
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7.野島 昇氏の佐治川石(鳥取県)
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8.宮本太資氏(綾部の文化財を守る会副会長)の古谷石(和歌山県)
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9.酒井英一氏の上林石(綾部市)
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10.大槻 命氏の「棚飾り」の副題のつく大江山・由良川石(京都府)
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11.岸見 直氏の北川石(福井県)
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12.井上 稔氏の賀茂川石(京都市)
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13.永井秋夫氏の由良川石(京都府)
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14.船越八太郎氏の仁淀川石(高知県)
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15.入江幸野氏の旭川石(岡山県)
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16.荒木嘉忠氏の八瀬石(京都市)
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17.松本卓二氏の石手川石(愛媛県)
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18.無料で貰えた石(小生も1個貰った!)早いもの勝ち!
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19.綾部バラ園の一部から今年5月24日オープンの「あやべ物産館」を見る!
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20.同上  内部
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2014/6/27

小さな旅!松阪・綾部九鬼藩主家所縁の鳥羽の城下町を歩く!6.鳥羽みなとまち文学館!  文化財研修記

鳥羽市の綾部藩後の稲垣藩主家の菩提寺の光岳寺を後にしていよいよ鳥羽九鬼藩5万石の菩提寺であった常安寺へ徒歩で向かう。途中に「鳥羽みなとまち文学館」があった。
 鳥羽商工会議所では、鳥羽エコミュージアム構想に基づき、地域住民が主体となる具体的事業を推進しています。
 平成14年8月に大里通りに面した岩田準一邸を改装し、『鳥羽みなとまち文学館 岩田準一と乱歩・夢二館』をオープンしました.。
 また、平成16年4月に『鳥羽みなとまち文学館 乱歩館・鳥羽文学ギャラリー』を、平成18年には『鳥羽みなとまち文学館 幻影城』を整備し、平成19年11月には『鳥羽みなとまち文学館小路』を整備しました。
 ぜひ、ご来館ください。常安寺への途中の『岩田準一と乱歩・夢二館』の中庭を抜けると、乱歩館へ続きます。
●開館時間
平     日 午前10時〜午後3時
土・日・祝日 午前10時〜午後4時30分
●休館日 火・水曜日(祝日の場合はその翌日・年末年始)
●入館料 無料
●※駐車場はございません。   
1.地面には名所への案内図があります!
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2.鳥羽みなとまち文学館(入館料は無料)
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3.内部1.
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4.内部2.
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5.岩田準一氏の書斎
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6.江戸川乱歩の乱歩館「幻影城」へ
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7.江戸川乱歩の著者群
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8.パンフレットの一部
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2014/6/25

小さな旅!松阪・綾部九鬼藩主家所縁の鳥羽城下を歩く!5.九鬼藩後の稲垣藩主家の菩提寺・光岳寺!  文化財研修記

曹洞宗天英山光岳寺(こうがくじ)」の創建は正保元年(1644)開かれたのが始まりとされます。当初は三河国刈屋村にありましたが享保11年(1726)、稲垣昭賢が鳥羽藩3万石で入封すると現在地に移されています。鳥羽藩主稲垣家歴代の菩提寺として志摩国鳥羽藩として8代147年を治めた稲垣氏を開祖としており、豊川妙厳寺の末寺となっています。境内はそれほど大きくなく寺のすぐ裏には山が迫っており、鳥羽の土地柄が分かります。又この寺は菩提寺として庇護され、堂内には歴代稲垣家の位牌などが安置されています。寺宝である「日本丸の板戸絵(4枚)」は豊臣秀吉による朝鮮出兵の際、九鬼水軍の「日本丸」という軍船に設えられた板戸が4枚あり鳥羽市指定有形文化財に指定されています。このにっぽん丸は長さ138メートル、幅79メートルもある和船でした。現在小生が乗ったイージス艦妙高でも長さ150メートルです。また戦艦大和の幅が39メートルであったからいかにこのにっぽん丸が巨大であったか理解頂けるとおもいます。又、作家の江戸川乱歩が深夜、この寺で独り座禅を組み多くの推理小説等を出した事でも有名です。

1.光岳寺標柱
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2.山門前の駒札
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3.山門
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4.本堂
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5.本堂内
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6.お寺の空中写真
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7.九鬼藩の藩船「日本丸」図
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8.日本丸の板戸
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9.同上(ビンボケ)後で気が付いたが板戸は2枚で1枚だと!(駒札の写真でわかった。)
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2014/6/23

平成26年度芦田均記念館の元文部大臣の奥田幹生氏が講師の「文化講演会・芦田先生の想い出」に参加して!  

平成26年6月22日(日)午後1時30分からの平成26年度芦田均記念館の「文化講演会・演奏会」に参加した。テーマは〜芦田先生の想い出〜で講師は元文部大臣であった綾部市八津合町出身の奥田幹生氏であった。午後3時からは自衛隊福知山普通科連隊音楽隊の演奏が「365歩のマーチ」など8曲演奏された。
元総理大臣であった芦田均氏の父上は綾部市梅迫村にあった高雄氏から、福知山市の宮村にある江戸時代は綾部九鬼藩の山裏郷16ケ村の大庄屋の芦田家の家付き娘の婿として入った人であり、実家の高雄家も「高雄様には及びもないが、せめてなりたや大名に」と謡われたほどの豪家であった。芦田均氏の父の兄弟は男3名、女3名で、その3男が綾部志賀郷(しがさと)村の豪農(元山家藩の大庄屋)である遠藤家へ婿養子に入り、大変な苦労ののち、祖父の遠藤三郎兵衛の名を継ぎ、波多野鶴吉グンゼ初代社長の後の第2代目社長となり20年間もの社長を務め大グンゼに育て上げた。遠藤三郎兵衛氏は正に芦田均元総理大臣の叔父であり、芦田家を継いだ兄の芦田鹿之助氏よりもこの叔父の遠藤三郎兵衛と大変中が良かって、芦田均氏が初めて外交官になった時も服装の費用を無心した個人的な手紙も小生は綾部史談会の一員として読んでいる。というのは、遠藤家不幸が続き、愛甥の芦田均元総理の娘・瑠璃子さんを養女として育て、政府の財務官僚と結婚させて、横浜に遠藤瑠璃子さんご夫婦は住み、夫とご本人のお墓も志賀郷ある。
遠藤瑠璃子さんが亡くなり、その子息はあまり綾部とは縁がなかったので遠藤家の書物等殆どすべてを綾部市に寄贈して、我々綾部史談会(当時の会長は山崎巌先生で山崎善也綾部市長の父上)が遠藤家に伝わる古文書を解読した時、遠藤三郎兵衛氏と芦田均元総理の私信も必然的に見たわけです。
話は元に戻りますが、講師の奥田幹生氏は綾部市八津合町(やつあいちょう)出身で昭和3年生まれで小生の義兄の古和田治巳氏とも同級生で同じ京都師範学校を出て、2年間教師を務め、自分は教師に向かないと考え、早稲田大学政経学部政治学科に入学された。当時芦田均氏は総理大臣ともなり、奥田幹生氏は綾部の出身ということもあり、大いに引き立て、指導を受けられて、京都市議会議員、京都府議会議員を経験し、衆議院議員にもなり、平成8年には文部大臣に就任、平成12年政界引退。当時日本人は寺社を祀り独特の国家であることを悟り、頂いた名刺には現在は平安神宮崇敬者総代、平安講社総長と記載されている。

1.案内パンフレット
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2.芦田均元総理大臣の生家であり、現在の芦田均記念館(入館料無料です機会があったら見て下さい!小生はこれで3度目です!)
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3.受付で後ろが芦田均記念館ホールです!
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4.生家の一部
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5.同上
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6.庭の一部
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7.芦田均元首相生誕の地碑
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8.芦田均元首相顕彰会々長の開会の挨拶
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9.ショートトーク担当の井上重典氏の挨拶
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10.元文部大臣の奥田幹生先生が登場
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11.下記をクリックして、「音声付動画」で奥田幹生先生の講演の最初の一部を聞いて、見て下さい!1.
http://youtu.be/9BBjTFw3UBU

12.新聞を見せて、いかに芦田均元首相に先見の明があったかを説明される奥田先生です!
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13.下記をクリックして、「音声付動画」で熱意ある言葉で講演される奥田先生!2.
http://youtu.be/dhIzBjFGngU

14.同上      3.
http://youtu.be/pHVxOrL2X_I

15.奥田先生と井上重典氏とのショートトークです!
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16.井上氏の質問に答えられる奥田先生の言葉の一部です!下記をクリックして、「音声付動画」で見て下さい!4.
http://youtu.be/mMRdmCggs3o

17.2014年6月21日付け「読売新聞」の記事を見せて頂きました。この記事を見せて説明でした。
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18.教え子達と記念撮影される奥田先生です!
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19.雨の中午後3時自衛隊福知山普通科連隊音楽隊が演奏開始です!
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20.下記をクリックして、「音声付動画」で見事な「365歩のマーチ」を聞いてください!
http://youtu.be/afZJEbyvsw8

21.幸いにも雨も止み!大勢の人が外の演奏会場の間に出て来られました!
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2014/6/23

小さな旅!松坂と綾部九鬼藩主所縁の鳥羽城下町を歩く!4.九鬼嘉隆築城の鳥羽城!  綾部の文化財

三重県鳥羽市の鳥羽水族館前には小高い山がある。ここが鳥羽城で九鬼水軍として活躍した九鬼嘉隆により、文禄3年(1594)年に築城されました。九鬼氏は南北朝の動乱以降、志摩地方に勢力を伸ばしていた水軍の将でしたが、戦国期に嘉隆が織田信長に仕えるようになります。
嘉隆は、織田信長が天下統一を目指す過程で、苦心していた長島の一向一揆や、石山本願寺との戦いにおいて水軍を率いて数々の戦功を挙げました。なかでも、天正6年の大坂湾での第2次木津川口の戦いで、当時としては異例の大型の鉄甲船6隻を率いて毛利水軍を打ち破り、大坂本願寺の攻略に大きく貢献し、その功績により伊勢・志摩国のうち3万5千石を賜りました。
信長の死後は豊臣秀吉に仕え、日本丸という大型軍船を建造し、文禄元 九鬼嘉隆肖像画(常安寺蔵)(1592)年の朝鮮出兵の際にも日本丸を中心とした大船団を率いて参陣しました。
九鬼家のその後は嘉隆は、家督を子、守隆(もりたか)に譲り隠居しますが、慶長5年(1600)年の関ヶ原の戦いでは、嘉隆は石田光成側の西軍、守隆は徳川家康側の東軍に属し父子で、戦をしました。西軍の敗北後、嘉隆は、答志島へ逃れました。守隆の決死の助命願いにより許されたのも知らず、答志島の洞泉庵にて切腹しました。現在、答志島には嘉隆の首塚、胴塚があります。その後、守隆は戦功により5万5千石となるが、守隆が没すると、後継に久隆(ひさたか。妾の下女の子)を望み、隆季(たかすえ、正式な家臣の娘で妾)で家督争いが起こり、幕府の裁定により、久隆は摂津の三田(兵庫 日本丸の模型、旧市川造船所蔵)兵庫県県三田市)で3万6千石、新たにしょ3代将軍家光公より隆季は丹波国綾部(京都府綾部市)へ2万石を貰い、九鬼家は二分され、鳥羽の地を去ることになりました。綾部九鬼藩初代藩主隆李公の墓は鳥羽にあります。大名鉢植え政策で村上水軍も阿蘇の麓に転赴されている。現在も綾部九鬼藩の菩提寺は綾部の興隆寺にあり第14代九鬼宗隆前熊野本宮大社宮司であったが2003年6月27亡くなりここに埋葬されています。現15代目九鬼家隆氏は熊野本宮大社の宮司様です。

1.国道42号線の鳥羽水族館前の小山が鳥羽城跡です!鳥羽水族館と国道42号線
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2.小山に向かって少し歩くと三の丸跡と九鬼藩の代紋が見えてきます!正式な紋は「七曜(しちよう、定紋で、七つの黒丸です。)
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3.鳥羽城跡の駒札(画像をクリックして拡大して読んでください。)
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4.九鬼嘉隆の駒札(画像をクリックして拡大して読んでください。)
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5.三の丸から本丸へと登っていきます!九鬼氏は熊野出身で熊野本宮大社の八庄司の一人でしたが、勢力が伸ばせず三代目の二男九鬼隆良は志摩市大王町の波切村の川面家の養子になり波切城々主となった。隆良には子供に恵まれなかったので志摩和具の青山家から養子を迎え、波切九鬼2代目の隆基となった。この時点で本来の九鬼氏の血統は斬絶しています。
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6.更に、本丸へと登っていきます!
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7.城壁の跡(系図研究家の近藤安太郎氏は3代目とされる九鬼隆良は分家であり、本家は隆良の兄・隆長であり、隆良系は7代で絶え、隆長ののあとは光長・政長・政隆・浄隆・澄隆と続き、澄隆の異母弟・光隆が家督を継いだが熊野地方に留まり、光隆の弟・嘉隆が北畠氏に仕えたと伝える。
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8.城壁
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9.本丸跡から答志島が見える!
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10.本丸跡
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11.本丸跡の駒札
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12.本丸井戸跡
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13.本丸跡から降りる!傘は日傘で好天です!
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14.城壁(野面積あるいは穴太積より古い積み方ですね。)
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15.城内の牢屋跡
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16.城郭
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17.鷹羽龍年の鳥羽城の詩碑がある!
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2014/6/21

小さな旅!松阪と綾部九鬼藩主所縁の鳥羽の城下町を歩く!3.豪商三井家発祥の地!  文化財研修記

松坂城は三重県松阪市殿町にあり、 平山城(独立丘陵上に築城)で三重県指定史跡です。
遺構は往時の建物はないが、天守台と、野面積による高石垣が残っている。現況 本丸、二の丸一帯は松阪公園として整備されている。 松阪城は蒲生氏郷(織田信長の女婿)が天正12年(1584)近江国日野城6万石から伊勢国12万3千石を与えられて、この四五百森(よいほのもり)に構築した。 天正16年(1588)伊勢の松ヶ島城に入った氏郷は、城が狭く海岸に近すぎるので、古城砦のあった四五百森(宵の森)に大規模な要害城である松坂城を築いた。
このときに、3層の天守も建てられたといわれ、天守台の石垣は不等辺四角形をなしている。そして、城名を松坂城と名付けた。松坂の名は、氏郷は小田原征伐の功と伊達家に対応するため豊臣秀吉に天正18年(1590)陸奥国の会津若松60万石に移封された。 氏郷が会津若松へ移封後、  天正19年(1591) 服部一忠(はっとりかずただ)  文禄4年(1595) 古田重勝(ふるたしげかつ)と城主が変わり、元和5年(1619)紀州藩領となって、勢州領18万5千石を統轄する城代が置かれた。城は北を大手、南を搦手とし、本丸・二の丸・隠居丸・希代丸・出丸・三の丸より成り、本丸・二の丸・希代丸・隠居丸・出丸には高い石垣を築き、三の丸の外郭に水堀をめぐらせていた。3層の天守と金の間・月見・太鼓等の櫓がそびえ立っていたが、正保元年(1644)の台風で天守は倒壊したと伝えられている。また二の丸には寛政6年(1794)に建立された徳川陣屋があった。明治になって松阪に改名された。此れからは松坂商人豪商三井家なと見て回ります!


1.御城番屋敷の土蔵の横には「南龍神社」があります。紀州徳川藩初代藩主徳川頼宣公の字をとって南龍神社としています!
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2.城壁の横を通て城下町へ向かいます!
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3.ここも外堀の一部でした。
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4.左、三井家にならぶ豪商の長谷川邸です!(城内の博物間で特別展示をしていました。松阪城2−1を参照願います。)
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5.長谷川邸の斜め道路の反対側には「史跡本居宣長邸宅跡」があります!
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6.本居宣長邸址に残るは土蔵のみ!
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7.史跡には碑文があります!   
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8.本居宣長の書斎を「鈴屋」と呼んでおり、松阪市のマンホールはすべて「鈴屋」の鉄蓋がついています!
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9.松阪商人の館「小津清左衛門家住宅」
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10.同上 パンフレット
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11.住宅には火避けの土蔵が接してあります!
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12.土蔵の2階
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13.内庭の一部
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14.三井家本家跡
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15.数十年ぶりの松阪肉の鉄板焼きです!やっぱり美味かった!
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2014/6/19

小さな旅!松阪と綾部九鬼藩主所縁の鳥羽の城下町を歩く!松坂城2−2!  綾部の文化財

 松坂城は三重県松阪市殿町にあり、 平山城(独立丘陵上に築城)で三重県指定史跡です。
遺構は往時の建物はないが、天守台と、野面積による高石垣が残っている。現況 本丸、二の丸一帯は松阪公園として整備されている。 松阪城は蒲生氏郷(織田信長の女婿)が天正12年(1584)近江国日野城6万石から伊勢国12万3千石を与えられて、この四五百森(よいほのもり)に構築した。 天正16年(1588)伊勢の松ヶ島城に入った氏郷は、城が狭く海岸に近すぎるので、古城砦のあった四五百森(宵の森)に大規模な要害城である松坂城を築いた。
このときに、3層の天守も建てられたといわれ、天守台の石垣は不等辺四角形をなしている。そして、城名を松坂城と名付けた。松坂の名は、氏郷は小田原征伐の功と伊達家に対応するため豊臣秀吉に天正18年(1590)陸奥国の会津若松60万石に移封された。 氏郷が会津若松へ移封後、  天正19年(1591) 服部一忠(はっとりかずただ)  文禄4年(1595) 古田重勝(ふるたしげかつ)と城主が変わり、元和5年(1619)紀州藩領となって、勢州領18万5千石を統轄する城代が置かれた。城は北を大手、南を搦手とし、本丸・二の丸・隠居丸・希代丸・出丸・三の丸より成り、本丸・二の丸・希代丸・隠居丸・出丸には高い石垣を築き、三の丸の外郭に水堀をめぐらせていた。3層の天守と金の間・月見・太鼓等の櫓がそびえ立っていたが、正保元年(1644)の台風で天守は倒壊したと伝えられている。また二の丸には寛政6年(1794)に建立された徳川陣屋があった。明治になって松阪に改名された。
■御城番屋敷(ごじょうばんやしき)
美しい槇垣と石畳が残る。江戸末期に松阪城警護のために派遣された旧紀州藩士たちの組長屋。現在も子孫が維持管理して暮らしている。

1、城郭模型
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2.月見櫓跡
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3.月見櫓にある文学碑
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4.月見櫓跡碑
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5.月見櫓から大手門を見下ろす!
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6.本丸跡へ向かう!
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7、本丸跡と横の金網は深い井戸の簿危険防止のためです!
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8.天守台跡
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9.天守閣跡碑
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10.天守閣は三層であった!
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11.城跡にある「本居宣長記念館」前を通る!
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12.恩城番屋敷を見下ろす!
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13.裏門(搦手門)の」前には文政6年の銘の入った石灯籠がある。
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14.御城番屋敷の駒札
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15.御城番屋敷の土蔵
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16.御城番屋敷前の整然とした通りです!
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17.屋敷内(今も人々が住んで管理しています。)
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2014/6/17

小さな旅!松阪と綾部九鬼藩主所縁の鳥羽の城下町を歩く!1.松阪城!2−1  文化財研修記

5月22日(木)JA京都にのくに(年金友の会)の「歴史探訪講座」の「松阪城と綾部藩主九鬼氏の故郷を訪ねて」日帰り旅行に家内と参加した。参加総勢25名であった。JR綾部駅北口を午前6時30分に出発して、京都縦貫道、名神、新名神、伊勢道を通って午前9時40分に松阪城傍の市営駐車場に到着した。
 松坂城は三重県松阪市殿町にあり、 平山城(独立丘陵上に築城)で三重県指定史跡です。
遺構は往時の建物はないが、天守台と、野面積による高石垣が残っている。現況 本丸、二の丸一帯は松阪公園として整備されている。 松阪城は蒲生氏郷(織田信長の女婿)が天正12年(1584)近江国日野城6万石から伊勢国12万3千石を与えられて、この四五百森(よいほのもり)に構築した。 天正16年(1588)伊勢の松ヶ島城に入った氏郷は、城が狭く海岸に近すぎるので、古城砦のあった四五百森(宵の森)に大規模な要害城である松坂城を築いた。
このときに、3層の天守も建てられたといわれ、天守台の石垣は不等辺四角形をなしている。そして、城名を松坂城と名付けた。松坂の名は、氏郷は小田原征伐の功と伊達家に対応するため豊臣秀吉に天正18年(1590)陸奥国の会津若松60万石に移封された。 氏郷が会津若松へ移封後、  天正19年(1591) 服部一忠(はっとりかずただ)  文禄4年(1595) 古田重勝(ふるたしげかつ)と城主が変わり、元和5年(1619)紀州藩領となって、勢州領18万5千石を統轄する城代が置かれた。城は北を大手、南を搦手とし、本丸・二の丸・隠居丸・希代丸・出丸・三の丸より成り、本丸・二の丸・希代丸・隠居丸・出丸には高い石垣を築き、三の丸の外郭に水堀をめぐらせていた。3層の天守と金の間・月見・太鼓等の櫓がそびえ立っていたが、正保元年(1644)の台風で天守は倒壊したと伝えられている。また二の丸には寛政6年(1794)に建立された徳川陣屋があった。明治になって松阪に改名された。
■御城番屋敷(ごじょうばんやしき)
美しい槇垣と石畳が残る。江戸末期に松阪城警護のために派遣された旧紀州藩士たちの組長屋。現在も子孫が維持管理して暮らしている。

1.東名阪亀山PA(08:50〜09:05
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2.松坂城址の横の市営駐車場にある案内看板
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3.松坂城址碑
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4.松坂城大手門からの突きあたり!手前に大手門があった!
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5.松坂城址碑と碑文
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6.大手門碑
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7.城跡には「松阪市立歴史民俗資料館」がある。
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8.資料館入口の碑文(入館料100円のみ)
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9.企画展パンフレット(長谷川家は近くの三井本家以上の豪商であった。)
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10.長谷川家は江戸時代より、三井家、長井家と松坂を代表する江戸店を持つ豪商であった。特に第三代目政幸は丹波屋次郎兵衛を名乗り、松坂木綿を中心とし、伊勢国産、尾張、三河の木綿を松坂で仕入れこれを江戸で販売した。
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11.展示物
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12.同上
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13.同上
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14.同上
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2014/6/16

綾部九鬼藩主の菩提寺・隆興寺の本興稲荷神社と藤山天満宮380年遷座落慶法要が盛大に開催!  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」神宮寺町には江戸時代初期の寛永10年(1633)に綾部藩九鬼藩主家の菩提寺として開創された臨済宗・隆興寺(りゅうこうじ、姫坂祥仁住職)が昨年開山380年を迎えた。この記念事業として、同寺の境内で取り組んでいた「本興稲荷神社(ほんこういなりじんじゃ)」と「藤山天満宮(ふじやまてんまんぐう)の2つの社の改修工事が完成した。6月15日(日)午前10時から「開山380年記念両神社の遷座落慶法要が盛大に開催された。法要の中ではご来賓として、山崎善也綾部市長、四方源太郎京都府々会議員、高倉武夫綾部市技家議長、安藤和明綾部市議会議員ら多数のご来賓を迎え、また綾部九鬼家の末裔(まつえい)で和歌山県田辺市本宮町の熊野本宮大社九鬼家隆宮司による祝詞奉上や最後に祝辞もあった。綾部九鬼藩主家は初代藩主九鬼隆李(くきたかすえ)が鳥羽より、この綾部藩2万石の藩主となって綾部に入り、10代続いて明治維新を迎えた。この九鬼家はもとは熊野本宮大社の社家から出て、鳥羽城主5万石となった九鬼嘉隆(くきよしたか)とその跡継ぎ九鬼守隆(くきもりたか)は関ヶ原の戦いで西軍、東軍に分かれて、東軍の守隆が嘉隆の生存を願い出たが、早まって嘉隆は鳥羽の答志島にて切腹した。守隆は後継者として隆李の異腹の久隆を指名して、久隆は3万石で大阪府三田市に入った。のち徳川家光公より隆李(たかすえ)はあらたに2万石でこの綾部へ入部した。この綾部藩初代藩主九鬼隆李(たかすえ)公の墓は実際には鳥羽の常安寺にある。綾部の隆興寺にあるお墓には墓石があるが遺骨は2代目以降である。
尚、九鬼の性は鬼の上の点がない鬼ですが、PCではその「文字」が出せません。

1.午前9時30分の神宮寺町の隆興寺の綾部藩九鬼家の墓所です。現熊野本宮大社の九鬼家隆の父上の墓もここにあります。
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2.お墓の図面
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3.「祖霊を忍びて」第62世九鬼宗隆氏の碑文(昭和47年築、現熊野本宮大社宮司九鬼家隆氏の父上の碑文です。)
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4.歴代九鬼家の霊廟
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5.本興稲荷大明神への登り参道
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6.午前10時過ぎ若宮神社宮司様を先頭に、九鬼家隆熊野本宮大社宮司様、続いて隆興寺の横の末寺の西福院の渡辺住職様、姫坂隆興寺住職様4名が登り参道から登場です!
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7.本興稲荷神社の内陣
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8.藤山天満宮
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9.開会の儀
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10.山崎善也綾部市長、四方源太郎京都府会議員、高倉武夫綾部市議会議長、安藤和明綾部市議会議員など多数のご来賓と参列者は「般若心経」の読経の中でご焼香されました。
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11.神仏混淆の式典なのでここからは神式で、若宮神社宮司様のお祓いです!
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12.九鬼家隆熊野新宮大社宮司様の祝詞奉上です。下記をクリックして、「音声付動画」で祝詞を聞いてください!
http://youtu.be/xYE-1XY7mjg

13.御詠歌奉納です!
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14.下記をクリックして、「音声付動画」で御詠歌奉納を聞いてください!
http://youtu.be/tgK3YTg9OP8

15.九鬼水軍太鼓の奉納です!
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16.下記をクリックして、「音声付動画」で九鬼水軍太鼓のほんの走りを聞いてください。実際は一部と二部の豪壮な太鼓演奏奉納です!この太鼓に合わせて水軍の船を緩急自由に操つります。実際に鳥羽に残る小早船を由良川で操られてのを見たこともあります。織田信長の水軍が最初の淀川での戦いで毛利方の村上水軍の何百艘もの小早船から焙烙包で安宅船は焼き討ちで負けて、その後九鬼家に鉄鋼張りの大安宅船「日本丸」を作らせたことも有名です!
http://youtu.be/hcPsQVb-gsQ

17.九鬼家隆熊野新宮大社宮司様の「綾部の発展を祈って」の素晴らしい祝辞を頂きました。小生も「京都府文化財保護指導委員の一人」としてご挨拶と名刺の交換をもしました。噂の通り気さくな方でした。
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18.山崎善也綾部市長のこれまた素晴らしい祝辞でした。父上の山崎巌先生は恩師にあたり、当会「綾部の文化財を守る会創立35周年記念講演」もして頂きました。
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19.姫坂隆興寺住職の藤山天満宮についてと御礼のごあいさつもありました。姫坂住職の父上とは綾部中学校での同級生で中が良かったのですが、彼は5歳で亡くなって真に残念でした。
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20.新しい本興稲荷神社をバックに記念写真撮影です!
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