2014/5/30

畿内の文化財・史址を見る!23.四季の見事な花で有名な古社・春日神社!!  文化財研修記

大阪府豊中市宮山1−10−1には天照皇大神(あまてらすおおかみ)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)・武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ)を祀り、四季の花で有名な古社の春日神社があります。訪れたのは4月11日でゴバツミツバツツジが満開でした。
 ご存知の通り天照皇大神は、国民の総氏神と呼ばれ、伊勢神宮・内宮の御祭神として奉られており、太陽神、火の神、光の神として知られています。また、国家鎮護の神、統治の神でもあります。そこから、農業、誓約、事始め、法律、道徳の神として親しまれております。天児屋根命(春日大神)は、中臣氏の祖神であり、春日大社の主祭神です。家内安全、智恵、神事、文学、言葉の他、防衛、歌曲、芸能の神として親しまれています。武甕槌大神は、鹿島神宮で主祭神として奉られております。武道、力の神として知られております。
創建年代は不詳であるが、旧桜井谷村の地を領き坐す恵み深い神として、親しまれています。伝記によると、仁明天皇の承和2年(835)に社殿の修繕をなし、延元3年(1338)兵火に罹り消失、その後、仮殿に神霊を奉斎し文明15年(1483)社殿を再建しました。社殿は壮観を極めたが、永正6年(1509)に足利義稙に従来の社殿152石を半減せられ、世間が戦乱の世に移るにつれて荒廃に傾きました。織田信長の伊丹城主荒木村重を討つ際社殿焼失したが、一時四方に離散した氏子が相謀り、天正6年(1578)、僅かに仮殿を造って、神霊を奉斎しました。後、安部摂津守の領地となりその陣屋は、境外地近くに設けられ、当社再建に着手し、慶安3年(1650)に遷座し奉り、現在に至っております。 また、社殿前の一対の燈籠(とうろう)は、延享元年(1744)領主安部摂津守に奉献されたもので、本社殿前に鎮座する狛犬(こまいぬ)は文政7年(1824)に当時の少路村、内田村それぞれの若中より奉献された貴重な存在です。(HPより抜粋掲載) 

1.桜が見事な春日神社
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2.手水舎
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3.拝殿(両側の一対の燈籠(とうろう)は、延享元年(1744)領主安部摂津守に奉献されたもの)
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4.拝殿内陣
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5.摂社の天満宮
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6.摂社への参道
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7.コバミツバツツジ満開の参道
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8.同上
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9.拝殿から本殿を斜めから見る!
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2014/5/28

畿内の文化財・史址を見る!22.北摂津のお稲荷さんと呼ばれる豊中稲荷神社!  文化財研修記

 大阪府豊中市本町7丁目3−7に鎮座する豊中稲荷神社(とよなかいなりじんじゃ神社があり、北摂津の稲荷神社と呼ばれています。稲荷神社が正式社名で、豊中稲荷神社は通称です。主祭神は宇迦御魂神、天照皇大神、月読命です。
創建年代は不確かながら、行基創建の金寺に近衛氏から寺領数10町歩の寄進があり、この守護神として勧請されたことに始まるとされる。以後三車之荘(新免乃荘)の産土神として栄えたが、永正元年(1504)、足利義稙により社領を没収され、荒廃した。更に天正6年(1578)、織田信長が伊丹城の荒木村重攻略に当たり、高山右近に命じて摂津国一円の社寺を焼き払わせたため、当社の宝物も、神璽を除き烏有に帰してしまった。
戦火が収まると、神社は仮殿を経て慶安4年(1651)に再建されたものの、往時に比べればささやかな小社となった。時は移り昭和45年(1970)、再建320周年記念行事として幣殿・拝殿・社務所を改築し、本殿は旧来のままで覆殿を新築した。
周囲はかつて農村だったが今や完全に住宅地と化し、境内は隣接する公園と共に貴重な緑の空間となっている。当社は丘陵地に位置するため、周囲は古くから水利に難があった。このためかつては雨乞いの祈雨祭がしばしば催されたという。領主だった保科氏からも牡丹餅の奉納があり、また氏子が奉納する飛上り太鼓が知られていたものの、祈雨祭は周囲の宅地化につれて行われなくなった。

1.街の中にある朱の第一の大鳥居
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2.朱の第二の鳥居
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3.第二の鳥居と狛犬
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4.第三の鳥居位と拝殿が見えます!
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5.手水舎
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6.豊中稲荷神社標柱
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7.見事な拝殿
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8.拝殿の内陣を見る!
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9.見事な拝殿から後部の本殿
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10.摂社の松尾神社
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11.神輿蔵内
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12.同上
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2014/5/26

第44回春の研修旅行、滋賀県の有名な湖東三山の国宝・文化財を訪ねて3(百済寺)  綾部の文化財を守る会研修記録

百済寺喜見院の名勝庭園を拝観し、天下遠望の名園(喜見望郷庭)に登り、戦国歴史ロマンの大舞台を遠望。参道を登り仁王門、本堂に参拝した。

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百済寺山門前で案内を見る

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百済寺のマップ

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百斎寺 三百坊の由来記

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喜見院山門をくぐる

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喜見院境内

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喜見院庭園

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喜見院の庭園にて

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池を石伝いに歩いてまわる

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天下遠望の名園(喜見望郷庭)に向かい登る

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戦国歴史ロマンの大舞台

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天下遠望の名園(喜見望郷庭)からの眺望

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百済寺・天下遠望の郷

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天下遠望の名園(喜見望郷庭)

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最後の山城、最初の平城

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ルイス・フロイス
日本史2

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信長公記

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仁王門まで登ってきた

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仁王像

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愛東町指定文化財

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百済寺本堂

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本堂内で参拝する会員

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鐘楼を突く

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思惟観音像

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思惟観音像の建立記

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2014/5/26

第44回春の研修旅行、滋賀県の有名な湖東三山の国宝・文化財を訪ねて2(金剛輪寺)  綾部の文化財を守る会研修記録

昨年春の綾部の文化財を守る会の研修旅行記。
ご住職の法話を聞くためバスで中腹まで登り下車、国宝の本堂で法話を拝聴後、歩いて赤い風車の並ぶ参道を下り、名勝の金剛輪寺庭園を拝見した。

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ゲートを開いていただき、専用道路をバスで中腹まで登り、参道横の駐車場から歩く
麓の山門から続く参道に出て仁王門へ向かう 参道を登る一行

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仁王門を見上げる

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国宝・金剛輪寺本堂

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昨年春の綾部の文化財を守る会の研修旅行記。
ご住職の法話を聞くためバスで中腹まで登り下車、国宝の本堂で法話を拝聴後、歩いて赤い風車の並ぶ参道を下り、名勝の金剛輪寺庭園を拝見した。

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国宝・金剛輪寺本堂

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鐘楼

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国宝・金剛輪寺本堂

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重要文化財・金剛輪寺三重塔

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重要文化財・金剛輪寺三重塔案内

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赤い風車と地蔵の並ぶ参道

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赤い風車と地蔵の並ぶ参道を降りる

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赤い風車と地蔵が一面に並ぶ

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金剛輪寺明寿院

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名勝の金剛輪寺明寿院庭園の案内

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池泉回遊式庭園の案内

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桃山期の庭

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次々と庭園を回遊する

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江戸初期の庭

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次々と庭園を回遊する

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次々と庭園を回遊する

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茶室 水雲閣

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次々と庭園を回遊する

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腰掛けて庭園を鑑賞

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江戸中期の庭

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次々と庭園を回遊する

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次々と庭園を回遊する

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蓮池

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次々と庭園を回遊する

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山門

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始め地蔵

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金剛輪寺の受付

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金剛輪寺山門 駐車場は道路をはさみ前にある

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2014/5/26

畿内の文化財・史址を見る!21..伊射奈岐大神を祀る延喜式内社の伊射奈岐神社!!  文化財研修記

 大阪府吹田市佐井寺(さいでら)1−18−26には伊射奈岐大神を祀る延喜式内社の伊射奈岐神社(いざなぎじんじゃ)がある。
主神は伊射奈岐大神、八幡大神(相殿)、素盞鳴大神(相殿)
春祭 5月5日 、例祭 10月10日で月次祭は毎月1日、15日です。
當社は延喜式神名帳に登載されている伊射奈岐神社二座の御社の一座がこの神社である。
人皇第21代雄略天皇22年(478)9月の豊受大神を丹波國与謝郡真奈井の原より伊勢国渡会郡山田の原に御遷座の翌年(479)9月天照大御神の御神託を受けた伊勢斎宮皇女倭姫のお教によりこの佐井が原に伊射奈岐、伊射奈美両大神をお祭りしたのが、當社の始まりとされている。清和天皇貞観元年(859)正月27日「伊射奈岐神從五位上を授かつた」と日本三代実録に記されている。貞観から延喜年間に伊射奈美大神を東北の地にご遷座、これを姫宮と称し、本社を奥宮と称した。現在は佐井寺、佐竹台、津雲台、桃山台、竹見台、五月が丘、千里山全域などの鎮守の神である 。(以上は、神社の掲示板からです。)

1.石の大鳥居と標柱
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2.手水舎
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3.摂社の稲荷神社
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4.摂社の口水神社
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5.見事な拝殿
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6.見事な拝殿と本殿を見る!
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2014/5/24

畿内の文化財・史址を見る!20西国霊場第24番札所で明治天皇用唯一の祈願寺「中山寺」2−2!.  綾部の文化財

  兵庫県宝塚市中山寺2丁目11−1には西国33ケ所霊場第24番札所の紫雲山・真言宗中山寺派大本山・中山寺(なかやまでら)がある。ご本尊は木造十一面観音様で国の重要文化財です。本尊は十一面観世音菩薩であり、インドの勝鬘夫人(しょうまんぶにん)の姿を写した三国伝来の尊像と伝えられる。左右の脇侍も十一面観世音菩薩で、本尊と脇侍をあわせて三十三面となり、西国観音を総摂すると共に法華経に説く観音の三十三権変化身を表象し、真の三十三所巡拝と同じ功徳がえられるという。普段は秘仏となっているが、毎月18日に開扉される。地元では「中山さん」と親しみを込めて呼ばれている。
 寺伝では聖徳太子が建立したとされる日本最初の観音霊場。「極楽中心仲山寺」と称されていた。現在の本堂(慶長8年・1603再建)や阿弥陀堂は豊臣秀頼が片桐且元に命じて再建した。羅漢堂には約800体の羅漢像が並ぶ。安産祈願の霊場として皇室、源頼朝など武家、庶民より深く信仰を集めた。豊臣秀吉が祈願して豊臣秀頼を授かったとされる。また、幕末には中山一位局が明治天皇を出産する時に、安産祈願して無事出産したことから、日本唯一の明治天皇勅願所となり、安産の寺として知られる。
中山という山が背後にあり、山麓にある中山寺奥之院には厄神明王がまつられ、本堂脇にある湧水は大悲水と呼ばれている。毎月の戌(いぬ)の日は、安産祈祷会があり、安産を願い、また、鐘の緒(かねのお)(祈祷を受けた腹帯)の授与を求めて、日本各地から多くの参詣者が訪れている。インド・ネパールの仏跡巡拝後、副団長であった福井県高浜市の中山寺の当時の杉本勇乗ご住職のご好意で現皇太子殿下が幼少の時、ご休憩された部屋に親子5名泊めて頂き、子供が襖など破らないか心配したことをも思い出されます。

1.本堂への石段参道
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2.護摩堂
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3.境内(左後ろに大願塔が見える!)
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4.手水舎と鐘楼
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5.寿老神堂
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6.大黒堂
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7.中山寺古墳の「石の檀(からと)」の駒札
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8.同上の中山寺古墳
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9.阿弥陀堂
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10.巨大な大願塔
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11.子授け地蔵
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12.本堂を右側から見る!
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13.一番高台の大師堂(工事中で望遠レンズで撮る!)
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14.見事な鐘楼を再度見る!
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2014/5/22

畿内の文化財・史址を見る!19.西国霊場第24番札所で明治天皇用唯一の祈願寺「中山寺」2−1!  文化財研修記

兵庫県宝塚市中山寺2丁目11−1には西国33ケ所霊場第24番札所の紫雲山・真言宗中山寺派大本山・中山寺(なかやまでら)がある。ご本尊は木造十一面観音様で国の重要文化財です。本尊は十一面観世音菩薩であり、インドの勝鬘夫人(しょうまんぶにん)の姿を写した三国伝来の尊像と伝えられる。左右の脇侍も十一面観世音菩薩で、本尊と脇侍をあわせて三十三面となり、西国観音を総摂すると共に法華経に説く観音の三十三権変化身を表象し、真の三十三所巡拝と同じ功徳がえられるという。普段は秘仏となっているが、毎月18日に開扉される。地元では「中山さん」と親しみを込めて呼ばれている。
 寺伝では聖徳太子が建立したとされる日本最初の観音霊場。「極楽中心仲山寺」と称されていた。現在の本堂(慶長8年・1603再建)や阿弥陀堂は豊臣秀頼が片桐且元に命じて再建した。羅漢堂には約800体の羅漢像が並ぶ。安産祈願の霊場として皇室、源頼朝など武家、庶民より深く信仰を集めた。豊臣秀吉が祈願して豊臣秀頼を授かったとされる。また、幕末には中山一位局が明治天皇を出産する時に、安産祈願して無事出産したことから、日本唯一の明治天皇勅願所となり、安産の寺として知られる。
中山という山が背後にあり、山麓にある中山寺奥之院には厄神明王がまつられ、本堂脇にある湧水は大悲水と呼ばれている。毎月の戌(いぬ)の日は、安産祈祷会があり、安産を願い、また、鐘の緒(かねのお)(祈祷を受けた腹帯)の授与を求めて、日本各地から多くの参詣者が訪れている。約35年前にここの住職様を団長に、副団長に福井県高浜市の中山寺のご住職で総本山東寺に関係する六大新報社とJTB海外旅行京都支店で共催でインド・ネパールの仏跡めぐり18日間を実施し、小生が添乗員で同行しました。現地インドではシーク人(ターバンを付け、一生髭を剃らず、腰にミニチュアだが剣を付けている人でシーク教の信者です。)2回に分けて掲載します。

1.中山寺標柱
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2.見事な山門
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3.山門から境内を覗く!
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4.阿形の仁王像
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5.吽形の仁王像
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6.有名な水子供養の総持院(塔頭)
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7.有名な祈願寺(塔頭)宝蔵院山門
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8.同上 本堂
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9.同上 上、大日如来像、下、大弁財天像
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10.お宮参りで有名な観音院(塔頭)
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11.稲荷大明神
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12.納経所
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13.普賢院(塔頭寺院)
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14.成就院(塔頭寺院)
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2014/5/20

畿内の文化財・史址を見る!18.西国観音霊場第23番札所で勝運の寺として有名な勝尾寺!  文化財研修記

 大阪府箕面市粟生間谷2914−1には西国観音霊場第23番札所、法然上人第5番霊場の高野山真言宗の勝尾寺(かつおうじ)がある。山号は応頂山。開山は開成(かいじょう)、本尊は十一面千手観世音菩薩である。寺号は「かつおじ」「かちおじ」などとも読まれる。伝承によれば、勝尾寺の草創経緯は次のとおりである。神亀4年(727)、 藤原致房の子の善仲、善算の兄弟はこの地に草庵を築き、仏道修行に励んでいた。それから約40年後の天平神護元年(765)、光仁天皇の皇子(桓武天皇の異母兄)である開成が2人に師事して仏門に入った。宝亀8年(777)、開成は念願であった大般若経600巻の書写を終え、勝尾寺の前身である弥勒寺を創建した。そして、数年後の宝亀11年(780)、妙観が本尊の十一面千手観世音菩薩立像を制作したと伝えられる。
開成の僧としての事績については正史に記載がなく不明な点も多いが、北摂地域の山間部には当寺以外にも高槻市の神峯山寺など、開成の開基または中興とされる寺院が点在している。勝尾寺は平安時代以降、山岳信仰の拠点として栄え、天皇など貴人の参詣も多かった。元慶4年(880)、当時の住職行巡が清和天皇の病気平癒の祈祷を行い、「勝王寺」の寺号を賜るが、「王に勝つ」という意味の寺号は畏れ多いとして勝尾寺に差し控えたという。『日本三代実録』は、元慶4年、清和天皇死去についての記事で、同天皇が「勝尾山」に参詣したことを述べており、これが勝尾寺の文献上の初見である。元暦元年(1184)、治承・寿永の乱(源平合戦)の一ノ谷の戦いのあおりで焼失。文治4年(1188)、源頼朝の命により、熊谷直実・梶原景時によって再建された。承元4年(1210)には晩年の、讃岐国流罪から戻った法然が当寺に滞在している。Jリーグのプロサッカークラブであるガンバ大阪も毎年必勝祈願を行っている。

1.勝尾寺標柱
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2.豊臣秀頼寄進の見事な山門
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3.阿形の仁王像
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4.吽形の仁王像
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5.山門から見た境内
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6.知恵の輪
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7.明治中興記念碑と多宝塔
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8.一願不動尊
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9.何処も勝ちダルマで一杯!
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10.日本最古の厄払い三宝荒神
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11.鎮守堂
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12.開山堂
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13.水掛観音堂
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14.大師堂
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15.豊臣秀頼寄進の本堂
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16.鐘楼
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17.不動堂
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18.不動堂内
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19.アップした多宝塔
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20.法然上人が4年間修行され、善導大師の夢のお告げで、浄土宗本基の戒を授かられた「二階堂」
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2014/5/18

畿内の文化財・史址を見る!17.為那都比古大神、為那都比売大神を祀る延喜式内社の為那都比古神社!  文化財研修記

大阪府箕面市石丸2丁目10−1には主祭神:為那都比古大神、為那都比売大神を祀る延喜式式内社の為那都比古神社(いなつひこじんじゃ)があります。創建は不明ですが、合祀神:天照皇大神、応神天皇、大山咋神、木花咲耶姫命、天児屋根命、火之迦具土神、事平大神、市杵島姫命、速素盞烏命、菅原道真を祀っています。この地一帯を治めていた豪族の為那都比古を祀ったのが始まりです。平安初期の「延喜式」の神名帳には記載されており、当社は二座ありました。当社は、この鎮座地に為那都比古大神、為那都比売大神の夫婦神二座が同殿にお祀りされていましたが、寛平年間(889〜898)に別れて別殿になり、白島字中尾の地に為那都比売大神をお祀りし為那都比古神社(大宮神社)と称した。しかし、この神社を含む萱野地方の神社10社とその境内社5社が、国の指導により明治40年(1907)に当社に合祀され現在に至っています。天正年間(1573〜1582)織田信長は、高山右近に命じ摂津一円の神社を破壊するにおよび織田信長の信仰厚い「牛頭天王」を祀っていると称し、その難を逃れた時期もありました。

1.正面鳥居
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2.神門
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3.西の鳥居
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4.為那都比古神社の祭神等の碑文群
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5.同上
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6.手水舎
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7.社標石
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8.拝殿
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9.拝殿内
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10.見事な本殿
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11.拝殿横の天満宮
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12.左、拝殿、裏は本殿、右は天満宮
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2014/5/16

畿内の文化財・史址を見る!16..源満仲、頼光、頼信、頼義、義家の五公を祀る多田神社!  文化財研修記

 兵庫県川西市多田院多田所1には源氏のふるさと多田神社(ただじんじゃ)があります。
当神社は、天禄元年(970)に創建され、元多田院とも、また、多田大権現社とも言われ、関西日光の称ある大社です。御祭神は、第56代清和天皇のひ孫贈正一位鎮守府将軍源満仲公をはじめ、頼光、頼信、頼義、義家の五公をお祀りしていることから、源氏発祥の地と言われています。五公が国家の重臣として尽くされた功績は我が国史上鮮やかに輝いています。満仲公は武門の棟梁として、国家鎮護の大役を果たされたのみならず、沼地を開拓して多くの田畑を造り、又河川を改修して港湾を築き、又鉱山事業など殖産興業に力を注ぎ、国力の増進と源家繁栄の基礎を築かれました。又頼光公の鬼賊退治、頼信公が平忠常を討伐して関東を平定し、又頼義、義家両公が前九年、後三年の両役に自ら大軍を率いて奥羽(東北地方)におもむき、現地の豪族を討伐した事など、皆同じく畏敬するところであります。従って当社は、武運長久の勅願社として、又家運隆昌、厄除開運の守護神として崇敬されている大社であります。現在の社殿は、徳川四代将軍家綱公の再建に依るもので、境内1万6千坪に、内廓外廓の二重になっており、外廓南門に楼門(県指定)があり、東西に高麗形の大門(県指定)があり、それに社務所、宝物殿、儀式殿、斎館などがあります。又内廓には、御神廟、御本殿(国指定)、拝殿(国指定)、隨神門(国指定)、神輿庫、神馬舎などがあり雄大な神社です。 宝物殿には、多田神社文書(国指定)を始めとする昔を偲ぶ甲冑、刀剣、書画など多数陳列してあり、拝観する事ができ史学研究には大変便利です。
 環境は静寂であり、楼門階下には猪名川が流れ、後方に鷹尾山を控えた高地であるから、眺めがすばらしく、又杉、檜、楓や桜など相交わり、特に日本一の唐椿(キャプテンロー)の老木をはじめ、招霊(おがたま)、タラヨウ、無患子(むくろじ)など珍しい樹木が鬱蒼と繁茂している清浄の霊地であります。 このような観点から、文部省より国史上重要な地域であるとして境内一円は、史蹟指定を受け、県においては、観光地として県立公園に指定されているのであります。多田神社HPより抜粋掲載。

1.猪名川(いながわ)の朱塗りの橋と遠方には鳥居が見える!
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2.多田神社の標柱と参道
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3.左側から見た多田神社の史跡碑
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4.県指定文化財の高麗門
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5.文化財の掲示板
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6.境内図
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7.鳥居と国重文の随身門が見える!
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8.切妻造りの国重文の随身門
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9.阿形の随身
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10.吽形の随身
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11.横綱貴乃花と曙の記念植樹
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12.国重文の見事な拝殿
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13.日本一の唐椿(キャプテンロー)の老木と本殿
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14.国重文の拝殿後部から国重文の本殿を見る!
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15.国重文の本殿を右側から見る!
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16.見事な神輿です!
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17.見事な遥拝所です!
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18.水戸黄門お手植えの銀杏(目を疑ったでス!黄門とは引退した中納言のことですよ!通常水戸黄門とは水戸光圀のことを言いますが、代々水戸家当主が引退すれば黄門様と呼ばれています。中納言に関して言えば、加賀の前田黄門と云えば前田利長の異母弟第3代目藩主の利常の事ですよ!水戸黄門は日本中を角、助さんをお供にして善悪を正して回った大嘘!がここにあります!)
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