2014/3/30

近江の文化財・史址を見る!26.湖南三山の一つで国宝の本堂を持つ長寿寺!  文化財研修記

滋賀県湖南市東寺5−1−11には湖南三山の一つ長寿寺(ちょうじゅじ)がある。その創建は、奈良時代後期の天平年中(729〜748)、聖武天皇の勅願によって良弁が創建したと伝えられる。紫香楽宮の鬼門を守護するために、東に長寿寺、西に常楽寺の二寺院を開基した。創建当時は常楽寺と同じように三重塔が建っていたが、後述の事情によって現在は失っている。奈良時代から平安時代にかけて、湖南市の阿星山には多くの寺院が建ち並び、「阿星山五千坊」と呼ばれるほどの天台仏教圏を形成するようになり、ふたつの寺はその中心的存在として隆盛したが、現在その面影を残すのは、長寿寺と常楽寺のみになっている。本堂は一度焼失したものの、鎌倉時代には復興。源頼朝や、足利将軍家が祈願所としていたが、天正の頃に織田信長の手によって三重塔を安土城に移築したとされる。本堂の手前側は参拝者が礼拝をおこなう外陣。格子戸と菱欄間の向こう側が仏像を安置する内陣。鎌倉初期に再建された本堂は、桁行五間、梁間五間の五間四方の屋根一重桧皮葺寄棟造。軒が低くどっしりとした形が美しい向拝(本屋から張り出して庇を設けた部分)三間は、桟唐戸(さんからど)という框(かまち)を組み立て、その間に薄い鏡板などをはめた扉が入口として用いられ、左右には連子窓(れんじまど)が配されている。内部は非常に奥行きが深い堂が形成されており、化粧屋根裏や虹梁などに、藤原時代の雰囲気を色濃く残しているのが特長です。

1.長寿寺標柱と山門
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2.紅葉の参道
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3.内仏堂
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4.左側は長寿寺の鎮守社・白山神社の鳥居
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5.参道の途中には石造多宝塔(市指定文化財で鎌倉時代に聖武天皇の菩提を弔うため建立したものです。今は相輪が欠けていますが、この種の石造多宝塔の遺例は極めて少ない諭旨)
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6.手水舎
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7.鐘楼
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8.国宝の本堂
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9.国重文の弁天堂
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10.白山神社の手水舎
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11.国重文の」白山神社拝殿
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12.国重文の白山神社本殿
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13.三重塔の跡から長寿寺を見る!
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2014/3/28

近江の文化財・史址を見る!25.湖南三山の一つで国宝の本堂と三重塔を持つ常楽寺!  文化財研修記

 滋賀県湖南市にある常楽寺は奈良時代中期の和銅年間(708〜715)、元明天皇の勅命により良弁(ろうべん)が開いた「阿星山五千坊(あぼしやまごせんぼう)の中心寺院として、また紫香楽宮の鬼門を守護する寺としても栄えたという。平安から鎌倉期には、皇室の帰依を受け寺運は隆盛の時を迎えた。延文5年(1360)には、火災で全焼しているが、同年再興されている。昭和の半ば頃からは無住職時代が続き寺内は荒れ果てていたが、現在は住職が任命され、維持管理や復興が進んでいます。 広い境内にたたずむ桁行七間、梁間六間、向拝三間、入母屋造、檜皮葺(ひわだぶき)の本堂は、明治31年に旧法により特別保護建造物に指定され、後の昭和28年に改めて国宝に指定されている。本堂内中央には秘仏の千手観音坐像が安置されており、周囲には重要文化財に指定された二十八部衆立像が安置されている。先の火災で諸堂は全焼したものの、仏像は僧侶たちによって持ち出され、難を逃れた。無住職時代の昭和56年にうち3体が盗難の被害に遭ったが、一体は発見され常楽寺に戻されている。
 常楽寺の特徴は、国宝に指定されている三重塔が本堂のすぐ近くに建てられていることです。釈迦如来坐像を安置する三重塔は、その姿形が美しいのも特色。背後の樹林に溶け込んで、本堂と共に絵になる光景を作り上げている。また寺内の裏山は近年整備が進み、参拝客が歩いて上ることができるようになった。小高い丘の上からは三重塔の上層階の様子や本堂の屋根など、通常の参拝では見ることのできない角度や方向からの風景を楽しむことができます。

1.鐘楼
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2.常楽寺駒札
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3.国宝の本堂と左側には国宝の三重塔が見えます!
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4国宝の三重塔を見上げる!
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5.行者堂
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6.薬師堂
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7.堂内の薬師如来像
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8.国宝の三重塔を真横から見る!
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9.西国観音霊場33ケ寺の石仏の一つ第3番粉河寺の鬼子母神の石仏
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10.もう一度国宝の本堂を横から見て下さい!
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11.下記をクリックして、「音声付動画」で紅葉の常楽寺を見て下さい!
http://youtu.be/TXIEwhJJZxg

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2014/3/14

近江の文化財・史址を見る!24.日吉神社の摂社の一つ三聖神社!  文化財研修記

 湖南市西寺571には伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、 速玉之男神(はやたあおのかみ)、 事解男神(ことかのおのかみ)を祀る三聖神社(さんせいじんじゃ)がある。御神紋は右三ツ巴 です。 御由緒としては創祀年代不詳、本社は天台宗常楽寺の境内にあって、山王三聖と称される日吉大社の上七社のうち大宮(西本宮)二宮(東本宮)聖真子(宇佑宮)を祀り三聖権現と称し同寺の護法神であった。本殿は一間社流造、間口一間、奥行一間 、拝殿は入母屋造、間口二間 、奥行二間、境内社は太神社と金峰神社です。

1.三聖神社の標柱
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2.拝殿と本殿を斜め右から見る!
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3.拝殿と本殿を正面から見る!
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4.本殿と摂社を右側から見る!
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5.右側の摂社・金峰神社
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6.左側から本殿と摂社・太神社を見る!
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2014/3/12

近江の文化財・史址を見る!23.近江八景の唐崎の雨情で知られる日吉大社の摂社の一つ唐崎神社!  文化財研修記

  唐崎神社(からさきじんじゃ)は、滋賀県大津市唐橋1−7にある神社で日吉大社の摂社の一つです。琵琶湖西岸に位置し、境内は滋賀県指定史跡になっていいます。
 ご祭神は女別当命(わけすきひめのみこと)であり近江八景一つ「唐崎の雨情」で知られています。日吉大社の社伝によれば、舒明天皇6年(633)、琴御館宇志丸宿禰がこの地に居住し「唐崎」と名附けたといい、祭神はその宇志丸宿禰の妻とされる。当社は持統天皇11年(697)に創建されたと伝えられ、かつては「女別当社」と呼ばれ、婦人病に霊験ありとして広く信仰を集めています。境内には、宇志丸宿禰が植えたのに始まるとされる「唐崎の松」があり、境内から琵琶湖を背景に唐崎の松を描いた歌川広重の「唐の雨情」で知られており、近江八景に選ばれている。宇志丸宿禰が植えた初代の松は天正9年(1581)に大風で倒れ、天正19年(1591)、大津城主だった新庄直頼の弟・新庄直忠が2代目の松を植えた。2代目も大正10(1921)に枯れ、現在のものは3代目です。

1.神社案内板
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2.手水舎
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3.見事な拝殿
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4.拝殿から本殿を見る!
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5.本殿を裏から見る!
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6.見事な三代目の霊松!
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7.神社の駒札
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2014/3/10

近江の文化財・史址を見る!22.国宝の西本宮本殿と東本宮を持つ日吉大社!  文化財研修記

大津市坂本5丁目1−1には全国に約3,800社ある日吉・日枝・山王神社の総本社で国宝の西本宮本殿と同じく国宝の東本宮がある日吉大社(ひよしたいしゃ)がある。通称として山王権現とも呼ばれる。西本宮と東本宮を中心に40万平米の広大な境内を持つほか、猿を神の使いとする。社名の「日吉」はかつては「ひえ」と読んだが、第二次世界大戦後は「ひよし」を正式の読みとしている。
 2つの本宮と以下の5つの摂社から成り、日吉七社・山王七社と呼ばれる。本宮西本宮は大己貴神(大国主神に同じ)を祀る、東本宮は山咋神、5摂社牛尾宮、大山咋神荒魂、 大山咋神の荒魂、樹下宮は鴨玉依姫命、三宮宮は鴨玉依姫命荒魂、 鴨玉依姫命の荒魂、文献では、『古事記』に「大山咋神、亦の名を山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山に坐し」とあるのが初見である。日枝の山(ひえのやま)とは後の比叡山のことである。
 近江京遷都の翌年である天智天皇7年、大津京鎮護のため大神神社の神を勧請した。以降、元々の神である大山咋神よりも大己貴神の方が上位とみなされるようになり、「大宮」と呼ばれた。平安京遷都により、当社が京の鬼門に当たることから、鬼門除け・災難除けの社として崇敬されるようになった。『延喜式神名帳』では名神大社に列格し、さらに二十二社の一社ともなった。最澄が比叡山上に延暦寺を建立し、比叡山の地主神である当社を、天台宗・延暦寺の守護神として崇敬した。中国の天台宗の本山である天台山国清寺で祀られていた山王元弼真君にならって山王権現と呼ばれるようになった。延暦寺では、山王権現に対する信仰と天台宗の教えを結びつけて山王神道を説いた。中世に比叡山の僧兵が強訴のために担ぎ出したみこしは日吉大社のものである。天台宗が全国に広がる過程で、日吉社も全国に勧請・創建された。
 元亀2年(1571)、織田信長の比叡山焼き討ちにより日吉大社も灰燼に帰した。現在見られる建造物は安土桃山時代以降に再建されたものである。信長の死後、豊臣秀吉は当社の復興に尽力した。これは、秀吉の幼名を「日吉丸」といい、あだ名が「猿」であることから、当社を特別な神社と考えたためだそうだ。4月12日〜14日の近江三大祭りの一つ「山王祭」でも有名です。

1.西本宮の山王鳥居(神仏習合の合掌鳥居とも呼ばれている珍しい鳥居です。)
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2.白山宮(白山宮は菊理姫命を祀っている)。
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3.宇佐宮(宇佐宮は田心姫神を祀っている。)
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4.参道にある「磐座(いわくら)」(神霊の宿る岩)
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5.国重文の見事な西本宮楼門
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6.西本宮楼門の四隅で木像のお猿さんが守っています。
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7.見事な西本宮の拝殿を横から見る!
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8.西本宮の駒札
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9.国宝の西本宮本殿を左側から見る!(現在の社殿は天正14年(1586)再建のもの)
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10.同上 右側から見る!
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11.全て国重文の7基の神輿の一つ
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12.同上
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13.東本宮の楼門
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14.右側は国宝の東本宮、左側は樹下宮です!
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2014/3/8

近江の文化財・史址を見る!21.近江八景の一つ堅田のの落雁で有名な浮御堂!  文化財研修記

 満月寺浮御堂(まんげつじうきみどう)は、滋賀県大津市堅田、琵琶湖畔の臨済宗徳寺派海門山満月寺にある、湖上に突き出た仏堂です。近江八景「堅田の落雁」で名高いく、堅田の浮御堂の通称でも知られています。
 寺伝によれば、源信(恵心僧都)(942〜1017)が比叡山横川から琵琶湖をながめると、毎夜、その光明の赫々(かくかく)たるを怪しみ、網でこれを掬(すく)いとらせると、1寸8分の黄金の阿弥陀仏像であった。よって魚類殺生供養のために阿弥陀仏像1体を造り、その体内にこれをおさめ、1,000体の阿弥陀仏像をも奉安し、浮御堂を創建したという。荒廃したときもあったが、第115代桜町天皇(1720〜1750)は禁中の能舞台をたまわり、これを再興した。松尾芭蕉(1644〜1694)も訪れ「比良三上 雪さしわたせ 鶯の橋」と「鎖(じょう)あけて 月さし入れよ 浮御堂」の句碑がある。先代の堂は昭和9年(1934)に室戸台風によって倒壊、現在の堂は昭和12年(1937)に再建されたものである。

1.登録文化財の楼門(山門)
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2.庭園と本堂
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3.本堂前の紅葉
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4.下記をクリックして、「音声付動画」で浮御堂近辺を見て下さい!
http://youtu.be/mJSJvP8BAUQ

5.観音堂(中には国重文の聖観音座像がある。)
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6.浮御堂
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7.同上正面から見る!
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8.同上
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9.千対仏が見える!
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10.千体仏のアップ
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2014/3/6

近江の文化財・史址を見る!20・第50代桓武天皇の妻・藤原旅子を祀る還来神社!  文化財研修記

 大津市伊香立上竜華町(かみりゅうげちょう)518には第50代桓武天皇の妻・藤原旅子を祀る還来神社(もどろきじんじゃ)がある。和邇川に架かる朱の還来橋を渡ると朱塗りの鳥居の還来神社となる。祭神は藤原百川(ももかわ)の娘で桓武天皇の后妃となり第53代淳和天皇(じゅんなてんのう)の母となった藤原旅子(759〜788)である。社伝によれば龍華庄は藤原百川の荘園で邸宅があり旅子はここで生まれた。長じて旅子は仏教に帰依して龍華夫人と呼ばれていた。後に桓武天皇の後宮に仕え、延暦5年(786)桓武天皇の夫人となり第53代の淳和天皇を生み延暦7年(788)に崩じた。遺言により自分の生まれた比良山の南山麓の椰(なぎ)の大木のある所へ葬るようにとの諭旨で従者の畑丹波守が同地に埋葬した。死して再び誕生の地に還ってきたことから還来大明神と称し、龍華庄の鎮守とした。
 又、平治の乱(1159)では戦いに敗れた源議朝が、京都から龍華越で東北へ敗走した時、白羽の鏑矢(かぶらや)を献じて武運長久を祈った。後、その子・頼朝が志を果たした時に神田を寄付した。更に足利尊氏公も神田50町を寄付した。それ以来、戦乱に、旅に、無事故郷へ帰らんと願う祈願者が多く参ったという。

1.和邇川に架かる朱の還来橋
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2.標柱と朱塗りの鳥居
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3.朱塗りの鳥居を正面から見る!
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4.御神木の椰(なぎ)の大木
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5.同上 駒札
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6.手水舎
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7.舞殿を斜めに見る!
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8.拝殿を見上げる!
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9.拝殿から舞殿を見下ろす!
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10.拝殿の扁額
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11.如何しても拝殿を横から撮影出来ないので斜めで撮影!ビンボケだ!
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2014/3/4

近江の文化財・史跡を見る!19.琵琶湖の東西を結ぶ琵琶湖大橋!  文化財研修記

滋賀県の湖東と湖西を連絡し、県政の均衡のとれた発展と琵琶湖観光の開発を図るため建設され、昭和39年9月に開通しました。開通以来産業経済、観光発展に大きな役割を果たし、滋賀県を代表する有料道路です。昭和55年3月に大橋の自転車歩行者道の添加、その後の交通量増加に対応するため、大橋の四車線拡幅事業を行い平成6年7月に供用しました。

1.琵琶湖大橋の西側の「道の駅・琵琶湖大橋」から琵琶湖大橋を見る!
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2.同上
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3.下記をクリックして、「音声付動画」で琵琶湖大橋周辺を見てくさい!
http://youtu.be/q6uIfyXxQuM

4.お借りした航空写真です!橋の左側から撮影!
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5.同上附近観光地図
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2014/3/2

京都府綾部市立吉美小学校の恒例の「6年生を送る会」が盛大に開催された!  あやべの街

京都府綾部市吉美(きみ)小学校の恒例となっている「6年生を送る会」が3月2日(日)午前9時30分に会場の体育館に6年生が入場し、5年生の司会団によって司会され、それぞれの学年の見事な合唱・演奏など6年生のPTAを含めて実施されました。そして各学年の見事な発表後11時15分終了しました。

1.プログラム
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2.6年生の会場への入場
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3.下記をクリックして、「音声付動画」で6年生の入場を見聞さひて下さい!
http://youtu.be/5np5hZ-4_R8

4.5年生代表の開会挨拶後、井上校長先生の話です。
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5.全員で合唱
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6.下記をクリックして、「音声付動画」で全員合唱を聞いて下さい!
http://youtu.be/_YLwsG3eolo

7.3年生の見事な発表です!
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8.1年生の見事な演奏です!動画でなく残念!
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9.2年生の趣向をこらした発表でした。
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10.4年生の見事な発表でした!
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11.休憩を挟んで、6年生のPTAの発表でした。今年はご夫婦で出場が多くステージは満タン!
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12.5年生の見事な発表
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13.5年生による3月卒業の6年生を順次全員紹介です!
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14.下記をクリックして、「音声付動画」で6年生の発表の一部を見て下さい!
http://youtu.be/aNuIiIRexQo

15.下記をクリックして、「音声付動画」で6年生が「あまちゃん」を見事に演奏するの見聞してください。
http://youtu.be/hUtZjNeGsF4

16.5年生代表の終わりのあいさつ。教頭先生の話の後、6年生の退場です。
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2014/3/2

近江の文化財・史址を見る!18.国重文の表門をもつ鞭崎神社!  文化財研修記

 滋賀県草津市草津市矢橋町1462には鞭崎神社(むちさきじんじゃ)があります。創建は白鳳4年(676)、大中臣清麿が天武天皇の勅命により勧請したのが始まりと伝えられています。その際、朝廷から境内を中心に4町四方の社領を寄進し、神官である紀是尚は宝祚延長の祈願をしたそうです。以来、朝廷や領主から崇敬庇護され、菅原道真が参拝の際は「降雪に いろまどわせるうめのはな うぐいすのみや わきて歌はん」の詩を残しています。当初は矢橋八幡宮と称していましたが建久元年(1190)、源頼朝が上洛の際、矢橋の浦から鞭を上げて村人に当社の事を尋ねた故事から鞭崎八幡宮と称するようになりました。以来、頼朝は当社を深く崇敬し建久3年(1192)には社領を寄進し社殿を造営しています。江戸時代に入ると歴代膳所藩主から庇護され社領10石が安堵され社運も隆盛しました。現在の表門は慶長年間(1596〜1615)に膳所城の南大手門として建てられたもので、明治4年(1871)に膳所城が廃城になった際、当社に移されました。表門はの形式は高麗門、切妻、本瓦葺、江戸時代初期の城門建築の遺構として大変貴重な存在で国指定重要文化財に指定されています。

1.正面の鳥居
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2.宗源社
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3.国重文の表門(明治4年膳所城の大手門が移築されたものです。)
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4.神社駒札
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5.手水舎
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6.見事な舞殿
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7.舞殿を斜めに見る!
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8.拝殿を左側から見る!
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9.拝殿を右側から見る!
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10.境内社の一つ
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11.同上
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