2014/2/28

近江の文化財・史址を見る!17.近江国一宮・建部大社!  文化財研修記

 建部大社(たけべたいしゃ)は、滋賀県大津市にある神社で式内社(名神大社)、近江国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。旧称は「建部神社です。主祭神は本殿:日本武尊 (やまとたけるのみこと) 本殿相殿神:天照皇大神 (あまてらすすめおおかみ)
相殿神は、天照皇大神でなく天明玉命(あめのあかるたまのみこと)とする場合もあります。
権殿:大己貴命 (おおなむちのみこと) 大神神社(大和国一宮)からの勧請したもの。
 社伝では、日本武尊の死後の景行天皇46年、日本武尊の妃・布多遅比売命が神勅によって、御子・建部稲依別命とともに住んでいた神崎郡建部郷千草嶽(現在の東近江市五個荘伊野部町付近の箕作山)の地に日本武尊を「建部大神」として祀ったのが創建とされて」います。建部郷の「建部」の名は日本武尊をしのんで名代として名付けられたことに因むといい、他にも各地に設けられている。のち、天武天皇4年(675)に近江の守護神として、現在地の栗太郡勢多へ遷座したという。遷座後、元の千草嶽の麓には神護景雲2年(768)に聖真大明神と建部大明神が設けられたとされ、現在は建部神社が建てられている。
 平安時代中期の『延喜式』神名帳には近江国栗太郡に「建部神社 名神大」と記載されて名神大社に列している。その後、近江国の一宮として崇敬された。
 又、源頼朝が平治の乱に敗れて伊豆国に流される道中、本社に立ち寄って源氏の再興を祈願、後に大願成就したことから、出世開運の神としても著名となった。
 拝殿は、本殿・権殿共用である。拝殿前に立つ三本杉は、大己貴命が権殿に祀られた際に一夜にして成長したと伝わる神木で、当社の神紋にもなっています。

1.二の鳥居と参道
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2.神社の駒札
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3.参道と神門が見える!
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4.見事な神門です!
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5.見事な手水舎です!
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6.御神木の三本杉と拝殿
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7.拝殿内
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8.多くの境内社の一部です!
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9.拝殿から本殿へ!
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10.拝殿から本殿・権殿を見る!
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11.同上、
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12.本殿内
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13.本殿を右側から見る!
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14.昭和天皇御手植之松
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15.鎌倉時代の国重文の石燈籠
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2014/2/26

近江の文化財・史址を見る!龍宮王秀郷神社と同じく秀郷を祀る雲住寺!  文化財研修記

 瀬田の唐橋には、、唐橋の川底にある竜宮の乙姫の願いで、三上山を七巻半するという大ムカデを退治したという伝説があり、その秀郷と乙姫の霊を祀る龍宮王秀郷神社があります。又直ぐ隣にはゆかりのお寺と神社が瀬田の唐橋のたもとに並んであります。雲住寺は、ムカデ退治に活躍した藤原秀郷(俵藤太・たわらとうた)の追善供養のため15代目の子孫により建立された寺で、この寺は瀬田の唐橋の守り寺にもなっており、瀬田の夕照が眺められる部屋もあります。昔から瀬田の唐橋の下には龍神が住むという伝説があり、1440年頃に現在地に橋を架け替えたとき、龍神をご神体として祀ったといいます。ちなみに藤原秀郷は実在の人物で、平将門の反乱に際し、秀郷が将門の左目を射抜いて見事に征討。これは瀬田橋の龍神の御加護によるものである、という由来から、ムカデ退治の伝説が生まれたと考えられています。

1.龍宮王秀郷神社の鳥居
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2.手水舎
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3.鳥居の扁額
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4.拝殿
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5.拝殿と本殿
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6.お隣の浄土宗龍光山「雲住寺」山門
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7.境内の秀郷を祀る石碑
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8.鐘楼とと山門
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9.本堂
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10.巨大な五輪塔
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2014/2/24

近江の文化財・史址を見る!15.瀬田の唐橋と瀬田城跡!  文化財研修記

瀬田城は瀬田川東側に軍事上の目的で築城された城であり瀬田川は琵琶湖から流れ出る唯一の川であり、瀬田川に架かる瀬田橋は「急がば回れ」の語源ともなった橋で、戦国時代は交通・軍事上の重要戦略拠点であった。その瀬田橋のたもとにあった瀬田城も重要な位置を占めていた。
永享年間(1429〜1441)の山岡資広(すけひろ)から始まり代々山岡氏が城主で、織田信長政権下の山岡景隆は、瀬田橋を守る城主として活躍、織田信長からの信頼が厚く織田信長は上洛のたびに瀬田城を宿所としていた。
天正10年(1582)本能寺の変で織田信長を討った明智光秀は、安土城を占拠するため瀬田橋に軍を進めた。架橋を任されていた山岡景隆は織田信長への忠義を守り瀬田橋を焼き落とし明智光秀の軍を阻んだ。これにより明智光秀はいったん兵を引かざるを得なくなり、天下の趨勢に大きな影響を与えた。 今は、瀬田唐橋の東側高層マンションの下の県道前にひっそりと城跡石碑が立っています。


1.瀬田の唐橋
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2.同上碑
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3.マンション下の瀬田城址碑
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4.同上
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2014/2/22

近江の文化財・史址を見る!14.朱色の堂々たる楼門をもつ長等神社!  文化財研修記

三井寺の直ぐ近くの下に長等神社(ながらじんじゃ)があります。 天智天皇6年(667)に天智天皇が近江大津宮へ遷都された際に都の鎮護のため、長等山岩倉に須佐之男神をお祀りされたのが起源とされています。その後、円珍(智証大師814〜891)が貞観2年(860)に園城寺の守り神として大山昨命を合祀し、新たに建立しました。天喜2年(10544)に庶民もお詣り出来るようにと山の上から現在地に移されたのだそうです。現在の建物は慶安2年(1649)と寛文4年(1664)にそれぞれ増改築されたものです。朱色の堂々たる構えの楼門は明治38年(1905)に建てられたもので大津市定文化財となっています。
 境内の左奥に樹齢300年といわれる巨大のカツラの木があり、御神木となっています。この木は大津市の保護樹木に指定されていて高さが約14メートル、幹周りが約3メートルもある大木です。  境内社に「馬神神社」という小さなお社があり、かって馬が重要な交通手段だった頃の馬の健康の守り神だったのですが、最近は競馬の神様として、馬主や競馬ファンの参拝があるそうです。

1.大津市指定文化財の朱の楼門
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2.同上 駒札
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3.楼門の阿形の随身
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4.楼門の吽形の随身
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5.楼門から舞殿を見る!
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6.手水舎
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7.平清盛の弟、平忠度の歌
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8.拝殿
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9.樹齢300余年神木かつらの駒札
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10.推定樹齢300年以上、幹周3メートル、樹高14メートルのご神木かつらの木
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11.本殿を横から見る!
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12.境内社の一つ競馬関係者が多数お参りする馬神社
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13.4つの境内社の一つ両御前神社
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2014/2/20

近江の文化財・史址を見る!13.国宝と重文の山・総本山園城寺三井寺3−3!  文化財研修記

 天台寺門宗(てんだいじもんしゅう)の総本山である三井寺(みいでら)は 正式名称を長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)といいます。 滋賀県大津市、琵琶湖南西の長等山中腹に広大な敷地を有しています。また、湖国近江の名勝、近江八景の一つ「三井の晩鐘」でも知られています。 近江大津京ゆかりの古刹で667年に天智天皇により飛鳥から近江に都が移され、近江大津京が開かれました。672年、前年の天智天皇の永眠後、大友皇子(天智天皇の子:弘文天皇)と大海人皇子(天智天皇の弟:天武天皇)が 皇位継承をめぐって争い、壬申の乱が勃発。 壬申の乱に敗れた大友皇子の皇子の大友与多王は父の霊を弔うために 「田園城邑(じょうゆう)」を寄進して寺を創建し、 天武天皇から「園城」という勅額を賜わったことが園城寺の始まりとされています。 勝利をおさめた大海人皇子は再び飛鳥に遷都し、近江大津京はわずか五年で廃都となりました。 三井寺と呼ばれるようになったのは、天智・天武・持統天皇の三帝の誕生の際に 御産湯に用いられたという霊泉があり「御井の寺」と呼ばれていたものを後に 智証大師円珍が当時の厳義・三部潅頂の法儀に用いたことに由来します。
現在、金堂西側にある「閼伽井屋」から湧き出ている清水が御井そのものとされています。
貞観年間(859〜877)になって、智証大師円珍(ちしょうだいしえんちん)和尚が、 園城寺を天台別院として中興されてからは、 東大寺・興福寺・延暦寺と共に「本朝四箇大寺(しかたいじ)」の一つに数えられ、 南都北嶺の一翼を担ってきました。
円珍の死後、円珍門流と慈覚大師円仁門流の対立が激化し、 正暦4年(993)、円珍門下は比叡山を下り一斉に三井寺に入ります。 この時から延暦寺を山門、三井寺を寺門と称し天台宗は二分されました。その後、両派の対立や源平の争乱、南北朝の争乱等による焼き討ちなど幾多の法難に遭遇しましたが、 智証大師への信仰に支えられた人々によって支えられ、その教法は今日に伝えられています。

1.霊鐘堂(国重文。中の梵鐘は奈良時代のもので、俵藤太秀郷が三上山のムカデ退治の御礼に竜宮から持ち帰ったと伝えられている。又中世の山門の争いを象徴する「弁慶の引き摺り鐘」と知られています。)
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2.霊鐘堂内の国重文の弁慶の引き摺り鐘
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3.同上 駒札
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4.弁慶の汁鍋
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5.同上 駒札
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6.国重文の一切経蔵(室町時代初期のもので、慶長7年(1602)毛利輝元が山口県の国清寺より移築、寄進されたもので中には高麗版一切経を納める回転式の八角輪蔵がある。)
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7.三重塔(慶長6年(1601)徳川家康により奈良の比蘇寺の室町初期の塔を移築、寄進したものです。)
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8.村雲橋を渡る!
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9.微妙寺(三井寺の5別所の一つで現地に移築されたもので、本尊は平安時代のもので国重文の十一面観音です。現在は湖国十一面観音霊場の1番札所です。)
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10.天台智者大師像
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11.33観音の一つ衆宝観音像
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12.毘沙門堂(国重文、元和2年(1616)の建立で、極彩色に荘厳された建物です、)
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13.観月舞台(嘉永3年(1849)のもので大津市指定文化財です。)
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14.下記をクリックして、「音声付動画」で観月舞台附近から大津市内や観月舞台、観音堂などを見て下さい。
http://youtu.be/ae7CuH0l7d4

15.観音堂前の手水舎
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16.観音堂横の鐘楼(文化11年(1814)建立で大津市指定文化財)
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17.国重文の西国14番札所の観音堂(本尊は平安時代のもので国重文の如意輪観音様で33年ごとに開扉される秘仏です。)
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18.下り参道の紅葉
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2014/2/18

近江の文化財・史址を見る!12.三井寺の国宝の光浄院特別拝観!3−2!  文化財研修記

三井寺の光浄院客殿は国宝で桃山時代・慶長6年(1601)正面7間、側面6間 、一重 入母屋造・妻入、正面軒唐破風付、総柿葺(そうこけらぶき)の建物です。特別申請で参観しました。 光浄院は、室町時代山岡氏によって建立されました。 現在の光浄院客殿は秀吉の闕所後、かつて光浄院住持を務めていた山岡道阿弥が 慶長6年に再興したものです。
光浄院は、山内で最も格式の高い子院で、その外郭には、 城郭を思わせる豪快な石垣が見られます。 外観は、勧学院客殿とほぼ同じでありますが、 内部の部屋数や配列などに相違が見られ、 一之間の付書院が広縁に張り出すプランなどには、伝統的な形式の中に 新しい要素を取り入れたものとされています。 一之間、二之間には狩野派による華麗な障壁画が残されています。
桃山時代における、書院の代表的建築として極めて貴重な建築物です。

1.国宝の光浄院客殿の山門
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2.同上 駒札
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3.外から国宝の客殿を見る!
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4.特別参観入口
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5.光浄院入口を見る!
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6.国宝客殿の図面
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7.狩野派の障壁画(撮影失敗です。)
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8.国宝の客殿の一部と庭園
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9.国宝の客殿正面
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10.庭園の一部
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11.最後に外から光浄院を見る!
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2014/2/17

コール・アマデウス創立10周年第5回演奏会がアスパAホールで盛大に開催された!  あやべの街

 小生はJTBで現役の頃添乗員としてイタリアに行って多くの教会を案内したが、ある教会でJTBの旗を持って案内していたらある牧師さんから大目玉「教会で他の旗を揚げるのは教会に反逆だ!」とのことで教会嫌いになっていたが、20年前京都の催しで、賛美歌の混声演奏会を聴きその見事な演奏に吃驚した。それ以来教会の賛美歌を聴きに京都へ到ったこともありましたが、この綾部の秋の文化祭で中丹文化会館でこの「コール・アマデウス」の演奏会を聞き「音声付動画」で撮りたいと思慮していました。今日2月16日(日)午後1時30分からコール・アマデウス10周年第5回のことを聞き、伴中裕至代表に電話して動画撮影の許可を貰ったのでバッテリーの関係上全ては「音声付動画」撮影は出来ていませんが、アンコール曲を含めて6曲を収録したので見て聞いて下さい。
 尚指揮の手島風生さんは転勤で之が最後の指揮との諭旨で最後に花束の贈呈がありました。
又、メンバーは別紙参照の14名だけですが、見事な混声合唱でした。団員募集中で練習は毎週木曜日19;30〜21:30分で場所は中筋ふれあいセンター1階、連絡先は080−5325−1955伴中宏至代表へ!興味のある方は練習風景を見に来て下さいとの諭旨です。

1.コール・アマデウス案内パンフレット
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2.メンバー紹介等
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3.プログラム等
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4.出演者記念写真
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5.午後1時30分伴中宏至代表の挨拶で始まる!
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6.手島風生指揮者の歌の説明
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7.下記をクリックして、音声付動画で作曲Hasler『Aeh Weh des Leiden』(ああ なんと悲しいこと)を聞いて下さい!
http://youtu.be/fD9iEs3GW0Y

8.OBとのみなさんとのコーナー
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9.下記をクリックして、音声付動画で作詞立原道造、作曲木下牧子の『夢見たものは』を聞いて下さい!
http://youtu.be/mSkSqEZ3Baw

10.下記をクリックして、音声付動画で作曲W.A. Mozartの『Ave Verum Corpus』(まことの御からだ)を聞いて下さい!
http://youtu.be/m0Z_ZTzuGSM

11.2ND STAGE
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12.下記をクリックして、音声付動画で作曲久石襄、編曲白川雅樹の『人生のメリーゴーランド』を聞いて下さい。!
http://youtu.be/1Qe0UispDVc

13.ジブリ曲を歌う!
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14.下記をクリックして、音声付動画で作詞宮崎駿、作曲久石譲、編曲白川雅樹の「『君をのせて』を聞いて下さい!
http://youtu.be/Bl78imSY1hc

15.下記をクリックして、音声付動画でアンコールの曲を聞いて下さい!曲目は!
http://youtu.be/XMWYwkptPdU

16.今回で転勤で徳島へ行かれる指揮者の手島風生へ花束の贈呈!
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17.最後の観客の見送りへ!
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2014/2/16

近江の文化財・史址を見る!11.国宝と重文の山・総本山園城寺三井寺3−1!  文化財研修記

 天台寺門宗(てんだいじもんしゅう)の総本山である三井寺(みいでら)は 正式名称を長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)といいます。 滋賀県大津市、琵琶湖南西の長等山中腹に広大な敷地を有しています。また、湖国近江の名勝、近江八景の一つ「三井の晩鐘」でも知られています。 近江大津京ゆかりの古刹で667年に天智天皇により飛鳥から近江に都が移され、近江大津京が開かれました。672年、前年の天智天皇の永眠後、大友皇子(天智天皇の子:弘文天皇)と大海人皇子(天智天皇の弟:天武天皇)が 皇位継承をめぐって争い、壬申の乱が勃発。 壬申の乱に敗れた大友皇子の皇子の大友与多王は父の霊を弔うために 「田園城邑(じょうゆう)」を寄進して寺を創建し、 天武天皇から「園城」という勅額を賜わったことが園城寺の始まりとされています。 勝利をおさめた大海人皇子は再び飛鳥に遷都し、近江大津京はわずか五年で廃都となりました。 三井寺と呼ばれるようになったのは、天智・天武・持統天皇の三帝の誕生の際に 御産湯に用いられたという霊泉があり「御井の寺」と呼ばれていたものを後に 智証大師円珍が当時の厳義・三部潅頂の法儀に用いたことに由来します。
現在、金堂西側にある「閼伽井屋」から湧き出ている清水が御井そのものとされています。
貞観年間(859〜877)になって、智証大師円珍(ちしょうだいしえんちん)和尚が、 園城寺を天台別院として中興されてからは、 東大寺・興福寺・延暦寺と共に「本朝四箇大寺(しかたいじ)」の一つに数えられ、 南都北嶺の一翼を担ってきました。
円珍の死後、円珍門流と慈覚大師円仁門流の対立が激化し、 正暦4年(993)、円珍門下は比叡山を下り一斉に三井寺に入ります。 この時から延暦寺を山門、三井寺を寺門と称し天台宗は二分されました。その後、両派の対立や源平の争乱、南北朝の争乱等による焼き討ちなど幾多の法難に遭遇しましたが、 智証大師への信仰に支えられた人々によって支えられ、その教法は今日に伝えられています。

1.三井寺周辺観光図
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2.国重文の仁王門(宝徳4年(1452)の建立で浄域への表門として慶長6年(1601)徳川家康により甲賀の常楽寺(湖南三山の一つで後ほど掲載しいます。)より移築、寄進さっれた物です。)
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3.境内図
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4.仁王門から金堂への参道!
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5.国重文の食堂(釈迦堂)(室町初期の建築で中世寺院の食堂(じきどう)の様式である。本尊に清涼寺式釈迦如来を祀っている。)
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6.途中にある弁財天社
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7.金堂へ向う
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8.手水舎
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9.近江八景三井の晩鐘の駒札
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10.国重文の三井の晩鐘(慶長7年(1602)再建で宇治の平等院、高尾の神護寺と共に日本三銘鐘に数得られ荘厳な音色は有名です。)
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11.国宝の金堂(本堂)本尊の弥勒仏は天智天皇が信仰されていた秘仏です。現在の建物は豊臣秀吉の北御所ねねにより慶長4年(1599)再建された桃山時代を代表する名建築です。)
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12.閼伽井屋の石庭
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13.三井の霊泉・国重文の閼伽井屋(あかいや)天智、天武、持統の三天皇が産湯に用いられたという泉が湧く。泉を守る覆屋(おおいや)は慶長5年(1600)の建立)
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14.正面上部に掲げられた龍の彫刻は左甚五郎作で有名。
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15.閼伽井屋内の泉
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2014/2/14

近江の文化財・史址を見る!10.浜大津から見た琵琶湖周辺と大津城址!  文化財研修記

大津城(おおつじょう)は、安土桃山時代に近江国滋賀郡大津にあった城です。現在の滋賀県大津市浜大津、京阪電鉄浜大津駅周辺一帯にあった水城で、本丸は、現在の琵琶湖大津港桟橋付近にあたる。関ヶ原の戦いでは上田城などと共に、数少ない激しい城の攻防戦が行われた。その騒音は連日京都にまで届き、市民の中には弁当と水筒持参で見物に行く者まで出たといわれています。戦後に廃城となり、天守などが膳所城や彦根城に移築されたと伝えられる。彦根城の天守がかつての大津城天守の用材を転用して建てられている可能性が、昭和32年(1957)に行われた彦根城天守解体修理の際に符号、墨書きが見つかったことを根拠に示されています。これにより大津城の天守は望楼型の4重5階であったと考えられています。
 天正14年(1586)、豊臣秀吉は坂本城を廃城とし、浅野長政に命じて新たに築城された。その後、城主は増田長盛、新庄直頼と代わり、文禄4年(1595)に京極高次が城主となり6万石を与えられた。
 慶長5(1600)の関ヶ原の戦いで高次は東軍に属し大津城に籠城した。しかし大津城はもともと琵琶湖の水運を利用して美濃、越前方面から運ばれてくる物資を安全に保管するための城郭であり、攻防戦には不向きであった。9月7日より毛利元康・立花宗茂ら西軍1万5000に城を囲まれ攻防戦が開始された。これに先立ち、京極軍3000は12時間かけて城下を焼き払い、町は荒野と化した。京極軍は家臣赤尾伊豆守、山田大炊以下、奮戦し、7日間持ち堪えたが、9月13日からは近くの長等山から大砲で砲撃を受け、砲弾は眼下に落ちるような勢いで天守その他の建築物を破壊し、城内が混乱した間隙を縫って立花軍が二ノ丸までを占拠した。ここに至り、北政所の側近孝蔵主と高野山の木食応其の仲介による講和が成立する。9月14日に降伏開城した高次は園城寺に入り、剃髪して高野山に上った。しかし、西軍1万5000を大津城に釘付けにした功績は大きく、戦後、徳川家康は高次を召しだし、若狭小浜城8万2000石に加増転封させた。
 高次が若狭へ移ってまもなくして、家康は大津城を廃城にし、新たに膳所崎に膳所城を築城した。大津城攻防戦で戦禍を免れた建築物の一部は、彦根城、膳所城に転用、移築された。(ウイキぺデアより抜粋。)

1.12月初旬の浜大津附近
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2.外輪船ミシガン(夏に2度乗船遊覧しました。)
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3.下記をクリックして、「音声付動画」で浜大津やミシガン、琵琶湖を見て下さい!
http://youtu.be/ueoxaq31-ZU

4.同上
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5.陸橋の橋脚下にある「大津城址碑」
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6.同上碑
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7.同上 当時の城郭地図
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2014/2/12

建国記念の日(紀元節)を祝う京都北部府民の集い!神話須佐之命の大蛇退治のお神楽を見る!  あやべの街

平成26年2月11日(火・祝)午後1時30分開始で、綾部市にある中丹文化会館にて「平成26年(皇紀2674年)建国記念の日(紀元節)を祝う京都北部府民の集い」に参加した。
 別紙式次第にも記載されていますが、「紀元節特別公演」で「賜天覧 島根県無形民俗文化財指定の『海潮(うしお)山王寺簸(ひ)の川大蛇退治』が午後1時30分〜約35分見事に上演された。この大蛇(おろち)退治のあらすじは、神代の昔、須佐之男(すさのお)命が出雲国に天降りになった時の奇稲田姫(くしなだひめ)を助けるため、十握(とつか)の剣を縦横無尽に降るって大蛇を退治し、その大蛇の胎内から出てきた「むらくもの剣」は天照大神に献上され、須佐之命は奇稲田姫と結婚して、須我地の里に宮造りされ、「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣」と御歌を詠まれ、永く鎮まり給うと言う見事な神楽でした。
次に第一部式典、代二部では講師一色正春氏の「私が尖閣ビデを流した本当の理由」での講演と日本に平成19年帰化されて大活躍中の石平(せきへい)氏の「相手に悪いと思う日本人/相手が悪いと思う中国人」の表題で講演がありました。

1.プログラム
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2.午後1時30分 司会者の後藤氏の挨拶
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3.神話で「賜天覧 島根県無形民俗文化財指定の『海潮(うしお)山王寺簸(ひ)の川大蛇退治』のお神楽が始まる。その1.天降る須佐之命が十握の剣を振るう!
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4.泣き泣き出てくる老人夫婦と奇稲田姫(くしなだひめ)
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5.人夫婦と奇稲田姫の大蛇の話を聞く須佐之命
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6.下記をクリックして、「音声付動画」で人夫婦と奇稲田姫の大蛇の話を聞く須佐之命
を見て下さい。
http://youtu.be/o_pNIl1emcA

7.樽酒をぐい飲みする大蛇
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8.須佐之命が十握の剣を振り大蛇と戦う
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9.下記をクリックして、「音声付動画」で須佐之命が十握の剣を振り大蛇と戦う様を見て下さい。
http://youtu.be/jlfeOwKFTRE

10.無事、大蛇を退治して結婚する須佐之命と奇稲田姫
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11.第一部 式典 後藤堯建国記念の日を祝う京都北部府民の会実行委員長に従って、神武天皇陵遥拝と皇居遥拝
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12.下記をクリックして、「音声付動画」で国家斉唱を聞いて下さい!
http://youtu.be/44j0qAsbNBY

13.下記をクリックして、「音声付動画」で紀元節の歌奉唱を聞いて下さい!
http://youtu.be/IR7kncBdkQs

14.式辞 後藤堯建国記念の日を祝う京都北部府民の会実行委員長
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15.ご来賓祝辞の後、高倉武夫綾部市議会議長に併せて、聖壽万歳を三唱
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16.第二部 講演  一色正春元海上保安官による「私が尖閣ビデオを流した本当の理由」の演題で講演
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17. 平成19年に日本に帰化され活躍されている石平氏の「相手に悪いと思う日本人/相手が悪いと思う中国人」の演題で講演
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