2013/12/1

紀州の文化財・史址を見る!50.日本三天満宮の一つ見事な楼門を持つ和歌浦天満宮!  文化財研修記

 和歌山市和歌浦には和歌浦天満宮(わかうらてんまんぐう)はがある。延喜元年(901)に菅原道真が大宰府に向かう途中、海上の風波を避けるために和歌浦に船を停泊した。その時、神社が鎮座する天神山から和歌の浦を望み、2首の歌を詠んだ。その後、村上天皇の康保年間(964 -968)に参議橘直幹が大宰府から帰京する途中に和歌浦へ立ち寄り、この地に神殿を建て道真の神霊を勧進して祀ったのが始まりとされる。また、道真が立ち寄った際に、敷物がなく、漁師が船の艫綱を敷物(円座)にして迎えたといい、綱敷天神とも称せられるという。天満宮は和歌浦天神山(標高約93メートル)の中腹に位置し、菅原道真を祀り、和歌浦一円の氏神として尊崇されている。
 全国に天満宮と称する神社は数多くあるが、江戸時代の朱子学者で、徳川家康のブレーンも勤めた林羅山は、元和7年(1621)、この地を訪れ、和歌浦天満宮は太宰府天満宮、北野天満宮と共に由緒がある神社であると言っている。
 社殿は、豊臣秀吉の天正13年(1585)の兵火の後、桑山重晴、浅野幸長により再建された。浅野幸長は、慶長9年(1604〜1606)にかけて天神山の中腹を開墾して社地を造成し、本殿、唐門、拝殿、楼門、東西廻廊などを再建したが、これが現存する天満神社である。本殿奥や楼門前面の石垣も、この時造られたものである。再建された本殿、楼門など4棟が重要文化財に指定されている。本殿は桁行五間・梁間二間の入母屋造で、装飾性の豊かな桃山建築である。正面の楼門は一間一戸門としては最大級で、禅宗様を取り入れている。本殿、楼門等の建築や彫刻には、江戸幕府御大工棟梁の平内政信(へいのうちまさのぶ)が関わった

1.日本三天満宮の一つ和歌浦天満宮
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2.同上 巨大な石の鳥居
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3.国重文の楼門を見上げる!(慶長10年(1605)創建のものです。)
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4.同上
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5.楼門から国重文の前拝殿を見る!
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6.楼門から史跡・新和歌浦を見る!
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7.手水鉢と牛像
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8.国重文の前拝殿と本殿
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9.見事な彫刻の前拝殿
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10.筆塚
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11.国重文の末社の多賀神社
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12.同上 国重文の本殿
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