2013/10/30

紀州の文化財・史址を見る!36.北条政子が3代将軍源実朝の横死を傷み創建した興国寺!  文化財研修記

 興国寺(こうこくじ)は、和歌山県日高郡由良町にある臨済宗妙心寺派の寺院で山号は鷲峰山(じゅぶざん)。安貞元年(1227)、高野山金剛三昧院の願生(俗名・葛山景倫)が主君であった源実朝の菩提を弔うために創建したもので、創建時は真言宗寺院で西方寺と称していた。葛山景倫は承久元年(1219)、実朝の暗殺を機に出家。実朝の生母・北条政子は願生の忠誠心に報い、願生を西方寺のある由良荘の地頭に任命した]。
 願生は親交のあった心地覚心(法燈国師)が宋から帰国すると、正嘉2年(1258)に西方寺の住職に迎えて開山とした。その後、後醍醐天皇より寺号の興国寺を賜ったという。覚心は、普化尺八を奏する居士4名を宋から連れ帰り、興国寺に住まわせたので、以後当寺は普化尺八の本山的な役割を持つようになった。その弟子の一人、虚竹禅師(寄竹)が尺八の元祖といわれている。又、熊野・伊勢地方への布教を積極的に行った。宋で習得した金山寺味噌の製法が弟子から人々に伝わり、やがて醤油が誕生するきっかけとなった。
 天正13年(1585)、羽柴秀吉の紀州征伐によって伽藍の大部分を焼失したが、慶長6年(1601)に紀州藩主・浅野幸長によって再興された。

1.興国禅寺標柱
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2.駒札
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3.龍王社駒札
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4.龍王社
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5.石段参道と駒札
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6.見事な山門
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7.見事な鐘楼
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8.本堂
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9.本堂内
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10・成人の日に行われる天狗祭の「天狗堂」
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11.天狗堂内
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12.興国寺を裏山から見る!
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2013/10/28

紀州の文化財・史跡を見る!35.国宝の千手観音と安珍・清姫伝説で有名な道成寺!  文化財研修記

 道成寺 (どうじょうじ)は、和歌山県日高郡日高川町にある天台宗の寺院で新西国三十三箇所観音霊場の第五番札所である。道成寺創建にまつわる「髪長姫伝説」(「宮子姫伝記」)や、能、歌舞伎、浄瑠璃の演目として名高い、「安珍・清姫伝説」で知られる。この伝説は、平安時代中期に編纂された『大日本国法華験記』にすでに見える古い話です。
 大宝元年(701)、文武天皇の勅願により、義淵僧正を開山として、紀大臣道成なる者が建立したという。別の伝承では、文武天皇の夫人・聖武天皇の母にあたる藤原宮子の願いにより文武天皇が創建したともいう(この伝承では宮子は紀伊国の海女であったとする)。これらの伝承をそのまま信じるわけにはいかないが、本寺境内の発掘調査の結果、古代の伽藍跡が検出されており、出土した瓦の年代から8世紀初頭には寺院が存在したことは確実視されている。1985年に着手した、本堂解体修理の際に発見された千手観音像も奈良時代にさかのぼる作品である。
 寺に残る仏像群は、大半が平安時代初期から中期のもので、この頃は寺勢さかんであったと推定される。現存する本堂は正平12年(1357)頃の竣工であるが、寺はその後衰微し、天正16年(1588)の文書によれば、当時は本堂と鎮守社が残るのみであった。明暦元年(1655)、藩主徳川頼宣の援助で本堂の屋根葺き替え等の修理が行われ、仁王門、三重塔などの諸堂塔は近世を通じて徐々に整備されていったものです。

1.道成寺の石段参道と仁王門(国重文)
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2.仁王門(元禄7年(1694)建立)
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3.阿形の仁王像
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4.吽形の仁王像
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5.国重文の本堂
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6.本堂を斜めから見る!(正平12年〜天授4年(1357〜78)桁行7間・梁間5間・本瓦葺・単層入母屋造)
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7.三重塔(県指定文化財、宝暦13年〜14(1763〜4)創建
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8.安珍を埋めたといわれる安珍塚
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9.鐘楼跡
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10.国宝の木造千手観音立像
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11.入相桜の由来記
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12.入相桜
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13.鎮守3社
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14.護摩堂
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2013/10/25

紀州の文化財・史址を見る!34.平治の乱で平清盛が引き返した熊野古道・切目王子神社!  文化財研修記

 和歌山県日高郡印南町国道42号線沿いに熊野古道で有名な切目王子神社(きりめおうじじんじゃ)(祭神は天照大神他切目王子跡として県史跡がある。)平治の乱の勃発を聞きこの神社で評定を行い平清盛一行がここから京へ引き返した所としても有名です。こここは熊野99王子の中でも特に重要な5体王子の一つです。現在の王子は「太鼓屋敷」と称する地から移されたものです。切目王子は『中右記』や『保元物語』んどにたびたび登場し、里神楽(さとかぐら)・一切経書写奉納・歌会などの特別な行事が行われたと記されている。旧社地は、羽柴秀吉の紀州攻め(1585年)により社殿・神宝を全て消失したといわれるが、京都西本願寺の所蔵の国宝「熊野懐紙」写しが現存している。

1.熊野古道・切目王子神社の位置図
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2.切目王子神社駒札
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3.切目王子神社標柱と長屋門
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4.揚石(力石)
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5.歌碑
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6.神社駒札
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7.拝殿
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8.拝殿から本殿を見る!
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9.本殿(木造春日造桧皮葺、貞亨3年(1686)の再建のもの
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10.県指定天然物の珍しい「ほるとのき」幹周4メートル、樹高16メートル、推定樹齢300年
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2013/10/22

紀州の文化財・史址を見る!33.弘法大師中興で綾部大本で合気道を完成した植芝盛平の墓のある高山寺!  文化財研修記

  田辺大師とも呼ばれる名刹高山寺は、聖徳太子の御草創、弘法大師御中興の、由緒ある古刹として広く知られ、いろいろの故事来歴が伝えられているのであるが、今日では厄よけ大師の本山と言われて日曜日や祭日には子供連れの参詣者も多く南紀の名所になっている。田辺市郊外の高台にあって風光明媚で、山上から見おろすと田辺市街は一望の中にあり、遠く瀬戸崎太平洋を望見することもできる。市内から参詣をかねて散歩するにも極めて適当な距離にある。)
 今から13数十年数十年の昔第33代推古天皇の時代に、熊野の国牟婁の郡に、お金持ちで智識の豊かな一人の長者が居た。人々は牟の長者と呼んで非常に尊敬していた。
 長者はある年、都に出て聖徳太子の人格に深く感動し心から傾倒したのである。仏教が渡来して、まだ間もない頃であったが、太子は深く仏教に帰依し各地に寺院を建立されていた。長者もまた太子の感化をうけて熱心な仏教徒となった。
 聖徳太子は、上宮太子(じょうぐうたいし)とも申し上げる。非常に英邁な御方で、推古天皇(女帝)の御即位と同時に御歳21才で摂政となられて、薨去されるまで28年間、政治をお執りになった。その間当時の先進国随唐(中国)の文化を取り入れることに大いに努力されたので、日本の文化はこの時代に画期的な進歩をとげて、空前の大功績を残されたのである。それで工芸建築の仏さまとしても、今日に至るまで非常に尊崇されている。
 長者は太子の御意をうけて、多年蓄積してきた私財をもって歳月をかけ、荘厳な御堂を南面山に建立した、そして勧修学問寺と名付けた。高山寺と改めたのは遥に後世のことである。
 尚この寺には南方熊楠や綾部の大本で合気道を完成した植芝盛兵の墓もあります。
最後にクリックして見て下さい!

1.見事な自然石の手水舎
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2.鐘楼
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3.文化13年(1816)建立の多宝塔(県指定文化財)
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4.同上 アップした多宝塔
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5.本堂
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6.五輪塔など
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7.大師堂
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8.寺の裏にある薬師堂や庭園
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9.下記をクリックして、植芝盛平の田辺のお墓や綾部市にある記念碑や三代目合気道当主の技を見て下さい。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/398.html

10.又、この高山寺には明治の偉大な植物・生物・菌類学者の南方熊楠のお墓があります!
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2013/10/19

紀州の文化財・史址を見る!32.紀州初代藩主徳川頼宣公付家老安藤直次を祀る藤巌神社と田辺城址!  文化財研修記

 元和5年(1619年)7月19日、紀州藩初代藩主頼宣が紀伊和歌山城に移ると、紀州藩附家老として移り、同国田辺城に3万8,000石の所領を与えられた]。頼宣からは厚く信任を受け、後に頼宣は「自分が大名としていることができるのは、直次がいてくれたからだ」とまで述べている。

1.闘鶏神社境内にある初代田辺藩主で紀州徳川家付家老「安藤直次」を祀る「藤巌(とうがん)神社」駒札1.
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2.同上 2.
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3.藤巌(とうがん)神社」
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 田辺城(たなべじょう)は、和歌山県田辺市にかつて存在した城。別名は錦水城(きんすいじょう)、湊村城、湊城など。現在の田辺市街の西南端に位置し、会津川の河口左岸と海に隣接していた。遺構として石垣と水門が残る。

4.水門の駒札
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5.田辺城水門跡
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6.同上
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7.同上
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2013/10/16

紀州の文化財・史址を見る!31.弁慶生誕地碑と闘鶏神社!  文化財研修記

 闘鶏神社(とうけいじんじゃ)は、和歌山県田辺市にある神社である。旧称は田辺宮、新熊野。通称:権現さんと呼ばれている。允恭天皇8年(419)9月、熊野権現(現在の熊野本宮大社)を勧請し、田辺宮と称したのに始まる。白河法皇の時代に熊野三所権現を勧請した。平安時代末期の熊野別当・湛快(藤原実方の子孫)のときにさらに天照皇大神以下十一神を勧請して新熊野権現と称し、湛快の子の湛増が田辺別当となった。弁慶は湛増の子と伝えられ、その子孫を名乗る大福院から寄進された弁慶の産湯の釜が当社に残る。
 田辺は熊野街道の大辺路・中辺路(熊野古道)の分岐点であることから、皇族や貴族の熊野参詣の際は当社に参蘢し、心願成就を祈願した。熊野三山の全ての祭神を祀る熊野の別宮的な存在であり、当社に参詣して三山を遥拝して山中の熊野まで行かずに引き返す人々もいた。
 『平家物語』などによれば、治承・寿永の乱(源平合戦)の時、湛増は社地の鶏を紅白2色に分けて闘わせ、白の鶏が勝ったことから源氏に味方することを決め、熊野水軍を率いて壇ノ浦へ出陣したという。このことから「闘鶏権現」と呼ばれるようになり、明治の神仏分離の際に鬪雞神社を正式な社名とした。
社殿は6棟あり、それぞれ以下の神を祀る。西御殿:速玉之男命・事解之男神 、本殿:伊邪那美命、上御殿 伊邪那岐命・天照皇大神・宇賀御魂命 、中御殿 瓊々杵尊命・鵜草葺不合命・火々出見尊・天之忍穂耳命、下御殿 :火産霊命・弥都波能売命・稚産霊命・埴山比売命、八百萬殿:手力男命・八百万神 です。

1.闘鶏神社すぐ手前にある大福院の境内は「弁慶生誕の地碑」駒札があります!
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2.弁慶生誕の地碑
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3.闘鶏神社の大鳥居
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4.闘鶏神社標柱
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5.闘鶏神社駒札


6.流鏑馬記念碑
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7.境内社「弁慶社」駒札
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8.弁慶社
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9.熊野別当(熊野三大社を統括する役)湛増とその子・弁慶の銅像
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10.拝殿と他の6神殿
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11.拝殿
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12.本殿、上御殿、中御殿、
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13.本殿
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14.八百萬殿
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2013/10/14

奉納俳句額発見と高倉神社秋祭り  綾部の文化財

 京都府綾部市高倉町には高倉宮以仁王を祀る式内社「高倉神社」がある。その秋祭りは10月の第2日曜日に催行される。平成25年度は10月13日(日)に催行された。関連の参加神社は1.高倉神社、2.高倉神社御旅所(里町)、3.多田町の天満宮社と境内社の三宮神社、4.有岡町の二宮神社、5.星原町の星宮神社、6.小呂町の奥宮神社の7神社が神輿巡幸行列をつくって、高倉神社から今年は星原町の星宮神社(来年は小呂町の奥宮神社)近くの公会堂で第1回目の休憩、有岡町の二宮神社近くの公会堂で第2回目休憩、そしてお旅所の里宮高倉神社で休憩(昼食)、ここでは綾部市指定民俗文化財の「ヒヤソ踊」が高倉神社出発前と同様に行われる。神輿巡幸で変わっているのは今年5歳の男の子が「日の神(ひのかみ)」役を務めることである。戦後数年間は里宮の馬場で流鏑馬の行事が行われていたが、馬の都合が付かず現在は中止となっている。小呂町には弓の訓練場記念碑がある。

1.多田町の天満宮
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2.天満宮覆屋内の神殿裏側の「奉納俳句額」を発見!赤外線写真撮影が必要!
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3.同上 境内社の三宮神社の寛保2年(1802)の棟札を発見
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4.10月13日午前8時30分遥拝所に参列の各自治会帳やご来賓の塩見真理子副議長さん達
、その後神殿内で神殿祭の神事が行われる!
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5.神輿巡幸の準備中
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6.京都府登録文化財の拝殿をバックに市民俗文化財の「ヒヤソ踊」を奉納
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7.09:20神輿巡幸の行列をつくる
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8.有岡町での第2回目休憩
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9.里宮高倉神社(お旅所)で神事の後、5歳の日の神(ひのかみ)の前でヒヤソ踊の奉納、有志に因る太鼓奉納です!
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10.帰路、多田町天満宮近くの公会堂で休憩
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11.高倉神社についての詳細は下記をクリックして見て下さい!
http://ayabun.net/kaiho/70/takakura.html

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2013/10/13

紀州の文化財・史址を見る!30.国道42号線白浜町にある古社・日神社!  文化財研修記

 和歌山県国道42号線の白浜町富田川側には平安時代末期創建と伝えられる日神社(にちじんじゃ)(祭神は天照大神)がある。日神社本殿一棟は一間社隅木入春日造軒唐破風附檜皮葺附棟札八枚は県指定文化財である。
 社伝によれば、日神社は、仁安2年(1167)吉田少将範秀が伊勢神宮の分霊を奉斎し再建したのが現在にはじまるといわれます。
現在の本殿は、様式手法からみて、江戸時代後期に再建されたもので、紅梁頭貫ばな支輪等、随所に地方色の強い彫刻を施しており、この地方にすぐれた技術者のいたことが知られます。
 又 町指定文化財としての 建造物の日神社 摂社 若宮神社(一間社隅木入春日造檜皮葺)、日神社 摂社 稲荷神社(一間社隅木入春日造檜皮葺)摂社の 厳島神社は一間社流造銅板葺
 若宮神社、稲荷神社は小規模な春日造神社であり、構造形式はごく一般的なものであります。雲気をはく龍の庇木鼻、笈型を大きくおく背面の妻飾りは立派なもので、本殿の脇をかためるには恥のない意匠をみせています。建造期は、本殿より少し下がって18世紀中期から後期ごろのものとみられます。
 厳島神社は小規模な一間社流造で、千鳥破風、軒唐破風を付けてややはでに見せていますが、細部の意匠はごくおとなしいつくりです。絵様などをみますと、建立年代は本殿とそう変わらない時期と推定さています。

1・斜めから日(にち)神社を見る!
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2.正面から見る!
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3.手水舎
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4.拝殿
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5.本殿等の駒札
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6.見事な本殿
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7.本殿左側の若宮神社
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8.弁才天堂駒札
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9.弁才天堂
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10.町指定保護樹(御神木の杉、樹高25メートル、幹周4.3メートル、推定樹齢500年)
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2013/10/10

紀州の文化財・史址を見る!29.すさみの夫婦観潮と恋人岬!  文化財研修記

 和歌山県の国道42号沿いの駐車場に、「女夫波観潮、恋人岬」と書かれた看板があり無料の駐車場もあります。看板には婦夫波観(潮)で潮が外れてなくなっています。
婦夫波観潮・・・・太平洋から押し寄せる波が手前にある「陸ノ黒島」で二つに分かれ、再び陸地と「沖ノ黒島」との間の海上で2つの波が巡り合います。手を合わせる夫婦に似ていることからこの名前が付いたそうです。
恋人岬・・・恋人岬と言えば、グアム島などをイメージすると思いますが、恋人同士が婦夫波の様子を眺めて、愛を確認しあう?ことから付けられたそうです。
崖の斜面には、南国の花、ブーゲンビリアが年中咲き誇っていることを後で知りましたが、
危険で展望台にも近寄ることが出来ず、残念でした。

1.串本ロイヤルホテルから国道42号線へ向う
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2.車窓から見た串本港
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3.国道42号線は和歌山県太平洋側のい沿って走っています!「和歌山県朝日夕日100選の碑」がすさみ町恋人岬駐車場横にあります。
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4.沖の黒島
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5.女夫波観潮、恋人岬
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2013/10/8

紀州の文化財・史址を見る!28.紀伊大島とトルコ記念館!  文化財研修記

 トルコ記念館(トルコきねんかん、トルコ語: Türk Müzesi)は、和歌山県串本町の紀伊大島にある町立の博物館です。明治23年(1890)9月16日に紀伊大島沖で遭難したオスマン帝国(現在のトルコ)のフリゲート艦エルトゥールル号(口径15センチ艦砲8門、アームストロング砲5門、2344トン、600馬力木造軍艦、速力10ノット、乗務員650名、全長76.3M、幅13.3M、艦長アリ・ベイ大佐)の模型や乗員の遺品のほか、トルコ政府から寄贈された品々を展示している。
 記念館の由来は、オスマン皇帝の特使を乗せて日本に派遣されたエルトゥールル号が、帰国の途にあった明治23年(1890)、樫野埼灯台近くで座礁したことにある。犠牲者587名という大惨事であったが、地元大島村(現串本町)の人々はトルコ人の遭難者に温かい対応を行ったことが、日本とトルコの友好の始まりとして有名なエピソードになっている。
 トルコ記念館はこの出来事を記念し、昭和49年(1974)12月に遭難現場付近の紀伊大島に建設された。2階展望台からはエルトゥールル号が座礁した地点を見ることができる。

1.串本大橋の一部
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2.トルコ記念館
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3.日本赤十字社「平時国際活動発祥の地」記念碑
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4..トルコ軍艦遭難慰霊碑
エルトゥールル号が遭難した明治23年当時、地元樫野の島民は献身的な救助活動を繰り広げ、引き揚げられた遺体は、救出され一命を取り留めたハイダール士官立ち合いのもとに、遭難現場である船甲羅岩礁を真下に見下ろす樫野埼の丘に埋葬されたと伝えられています。
翌、明治24年3月、和歌山県知事はじめ、有志の義金により、墓碑と追悼碑が建立され、併せて追悼祭が行われました。 後に、昭和天皇の樫野埼行幸(昭和4年)を聞いたトルコ共和国初代大統領のケマル・アタチュルクが新しい慰霊碑を建立するこ事を決定し、和歌山県が委託を受け、現在のような立派な弔魂碑に改修されましたが、墳域設定に際して、大島村民は樫野埼灯台南東約300uのこの広場(面積746u)を提供いたしました。そして、天皇行幸8周年記念日に当たる昭和12年6月3日、除幕の日を迎え、今日もなお熊野灘沖を行き交う船舶を見守るかのように、樫野の丘にそびえ立っています。
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5.トルコ記念館内1.
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6.同上 2.
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7.トルコ記念館屋上から見た樫野崎
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8.海金剛(この先でトルコ軍艦エルトゥールル号が遭難)
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9.串本ロイヤルホテルの部屋から見た串本港
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