2013/8/31

紀州の文化財・史址を見る!9.高野山一心院谷の金輪塔・徳川家霊台を見る!  文化財研修記

  女人堂から一心院谷方面に下りてくると、左手に蓮華定院、引き続き、別格本山の西室院、その反対側には塔の御本尊が金輪仏頂尊であるため金輪塔と呼ばれ、天保5年(1834)に再建されたもので重文ではないが素晴らしい塔がある。
 さらにその反対側には徳川家霊台がある。 寛永20年(1643)に三代将軍・家光によって建立されたもので 一重宝形造りの建物が二つ並んでおり、 向かって右が東照宮家康公霊舎、左が台徳院秀忠公霊舎となっている。

1.蓮華定院(関ヶ原の合戦や大坂冬・夏の陣で奮闘した真田幸村が、一家で暮らした場所です(真田幸村は関ヶ原の合戦後、一度高野山に流されています)。入り口には真田家の家紋『六文銭』が描かれた提灯がかかり、宿坊で使う調度品や什器(じゅうき)にもこの家紋が入っています。 真田幸村が滞在した部屋が『上段の間』として遺品と共に保存され、一般公開されています(上段の間は一度焼失しているが、基本的な造りは当時のままだそうです)。
クリックすると元のサイズで表示します

2.別格本山「西室院(にしむろいん)」山門(もともと伽藍付近(と龍光院=中院)に東西南北の四室があったが、西室院はその一つである。尚、北室院は往生院谷に現存する。その後、南谷に移ったが幕末に一心院谷に移ったのが現在の別格本山「西室院」(別格本山とは、「本山の次」位の意味である。裏山に行勝上人廟(一般立入り不可)。
クリックすると元のサイズで表示します

3.別格本山「西室院」玄関及び標柱
クリックすると元のサイズで表示します

4.金輪塔の駒札
クリックすると元のサイズで表示します

5.金輪塔(この塔は高野山の復興に力を尽くした明算上人の御廟所という説もあり、現在の塔は天保5年(1834)に再建されたものです。)
クリックすると元のサイズで表示します

6.徳川家霊台( 寛永20年(1643)に三代将軍・家光によって建立されたものです。)
クリックすると元のサイズで表示します

7.徳川家康公霊舎
クリックすると元のサイズで表示します

8.徳川秀忠公霊舎
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2013/8/29

紀州の文化財・史址を見る!8.昔七つあった高野山女人堂で唯一残った「不動坂口女人堂」!  文化財研修記

 高野山の諸堂を取り囲む峰々を繋ぐと蓮の花が開いた形をしているといわれます。その中でも弘法大師廟のある奥の院を囲む摩尼山、楊柳山、転軸山は高野三山と称され、女人禁制で山内に立ち入ることのできなかった女性が辿ったこの尾根道が女人道です。開山から一千年余り、明治5年(1872)に解除されるまで(山内居住が認められるのは明治39年以降)女人禁制はつづき、御廟を拝みたいという信仰の心や、身内で出家した人をひと目見ようとの思いでこの険阻な道を辿ったと言われています。
 高野山への七つの主な道は高野七口(不動坂口、大門口、龍神口、相の浦口、大滝口、大峰口、黒河口)とよばれ女性はそこからは山内に入れず、各入口には女性のための籠り堂として女人堂が建っていました。現在は不動坂口のみに女人堂跡が残っています。

1.不動坂口女人堂は「女人バス停」で下車すると目の前にあります。この地蔵様の横の道が女人道と呼ばれています。
クリックすると元のサイズで表示します

2.七つの女人堂で唯一残る不動坂口「女人堂」(正式には一心院女人堂です。)
クリックすると元のサイズで表示します

3.女人堂駒札
クリックすると元のサイズで表示します

4.女人堂を横から見る!
クリックすると元のサイズで表示します

5.女人堂正面
クリックすると元のサイズで表示します

6.一心院谷方面を見下ろす!
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2013/8/27

紀州の文化財・史址を見る!7.高野山の表玄関の総門「大門」  文化財研修記

 国道480号線を高野山に登っていくと高野山開山以来の表玄関の総門である、丹(に)塗りの大きな門が建っており、「大門」と呼んでいます。現在のような門となる以前は、数百メートル下方の旧道、「九折谷」という場所に鳥居があって、これが門になる前身だといわれています。現在の位置に移された時期は、永治元年(1141)ともいわれ、その際、鳥居から門の形式に変更されました。さらに寛喜2年(1230)には五間二階の楼門に改められたと記録されています。その後、天正5年(1577)に焼失しましたが、慶長9年(1640)、木食応其上人(もくじきおうごしょうにん)によって再建されました。
 現在の大門は、元禄元年(1688)に焼失したことにより、同13年(1700)造営の釿始を行ない、同14年7月大門中柱を建て始め、同16年9月上棟、宝永2年(1705)8月に至って落慶供養が行われました。
 その後、文政元年(1818)に屋根、箱棟の修理が行われ、近年においては明治28年(1895)に屋根の部分修理および二階の縁廻り、一階側柱の根継が行われており、昭和61年(1986)には、全面解体修理が施されました。この時、白木の状態であった表面を丹塗りとし、昔の状態に戻されました。
 大門の中央二本の正面柱には、「日々影向文」(にちにちようごうぶん)の後二句が柱聯(ちゅうれん)として掲げられています。
 大門の仁王像(金剛力士立像、国重文、元禄16年造立)は、その大きさからすると、奈良の東大寺南大門の仁王像に次ぐ、我が国二番目の巨像となるようです。阿形像の像高は 546センチメートル、吽形像は558センチメートルもあります。向かって右の阿形像は、京都の仏師であり高野山大仏師をも名乗った康意が造立し、吽形像は同じく京都五条の仏師、運長が造立したことが胎内の背位置に留められていた銘札から判明しています。また両像の造立に関わる関連資料が別に伝わっており、それによると、元禄9年(1696)から10年にかけて、康伝、康意、康敬、運長など、当時の著名仏師による仕様見積書等がそれぞれに提出されていたことがわかりました。当時の仁王像造立過程を知る上で貴重な資料ということから、重要文化財金剛力士立像の付属品として取り扱われることになりました。
 
1.高野山の表玄関「大門」前の標識
クリックすると元のサイズで表示します

2.大門を斜めから見る!
クリックすると元のサイズで表示します

3.大門を正面から見る!
クリックすると元のサイズで表示します

4.大門正面をアップして見る!
クリックすると元のサイズで表示します

5.大門の駒札
クリックすると元のサイズで表示します

6.国重文大門の阿形の仁王像
クリックすると元のサイズで表示します

7.同上 吽形の仁王像
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2013/8/25

紀州の文化財・史址を見る!6.善名称院(別称:県指定史跡の真田庵)!  文化財研修記

 和歌山県伊都郡九度山町九度山1413には高野山真言宗の善名称院(ぜんみょうしょういん)通称「真田庵」があります。
 善名称院は真田昌幸・信繁(幸村)の隠棲時代の屋敷跡でもあり和歌山県の史跡に指定されています。別称は真田庵(さなだあん)。牡丹の名所としても知られ、城郭風の本堂の八棟造も有名であります。
 慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いで西軍に属して敗れた真田昌幸・信繁父子は、女人禁制の高野山(蓮華定院)に配流の身となった。しかし、妻を連れていたために九度山に移され蟄居生活を送った。善名称院には、その屋敷があったと伝わっていますが、屋敷は遍照寺の近くにあったという説もあるそうです。
 その後、寛保元年(1741)に九度山出身の大安上人が、真田昌幸の墓所に地蔵菩薩を安置した一堂を創建した。

1.駐車場から善名称院(別名は和歌山県指定史跡で真田庵(屋敷)への道
クリックすると元のサイズで表示します

2.善名称院山門(別途旧本堂に面して山門がある。)
クリックすると元のサイズで表示します

3.この山門には釣鐘があります!
クリックすると元のサイズで表示します

4.真田昌幸墓碑と裏には地主権現があります!
クリックすると元のサイズで表示します

5.地主権現
クリックすると元のサイズで表示します

6.毘沙門天堂
クリックすると元のサイズで表示します

7.雷封じの井戸(慶長年間に真田信繁(幸村)が閉居中に屋敷に落ちた雷をこの井戸に封じて里人を救ったといわれています。)
クリックすると元のサイズで表示します

8.城郭風の八棟造りの善名称院(真田庵)の本堂(安政3年(1856再建の物です。)
クリックすると元のサイズで表示します

9.本堂正面
クリックすると元のサイズで表示します

10.旧道に面した山門
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2013/8/23

紀州の文化財・史址を見る!5.国重文の本殿をもつ丹生官省符神社!  文化財研修記

 和歌山県伊都郡九度山町慈尊院835番地には丹生都比売大神、 高野御子大神、 大食都比売大神、市杵島比売大神、天照大御神、 誉田別大神、天児屋根大神 を祀る丹生官省符神社(にうかんしょうぶじんじゃ)がある。
 本殿は国の重要文化財で、境内は国の史跡「高野山町石」。本殿はユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』平成16年(2004)7月登録)の構成資産の一部です。
 社伝では弘仁7年(816)に弘法大師空海によって創建されたという。いわゆる慈尊院の神護寺であります。高野山の領する官省符荘の鎮守とされ、応永3年(1396)の文書に「官省符鎮守・神通寺七社」と記録がある。
 この他にも神通寺7社明神の記録があり、7社のほかに12王子社・120番神社などの名前が挙げられている。また、『紀伊続風土記』によれば、七社のうち丹生・高野の両神は弘仁年間に空海が勧請し、12王子社と120番神の2社が同時に勧請され、気比・厳島の2神は文明年間に勧請されたと伝えられており、これら4社は天文年間の洪水によって昔の境内が沈んでしまったので移転したという。

1.丹生官省符神社参道
クリックすると元のサイズで表示します

2.石の大鳥居
クリックすると元のサイズで表示します

3.駒札
クリックすると元のサイズで表示します

4.石段の駒札
クリックすると元のサイズで表示します

5.参道の両側の石燈籠など
クリックすると元のサイズで表示します

6.朱の大鳥居
クリックすると元のサイズで表示します

7.拝殿
クリックすると元のサイズで表示します

8.同上
クリックすると元のサイズで表示します

9.祭神・高野御子大神(狩場大明神)と弘法大師空海の出会(案内する2頭の犬)
クリックすると元のサイズで表示します

10.国重文の本殿
クリックすると元のサイズで表示します

11.忌明清祓社
クリックすると元のサイズで表示します

12.同上 駒札
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2013/8/21

紀州の文化財・史址を見る!4.女人高野別格本山の高野山真言宗の慈尊院!  文化財研修記

、和歌山県伊都郡九度山町慈尊院にある高野山真言宗の寺院で女人高野本山と呼ばれる慈尊院(じそんいん)は本尊の木造弥勒仏坐像は国宝(秘仏)見れませんが、境内は国の史跡「高野山町石」である。本堂弥勒堂はユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部でもあります。
 弘仁7年(816)、弘法大師空海が嵯峨天皇から高野山の地を賜った際に、高野山参詣の要所に当たるこの九度山の雨引山麓に、高野山への表玄関として伽藍を創建し、高野山一山の庶務を司る政所(寺務所)を置き、高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場とした。
 高齢となった空海の母・阿刀氏(伝承では玉依御前)は、讃岐国多度郡(現:香川県善通寺市)から息子の空海が開いた高野山を一目見ようとやって来たが、当時高野山内は7里四方が女人禁制となっていたため、麓にあるこの政所に滞在し、本尊の弥勒菩薩を篤く信仰していた。空海は9度以上に頻繁に20数キロメートルに及ぶ山道(高野山町石道)を下って政所の母を訪ねてきたので、この辺りに「九度山」という地名が付けられたという。
 空海の母は承和2年(835)2月5日に死去したが、そのとき空海は弥勒菩薩の霊夢を見たので、廟堂を建立し自作の弥勒菩薩像と母公の霊を祀ったという。弥勒菩薩の別名を「慈尊」と呼ぶことから、この政所が慈尊院と呼ばれるようになった。空海の母がこの弥勒菩薩を熱心に信仰していたため、入滅(死去)して本尊に化身したという信仰が盛んになり、慈尊院は女人結縁の寺として知られるようになり、女人の高野山参りはここということで「女人高野」とも呼ばれている。

1.慈尊院橋を歩いてわたる!
クリックすると元のサイズで表示します

2.慈尊院山門
クリックすると元のサイズで表示します

3.弘法大師堂(護摩堂)
クリックすると元のサイズで表示します

4.和歌山県指定文化財の多宝塔(寛永元年(1624)再建のもの)
クリックすると元のサイズで表示します

5.国重文の弥勒堂と応永8年(1401)筆頭荘官高坊行敏(たかぼういくとし)寄進の石燈籠
クリックすると元のサイズで表示します

6.乳型絵馬などが奉納されています!
クリックすると元のサイズで表示します

7.裏側の本堂
クリックすると元のサイズで表示します

8.県指定文化財の土塀(弥勒堂が此処へ移築された時、この築地塀も同時期移築されたものと推定されています。延長延べ250メートル)
クリックすると元のサイズで表示します

9.境内の一部
クリックすると元のサイズで表示します

10.一番目の国指定史跡「高野山町石」
クリックすると元のサイズで表示します

11.同上 駒札
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2013/8/19

紀州の文化財・史址を見る!3.江戸時代初期の流造本殿を持つ日吉神社!  文化財研修記

 紀の川市東国分734には、大山咋命、大己貴命、市杵島姫命、須佐男命、神皇魂命、埴山姫命、蛭子命、国常立命、誉田別命を祀る日吉神社(ひよしじんじゃ)がある。
 古くは山王権現社と称して紀伊国分寺の鎮守社であった。また、東西両国分村の産土神(現在は紀の川市東国分・岩出市西国分)としてあがめられてきた。
本殿は3間社流造、屋根はもと檜皮葺、正面中央に千鳥破風を設け、さらに軒に唐破風をとりつけるなどしていたって派手に造られている。
これに呼応するかのように絵様や繰形などの彫物も多用するから、そこから受ける感じはずいぶん賑々しい。
さらに柱上部から組物にかけて極彩色を施し軒や縁まわりは紅柄塗と塗分けている。建立年代を直接示す資料はないが、当地方社殿の年代観からは17世紀に入るものとみてよいであろう。
桃山時代の雰囲気を色濃く残す江戸時代初期の流造本殿、妻入り(妻飾り)等に特色があり、県内では珍しい形式をもった建造物である。

1.日吉神社案内板
クリックすると元のサイズで表示します

2.正面の鳥居
クリックすると元のサイズで表示します

3.境内社
クリックすると元のサイズで表示します

4.拝殿正面
クリックすると元のサイズで表示します

5.同上
クリックすると元のサイズで表示します

6.拝殿を横から見る!
クリックすると元のサイズで表示します

7.本殿を正面から見る!(桃山時代の雰囲気を色濃く残す江戸時代初期の流造で妻飾りに特徴があります!)
クリックすると元のサイズで表示します

8.本殿を斜め横から見る!本殿横側の妻入り(妻飾り)に特徴があります。
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2013/8/17

音楽ボランティア講座に参加 リハビリとフィットネスの相違点を考える  あやべの街

毎日健康維持に通っている綾部市健康ブラザ・スイムの催し紹介ラックに「音楽ボランティア講座 受講生募集」のパンフレットがあった。

音楽を通じて、心と体をリフレッシュ! 安らぎや喜びを分かち合い、心の琴線を共に奏でる ボランティア活動を始めてみませんか?
・参加費:2000円(4回プログラム・セット)
・対象:綾部市在住または在勤で、音楽ボランティアに興味のある方ならどなたでもOK(経験不問)
主催:アヤベたんぽぽの会、あやべボランティア総合センター、協力:音楽ボランティアあしたば

主催が家内も世話になっている「たんぽぽの会」で、私も慢性中耳炎で自分の声が分からず歌が歌えないので、興味を持ち参加を申し込んだ。
直後キーワード検索して「音楽療法」の内容が判明。「音程の発声学習」でないこと、歌えなくても参加可能とのことであった

<ステップ1>「音楽で遊ぶって?!」
川糸町の福祉ホール
音楽のもつ可能性を知り、音楽療法の基本や理念を学びます。
次回の見学における観察ポイントも考えましょう。

クリックすると元のサイズで表示します
音楽療法士:中澤あすか講師「音楽で遊ぶって?!」の講義があり、地域の高齢者サロンでのプログラムを実地体験する「音楽療法の基本を知る」を学習できた。

<ステップ2>「百聞は一見にしかず!!」
サロン山ぼうし(物部町岸田さい川荘)

音楽療法現場を見学
サロンの参加者とともに実際の音楽療法の現場を見学します。
見学後は、活動を振り返るとともに意見交換を行います。

サロン山ぼうし(岸田さい川荘・物部町)にて、サロン参加者とともに実際の音楽療法の現場を見学した。
講師は中澤あすか(音楽療法士)、万代孝子(作業療法士)のお二人。
息の合った二人のリードで、50分間余りの充実した音楽療法の実地を拝見できた。

クリックすると元のサイズで表示します
@準備運動 雰囲気づくり、リラックスとウォーミングアップ

クリックすると元のサイズで表示します
A歌 夏は来ぬ など2曲
安心感のある活動 参加者の一体感 肺の機能アップ

クリックすると元のサイズで表示します
A歌 夏は来ぬ など2曲
マイクも回して参加していく

クリックすると元のサイズで表示します
Bハンドベル活動 海
楽しい一体感 成功する体験 非日常の体験

クリックすると元のサイズで表示します
Bハンドベル活動 砂山
波の音を演出する小道具も使われる

クリックすると元のサイズで表示します
Bハンドベル活動 砂山
子供たちも参加している

クリックすると元のサイズで表示します
C花笠音頭 2本の竹、木などでリズムを取る。花笠の小道具、手の振りなども組み込む
リズム感 心の高揚 歌、リズム、おどり

クリックすると元のサイズで表示します
D夕焼け小焼け クールダウン

受講者の反省会 次回へ向けての組立開始
貴重で熱心な意見交換が得られた

私の意見:手馴れたお二人の講師の連携で、健常者でも驚く程のテンポで次々とプログラムが進み、歌詞の読み方、意味を考える余裕もなかった。
一息をつく間がないので、ついて行くのがやっとの思いを感じた。

Facebook友達の井関 悟さまから 中澤あすかさん(音楽療法士)のFMいかるご出演の案内をいただいた。
>7/24(水)三扇のど・真ん中放送局で中澤さんご出演です。素敵な方です。11時すぎから放送。

クリックすると元のサイズで表示します
気になるあの人 自閉症のこどもと向き合う 音楽療法士の中澤あすかさん

いつも音楽を聴いているSonyウォークマンの代わりに、FMラジオを持参して、綾部市健康ブラザで歩きながら拝聴した。

<ステップ3>「今度はわたしたち!!」
青野町保健福祉センター
ステップ4でのセッション実践にむけての準備を行います。

保健福祉センターに集まり、中澤あすか音楽療法士の指導で、先ず「パーキンソン病について→音楽の中で何ができるだろう?」の問いかけがあった。

脳神経伝達物資「ドーバーミン」の不足による病気で、症状として・動作緩慢 ・手足の震え ・筋肉のこわばり ・発語の困難(小声、どもろなど) ・動作の開始の困難 ・表情が乏しくなる ・うつ傾向、孤独感 があげられる。

歩き始めの一歩が出せないなど、患者の方が書かれた悲痛な思いのエッセイを読み上げ紹介された。

次に4つのプログラムに、自己申請でグループ分けが行われた。私は「身体を動かす活動」を希望した。

8月10日に行われるステップ4では@始まりのウォームアップ、Eクールダウンを中澤あすか講師にお世話になる。
クリックすると元のサイズで表示します
A歌の活動、B身体を動かす活動、C楽器を使った活動、Dリズムを使った活動の4部会に分かれ、内容と役割分担について熱心なセッションと練習が行われた。

アヤベたんぽぽの会10周年に行われた「パーキンソン病を共に考える集い」
綾部市立病院 講師:吉田誠克氏 京都府立医科大学神経内科、綾部市立病院非常勤医師
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1118.html
に参加した時に紹介された「パーキンソン病体操ビデオの内、
音楽に合わせ・椅子に座って(3分17秒)手足を組み合わせて体操」を参考にすればと持参した。

グループで相談の結果「ソーラン節」を手の運動で行うこととなった。
他のグループ「歌、楽器、リズム」も手の運動なので、中澤あすか音楽療法士が読まれたエッセイの様に「足の歩行障害の方」が大切だと申し上げると、
始まりのウォーミング・アップで対処しますと言ってもらった。

もう一つ、エアロでは間の休憩・水分補給ごとに、深呼吸を行い運動の区切りをしていると申し上げた

クリックすると元のサイズで表示します
ステップ4「さあ、はじめてみよう!」に向け今日のセッションの総括をされる中澤あすか音楽療法士

<ステップ4>「さあ、はじめてみよう!!」
青野町保健福祉センター

パーキンソン病患者の方を対象に、音楽ボランティアとして、グループ毎にセッションにチャレンジ。その後、活動の振り返りなど講座のまとめをします。
講師:中澤あすか音楽療法士、主催:アヤベたんぽぽの会、あやべボランティア総合センター、協力:音楽ボランティア・あしたば

当日、保健福祉センターでは「障害者福祉を推進する綾部市民のつどい」が開催され賑わった。別室でパーキンソン病アヤベたんぽぽの会の方々と講座実習生が集まり、ステップ4の取り組みが行われた。

最初に中澤あすか音楽療法士が行われた「準備運動」は、深呼吸に始まり、首・手・足と一連の運動があり、再び深呼吸で終られた。前回の準備で私の注文した「深呼吸」「足の運動」をしっかり組み入れていただいていた。

クリックすると元のサイズで表示します
続いて4グループの実習生による実践活動、最初に「歌の活動」(3名の講習生)の様子

クリックすると元のサイズで表示します
マイクを持って、たんぽぽの会会長さんなどに歌を奨める受講生

クリックすると元のサイズで表示します
「リズムを使った活動」2拍子、3拍子、4拍子の歌を手の動きを加えて

クリックすると元のサイズで表示します
「楽器を使った活動」3名の講習生

クリックすると元のサイズで表示します
ハンドベルを手に2グループに分かれ鳴らす

「身体を動かす活動」3名の受講生で担当した。
リーダーの方が水無月祭にアイタウンで行われた「綾部よさこい踊り」を引き合いに民謡「ソーラン節」を紹介され、歌に合わせて手の運動(上半身)を行い、終わりに「深呼吸」をした

クリックすると元のサイズで表示します
演奏される中澤あすか音楽療法士
「クールダウン」をされた

クリックすると元のサイズで表示します
グループに分かれ感想(良かったこと・足りなかったこと)を話し合う

クリックすると元のサイズで表示します
身体を動かす活動グループの感想 水色:良かったこと 緑色:足りなかったこと

クリックすると元のサイズで表示します
アヤベたんぽぽの会の感想発表

クリックすると元のサイズで表示します
アヤベたんぽぽの会の感想発表

クリックすると元のサイズで表示します
歌の活動グループの感想発表

クリックすると元のサイズで表示します
リズムを使った活動グループの感想発表

クリックすると元のサイズで表示します
楽器を使った活動グループの感想発表

クリックすると元のサイズで表示します
身体を動かす活動グループの感想発表

・歌、リズム、楽器の活動はいずれも手の運動なので、パーキンソン病で深刻な問題である足の運動も大切と思う。
・音楽療法も本人の能力範囲で楽しんでもらえることが大切と思う。


講座の感想記を求められたので次を提出した。

@学べたこと
末娘が出産・育児で帰省して、アルツハイマー痴呆症の亡母を老人ホーム短期ステイに合計2ケ月余りお願いした。
毎日集会が行われ、手足の運動・歌などに参加していた。
しかし母は半分も出来ない状態だった。車椅子も介助してやっと乗せられる状態で、自分で車椅子を自走される人もあり、大差を感じた。
行動が不安定な人が歌となれば格別の上手さを発揮されるのも不思議だった。
私も福祉の会合でハンドベルを鳴らした経験がある。
それ等が今回、音楽療法として一つに繋がった。

A学びたかったこと
高齢者、パーキンソン病などで障害が進んでからは、手足の運動、車椅子の自走など出来ないが、健康な時から練習しておけば効果があるのだろうか?

Bどのような取り組みが必要か
あるパーキンソン病(要支援2)の様々な障害(声が小さい、レジカゴなど重い物が持てない、食品の蓋が開けられない、朝すぐに立ち上がれない、朝の一歩が歩けない、しばらく調子が出ない、朝ゆっくり寝ていられない、昼寝が必要、すぐつまづき転倒、早く長く歩けない、杖が必要、一時期自転車に乗れなくなった、行為にミスでる・・・)に対して、運動できる継続的なトレーニングの提供が必要である。

しかし、テレビ体操を見ながら真似ている程度。水中歩行だけで余り良いトレーニングがない。あっても障害で無理があり参加出来ない(フィットネス、ヨガ・・)

Cその他意見
私は綾部市健康ブラザでフィットネスとして種々の「エアロビックス」にも参加しているが、毎日継続的に行うことが健康法だと実感。
これまで坐骨神経痛、脊柱管狭窄症など酷い症状を克服し、現在メタボ改善に取り組んでいるが、ある程度身体を騙しながらの運動で無理は禁物。

リハビリとフィットネスの相違点を考える
私の聞くところによると、職業(資格)としても施設としても「音楽療法士」「リハビリ」「フィットネス」は、それぞれ別個のものの様である。

しかし個人にとっては、病気があり、医療期間があり、回復期間があり、維持・強化期間があり、時には一進一退もある、継続した取り組みが必要ではなかろうか?

ある整形外科医は、ともかく運動禁止を強調される。一方別の整形外科医は、緊急症状を克服出来れば早期に運動して機能回復、強化を奨められる。

人それぞれの個人差があって如かるべきであるが、元気があるのなら単に療養に専念するだけでなく、無理のないところから運動を開始して、様子を見ながら運動の強度を加減すれば良いと思う。

D次回受講について 知識としては一応理解できた。
幼児の時から慢性中耳炎で自分の声が判らない状態なので発声練習があるかと期待した。(聞く方はクラシック、ジャズ、ラテン〜民謡など何でも大好き)

この事については幼少時から多々の嫌な記憶、劣等感の履歴がある。人生においても随分の損をして生きてきた。あと何年の命かとの思いもあるが、治るものならとの思いも強い。

綾部市健康ブラザで出会うフランス人の音楽家に尋ねると、先生が持っておられる講座では、自分の歌を録音して聞かせているとのこと。一度録音すれば発声ではないので、自分の音階の良し悪しがわかるかも。

また他の整体医に聞くと、耳骨を使う伝音系なら判るのではないかとのことであった。その内一度しっかり取り組んでみたい!

感謝
最後に4回にわたる講座に、熱心にご指導いただいた中澤あすか音楽療法士をはじめ、関係者の方々、一緒に受講した方々に心からの感謝の意を申し上げる。

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2013/8/17

紀州の文化財・史址を見る!2.紀の川市にある紀伊国分寺跡!  文化財研修記

和歌山県紀の川市東国分にある聖武天皇の発願で鎮護国家を目的に建てた官寺である国分寺の一つである紀伊国分寺(きいこくぶんじ)がある。山号は八光山、院号は醫王院。
 現在の紀伊国分寺は、旧紀伊国分寺の講堂跡に位置し、新義真言宗に属している。旧紀伊国分寺境内は、国の史跡に指定され、史跡紀伊国分寺跡歴史公園として整備されている。紀の川市歴史民俗資料館が隣接している。
 天平13年(741)、聖武天皇の国分寺建立の詔により、造営が開始され、天平勝宝8年(756)に主要伽藍が完成した。南から南門・中門・金堂・講堂・軒廊・僧坊を置く。塔は金堂の東前方に、鐘楼と経楼は金堂の東西後方に配置されている。回廊は中門から塔を囲み、講堂につながっている。東側は雑舎に当てられたものと推測されている。塔跡は一辺16.4メートルの瓦積み基壇上に三間塔婆の礎石が旧位置に残っている。
 創建当時の境内は不明だが、講堂跡を中心に2町(約218メートル)四方が境内の名残を示している。
 元慶3年(879)2月22日に火災で伽藍が全焼し、金堂と僧坊が再建されたが、その他は再建されなかった。その後、14世紀初めに本堂が講堂跡に再建された。また、根来寺の末寺になった。天正13年(1585年)の紀州征伐で根来寺とともに焼き討ちされ、伽藍を再び焼失したが、元禄年間に本堂が再建された。
 昭和3年(1928)2月7日、国の史跡に指定された。昭和48年(1973)から昭和50年(1970)の発掘調査により、寺域が二町四方と判明し、伽藍配置・規模が確認された。昭和60年(1985)国の史跡に追加指定された。

1.紀伊国分寺跡歴史公園案内板
クリックすると元のサイズで表示します

2.広大な史跡紀伊国分寺歴史公園
クリックすると元のサイズで表示します

3.同上 案内図
クリックすると元のサイズで表示します

4.紀伊国分寺跡本堂(現在の建物は元禄時代(1688〜1703)のものです。)
クリックすると元のサイズで表示します

5.同上 駒札
クリックすると元のサイズで表示します

6.金堂跡
クリックすると元のサイズで表示します

7.国分寺塔跡
クリックすると元のサイズで表示します

8.同上 駒札
クリックすると元のサイズで表示します

9.国分寺跡本堂を遠方より見る!
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2013/8/15

紀州の文化財・史址を見る!1.橋本市の古社・隅田八幡神社!  文化財研修記

 和歌山県橋本市隅田町垂井622番地番地には主祭神の誉田別命、足仲彦尊、息長足姫命(神功皇后)を祀る隅田八幡神社(すだはちまんじんじゃ)がある。
 神功皇后が外征後、筑前国から紀伊の衣奈浦(日高郡由良町)を経て大和の都に御還幸の途次、この地に滞留された旧跡にして、貞観元年(859)に八幡社を勧請したのが創祀であるといわれている。
 寛和2年(986)摂政・藤原兼家が山城国男山にある石清水八幡宮の境内に建てた三味堂の料所として紀伊国伊都郡隅田村を寄進して、ここに石清水八幡宮社領紀伊国隅田庄が成立したという。
 やがて永祚2年(990)年には国免庄としての隅田庄となり、万寿5年(1028)には検田使が立ち入らない隅田庄となった。
さらに、延久元年(1069)年の荘園整理令にかかわらず、同4年9月5日づけ太政官の牒によって、石清水八幡宮の荘園として認められる。
 以降、石清水八幡宮によって隅田庄の開発と支配が行われ、隅田別宮として勧請された。
天永元年(1110)年に隅田庄内の豪族・長(のちの藤原・隅田)忠延を隅田八幡宮の俗別当および隅田庄の公文(庄官)に任命して、隅田八幡宮の管理および隅田庄の支配をさせている。
藤原忠延は、隅田氏の祖といわれ、以後、隅田八幡宮の俗別当職と公文職の両職を隅田氏が世襲し、隅田八幡宮の経営、祭祀権を隅田庄々官としての管理権に強大な力をもった。
その後代々地頭職を兼ね武事を専にして殿堂を建て祭式を厳にした。
永禄3年(1560)年2月松永彈正久秀の来攻、社殿が焼失、慶長年間に再建され、後文政2年(1819)年に焼失、同5年(1822)に再建され現在に至っている。
 尚、神社所蔵の国宝の人物画像鏡は我国最古の金石文(きんせきぶん)の一つであり東京国立博物館に寄託されている。又この神社の祭礼は岩清水八幡宮とよく似ており秋祭りは神輿の渡御(とぎょ)などは伝統を残して和歌山県民俗文化財に指定されている。

1.隅田八幡神社の石燈籠と随身門
クリックすると元のサイズで表示します

2.随身門の天井を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

3.随身門から拝殿を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

4.夏越の茅の輪(なごしのちのわ、6月行われる神事でこの茅の輪を8の字潜りで2回廻って拝殿に参拝して元気に夏を過ごすことを願います。)と拝殿
クリックすると元のサイズで表示します

5.拝殿
クリックすると元のサイズで表示します

6.同上
クリックすると元のサイズで表示します

7.同上
クリックすると元のサイズで表示します

8.拝殿裏から本殿を見るが上手く撮影できません。
クリックすると元のサイズで表示します

9.境内案内図
クリックすると元のサイズで表示します

10.神輿蔵
クリックすると元のサイズで表示します

11.国宝の人物画像鏡は我国最古の金石文(きんせきぶん)説明板
クリックすると元のサイズで表示します

12.摂社 隅田恵比須神社
クリックすると元のサイズで表示します

13.息長足姫命(神功皇后)が外征後、立ち寄った記念の「馬締石」
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ