2013/5/31

畿内の文化財・史址を見る!3.木津川市の役行者所縁の神童寺!  文化財研修記

木津川市山城町神童子にある真言宗・神童寺(しんどうじ)は大型バスは腰折れ地蔵の前に駐車。徒歩約10分です。駐車場が無いです!
古来山岳仏教が栄えていたこの地に金峰山を拠点とする修験者集団の勢力や宗教的影響が及びました。「神童寺縁起」によると、 この寺は聖徳太子の創建で本尊の蔵王権現像は役行者(えんのぎょうじゃ)がこの山で修行した時2人の神童の助力を得て刻んだと伝えられています。 大和の吉野山に対して北吉野山と号し、一時は付近の山一帯に26坊のお堂が存在したことが所蔵の絵図から伺えますが全山焼失し、現在の本堂は応永13年(1406)に再建された国重要文化財です。

1.神童寺山門
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2.駒札
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3.国重文の本堂の参道
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4.本堂
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5.本堂彫刻
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6.国重文の愛染明王(あいぜんみょうおう)坐像」(宝物庫にある。不動明王は大失敗です!金色が反射!)
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7.国重文の十三重石塔
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8.石仏
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9.神童寺の位置
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2013/5/30

畿内の文化財・史址を見る!2.木津川市の国宝・釈迦如来坐像を持つ蟹満寺!  文化財研修記

 京都府木津川市山城町綺田36には普門山・真言宗真言宗智山派本尊釈迦如来(国宝)を持つ蟹満寺がある。創建は飛鳥時代であり、 再興は正徳元年(1711)山号は普門山。本尊はかつては観音菩薩であったが現在は飛鳥時代後期(白鳳期)の銅造釈迦如来坐像(国宝)が本尊となっている。
 この寺の創建年代や由緒についてはついては不詳であるが、周辺の発掘調査から飛鳥時代後期(7世紀末)の創建と推定されている。その後、江戸時代の正徳元年(1711)智積院の僧亮範が入寺し再興された。今昔物語集等に記載がある蟹の恩返しの伝承で有名である。
 寺の所在地の地名綺田(かばた)は、古くは「カニハタ」「カムハタ」と読まれ、「蟹幡」「加波多」などと表記された。寺号についてもかつては加波多寺、紙幡寺などと表記されたものが蟹満寺と表記されるようになり、蟹の恩返しの伝説と結びつくようになったものである。この伝説が『今昔物語集』に収録されていることから、蟹満寺の寺号と蟹の報恩潭との結びつきは平安時代後期以前にさかのぼることがわかります。
上記の蟹の報恩潭は観音霊験説話であり、当寺の山号の普門山も法華経の観世音菩薩普門品に因むものであることから、当寺の本来の本尊は観音菩薩であったとみられる。現在も寺の入口付近に観音堂があるが、本尊は釈迦如来に変わっている。本尊の銅造釈迦如来坐像(像高240p)は飛鳥時代後期(白鳳期)の作であるが、造像の由緒は不明で、当初から蟹満寺にあったものか、他の寺院から移されたものかについては諸説あります。
 発掘調査によると飛鳥時代後期(7世紀末)の創建とみられるが、現在は本堂、観音堂等を残すのみす。
釈迦如来座像頭部 銅造釈迦如来坐像(国宝)
像高240センチ。本来は鍍金がほどこされていたが、頬のあたりに鍍金の痕跡を残すのみで像表面は黒色を呈する。右手は胸の辺に上げ第一指と第二指で輪をつくり、左手は掌を上にして膝上に置き、第三指を軽く曲げる(ただし、第三指の半ばから先は木製の後補)。材質、像高、前述の両手の印相などの図像的特色を含め、奈良・薬師寺金堂薬師三尊の中尊薬師如来像との類似が指摘される(薬師寺像の像高は254.7cm)。様式的には興福寺仏頭(もと山田寺講堂本尊、585年開眼)と薬師寺像の中間に蟹満寺像を位置付けるのが通例であるが、天平期(8世紀)に入っての作とみなす説もある。 本像の伝来については記録がなく、当初から現在地に安置されていたのか、他所から移座されたのかを含め、確かなことは不明である。寺伝では本像は綺田の東方山中にあった浄土宗の大寺院・光明山寺から移されたものとする。これに対し、足立康は、本像は井堤寺(いでじ)にあったものとした。井堤寺は現在の綴喜郡井手町にあり、同地にあった橘諸兄の別業に付属した寺院である。足立説ではこの井堤寺を光明寺とも号したことから、前述の光明山寺と混同されたのではないかとする。他に蟹満寺像の旧所在については、山城国分寺にあったとする説(杉山二郎)、高麗寺(木津川市山城町上狛に跡がある)にあったとする説(角田文衛)などがある。2005年に実施された蟹満寺境内の発掘調査では本像の台座は創建時から動いていないとされ、本像は1300年間動いていないとされた。しかし、2008の再調査で、台座下には江戸時代の地層があり、台座も江戸時代の墓石を転用したものであることが判明しました。

1.新しい山門
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2.本堂
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3.国宝の銅造釈迦如来坐像
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4.境内の十三重の石塔
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5.駒札
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6.境内
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7.境内のお地蔵様
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8.境内
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9.境内
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2013/5/29

畿内の文化財・史址を見る!1.京田辺市の国宝・木心乾漆十一面観音立像を持つ観音寺!  文化財研修記

 観音寺 (京田辺市)観音寺(かんのんじ)は、京都府京田辺市普賢寺下大門にある真言宗智山派の寺院。山号は息長山。本尊は十一面観音。別名は普賢寺、大御堂など。
 伝承によれば、白鳳年間(7世紀後半)、法相宗の僧・義淵により創建された観心山親山寺が始まりと伝えられ、天平16年(744)、東大寺初代別当の良弁が中興したという。その後、奈良の東大寺の実忠が入寺し、宝亀9(778)には五重塔を建てたという。古代・中世には普賢寺と呼ばれた。延暦13年(794)の火災以後、たびたび火災に遭い藤原氏の援助によりその都度復興されたが、藤原氏の衰退とともに寺運も衰えた。永禄8年(1565の焼失後は大御堂一宇を残すのみとなった。
 観音寺本堂裏の丘陵上には塔の礎石が残り、7世紀から8世紀の古瓦が出土することから、ここが古代普賢寺の遺構と推定されています。
木心乾漆十一面観音立像(国宝)
像高172.7CMで奈良時代、8世紀の作。一木造の心木のうえに木屎漆(こくそうるし)を盛り上げて造形した木心乾漆造で、この技法は奈良時代から平安時代初期に多用された。頭上面の一部や台座蓮肉部も当初のものである。同じ木心乾漆造になる奈良・聖林寺の十一面観音像としばしば比較されている。

1.観音寺(大御堂)への道
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2.観音寺の場所
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3.鐘楼
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4.2月堂竹送り復活の地碑
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5.本堂への参道
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6.本堂
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7.駒札
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8.本堂内(素晴らしい国宝の黒い木心乾漆十一面観音立像は拝顔できましたが、撮影は禁止でした。)
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10.熱意に惚れて撮影OKと成った!(この映像は二度とでないでしょうね!出たらこの写真を許可無くコピーでしょう!)
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11.外の三重の石塔
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12.鎮守社の地祇神社(ちぎじんじゃ)
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13.同上 駒札
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14.最後に本堂を池越に見る!
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2013/5/28

大江戸近辺の文化財・史址を見る!41(最終回)川越市の古社・氷川神社!  文化財研修記

 ご祭神は素戔嗚尊・奇稲田姫命・大巳貴命・脚摩乳命・手摩乳命。2組の夫婦神が鎮座していることから古くから縁結びの神として信仰されている。毎朝8時より、持っていると良縁に恵まれるといわれる本殿の小石を縫製した縁結び玉が20体配られるため、早朝から行列が絶えない。韓国の人気番組『私たち結婚しました』のロケ地となり「縁結びの神様」と紹介されるなど近年は外国人参拝者が非常に増え、外国語で書かれた絵馬を多く目にする。 
欽明天皇2年(541) 入間川で夜な夜な光るものがあり、これを氷川神の霊光だと捉え、当地に氷川神社を勧請したと伝えられる。長禄元年(1457) 河越城を築いた太田道灌は当社へ詣で、和歌を残している。「老いらくの 身をつみてこそ 武蔵野の 草にいつまで 残る白雪」。 川越藩歴代藩主の崇敬を受け、酒井忠勝、堀田正盛、松平斉典が社殿造営を行った。 旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社である。
昭和23年(1948) 境内より祭祀用の石剣が発掘され、当地では5世紀を中心とする古墳時代に集落が形成され、祭祀が行われていたことが判明している。
本殿:入母屋造銅板葺向拝付で、寛永2年(1648)に松平斉典の寄進により完成した。彫物師は、嶋村源蔵と飯田巌次郎、江戸彫りの精巧な彫刻が施されている。 八坂神社(旧牛頭天王社)、寛永14年(1637)に3代将軍・徳川家光が江戸城二の丸に東照宮として建立したもので、明暦2年(1656)に川越城内の三芳野神社の外宮として移された。川越城廃城で明治5年に当地に移築され社殿となっている。
 大鳥居は木造では日本有数の鳥居で扁額の社号は勝海舟が記したもの。 舞殿は宝永元年(1704)の建立で、薪能などが行われる。

1.氷川神社の大鳥居
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2.同上 駒札
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3.手水舎
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4.舞殿
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5.境内社の八坂神社入口
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6.氷川神社の石の鳥居
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7.氷川神社祭礼の駒札
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8.摂社柿本人麻呂神社
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9.氷川神社拝殿
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10.拝殿から本殿を見る!
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11.太田道灌手植えの笹と歌!
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2013/5/27

大江戸近辺の文化財・史址を見る!40.川越大師として有名な喜多院!  文化財研修記

喜多院は、五百羅漢や1月3日のダルマ市で知られています。
天長7年(830)に慈覚大師が無量寿寺を開いたのが始まりと伝えられています。
永仁4年(1296)、尊海が慈恵大師を勧請して無量寿寺を再興し、北院・中院・南院となる各房が建てられました。喜多院となったのは慶長17年(1612)、徳川家康の信任を得る天海僧正が、住職となってからのことです。
 寛永15年(1638)、大火によって喜多院のほとんどを焼失。3代将軍家光が江戸城内・紅葉山から客殿、書院などを移築しました。
それが結果的には江戸の大火による焼失を免れることになり、江戸城唯一の遺構として残されることになりました。客殿や書院には「家光誕生の間」「春日局化粧の間」と伝えられている部屋があります。これらは、慈眼堂・山門などとともに重要文化財に指定されています。

1.川越大師喜多院前
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2.慈眼大師天海像
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3.白山権現
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4.山門
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5.五百羅漢像の一部
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6.同上
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7.国重文の喜多院本堂
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8.国重文の慈眼堂
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9.同上 駒札
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10.歴代住職墓所
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11.延文の板碑
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12.慈眼大師天海のお墓
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13.苦ぬき地蔵尊
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14.別な参拝路の手水舎
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15.喜多院多宝塔
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16.喜多院大黒天堂
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17.お庭
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18.下記をクリックして、喜多院の見事なお庭を「音声付動画」で見て下さい!
1.http://youtu.be/4O0ybaAuJp4

2.http://youtu.be/1bGeGrpxWHk

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2013/5/26

2013春 綾部バラ園・バラまつり オープニング・セレモニー  あやべの街

陽光輝く5月25日(土)10時から、大勢の参観者が訪れる中で開園セレモニーが行われた。年々見事さを増す綾部バラ園の花を鑑賞した

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山崎善也綾部市長の祝辞

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司会の今村博樹さん 西村観光協会会長など来賓

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バックにグンゼ博物苑の白い藏が並ぶ。集藏では溪谷美の競演・安達秀敏写真展が開催中

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バラ園ゲートはバラのトンネル

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平和を祈願する世界連邦のマークに並べられた石の花壇の通路、両側に見事に咲く種々の色とりどりのバラを愛でながら散策

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白混じりのピンクに濃いピンクのバラ

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花壇の中心はアンネのバラに囲まれた世界連邦マーク

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高低の立体バランスも良くバラが咲いている

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色とりどりのバラで埋まる花壇

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バラの世話をされる市民ボランティア:綾部バラ会の人々が暑い日差しの中、屈んで草取りをされている。感謝!

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バラ苗の販売に見入る人々。購入者も多い

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綾部バラ園 バラまつり 開催中の案内

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2013/5/26

大江戸近辺の文化財・史址を見る!39.川御所市の古社・日枝神社!  文化財研修記

 川越市の小仙波町にある日枝神社(ひえじんじゃ)は、平安時代の天長7年(830)、無量寿寺(後の喜多院)創建の際、その鎮守として比叡山坂本の日吉山王社を勧請したのが始まりです。御神体は僧形の大山咋神(おほやまくひのかみ)。
 本殿は朱塗りの三間社流れ造り、屋根は銅板葺で、国の重要文化財に指定されています。建築時期は寛永15年(1638)の大火後に再建されたのか、それともそれ以前かは不明です。ただし、建築の一部に古形式が認められ室町時代末期(16世紀後半)とも考えられています。拝殿は平成16年に再建され、桁行3間、梁行2間、入母屋造、柿葺型銅板葺です。日枝神社のある場所は、仙波日枝神社古墳(多宝塔古墳)という前方後円墳です。前方部の一部に日枝神社が建築され、後円部の上にはかつて多宝塔(現在は喜多院に移築)がありました。江戸の天下祭で有名な赤坂の山王社は、文明10年(1478)に太田道灌が江戸城を築くにあたって、この川越日枝神社を分祀し、後に東京都千代田区永田町に移したものです。

1.日枝神社の鳥居
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2.同上 駒札
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3.平成16年再建された拝殿
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4.神社周辺には多くの碑があります。
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5.拝殿後部の赤いのが国重文の本殿です!
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2013/5/25

大江戸近辺の文化財・史址を見る!38.川越市の仙波東照宮を見る!  文化財研修記

 東照宮といえば徳川家康を祀った日光東照宮が有名だが、日本各地数多くの東照宮があれど、川越は日本三大東照宮の一つで、仙波東照宮といい、喜多院の南側に隣接している。
元和2年(1616)駿府で徳川家康公が没し、その遺骸を静岡から日光山へ移葬する途中、天海僧正によって喜多院で四日間の法要が営まれたことから、寛永10年(1633)建立された。それから5年後の寛永15年(1638)、「寛永の大火」と呼ばれる大火事でよって、喜多院山門を残し、焼け落ちたが、徳川家光より喜多院復興の命令がが下ると、まず東照宮の再建が行われ寛永17(1670)に完成した。
 漆塗りの極彩色の飾りが鮮やかな本殿・唐門・瑞垣・拝殿・幣殿・随身門・石鳥居と全てが重要文化財に指定されており、社殿の柱には東照宮の名に相応しく立派な彫刻が施されている。本殿内部には家康公の像が祀られ、所蔵の文化財としては拝殿内欄間に徳川家光が奉納した岩佐又兵衛勝以筆「三十六歌仙絵額」、弊殿には県指定文化財である岩槻城主阿部対馬守重次が奉納した12面の鷹絵額がある。
立派な三つ葉葵の御紋がかけられた拝殿前の入口扉や、歴代の江戸幕府の重臣であった川越城主の銘が刻まれた石灯籠が歴史の重みを感じさせてくれます。

1.仙波東照宮入口
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2.同上駒札
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3.鳥居と石段
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4.石段参道
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5.第二の鳥居と参道
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6.国重文の唐門
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7.弁天堂
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8.国重文の随身門
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9.国重文の本殿
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10.本殿の両側には多くの大名の寄進の石燈籠があります!
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2013/5/24

大江戸近辺の文化財・史址を見る!37.小江戸・埼玉県の川越市!中院!  文化財研修記

川越市(かわごえし)は埼玉県西部にある都市である。市街地の北側に江戸時代の雰囲気をそのまま残した蔵造りの町並みが残されていることから「小江戸」と呼ばれ、年間約600万人の観光客で賑わっている。 対して市街地南側は川越駅を中心に商業が栄えており、特にクレアモールは活気ある商店街としてしばしばメディアに取り上げられることがある。
 特に江戸時代は譜代大名の川越藩として有名で江戸西部を護る要石(かなめいし)的な存在で老中・大老なども出ている。又現代では西武鉄道・JR線が共にあり交通も便利で1970年17万人の人口が40年後の2010年には倍増の34万人以上に増加している。
 小生もあやかって西武新宿駅午前7時28分初特急3号に乗るとあっとゆうまに8時16分に西武本川越駅に着いた。
 其処ではパンフレットを貰い一日乗り放題500円の観光バス券を購入した。
 先ず「中院」で下車した。
中院(なかいん)は、埼玉県川越市小仙波町にある、天台宗の別格本山。山号は星野山。寺号は無量寿寺。院号は中院。
 平安時代、淳和天皇の勅許で円仁(慈覚大師)が建立し、当初は無量寿寺仏地院と号した。鎌倉時代、尊海僧正によって再建する。日蓮が尊海より伝法灌頂を受けたのはここ中院であり、東国天台宗580ヶ寺の本山の勅書を受けるなど隆盛を極めた。無量寿寺には仏蔵院(北院)、仏地院(中院)、多聞院(南院)が存在し、後伏見天皇が尊海僧正に命じ関東天台宗の本山とした。天台宗の学問所である仙波談義所が開かれ関東八檀林の一つとして栄えた。天海大僧正が喜多院(北院)の住職となるまでは、中院が無量寿寺の中心的な役割を果たした。

1.西武鉄道小江戸特急
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2.西武本川越駅前
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3.ドイツの姉妹都市までの距離
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4.乗り合い観光バスに乗る!運転手は女姓でマイクで案内です!
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5.天台宗星野山中院(なかいん)標柱
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6.山門
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7.中院御詠歌
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8.中院駒札
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9.大正天皇お手植えの松
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10.秘仏不動明王開扉御影供塔
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11.本堂
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12.墓地案内板
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13.境内
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14.島崎藤村が義母加藤みきに贈った茶室「不染亭」の碑と裏側が茶室
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15.狭山茶発祥の地碑
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16.元南院の址!(明治維新の神仏分離令で廃寺となった)
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17.下記をクリックして、「音声付動画」で中院のお庭を見て下さい!
http://youtu.be/V1KBButKsNk

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2013/5/23

大江戸近辺の文化財・史址を見る!36.水上バスで隅田川下り({浅草乗船場〜日の出桟橋)!  文化財研修記

隅田川めぐりを楽しむ約40分の船の旅。「浅草」と「日の出桟橋」との間にかかる12の橋は、吾妻橋や清洲橋など色や形の個性的な橋ばかり。舟は途中浜離宮へ立ち寄りましたが、上手く撮影できず諦めました。名所・旧跡を紹介する船内アナウンスに耳を傾け、変貌する東京港の姿を眺めれば、江戸の情緒と、東京の「今」が発見できます。

1.墨田公園の水上バス乗り場前
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2.此処から見るスカイツリーは圧巻です!
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3.現在地
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4.時間待ち!
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5.吾妻橋
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6.吾妻橋橋脚
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7.駒形橋
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8.途中の屋形船
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9.船内
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10.厩橋
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11.蔵前橋
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12.途中の風景
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13.両国橋
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14.新大橋?
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15.日の出桟橋が見えてくる!
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16.下船
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17.日の出桟橋
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