2013/2/19

飛騨・信濃の文化財史址を見る!53.中央アルプスの麓・天台宗別格本山「光前寺」その1.!  綾部の文化財

 長野県駒ヶ根市の中央アルプス木曽駒ヶ岳(宝剣岳標高2841メートル、ケーブルカーが千畳敷カールまで行っています。)の麓には古刹も古刹天台宗別各本山・宝積山「光前寺(こうぜんじ)」がある。広大な境内には寺伝によれば平安時代の貞観2年(860)に本聖上人によって開山されたとされる。又、鎌倉時代には客殿の庭は夢窓国師によって築かれた名勝庭園もあります。
 多くの国重文もあり見所一杯ですので、2回に分けて掲載します。
戦国時代には武田、羽柴家等の武将の保護を受け、徳川時代に入ると徳川家からは地方寺院としては破格の60石の寺領と10万石の大名格を与えられるなど、隆盛を極めました。
 境内には樹齢数百年の杉の巨木に囲まれ、本堂を始め、十余棟の堂塔を備える長野県屈指の大寺です。
 春の枝垂れ桜や光苔、そして秋の鮮やかな紅葉風景は光前寺庭園として国の文化財「名勝」に指定されております。
 霊犬早太郎伝説の寺としても知れ渡り、静寂な中にも風情と格式が漂い、年間約30万人の善男善女の人達が訪れ、信州の古刹と美しい庭園風景を楽しんでおります。
 2010年には開創1150年祭と7年に一度の御開帳が開かれました。

1. 光前寺駐車場から見る南アルプス連山!
クリックすると元のサイズで表示します

2.駐車場から見上げる中央アルプス木曽駒ヶ岳(宝剣岳標高2841メートル)
クリックすると元のサイズで表示します

3.二王門(寺院を守護する金剛力士を安置しています。)
クリックすると元のサイズで表示します

4.光前寺郷土環境保全地域図
クリックすると元のサイズで表示します

5.阿形の二王像(二王像は大永久8年(1528)七条門院雲慶13代慶延法眼作)
クリックすると元のサイズで表示します

6.同上 吽形仁王像
クリックすると元のサイズで表示します

7.参道
クリックすると元のサイズで表示します

8.大講堂(阿弥陀堂)(昭和55年本尊不動明王(秘仏)ご開帳記念に建立された。)
クリックすると元のサイズで表示します

9.石垣の上の光コケ!
クリックすると元のサイズで表示します

10.本坊入口門
クリックすると元のサイズで表示します

11.本坊内の涅槃仏!
クリックすると元のサイズで表示します

12.本坊内の諸仏群
クリックすると元のサイズで表示します

13.本坊内の霊犬早太郎像(今よい700年前に光前寺には早太郎という強い犬が飼われていました。その頃、遠州府中の見付天神社で毎年祭りの夜、一人の子女を人身御供として供える慣わしがあり、之を救おうとして探りますと、早太郎を恐れていることが判明し、僧弁存は光前寺で早太郎を見つけ、身代わりとなった早太郎の力によって怪物(老ヒヒ)が退治されました。その報恩のため一実坊弁存は大般若経を書写して光前寺へ奉納したと言う。)
クリックすると元のサイズで表示します

14.客殿の名勝庭園の一部
クリックすると元のサイズで表示します

15.下記をクリックして、「音声付動画」で名勝庭園を見て下さい!築山泉水庭など素晴らしいものです!
http://youtu.be/P0J76-gADBo

16.下記をクリックして、「音声付名勝庭園」を客殿内から見て下さい!
http://www.youtube.com/watch?v=XrUCudwYags&feature=share&list=UU7B5P0TFj6H-ZY4c1XTuMAA
17.下記をクリックして、「音声付動画」で、大講堂前からの南アルプスの風景を見て下さい!
http://youtu.be/ZniUPN5Jk88

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2013/2/18

山家の上谷厄神社  綾部の文化財

上谷神社に着いたのは、もう、午後2時半頃になってしまった。 神事などには間に合わず。夫婦で、一般参拝。 あいにくの雨続きだ。

クリックすると元のサイズで表示します
綾部市の上谷厄神社、本殿

クリックすると元のサイズで表示します
神主さんの木靴 懐かしいカバー付きの下駄(本殿の横側)本殿に座っていた神主さんは、同級生であった。帰りの車中で思い出した(昨年の6月、高校の学年同窓会で出会っている)

クリックすると元のサイズで表示します
大本教、王仁三郎氏の歌碑 教祖・直子が、ここで修行されたそうだ。その縁で歌碑が建てられている

クリックすると元のサイズで表示します
石段の上に本殿が見える
クリックすると元のサイズで表示します
山村地帯にある厄神さん 参道は農道 両側は水田になっている

クリックすると元のサイズで表示します
自宅の神棚

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2013/2/18

あやべ厄神さん宵宮に参拝賑わう  綾部の文化財

先ず綾部市立図書館で「あやべ厄神さん」「上谷厄神さん」の資料探しをした。
綾部の文化財を守る会の事務局長:四方續夫氏が5年ぶりのJTBのOB会に参加するのでと、上谷厄神さん、あやべ厄神さんの祭礼取材を要請された。

クリックすると元のサイズで表示します
小冊子:観光あやべ特集号「ふるさと綾部の祭」綾部市観光協会 昭和52年3月
上谷厄神で総代の方から、「社寺編」など3冊ともないので再刊して欲しいとの声を聞いた

厄神さん:若宮神社境内、祭神:猿田彦神 2月18日の厄神さんのお祭りには、近郷近在からの参詣者が引きも切らず、参道は人でうずまる。参詣者は、厄除けの白羽の矢をいただいて帰り、自分の家でまつり明年の厄神さんにお返しをする。

クリックすると元のサイズで表示します
2月17日(日)綾部市図書館の帰りに若宮神社に行くと、案内整理から先進んで降りる大本駐車場を指示された。少し歩いて若宮神社参道に戻る。参道石段入口から屋台店が並び賑わう

クリックすると元のサイズで表示します
人混みを抜けて参道を登る

クリックすると元のサイズで表示します
二の鳥居をくぐり長い石段を上がる

クリックすると元のサイズで表示します
赤い幟旗が立てられた石段、左右に登り降りが分けられていた

クリックすると元のサイズで表示します
下の紅白の茅の輪をくぐる厄除けの門。上に2本の大きな白羽の矢が立っている

クリックすると元のサイズで表示します
若宮神社(祭神:仁徳天皇)に参拝する

クリックすると元のサイズで表示します
左手の石段を上がり並ぶ社殿が厄除け神社(祭神:猿田彦神)

クリックすると元のサイズで表示します
お神くじ販売で頑張っている巫女さん

クリックすると元のサイズで表示します
厄神さんに次々と参拝

クリックすると元のサイズで表示します
下の境内でも福引など行われている

クリックすると元のサイズで表示します
神殿の裏をぐるっと周り、摂社にも参拝の人々

クリックすると元のサイズで表示します
開運の門をくぐり帰る人々

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2013/2/17

飛騨・信濃の文化財史址を見る!52.保科正之が高遠藩主であった高遠城と西龍寺!  綾部の文化財

治承3年(1179)笠原平吾頼直築城と云われる。暦応年間(1338〜41)には木曽義親が高遠城主となり、高遠太郎と称した。その後、戦国時代、天文16年(1547)、信濃に侵攻した武田信玄は謀略によって諏訪を落とし、高遠頼継を杖突峠にて破り高遠地方を手中に治め、南信濃経営と駿河・三河地方進出の拠点として、また伊那口への要所であるこの城を重視し、秋山信友らに命じ城郭として大改修させた。勘介曲輪という郭が残っており、山本勘介の存在を示唆するとともに同時の大改修を現すものといえよう。諏訪勝頼(後の武田勝頼)が城主を務め、信玄の歿後は、その5男・仁科盛信が入城。織田氏・徳川氏に攻め込まれた際に、武田氏の凋落に次々と裏切る宿将が連続するなか、盛信と諏訪勢は徹底抗戦した。
 しかし、大将・織田信忠以下森長可を先頭に滝川一益らの精鋭織田軍の猛攻を受ける。織田軍は僧侶をもって降伏を勧告したが、盛信はその耳・鼻を切り落として返し、籠城の意気込みを明示した。『信長公記』に信忠自身が防壁を打ち壊したと記載されるほどの猛攻撃を受け、盛信は自腹を斬ると中から腸を引きずり出して絶命し、また一族もろとも壮絶な自刃をして果てた。
 徳川時代に入ると徳川家康の信望を得た保科正之が城主となり出羽山形へ移封、さらに上杉藩主となった。その後は鳥居忠治(ただはる)が寛永13年(1636)山形から移封と同時に西本願寺の末寺・西龍寺(さいりゅうじ)も移ってきて城の搦手門(からめてもん)の突き当たりに位置した。この寺には珍しい「狐の曼荼羅」が残っており、これはこの寺に仕えていた女中が暇を取って帰る時に、お札に書き残ししていったというが、実はこの女中は狐の化身で曼荼羅には多くの狐の毛が付いており、和尚は翌日倒れている雌狐を見つけてねんごろに葬ったといわれている。
 城域は広大で今は桜の名所として知られている。

1.国史跡「高遠城跡」図 (西龍寺は東の右手の搦手門から突き当たりです!)
クリックすると元のサイズで表示します

2.浄土真宗西本願寺派の西龍寺(さいりゅうじ)山門(寛永13年(1636)保科正之と交代で山形から移封してきた鳥居忠治(とりいただはる)に付いて移ってきた寺院です。)
クリックすると元のサイズで表示します

3.同上
クリックすると元のサイズで表示します

4.見事な境内の松
クリックすると元のサイズで表示します

5.搦手門(からめて)門跡
クリックすると元のサイズで表示します

6.内堀
クリックすると元のサイズで表示します

7.途中の道、進徳間への道
クリックすると元のサイズで表示します

8.二の丸への道
クリックすると元のサイズで表示します

9.大手門橋
クリックすると元のサイズで表示します

10.大手門跡
クリックすると元のサイズで表示します

11.大手門跡碑
クリックすると元のサイズで表示します

12.桜雲橋(桜の時期の見事な桜で湯名です。今は落葉した桜の木です!)
クリックすると元のサイズで表示します

13.大正6年に再建された太鼓楼で本丸南隅にあります。
クリックすると元のサイズで表示します

14.国史跡高遠城公園
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2013/2/15

飛騨・信濃の文化財史址を見る!51.水中に浮ぶ浮城で有名な高島城!  文化財研修記

中世、諏訪氏は現市街地北方にある茶臼山に高島城(茶臼山城)を築いて居城とした。諏訪頼忠は、平城の金子城(諏訪市中洲)を築き、新しい拠点としたが、天正18年(1590)に諏訪頼忠が武蔵国奈良梨に転封となり、代わって日根野高吉が、茶臼山にあった旧高島城に入城する。文禄元年(1592)高吉は、文禄元年(1598)から慶長3年(1598)にかけて、現在の地である諏訪湖畔の高島村に新城を築く。その際村人には漁業権や賦役免除権などの特権を与える代わりに小和田へ移転させた。高吉は織田信長、豊臣秀吉の下で普請を経験していたことから、織豊系城郭として築城し、石垣を築いて天守も上げた。その様は船渡川・中門川・上川が周囲を廻って掘りとなり、水中に浮んきだしたことから「浮城」の異名をも得た。
 慶長6年(1601)日根野氏は下野国壬生藩に転封となり、譜代大名の諏訪頼水が2万7千石で入封。再び諏訪氏がこの地の領主となり明治維新まで続くこととなった。江戸時代は諏訪藩の政庁であり藩主の居所であった。天明6年(1786)に石垣などが補修されている。
寛永3年(1626)には徳川家康6男の松平忠輝を預かる。南の丸を増設し、監禁場所とした。以降も南の丸は、幕府から預かった吉良義周などの流人の監禁場所とななった。明治時代に場内に諏訪護国神社が建てられた。

1.復元された高島城
クリックすると元のサイズで表示します

2.城門への橋
クリックすると元のサイズで表示します

3.城門から城内を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

4.冠木門跡(かぶらぎもん)
クリックすると元のサイズで表示します

5.高島城浮城碑!
クリックすると元のサイズで表示します

6.本丸御殿跡!
クリックすると元のサイズで表示します

7.三の丸裏門
クリックすると元のサイズで表示します

8.城内に明治に出来た諏訪護国神社
クリックすると元のサイズで表示します

9.もう一度最期に見事な天守を見て下さい!
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

10.下記をクリックして、「音声付動画」で、浮城の高島城の外郭・天守を見て下さい!
http://youtu.be/QHi6u3uBGKQ

11.下記をクリックして、「音声付動画」で、高島城内と天守を見て下さい!
http://youtu.be/IIBxSHqxV_Y

2013/2/13

飛騨・信濃の文化財史址を見る!50.信濃国一之宮諏訪大社上社本宮!  文化財研修記

 信濃國一之宮「諏訪大社上社本宮」:神社発行パンフレットから抜粋。
我国最古の神社の一つであり、信濃國の国造りをなされたのち、日本国土の守護神としてこの地にお鎮りになり、信濃國一之宮として皇室武門および一般の信仰が厚く、全国一万有余の諏訪神社の総本社です。幣拝殿と片拝殿のみで本殿を持たない、諏訪造りという独持の様式。徳川家康が造営寄進したと言う四脚門など貴重な建造物が数多く残っております。六棟は国の重要文化財に指定。諏訪訪駅から東南へ六キロ、守屋山の山麓で中部地方唯一と言われる原生林に抱かれる如くに鎮座しております。 諏訪大社は社殿の四隅におんばしらと呼ぶ大木が建ち幣拝殿や左右片拝殿が横に並び、本殿を欠く等社殿の配置にも独特の形を備えています。
 中でも本宮は諏訪造りの代表的なもので、建造物も四社の中で一番多く残っています。また神体山を拝するという大きな特徴を持ち、祭祀研究の上からも注目されておりま す。
 境内のほぼ真中に東宝殿、西宝殿と言う二棟の茅葺の建物があります。本宮で最も大切な御社殿で、寅年と申年毎に交互に建替がなされ遷座祭が行われます。軒からはどんなに干天の日でも最低三粒は水滴が落ちるといわれ、七不思議の一つに挙げられ、諏訪大神が水の守護神として広く崇敬される根元にもなっております。
 本宮の昔の建物は極彩色が施されておりましたが、天正10年(1582)に織田信長の兵火のため、山中に逃れた神輿の他はすべて焼失しました。この時まず仮殿が作られ順次再建され社殿は元和3年(1617)に完成しました。その後約二百年を経て諏訪藩主に依り社殿の改が計画され、立川和四郎二代目富昌が上社棟梁と共に事に当り、天保2年から9年(1838)迄8年の歳月を要し現在の社殿が落成し、立川流の代表的建築物と言われえております。尚旧殿の拝殿は嘉永2年(1849)に郡内の富士見町乙事の諏訪神社へ移築され、桃山時代の代表的建造物として重要文化財に指定されております。
 本宮最古の建物は四脚門で、慶長13年(1608)に徳川家康が家臣大久保石見守長安に命じ、国家の安泰を祈願して造営寄進したもので、別名を勅使門とも言います。

1.表の北参道の鳥居
クリックすると元のサイズで表示します

2.第二の手水舎
クリックすると元のサイズで表示します

3.北参道には駐車場が無いので東参道の駐車場に車を置き、手水舎で清めて参拝です!
クリックすると元のサイズで表示します

4.東参道の太鼓橋から諏訪大社境内へ入ります!
クリックすると元のサイズで表示します

5.東参道入口門(文政12年(1829)上社宮大工棟梁の原五左衛門と弟子・藤森廣八が建築)
クリックすると元のサイズで表示します

6.諏訪大社上社本宮図
クリックすると元のサイズで表示します

7.一之御柱
クリックすると元のサイズで表示します

8.御柱の「メド梃子(てこ)」
クリックすると元のサイズで表示します

9.東参道からは67メートルもある「屋根付の布橋(ののはし)」を通ります!
クリックすると元のサイズで表示します

10.布橋の両側には大国主神社など多くの境内社があります!
クリックすると元のサイズで表示します

11.布橋を通ると下に神楽殿が見えます!
クリックすると元のサイズで表示します

12.此処には東西の宝殿があります!
クリックすると元のサイズで表示します

13.国重文の四脚門(別名、勅使門といい、徳川家康が慶長19年(1614)に寄進した門です。)
クリックすると元のサイズで表示します

14.埸重門を潜ります!
クリックすると元のサイズで表示します

15.参集殿などがあります!
クリックすると元のサイズで表示します

16.参拝所前の神木「穀の木(かじのき)」
クリックすると元のサイズで表示します

17.参拝所に向って右側には勅願殿があります!
クリックすると元のサイズで表示します

18.参拝所
クリックすると元のサイズで表示します

19.正面が拝殿、向って左側は右片拝殿、右側は左片拝殿です。参拝所から拝殿までの庭は「斎庭」と呼んでいます!正面拝殿の裏側に幣殿もありますが、見えません。これらの四つの建物はいずれも国重文です。
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

20.下記をクリックして、「音声付動画」で諏訪大社の中で最大の上社本宮を見て下さい!
http://youtu.be/8spaS-EGEVw

2013/2/12

平成25年建国記念の日(紀元節)を祝う京都府北部府民の集いに参加して!  

 2月11日(祭)は皆様ご存知の通り「日本国建国記念日」です。日本書記によると平成25年は日本国神武天皇(磐余彦)が大和の国を平定して、「見れば、あの畝傍山(うねびやま)の東南の橿原(かしはら)の地は、まさに国の中心地であるらしい。都を造ろう。」と言って大地に太い宮柱を立て、宮殿を高々と築きあげた。これが畝傍の橿原宮で磐余彦は木の香も匂うこの宮で始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらのみこと)とたたえられた。神武天皇というのは奈良時代から平安初期にかけてつくられた漢風諡号(しごう)です。日本書記ではこの年を辛酉(しんゆう)の年の元旦(西暦紀元前660年)だったと記しています。明治になってから政府はこの伝説的な即位の日を太陽暦に換算して2月11日を紀元節としました。西暦よりも660年も多い日本暦を公式に通用させていました。そして昭和15年は紀元2600年を盛大にお祝しました。戦後は紀元節としてでなく、建国記念日となりましたが、それゆえ平成25年は皇紀2673年であります。

1.案内パンフレット
クリックすると元のサイズで表示します

2.会場の福知山ロイヤルホテル2階の金襴・銀欄の大広間の受付風景
クリックすると元のサイズで表示します

3.午後1時30分第い一部 式典
  一・開会の式を告げる    後藤出雲大社教巖分詞副分詞長
クリックすると元のサイズで表示します

4.建国記念の日(紀元節)を祝う京都府北部府民の集い実行委員長:後藤堯出雲大社教巖分詞長
並びに来賓の西田昌司参議院議員等着席
クリックすると元のサイズで表示します

5.神武天皇陵遥拝、皇居遥拝後、国歌斉唱(2回)
クリックすると元のサイズで表示します

6.下記をクリックして、「音声付動画」で国歌斉唱を聞いて下さい!
http://youtu.be/x3NoJCVNzQE

7.紀元節の歌奉唱
クリックすると元のサイズで表示します

8.下記をクリックして、「音声付動画」で紀元節の歌奉唱を聞いて下さい。但し、4節の内始めの2節のみです。
http://youtu.be/7budVg8dOdo

9.後藤堯大会実行委員長のご挨拶
クリックすると元のサイズで表示します

10.ご来賓紹介、西田昌司参議院議員や綾部市からは四方源太郎府会議員、高倉武夫市議会議長、安藤和明議員、高橋輝議員、木下義信議員(彼は奥様同伴でした。)など
代表して、西田昌司参議院議員が祝辞を述べられました。
クリックすると元のサイズで表示します

11.聖壽万歳(天皇陛下の長寿を祝って!)三唱を」して、後藤司会者の閉式の挨拶で第一部が終了しました。

12.第二部は成尾敦、牛田るり子指揮者による「石川混声合唱団」の皆様でふるさと、花は咲く、ミュージカルキャッツよりのメモリー、マイフエアーレデイの踊りあかそう、夕焼け小焼けなど素晴らしい5曲が披露されました。
クリックすると元のサイズで表示します

13.下記をクリックして、「音声付動画」で、素晴らしい石川合奏団の一曲目の「ふるさと」の一部を聞いて下さい。
http://youtu.be/_4Rn--k1iJg

14.第三部は講演で、二人の講演ですが「共通テーマはすばらしき国 日本」です!
日本会議専任研究院員の江崎道朗氏です。
クリックすると元のサイズで表示します

15.韓国済州島生まれで、現、拓殖大學国際教授の呉 善花先生です。著書も多く別途写真で紹介しますが、ウイットに富んだ講演でどっと笑い声も上がりました!
クリックすると元のサイズで表示します

16.韓国済州島生まれで、現、拓殖大學国際教授の呉 善花先生出版の本2種類
クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します
span style="font-weight:bold">綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2013/2/11

飛騨・信濃の文化財史址を見る!49.諏訪大社上社の神宮寺一つ法華寺!  文化財研修記

 法華寺の創建は不詳ですが元は天台宗の寺院として開かれたのが始まりとされ、鎌倉時代に当時の領主だった蓮仏盛重が建長寺の蘭渓道隆を招いて中興開山し臨済宗に改められました。又、法華寺は諏訪大社上社本宮の神宮寺の宮寺の1つでもありました。天正10年(1582)、高遠城を落とした織田軍勢はそのまま北上し諏訪大社上社本宮を焼き討ち、類焼を免れた法華寺は本陣となり武田家滅亡後の論功行賞が行われました。その際、織田信長が明智光秀を叱責し、面目を失った光秀が本能寺の変へと導いたとも伝えられています。又、境内裏手には吉良上野介義央の養子である吉良義周の墓があります。義周は上野介の外孫にあたり米沢藩主上杉綱憲の次男でしたが上野介の養子となり吉良家を継いでいまし。元禄15年(1702)の赤穂浪士により吉良邸討ち入り事件の当事者の1人として領地を召し上げられ高島藩に配流となり宝永3年(1706)に病死、法華寺に土葬されました。

1.現法華寺標柱
クリックすると元のサイズで表示します

2.法華寺山門
クリックすると元のサイズで表示します

3.本堂
クリックすると元のサイズで表示します

4.本堂上の吉良上野介の外孫で赤穂浪士討ち入りの祭、武士らしくない働きぶりで、領地を召し上げられ、高遠藩お預けとなり、此の地ではてた。吉良義周(きらよしちか)の墓標!
クリックすると元のサイズで表示します

5.大黒天・弁財天堂
クリックすると元のサイズで表示します

6.無縁塔
クリックすると元のサイズで表示します

7.今なお残る旧鷲峯山法華寺碑
クリックすると元のサイズで表示します
綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2013/2/10

飛騨・信濃の文化財史址を見る!48.源氏の祖神誉田別命(八幡さん)を祀る新海三神社!  文化財研修記

 健御名方命の御子興波岐命(おきはぎのみこと)は新開神(にいさくのかみ)・大県神・八県宿禰神(やのあがたすくねのかみ)等とも称され、田口に本拠を構えて千曲川等の河川の氾濫原や平地を開拓した集団の長であり、佐久地方開拓の祖神として古墳時代にこの地に祀られた。八県宿禰神は貞観10年(868)正5位下を授けられている。田口には古墳が多く、神社付近の英田地畑古墳から蕨手刀が昭和40年に出土し、有力高貴な方が住んで居たことが証明された。神社周辺の社地にも古墳が三つある。
 新海三社神社(しんかいさんじんじゃ)と称し佐久郡の総社であったことと、健御名方命と事代主命は国土経営に大功をたてられ、興波岐命の御父神、御叔父神であらせられるのでともに齋祀して新海三社神社と称するに至った。佐久郡の人々は興波岐命の神恩に感謝し、祭典も盛大に行われ佐久郡の社家は佐久郡三庄36郷の総社である当神社の祭典に出仕した。
 源頼朝は草津方面に遊猟の節当神社に参詣、源氏の祖神誉田別命(八幡さま)を祀るよう沙汰されると共に社殿を修理再建し社領を寄進した。足利氏も当神社のことを沙汰し、武田信玄は永禄8年(1565)上州箕輪城攻略の際祈願文を奉り、天正年間には修築を行わせている。徳川氏も造営の内助費を下付し、龍岡藩主も祈願所とし、鉾、手水舎等の寄進や修復の寄付などしている。

1.途中から参道を見下ろす!
クリックすると元のサイズで表示します

2.、手水舎
クリックすると元のサイズで表示します

3.拝殿を見上げる!
クリックすると元のサイズで表示します

4.見事な拝殿
クリックすると元のサイズで表示します

5.神楽殿を横から見る
クリックすると元のサイズで表示します

6.神楽殿を上から見る!
クリックすると元のサイズで表示します

7.西本社と中社を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

8.東本社(国重文、一間社流造・檜皮葺きで室町時代後期の建築)
クリックすると元のサイズで表示します

9.拝殿後部と中社横を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

10.駒札
クリックすると元のサイズで表示します

11.国重文の三重塔(元同社神宮寺の塔で、永正12年(1515)建立で3間3重・杮葺で和様と禅宗様建築物です。)
クリックすると元のサイズで表示します

12.別な位置から見る!
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2013/2/9

アートフイエスタ2013第30回綾部市美術展 幼児・小学生・中学生の部!開催中!  綾部の文化財

京都府綾部市並松町の「綾部市市民センター」2階大競技場で「第30回綾部市美術展 幼・小・中の部 アートフイエスタ2013」が2月9日(土)〜11日(祭)まで3日間午前10時〜午後5時まで開催中です。
 同時開催で★「平和と環境の日」事業における環境子ども作品コンクール出品作品
      ★明るい家庭作り(家庭の日)絵画作品も展示されています。
 感受性豊かな子ども達の作品展です。下記にいくつか掲載しますが、是非ご自身の眼での鑑賞をお薦めします。

1.会場入口
クリックすると元のサイズで表示します

2.2階会場
クリックすると元のサイズで表示します

3.同上
クリックすると元のサイズで表示します

4.同上
クリックすると元のサイズで表示します

5.同上
クリックすると元のサイズで表示します

6.同上
クリックすると元のサイズで表示します

7.同上
クリックすると元のサイズで表示します

8.同上
クリックすると元のサイズで表示します

9.同上
クリックすると元のサイズで表示します

10.同上
クリックすると元のサイズで表示します

11.同上
クリックすると元のサイズで表示します


綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ