2013/2/28

冬の京の文化財・史址を見る!5.綾部と大変ご縁のある清水寺!  文化財研修記

北法相宗の本山であるこの清水寺の故前貫主・松本大円師は京都府綾部市の宝満寺のご出身。今でもある忠僕茶屋の大槻重助は京都府何鹿郡(綾部市)の出身でこの茶屋は今でもあります。西国観音霊場33カ所第16番札所。元亀9年(778)延鎮上人が開山、延暦17年(798)坂上田村麻呂の創建と伝える。音羽山中腹に30近い堂塔伽藍が並ぶ。現在の主な堂塔は、(寛永10年(1633)徳川家光の再建。‘清水の舞台’で知られる本堂(国宝)は寄せ棟造り、檜皮葺、寝殿造り風の優美な建築で、十一面千手観音立像を安置。舞台の下方に音羽の滝、谷を隔てて安産祈願の子安の塔(重文)がある。ほかに仁王門、馬駐(うまとどめ)、鐘楼、西門(さいもん)、三重塔、経堂、田村堂、轟門、朝倉堂、釈迦堂、阿弥陀堂、奥の院など重文指定の建造物がいらかを連ねる。平成6年(1994)12月「古都京都の文化財」として「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産に登録されました。
建立の現本堂は寛永10年(1633)年再建のものです。

1.大谷本廟(西大谷)の近道で到着して、国宝本堂を見上げる!
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2.音羽ノ滝
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3.綾部出身の大槻重助が働いていた忠僕茶屋
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4.忠僕茶屋から本堂を見上げる!
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5.西門駒札
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6.仁王門
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7.下記をクリックして、「音声付動画」で清水寺西門付近を見て下さい!
http://youtu.be/eSrnrdUmSO8

8.鐘楼(梵鐘には文明10年(1478)の銘が刻まれています。)
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9.本堂を横から見る!
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10.国重文の三重塔など
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11.本堂へお参りの善男善女達!
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12.左清水寺本堂、真ん中はえびすの神を祀る地主神社(次回掲載です!物凄い若者達で一杯)
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13.国宝の清水寺本堂!
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14.下記をクリックして、「音声付動画」で清水寺を見て下さい!
http://youtu.be/0Do0FANG6TA

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2013/2/26

今庄365スキー場で木の芽城塞群の案内を見る  文化財研修記

シニアスキークラブ銀嶺会の日帰りスキー例会で今庄365スキー場へ出かけた。海の見えるスキー場として有名であるが、スキーを外して鉢伏山(760m)山頂展望台へ歩いて登る際に鉢伏山城址の案内板が立っていた。

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スキーセンターから山頂までクワッドリフト(1270m)に乗ってあがる

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リフト山頂駅に立つ山頂展望台への案内標識 ロッジ:シーサイト365

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鉢伏城址の案内板:木の芽峠から北西約700m、木の芽城塞群の中で最大、元亀元年(1570)朝倉方で築く・・

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眼下に見える敦賀湾の杉津付近の展望、向かいは敦賀半島。右手:日本海、左手に敦賀市 船が行き交っている

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稜線のシーサイト・コース(2100m)初・中級を滑る

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山谷の向こうに余呉スキー場が見える

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少し下がると木の芽城塞群図が建っている。
1鉢伏城、2観音丸城、3木の芽城、4西光寺丸城

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すぐ横に峠茶屋(休み)ラーメン

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リフト券に付いていた今庄365温泉やすらぎに入浴する。ゲレンデ前にある天然温泉

<参考資料>木の芽城塞群 越前一向一揆 木の芽崩れ の資料はこちらをご覧ください
http://homepage2.nifty.com/tsuruga/kinomejyousai1.html

木の芽山地は福井の嶺北、嶺南を分ける嶺であり、源平・南北朝・戦国期の争乱、一向一揆など、各年次にわたる合戦の要害として重要視されてきた。
山頂尾根筋には木ノ芽峠城(標高620メートル)・西光寺丸城(標高643メートル)・鉢伏山城(標高762メートル)の三城が所在する。

確認される遺構は戦国期のものである。城の遺構はそれぞれ独自の縄張りをみせており、元亀元年の信長越前侵攻にさいして朝倉氏は鉢伏山城に印牧弥六郎左衛門を入れ、本格的な城砦を造ったと考えられるが(「朝倉始末記」)、

天正元年の織田軍、同三年の一揆勢による防備など入り乱れての攻防のなかに城郭が整備されており、
一揆軍篭城のとき、西光寺丸城は本覚寺・西光寺衆徒、木ノ芽峠城は本陣として下間筑後軍、鉢伏山城には専修寺の一統が守備したとある(勝授寺文書)。

木ノ芽峠城砦群は朝倉氏・織田氏・一向一揆勢の三勢力によって築城・調整されてきた城郭で、複雑な様相をみせるが、戦国末期の攻防にともなう峠の陣城として他に例のない貴重な城砦群である。『福井県史通史編』より

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2013/2/26

冬の京の文化財・史址を見る!4.大谷(西大谷)本廟!  綾部の文化財

 京都市東山区東大路五条坂上るには大谷本廟(西大谷)では親鸞上人を祀っている。親鸞上人は弘長2年(1262)90歳の長命で没し、その遺骨は鳥野辺の南の延年寺で火葬、遺骨は吉水の大谷本廟堂に納められていたが智恩院の造営時に現在地に移された。入口の皎月池にかかる円通橋は安政3年(1856造営の珍しいアーチ橋で眼鏡橋と呼ばれている。本堂の東に親鸞の廟所があり、左右に歴代の法主の遺骨が納めらえている。西大谷から清水にかけて、鳥野辺で、「化野(あだしの)の露、鳥辺山の煙」といわれ世の無常・人の生命のはかなさにたとえられ、蓮台野ともなどとともに平安期以来の五三味(ごさんまい、5つの大きな墓所とされてきた。

1.円通橋の駒札
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2.円通橋(通称は眼鏡橋)
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3.大谷本廟(西大谷の縁日の出店)と山門
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4.山門
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5.山門を振り返る!
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6.鐘楼
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7.本堂
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8.大谷本廟内の石窟の駒札
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9.同上 石窟
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10.本廟
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11.祖壇・明箸堂
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12.親鸞上人廟と歴代法主廟を見る!
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13.妙見堂前を通る!
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14.墓地から清水寺への近道!
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2013/2/25

京都府綾部市立吉美小学校の「6年生を送る会」が盛大に開催!  あやべの街

平成25年2月24日(日)午後1時20分から午後3時20分まで、京都府綾部市立吉美(きみ)小学校(井上隆史校長)体育館にて盛大に「6年生を送る会」が実施された。小生もキミロール隊々員で朝の運動を兼ねて丸9年朝の登校の交通整理を続けており、参加の招待を受けて参観した。小生成りの写真と「音声動画」でその記録を作って見ましたので見てください。「音声付動画は」文字をクリックして頂くとU-tubeの画面が出できます。その右下の拡大画面を更にクリックして頂くと大画面で見ることが出来ます。
今年の卒業生は2クラスの49名。小生も60年近く前の卒業生55名の一人でOB「城山の会」で綾部・福知山在住のメンバーが来る3月6日(水)夜有岡公会堂で集合です。恩師は全て亡くなっており、吉美小学校に当時のもので残っているのはただ二宮尊徳(金次郎)石像と校長室の大槻隆一校長の写真のみです。

1.5年生代表の開会の立派なあいさつ
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2.井上隆史吉美小学校長の話
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3.学童・先生全員起立で合唱です!下記をクリックして「音声付動画」で聞いて下さい!
http://youtu.be/p7Bi19nhk0c

4.3年生の発表
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5.同上 下記をクリックして、「音声付動画」で聞いて下さい!
http://youtu.be/R0tf5RK_eNg

6.1年生の発表
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7.同上 下記をクリックして、「音声付動画」で聞いて下さい!
http://youtu.be/BvKu4mp-X5U

8.2年生の発表
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9・同上 下記をクリックして、「音声付動画」で聞いて下さい!
http://youtu.be/RADMC0a9JVs

10.4年生の発表
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11.同上 下記をクリックして、「音声付動画」で見てください!
http://youtu.be/lH_As7vaYXQ

12.PTAの発表です!
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13.同上 下記をクリックして、「音声付動画」で見て下さい。卒業生49名の写真が中央に映写されました!
http://youtu.be/hrUhh88r3Iw

14.6年生代表から表彰状を受けられる四方正和きみっこ応援団長他2名
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15.5年生は卒業す49名を全員順次紹介して、その素晴らしい気質や特徴を紹介しました!
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16.同上
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17.同上  紙面の都合上3名のみの掲載です!
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18.6年生の発表
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19.同上 下記をクリックして、「音声付動画」で見て下さい!
1.
http://youtu.be/rKQrvPbERLo

2.
http://youtu.be/1on0aA9GqV0

20.5年生代表の終わりのあいさつ
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21.教頭先生の話
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22.下記をクリックして、「音声付動画」で6年生の退場の様子をちょっと見て下さい!
http://youtu.be/MTgv2iy0jfA

23.会場の体育館には各学年の作品が展示されていました!
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24.雪の吉美小学校を振り返って見る!
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2013/2/24

冬の京の文化財・史址を見る!3.小野篁を祀る六道珍皇寺!  文化財研修記

この寺の所在地付近は、平安京の火葬地であった鳥部野(鳥辺野)の入口にあたり、現世と他界の境にあたると考えられ、「六道の辻」と呼ばれた。「六道の辻」は五条通(現在の松原通)沿いの六道珍皇寺門前やその西方の西福寺付近とされている。
 この寺の創建については諸説あって不詳で、開基についても大安寺の僧・慶俊、空海、小野篁などとする説がある。かつてこの地に住した豪族鳥部氏の氏寺(鳥部寺、宝皇寺)がその前身ともいう。東寺百合文書の「山城国珍皇寺領坪付案」という文書の長保4年(1002)には、珍皇寺は承和3年(836)に山代淡海が創建したとある。藤原道長の日記『御堂関白記』寛弘元年(1004)3月12日条にある「珎光寺」は珍皇寺を指すとみなされている。近世の地誌類には「珍篁寺」と書かれることもあり、寺号は本来「ちんのうじ」ではなく「ちんこうじ」と読まれていたと考えられている。珍皇寺には念仏寺、愛宕寺(おたぎでら)などの別称もあり、『伊呂波字類抄』『山城名跡巡行志』は、珍皇寺の別名を愛宕寺とするが、愛宕寺が珍皇寺と念仏寺に分かれたともいう。東山区松原通大和大路東入る弓矢町(珍皇寺の西方)には念仏寺という寺があったが、大正年間に右京区嵯峨鳥居本に移転した。
 鎌倉時代までは東寺に属していたが、室町時代に建仁寺の聞渓良聡が入寺して再興、臨済宗に改められた。明治に入り一時建仁寺に併合された時期もあったが、明治43年(1910)に独立した。

1.六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)
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2.寺駒札
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3.朱の山門
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4.薬師堂(国重文の木造薬師如来像を祀っている。)
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5.閻魔堂(小野篁堂とも呼んでいる。六道の日のみ公開です。中には昼は朝廷に仕え夜は閻魔大王に仕えて行き来していた云う。木造閻魔大王像、小野篁像、空海像などが祀られています。窓ガラス越し参拝は可能です。)
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6.迎鐘(之を鳴らして霊を現世に呼び戻すと云われています。)
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7.本堂に向って左側の地蔵菩薩郡
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8.同上
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9.本堂(本堂前には三界萬霊供養塔が立っている)
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2013/2/23

冬の京の文化財・史址を見る!2.六道之辻にある西福寺と愛宕念仏寺跡碑!!  文化財研修記

西福寺(さいふくじ)は、正式には桂光山敬信院という。 浄土宗。本尊は阿弥陀如来坐像。 六道の辻(ろくどうのつじ) 東山区松原通東大路西入轆轤町(珍皇寺前)です。
 六道とは,仏語で衆生(しゅじょう)が生前の業因により生死を繰り返す六つの迷いの世界。すなわち,地獄・餓鬼・畜生・阿修羅(あしゅら)・人間・天上のことです。
 六道の辻は,六道へ通じる道の分かれる所の意で,一般的に珍皇寺門前のT字路をさします。小野篁が冥府との往復を果たしたという伝説から,この辺りが冥界への入口「六道の辻」と称されました。珍皇寺内と西福寺前に六道の辻を示す石標が建てられています。
 西福寺は,空海が鳥辺野の無常所の入口にあたる地に地蔵堂を建て,自作の土仏地蔵尊(六道の地蔵尊)を祀ったことに始まると伝えられています。

1.六道之辻と西福寺
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2.同上
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3.同上
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4.同上
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5.本堂前
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6.愛宕念仏寺跡碑:今の京都の四条の西院から東山方面にかけてを、昔は愛宕郡と言いました。奈良時代の末、今から約1240年前に、聖武天皇の娘の称徳天皇がここに寺を建てます。愛宕(おたぎ)の地に建てられたので愛宕寺と言いました。ところが平安時代の初めに、鴨川の洪水で全て流れて廃寺となってしまいます。その復興を命じられたのが天台宗の僧・千観 (918〜984) です。千観さんは、いつも念仏を唱えていたので、民衆から念仏聖人とよばれ、このことから寺名を愛宕念仏寺とよばれるようになりました。今は嵯峨に寺が移されています。
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7.同上 碑の裏側
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2013/2/22

冬の京の文化財・史址を見る!1.源頼朝公以来源氏の信仰を集める若宮八幡宮!  文化財研修記

 東山五条から五条通りを西に少し行くと北側に若宮八幡宮と社前に7代清水六兵衛筆の「清水焼発祥之地五條坂」の碑がある。 当社はもと六条醒ヶ井(さめがい)にあり、源頼義(よりよし)(八幡太郎義家の父)が八幡の若宮として祀ったものと伝えられている。  当初は六條(ろくじょう)八幡、左女牛(さめがい)八幡とも呼ばれ、源氏一族や多くの武士からの信仰厚く、室町時代には足利歴代将軍の崇敬を集め隆盛を極めた。  しかし、応仁の乱により社殿は荒廃し、以後社地も転々とし、慶長10年(1605)この地に移った。  現在の社殿は承応3年(1654)に再建されたもので、本殿には仲哀(ちゅうあい)天皇、応神(おうじん)天皇及び神功(じんぐう)皇后を祀り、相殿(あいどの)には仲恭(ちゅうきょう)天皇を祀っている。  毎年8月7日から10日までの間には若宮祭とその協賛行事として陶器祭が行われる。陶器祭は後に合祀された陶祖椎根津彦命(しいねつねひこのみこと)の祭礼で、氏子の陶磁器業者が中心となり、五条坂一帯で盛大な陶器市が開かれる。

1.若宮八幡宮標柱
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2.清水焼発祥之地碑
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3.正面の石の鳥居
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5.境内社の金山神社
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6.境内社の陶祖神社
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7.御神燈と拝殿
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8.拝殿
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9.神社駒札
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10.蓬莱石
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11.蓬莱石の由来
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12.孝明天皇御百年祭碑
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13.拝殿右手前の鏡!身も心も美しく!
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14.拝殿後部から本殿横を見る!
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15.本殿横の放生池の名残
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16.同上
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2013/2/21

飛騨・信濃の文化財史址を見る!55.(最終回)飯田市の元善光寺!  文化財研修記

今回の飛騨・信濃の文化財・史址を見る!シリーズは自家用車での行程上、福井県の池田町で福井県池田町の惣社・須波阿須疑神社と稲荷の大杉!で参拝安全祈願をして、第1回目のシリーズを開始して、信濃の善光寺にも参拝しました。そうして、善光寺は今回の元善光寺をもお参りするのが善光寺参りです。最期の締め括りとして第55回を元善光寺の記事を掲載して終了します。長期間誠にありがとうございました。
 元善光寺(天台宗)は推古天皇10年(601)に信州麻績の里(現在の飯田市座光寺)の住人、本多善光公が難波の堀江にて一光三尊の如来様にめぐりあい、飯田の生まれ故郷にてお祀りしたのが元善光寺の起元で、その後皇極天皇元年(642)にその御本尊様は、現在の長野市へ移され、出来たお寺が善光公の名をとって「善光寺」と名づけられました。その時に飯田の方の当山には、木彫で同じ御尊像が残され「元善光寺」と呼ばれるようになりましたが、御本尊様のお告げに「毎月半ば15日間は必ずこの麻績のふる里に帰り来て衆生を化益せん」という御誓願を残されたとのことで、長野の善光寺と飯田の元善光寺と両方にお詣りしないと片詣りと昔から言われております。以上はパンフレットより抜粋。
次回から「大江戸近辺の文化財・史址を見る!シリーズ!」を開始予定です。

1.駒ヶ根市から国道153号線を飯田市へ南下!南アルプスです!
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2.飯田市の元善光寺石段参道
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3.山門
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4.元善光寺境内図
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5.本堂が見えます!
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6.本堂に向って左側の見事な鐘楼です!
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7.見事な本堂です!
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8.特別参拝の信者が大勢ですね!
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9.本堂の扁額
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2013/2/20

飛騨・信濃の文化財史址を見る!54.中央アルプスの麓・天台宗別格本山「光前寺」その2.!  文化財研修記

 長野県駒ヶ根市の中央アルプス木曽駒ヶ岳(宝剣岳標高2841メートル、ケーブルカーが千畳敷カールまで行っています。)の麓には古刹も古刹天台宗別各本山・宝積山「光前寺(こうぜんじ)」がある。広大な境内には寺伝によれば平安時代の貞観2年(860)に本聖上人によって開山されたとされる。又、鎌倉時代には客殿の庭は夢窓国師によって築かれた名勝庭園もあります。
 多くの国重文もあり見所一杯ですので、2回に分けて掲載します。
戦国時代には武田、羽柴家等の武将の保護を受け、徳川時代に入ると徳川家からは地方寺院としては破格の60石の寺領と10万石の大名格を与えられるなど、隆盛を極めました。
 境内には樹齢数百年の杉の巨木に囲まれ、本堂を始め、十余棟の堂塔を備える長野県屈指の大寺です。
 春の枝垂れ桜や光苔、そして秋の鮮やかな紅葉風景は光前寺庭園として国の文化財「名勝」に指定されております。
 霊犬早太郎伝説の寺としても知れ渡り、静寂な中にも風情と格式が漂い、年間約30万人の善男善女の人達が訪れ、信州の古刹と美しい庭園風景を楽しんでおります。
 2010年には開創1150年祭と7年に一度の御開帳が開かれました。

1.本坊から三門への参道(両側の石垣の上に光苔がみえます!)
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2.三門が見えます!
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3.見事な三門を斜めから見る!(三門とは三解脱門により悟りに入る門。楼上に16羅漢を安置。長野県では善光寺に次ぐ三門で嘉永元年(1848再建のもの。)
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4.鐘楼(昭和35年開基1500年記念に再建。大梵鐘は重量1340キログラムで近郷第一の巨鐘です。)
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5.弁天堂(国重文で当寺の最も古い建物で方一間入母屋造で内部厨子の宝形造りとともに、室町期の様式の重要な建築物です。弁財天・十五童子は明応9年(1500)七条大倉法眼作です。)
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6.経蔵(唐破風造の向拝の建築美は近郊第一とされ、多くの霊犬早太郎報恩のため奉納された大般若経600巻も所蔵されています。享和2年(1802)再建)
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7.本堂を見る!
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8.見事な本堂(本尊不動明王、八大童子を祀る祈願霊場、嘉永4年(1851)再建)
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9.三重塔(南信州唯一の三重塔で高さ17メートルの均整のとれた美と彫刻は高く評価されています。五智如来を安置。長野県指定文化財)
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10.三重塔を別な角度より見る!
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2013/2/19

激しい雨の中で上谷厄神祭、次々と続く参詣者で賑わう  綾部の文化財

氏子数がたったの4軒でお守りしている上谷厄神さん。事務局長:四方續夫氏に午前中の元気づけ取材を依頼され、山田松雄氏に綾部市図書館から借りた資料を届けに行ったが出会えなかった。祭事が進行していたので待っている間に写真を撮った。

小冊子:観光あやべ特集号「ふるさと綾部の祭」綾部市観光協会 昭和52年3月 上谷厄神社 綾部市下八田町上谷鎮座 祭神:武内宿禰 厄神祭は二月十八日で、厄除けの祈願がある。この地方第一の信仰があり、本厄の人はここにお参りする人が多い。 なお大本信者の人は、特に信仰があつくて、四月八日には特別のお祭りが行われる。社殿は立派な神殿づくりである。

西八田村誌 上谷厄神社 所在地:下八田上谷 祭神:武内宿禰 由緒沿革:祭神は第八代孝元天皇の御曾孫武内宿禰にして、景行天皇をはじめ奉り、五朝に歴任し給い、幾多の難苦を経て、長寿し給い、二百八十余歳なり。実に神徳高く、御座し給う。而して当社の創建は湮滅し、不詳なるも、治承の昔、高倉宮以仁王、此の僻遠の地に隠れ、御祈願せられ、難を免れ給いしと云伝うる処にして、霊験崇く古来消長あるが如きも近郊郷閣の祈願奉賽する者跡を絶たず。現在に至る。 氏子:八戸 祭日:二月十八日

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かなりの雨の中を傘をさして参拝

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右下に昨年の厄人祭から1年経ち返す御札などが入れられている

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拝礼中の四方充宮司様

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祝詞奏上の四方充宮司様

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次々とお賽銭を供えて参拝

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大本教、王仁三郎氏の歌碑 教祖・直子が、ここで修行されたそうだ。その縁で歌碑が建てられている(山田 松雄氏記)なお大本信者の人は、特に信仰があつくて、四月八日には特別のお祭りが行われる(資料より)

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上谷厄神社本殿内では四方充宮司様、四方賢一神社総代などの祭礼儀式が続く

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脇の庫裡横でお土産屋や縁起物を求める人々

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御神燈が飾られた大鳥居をくぐり長い石段の参道。頂上に見える本殿までちょっとした運動になる

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上林に向かう広域農道から入ると直ぐの所に上谷厄神社があった。両側は水田で畦道を進む
午後2時に取材された山田 松雄氏の記事も併せてご覧くださいhttp://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1639.html

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