2013/1/1

飛騨・信濃の文化財史址を見る!26.戸田家創建の曹洞宗大本山総持寺派の全久寺!  文化財研修記

 戸田家の菩提寺として全久院は禅宗の曹洞宗に所属します。本山は福井の永平寺と横浜の総持寺ですが、総持寺の直末で、本山と同格に弟子を養育できる、格地という資格を持つ、格式の高い寺院です。
 本来は、戸田家の菩提寺として江戸時代に建てられました。戸田家は徳川家の家臣で愛知県を拠点としていました。1代目から5代目までは愛知県渥美半島豊岡の長興寺に葬られていましたが、6代目からは二蓮木、現在は愛知県豊橋市の全久院に葬られています。
 当時の全久院は新城市の泉龍院の輪番寺でした。輪番寺というのは本寺の住職を代わる代わる勤める幾つかの末寺のことで、泉龍院は200以上の末寺を持つ大きな修行道場でした。その末寺の筆頭に位置していたのです。
 そして戸田家が移封されるごとにその地に移されていたのです。松本へは1617年、戸田(松平)丹波守康長が高崎より移封され、その時全久院は建立されました。墓所には丹波塚、お塚と呼ばれ、現在の県2丁目にあります。寛文5年(1665)7月11日宗門取締りにより松本全久院を愛知県新城市大洞山(おおほらさん)泉龍院の末寺とし、また豊橋二蓮木の全久院を松本全久院の末寺としました。
 松本全久院について!
その後戸田家は松本を離れ、再び六代戸田光慈(みつちか)が1725年鳥羽より封任され、本町春了寺跡に全久院を建立し、二一世明極即証大和尚を再興開山としました。二二世是妙不伝大和尚は叢林、つまり修業のための道場を開き、全国9ヶ寺の叢林の中でも厳しい道場として有名でした。27世端岡珍牛大和尚は永平寺開山道元禅師の絵巻を自筆で版を起こし、永平寺高祖行状記2冊を出版したほどの禅画の大家でした。32世雲生洞門大和尚は大本山総持寺独住第1世となられた奕堂禅師ほか多くの弟子の師として聞こえが高かったのです。大変な長文となりましたが、その変遷がことのほか興味をもたせましたので全文を掲載します。
 戸田光慈(みつちか)再封任より9代目光則(みつさだ)は明治2年版籍奉還後、松本藩知事となり、明治4年天皇の即位に伴い、神道を国の基礎として、仏教を廃する、廃仏毀釈を断行し、松本藩内の全寺院を廃し、僧侶にも還俗を強制しました。まず菩提寺全久院を真っ先に廃し、その跡に開智小学校を建てました。それが明治5年の学制発布以前に行なわれたとして開智小学校は小学校教育発祥の地として歴史上重要なものとなったのです。
 最後の住職35世巨海意龍和尚は豊橋全久院金牛(きんぎゅう)和尚に道元禅師の御親筆、「正法眼蔵山水経(国宝) 外六巻(重要文化財)」ほか多くのお経本とともに、法脈を引渡し松本全久院を去りました。
 松本を離れた意龍和尚は仏像や仏具やお経とともに、生まれ故郷の出雲崎に難を逃れました。ここは全久院二世光国舜玉和尚の建立した妙広庵があり、そこに身を寄せました。しかし、数年後災害で倒壊すると、当地の回船問屋佐藤一族や、松本の篤志家によって全久院が建立され、現在に至っています。
明治の復興
全久院の再建は安達達淳和尚によって行なわれました。大町霊松寺の住職でしたが、霊松寺を廃するため役人が派遣されたときの逸話は有名です。やくにんが地獄極楽の有無を問いただすと、和尚は白装束に改め短刀乗せた三宝を持って現れ、「地獄極楽はあの世にある。見たいなら共に腹を切ろう」と言ったところ役人は逃げ帰ったといいます。しかし謹慎を命ぜられ、軟禁状態になったのですが、密かに硯水寺に逃れ、屋根裏部屋に潜み、さらに上京し太政官へ直訴、廃仏毀釈の非を訴えました。
廃仏毀釈も1年で収まり、仏教の復興を祈願し、まず廃仏毀釈の象徴とされた全久院の再建に取りかかりました。現在の全久院の敷地は瑞松寺の廃寺跡で師範学校建設予定地となっていました。それを筑摩県より買取り大町の青柳寺を移築しました。当時は新たに寺院を創設することは禁止されていたため、苦肉の策だったのです。そして明治9年5月再興開基仲間、共有台を結成し、明治10年4月大本山総持寺貫主奕堂禅師を迎え、開山とし、青龍山全久院と改め総持寺直末として正式に再建されました。その後各宗の寺院の再建が始まりました。
明治29年本堂は失火により消失し、5世鈴木良音和尚の晋山式が行なわれた明治39年6月、再建されました。しかし、僧堂、三門や鐘楼は再建されず現在に至りました。

1.青龍山全久禅院碑(せいりゅうざん、ぜんきゅうじ、正式にはぜんきゅうぜんいん)
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2.見事な仁王門
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3.仁王門の扁額
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4.仁王門の右、阿形像
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5.左、吽形像
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6.仁王門裏には雷神像があります!
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7.同上  風神像
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8.本堂
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9秋葉神社(神仏混淆の名残です!)
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10.天真尼堂
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11.安産仏堂
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12.千手観音像
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13.文殊菩薩像
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2013/1/1

2013元旦早朝寺山国旗・市旗・世界連邦旗掲揚市民の集いに参加  あやべの街

恒例の元旦早朝寺山国旗・市旗・世界連邦旗掲揚市民の集いに参加した。

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6時半 月光に照らされた千手院の元旦早朝の夜景 懐中電灯を照らし暗い山道を寺山に登山する

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新年の目覚めを迎える綾部市市街 舞鶴市境に聳える霊峰・弥仙山が左に見える

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ボーイスカウト、ガールスカウト整列、国家斉唱の中で国旗・市旗・世界連邦旗掲揚


綾部市市民憲章唱和 綾部青年会議所理事長
綾部市市民憲章
私たち綾部市民は、丹波の美しい山河と豊かな伝統をもつ、ふるさとを誇りとし、郷土愛に燃え、自然と人間が真に調和する新しい田園都市の実現を目指して、ここに市民憲章を定め、これを守り実行することを誓います。
1.平和をねがい、祈りのあるまちにしよう。
1.自治を高め、心のつながりのあるまちにしよう。
1.教育をたいせつにし、文化のかおりまちにしよう。
1,環境をととのえ、健康のあふれるまちにしよう。
1.産業をおこし、豊かなくらしのあるまちにしよう。
1.計画を定め、輝かしいあしたをひらくまちにしよう。

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山崎善也綾部市長のあいさつ

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参加の市民

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ボーイスカウト、ガールスカウトにお年玉送呈 市長、市民憲章会長、JC理事長

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平和の鐘(音叉)点鐘 今村 博樹綾部市市民憲章推進協議会会長

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高圧送電の鉄塔2基が並ぶ三郡山に昇る初日を待つ

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三郡山に初日が昇る

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光条が走り光暈が広がる

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下山して波多野記念碑・南が丘登山口に集合、解散のガールスカウト

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