2012/10/31

綾部人の見た鎌倉・横浜の文化財・史址第35回横浜公園・日本大通・横浜港遊覧!  文化財研修記

 JR関内駅近辺のホテルから明治元年(1868)に日本政府が招聘した英国人の土木技師のR・Hブライトンが設計した「横浜公園」を通り、又「日本大通」を8年間在日したことで有名ですので見て廻りました。又船好きの小生ですから「遊覧船」で横浜港を見学して、更に中華街を見て廻りました。

1.横浜公園には上半身のR・Hブライトンの銅像があります。
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2.同上 記念碑
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3.横浜公園歴史案内板
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4.日本大通
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5.平和な日本大通の一部
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6.関東大震災後、佐野利器設計の神奈川県庁(本庁)なんだも横浜三有名塔の第一の「キングの塔」と呼ばれています。
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7.横浜海上散歩の案内板(勿論乗船します。)
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8.船上からの1枚
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9.下記をクリックして、遊覧船上からの「音声付動画」NO.1からNO.3で順次見て下さい。

NO.1http://youtu.be/KhNWTFxwRbI

NO.2http://youtu.be/1FAe5vguwBM

NO.3http://youtu.be/Ty3c-W-Ukew

10.中華街の華やかな朝陽門です
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2012/10/30

綾部人の見た鎌倉・横浜の文化財・史址第34回足利尊氏公の祖父・家時開基の古刹・報国寺!  文化財研修記

浄妙寺から滑川を隔てた対岸には臨済宗建長寺派の報国寺があります。この寺は、淨妙寺中興の足利貞氏の父・家時(足利尊氏の祖父)が開基。夢想国師の兄弟子・天岸慧広(仏乗禅師)の開山で建武元年(1334)の創建。永享の乱(1438〜39)年に起きた足利持氏の室町幕府6代将軍・足利義教への反乱で関東公方・足利持氏は敗退し、永安寺で自刃しその長子・義久もこの寺に入って自刃させられた悲劇の寺である。古くから境内の孟宗の竹林で有名である。三門をくぐり右側の石段を登ると本尊の釈迦如来坐像が祀られている本堂がある。本堂の右手に迦葉堂、左手にかやぶきの鐘楼の横を通り「報告寺やぐら」には多くのお墓がある。数多くの文化財があるが、殆どは現在、鎌倉国宝館に所蔵されている。本尊は釈迦如来(市重文)。この寺で鎌倉市内は終わります。次は横浜市をほんの少し、見て頂きます。

1.報国禅寺三門
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2.美しい禅庭の前を通り、石段参道を登ります
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3.美しい参道両側です
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4.本堂
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5.見事な扁額が掲げられている本堂
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6.見事な茅葺の鐘楼です
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7.見事な竹林の中の参道
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8.報国寺やぐら(多くのお墓があります)
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9.美しい禅庭 1.
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10.同上   2.
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2012/10/29

綾部人の見た鎌倉・横浜の文化財・史址第33回鎌倉五山第5位で足利貞氏公のお墓がある浄妙寺!  文化財研修記

 臨済宗建長寺派の稲荷山「浄妙寺(じょうみょうじ)」は杉本寺から少し奥に登ったところにあります。鎌倉五山第5位の寺格をもつ浄妙寺は、当初、源頼朝の忠臣で豪勇の武士であった足利義兼(あしかがよしかね)が文治4年(1188)に創建し、極楽寺と称した。開山は退耕行勇律師(たいこうぎょうゆうりつし)で、源頼朝や政子が帰依した高僧です。 当初は密教系の寺院であったが、建長寺開山の蘭渓道隆(らんけいどうりうりゅう)の弟子月峰了然(げっぽうりょうぜん)が住職となって禅寺に改め、寺名も正嘉年間(1257〜59)に浄妙寺と称した。歴代の住持には名僧も多く、中興開基は足利尊氏公の父貞氏(さだうじ)公で本堂裏に足利貞氏公のお墓(鎌倉市文化財)がある。至徳3年(1386)室町三代将軍足利義満公が京都五山・鎌倉五山の制度を決めた頃は七堂伽藍が完備し、塔頭寺院も23院を数得たが火災等ですたれ今は無い。この寺で鎌倉五山を全て見て頂いたことになります。

1.浄妙総門
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2.寺院駒札
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3.境内図
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4.総門から本堂への境内(この間は国史跡指定です)
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5.本堂
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6.本堂の見事な扁額「方丈」と内陣
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7.本堂から総門への境内
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8.客殿前の庭園その1.
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9.同上  その2.
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10.天正年間(1500代)僧が一同に茶を喫した喜泉庵が平成3年再建され、現在此処で抹茶を喫することが出来ます。
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11.本堂裏の鎌倉市指定文化財の「足利貞氏公のお墓」です!
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2012/10/28

綾部人の見た鎌倉・横浜の文化財・史址第32回源頼朝公寄進の前立観音様が守る秘仏十一面観音の杉本寺!  文化財研修記

 杉本寺(すぎもとでら)は天台宗の寺で鎌倉幕府が開かれる500年近くも前の平安初期の天平6年(734)に創建された鎌倉最古の寺です。天平3年(731),関東地方を歩いていた行基菩薩が,鎌倉の大蔵山から町を眺め「ここに観音様を置こう」と思い、自ら彫刻した十一面観音像を安置したと云う。
 その後、光明皇后の恩召により、行基が本堂を開創した。文治5年(1189)11月23日の夜、火災が起こったが本尊3体が大杉の下で火を避けられたので,それにより「杉の本の観音」と今日まで呼ばれたと「吾妻鏡」は伝えている。その後,建久2年(1191)9月18日に源頼朝が再興し以前の三尊像を内陣に安置し,別に立像7尺の十一面観音像を寄進した。これが前立観音像と云い、内陣の本尊・秘仏十一観音を守っています。
坂東観音霊場33番札所制度の時、第一番札所とされた。十一面杉本観音と書かれた白幡が石段の両側に並んでいる。

1.杉本寺への参道
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2.杉本寺の駒札
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3.仁王門(二王門)
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4.物凄い千社(貼)札が貼られた仁王門
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5.向って右側の阿形像
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6.向って左側の吽形像
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7.見事な香炉のある大蔵弁財天堂と左側には弁財天洞があります。
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8.見事な香炉と大蔵弁財天堂
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9.更に石段参道を登ると本堂が見えます
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10.本堂(斜めからの撮影で全体がやっと撮影できます。)
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11.本堂正面
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12.之が源頼朝公寄進の前立観音(運慶作)様です。
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13.杉本寺の駒札
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14.本堂手前横の見事な彫刻の鐘楼
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2012/10/26

小畑三社祭り(やっこさん)写真の部  綾部の文化財

小畑祭りを今回は綾部市総合文化祭の参加展示の中で動画を映写するので、動画撮影を主体に取材した。そのため写真の撮影を同時には出来ないので、「子供太鼓」「やっこふり」「山車の大揺すり」の写真は出だしの部分しか撮れなかった。

今回、FACEBOOKにページを作成したところ、多くの方から活発なコメントをいただいた。その概要を私からのコメントの部分だけをお許しいただいて最後に付記する。

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午後一番に歩いて再び一之宮神社(鍛冶屋町)に行き、神輿の出陣を撮る。京都八坂神社のお下がりだと言う豪華な神輿

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神社境内を右の山道に向かう神輿

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山道を下り府道に出てくる神輿

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府道に出た神輿を三之宮の子供太鼓の一行が追い越していく

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一之宮神社の神輿行列 以前の取材の時は三之宮神社の神輿を待って2連の神輿行列を1枚の写真に撮ったが、今は別個に合同祭礼広場に進むとのことだ

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待っていると三之宮神社の神輿がやって来た

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三之宮神社のお囃子の一行が歩いて続く

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鍛冶屋町の交差点に戻ると小畑町から二之宮神社の神輿がやって来た

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交差点をまわり合同祭礼会場に向かう神輿 上に見える丘にも神輿の先導で運び込まれた神社の山鉾などが並び、奴さん、山車の丘登りを待つ氏子さんたちの姿が並んでいる

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小畑の二之宮の山車も到着 ステージに豪華な松茸がずらりと飾られている

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神輿や三社の子供太鼓で騒然とする合同祭礼の会場風景

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子供太鼓 三社の鍛冶屋、小畑、小西の太鼓が並んで置かれ、それぞれの子供たちが行列して代わる代わる太鼓を叩いていく。中学生たちは太鼓の傍で笛を吹いている

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三社の子供太鼓

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三社の子供太鼓

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3基の山車が府道に並べられていく 通行止めだが「アヤバス」が通って行った(主要道路なのでバス路線に迂回路がとれない)

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三之宮神社(小西町)の山車 丹波の三大画家の一人である「山家素豪」の雲龍図が掛けられている

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山車のステージ飾り

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中村孝行宮司の拝礼 5人の神社総代が並ばれているので本当は5社祭りのようだ

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小畑一之宮、二之宮、三之宮の3基の神輿が並び、神饌が供えられている

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いよいよ「やっこさん」の演技が始まった、一之宮神社の奴さんを先頭に

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2本の長い槍を空中に投げて受け止める「奴振り」やっこ踊りの演技。動画撮影のブログをご覧ください。撮った写真はこの一枚だけ

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二之宮神社の山車が中央に進んでくる

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最初の演技が終わった一之宮神社の山車は次の演技場所で待機、二之宮神社の「やっこふり」が終わり、山車が大揺れ、大暴れしている。大勢の人がかかり恐いぐらいに山車が左右に傾けられ引き回されている。壊れないのか心配なくらいだ。

ふとこんなことを連想した。「静」から「動」!:先頭の箱もちの奴さん2人は、じっと片足を上げたままのポーズで演技の間ずっと静止している。槍の奴さんたち2組も静止のポーズから動き出し奴踊りを始める。槍を投げ上げ、受け止め、次第に動きが激しくなる。その動きに引きづられるように山車が揺れだし、大揺れに変わり、倒れるばかりに揺れ、終には引き回されて大暴れする・・・。まるで「鯰が暴れて大地震」のようだ。

<参考>(京都の妙心寺塔頭寺院の退蔵院には、国宝で有名な「紙本墨画淡彩瓢鯰図(ひょうねんず:瓢箪でなまず鯰をおさえようとする。)」があり、保存の関係上、現在は京都国立博物館に寄託されており、その模写が掲げられています。

東北大震災の後で人々に元気、絆を取り戻そうと「祭り」の復活がニュースになっていた。津波で壊れた廃墟から山車が見つかり、祭り好きの勇気のある若者の働きかけで、離散した村人、祭り仲間が加わり、辛うじて生延びた樹木を残して山車を動かせた。祭りが復活した。村人たちの元気が絆が復活した・・と言う感激の物語が被災した各地で行われたと報道で見た。「祭り」のパワー、永遠なれ!

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やっこさん丘を登る 槍の投げ上げ受け止めなど3度目の演技をしながら丘を登っていく

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二之宮神社の山車は神輿形式なので丘に登らず、素晴らしいお囃子の演奏を聞かせたあと大揺れして道際に退避。2本の担ぎ棒が差し込まれた

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丘に登り鎮座した2基の山車と三社のお囃子衆

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奴さんを先頭に神社毎に丘を下りる

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お囃子衆が丘を降りる

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供えられた神饌が片付けられた3基の神輿


<参考資料>FACEBOOKにページを作成して、視聴者からいただいたコメントに次のとおり回答しました。

・私)昨日の二之宮神社の演技も素晴らしい見ものでした。息子さま頑張られていたのですね。友達リクエスト有難うございます。FACEBOOKは初めて一週間足らずの新米ですが宜しくお願いいたします。

・私)午前中に三社をまわり三之宮神社で大川神社、稲葉神社、若宮神社の方々も一緒に三之宮神社祭りをしていて、さらに小畑の合同祭礼があるように伺いました。熊野神社では神社総代様が一人おられ話をしていると女性の方が見え、小畑公会堂(みそ)にある山車に案内していただきました。祭りの幟が各地に立ち沢山の神社があるのだと思いました。中村様にも「小畑祭り」が綾部市の観光協会にノータッチ、綾部の歳時記からも落ちている、かっては綾部三大祭と言われてきた賑やかなお祭りなのに・・・、物部の諏訪神社の祭りは春、夏、秋の3祭りが歳時記に載っていますよ。市の商工観光(観光協会)事務局関与の祭り、市長が来る、市の職員も来る・・他所の祭りの状態です。観光協会の人が小畑からの働きかけがないので手が出せないとか聞きました。祭りの名称も定着させる工夫をお願いします。ご連絡いただけば直ちに修正します。よろしくお願いいたします。

・私)FB綾部の文化財を守る会にリクエスト有難うございました。チャットを拝見して祭りの名称について確証がないまま記事にしていることに気がつきました。それとFB新米なのでチャットをどうしたら見られるのか、どのように対応(レスポンス)したら良いのか不案内です。タイムラインに書き込ませていただきましたが・・・

・私)お早うございます。同じ14日に行われた市役所前広場にあつまる神輿は4基ですが、八社合同祭礼と呼ばれ八人の神社総代が祭礼に並ばれています。小畑の祭りでも5名の方が並び中村宮司様の御祓いを受けておられるので5社祭りなんですね。一方、私は歴史門外漢なのでいい加減ですが、昔、官幣神社でテリトリーを決めて1宮、2宮、3宮を決めることが全国的に行われたそうです。大きな神社に行くと駒札に神社の変遷が書かれています。於与岐町の小さなテリトリーにも二ノ宮神社があり、冬に厄除けの狐狩りという素朴な行事が行われています。「三社祭り」と言うのは数でなくこの小畑1宮、2宮、3宮のテリトリーのお祭りと言うことではないのでしょうか。熊野神社に行くと神輿に「二富大明神」の銘札が付けられており、なるほど二宮神社なのだと思いました。中村宮司様は綾部史談会の郷土史専門の研究者ですから尋ねられると良いと思います。

・私)まず紙面をお借りすることにお詫びいたします。
中村先生、チャットで故郷の祭りに寄せる熱い思いと「三社祭り」の疑問を伺い、私なりに拙い考えを伝えましたところ、先生のお目に留まり大変恐縮しています。綾部の文化財を守る会の35周年(12月10日)にあたり、記念事業としてホームページの作成が決まり略1年間足らずの準備期間に、守る会の建てた駒札、会報記事、私のJC時代に関係した冊子:丹の国綾部の写真集について社寺、祭り、行事など文化財を撮り、デジタル化してホームページに編集し記念式典に公開しました。その中に、由良川考古学会 中村孝行氏の次の記事があり、先生を知りました。
会報7号 昭和48年10月8日
青野遺跡の調査を終つて
http://ayabun.net/kaiho/maibun/aono2.htm
会報19号 昭和59年3月26日
発掘調査と埋蔵文化財の保護
上林城址 久田山古墳群 青野・綾中地区遺跡群
http://ayabun.net/kaiho/maibun/iseki1.html

 綾中3年担任の恩師:故木下礼次先生にJC時代の町づくり市民運動理念とPCの腕を見込まれ、綾部市歴史民俗資料館建設促進協議会の結成と事務局、陳情・請願などを協力したのが文化財との関係の始まりです。綾中の時に何故か歴史クラブに入っていて、以久田野古墳発掘調査の見学に引率されたのを覚えています。故梅原三郎先生もそうですが、当時の先生方は皆様が熱心な社会活動の先達者であり、梅原先生からPCの伝授を頼まれインターネットにまで手を伸ばそうとされた知識欲には驚かされました。
自己流のPCオタクで全くの歴史門外漢です。ふるさと綾部への郷土愛だけで作成するHPですので、身知らずの間違った記述も多いと思います。ビシビシご指導いただきますようお願い申し上げます。

青野遺跡の調査を終わって
ayabun.net
会報7号 昭和48年10月8日     あやべの文化財    1.はじめに 青野遺跡の発掘調査は、昭和47年12月20日に開始され、昭和48年4月5日に終了した
。この期間は綾部地方では最も天候が悪く、雪と雨、それに冷たい北風にはばまれた悪条件のもとでの調査であった。連日の悪天候のため地盤はぬかるみ、遺構の確認は、困難を極めたが、今回の調査において合計16基の住居址と7箇所の土、及び遺構内を走る何本かの溝を確認し、多量の土器を始めとする貴重な遺物を得ることが出来た。困難な条件のもとではあったが、調査を無事終了し得たことは、関係各位の非常な御援助によるものであり、特に原因者として調査費用を負担して...

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2012/10/26

綾部人の見た鎌倉・横浜の文化財・史址第31回源頼義が祈願して八幡太郎義家を授かった甘縄神明社!  文化財研修記

 甘縄神明社(あまなわしんめいしゃ)は、和銅3年(710)、僧行基の草創によって、由比の長者と呼ばれた染屋時忠が神明宮と神輿山円徳寺を建立したのがその始まりと伝えられ、鎌倉最古の神社といわれています。
 天照大神を祀るこの神社はの御神体は源義家の守り神といわれ、源頼義が祈願して子の八幡太郎義家を授かったと伝えられる源氏と縁の深い神社でああります。
 頼義や義家は、社殿を修復したと伝えられ、源頼朝も社殿を修理し、荒垣や鳥居を建てたと伝わっています。源実朝、北条政子も参詣した記録もあります。
 宝物に源義家坐像があり、八代執権北条時宗の「産湯ノ井」が残されています。

1.甘綱神明宮(社)の鳥居と拝殿への参道
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2.甘縄神明宮碑「源義家家臣尊書の銘が入っています。」
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3.鳥居を潜った右側には「足(安)達盛長邸宅址の碑」があります。安達盛永(あだちもりなが)は源頼朝と北条政子の縁を取り持ったことから、松下禅尼や北条時宗・高時の夫人達は安達氏の出であり、頼朝挙兵以来の鎌倉幕府の重臣安達氏と北条氏とも密であった。
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4.常夜燈から拝殿を見上げる
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5.神社の駒札
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6.手水舎(その後ろに、小山芳男の歌碑が見える)
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7.小山芳男の歌碑(残念ながら、撮影したフイルムをチェックしたら、海岸の風景の写真が見当たりません。どうしても樹木に目が行くのは緑の文化財だかれです。)
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8.鎌倉市では第3番目の大銀杏(保存樹木)の木です。
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9.北条時宗公産湯の井戸
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10.2基の神輿蔵です!
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11.幸いにも窓ガラス越に一基の神輿が撮影できました。
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12.神社拝殿
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13.神社本殿は拝殿の後部にある石段を登った所にあります!本殿!
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14.鎌倉・三浦半島の古木・名木50選の一つ「物凄いこぶのあるタブノ木」です。
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2012/10/25

小畑三社祭り(やっこさん)祭日午前中に三社めぐり  綾部の文化財

小畑祭り三社合同祭礼・やっこふりは、午後からなので、午前中に三社を回った。一之宮(鍛冶屋町)、二之宮(小畑町)、三之宮(小西町)である。豊里町を福知山に向けて走り斐川の由良川に合流する河口の橋を渡ると小畑口がある、ここで右折して北上、すぐ舞鶴高速道のガード下を潜ると小西町、さらに北に走ると鍛冶屋町、さらに北に小畑町がある。三社合同祭礼は中心の元小畑小学校・現在は里山ねっと・あやべの建つすぐ下の広場で行われる。

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小畑3町を結ぶ府道に面している一之宮神社の鳥居

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参道の石段を登ると正面に神殿が建つ

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幔幕の張られた拝殿と本殿

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京都祇園の八坂神社から貰ってきたといわれる立派な神輿

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府道端に一之宮神社の山車が用意されている

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山車の飾りつけ

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小西町の三之宮神社に引き返す。各所に大川神社、若宮神社などたくさんの大旗幟が立っている

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参道の石段を登ると正面に、三之宮神社の拝殿と本殿

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左手の摂社・大川神社の社にも祭り提燈が下がっている

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氏子さんが神輿の仕上げをしておられた。知人に出会い聞くと大川神社の方もおられた

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立派な神輿、昨日のうちに宮司さんの拝礼と御霊の遷座は終わっているとのこと

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再び小畑町に向かう、空山の下に二之宮神社の旗幟が2本並んで立っている

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府道から小畑町を西に入ると二之宮神社(熊野神社)の石燈篭、鳥居が立つ

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長い参道石段を登ると正面に、祭りの幕、提燈で飾られた熊野神社の拝殿、本殿

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青いシートの下に神輿が準備されていた。「二富大明神」の銘札が神輿にあり成程、二之宮神社の神輿だと納得。氏子総代さまが一人だけおられた

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綾部の古木・名木100選 スギ 幹周:4.0m、樹高36m

写真を撮っていると女性の方が連絡に見え、山車の場所を尋ねると下の小畑公民館の前だといわれた。また宮司さんが掛け持ちで10社ほど回っておられ、神社祭礼や神輿への御霊遷座は昨日の内に終了とのこと。宮司様宅は近くとのことで小畑祭りの詳しいことを聞いて欲しいと言われたが、綾部史談会の中村孝行先生に祭りで出会い聞きますと言うと、以前の宮司様はご老齢で、今は中村先生がひとりだけの宮司様だと言うことであった。

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間違った道を入り止まると、さっきの女性が車で追ってこられ小畑公会堂に先導していただいた。小畑味噌の作業場だった。二之宮神社の山車

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山車の飾りつけ

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山車の飾りつけ

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山車の中の飾り

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鍛治屋町の三社合同祭礼の行われる広場までもどる。やっこさん、山車が登る丘にも祭り提燈が下げられている。ここは忠魂碑だったと思う

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一之宮神社の総代さまに借りた三社合同祭礼の時間割り

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2012/10/23

時代祭 丹波弓箭組  文化財研修記

 10月22日(月)、京都の時代祭(京都三大祭の一つ、約2千人の行列)を、夫婦で見学してきた。京都丹波に住む者にとって興味深い面がある。 先頭を行くのは山国隊。最後尾を行くのは丹波弓箭組(南桑田弓箭組、船井弓箭組)である。 御所の敷地中で見学をした後、人混みをかき分け丹波弓箭組を追いかけた。ようやく、烏丸丸太町の交差点で捉まえ、最後尾の船井弓箭組の一人に声を掛けた。「私は園部の者です」と返事があった。「和知の片山さんは、居られますか?」「この少し前に居るはずです」とやり取りをし、船井弓箭組の前の南桑弓箭組に声をかけた。(警備の警察官に「歩道から下りないでください」と注意されながら…)。「馬路の人は居ますか?」「私らは馬路の者です」「中川さん、人見さんですか?」「そうですよ」と、会話がつながった。「我がまち馬路」に「明治27年平安遷都千百年を記念して時代祭が始まると、桑田・船井両郡の「弓射仲間」の有志の人たちは、「弓箭組」として奉賛会の行列に参加し現在にいたっている。」と記されている。

 まず、先頭をピーヒャラドンドンドンと進む鼓笛隊は、丹波・北桑田郡山国(京都市右京区京北町)の維新勤皇隊・山国隊である。この隊は東征軍に属し、東へ転戦して7名の戦病死者を出した。上野で彰義隊とも戦っている。


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    2012年(平成24年) 時代祭  10月22日(月)

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時代祭の山国隊  大正10年から、市内の朱雀学区が奉仕・代行

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本場の山国隊 山国神社を出発 14日(日)山国さきがけフェスタ

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本場の山国隊  鼓笛隊(小太鼓・横笛・大太鼓)、鉄砲隊が続く

 時代祭の最後尾は、丹波弓箭組で、服装は地味である。



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丹波弓箭組   南桑弓箭組 南桑田郡馬路村など(亀岡市)

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南桑弓箭組  南桑田郡馬路村など(亀岡市) 丹波弓箭組本拠地


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烏丸丸太町の交差点  馬路の中川さん、人見さん

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船井弓箭組  船井郡園部町(南丹市)、和知(京丹波町)など
 和知から綾部へ転居された片山さんが参加されている
「綾部町史」に「何鹿郡よりは佐賀村私市の芦田総左衛門、芦田新三郎、大志万善左衛門、大志万俊平などが(丹波弓箭組に)加わった。」と記述されているが、何鹿弓箭組の隊列はない。

 丹波弓箭組とは、明治維新の折に、西園寺公望を総督とする山陰鎮撫隊に属した、丹波の地侍、郷士、農民(兵)の事である。京都、馬路(亀岡市)、園部、篠山、福知山、宮津、峰山、豊岡、鳥取、米子、松江(松平20万石、始祖は徳川家康の孫)、出雲大社(参拝)、津山、姫路、兵庫、大阪と進軍し、京都に戻っている。鎮撫隊は、京都を薩・長の兵約300人で出立し、馬路に集まった南丹(口丹波)の弓箭連中250人を加え550人で山陰道を進軍。「鳥取から松江へ向かったときには、兵卒、人夫の合計は三千五百名の多数になっていた。官軍だといっても、実は政府独自の軍隊ではない。郷士階級の参加によってふくれあがり、勢いづけられていた」(青木一夫「謎の丹波路」)。

(註)「我がまち馬路」(平成23年 馬路町自治会発行)より
 檄を飛ばし、丹波弓箭連中を糾合したのは馬路村の郷士であった。江戸時代の馬路村の領主は、旗本・8千石の杉浦氏で、領地は関東と丹波10ケ村6千石に分かれていた。江戸と京都に屋敷を持ち、馬路村に代官所を設けて丹波一円の村々を支配した。 村高1520石9斗3升の大きな村であった。江戸中期においては平均して人口1200人余、棟数は300軒前後で推移していた。「土地所有者である高持ち百姓」に対して2倍の「水飲百姓(小作人)」がいた。嘉永6年(1852年)6月、ペリーの率いる黒船があらわれ、幕府は海防を強化し、江戸湾周辺防備の持ち場を各藩や旗本に割り当てた。馬路村や池尻村からも多くの人たちが江戸へ出発していった。馬路は朝廷にとって大切な「制外」の地と論じ、勤皇を主張する人たちも生まれていった。しかし、領主の杉浦氏を無視した行動は許されず、何人かが捕縛されて、厳しい取り調べの中で、2名が亡くなっている。

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2012/10/23

綾部人の見た鎌倉・横浜の文化財・史址第30回与謝野晶子が美男と詠んだ鎌倉大仏の高徳院!  文化財研修記

鎌倉市長谷550には国宝の鎌倉大仏で知れる浄土宗の高徳院がある。住所の通り長谷寺のすぐ側です。この大仏様は阿弥陀如来坐像で、仏身の高さ約11.3メートル、目の長さ約1メートル、周囲35メートル、重さ120トンといわれている巨大な銅像で、建長4年(1252)に鋳造が開始された。寺伝では源頼朝が大仏の造立を計画していたが、果たせず没したという。そのため源頼朝に使えていた稲多野局(いなだのつぼね)がその志を遂げようとして、木造り大仏造営を計画し、北条政子・藤原頼経(よりつね)の助力を得て、暦仁元年(1238)に着工して、6年後の寛元元年(1243)に完成させた。この木造り大仏は周尺で8丈(約24M)、坐像はその半分の12メートルもある巨大なものであった。この木像の大仏と後に建てられた現在の銅造り大仏との関係は明らかでないが、文永元年(1264)に鋳造された奈良県の金峰山蔵王堂の銅版銘に丹治久友の名があり、「大工鎌倉新大仏鋳物師」との銘があるからにして、現在では弘長2年(1262)に完成の説が多い。
幾たびかの中先代の乱、大嵐などで破損し、正徳2年(1712)に江戸の芝の増上寺の祐天上人が、江戸の豪商野嶋新座衛門後援で大仏殿を再興を志し、合せて大仏を修理して、清浄泉寺として、復興し、野嶋新座衛門の法名の高徳院とをとり、高徳院清浄泉寺として、宗派も浄土宗に改め光明寺の末寺とした。その後明治の初めにも大仏殿再建計画があったものの実現せず現在に至っている。

1.高徳院山門
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2.同上
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3.同上駒札
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4.正面門
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5.賑わう手水舎
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6.遠方から見る鎌倉大仏様(10年振りですね!)
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7.巨大な銅の燈籠と大仏様
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8.この巨大な燈籠の後ろの銘は「正徳2年(1712)正月」
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9.巨大な大仏様
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10.大仏様の背後から胎内に入っての撮影です。
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11.与謝野晶子の歌碑
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12.中学校の修学旅行で覚えた銅版の詩
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2012/10/22

綾部市随一の獅子舞を「音声付動画」で撮影の室尾谷神社の秋祭!  綾部の文化財

 京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」中上林地区の五津合町寺内109には「室尾谷神社(むろおだにじんじゃ)」がある。御祭神は珍しい大国主命の孫姫の五十鈴依姫命(いすずよりひめのみこと)であります。創立年代は定かでないが社伝によると其の昔、大町村と畑川村あたりの字、阿須伎(あすき)にの地に祀られていたという。昌秦(しょうたい)時代の頃(898〜901)上林谷総鎮守として阿須々伎神社と号し、二村の氏神として崇敬されていた。京都の源平合戦の保元(ほげん)乱の頃(1156〜59)、丹波、若狭の領主蔵持丹波守が要害形勝の地であるウスキに居城を築き臼井城と称して当神社を守護神としていたとの言い伝えがあります。承久3年(1221)の乱で戦火を被り、困って翌年の貞応(じょうおう)元年(1222)に阿須伎の地から畑川村遊里部落の字、室尾谷に遷祀した後、室尾谷明神と称した。正和2年(1313)大洪水があり、社殿の損害を被り同年10月少し社殿を移し現在の地に再建された。天正10年(1583)明知光秀が丹波攻めの時には丹波地方の多くの講社寺を焼失させたが、当社に対してはその威光を恐れてか難を免れた。当地方の武将の間には当社は特に崇敬されていた。正徳5年(1715)2月3日宗源正一位の位官を拝し、神部伊岐宿弥が奉務した記録があります。安永8年(1779)社殿を改築し現在に至る。尚昭和14年(1939)に拝殿のみが新築されている。主な境内社には高森神社「御祭神は代43代元名天皇(女帝)で有名な歌「青丹よし 平城の京 咲く花の におうがごとく 今さかりなり」があります。その他、倉稲魂、菅原道真、大山祇命、火産霊神などです。
福田筆頭宮総代様より受け取った記録を抜粋一部修正したものです。大変皆様にご協力を頂き感謝しております。綾部の文化財を守る会・四方續夫事務局長拝。

1.強大な木造の両部鳥居(厳島神社と同じ位で、権現鳥居とも呼びます。第1の鳥居と第3は木造両部鳥居、2と4石造鳥居です。)
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2.第3の石鳥居、その裏に第4の木造両部鳥居と第5石造鳥居が見えます。
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3.午前7時20分 振れ太鼓のメンバーが手水舎でお清め!
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4.午前7時25分 振れ太鼓メンバーが参拝!
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5.午前7時30分 振れ太鼓メンバー出発
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下記をクリックして、「音声付動画」で「振れ太鼓」出発を見て下さい。
http://youtu.be/4nd8FpG8KIk

6.拝殿の両側には享和2年戌(1802)正月の銘のある常夜燈があります。
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7.修秡の儀(神輿への入魂の儀式)
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下記をクリックして、「音声付動画」で久保憲次宮司様の「祝詞(のりと)奉上」を見て下さい。
http://youtu.be/-NiZwH8dKlM

8.神輿行列出発
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下記をクリックして、「音声付動画」でお旅所の市野瀬公会堂付近を練り歩く神輿1.を見て下さい。
http://youtu.be/kUZO8a0jb3A

下記をクリックして、「音声付動画」でお旅所の市野瀬公会堂を練り歩く神輿を2.を見て下さい。
http://youtu.be/BxedmvfuCgw

9.お旅所の市野瀬公会堂で「獅子舞」始まる.
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下記をクリックして「音声付動画」で市野瀬公会堂のお旅所での「獅子舞1」を見て下さい。
http://youtu.be/1-S3MYB1X6k

下記をクリックして「音声付動画」で市野瀬公会堂のお旅所での「獅子舞2」を見て下さい。
http://youtu.be/51gsgfA4DTU

10.久保憲次宮司様を筆頭に福田筆頭宮総代達が出迎えに行きます!
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下記をクリックして、出迎え行列を見て下さい!
http://youtu.be/fECj_QXgmFg

11.神輿を先頭に帰還の練りこみ神輿行列です!
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下記をクリックして、音声付動画で帰還の練りこみ行列を見て下さい!
http://youtu.be/gBPVW8_aFVU

12.神輿行列帰還後、綾部市随一の表天狗の面、裏はお多福の面の獅子舞使いが始めます!
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下記をクリックして、獅子舞第一場面「道行の舞」を見て下さ!
http://youtu.be/JkvPaHTiLYU

下記をクリックして、獅子舞第二場面「鈴の舞」を見て下さい!
http://youtu.be/J19GyDc57tw

下記をクリックして、獅子舞第三場面「悪魔祓いの舞」を見て下さい!
http://youtu.be/qQIIhs_aWXw

下記をクリックして、獅子舞第四場面「剣の舞」を見て下さい!
http://youtu.be/6XBz37QFamA

13.獅子舞は第五番目「狂い舞」があるのですが、バッテリー切れでアウトでした。お許し下さい。来年3回目の目のチャレンジします。矢張り若者でないとこのような動作の激しい獅子舞はむりですね!敬意を表して写真を一枚掲載します。福田筆頭宮総代様によると2年前から小学生にも練習させ始めた諭旨。で「綾部の文化財を守る会」村上高一会長を始め役員を代表して。御礼申し上げます。
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14.最期に「修抜の儀」でお祓いの場面です!久保宮司様を初め福田筆頭宮総代達列席の役員全員が玉串奉納でした。後は餅撒き、上林太鼓、同子供太鼓や模擬店も午後4時近く賑わっていました。
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