2012/8/3

綾部人の見た美濃の文化財・史址!49.多治見市の金幣社・白山神社!  文化財研修記

 養老元年(71)修験者泰澄が加賀国(当時は越前国)白山の御前峰に登って瞑想していた時に、緑碧池から十一面観音のお使いである九頭龍王が出現して、自らを伊弉冊尊の化身で白山明神・妙理大菩薩と名乗って顕現したのが白山修験場開創の由来と伝えられ以後の白山信仰の基となったのです。
 平安時代には、加賀・越前・美濃の3国に禅定道が設けられ、「三箇の馬場は、加賀の馬場、越前の馬場、美乃の馬場也」(三馬場)と呼ばれました。
 この多治見市の金幣社の白山神社は岐阜県多治見市白山町3丁目78にあります。
ご祭神は白山媛大神(菊理媛命)、伊邪那岐大神、伊邪那美大神のご三神です。
 末社、境内社は金刀比羅宮、大国主命、事代主命、秋葉神社、稲荷大明神、津島神社、伊勢皇大神宮、北野天満宮などです。


1.多治見白山神社
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2.白山神社駒札
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3.白山神社遺跡駒札
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4.白山神社の鳥居と拝殿
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5.手水舎
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6.境内社 その1.
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7.境内社 その2.
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8.白山神社拝殿
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2012/8/2

綾部人の見た美濃の文化財・史址!48.明智光秀出生の明智長山城址!  文化財研修記

岐阜県恵那市明智町にも明智城址があるが、筆者はこの岐阜県可児市瀬田地内にある美濃明智長山城址を明智光秀出生の城と思慮しています。明智城はその名の通り東西に長々1,200メートルにも及ぶ長い山城で長山城とも呼ばれていた。
この山城を築いた土岐氏は源頼光の攝津源氏の出であり、大本は清和天皇にありますが、初めて武士団を形成したのは、天皇の孫にあたる満仲であったと云われています。
その満仲の長子である源頼光が、父の摂津国多田(兵庫県川西市多田)の地を継ぎ、摂津源氏の祖となりました。そして次男の源頼親が大和源氏の祖となり、三男の源頼信が河内源氏の祖となりました。
 この美濃源氏の土岐氏は鎌倉・室町時代はとても有力であり、大動脈の東山道が通る穀倉地帯の美濃を所領し、その中心地は都に近い西美濃でした。康永元年(1342)鎌倉初期の守護・土岐頼康は弟の頼兼に東美濃方面の統治の要として、可児郡明智荘を治めさせ、長山城を築かせました。この頼兼が「明智氏」を名乗り明智一族が誕生しました。家紋は代々土岐家と同じ「水色桔梗」で土岐家の有事の際にはこの旗を揚げて守護土岐家に忠誠を尽くしました。
 戦国時代、美濃を奪取した斉藤道三は、美濃の懐柔策として、明智城主の明智光継の娘を正室として迎えた。この正室小見の方が生んだ娘が織田信長の正室濃姫で、明智光秀は光継の孫で濃姫とは従兄弟同士になる。余談ですが、明智氏は代々美人が多く従兄弟の濃姫も美人で娘の細川ガラシャも美人であったとのことです。
 弘治2年(1556)斉藤道三が息子義龍に討たれ、義龍は道三に味方した明智一族を討つべく関城主長井道利を大将に大軍で攻め、2日間の攻防で明智一族は滅び、光秀のみ城を落ち延び後日、明智家を再興しました。

1.自家用車で住宅団地を登り、明智長山城址へ。
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2.標高178メートルの山頂近くには数台の自家用車が駐車でき、後ろにトイレもあります。
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3.明智城址散策マップ
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4.本丸へ100メートルの標識
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5.1800万年前は日本列島と朝鮮半島が陸族続きであった碑
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6.二の丸址碑(この山城ではまだ石垣作り等は出来ていず、土塁作りです。)
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7.七ツ塚碑
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8.七ツ塚(斎藤義龍に討たれた7名の武将を祀る塚です。)
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9.本丸址碑(この山城はいざという時のため築かれたもので、城主や家臣団は、普段は城の北麓の天子屋敷・大屋敷・都一等の名の名残があった所に住んでいました。)
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10.明智城碑
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11.同上 古い碑
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12.明智城駒札
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13.明智城展望デッキ
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14.展望デッキからの眺望 1.
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16.馬防柵
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17.西の丸址
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18.搦手曲輪(郭)
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19.徒歩での明智城址入口
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2012/8/1

綾部人の見た美濃の文化財・史址!47.征夷大将軍・坂上田村麻呂創建の清水寺!  文化財研修記

岐阜県加茂郡富加町895−1には桓武天皇の御世の大同3年(808)に征夷大将軍・坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)が延鎮大師(えんちん)を開山として国家鎮守のため創建した白華山「清水寺(きよみずでら)」がある。宗派は途中で変わって現在は臨済宗妙心寺派に属している。加茂野駅前の県道346号線を北に3Kmほど進み、川浦川新橋を渡って、山沿いの道を2Kmほど行くと加治田の集落のはずれの梨割山(なしわりやま)の麓にこの寺がある。車を駐車場に停めて硯川を渡ると岐阜県指定文化財の入母屋造に2階を設けた望楼風の櫓門(やぐらもん)で、江戸時代初期の二天門がある。
 その横から戦国時代の加治田城跡があるが、登るのに30分はかかる諭旨で城跡の見学は止めた。そこからの眺めは抜群の諭旨です。
 二天門から急な参道を登り、本堂崖下の庭園から更に、石段を登ると本堂に至る。本堂は寛文13年(1673)江戸時代に再建のものです。

1.駐車場から硯川越に「二天門」を見る!
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2.硯川を渡った所から、戦国時代の加治田城址への登山道がある。所要30分少々。
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3.岐阜県指定文化財の二天門
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4.同上 駒札
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5.富加町指定文化財の増長天
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6.同上 持国天
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7.新緑の中を登る参道(秋の紅葉は素晴らしいと思う)
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8.国重文の木造十一面観音坐像の駒札
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9.更に急な石段を登る!
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10.本堂崖下の庭から本堂を見上げる!
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11.石段から本堂を覗き見る!
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12.鐘楼
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13.本堂を横から見る
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14.本堂正面
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15.本堂内
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16.本堂前の駒札
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