2012/7/17

綾部人の見た美濃の文化財・史址!40.郡上八幡城築城の人柱の「およし」観音の善光寺!  文化財研修記

郡上八幡町の善光寺は長滝寺の持善坊で白鳥町長滝にあったが、明治30年(1897)現在地に移転した。持善坊は、白山信仰の美濃馬場であった長滝寺の古い歴史を物語る僧坊である。京都鞍馬寺の分院となっている。境内の「およし稲荷」は八幡城築城の際、人柱となった悲劇の民話を今に伝えている。

1.郡上八幡城周辺地図
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2.安養寺前にある善光寺と郡上八幡城人柱のおよし観音説明板
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3.善光寺本堂
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4.本堂横にある「釈迦三尊臍の堂」と「およし観音堂」
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5.郡上八幡城の人柱となった「およし」の説明板
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2012/7/16

綾部人の見た美濃の文化財・史址!39.郡上八幡の安養寺と県史蹟の宗祇水!  文化財研修記

 城下町郡上八幡町は「郡上八幡城」と「郡上踊」で全国的に有名です。自家用車は郡上八幡城・城下町見学に便利な浄土真宗・安養寺(あんようじ)の有料駐車場(500円)に停めて見学を開始しました。先ずこの駐車場のある浄土真宗・安養寺は郡上八幡城の登り口の三の丸跡に明治3年(1870)に中坪村にあったが、焼けて、明治14年(1881)に移転してきました。同寺は鎌位時代後期、近江国蒲生郡に始まり、戦国時代には美濃、伊勢、越前、飛騨と移動を繰り返した大寺院です。また郡上一向一揆の拠点の寺でもあり、天文10年(1541)東氏から求められ、安養寺了淳は越前朝倉勢を油阪峠で撃退している。永禄12年(1569)飛騨の三木氏の侵入の際には当時の城主遠藤氏に助成している。
 安養寺から西に大手町を300メートルばかり進むと本町にでる。左折して小駄良川に向う路地を下ると岐阜県史蹟の「宗祇水」に至る。宗祇水の名は文明3年(1471)に古今伝授のため連歌師の飯尾宗祇が郡上を訪れた折、郡上の領主であった東常縁(つねより)がこの泉近くまで送り、宗祇に和歌一首を贈ったという故事による。江戸時代にも頼山陽をはじめ多くの墨客が訪れた。寛文年間(1661〜73)当時の八幡城主で文芸に秀でた遠藤常友がこの宗祇水を整備し、和歌にちなんで「白雲水」と命名、後の金森頼錦も「千載白雲水」の碑を建てている。

1.安養寺本堂(前は有料駐車場)
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2.安養寺由緒碑
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3.安養寺庭園
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4.見事な梵鐘
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5.郡上八幡位置図
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6.大手町へ下ると三の丸跡に至る
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7.本堂や梵鐘、城下町を上から見る!
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8.本町にある「郡上踊」銅像
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9.本町から小駄良川へ下る道(宗祇水へ)
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10.宗祇水 1.
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11.宗祇水 2.
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12.宗祇水奉納連句版
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2012/7/16

岡目八目? 福知山の一端紹介(福知山城・城まつり・鬼ケ城など:里見さまご投稿)  文化財研修記

ローカルな(山)談義。光秀つながりに、福知山の一端です。
 大江山連峰が有名かもしれません。「昔、丹波のオオエヤマ、鬼ども多くこもりいて、都へ出ては…」(小学唱歌)のオオエヤマは、京都と亀岡との堺の大枝山(老ノ坂辺り)が有力と言われています。福知山の「大江山」では、京の都に遠過ぎるようです。小式部内侍の「大江山いく野の道の遠ければ まだ文も見ず天の橋立」のオオエヤマ、生野も、老ノ坂辺りが有力だそうです。(すみません)。

 さて、福知山出身の登山家に藤木九三(朝日新聞記者)がいます(1887〜1970年)。「(山に登る理由)そこに山があるから」という英国人・マロリーの言葉を日本に紹介(意訳)した人です。甲子園球場の「アルプススタンド」の名付け親ともいわれてぃます。近代登山の推進者として功績を残し、穂高連峰の難所・滝谷にレリーフがあるそうです。(植村直巳や単独行者・加藤文太郎は、隣の兵庫県北部・但馬の出身です)

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写真1は福知山城天守閣。昭和61年、再建。築城を始めたのは、丹波平定を遂げた光秀。
野面積の石垣には、五輪塔などの「転用石」が多い(強奪?)

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写真2は、お城まつり。福知山音頭を踊りながら、御霊神社馬場へ練りこむ連。
(あけーちみつひで、丹波を広め、ひろーめーたんばの福知山。ドッコイセ、ドッコイセ、トコドッコイ、ドッコイ、ドッコイセ…)。

 右端看板の半ば・横線まで水に浸かった時がある(昭和28年の大水害)。
 御霊神社は光秀を祀っている。光秀は、由良川の流れを変えたり、薮を作ったり
(明智薮として残る)、堤防を造り、善政を布いて感謝されている。

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写真3の地図は、「里山ねっと」作成。
丹波・綾部の小畑・本城奥から金谷峠を越え、丹後・大江町(現・丹波の福知山市)へ至り、
観音寺を経て、鬼ケ城、烏ケ岳へ登るルート図。
 山野口から、道標「おばた ものべ」を左折し、金谷峠へ戻るルートがある。
 里山ねっとの藤野さんや、小畑の村上さん、大滝さんなどに案内いただいた。
 (金谷峠について、「なべちゃん」が丁寧な紀行文を寄せておられる

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写真4は、周囲を雲海に囲まれた鬼ケ城の山頂。遠くの峰々が雲海に浮かんでいる

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写真5のアンテナが立つ山は、烏(からす)ケ岳。鬼ケ城の山頂から見ている

鬼ケ城は、福知山盆地を北側から見下ろす山で、360度展望(但馬、丹波、丹後の山々)。
雲海が素晴らしい。
 大江町の大田さんたちが、山頂の木々を伐採し、眺望がきくよう管理されている。感謝。

参考データ
金谷峠(丹波・丹後歴史街道)http://nbcayabe.justhpbs.jp/0jshp/bunka/06kanayatoge/kanayatoge.html

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2012/7/15

綾部人の見た美濃の文化財・史址!38.木下藤吉郎調略の美濃の鵜沼(うぬま)城址!  文化財研修記

 この大沢氏が築城した鵜沼城(うぬまじょう)は永享年間(1429〜1440)で、築城者は大沢利治という。大沢氏は土岐氏や斎藤氏に仕え、この地方に勢力をもっていたという。
戦国時代中期の永禄7年(1564)、尾張国の織田信長は木下藤吉郎(豊臣秀吉)に鵜沼城(伊木山城)の攻略を命じるが、鵜沼城主の大沢治郎左衛門は強く抵抗。藤吉郎の調略によって治郎左衛門・主水親子調略に応じて降伏するが、信長は降伏した治郎左衛門の変心を恐れ殺害を企てるが、藤吉郎の計らいで治郎左衛門は逃がされたといわれ、後、秀吉の家臣となる。
 その後、鵜沼城は犬山城主の池田恒興に与えられ、恒興が国替えになった後は中川定成が犬山城に入り、同時に鵜沼城も支配した。

1.岩山の断崖絶壁に建つ難攻不落の城「鵜沼城(うぬまじょう、伊木山城)現在は個人所有で立ち入り禁止です。」木曽川反対側の犬山城側から撮影する。
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2.木曽川反対側の愛知県側の犬山城(国宝)
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3.下記をクリックして、音声付動画で尾張国の国宝犬山城から木曽川、そして、対岸の美濃国の鵜沼城の様子を見て下さい。U−tubeの画面が出たらその右下の拡大画面をクリックして大画面で見て下さい。
http://youtu.be/DNRNb9uTAMQ

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2012/7/14

綾部人の見た美濃の文化財・史址!37.加納城の鎮守・傘祖彰徳碑のある加納天満宮!  文化財研修記

 文安2年美濃の守護代・斉藤利永が中世加納城を築城した時、城の鎮守として祀ったが、慶長6年(1601)、近世加納城の築城の時、現在地の加納天神町に遷宮したという。例祭は10月下旬に行われる「天神祭」で宝物の一つである高さ5メートルに及ぶ岐阜市指定文化財の山車の鞍馬車(くらばしゃ)も引きだされる。境内には「傘祖(かさそ)彰徳碑」がある。それは第二次世界大戦までの加納の中心産業であった傘作りは、寛永16年(1639)播州明石より加納城主となった松平光重が傘職人を帯同したととによるとされている。

1.加納天満宮
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2.この鳥居を越えて、その右側には「山車蔵」がり、その説明板
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3.拝殿に向って左側の岐阜和傘の恩人・松平光重をたたえる「傘祖彰徳碑」
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14.境内の天然記念物「薄墨桜の子孫」です。
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15.加納天満宮舞殿(拝殿)
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16.拝殿左奥には御神木のクスの木がある
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17.本殿側から舞殿と参道を見る
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18.平成15年新しくなった拝殿
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19.見事拝殿から本殿
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20.拝殿横の「座牛」像
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21.平成15年本殿造営の時、大宰府天満宮より寄贈の「鹿児島白梅」
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22.同上   「鶯宿」
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23.境内社「津島神社」
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24.境内社「稲荷神社」
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2012/7/13

綾部人の見た美濃の文化財・史址!36.国史跡家康の長女亀姫と奥平信昌の加納城跡!  文化財研修記

岐阜市加納丸之内には文安2年(1445)美濃の守護代斉藤利永が守護土岐氏の居城である革手城の押さえとして築いた中世加納城があった。徳川家康もここを戦略上の要地として、注目し、近世加納城の築城を命じた。礎石や石垣は先に取り壊した岐阜城のものを用い、城の東を流れる荒田川を自然の要害として濠を築いた。大手門は城の北側に向って設けられた。家康は長篠の戦(1575)で活躍し、長女亀姫を室とした奥平信昌を初代加納城主として入城させた。その後、御三家尾張徳川家が成立してからは、加納城の意義が薄れ、奥平氏の移封以降は石高も減らされ、城下は中山道の宿場町の性格を強めていった。城は、現在、本丸と二の丸・隅櫓(すみやぐら)の土塁・石垣の一部が残り、加納公園となっている。

1.加納城の隅櫓の石垣
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2.巨木が残る城跡
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3.石垣2.
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4.国史跡・加納城跡案内板
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5.加納城内の加納公園1.
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6.同上 2.
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7.石垣3.
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2012/7/12

綾部人の見た美濃の文化財・史址!35.竹中半兵衛所縁の日蓮宗・妙照寺!  文化財研修記

岐阜市梶川町にある妙照寺の創建は、天文3年(1534)で、江戸時代前期の日蓮宗寺院の様式を残す本堂は寛文2年(1662)に建てられた。慶長5年(1600)、当時の岐阜城主の織田秀信(信長嫡孫)から、竹中半兵衛(豊臣秀吉の家臣)の屋敷跡を寄進され、現在の位置に移された。この寺の庫裡は岐阜県内に現存している神社・仏閣の中で最古のもので、本堂も庫裡も岐阜市指定重要文化財となっている。又、この寺の境内には勧請されてあった屋敷神の「三光稲荷大明神」の祠はそそまま受け継がれ現在に至っている。 竹中半兵衛は永禄7年2月(1564)、父 重元の3回忌を終えた後 主従ともにここで 決意を胸に心願成就を祈り 登城して有名な稲葉山城奪取を成し遂げました。又、ここは 竹中半兵衛が青年期に仏教書や軍学書を沈読し、心身を修練した場所です。

1.三光稲荷大明神・妙照寺碑
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2.岐阜市指定文化財の妙照寺・本堂と庫裡の説明板
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3.山門
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4.鐘楼
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5.岐阜市指定文化財の庫裡
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6.三光稲荷大明神の鳥居
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7.三光稲荷大明神
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2012/7/11

信長・光秀 丹波・戦国無情(里見さまご投稿)  文化財研修記

 丹波(兵庫県、京都府)・丹後(京都府)の山々を歩けば、信長や光秀の影を見る(戦国の山城・砦が多い)。

 ◎光秀(信長軍)の丹波攻めには伝承される悲話が多い。 丹波篠山(兵庫県)・八上城(波多野一族)の兵糧攻め(井上靖の「戦国無頼」の終盤舞台)。人質・光秀母の「はりつけ」。 丹波春日(兵庫県)の黒井城(赤井一族)の攻防(一度は、光秀を敗走させた。)…などなど

 ◎光秀の重臣・斉藤利三(1580年前後、春日に居た)の娘・福(後の「春日の局」)の誕生が救いだ。 (今、八上城祉は高城山、黒井城址は猪ノ口山と呼ばれている。)

 ◎光秀は在地で善政を行っている。光秀を偲ぶ町もある。亀岡の「桔梗まつり」。福知山の「福知山音頭」(あけーちみつひで、丹波を広め、ひろーめー丹波の福知山、ドッコイセ、ドッコイセ)や「お城まつり」。

 ◎光秀の娘・細川ガラシャは、丹後(京丹後市弥栄町)の味土野(金剛童子山の中腹)に「幽閉」されていた。今は、集団離村などで、数軒が残る寂しい集落になっている(記念碑に、明治時代には60余軒あった、と記されていた)。

 織田家ゆかりの柏原(兵庫県丹波市)へ下った事がある。日本一低い分水界・水分公園(谷中分水界)から、向山連山を蛙子峰まで歩き、棚原峠を経由し、柏原へ下った。 ガサツな山行であるが、柏原歴史民俗資料館で、信長死後の織田家に触れる事ができた。

 写真は、2回の山行を混ぜている。
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 日本一低い分水界(谷中分水界)この平地(水路)で水は日本海と瀬戸内海に分かれる。

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 向山連山から黒井城址(猪ノ口山)を展望。右が猪ノ口山(麓に興禅寺がある)
その左は千丈寺山。手前の黄色い花は、ヒカゲツツジ。
 ヒカゲツツジは丹波の山々に群生するが、ここが一番だと思う。この花を丹波の地侍も見たに違いない(向山は狼煙砦だったという)

 春日は岐阜や尾張の平野には及ばない盆地で、地力で明らかに劣っている。
 五台山から五大山・三日月山を経、黒井城址(興禅寺)まで至る縦走コースがある(「氷上高年低山会」が熱心に整備されている。感謝)

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 柏原織田の家系図である(柏原民族資料館のパンフ)。
 信長死後の織田家の一端を知る事が出来た。兵庫丹波の柏原藩が、京都丹波の何鹿郡(いかるがぐん=綾部市)などに飛び領地を持っていた。

「高槻村、位田村、坊河内村、西方村、物部村、志賀村、小畑新庄村、報恩寺村内
 高2657石1枓9升3合」と展示されていた。表示の村々で、今日まで伝承されている事と思う。

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里見さまご夫妻の登山マップを送っていただきました。詳細は省略しました(HP委員会)

向山連山周回コース(珪石山)。蛙子峰から足を延ばし棚原峠経由で柏原へ下りるコース。
狸穴名水・鴨内峠から五台山・小野寺山・鷹取山・美和峠・愛宕山・五大山・三日月山・ヨコガワ峰・千丈寺山・兵主峠・黒井城址・興禅寺を縦走するコースがある。

<関連記事>
柏原歴史・民俗資料館・栢原藩陣屋跡(国指定史跡)・田ステ女記念館
 http://www.ayabun.net/minzoku/kaibara/kaibara.html
春日局生誕地の興禅寺と国史跡・黒井城跡など
 http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/315.html 
 http://www.nbcayabe.com/arctpx/kasuga/KASUGA.HTM
 http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/977.html
ヒカゲツツジ 向山連山 
 http://www.nbcayabe.com//hana/hikage/hikabe.html

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2012/7/11

綾部人の見た美濃の文化財・史址!34.斉藤道三所縁の日蓮宗・常在寺!  文化財研修記

鷲林山常在寺(じゅりんざん じょうざいじ)は日蓮宗・京都妙覚寺の末寺です。
室町時代の宝徳2年(1450)土岐家守護代として権力を持ち、当時事実上美濃を支配していた斎藤妙椿(みょうちん)が建立しました。後に斉藤道三が菩提寺とし、道三以後三代の菩提寺となっています。
 その四世日運と長井新左衛門尉とが、京都妙覚寺での修行仲間であったことから、新左衛門尉は斉藤家に取り入ることができたと伝えられている。この長井新左衛門尉こそ斉藤道三の父であり、親子二代に渡り、長井氏・守護代斉藤氏・守護土岐氏をつぎつぎと倒し、美濃国を領有した。道三については、山崎の油売りから身を起こした伝承があるが、常在寺は道三とその子孫の帰依を受け、国重文の絹本著色斉藤道三画像と同義龍画像を所蔵しており、現在は岐阜市歴史博物館に寄託している。
 毎年4月の第一土曜日には道三まつりにあわせて「斎藤道三公追悼式」が営まれ、まつりの二日間は無料開放されます。

1.常在寺山門
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2.国重文の絹本著色斉藤道三画像と同義龍画説明板
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3.岐阜城資料館の斉藤道三画像と義龍画像(これは国重文ではない。)
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4.本堂
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5.開運堂
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6.本堂内に斉藤道三の見事な位牌も祀られていますが。撮影禁止でした。

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2012/7/10

綾部人の見た美濃の文化財・史址!33.日本三大仏の一つ正法寺の岐阜大仏!  文化財研修記

岐阜市梶川町は岐阜公園から直ぐ側にあり、ここには黄檗宗の正法寺(しょうぼうじ)があります。朱塗りの大仏殿が眼に入りますが、この大仏殿の中の「籠大仏(かごだいぶつ)」は岐阜県指定文化財で江戸時代末期、地震や飢饉による犠牲者の供養のために発願され、二人の住持が38年にわたる喜捨行脚(きしゃあんぎゃ)を行って天保3年4月(1832)に完成させたものです。岐阜の特産品の技術を随所にいかしたもので、大人一抱えほどもある大イチョウの木を真柱にして木材で骨格を作り、その外側を細かく編んだ竹材で形を整え、さらに表面を粘土で塗り固め一切経などの経文を貼り、その上に漆を塗って金箔をほどこしたもので、高さ13.7メートルもある釈迦如来坐像です。
日本三大仏とは、1.奈良東大寺の大仏:現存の大仏は像の高さ約14.7メートル、2.鎌倉高徳院の大仏:高さ13.35メートル、3.岐阜正法寺の大仏:高さ13.7メートル
1.2は決定していますが、高岡市大佛寺の大仏:全体の高さ 15.85メートルや神戸大仏が一時三番目と言われているが、今は岐阜大仏がもっとも人気があり、第3番目といわれています。

               像高   耳長    眼幅     
な大仏比較:  奈良  14.98m 2.54m  1.02m
          鎌倉  11.35m 1.90m  1.00m 
           岐阜  13.63m 2.12m  0.66m

1.岐阜大仏案内碑
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2.黄檗宗・正法寺「大仏殿」
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3.大仏殿前の賽銭入には天保3年(1832)の銘があります。
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4.正面から見た大仏様
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5.横から見た大仏様
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6.大仏殿内の阿羅漢像群
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7.大仏殿横にある多宝塔の説明板
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8.多宝塔
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