2012/3/31

伊豆・遠州の文化財・史址を見る!16.遠州浜松の国史跡・新居関所跡!  文化財研修記

三島大社から沼津ICより東名高速に乗り一路、遠州浜松へ向う。12月中旬んの月曜日今日も快晴で雪を冠った見事な富士山を見ながら箱根・鈴鹿峠と並ぶ難所・小夜の中山峠のある牧之原台地にある牧の原SAで休憩していっきに、全国で唯一現存する関所建築で有名な「新居関所」を訪れたが、月曜日のため、資料館は休館で又関所屋敷は工事中で内部の見学は出来ず残念であった。古代浜名湖の水は浜名川を径て遠州灘にそそいでいた。川には浜名橋がかかっており橋のたもとは橋本宿であった。貞観4年(862)の修造時で長さ56丈(約170−トル)もあったと「日本三代実録」にも載っているが、明応7年(1498)の大地震や元禄14年(1701)、宝永4年(1707)等の大地震で位置は変わったが、現存のものは安政2年(1855)のものである。

1.沼津IC近くから雪を冠する見事な富士山を見る。
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2.浜名湖全景マップ、国史跡の新居関所跡は浜名湖の一番狭い入口の左下です。
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3.新居関所跡の無料パーキング
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4.史跡新居関所跡の碑
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5.新居関所説明板
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6.工事中の新居関所屋敷
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7.新居関所屋敷全景、右の建物が資料館(月曜日休館)
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8.浜名湖を渡る浜名大橋
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浜名湖に巨大なネッシーならぬハッシーが出現か?その記事は下記をクリックして見て下さい。
http://shizuyashizu.jugem.jp/?eid=1739
上記生物が判明したようですね!詳細は下記をクリックして見て下さい。
http://shizuyashizu.jugem.jp/?eid=1740

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2012/3/29

伊豆・遠州の文化財・史址を見る!15.源頼朝挙兵・源氏再興祈願の伊豆一ノ宮三島大社!  文化財研修記

伊豆の国一宮神社として知られる三島大社の祭神は事台主命(ことしろのすしのみこと)と大山祗命(おおやまつみのみこと)である。創建の年代は不詳であるが、元は三宅島・大島さらに下田市に祀られていたそうだが、今は現存地に祀られる元官幣大社である。9世紀に大社、10世紀には「延喜式」式内社に列せられ、中世には伊豆一ノ宮神社として崇敬を受けた。源頼朝が挙兵源氏再興を願って此処で祈願した。元暦元年(1184)4月糠田郷を献り、流鏑馬を奉納し放生会を催し、文治3年(1187)には社殿を造営した。頼朝の妻・北条正子が奉納した「国宝の梅蒔絵手箱及び内用品一具」をはじめ国重文の太刀「銘宗忠」・脇差「銘相模国住秋義」、源頼家筆の般若心経・三島大社宮司家矢田部家文書592点(いずれも国重文)他源頼朝文書などが宝物館に治められている。鎌倉時代には源実朝から惟康親王(これやすしんのう)までの歴代将軍が参詣し、南北朝時代には足利尊氏、戦国時代には今川氏、北条氏との関係が深かった。近世には530石の朱印地をもち、三島が宿場町として栄えた。明治時代には官幣大社となっている。

1.国道136号線三島近くから見る富士山
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2.三島大社の大鳥居
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3.安永2年(1773)の大石灯籠
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4.たたり石「東海道の真中で交通整理の役をしていた、絡垜(たたり)とは交通整理を意味しているが、東海道の整備で邪魔になり、移動させようとしたがいろいろたたりがあり、大正3年当地に祀られるようになった。」.
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5.三島市指定保存木「モッコク」推定樹齢500年
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6.同上 「ケヤキ」推定樹齢600年
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7.安達藤九郎盛長の警護の地
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8.この神社境内には多くの歌碑があるが好きな「若山牧水」を掲載します。
「のずゑなる三島のまちのあげ花火月夜のそらに散りて消ゆなり」
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9.神池(左向こうに赤色の厳島神社が見える)
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10.源頼朝旗挙げの碑
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11.厳島神社(北条正子が勧請した神社で大変信心が深かったという。)
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12.総門
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13.手水舎
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14.神馬庫
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15.見事な神門
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16.国天然記念物の「キンモクセイ」樹高15メートル、根回り3メートルもある。
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17.芸能殿
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18.舞殿
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19.国重文の拝殿と幣殿
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20.国重文の本殿を横から見る
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2012/3/27

伊豆・遠州の文化財・史址を見る!14.鎌倉二代将軍源頼家幽閉の地・修禅寺!  文化財研修記

浄蓮の滝から更に沼津方面に向って国道414号線を北上約10キロで鎌倉二代将軍源頼家幽閉の地、修善寺温泉に至る。
 修禅寺は大同2年(807)弘法大師空海に創建された真言宗の寺院でした。その後、「修禅寺縁起」によると道路を隔てた桂川の川岸に「独鉆(どっこ)の湯」と呼ばれる空海ゆかりの温泉があります。建治年間(1275〜78)に、鎌倉から蘭渓道隆(らんけいりゅうどう)が来住し、臨済宗に改宗、延徳元年(1489)更に韮山城主北条早雲と曹洞宗の開祖・道元禅師により曹洞宗となりました。本堂には国重文の木造大日如来坐像、宝物館には県文化財指定の刺繍釈迦三尊幅等があります。
 さて、修禅寺の裏山には源頼朝の庶弟・蒲冠者(かばのかんじゃ)源範縒頼の墓や桂川を渡っていくと鎌倉二代源頼家のお墓があります。
 誠に残念ながら、今日は此の後、三島大社、浜松市へ行くため時間が無く、次回の伊豆史跡めぐりに残します。

 一応、下記に源頼家の修善寺滞在の様子と当時の情勢を記します。
頼家は鎌倉幕府を開いた源頼朝の嫡男で、母は北条政子。父頼朝の急死により18歳で家督を相続。従来の習慣を無視した頼家の独裁的判断が御家人たちの反発を招き、母方の北条氏を中心とした十三人の合議制がしかれ、頼家の独断は抑えられた。
 そうした状況の中で頼家が急病にかかり危篤状態に陥ると、まだ存命しているにもかかわらず『頼家が病死したので弟の実朝が後を継いだ』との報告が都に送られ、鎌倉では、頼家の乳母父で長男一幡(いちまん)の外祖父(頼家の側室・若狭局の父)である比企能員(ひきよしかず)が北条時政によって謀殺され、比企一族は滅ぼされる。
 一人残された頼家は多少病状が回復して事件を知り激怒、北条時政の討伐を命ずるが従う者はなく頼家は将軍職を剥奪され、伊豆国修禅寺に幽閉されたのち、入浴中のところを北条氏の手によって暗殺される。享年23(満21歳没)。頼家に代わって実朝が将軍職につくと、北条時政が幕府の実権を握ることになる。それから15年後の1219年、鶴岡八幡宮において、頼家の子公暁(くぎょう)に実朝が襲われ落命すると、実朝に子がなかったため、源氏の将軍は実朝で絶えました。

1.修善寺温泉ガイド
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2.修禅寺参道と山門
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3.見事な山門
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4.見事な手水舎
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5.百度石(同一の寺の百度参り)
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6.見事なつぶのそろった「玉石積」の鐘楼
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7.境内風景
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8.境内と修禅寺本堂
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9.見事な本堂正面
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10.見事な本堂内の須弥壇(仏壇)
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11.境内の修禅寺寒桜(初春には見事な花を咲かせるそうです。)
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12.宝物館入口
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13.源頼家肖像
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14.弘法大師御使用の青磁香炉
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15.弘法大師取用水瓶
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2012/3/25

伊豆・遠州の文化財・史址を見る!13.天城峠・日本の滝100選浄連の滝を見る!  文化財研修記

伊豆半島縦断の国道414号線を伊豆下田港から約16キロメートルで「伊豆の踊り子で有名な天城峠」に至る。トンネルを抜けると直ぐ近くに「道の駅・天城越え」がある。そこで一服休憩して、数キロで日本の滝100選の一つ「浄連の滝」の無料駐車場に至る。其処の駐車場広場には「伊豆の踊り子と学生の像」があった。浄連の滝は伊豆半島最大の名瀑であり、玄武岩の岩肌を幅7メートル、高さ25メートルに流れ落ちる様と轟音を立てる浄連の滝はさすがであった。昭和の天皇陛下も行幸されご鑑賞された諭旨である。又、滝にはその昔与一という農夫が住み、この滝の側を通った時足に幾えもの蜘蛛の糸がからまり、木の切り株もろとも滝壷へ転落したが、轟音とともに怪しい女性の声で「今日あった事は他にもらしてはいけない。」との言葉と共に無事に滝壷から脱出出来た。その与一は無事元気に働き、庄屋にまで出世したという。さらにその滝壷の周辺の樹木の伐採を禁示を得て、数十代のちの後裔の与左衛門が禁止を破り滝壷付近の樹木を切ろうとして、斧を使ったが、滝壷に落としてしまった。斧を探そうと滝壷に入った時、その世の人とは思えない美女が現れ「斧は返しますが、この事は誰にも言ってはいけません。」とのこと。与左衛門はその美女は滝壷の主の女郎蜘蛛に違いないと恐怖に慄き酒に溺れるようになった。ある日、突然雷鳴が轟き、家が真っ二つに引き裂かれ、中から眼をらんらんと輝かせた巨大な女郎蜘蛛が現れ、与左衛門は翌日冷たい骸となっていたと云う「女郎蜘蛛伝説」があります。この浄連の滝壺周辺は夏でも涼しく、県指定天然記念物のジョウレンシダ(別名:ハイコモチシダ)生息しています。

1.下田港から国道414号線を登って行きます。
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2.天城峠トンネルを抜けると「道の駅・天城越え」に至ります。
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3.同上 「道の駅・天城越え」で小休憩
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4.同上 伊豆の踊り子とハイキングコース案内
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5.浄連の滝、無料駐車場の「伊豆の踊り子と学生の像」
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6.浄連の滝への下り道
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7.浄連の滝の説明板
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8.浄連の滝(日本の滝100選の一つ、幅7メートル、高さ24メートル)
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9.同上 2.
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10.下記をクリックして、音声付動画で浄連の滝と轟音を聞いて下さい。U−tubeの画面が出たら、更にその右下の拡大画面をクリックして大画面で見て下さい。
http://youtu.be/e31pawxrKfU

11.静岡県指定天然記念物のジョウレンシダ(別名:ハイコモチシダ)
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2012/3/24

伊豆・遠州の文化財・史址を見る!12.下田の史跡と優雅で便利な下田ベイクロシオ!  文化財研修記

本日は早朝、自家用車で史跡ポイントを廻り国道414号線を通り、伊豆半島を縦断、浄連の滝、三島大社を通り、東名道路を使って浜松市まで行く予定でしたが、カーナビゲーション(GPS)の調子が悪く史跡スポット見学するには大変時間がかかるので残念ながらカットした。家内と2名で宿泊した下田ベイホテルは数年前見事な建物に改築されていました。家内ははこのホテルは2度目です。小生下田宿泊は初めてでしたがこのホテルの5階の展望風呂と庭
・露天風呂では下田港の絶景が楽しめました。庭園風呂もありました。注文での部屋食も大満足、小振りでしたが美味なあわびのステーキ、極め付きはキンメ鯛の大変美味な煮付け!朝食は1階で和洋食のバイキングでこれまた美味で大満足でした。12月12日(日)2名で1泊2食税サ込みこみお一人15,200円後夫婦にはお薦めのホテルです。ホテルの立地条件も良く、車はホテルの駐車場に置いて徒歩で「道の駅・開国港」4階はハーバーミュジアム、港クルーズ船乗場も直ぐ側「サスケハナ号」で30分毎出航20分で下田港一周千円、続いて「竜馬・志史の像」三島神社の吉田松蔭像、ハリス記念館、弁天島、まどか浜からホテルへ戻る徒歩4時間コース。他にも伊豆急下田駅から2時間で宝福寺、ペリー上陸地等徒歩での見学コースもあります。いずれもう一度この下田港伊豆七島めぐりに行く予定です。

1.下田ベイホテル駐車場
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2.下田ベイホテル玄関
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3.玄関からロビーを見上げる!
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4.6階の部屋から下田港を見る!
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5.下田開港時代へタイムスリップ!
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6.下田港の夜景を音声付動画で見て下さい。下記をクリックしてU-tubeの画面がでたら、更にその右下の拡大画面をクリックして大画面で見て下さい。
http://youtu.be/BMO1oEEi7p0

7.部屋食料理1.
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8.部屋食料理2.こぶりだがあわびステーキが最高だった。
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9.部屋食料理3.極め付きはキンメ鯛の煮物
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10.朝の素晴らしいロビー風景

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11.朝食和洋ブフェ
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12.大変美味だった朝食
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2012/3/23

伊豆・遠州の文化財・史址を見る!11.寝姿山から見る伊豆三景下田港と開国!  文化財研修記

南伊豆の海の玄関として古くから栄えた下田港は江戸時代には「出船、入船三千艘」云われるほど栄えた。嘉永7年(1854)3月24日に日本最初の開港場となった下田に急遽、下田奉行が復活して、それまで浦賀奉行であった伊沢美作守が任命され、さらに4月22日佐渡奉行であった都築駿河守が任命され二人奉行制となった。その仕事は、治安の維持とペリー提督との折衝であった。薪、水、食料、石炭等の欠乏品を供給するのも下田奉行の役目であった。伊沢美作守が着任する前は浦賀奉行支配組頭の黒川嘉平衛でが応対しており、バンダリア、サザムトン号の2隻が事前調査に入港していた時も、3月18日からペリー艦隊7隻が順次入港して来た時も、ペリー提督やその隊員が上陸した時も又、明治維新の精神的指導者・理論家であった吉田松陰は松下村塾で多くの英才、高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文、山県有朋、品川弥二郎などの子弟を教育した。その吉田松陰は世界の情勢を知るため小船でこのペリー艦隊の旗艦ポーハタン号に乗り込み通訳ウイリアムズを介してペリー提督に必死に交渉を続けたが、断られた。又この下田港では文久3年(1863)坂本竜馬達を引き連れた勝海舟が悪天候を避け入港、当時、第15代土佐藩主山内容堂が同じく避難入港した機会に、勝海舟は土佐藩に働きかけ藩主山内容堂から坂本竜馬の脱藩の許しを得たのもこの下田港であった。

1.下田ロープウエー乗場
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2.ロープウエーと寝姿山(ねすがたやま)山頂駅は胸の部分に当たります。
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3.下田の街
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4.寝姿山散策マップ
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5.伊豆七島と下田港(伊豆三景の一つ)案内板
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6.寝姿山から見る伊豆七島と下田港
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7.黒船見張番所跡
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8.伊豆七島・下田港を下記をクリックして音声付き動画で見て下さい。U−tubeの画面がでたら、更に右下の拡大画面をクリックして大画面で見て下さい。
http://youtu.be/esg44bztJx4

9.吉田松陰が乗船したぺりー艦隊7隻の位置図
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