2011/9/8

あやべアスパ2階Bホールで「第8回松寿苑作品展」が開催中!  あやべの街

社会福祉法人・松寿苑(衣川久夫理事長)が主催する「第8回松寿苑フエアー2011」(綾部市・あやべ市民新聞などが後援)がアスパ2階のBホールで作品展が9月7日(水)から9月13日(火)まで午前10時〜午後6時まで無料で見学できます。最終日は午後4時まで。この松寿苑を利用した250名の人たちが製作した200点が展示されています。この素晴らしい個人の作品は松寿苑の陶芸教室や習字、俳句の各クラブで活躍する人たちのものです。共同作品では千代紙で折った千羽鶴を台紙に張って日本列島を表したのもや、木の板を使って十二支の動物を作り,雛檀に飾ったものもある。尚、10日(土)午後1時30分開場、午後2時〜3時までアスパ2階の隣のAホールでの「芸能発表会」では琴・三味線(三松会)、バンド演奏(松寿苑職員有志)、楽器演奏(陳 曼麗)、踊り(藤間勘章)、リズム体操(松寿苑職員)、踊り(養護利用者・松寿苑職員)です。ご来場下さい。ご案内申上げます

1第8回松寿苑作品展2011フエアーの案内パンフレット
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2.受付台
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3.展示作品 その1.
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4.展示作品 その2.
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5.展示作品 その3.
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6.展示作品 その4.
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7.展示作品 その5.
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8.展示作品 その6.
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2011/9/7

西舞鶴の史蹟・文化財を訪ねて!その3.西舞鶴唯一の神職が常駐する府社・朝代神社  文化財研修記

京都府舞鶴市の西舞鶴地区の朝代には府社・朝代神社(あさしろじんじゃ)がある。郡社・村社は数多くあれども府社となると極端に少ない。この朝代神社は朝代大明神・日之小宮(ひのわかみや)=伊奘諾尊(いざんぎのみこと)を祀り、西舞鶴で神職が常駐する唯一の神社です。この神社は「伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)、兵庫県淡路市(旧津名郡一宮町)多賀にある神社である。式内社(名神大社)、淡路国一宮で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁が包括する別表神社となっている。」から天武天皇白鳳元年(672)9月勧請して創建されたと伝わる。江戸時代からは田辺藩町民の産土神として奉られきた。江戸時代後期に編纂された「神祇管領吉田家諸国社家執奉記」には田辺朝代社同大河社として丹後十一社の一つとされている。昭和3年には府社に昇格「朝の参りは朝大さまよ」や「日毎夜毎朝代参り」などと民謡にも唄われ広く崇敬されている。江戸時代の大火類焼し、元文4年(1799)に再建の御本殿は平成5年に舞鶴市指定文化財となった。境内社は塩釜神社、祇園神社、稲荷神社、工匠神社、天満宮、恵比須神社です。
吉原の太刀振り(11月3日)
朝代神社の祭礼に、4年に1度奉納される民俗芸能です。戦国の武将・細川氏が吉原漁民に伝授した武道の型を、今の時代にまで伝えるものです。


1.府社・朝代神社入口
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2.大鳥居
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3.朝代神社駒札
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4.鳥居から社殿に到る参道(石灯籠については次を参照)
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5.三基の石灯籠(一番手前は読めず。真中は寛政年間(1789〜1800作)、奥のは天保年間(1830〜1843の作)
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6.出世稲荷神社
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7.八幡神社(隣の円隆寺の境内にある。江戸時代の神仏混淆の時は、円隆寺が神護寺であったと思われるが、円隆寺は僧行儀が創建といわれる凄い寺です。次回掲載)
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8.手水舎
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9.朝代神社拝殿
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10.朝代神社本殿は凄い彫刻「舞鶴市指定文化財、元文4年(1799)の再建」
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2011/9/6

広報あやべ第670号ねっと8月号は内容万点!ちょっと見て下さい。  あやべの街

大変遅れての発表ですが、小生多忙で気がついたら9月になっていました。綾部市の「広報あやべ第670号のねっと8月号」は1.綾部の”1番”の中間報告が掲載されました。又2.「綾部特別市民1,200人を突破」3.「山崎善也綾部市長の善聞語録も第18回」として三遊間のゴロ!4.あやべの材を探るは「多士歳々第74回でNPO法人於与岐みせん」5.少年少女消防クラブ発足「活動服に防火を誓う」6.「水無月祭り、盛大に」が掲載されております。綾部市民にとって嬉しいことばかりの記事であり、之を全国ネットでお知らせしたく、ここにて掲載報告致します。

1.表紙は男子シンクロチーム「インデイゴ・ブルー」7月24日大島町の市民プール(京都府北部では唯一の50メートルプールが誇りです。)で公演。明るく楽しい演技で150人の観客を魅了しました。の記事入り。
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2.速報中間報告・こんなにあった綾部の”1番”
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3.おかげさまで好評です。あやべ特別市民ー会員数1,200人を突破ー
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4.山崎善也綾部市長の「善聞語録」18回は「三遊間のゴロ」
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5.あやべの材を探る・多士済々第74回は「NPO法人於与岐みせん」
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6.少年少女消防クラブ発足「活動服に防火を誓う」
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7.あやべトッピックスでは「一流アスリートが綾部で教室」、「水無月祭り、盛大に」、「物部橋が開通」
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8.「水無月まつり」綾部市で最大のまつりで夏の風物詩!写真は7月30日の「あやべ良さ来い」踊りですが、小生不在で前夜祭の7月29日駅前通りの「夏だ!駅前横町」でのあやべ良さ来い踊りを動画で見て下さい。下記をクリックするとU−tubeの画面が出てきます。U−tubeの画面の右下にある拡大画面をクリックすると大画面で見れます!
http://youtu.be/F1hoOhuq-5I

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2011/9/6

西舞鶴の史蹟・文化財を訪ねて!その2.細川幽斎の田辺城籠城を支援した桂林寺。  文化財研修記

京都府舞鶴市西舞鶴地区には細川藤孝(幽斎)が籠城して、「古今伝授」で有名になった田辺城があります。今回はその籠城を支援した丹後有数の歴史を誇る曹洞宗天香山・桂林寺(けいりんじ)を紹介します。この寺は6世紀欽明天皇の勅願によって創建された薬師寺に始まると伝えられ、応永8年(1401)洞光寺4世笠翁雄仙(ちくおうゆうせん)和尚により洞林寺(曹洞宗)として再建した。その後、宝徳元年(1449)領主坂根綱光(桂林院殿)が没し、孫の綱寛が開基となって祖父の菩提寺として、桂林寺と改めたとも、細川成之が父・持常(桂林院傑峰宗俊大居士)の追善ために田畑を寄進して、桂林寺と改号したとも言う。坂根氏の子・常永が細川藤孝・忠興に仕え、細川藤孝が田辺城籠城の際は桂林寺の大渓和尚が入城支援した。藤孝は戦後、大渓に30石寺領を安堵し、「長亨二年(1488)」銘の梵鐘(舞鶴市指定文化財)を寄進した。江戸時代は境内1700坪(5610u)、末寺34ヶ寺に及び、曹洞宗の中心寺院で、方丈以下七堂伽藍が完備していた。総門からは市内が一望できる。

1.表門・山門(仁王門)を見る。後ろの山が愛宕神社を祀る愛宕山(標高231メートル)
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2.桂林寺の駒札
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3.見事な山門(仁王門)入母屋作・三間一戸二重門。享保2年(1717)建立。舞鶴市で最大の門。
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4.山門(仁王門)の木造仁王「阿形」立像(身長3メートル以上)
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5.下層が通路となっている竜宮門形式の昭和10年(1935)再建の「鐘楼堂」堂内の梵鐘は室町時代のもので舞鶴市の指定文化財です。
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6.鐘楼堂から本堂を見る。
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7.竜宮門形式の鐘楼堂と本堂を見る。
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8.この石燈籠は鎌倉時代後期の作品で国の重要美術品に認定されています。
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9.鐘楼堂と西鶴鶴の市街を見る。
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10.巨大な石造りの天香観音「この准胝観世音菩薩(じゅんていかんぜおんぼさつ)は六本の御手をお持ちになり、1本1本に功徳をおそなえになっておられます。
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11.丸で山の中腹のお城みたいな桂林寺を振り返ってみます。(当時は城を護る出城の役割もあった諭旨です。)
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2011/9/5

西舞鶴の史蹟・文化財を訪ねて!その1.細川幽斎と谷の空鉄砲で有名な田辺城址  文化財研修記

京都府舞鶴市のJR西舞鶴駅から出て表口より出て右側へ徒歩5分で舞鶴藩(田辺藩)の史蹟・田辺城址があり、現在は舞鶴公園となっている。丹後(たんご)国は室町時代には丹後守護一色(いっしき)氏やその一族が勢力をもち、戦国時代には東の若狭守護武田氏や丹波守護細川氏らと抗争し、又、内紛により次第に勢力を失っていった。天正7年(1579)織田信長は細川藤孝(幽斎)・忠興(三斎)父子と明智光秀に丹後平定を命じ、翌年丹後を細川親子に与えた。丹後に入府した細川氏は、忠興の居城として宮津城を、藤孝の隠居所として田辺城を築いた。田辺城の築城は宮津城と並行して進められ、天正11年(1583)頃にはほぼ完成していたと言われるが正確な時期については諸説がある。城は三重の堀で囲まれ、北から三の丸、二の丸、本丸と並び、東西南北にそれぞれ門があり、西門が大手門となっていた。現在大手門のみは再建されているので後ほど紹介します。東の東舞鶴へ向かう白鳥峠から見ると鶴が舞っている姿に見えたので舞鶴城と呼ばれ、明治2年(1869)これが町名となった。慶長5年(1600)関ヶ原の戦いでは、細川藤孝・忠興父子は東軍に属し、藤孝は宮津・久美浜・峰山の諸城を焼き手勢500名と田辺城に移り、留守を守った。しかし、7月20日西軍に応じ福知山藩主の小野木氏の主導権で、この辺の大名は、ほとんど西軍につき、東軍方の細川忠興の父・細川幽斎の守る舞鶴の田辺城を攻めるのですが、細川忠興は、徳川家康について関東の小山まで上杉征伐に行き、その後引き返して関ヶ原で東西軍がぶつかり西軍は負けるわけです。西軍方で舞鶴を攻めた総大将の小野木氏は、戦後切腹、家は断絶、藤掛氏は一万三千石から六千石に減封され綾部の上林へ入ります。山家藩谷衛友(たにもりとも)已む無く小野木に従っていたが、有名な「谷の空鉄砲」の通りで、裏で繋がっていたのでしょう。山家1万6千石はそのままもらっています。この1万5千名の包囲網で落城寸前、「古今相伝」「源氏物語抄」などの伝授、後陽成天皇による要請により囲みを解いた。
 細川忠興の妻ガラシャ、名は玉子(玉とも)。明智光秀の二女(または三女)で、非常に美しい女性であったと伝えられる。天正六(1578)年に織田信長の媒酌により忠興と結婚するが、同十年に父光秀が本能寺の変を引き起こし、細川氏はその加担要請を断ったため、忠興から丹後味土野(三戸野とも・現京都府竹野郡弥栄町)に幽閉された。同十二年に復縁して丹後から大坂玉造の新邸に移り、のちキリスト教に帰依。同十五年、公卿清原頼賢の娘で彼女の侍女として仕えていた清原マリアの手によって洗礼を受け、ガラシャと称した女性である。写真は大阪市中央区の聖マリア大聖堂にあるガラシャの像で、この左手にはキリシタン大名で有名な高山右近像も建てられている
 関ヶ原の戦い後、細川氏はその軍功により、39万9千石の大々名となり豊前中津城へ移り、田辺城には京極高知が入国、その後、寛文8年(1668)牧野親成(まきのちかしげ)が3万5千石で入府封、明治維新まで牧野氏が藩主であった。

1.平成4年(1992)に再建された、舞鶴城大手門
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2.再建の大手門の説明版
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3.現在は舞鶴公園となっており、その全図
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4.舞津市指定史蹟の田辺城の駒札
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5.大手門の内側には「田辺城資料館」がある。月曜日は休館。
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6.城内は舞鶴公園 (1)
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7.城内本丸の井戸跡
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8.残っている土塁跡
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9.土塁跡から見た舞鶴公園内の超モダンな喫茶店です。
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10.城内に残る土居跡
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11.心種園(1)
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12.心種園(2)晩秋に見事な紅葉が見れます。
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13.心種園(3)
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14.心種園(4)
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15.細川藤孝(幽斎)についての駒札
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16.古今伝授の駒札
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17.心種園内にある「古今伝授」の碑
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18.細川幽斎の子孫の17代細川護貞筆の歌碑、現存する長男の18代護熙は平成5年(1993)に首相に就任。翌年電撃的に退任す。
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細川忠興の有名な妻・ガラシャについては下記をクリックして見て下さい。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/846.html

http://shizuka0329.blog98.fc2.com/blog-category-23.html

谷の空鉄砲で有名な山家藩初代藩主谷衛友(たにもりとも)については下記をクリックして見て下さい。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1054.html
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1056.html
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1059.html

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2011/9/3

伊香保温泉石段街を散策、伊香保神社、ラドン発見の碑  文化財研修記

・お盆で帰省した娘と孫2人を送り、前橋市までやってきた(史跡・実正街道石柱)
・群馬県庁32階展望ホールから雄大な関東平野と上毛三山を展望
・明治17年創業の「そば処 結城屋本店」で夜食
雨の中ぐんまフラワーパークを散策 ・ 観賞温室エリア ・ バラ園
・林牧場福豚の里とんとん広場で昼食、上州物産館で水沢うどん(日本三大うどん)を買う

昨夜は娘のアパートで世話になり一泊したが、今日の宿泊は古久家を予約してある。
車で送ってもらい伊香保温泉にやって来た。途中で一度街道から横道を上がったが判らず引き返し、石段街の下に到着してそこの駐車場に停める

伊香保温泉:50段増えて365段になった石段街が温泉のシンボル。石段街を中心に温泉街が広がる。鉄分豊富な茶褐色の黄金の湯、メタケイ酸を多く含む無職透明な白銀の湯の2種類の湯が楽しめる。

約1300年前の万葉集にも登場する歴史ある温泉地。戦国時代に武田兵士のための療養場所として温泉街が形成された。明治以降は、多くの文人が通ったことでも知られる。

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広い石段街の最下部、中央を温泉水が流れている
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温泉のためか花壇の花がきれいに咲いている
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中央を流れる温泉水の一番下は足湯になっている様子。雨で入っている人はいない
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上へ高く続く石段を上がっていく
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伊香保温泉案内図を見つけ、現在地の表示から古久家をみつける

車で石段を横切り一周して元の街道にもどり細い坂道を登る。一つ下の旅館でもう一段上だと教えてもらい古久家に辿りついた。ロビーで子供たちにもお茶を出してもらい休憩、娘たちはアパートに帰っていった
入館の時間になり4階の明かりの間に案内された。家内は休むというので一人杖を持って散策に出る

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近道をして先程の石段街の少し上に出た。行き交う人で賑わっている
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道端に足湯が設けられていた「辰の湯」とある。大勢入っている
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石段街は食べ物屋、土産店が並んでいる
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射的場があった。人が並び混んでいる「大阪屋」
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上州伊香保温泉場全景の古い絵図がある
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さらに石の鳥居をくぐって石段がつづく
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伊香保神社は参拝者で賑わっている
長〜い石段を頂上まで上り良縁に恵まれるようお参りを 伊香保名物として知られる365段の石段の頂上にある神社。富岡の一之宮貫前神社、赤城山の赤城神社と並ぶ上野国三之宮の一つ。温泉や医療はもとより、子宝や縁結びにご利益があるといわれる神社
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伊香保神社略記
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三峯神社 上部に御眷属10体の神。社名が板に書いてある
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注連縄の巻かれた石灯篭
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伊香保町指定史跡 この灯籠は、明治15年、県下新田郡・・ 
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明治天皇第六皇女 昌子内親王殿下 御手植えの松2株 明治22年7月
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石段街のおいたち 古来、伊香保には、湯元源泉地付近に湯屋が一軒ありましたが・・・
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関東ふれあいのみち 榛名から水沢へのみち コース略図
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ヤセオネ峠バス停 4.7Km 東武バス発着所、群馬バス発着所
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関東ふれあいの道、遊歩道が延びている
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県立伊香保森林公園 見晴展望台 の案内があるが雨なので引き返した
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伊香保神社の裏手を少し降りると谷河沿いの車道に出た。車道は上り坂になり川上へ延びている
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対岸の温泉宿にわたる赤い太鼓橋がある
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伊香保温泉飲泉所
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万葉歌碑が立っている
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説明 上毛野 伊香保の沼に 植え子水葱 かく恋むとや 種求めけん
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伊香保温泉 露天風呂建屋
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ご利用案内
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伊香保温泉湯元出湯口
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温泉の湧き出しが見える
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ラドン発見の碑
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建碑について 明治42年夏、帝大の・・・


2011/9/3

高崎白衣大観音を拝観  文化財研修記

・お盆で帰省した娘と孫2人を送り、前橋市までやってきた(史跡・実正街道石柱)
・群馬県庁32階展望ホールから雄大な関東平野と上毛三山を展望
・明治17年創業の「そば処 結城屋本店」で夜食
雨の中、群馬フラワーパークを散策 ・ 観賞温室エリア ・ バラ園
・林牧場福豚の里とんとん広場で昼食、上州物産館で水沢うどん(日本三大うどん)を買う
・伊香保温泉石段街散策(伊香保神社、湯元ラドン発見の碑)

伊香保温泉の古久家で朝食をとるが昨日からの雨がまだ続いている。ロープウェイ登山など諦めバスでJR渋川駅に出る。渋川から高崎まで電車、私も登山杖を使っていたのですぐにシルバー席の若者が席を譲ってくれて座れた。

高崎駅につくと観光案内所に行く。県立近代美術館でピカソの「ゲルニカ」タピスリ大公開(世界に3点だけの名品)を見たかったが、月曜日休館でダメ。駅近くの高崎市美術館、タワー美術館もダメだった。
案内所の勧めで「高崎白衣大観音」を拝観に行った。

雨も上がった様子で荷物を駅のコイン・ロッカーに預ける。駅前の指定バスターミナルで待つとバスがきた。予定より30分早いので聞くと遠回り路線だという。随分遠くまで行き引き返したりで染料植物園など通りやっと観音山白衣大観音前に着いた。

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高崎の実業家・井上保三郎氏が昭和11年に、社会の平和を祈願して建立した観音様。観音山頂上にそびえる観音像は高さが41.8mあり、鉄筋コンクリート製としては日本一の大きさを誇るとか。胎内は9階になっていて、仏像20体や最上階には展望台がある。展望台からは市街が一望
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高野山別格本山 滋眼院千体観音堂
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白衣観音前のお堂
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41.8mの白衣観音を下から見上げる。登録有形文化財
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300円を払い胎内仏を拝観、仏像の一般的イメージを覚えるため写真を撮った。閻魔大王像
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妙見菩薩像
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文殊菩薩像?
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大日如来像
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普賢菩薩像
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虚空蔵菩薩像
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地蔵菩薩像
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鬼子母神像
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阿弥陀如来像
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摩利支天像
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不動明王像
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愛染明王像
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三宝荒神像
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弘法太子像
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聖徳太子像
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馬頭観音像
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白衣観音像
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釈迦如来像
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白衣観音胎内からの眺望1
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白衣観音胎内からの眺望2
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白衣観音胎内からの眺望3
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白衣観音胎内の昇降階段9階まで
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縁結び光音堂の御本尊聖観世音菩薩像 本尊聖観音は別名「一願観音」とも云い、心願をひとつだけ叶えてくださいます。とくに縁結びに御利益があります・・・ 
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観音山エリア・マップ
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下り坂から上を見上げると観音様が見送っていた
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観音山参道商店街を歩いて下り観光センター前の茶店で一服。涼しいカキ氷を食べる。山菜うどんも食べ、熱かったり冷たかったり。上州路は国定忠治など渡世人の世界
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参道商店街の陳列
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観音山観光センター
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観光センター2Fに貼られていた白衣大観音建立の記録、昭和9〜11年。白衣観音胎内所収の写し
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ぐるりんバス200円 観光案内所で反対路線に乗らないように注意を受けて乗車。JR高崎駅にすんなり到着した。

帰りは時間不定なので自由席特急券しか持たず、東京行きの新幹線に乗り込む。超満員で2階建ての列車。とりあえず乗りこんだ座席指定列車のデッキに空間を見つけ家内に荷物を預け自由席車両を探す。ピンクのストライブの入った新潟新幹線「ときMAX」という車両だった。

途中で車掌に出会い尋ねると、超混雑で自由席車両は100人以上の立ち人で満員、今のところに居た方がと云ってくれた。2階建て車両の階段に腰かけて過した。2人とも杖をついているので苦情も聞かず楽をした。

東京駅、京都駅は始発駅なので、自由席車両乗り場の先頭に並び座って綾部まで帰れた。


2011/9/1

国重文の本殿を持つ式内社明神大社・丹波国一之宮・出雲大神宮を紹介その2.(終)  文化財研修記

京都府亀岡市千歳町には「元出雲」の通称がある出雲大神宮がある。背後に「千年山」という神体山があることから「千年宮」とも呼ばれる。いわゆる出雲大社は明治時代に至るまで杵築大社を称していたため、江戸時代末までは、出雲神社と言えば現在の出雲大神宮を指していた。
吉田兼好が徒然草の第236段で記した「丹波に出雲と云ふ処あり」の「出雲」とはこの神社のことである。地元でも混同されがちだが亀岡市下矢田町にある出雲大社教の出雲大社京都分院や島根県の出雲大社とは別法人の神社である。ただ、出雲大社との関係は深かったようで、境内に建つ「国幣中社出雲神社」の社名標は出雲大社の元・宮司で出雲大社教の創始者であり、唱歌「一月一日」の作詞者でもある千家尊福の筆による。元々は古神道で御陰山を神体として祭祀を行っていた。神社創建の年代は不詳であるが、社伝では和銅2年(709年)10月21日に社殿を建立したとある。古事記・日本書紀には国譲りの神事が記載されるが、丹波国は出雲・大和の両勢力の接点にあり、国譲りの所由によって祀られた。国史の初見は『日本紀略』の弘仁8年(818年)12月16日条「丹波国桑田郡出雲社、名神に預る」という記述であり、この時代にはすでに有力な神社になっていたことがわかる。
 延喜式神名帳では名神大社に列している。正応5年(1292年)には神階が最高位の正一位まで昇った。明治4年(1871年)5月14日には国幣中社に列せられた。戦後の神道国家管理を脱したあとに出雲大神宮と改称した。
 現在は大国主命と三穂津姫尊(みほつひめのみこと)を主祭神とし、天津彦根命・天夷鳥命を配祀するとしている。大国主命は別名 三穂津彦大神・御蔭大神としている。三穂津姫尊は高産霊尊の子で、大国主の国譲りの際に大国主の后となったと伝えている。
当社の祭神については、天津彦根命・天夷鳥命・三穂津姫命の三柱とする説や、元々は三穂津姫尊一柱のみであるという説もある。
 大国主命については、出雲国の出雲大社(杵築大社)から勧請したとされるが、逆に出雲大社の方が当社より勧請を受けたとする説もあり、「元出雲」との通称がある。当社の由緒書きには、『丹波国風土記』に「元明天皇和銅年中、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す」との記述がある。
 現在の社殿は、足利尊氏によって貞和元年(1345年)に改修されたものと伝え、国の重要文化財に指定されている。かつては36社の摂末社を有していたが、兵火により失われ、現在は上の社、黒太夫社、笑殿社、春日社、稲荷社、崇神天皇社の6社がある。
「徒然草の世界」
 鎌倉末期、或は室町初期に、兼好法師により著された『徒然草』の236段には、出雲大神宮の事が記載されています。丹波に出雲といふ所あり。=略=

1.桧皮葺の見事な出雲大神宮拝殿
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2.拝殿横の天皇皇后両陛下の奉納を明示する!
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3.拝殿から舞殿を見る
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4.吉田兼好法師の「徒然草」案内駒札
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5.境内案内板
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6.木々の中から舞殿、拝殿、後ろの本殿を見る
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7.朱色の国重文の本殿を見る
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8.崇神天皇社
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9.上ノ社御祭神は素戔鳴尊(すさのおのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
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10.稲荷社(宇迦之御魂神を祀る)
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11.春日社
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12.磐座(いわくら)
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13.御神体の千年山(御影山)を振り返る
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