2011/6/13

当麻寺・石上神宮・天理参考館を訪ねて02 中の坊庭園、精進料理  文化財研修記

当麻寺本堂、金堂、講堂で当麻曼荼羅厨子を初め沢山の仏像などを拝観、三重塔などを見学の後、当麻寺中之坊(高野山真言宗別格本山)に入った

クリックすると元のサイズで表示します
当麻寺中ノ坊に入る一行
クリックすると元のサイズで表示します
当麻寺中ノ坊本堂に向う
クリックすると元のサイズで表示します
 本堂(中将姫剃髪堂、桃山時代)は中将姫を手引きした「導き観音」として十一面観音をご本尊としている。「法如」の尼僧名を授かり安産、健康、厄除の祈願が多い。
クリックすると元のサイズで表示します
大和三名園「香藕園」(名勝・史蹟・桃山時代):中之坊庭園は古くから大和三名園(吉野山の竹林院、大和郡山市の慈光院)と賞される池泉回遊式兼観賞式庭園。鎌倉時代に起源をもち桃山時代に完成。さらに江戸初期に後西天皇(第百十一代)を迎えるため片桐石集州によって改修された。極端に低い土塀で二段構えとし、国宝の三重の東塔が借景として映え、心字池にその影を落とす。その歴史の重みと四季を通じた景観の美しさから昭和九年に史蹟と名勝の所存指定を受ける大和屈指の庭園です。
クリックすると元のサイズで表示します
書院・茶室(重要文化財、桃山時代―江戸初期)
 後西天皇をお迎えした中之坊書院は、杮葺きの情緒豊かな建築で「御幸の間」、「鷺の間」、「鶴の間」などからなる。張壁、襖絵は、江戸初期の大家・曽我二直庵の筆になる楼閣、山水、花鳥の名画である。
その他霊宝舘:千三百年の歴史を有する中之坊には、伝わる宝物も数多くあり、順次公開展示されます。中将姫誓いの石、中将姫髪塚、役の行者加持水の井戸、茶筅塚等がある。
クリックすると元のサイズで表示します
中之坊庭園を巡る
クリックすると元のサイズで表示します
中之坊庭園を巡る
クリックすると元のサイズで表示します
中之坊庭園を巡る
クリックすると元のサイズで表示します
中之坊庭園を巡る
クリックすると元のサイズで表示します
庭園の花を撮る
クリックすると元のサイズで表示します
庭園の花を撮る
クリックすると元のサイズで表示します
庭園の花を撮る
クリックすると元のサイズで表示します
庭園の花を撮る
クリックすると元のサイズで表示します
印状や写経など頼む会員も多い
クリックすると元のサイズで表示します
中之坊での昼食風景 80名が一室で
クリックすると元のサイズで表示します
中之坊での昼食風景
クリックすると元のサイズで表示します
中之坊で食べた精進料理


2011/6/13

当麻寺・石上神宮・天理参考館を訪ねて01 当麻寺  文化財研修記

今日の綾部の文化財を守る会の研修旅行は、昨年92名の参加で行った飛鳥寺甘樫丘万葉展望台石舞台古墳岡寺橿原考古学研究所附属博物館の研修に引き続き、奈良県の当麻寺・石上神社・天理大学付属天理参考館に参加者80名で行われた。
秋(11月)の研修と異なり、春(6月)は日が長いので遠出が出来る。

観光バス2台を連ねて当麻寺に到着したが、駐車場は主要道路の向こう側で右折では入れず、かなりの距離を行き過ぎて転回可能場所に入り逆戻りしてやっと指定駐車場に収まった。現地のガイドさんが2名待っておられ号車毎に案内していただく。

クリックすると元のサイズで表示します
バス駐車場の横手すぐに相撲の始祖として知られている當麻蹴速(タイマノケハヤ)塚と相撲館を見学。
「日本書紀」によると垂仁天皇の時代に自分の強力を自慢していた當麻蹴速と出雲の野見宿禰(ノミノスクネ)とを天皇が力比べさせた。これが日本初の天覧相撲となり、蹴速は脇骨を蹴り折られて死んでしまう。
クリックすると元のサイズで表示します
歴史ガイドさんから解説を聞く一同
クリックすると元のサイズで表示します
相撲館入り口の當麻蹴速の塑像
クリックすると元のサイズで表示します
当麻寺まで長い登り参道を10分間歩く
クリックすると元のサイズで表示します
当麻寺(真言・浄土両宗)
 大和盆地の西端・大阪府に接する二上山の東麓の奈良県葛城市当麻にある当麻寺は紀元612年聖徳太子の教えによって異母弟である麻呂子親王が河内に万法蔵院を建立した。その後、親王の夢に従って、681年、当麻国見(麻呂子親王の孫)が役の行者開山のこの地へ移したのが当麻寺です。麻呂子親王伝説は大江山の鬼退治から綾部の「志賀の七不思議」、大江町の元伊勢神宮内宮の「麻呂子親王お手植の杉」等と綾部や福知山、宮津にも多くの伝説があります。
クリックすると元のサイズで表示します
藤原不比等の曾孫(藤原豊成娘)の中将姫が16歳の時に継母に命を狙われ現世の浄土を求め、この寺の住職に認められ尼僧となった姫は、極楽浄土の光景を、蓮糸で一夜にして織り上げられたと伝えられている。これが当麻曼荼羅(国宝)で本尊となったという
クリックすると元のサイズで表示します
当麻寺構内案内図
クリックすると元のサイズで表示します
梵鐘(国宝、白鳳時代で日本最古のもの)
クリックすると元のサイズで表示します
国宝の本堂(中には国宝の当麻曼荼羅厨子等がある)
国宝・本堂(曼荼羅堂)
 内陣は天平時代、外陣は藤原時代で元は先手堂と呼ばれる小さな御堂であったが、曼荼羅信仰の高まりと共に大きくなり現在は当麻寺の本堂です。中には次の文化財があります。
当麻寺曼荼羅(重文、室町時代)、厨子=国宝(天平時代)、須弥壇・国宝(源頼朝の寄贈とされる)、十一面観音菩薩像(重文、弘仁時代)、中将姫29才像(伝御自作)、来迎弥陀(伝恵心僧都作)、弘法大師参篭の間(弘仁時代、810〜24)に真言密教を伝えられた弘法大師が21日間参籠された間。
クリックすると元のサイズで表示します
国宝の当麻曼荼羅厨子を見ながら説明を聞く会員

続いて向かい合う、重文・金堂(鎌倉時代)
 曼荼羅堂が本堂となる以前の当麻寺の御堂。その為、この金堂を中心に講堂や東西両塔が並んでいます。現在の建物は鎌倉時代の再建です。
四天王像(重文、白鳳時代及び鎌倉時代、寺伝によれば百済より献納されたされ、異国的雰囲気の日本最古の乾漆像)、弥勒菩薩像(国宝、粘土造りの塑像)、不動明王像(藤原時代、本尊の御前立として安置され、カルラ炎と呼ばれる光背が見事です)、役の行者・前鬼・後鬼像(室町時代)を見学、

重文・講堂(鎌倉時代)金堂と同じ鎌倉時代の再建。
阿弥陀如来坐像(重文、藤原時代、講堂のご本尊、寄世木造り、京都定朝風)、妙幢菩薩坐像(重文、地蔵菩薩の古名で全国的に珍しい木造りです)
クリックすると元のサイズで表示します
広い構内に立つ仏閣を撮る
クリックすると元のサイズで表示します
石燈籠(重文、白鳳時代、日本最古のもの)
クリックすると元のサイズで表示します
広い構内に立つ仏閣を撮る
クリックすると元のサイズで表示します
見事な国宝の三重塔(西塔、最近奈良県立樫原考古学研究所の発掘で680年白鳳時代のものと判明した):東西の三重塔(白鳳時代の国宝で東西の塔があるのはこの当麻寺のみです)


2011/6/3

6月3日(金)大本信徒連合会のお田植式が催行された!  綾部の文化財

綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」上野町五反田にて大本信徒連合会のお田植式が午前8時から催行された。このお田植式の神事は熊野新宮神社の出口考樹宮司様と二人の禰宜の三名の祭員にて催され、出口直子様の祝詞もあり、最後に故出口栄二先生(当会、綾部の文化財を守る会の初代会長)の奥様・出口直美様が田に稲苗を植えられました。今回は遅れ途中からの撮影ですので、来年はもっと良い内容で掲載する予定です。

1.玉串奉上 その1.
クリックすると元のサイズで表示します

2.玉串奉上 その2.
クリックすると元のサイズで表示します

3.玉串奉上 その3.
クリックすると元のサイズで表示します

4.玉串奉上 その4.
クリックすると元のサイズで表示します

5.出口直子様の玉串奉上
クリックすると元のサイズで表示します

6.出口直子様の祝詞奉上
クリックすると元のサイズで表示します

7.同上 その2.
クリックすると元のサイズで表示します

8.同上 その3.
クリックすると元のサイズで表示します

9.祭員3名による神事 その1.
クリックすると元のサイズで表示します

10.同上 その2.
クリックすると元のサイズで表示します

11.同上 その3.
クリックすると元のサイズで表示します

12.退出される出口考樹宮司様達祭員3名
クリックすると元のサイズで表示します

13.稲苗を植えられる出口直美様
クリックすると元のサイズで表示します

熊野新宮神社の詳細は下記をクリックして見て下さい。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/899.html

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2011/6/3

当麻寺・石上神宮・天理大付属天理参考館を訪ねて終了しました  文化財研修記

梅雨の中休みの天候に助けられ6月2日(木)観光バス2台を使い奈良県の当麻寺・石上神宮・天理大学付属天理参考館を研修してきた。参加人数70名
写真をクリック拡大してご覧ください

クリックすると元のサイズで表示します
当麻寺 国宝:本堂(曼荼羅堂)(中)・金堂(左)・講堂(右)にて 1号車:35名
クリックすると元のサイズで表示します
当麻寺 国宝:本堂(曼荼羅堂)前にて 2号車:35名
クリックすると元のサイズで表示します
石上神宮 重文:楼門をバックに 2号車:35名
クリックすると元のサイズで表示します
石上神宮 重文:楼門をバックに 1号車:35名

撮影記>私には、やはり記念写真撮影は難しい!
入梅後何故か猛烈に足腰が痛む。夜間キリキリと痛くて寝られず、辛抱できない状態で何とか朝を迎える。
29日(日)大原神社のお田植え祭の取材に台風接近の中を出かけ、帰ってすぐにブログに編集、翌30日(月)は市ふれあいセンターに中筋地区公民館長:四方晴向氏を訪ね、「中筋ふれあい歴史ウォーク」の第2稿を校正していただいた。
ふれあいセンターに行くと消防団の人々が出入りし、玄関口に長靴がずらりと脱いで並んでいる。聞くと由良川の警戒水位の見張り中だという。

足が余りにも痛むので、早く校正が終わったのを幸いに福知山温泉で暖めようと車を向けた。気がつくと福知山市から綾部市入り口にかけて府道がぎっしり渋滞している。由良川に向う脇道には消防団員が2人づつ立ち、あるいは進入禁止のガードを置いて警戒中だった。
府道の向かいの広域農道(由良川堤防下)は全く車が走っていない。

福知山市に入り舞鶴高速自動車道の下を走る頃には、こちらの車線も渋滞し始めた。これでは行きも帰りも出来ない「蛸壺」に嵌ったようなものだと思いながら、ようやく福知山温泉に辿りつき入浴した。足を暖めると不思議と痛みが取れた。

綾部への帰りはまだかなり渋滞が残っていたので、高津八幡宮に寄り道をした。台風の風雨が吹き荒れたあとのせいか車道は小枝や葉、小石が随分散らばり濡れていて、先日の歴史ウォークに登った道とは異なっていた。無人の高津八幡宮境内に車を置き、表参道の石段までも水浸しの泥んこ状態。八幡山城跡までの道も草が茂りかなり道がえぐられていた。
先日見過ごした展望所の状態、城郭・曲輪・堀切り配置図の状態など見て下山。

帰宅後、当ブログの最終校正を行った。夜になってまた足が痛み出し熱めの風呂に入浴、就寝。朝方も余りにも痛むので、綾部市立病院の整形外科へ行き診察を受けた。本来は水曜日に痛み止め点滴を受けるのだが、奈良への研修旅行の最終打ち合わせがあり、少々の遅刻では間に合わないと思い前日に診察を受けた。

先生の触診と、レントゲン検査の結果、やはり脊柱管狭窄症が原因で脊柱が7ミリほど動いているとのこと。何時もの痛み止め点滴のあと、痛み止めの飲み薬を貰って帰った。

研修旅行前日の10時から最後の実行役員会があり、参加者名・人数の確認と当日の分担、日程の確認が行われた。写真撮影の具体的な場所などについても、昨年下調査に行かれた四方續夫事務局長から説明をもらい、当麻寺については構内社屋配置図、石上神宮については図を描いてもらっての説明を受けた。

どちらも撮影ポイントから実際に撮られた写真がなかったので、今後の問題として、撮影ポイントからの実写真提供を留意して欲しい。(当麻寺:講堂・金堂・曼荼羅堂の写り具合、石上神宮:楼門の写り具合)

特に石上神宮について他の場所での撮影は、構内が狭く無理でここが唯一の記念写真撮影場所である由、側面遠方から楼門をバックにするので、写真に入るのかと確認すると、参道に少し突出ている状態で大丈夫との返事であった。

家に帰り、インターネットで石上神宮の構内社屋配置図を見つけコピー、奈良の山の辺の道に通じる狭い参道の一番下の石段に並んでの写真撮影であるが、石段が「ハ」の字に開いているので、バックにする楼門撮影には不利だと判明(下図参照)。石段に斜めに並んで貰うと当然、右と左に高低差が出来る。カメラを傾けて撮影もありか??、どうなるのかと心配、悩みながらの撮影行となった。

さっぱり痛みが退かない状態で過ぎ、記念写真担当に代わって貰える人もおられないので、研修旅行当日になり、先生に勧められたコルセットをして、足にもサポーターを巻いて参加した。バスの車中の椅子席でも痛く、また痛みを堪えながら重い三脚や大型カメラを抱えて当麻寺などに歩き、記念写真撮影後もそれらを持って廻り、小型カメラでブログ(綾部の文化財日誌)用のスナップ写真撮影に励んだ。かなり酷い足の痛みを我慢しながらの一日だった。

今朝10時に市内の写真店で四方續夫事務局長と落ち合い、このブログの記念写真を見せて必要枚数の写真注文を完了した。

反省
今回の写真撮影で初めて、ストロボの点灯忘れ、三脚撮影の禁止、逆光・・・のトラブルを生ぜずに撮影できたと思いながら帰宅した。
ところが、当麻寺の撮影で昨年下見されたメンバーから推薦された撮影地点は、講堂と金堂の間の石段を利用して整列。国宝の有名な曼荼羅堂が遠く、左右上部が両建物に挟まれ威圧される感じがあった。(1号車写真参照)

たまたま2号車の撮影が現地ガイドさんの説明が長引き、随分間が空いたので、もう一つ上にある石段で撮ると、国宝:曼荼羅堂が大きく撮れるので、急遽撮影位置を変更した。(2号車写真参照)すると社殿は大きくなったが、参列者の方が小さくなってしまった。
もう数歩被写体の参列者に近づいた位置に三脚を据えるべきだったと、帰ってからPCモニターで見て気がつく有様。まだまだ未熟者!。「こうすればこうなる」と云うことが判っていないのだ!

クリックすると元のサイズで表示します
追記
私の写真撮影について何時もアドバイスを頂いている、ふじもと様に当麻寺での曼荼羅堂・人物列・カメラ位置との相対関係について、ご指導をいただいた。
>どれくらい近づけるかはレンズの広角のもんだいだと思いますけど・・・でも、余りきつい広角は建物の柱などが斜めになりますし、人物が小さいと云っても充分誰か判れば、それでいいんじゃないでしょうか? との慰めであった。

ところが石上神宮の斜めに開いた石段について、私から何も説明していないのに写真を見られ鋭いご指摘があった。
>それより、もう1件の方・・・カメラが片方に寄って、斜めに撮っておられますが、場所がなかったのかなぁ〜、やはり斜めになると手前と奥との全てにピントが要るので、焦点深度の深さが必要になってしまうので、絞りを甘くできません。光が足りないときなどは辛いです。それと広角のきついときは手前の人と奥の人との間にひずみも出ると思います。
やはり、横に長い集団写真の原則は、カメラを中心にした弧の上に並んでもらうのがベターなんでしょうが、そうはいかないので、横一線に並んでいただいて、撮る方がレンズで調整しなければ仕方がないんじゃないでしょうか?

撮影技術の的確なご指導にいつも感謝している次第である。

撮影は絞り優先でカメラの焦点深度を上げて行い、三脚は付属のレベルで左右の水平を出した。当日も参拝者がかなり多数で、その通行を止めての三脚撮影。何時通行者や近くの社務所からお叱りの声がかかるかと心配しながら撮影を行った。この参道は両側に建物や高台上に国宝など配置された、山の辺の道の中間にあたる谷間のような場所だった。




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ