2011/6/27

東日本大震災被災地支援チャリテイ大音楽祭が盛大に実施された!  あやべの街

6月26日(日)午後1時30分より綾部市並松町の綾部市民センターにて東日本大震災被災地支援・チャリテイ大音楽祭「一人一人の絆で届け!綾部の心!」が盛大に実施された。主催は綾部市太鼓連合会ながら、後援は京都府・綾部市・綾部市教育委員会・綾部市自治会連合会・綾部市観光協会・綾部市文化協会・京都府中丹文化事業団・綾部商工会議所・京都新聞社・FMいかる・あやべ市民新聞・舞鶴市民新聞・西町アイタウン・京都府太鼓連合会(順不同)であった。募金は日本赤十字社を通じて、届けられます。小生も阪神淡路大震災をJTB甲子園社宅で経験しており、人事では無い思いで応援しています。次に発表者等は順次掲載していきます。尚、最後に「被災地の災害ボランテア活動に一緒に行きましょう!」募集案内を掲載しています。読みにくい場合は、綾部市社会福祉協議会電話:0773−43−2881へお問い合わせ下さい。

1.チャリテ大音楽祭会場の案内板
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2.プログラム
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3.午後1時30分黙祷30秒の後、開演太鼓(山家郷土芸能保存会)
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4.開会宣言  芦田綾部市太鼓連合会々長
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5.ご来賓挨拶 京都府中丹振興局長
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6.ご来賓挨拶 山崎善也綾部市長「阪神淡路大震災で西宮で被災された経験を話された」
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7.ご来賓挨拶 四方源太郎京都府々会議員
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8.山崎善也綾部市長の特別出演・綾部太鼓の大拍子を見事に打たれた!
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9.舞鶴市より特別出演・阪神淡路大震災の被災体験者・山本家の相撲甚句
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10.同上 見事な家族太鼓でした!
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11.合唱(聖マリア幼児音楽院)可愛い幼児の熱演でした!
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12.日本舞踊(菊宣会 その1)
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13.日本舞踊(菊宣会 その2)
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14.日本舞踊(菊宣会 その3)
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15.応援太鼓(位田太鼓保存会)見事な太鼓と熱演でした!
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16.合唱(コーラスすみれ、コーラスわすれな草、サンシャイン・ママの3グループが共演)
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17.舞鶴市からの特別出演のバンド(OGベンチャーズ)の熱演
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18.同上 ドラマーがバチでエレキギターを敲いての妙技でした。写真ボケてご免なさい!
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19.よさこい(響連の皆さんの迫力ある踊り、凄かったです!7月30日(土)の夜、「綾部よさこい」は綾部水無月(みなつき)祭りで夜、6時から京都市内から、京都府各地からのチームが出演して迫力ある踊りを見せてくれます!8時からの花火大会も凄いですよ!是非この日綾部へお越し下さい!
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20.響連のリーダーに引きだされ踊る若さ一杯の四方源太郎京都府々会議員です!
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21.フナーレはご存知の復興太鼓・綾部太鼓保存会の皆さんによる迫力ある太鼓でした!
8月6日(土)午後5時から京都府中丹文化会館で「第14回どんどこ夏まつり」で京都府各地の有名な太鼓チームや可愛い子供の太鼓チームが出演して楽しませてくれます。会費300円高校生以下100円のみ。この日是非綾部へお越し下さい。
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22.募集チラシ「被災地の災害ボランテア活動に一緒に行きましょう!」募集23名詳細
は綾部市社会福祉協議会へ。電話0773−43−2881
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2011/6/22

綾部西国観音霊場第18番札所・護世観音を祭る「心田院」  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」井倉町舘三番地には綾部漢音霊場第18番札所の臨済宗妙心寺派の心田院(正式には心田禅院と呼ぶ)がある。平成23年高屋寺に変わって18番札所となったのです。この心田院の札所詠歌は「ありがたや 道のゆきかい 安かれと 守らせたもう 護世(ごせ)の観音」です。この寺は約500年前に一翁慶順禅師が開山として開創された古刹です。境内には本堂の他に毘沙門堂と隠寮があり、門柱をくぐった正面の台座に護世(ごせ)観音様が奉安されています。心田院の周囲は住宅や田畑に囲まれ、本堂正面には綾部市街のシンボル四尾山(よつおやま、標高287.3メートル)の峰々が聳え、京都府北部の大河・由良川から引かれた農業疎水(綾部疎水)が滔々と流れて、JR綾部駅に近いにもかかわらず静謐な空間が広がっています。この護世観音様は当院十四世北浦義光和尚が交通事故の惨状憂い、交通安全と子供守護を悲願とするお姿を示現するため建立を発願されたものです。二年半に及ぶ托鉢により多くの人々の浄財を頂き、昭和41年秋に開眼供養されました。交通安全を表すためお頭の後部に車輪の光背を戴き、足元には二人の幼児配し慈悲に満ちた気高いお姿を拝むことができます。「護世観音」の御名は昭和の大宗匠・山田無文老師の銘々とご揮毫、製作は京都の五条大橋西詰に牛若丸と弁慶像を残された巨匠・岡本庄三先生の手によるものです。(宝住禅寺住職兼心田院住職・河野義方師による案内文から抜粋。宝住禅寺については最後にクリックすると見れます。)

1.雲耕山・心田院(心田禅院)門柱
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2.門柱より境内を見る。
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3.本堂と前庭
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4.車輪の光背を戴く札所ご本尊「護世観音像」
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5.毘沙門天堂
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6.鎌倉時代作の「毘沙門天像」
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7.本堂の扁額「雲耕山」
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8.心田院から目の前に見える綾部市街のシンボル「四尾山(標高287.3メートル)」
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宝住禅寺は下記をクリックして見て下さい。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/655.html
宝住禅寺のホームページは下記をクリックして見て下さい。
http://www.rakanzan.com/
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2011/6/21

6月19日(日)恒例の水無月祭ドッジボール大会が開催された!  あやべの街

6月19日(日)恒例の綾部水無月祭(みなつきまつり)ドッジボール大会が綾部市上杉体育館で盛大に実施された。特に綾部市の各小学校の児童にとっては重要な大会で5月初旬から各校の児童は夜、体育館で父兄とともに練習を積み重ね、この大会に出場します。大変な熱戦の末、下記掲載の優勝チームには表彰状と優勝カップ、準優勝・三位のチームには表彰状が渡されました。

1.綾部市上杉体育館
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2.小学校低学年、出場16チーム、予選はABCDの4ゾーンの上位2チームが決勝トーナメントに出場、中筋小学校のフアイアードラゴンが2−1で準優勝の綾部小学校の綾小フアイアドラゴンを下して優勝。
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3.小学校高学年女子、出場17チーム、予選はABCDEの5ゾーンで上位2チームが決勝トーナメントに出場、物部小学校の物部ニコニコフアイターズが2−0で準優勝の綾部小学校の綾小チェリーズに勝ち優勝。
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4.小学校高学年男子、出場19チーム、予選はABCDEの5ゾーンで上位2チームが決勝トーナメントに出場、東綾小学校の東綾ボーイズが2−0で準優勝の吉美小学校ジャックスパロウに勝ち優勝。
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5.一般男子7チーム出場、ABの2ゾーンの上位2チーム決勝トーナメント出場、9900ぷにちゃんチームが2−0で準優勝の志賀ドッジ好きもんズに勝ち優勝。一般女子5チーム出場、予選は2チームづつに対戦上位2チームが決勝戦に出場、チームSHAMKYが2−0で準優勝のせんだん美’Zに勝ち優勝。
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6.小学校高学年女子の決勝戦、物部ニコニコフアイターズ対綾小チェリー−ズその1.
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7.同上  その2.
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8.凄い応援の父兄達
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9.表彰式その1.
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10.表彰式優勝から3位までの全チーム代表選手達
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11.優勝の低学年中筋小学校のファイアードラゴンチーム
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12.優勝の高学年女子物部ニコニコフアイターズ代表選手
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13.オレンジ色のハチマキが高学年男子・優勝の東綾ボーイズ
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14.喜びの優勝の一般女子・SHAMKYチーム代表
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15.喜びの一般男子優勝の9900ぷにちゃんチーム代表
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16.優勝カップを持って喜ぶ優勝の一般女子及び男子チーム代表!
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2011/6/20

奥琵琶湖(余呉湖)周辺の文化財を訪ねて!5(最終回)国史跡・小谷城跡と小谷「江のふるさと館」  文化財研修記

NHK大河ドラマ第50作〜姫たちの戦国〜「江(ごう)浅井三姉妹」の関連もあり、国史跡の小谷城址と「江のふるさと館」を訪れた。この小谷城跡は四つの見所がある1.戦国の山城、攻防を語るなら小谷城は全国を代表する。攻めにくく守りやすい城。2.必要以上に整備されていず、「小石ひとつも文化財」の精神が生きている山城。3.琵琶湖が一望でき,眼下に広がるパノラマは、戦国末期から近世に至る歴史の大絵巻を見ている気持ちになる。4.大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」の浅井3姉妹誕生の地。ドラマの原点と云われる舞台が見られる。小谷城を築いた浅井氏は室町時代近江北部の守護京極氏の家臣であったが、浅井亮政(あさいすけまさ)のとき、京極氏の内紛に乗じて台頭して、湖北に覇を唱えようになった。この時期が大永4(1524)年頃といわれ、これを築城年次とする説が有力である。当初は尾根の主要部だけであったが、現在の遺構のように全山に及んだと推定できる。2代久政・3代長政と勢力を拡大し愛知川以北6郡を領有した。永禄4(1561)年長政は岐阜美影寺川の合戦で斉藤氏を破り、織田信長の妹・お市の方を娶り、更に京都二条城の修復に協力するまでになった。しかし、元亀元(1570)年盟友・朝倉義景が信長に攻められたとき、朝倉氏に味方して織田軍を江越国境に挟撃したことから信長との和は破れ、同年6月28日姉川の合戦で浅井・朝倉軍は織田・徳川軍に大敗した。この後、長政は朝倉氏のみならず、湖北一向一揆・比叡山衆徒・武田信玄・六角氏・三好氏らと結び抵抗したが、三年後の天正元(1573)年8月28日織田信長に攻められ落城した。長男万福丸は関ヶ原で磔にされたが、お市の方は3人の娘とともに信長のもとへ送られた。お市の方はのち柴田勝家に再婚し、秀吉に敗れた勝家とともに自刃した。長女・茶々は秀吉の側室となり秀頼を生み、次女・初子は小浜城主・京極高次の室となり、三女・達子(江ごう)は徳川秀忠御台所となり千姫(後、秀頼の室)・家光・忠長・和子(後水尾天皇中宮・明正天皇生母)らを生んだ。浅井氏は滅亡したが、その血脈はわが国近世史に大きな位置を占めた。

1.江のふるさと館バス駐車場。遠方に滋賀県最高峰の伊吹山(標高1377メートル)が見える。
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2.国史跡・小谷城址のある小谷山「最高峰は大嶽(おおずく)標高495メートル」
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3.小谷城に対して秀吉・柴田勝家らが城砦を築いた虎御前山(とらごせんやま、標高218メートル)
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4.小谷城址模型、手前・虎御前山の間に国道365線がある(旧北国街道脇往還)
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5.小谷山登り口(江のふるさと館横)
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6.小谷・江ふるさと館へ
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7.江のふるさと館入口
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8.浅井氏系図を説明する案内人
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9.浅井氏三代とお市の方
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10.野戦の本陣内の大将が座る場
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11.戦場における陣形
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12.槍(最長のものは三軒半約6.3メートルもあった。)
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13.小谷城から琵琶湖方面を見る。竹生島もよく見えた。
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14.小谷城址・本丸跡
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15.小谷山1.
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16.小谷山2.
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17.小谷城址を歩こう!マップ
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2011/6/19

奥琵琶湖(余呉湖)周辺の文化財を訪ねて!4.史蹟・賤ヶ岳合戦場に登る。  文化財研修記

賤ヶ岳(標高421.13メートル)は木之本町と余呉町の境界に位置する。平成3年3月近江鉄道によりリフトが完成し、約15分で山頂近くまで一挙に上がれるようになった。料金は往復で760円です。山頂に立つと、東に小谷山・伊吹山を望み、南に琵琶湖・竹生島、北に余呉湖を脚下に眺めることが出来る景勝の地で、1949(昭和24)年「新雪・賤ヶ岳の大観」として琵琶湖八景の一つに指定されている。賤ヶ岳東麓には越前(福井県)に通じる北国街道が南北に走っており、戦略的にも重要地点であった。天正11(1583)、織田信長の跡目をめぐって柴田勝家と羽柴秀吉の間で賤ヶ岳合戦が展開された。賤ヶ岳の山頂には秀吉方丹羽長秀配下の桑山重晴と羽柴秀長配下の羽田正親砦が置かれ、一部土塁が残っている。天正11年雪解けまもない2月の末、柴田勝家は越前から兵を近江に進め、柳ヶ瀬(余呉町)を中心に布陣した。一時長期戦化の様相をみせていたが、秀吉は織田信孝を攻めるため美濃(岐阜県)に入っている間の4月20日、柴田勝家の甥・佐久間盛政が敵中に攻め入り、中川清秀の守備する大岩山(余呉町)攻略、清秀以下を憤死させたことから、本格的な戦闘となった。清秀の討死、大岩山陥落を聞いた秀吉は大垣から木之本まで13里(約50キロ余)を約5時間で取って返し、臨戦態勢に入った。このとき沿道住民はいっせいに松明を燃やし、ご飯を炊き込み秀吉方のため用意したと云う。翌21日午前9時頃から正午過ぎまで決戦が行なわれ、特に勝家方の柴田勝政が守っていた飯浦の切通しから川並までの余呉湖畔の戦闘は激しく、「賤ヶ岳七本槍」の活躍もこのときのことといわれる。七本槍とは、福島正則・加藤清正・片桐且元・脇坂安治・加藤嘉明・平野長泰・糟屋武則の7人を云う。

1.駐車場からリフトへの登り道
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2.リフト乗場の横が賤ヶ岳(標高421.13メートル)の登山口となっている。
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3.リフト乗場での参加者
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4.リフト山頂駅から賤ヶ岳の頂上まで300メートル
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5.賤ヶ岳合戦没者戦霊地
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6.頂上、三等三角点「賤ヶ岳」421.13メートル
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7.史蹟賤ヶ岳七本槍古戦場から伊吹山方面を見る。
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8.休憩中の武者像
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9.眼下にみる余呉湖
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10.左側の奥琵琶湖
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11.真中の島は竹生島(島内には国宝の本殿を持つ都久夫須麻神社、国宝の唐門を持つ宝厳寺がある)
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12.山本山と琵琶湖を見る
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13.山頂にある巨大な「賤ヶ岳合戦」案内板
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2011/6/18

奥琵琶湖(余呉湖)周辺の文化財を訪ねて!3.余呉湖と栃木峠茶屋(昼食)  綾部の文化財

余呉湖は琵琶湖と同じ第3紀の陥没湖で、大岩山と賤ヶ岳が自然の境をなし、わずかに北東の一角に狭い平野が開けるだけである。面積1.97平方キロ、南北の長さ2.3キロ、東西1.2キロ、周囲の長さ6.45キロ、最大深度13.3メートル、平均深度7.4メートル、海抜高度132.8メートルであり、琵琶湖は86メートルであるから、その落差46.8メートル、しかも琵琶湖との距離はわずか1.1キロメートルという近さである。水は山から注ぐのではなく湖底からの湧き水といわれ、涸れることがない。湖水は余呉川と合流して下余呉から南流、湖北町尾上で琵琶湖へ注いでいる。湖魚は鯉、フナ、ウナギ、」ナマズなどの暖水性のものが多く、ほかにワカサギ、ハエもわずかながら生息している。フナは源五郎、楓フナなどと呼ばれ、身が赤いのは賤ヶ岳合戦の血の色だという人もいる。「帝王編年記」の723(養老7)年の条に余呉湖の白鳥伝説が記されている。余呉湖の南に伊香小江(いかのおえ)があり、天の8乙女が白鳥となって水浴した。これを見た伊香刀美(いかとみ、この余呉湖周辺は伊香郡であり、現在は長浜市に合併している。)は白い犬に末娘の天の羽衣を盗ませた。姉7人は飛び帰えったが、末の娘は伊香刀美と夫婦となり、男子2人・女子2人を生んだ。これが伊香連(いかのむらじ)の先祖である。後、母は羽衣を探しだして天に昇ったという。ほかにも北西岸川並の漁夫・桐畑太夫と天女の伝説、天女の子が菅原道真だという管公伝説なども生まれた。謡曲「羽衣」で知られている三保の松原の伝説よりも素朴である。湖畔北辺に「衣掛の柳」と伝える大木がある。三上勉の「湖の琴」の舞台でもある。

1.余呉湖ビジターセンターの案内板
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2.同上 その2.
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3.ビジターセンターか余呉湖を見る!
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4.余呉湖の案内碑
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5.峠茶屋・川並文右衛門の横から見る余呉湖
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6.栃木峠茶屋・川並文右衛門「とちのきとうげちゃや、北国街道は約300年前越前の北の庄の柴田勝家が京へ攻め上る最短距離として勝家の戦略構想の中、その手によって栃の木峠が開かれた。この栃の木峠茶屋は当時建てられ多くの大名・武士・旅人に利用された。以後、北国の北国脇往還と呼ばれ大名の参勤交代にも利用され、今庄、板取、中の郷、柳ヶ瀬に本陣・脇本陣・旅人商人宿が軒を並べ繁盛した。この栃の木茶屋を移築したものです。」屋根の急勾配は豪雪地帯の雪滑りを考慮したものです!
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7.茶屋の軒下の掛札1.
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8.同上 2.
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9.茶屋の若主人より栃木茶屋の説明を受ける!
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10.上記若主人の後ろが控え間
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11.1,575円の団体定食(酢味噌で食べる鯉こくが美味)
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2011/6/17

奥琵琶湖(余呉湖)周辺の文化財を訪ねて!2.曹洞宗の古刹・全長寺  文化財研修記

滋賀県長浜市余呉町には古刹曹洞宗・久沢山「全長寺(ぜんちょうじ)」がある。通称あじさいとだるま寺。「仏に出会い、花に出会い、人に出会い」。この寺は文明元年(1469)僧全長、池原村字新堂に阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の一字を開き全長坊と称した。大永六年(1526)全長は亡くなる前に禅門に帰依して、同郡椿坂村曹洞宗照院二世頣正全養に請うて全長坊を託した。慶長二年(1597)頣正禅師は全長の意を受け全長坊を曹洞宗に転じ、寺名を久沢山全長寺を改め、当寺の開山となる。安永六年(1777)池原、国安、丈室、東野、今市の五ヶ村より現在の境内地の寄進を受け、十世泰蟠童龍禅師は十五年の歳月を費やし、寛政三年(1791)に七堂伽藍の完成をみた。門前の保存樹指定の杉(推定樹齢500年)の老木は往時をしのばせる。以来法灯連綿として今日に至っている。

1.全長寺駐車場よりご住職の案内で本堂に向かう。
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2.全長寺山門
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3.全長寺を正面から見る。
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4.本堂内の扁額
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5.ご住職より全長寺の説明を受ける。
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6.本堂内の太鼓と鐘
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7.本堂須弥壇の見事な本尊・阿弥陀如来像
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8.見事な須弥壇の天井の絵
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9.十六羅漢像
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10.見事な地蔵菩薩立像
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11.内庭・庭園
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12.お経の文字の掛軸
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13.巨大な達磨大師の掛軸
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14.見事な釈迦三尊像
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15.見事な裏庭・庭園と巨木
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16.本堂から山門を見る。アジサイはまだ咲いていない!
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17.馬頭観音堂
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18.見事な馬頭観音立像
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19.長浜市指定保存樹「杉」
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20.同上 推定樹齢500年の杉
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2011/6/16

奥琵琶湖(余呉湖)周辺の文化財を訪ねて!1.京への鯖街道・熊川宿  文化財研修記

平成23年6月15日(水)綾部市文化協会主催の「奥琵琶湖・余呉湖周辺の文化財・史蹟を訪ねて!」参加者22名に参加した。綾部市民センターを午前7時45分出発=綾部IC=舞鶴若狭自動車道=小浜西IC=上中=303号線=鯖街道・道の駅「熊川宿」に午前9時5分に到着。この道の駅の裏側が京都へ至る「鯖街道」である。今日はこの熊川宿について説明します。第2回目は奥琵琶湖・余呉町の曹洞宗の古刹アジサイと達磨で有名な「全長寺」、第3回目は余呉湖と川並文右衛門茶屋、第4回目は豊臣秀吉の賤ヶ岳七本槍で有名な古戦場「賤ヶ岳」山頂にリフトで上がって見学します。第5回目は今テレビで有名な「江のふるさと館と小谷城跡」です。さて元に戻り「鯖街道・熊川宿(さばかいどう・くまがわしゅく)」ですが、古代、若狭は、朝廷に食料を献上する御食国(みけつくに)のひとつでした。日本海で獲れた魚や貝が遠路はるばる京都へ運ばれ、いつの頃からか、「京は遠くても十八里」と言われるようにもなり、特に18世紀後半からたくさんの鯖が若狭の海で陸揚げされ、「鯖街道」と称されるようになったのです。与謝蕪村も鯖を背負い都に入る若狭の人々が目に止まったのか「夏山や通いなれたる若狭人」と詠んでいます。豊臣秀吉に重用され若狭の領主となった浅野長政は天正17年(1589)に熊川宿が交通と軍事において重要な場所であることから、諸役免除して宿場町としました。以来40戸ほどの寒村が200戸を越えるような町となりました。この鯖街道の一つは、小浜ーー熊川宿ーー保坂ーー朽木谷ーー京都・大原ーーー京都のルートであり約18里(72キロメートル)であります。

1・舞鶴若狭自動車道から小浜西IC手前の海岸を見る。大飯の原発のある半島を見る。
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2.国道303号線「道の駅・熊川宿」到着午前9時5分
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3.鯖街道案内板
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4.鯖街道熊川宿案内板
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5.道の駅裏側に鯖街道熊川宿がある。
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6.熊川宿番所
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7.同上 2
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8、権現さん案内板(後ろの山手に神社があります。)
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9.福井県の特徴ある民家(商家)
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10.熊川宿町並 1.
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11.同上 2.
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12.お土産店
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13.松毬の可愛い梟(ふくろう)200円です!
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14.熊川宿町並 3.
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15.同上 4.
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2011/6/13

当麻寺・石上神宮・天理参考館を訪ねて04 天理大学付属天理参考館  文化財研修記

当麻寺中之坊庭園石上神社と拝観して回った最後の研修先である天理大学付属天理参考館にやって来た。
 
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天理大学附属「天理参考館」3回建て素晴らしい展示
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当館は海外に渡り天理教を広めようとする人々が、諸外国の諸外国の生活慣習や歴史などの知識を深めるため中山正善二代真柱によって昭和5年に創設され、現在の建物は平成13年に開設されたものです。

 収集三十万点の内約三千点が「世界の生活文化」、「世界の考古美術」というテーマで展示されています。尚3階の第18室では教会本部建設の際に布留遺跡の出土品も展示してあります。
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エントランスホール床面の世界交易地図に見入る会員
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エントランスホール内の巨大な「オルメカ石頭像」(レプリカ)はメキシコ国のベラクルス州のオルメカ遺跡で発見され本物はベラクルス博物館で展示されている
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オルメカ石頭像の謎 説明
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世界各地に類別された仮面や風俗の展示を見て回る 4班に分かれた会員
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展示を拝観 天理参考館のガイドさんが4人お世話
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展示を拝観
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展示を拝観
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展示を拝観
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インドネシア バリ島のもの
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展示を拝観
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展示を拝観
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台湾の帆掛舟(テッパイ)全長710CM(20世紀のもの)、チベットの羊皮袋の筏など展示
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2階に上がり展示を拝観
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農機具など民俗民具も展示
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昔の生活様式、農機具など民俗民具も展示されている
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3階の展示を拝観
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遺跡から発掘の宝剣の展示
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埴輪など
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布留遺跡の出土品
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布留遺跡発掘の説明
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古墳時代の布留の祭場
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布留遺跡の周辺地図
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天理参考館の歴史ガイドさんを囲んで
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1〜3階までの膨大な世界各国の文化資料を熱心に見て回る会員
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長時間の見学を終えて一休みする会員


2011/6/13

当麻寺・石上神宮・天理参考館を訪ねて03 石上神宮  文化財研修記

当麻寺参拝、国宝や文化財を拝観中之坊庭園拝観、昼食の後、午後は天理市にバスを走らせて石上神宮に到着した。

石上神宮(式内社・明神大社)
天理教会本部の南東約一キロメートルのうっそうとした森のなかに石上神宮がある(祭神・布都御魂神・布留御魂神・布都斯魂神)がある。「布留の社」とよばれ、大神神社と並んでわが国最古の神社と考えられています。  

又、古代の多くの和歌に詠まれ「歌枕」として知られ、「万葉集」にも「石上布留の神杉神さびし恋をもわれは更にするかも」と詠われ、神宮参道の左側に柿本人麻呂の「をとめらが袖布留山の瑞垣の久しき時ゆおもひき吾は」と云う歌碑がある。

神社信仰の古式をとどめ、江戸時代までは神殿がなくうっそうとして森が延々と続く背後の布留山が神体となっていた。(注、布留遺跡の出土品は天理参考館3階18号室に展示されています)

七支刀(国宝)
長さ74.9センチメートルで石上神宮の神宝として長い間伝えられてきた鉄剣。
刀身の左右に三つずつ枝刀を段違いに出した特殊な形状をしていることからこの名がある。表面に三十四字、裏面にニ十七字の銘文を金象嵌で表している、銘文はさびなどで損傷が激しいが明治六年から多くの研究者の解読作業が行なわれてきた。
 いまだ諸説があるが、四世紀頃、朝鮮半島の百済王から倭国(日本)王に贈られたことを記したものとされる。古代の対外交流を」示す史料として貴重な品である。現在では精密なレプリカのみが見れます。

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バス2台に分乗して石上神宮の参道に到着、歴史ガイドさんの案内で境内を進み、記念写真を号車ごとに撮影
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参道横の木陰にも放し飼いの金鶏がとまり、時々雄叫びをあげて鳴いている
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国の重要文化財の「楼門」文保2年(1318)建立(内側)
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楼門よこに並ぶお札授与所に向う会員
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石上神宮拝殿に向かい手を合わせる
石上神宮拝殿(国宝)
 永保元年(1081)皇居の神嘉殿を移したとされる邸宅風の拝殿で、仏堂風の外観で入母屋造、桧皮葺の屋根、母屋の周りに庇をめぐらし、母屋は丸柱を立て、組入天井を張り、頭貫など組物の木鼻の形状は、初期の大仏様の影響を見せる、拝殿建築の古い形式を残す遺構である。
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参拝所の内陣
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歴史ガイドの解説を聞きながら、参拝所横の格子の間から聖域を覗く会員
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格子の間から聖域の写真を撮る
祭神の布都御魂神は神武天皇が大和に入ったとき、武甕雷神が帯びていたという平国之剣
(布都御魂)であり、この地に祀られたものという。「日本書記」によれば、神武天皇は即位ののち物部氏の遠祖の宇摩志麻治命にこの剣を与え、宮中に奉祀させた。宇摩志麻治命は父・饒速日命が降臨した際に天津御祖から賜った十種の神宝を天皇に献上し、神盾を立てて祀ったという。社殿では、その後崇神天皇のとき、この地を本拠地とした物部伊香色雄に命じて石上の高庭に移したという。布留の社は古代以来多くの武器が奉納され、古代国家の武器庫としての性格をもっていたと考えられている。そのため、大和王権の軍事をつかさどった物部氏の氏神となり、その一族の信仰を集めた。
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楼門横で次の会員グループが歴史ガイドさんの説明を聞きながら順番待ち
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摂社出雲健雄神社拝殿(国宝)
 天理市杣之内町にあった内山永久寺の鎮守社の拝殿を大正三年(1914)に移築したもので、正面五間のうち、中央の一間は土間とし、「馬道」と呼ばれる通り口としている。このような形式は「割拝殿」と呼ばれこの建物は現存最古のものである。引き違いの各格子や、両面の板扉など全体が住宅風の意匠で統一されている。又、軒を飾る蟇股の部材は形は鎌倉時代の趣味をよく伝えている。
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摂社出雲健雄神社(国宝)の由緒書き
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摂社「天神社」の高台から拝殿の屋根越しに聖域の内部を取る
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末社「祓戸神社」
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参道で牛の塑像を撫でる会員
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天然記念物 石上神宮鏡池の「ワタカ」の写真を手に説明される歴史ガイド
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天然記念物 石上神宮鏡池の「ワタカ」説明
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鏡池
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山之辺の道の案内板を見る会員
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山之部の道の案内図 この参道が山之部の道のルートに建つ
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登り参道の途中左側にある「柿本人麻呂の歌碑」未通女等之 袖振山乃 水垣之久時従億寸吾者(おとめが そでふるやまの みずがきの ひさしきときゆ おもいきわれは)「布留山(石上神宮の背後の神山、転じて石上神宮境内)に瑞垣(拝殿背後の禁足地の垣)が出来た昔からあなたのことを思っていました」
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柿本人麻呂の歌碑の前に集まった会員 バス乗り場の近く参道入り口




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