2011/5/29

入梅・台風2号接近のなか大原神社お田植え祭を取材  文化財研修記

昨年よりも17日も早い入梅、しかも強力な台風2号接近で京丹波町に大雨警報、福知山地方に大雨・雷・強風・洪水注意報が出ている中、大原神社のお田植え祭の取材に出かけた。

以前に娘の懐妊祈願を兼ねて初詣に訪れた時に、このお田植え祭の写真が貼りだされてあり、林 秀俊宮司様に開催日を聞いたが近づいた頃には判らなくなって、再度調べに周りを走り回ったが何のPRも出ておらず、そのままにしてしまった。
因みに私の子供4人に孫7人(なんと全て男子)が生まれ健康!、御霊験あらたかな正一位・大原大明神!である。

今回は「あやべ市民新聞のあの町この町」に「仏教大生が早乙女に」の記事が掲載され、「田植えは地元住民や京都市内から訪れる子どもたちも体験する予定」とある。
朝からの酷い吹き降りの悪天候に大原神社に電話すると、田植え行事は中止するが社殿で神事は行うとの返事をいただいた。

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幟旗の立てられた御供田(右)と台風接近で増水、鯉幟の渡る川に挟まれ建つ産屋(中央)、その上方高台に大原神社が見える。
梅雨に煙ぶる「美しき命の源流・うぶやの里:大原」の全景(写真をクリック拡大してご覧ください)
祝・京都府景観資産登録 2010.8.20 の表示が上がる高台から撮影
調べると「提案理由:安産の聖地として古くより信仰を集めている大原神社の里山の原風景と、産屋を中心として命の尊さを育んできたうぶやの里の美しい景観資産を活かすため、「私たちのふるさとは、私たちで守ろう・よくしよう」を基本理念として地域一体の取り組みを進めており、祇園祭とも繋がりのある本地域の伝統文化を、大学とも連携を図り広く全国に発信していきたい。」とあった。
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苔むした茅葺の切妻「産屋」。川傍と御供田(ごくでん)との間にひっそりと建っている
原始的な建物(天地根元造)で、間口と奥行きがそれぞれ約3mほどの小さな建物。
 大原神社パンフレット:出産の節は12把の藁(閏年は13把)を敷いてその上に敷物を敷き、出入口に古鎌を魔除として釣り、産婦は7日7夜この産屋に籠り、かつて難産した者が無く、これは神の霊験を事実に依って証明したものであると堅く信じられている。
 この産屋で出産をする風習は、大正時代まで続き、産後3日3夜籠る風習はその後変遷して産後1日1夜籠るようになり、昭和23年ごろまで続いた。
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大原神社の大鳥居と本殿
京都府指定文化財 大原神社 本殿・幣殿・拝殿・絵馬堂(江戸時代)
京都の自然200選
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石段と拝殿 お祝い祈願の赤い衣装をつけた女性や神官が参拝されている
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お田植え祭が始まり、拝殿にあがり取材 御祓い
地元の自治会や農業法人「川合地域農場作り協議会」などで組織する実行委員会(池本義雄委員長)が主催
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豊作祈願の願文奏上
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糯米(もちごめ)の苗を拝受
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お田植え祭で早乙女が絣のもんぺ姿で手作業で植える予定だった糯米苗
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玉串のお供え 仏教大の先生も早乙女役の生徒たちと一緒にお供えされた
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参列の早乙女たち
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お礼の言葉
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激しく降る雨の中、石段を降りる早乙女役の学生等

大原神社の関連記事は下記をご覧ください
福知山市三和町の大原神社の「大原練り込み行列」が復活
 http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/415.html
新年を迎える京都府指定文化財の府社・大原神社
 http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/377.html


2011/5/28

播州の史蹟めぐり5(最終回).国史跡の大中遺跡と兵庫県立考古博物館  文化財研修記

兵庫県加古郡播磨町大中には国指定史跡の大中遺跡(おおなかいせき)とそれに併設された兵庫県立考古博物館がある。大中遺跡は考古学に興味を持つ3人の中学生が1962年(昭和37年)に発見した。それ以降1972年までに延べ12回の本格的な発掘調査が行なわれた。調査の結果おびただしい土器が発見され、土器工房の跡ではないかといわれている。遺跡は4万平方メートルに及ぶ。発掘された場所から、弥生時代に始まり古墳時代に至る堅穴式住居跡が58棟発見された。また中国から伝えられた鏡が発見されているが、これには手が加えられて、穂積み用の利器として利用されたらしい。宝器でなく生産用具になっているのがおもしろい。すぐ西に続く山之上遺跡から、先土器時代の石器が発見されているので、古くからの人間の生活場所であったと思われる。広い遺跡の発掘場所に2戸の住居が復元され、6戸の遺跡に芝が張られて、史蹟公園播磨大中古代の村として整備された。近年その場所に兵庫県立考古博物館が建設され、学生達や一般にも公開され利良されている。常設館は入館料200円、今回は「木のうつわ六千年の技特別展」を見学した、日本中の各地の特徴ある木のうつわが展示されていた。特に目立ったのは見事な金銀を散らした漆ぬりの京都の高台寺蒔絵の器であった。高台寺については最後にクリックして見て頂けるようにした。

1.大中遺跡公園の案内板
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2.兵庫県立考古博物館とその展望台
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3.展望台から大中遺跡を見る!
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4.同上 兵庫県立考古博物館と街並
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5.木のうつわ六千年の技(わざ)展(撮影禁止で案内版のみです)
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6.常設館「国のなりたち」その1.
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7.同上 その2.
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8.同上 その3.
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高台寺及び高台寺蒔絵は下記をクリックして見て下さい。
http://www.ayabun.net/kensyu/kodaiji/kodaiji1.html

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2011/5/27

播州の史蹟めぐり4.聖徳太子の創立で播磨の法隆寺と云われる鶴林寺  文化財研修記

加古川市加古川町には「聖徳太子創立播磨の法隆寺と云われる刀田山・鶴林寺(とたさん・かくりんじ)」がある。寺の由緒には高句麗の僧、恵便法師が、物部氏ら廃仏派の迫害を逃れてこの地に身を隠しておられたので、聖徳太子は法師の教えをうけるため、この地に来られた。のち、秦川勝(はたのかわかつ)に命じて精舎を建立し、刀田山四天王寺聖霊院と名付けられたのが、当寺の始まりであると伝えられている。養老2年(718)武蔵の国「大目身人部春則」が聖徳太子の遺徳を顕彰するため、七堂伽藍を建立し、更に9世紀の初め、慈覚大師円仁が入唐の際に立ち寄られ、薬師如来を刻して国家の安泰を祈願されて以後、天台宗となった。天永3年(1112)鳥羽天皇から勅願をいただき、「鶴林寺」と寺号を改め,勅願所に定められた。鎌倉時代、室町時代と太子信仰の高まりとともに、鶴林寺は全盛期を迎え、寺坊30数ヶ坊、寺領25,000石、楽人10名がつねに舞楽(宝物館には国重文の楽太鼓の縁と断片が展示されている。)を奏していたといわれた。戦国時代に至って織田信長、秀吉らの弾圧、更には江戸幕府の厳しい宗教政策のため、衰微せざるを得なかった。しかし、一方、「刀田の太子さん」と呼ばれて庶民の信仰あつく、また「播磨の法隆寺」と呼ばれ、多くの文化財が護持され、人々の信仰と心のやすらぎの場となっている。

1.兵庫県指定文化財の仁王門
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2.仁王門の阿吽形の内の阿形像
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3.国宝の本堂(室町時代1397建立の和様、大仏様、禅宗様式の代表作。本尊は薬師如来。日光、月光、毘沙門、持国、十二神将を祀る。)
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4.本堂内にてご住職の説明を聞く!
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5.本堂の和様・大仏様・禅宗様式の特徴
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6.鶴林寺の宝物目録(兵庫県指定文化財は含まれていません。)
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7.宝物館の金銅聖観音像「国重文、像高83センチメートル。右に腰をひねり左足をあそばせ、すらりとした立ち姿、流れるような天衣、特徴ある髻(もとど)に美しい三面宝冠を付けている。秀でた眉に切れ長の目、筋の通った鼻、わずかにほほ笑みをたたえた口もと、ふくよかなほほ、首筋には幼児のあどけなさを思わせる三筋の線、その典雅、流麗の趣は奈良前期、白鳳時代の傑作である。その昔、盗人がこの観音像を盗み出し、溶かしてひともうけをたくらんだが、「アイタタ」という観音様のお声に驚き、像を返し改心したという伝説がある。又、この像は海外で展示されること数度で、国内は勿論、世界的に名高い。」
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8.鐘楼(1407)国重文、袴腰造りの優美な建築で本堂と同時代のものである。
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9.観音堂「宝永2年(1705)の江戸時代の再建のものですが、明治の神仏分離令により浜の神社の本地仏であった木造聖観音(秘仏)を祀っている。
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10.観音堂内部、黄金の仏像は秘仏を守る前立観音像です!
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11.国宝・太子堂(1112年築で宝珠をいだいた桧皮葺の優美な兵庫県最古の建築。本尊はお釈迦様。文殊,普賢、四天王を祀り、天井に典雅な仏天蓋を吊るす。堂内には長年のススで覆われた九品来迎図、仏涅槃図、桂絵そたの太子堂壁画(国重文)が1976年赤外線写真で発見された。)
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12.優雅な賢指定文化財の三重塔(三間三重、本瓦葺、初重は文政年間(1818〜1830の大修理の際にほとんど新材で再建されたが、二重・三重の軸部及び斗栱部、軸廻りなど古式をよく伝えている。)
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13.再度塀越に三重塔を見る!
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2011/5/26

播州の史蹟めぐり3.日本三奇の一つ石の宝殿・生石神社  文化財研修記

兵庫県高砂市には日本三奇の一つ石の宝殿・生石神社(おうこしじんじゃ)がある。ここに祀られているご神体は巨大な巨石建造物である。幅6.4メートル、奥行き7.2メートル、高さ5.7メートルもある竜山石である。竜山石は大和朝廷時代に石棺として使われ奈良県の古墳から見つかっている。近代では帝国ホテル旧館、国会議事堂、皇居吹上御苑などにも使われている。祭神は大己貴命(大国主命)と小彦名命(小身の神)で出雲神話に登場する。「播磨国風土記」に、作り石があり、形は家のようなもので、名前は大石といい、聖徳太子の時代に弓削大連(ゆげのおおむらじ、物部大連守屋のこと)がつくった、と書いてある。「万葉集」にも「はりまなるしずのいわや」と詠われて、古くから知られた謎に満ちた石である。神社の縁記では、大己貴命と小彦名命が天津神の命により出雲から来て一夜の工事を進めたが、地の阿賀神一行の反乱で、この石を起すことが出来なかったが未完成といえども二神の霊はこの石に籠り永劫に国土を鎮めんと言明せられたという事で,以来この宮殿を石乃宝殿、鎮の石室と云われてきた。考古学者の意見では墳墓として営まれた可能性が高い諭旨。日本三奇とはこの石乃宝殿、東北地方盬竃神社の盬竃(鉄)、及び九州霧島神社の天乃逆鉾(銅)を云う。

1.生石神社の石の鳥居
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2.木造りの門
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3.木造りの門から下の参道の階段を見る!
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4.木造りの門その2.
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5.石乃宝殿(岩屋の中で写真が旨く撮れない)
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6.同上 横の霊石
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6.生石神社の背後の山へ登る道
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7.石の宝殿を上から見る!その1.
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8.同上 その2.
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9.同上 その3.
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10.背後の山の頂上にある大正天皇行幸地跡の石碑
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11.近くの竜山の採石場
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タグ: 播州の

2011/5/25

播州の史跡めぐり2.播磨国総社(はりまのくにそうしゃ)  文化財研修記

国宝姫路城大手門入口を出て左側に向かって徒歩で約10分、播磨国総社(はりまのくにそうしゃ)に至る。この神社は正式には播磨国総社射盾兵主神社(いたてひようずじんじゃ)といい、「延喜式」神名帳飾磨郡の条に「射盾兵主神社二座」とあり、射盾神と兵主神の2神を祀ったものである。総社と称するのは養和元年(1181)播磨国内16郡の神々174座を一括合祀したことによる。社記よれば、元、水尾山祀られていた兵主神社を延暦6年(787)、坂上田村麻呂が国衙荘(こくがそう)小野江に移し、射盾神を合祀、のち天正9年(1581)羽柴秀吉が築城の際、現在地に移したという。社殿は第二次世界大戦で戦災をうけ再建されたものですが、社所蔵の太刀(国重文)は鎌倉時代の作で、大祭礼の「一ツ山祭り」臨時祭礼の「三ツ山祭」それぞれ61年ごとと、21年目ごとに挙行される。昭和62年(1987)に一ツ山祭が催された。この祭りの発祥は平安時代とも伝えるが、起源は明らかでなく、初めは不定期の祭りであった。文禄2年(1593)以降は定期的に催されるようになった。境内に木組をし、竹で直径約10メートルの円筒形の先を丸めた置山を作る。高さ約18メートルで、これに布を巻き、頂上に注連縄(しめなわ)を張って小祠を安置する。一ツ山は五色の布を巻き「五色山」と呼び,中程に「源頼光の鬼退治をする」飾り物を取り付ける。三ツ山祭も同じ形のものを三個作り、東西に並べる。三ツ山祭は平成4年(1992)に催行された。例祭は11月14日から16日で霜月祭(しもつきまつり)といい、播磨一帯の年の最後の祭りである。

1.播磨国総社射盾兵主神社石碑
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2.同上 朱の門
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3.同上 正面の木造り門
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4.門をくぐった右手には神の使いの「なでみみずく」の像があり知恵を授かる為多くの参拝者が頭をなでている。
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5.同上 拝殿
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6.同上 拝殿内部
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7.同上 拝殿と本殿を横から見る!
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8.この神社には多くの境内社があるが、その一つ「鹿島神社」
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9.厄除け神社として有名な「案内社八幡宮」
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10.境内社ながら特別に門を持つ「長壁神社」
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11.長壁神社の門
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2011/5/24

播州の史跡めぐり1.国宝姫路城平成の大修理3.(最終回)  文化財研修記

5月21日(土)綾部郷土史講座の現地研修として、播州の史蹟めぐり一日コースに参加した。JR綾部駅北口を7時40分出発=綾部IC=近畿自動車道舞鶴若狭道=西紀SA休憩=中国自動車道=福崎IC=播但自動車道(播州姫路から但馬)で姫路IC=姫路城に午前9時45分駐車場に到着。そこから内堀に沿って約10分で桜門橋・大手門入口ーーー更に徒歩8分ーーー平成の大修理のための「姫路城天主閣見学施設・天空の白鷺」で天主閣等の見学メインである。ここで10時から11時45分まで各施説見学、12時に駐車場出発、昼食は播磨国総社経営の「和ダイニング三日潮」で、総社は各自で見学、午後は高砂市の日本三奇の一つ「石の宝殿・生石神社(おうしこじんじゃ)」、更に加古川市の播磨の法隆寺といわれる「鶴林寺」、「大中遺跡(おなかいせき)公園と兵庫県立考古博物館」ここの出発は午後5時=明石西IC=第二神明道路=山陽道=阪神高速=三田IC=舞鶴若狭自動車道・休憩=綾部駅帰着午後7時15分の行程であった。国宝姫路城は今平成の大修理中で姫路城見学資料室(入館無料)や城の付近にある姫路文学館では「黒田勘米兵衛の魅力・天下を狙った播磨の知将展」入館料300円等多彩な展示が催されていますのでもっと時間をとられての見学をお薦めします。次回は播磨国総社(はりまのくにそうしゃ)です。

1.7階展望室より千姫化粧櫓(本田忠刻に再婚してここに居住した!)西の丸百間廊下を見る。「白の壁・屋根漆喰(しっくい)」が大変きれいに見えます!
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2.二の丸、奥は西の丸
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3.国宝姫路城の見事な壁・屋根漆喰(しっくい)の説明パンフレット
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4.エレベーターで1階へ降り、本丸天守閣1階を見る!
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5.槍などの武具架け。
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6.見事な書画を書く江戸時代の姫路第二代藩主酒井忠以(さかいただざね)の鯉の図掛軸
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7.天主閣の東心柱(西心柱もある)この天守閣は外観5層、内部地上1階から6階、地下1階です!
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8.姫路城骨格
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9.釘隠(くぎかくし)
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10.3階内部
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2011/5/23

播州の史跡めぐり1.国宝姫路城平成の大修理2.  文化財研修記

5月21日(土)綾部郷土史講座の現地研修として、播州の史蹟めぐり一日コースに参加した。JR綾部駅北口を7時40分出発=綾部IC=近畿自動車道舞鶴若狭道=西紀SA休憩=中国自動車道=福崎IC=播但自動車道(播州姫路から但馬)で姫路IC=姫路城に午前9時45分駐車場に到着。そこから内堀に沿って約10分で桜門橋・大手門入口ーーー更に徒歩8分ーーー平成の大修理のための「姫路城天主閣見学施設・天空の白鷺」で天主閣等の見学メインである。ここで10時から11時45分まで各施説見学、12時に駐車場出発、昼食は播磨国総社経営の「和ダイニング三日潮」で、総社は各自で見学、午後は高砂市の日本三奇の一つ「石の宝殿・生石神社(おうしこじんじゃ)」、更に加古川市の播磨の法隆寺といわれる「鶴林寺」、「大中遺跡(おなかいせき)公園と兵庫県立考古博物館」ここの出発は午後5時=明石西IC=第二神明道路=山陽道=阪神高速=三田IC=舞鶴若狭自動車道・休憩=綾部駅帰着午後7時15分の行程であった。

1.初公開のりの一渡り櫓
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2.同上 内部1.
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3.同上 内部2.見事な鎧冑群
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4.お菊井戸「播州皿屋敷」は、お家のっとりの企てを女中のお菊が知り、城主の難を救ったが、家老がそれを怨み家宝の皿一枚を隠してお菊を責め、井戸に投げ込んだ話は有名です!
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5.本丸天主閣を横から見る。
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6.エレベーター内部から天主閣第三層の修理を見る。
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7.地上50メートル修理中の天主閣を見る。1
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8.同上 2.
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9.エレベーター8階の展望台から見る。正面の山の奥側には書写山があるが見えない!
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10.8階展望台から大手前通りを見る!突き当たりがJR姫路駅です。
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2011/5/22

播州の史蹟めぐり1.国宝姫路城平成の大修理1.  文化財研修記

5月21日(土)綾部郷土史講座の現地研修として、播州の史蹟めぐり一日コースに参加した。JR綾部駅北口を7時40分出発=綾部IC=近畿自動車道舞鶴若狭道=西紀SA休憩=中国自動車道=福崎IC=播但自動車道(播州姫路から但馬)で姫路IC=姫路城に午前9時45分駐車場に到着。そこから内堀に沿って約10分で桜門橋・大手門入口ーーー更に徒歩8分ーーー平成の大修理のための「姫路城天主閣見学施設・天空の白鷺」で天主閣等の見学メインである。ここで10時から11時45分まで各施説見学、12時に駐車場出発、昼食は播磨国総社経営の「和ダイニング三日潮」で、総社は各自で見学、午後は高砂市の日本三奇の一つ「石の宝殿・生石神社(おうしこじんじゃ)」、更に加古川市の播磨の法隆寺といわれる「鶴林寺」、「大中遺跡(おなかいせき)公園と兵庫県立考古博物館」ここの出発は午後5時=明石西IC=第二神明道路=山陽道=阪神高速=三田IC=舞鶴若狭自動車道・休憩=綾部駅帰着午後7時15分の行程であった。

1.舞鶴若狭自動車道・西紀SA(丹波黒豆を使ったチーズ等が有名)
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2.姫路城天主閣修理見学施設「天空の白鷺」を駐車場から遠望する。
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3.内堀横を徒歩で10分で大手門前・桜門橋に至る。
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4.内堀を渡る桜門橋と大手門
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5.大手門・桜門橋案内板
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6.桜門橋から姫路城天主閣修理見学施説・天空の白鷺を見る!2基のエレベーターで8
階地上50メートルまで上がり、8階の天主閣修理現場を見て7階へ降りそこから又エレバーターで1階まで降りて一層、2層の天主閣内部を見学する!利用料は団体割り引きなしで一人200円と格安!2枚の参観券をもらいこれで西の丸も見学できる。修理工事は2011年3月26日見学開始で2014年春ごろ終了予定です!
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7.天空の白鷺の案内板
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8.三の丸広場から天空の白鷺を見る。
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9.天空の白鷺や各所見学受付所・表門
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10.二の丸はの門
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2011/5/16

中筋ふれあい歴史ウォークに参加  綾部の文化財

5月15日(日)中筋公民館・文化部の体験講座、第1回、高津町半日コース(高津八幡宮、八幡山城跡、穏竜寺、荒倉神社、藤ノ木古墳)に参加した
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綾部の文化財を守る会の会報を配布し、集めた年会費1千円を届けに森本会計宅へ向う途中、いつもの散歩道に張り出されたPR掲示を見た。延町在住の森本氏に取材参加の可否を伺うと、部外者もOKとのことであった。中筋公民館・文化部(若山登部長)の健康づくりも兼ね歴史学習する体験講座とのこと。「文化財と人とのふれあい」をテーマとする当会HPに格好の機会と思い取材に参加した。(人のいない古墳、城跡などの写真は何時でも撮れるが・・・)
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綾部市ふれあいセンターに集合、今日の案内解説をされる中筋公民館長:四方晴向氏(中筋資料委員会前委員長)から説明を受ける
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80名参加の大人数なので、府道を通り神内電機工場横から高津八幡宮参道へ、この道は知らなかった
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元慶5年(881)山城の国・男山にある石清水八幡宮より金色の鳩が飛来して種々の奇瑞を表したので、石清水八幡宮の如意別宮として社殿を創建せしめたと伝える高津八幡宮創建の歴史・・・、綾部九鬼藩九代藩主:九鬼隆都公は社殿の改築を計画され嘉永五年(1852)に再建された拝殿・幣殿・本殿の権現造・・・など、府下でも有数の代表的社寺建築を説明される中筋公民館長:四方晴向氏
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本殿の壮大な三重虹粱の妻飾りを見上げる
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寛文10年(1670)綾部九鬼藩初代藩主:九鬼隆季公寄進、自然石の手水鉢
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中筋地区の参加者80名の集合写真 クリック拡大してご覧ください
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市指定文化財の木造獅子・狛犬像(南北朝期)
社務所で里帰り特別拝観 立会いの高津八幡宮:塩見有紀宮司

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当日配られた歴史ウォークの資料 クリック拡大してご覧ください
@高津八幡宮「京都の自然200選」 1)古代密教の修験道場→別当寺・極楽寺・究竟院(明治初廃寺) 2)金鳩飛来伝説ー男山の石清水八幡宮より勧請し創建(881年) 3)祭神ー応神天皇・神功皇后・仲哀天皇・玉依姫命・仁徳天皇 4)「勧進状」(1501年)−1500年社殿焼失と記載。その後再建。 5)綾部藩主九鬼氏加護ー初代隆季寛文10(1670)手水鉢寄進。九代隆都嘉永5(1852)再建。拝殿・幣殿・本殿の権現造。
★今回特別拝観「木造獅子・狛犬像」南北朝期・市指定文化財

感想
80名参加の集合写真撮影は、いつも綾部の文化財を守る会の春・秋2回のバス2台を使った研修旅行で私が撮影するのとほぼ同一規模である。
森本会計と帰り道にも話し合ったが、我が研修旅行参加者よりも年齢層も若く健康づくりを兼ねての「ふれあい歴史ウォーク」、本当に元気一杯良く歩かれる。子供を背負ったお父さん等もおられる。
中筋地区自治会は、防災訓練など行き届いていると伺っているが、統率力、集団行動力も抜群である。集合写真撮影において、一人の脱落者もなくすんなりと整列されたのに驚き、深く敬意を表する次第である。


高津八幡宮の見学を終えて少し急な坂道を歩き、高津八幡山城跡に向う。
途中の道際に椅子の並べられた展望所があるが、建てられた鳥瞰絵図に蔦がからみ、展望は木が茂りほとんど見えない
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道端に泥にまみれて放置された「城跡案内板」。「城郭・曲輪・堀切等跡配置絵図」の方も木枠が壊れ汚れて、地面すれすれに逆さ吊り状態になっている
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堀切にかかる木橋を渡り、細い山道を元気に山城跡を登る一行
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山城跡に集まり熱心に四方晴向氏から解説を聞く
A八幡山城(高津城)
1)標高150m。中世の山城。曲輪・堀切等跡。 2)八田城主大槻氏より右京之進1349年築城。 3)明智光秀の丹波支配(1579年)で落城か。
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唯一開いた樹木間から見える由良川対岸の展望

感想嗚呼 高津城は落城す? ふるさと、歴史を大切にしないものは国(邑)を滅ぼす・・・
西原の釈上が岳・戦国時代の遠見番所に歴史ウォーク:55名参加で登った。綾部盆地から長田野、福知山方面まで見通せる。高津八幡山城跡からの展望は以前は、烏が岳山頂、由良川に架かる音無瀬橋のアーチ(バスケット・ハンドル型ニールセン・ローゼ橋)、由良川流域、法恩寺、鍛冶屋など犀川流域が見通せたので双眼鏡を持って登った。展望が悪くなっており失望した。
この八幡山城跡から甲ガ岳城跡まで古道(間道)が通り辿り着ける。ここまで登られたら更に中筋の歴史古道を縦走する・・・「最近あった横峠古道ウォーキング:170名参加」のような行事をされれば・・・、この種の自然・歴史探索行事は最近人気があると解説者に申し上げておいた。

大島SVクラブが甲ガ岳登山口や城跡に案内を建てられている。ミニ探検隊のような活動がかってあったのでは? 先日の「あやべ市民新聞」に甲ガ岳の高さは?の記事があった。
国土地理院の三角点(地図の三角点印の標高)と山頂の所在地が異なる山は数多い。三角測量を重ねて見通しの良い場所に所定の間隔で三角点標石を設けるので、甲ガ岳山頂のように「古木:うらじろの木」があり、秋葉神社などが建つ茂った森でなく、三角点は山頂より100mほど東の登山道の稜線すぐ横にある。
ついでに安場川を挟んで対峙する四尾山(点名:本宮287.29m)よりも、点名:甲ケ岳:289.82mの方が高い。綾部市の三角点一覧表はここをクリック

綾部三大山城の一つとされている「甲ガ岳城」とこの「高津城」は、由良川沿いの軍馬の動向について連携して当たり、この両城を結ぶ甲ガ岳の稜線を行き来する情報伝達もあったと思われる。かって見晴らしの良かった城跡からの展望、倒れて泥にまみれた城跡案内板、壊れ逆さ吊り状態の城郭・曲輪・堀切等配置絵図などを大切にして欲しいと思う。


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高津八幡宮の表参道の四百余段の長い石段を元気に降りる一行。
この長い石段建設の由来を記した「石坂碑」が鳥居の上の両側に建っている。天明四年(1784)から文化十三年(1816)までの実に32年をかけて、飢餓、洪水等の災厄のなかで村民、氏子、近隣の人々の篤い信仰により造られたと云う
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表参道石段下に集まり、木造両部鳥居を見上げながら四方晴向氏から説明を聞く

高津八幡宮の表鳥居から荒倉川をわたり、曹洞宗 瑞亀山・隠龍寺の標柱のある坂道を上がる
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靴を脱いで隠龍寺本堂に上がる
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本堂に正座し四方晴向氏から本尊・釈迦如来の尊格・印相について、弘治元年(1555)高津城主大槻安芸守辰高の発願により創建などの解説を聞く
B隠龍寺 1)瑞亀山、曹洞宗、本尊・釈迦如来。 2)1555年高津城主大槻辰高開基。旧寺? 3)梵鐘ー延宝6(1678)年銘。極楽寺から。 4)名僧ー10世活宗和尚(江戸末ー明治中期)
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あやべ西国観音霊場第11番札所:瑞亀山・隠龍寺の本尊・釈迦如来に参拝する参加者
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延宝6(1678)年銘の梵鐘。極楽寺からと云う

再び荒倉川沿いを下り高津公会堂前へ歩く
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石段を上がり荒倉神社へ
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綾部市古木名木100選「ケヤキ」の巨木を見上げる
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東日本大地震の死者の冥福を一同揃って祈り神社に参拝のあと、四方晴向氏から解説を聞く
府社:高津八幡宮の神格に対して地元の鎮守神として祀られた古社・荒倉神社。荒倉神社についての詳しい創立由来記録は不明。「高津村誌」は編纂されていないとのこと。
C荒倉神社 素戔鳴命・古名木「ケヤキ」・郡境石碑
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綾部九鬼藩の開設した郷学校の一つ、「明倫堂址」の標柱が立つ。
D中筋小旧跡 ・明倫堂ー慶応3(1867)年開校。・奠麗校ー明治8(1875)年再開。・中筋尋常小学校、明治20年延に。

府道に出て大島町へ向う。府道とJR線の間に広がる水田空き地に出る
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藤ノ木古墳を見ながら四方晴向氏から解説を聞く、多田町にある「聖塚・菖蒲塚古墳」とほぼ同時期の方墳であると考えられる。また高津集落の鬼門に当たり鬼門除けの信仰もあった様。
E藤ノ木古墳 1)古墳時代中期(5世紀前半)築。 2)方墳「森さん」

感想高津発のB級グルメは?
現在、綾部バラ園「春のバラまつり」が行われ、「あやべB級グルメ・フェア」の屋台店舗が並んでいる。「ふるさと自慢・和木梅」など多少は素晴らしいものがあるが、「福田神社宵宮御用達・喜楽焼き」などの出店がない。むしろ地元の人が食べたことがないと云われる。平城遷都1300年祭に関して、長屋王邸跡から出土した「高津発の木簡」があり、天皇に納める山野河面の珍味・グルメの荷札だと云うことである。高津は全国に認められた「グルメの郷」。大いに発奮して「綾部のB級グルメ」の頂点から全国レベルのB級グルメを創出して欲しいと思う・・・こんなことを話しながら出発点に戻った

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正午を過ぎ、帰着予定時間より早く全員が市ふれあいセンターに戻り解散

感謝>本取材記事について、第1稿、第2稿の2度にわたり、解説の四方晴向氏(中筋資料委員会前委員長)から校正のご指導をいただきました。心から厚く感謝を申し上げます。なお記事中の<感想記>は編集者の私見です。

参考資料>記事本文中に引用した資料は、それぞれの「リンク」をクリックしてご覧ください。
その他の参考資料は、下記をクリックしてご覧ください。
綾部の文化財シリーズ第7回 高津八幡宮(元府社・高津鎮座)大槻正明宮司
会報36号 高津八幡宮・木造獅子・狛犬 塑像一対 南北朝時代 山下潔美氏
会報36号 高津八幡山城 川端二三三郎氏
高津八幡宮について 大島文隆氏
綾部の古木・名木100選陽成天皇元慶五年男山八幡宮より金色の鳩が飛来した高津八幡宮の5本木
綾部の古木・名木100選・高津八幡宮の御神木のヒノキ
綾部の古木・名木100選高津八幡宮のケヤキ
綾部の古木・名木100選・古社・荒倉神社の巨大なケヤキ
あやべ西国観音霊場第11番札所瑞亀山・隠龍寺とその由緒
丹の国綾部第4話 九鬼氏と綾部の人々「藩校と郷学校:慶応元年、十代隆備は藩の碩学近藤勝直を総督に任じ、大いに藩校を充実すると共に、領内栗村、高津、小畑等六ケ所に郷学校を建てて庶民教育に努力した。」
四方晴向氏の解説で触れられた、聖塚・菖蒲塚古墳
会報40号 福田神社発見の棟札と鬼面 山下潔己氏 福田神社・境内社

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2011/5/15

臨済宗妙心寺派の古刹・佛南寺で本堂・境内・平安時代の虚空菩薩像修理完成式典が実施された!  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」の吉美地区里町にはあやべ西国観音霊場第7番札所でもある臨済宗妙心寺派の古刹・阿日山「佛南寺(ぶつなんじ)」は綾部市でも極めて古い歴史を誇る寺院です。平安時代初期の国家の歴史書である三代実録に(858〜887)の貞観5年(863)に佛南寺の名が記されているが当時は真言宗であった。その「本堂改修・境内整備工事・綾部市指定文化財の平安時代の木造虚空菩薩解体修理完成式典」が5月15日(日)午前10時から始まった。この虚空菩薩立像は極めて大きく五尺五寸三分(像高165.8センチメートル)は滋賀県大津市にある楽浪文化財修理所で解体、修理、復元された。他にも綾部市指定文化財の運慶作と云われている木造大日如来坐像もある。最後にクリックして、5年前の掲載記事をご覧下さい。この寺の関係寺院からは住職様や各寺総代様が出席。勿論この費用は檀家の52戸が総費用2,100万円の浄財を寄進して出来たものです。

1.修理されたた佛南寺正面を見る!
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2.住職渡邉秀山師(元綾部市仏教協会会長)の見事な書の寺号碑(見事な書が有名で小生も「慈光」と書かれた色紙を頂いています。)
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3.新しく出来た「子安観音像」
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4.新しく出来た「やすらぎ地蔵尊」
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5.改修された庭と地蔵菩薩堂
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6.地蔵菩薩像(このお地蔵様には年の数だけ段がある梯子を寄進すると夜尿症が治るといわれています。)
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7.解体・修理復元した綾部市指定文化財の木造虚空菩薩立像(像高165.8センチメートルもあるが合計5体の仏像が仏壇に祀られています。
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8.午前10時開始の改修完成法要式次第
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9.改修完成法要が始まる。その1.導師渡邉秀山師
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10.五体投地で礼拝される渡邉秀山師
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11.渡邉秀山師の供善
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12.導師渡邉秀山師に従って「摩訶般若波羅蜜多心経(般若心経)」を三度唱和する!
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5年前渡邉秀山師の佛南寺の記事は下記をクリックして見て下さい。
http://ayabun.net/kaiho/65/butunanji.html

あやべ西国観音霊場第7番札所・佛南寺は下記をクリックして見て下さい。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/185.html

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