2010/12/27

現フットサル日本代表監督ら参加の「綾部フットサルフェステイバル2010」が開催された!  あやべの街

京都府綾部市上杉体育館にて12月26日(日)日午前30分より9時午後5時まで「綾部フットサルフエスイバル2010」開催された。参加者の選手は綾部市及び福知山市の小中学生男女及び一般を含めて200余命の参加で開催された。主催:NPO法人日本フットサル振興会K9PROJECT,後援:綾部サッカー協会、協力:福知山フットボールフイールド協賛はadidas,Mikasa,ウイダーINゼリー、ヒマラヤ、みんなのDSフットサル及び寺岡工作所、ギフト専門店二シイ、多数の個人協賛者であった。このNPO法人日本フットサル振興会は2010年1月認可され、その目的は「元日本代表選手を筆頭に、フットサル界のトップ選手が贈る」「従来のフットサル教室やサッカー教室とは全く違う」フットサルを「やる!」「見る!」「学!」とフットサルの楽しさを凝縮した一日完結の「フットサルのお祭り」であります。K9PROJECTのメンバーは1973年10月4日京都府綾部市出身で、小中学生時代は綾部サッカースポーツ少年団(現、綾部フッリーゲンフットボールクラブ)でサッカーをまなび、東京都代表選手、処してラモス・ルイ氏等と日本代表フットサル選手として活躍し、日本人初のフットサル・イタリア・セリエAの選手として活躍した!他のメンバーは現日本フットサル代表監督のミゲル・ロドリゴ、ドウダ(シュタイカー大阪、ブラジル国籍)、イゴール(シュラカー大阪、ブラジル国籍、GK)岸本武志(シュライカー大阪、ブラジルでサッカっ選手としてプレー)、横澤直樹(元日本代表候補、タイのプロリーグでプレー、)高島大輔(BFC−KOWA,イタリアのセリエAローマ、ナポリ等で活躍)、最後に女性のプレイヤー中野恵美(4アメリカ女子メイジャーリーグでプレー、現日本代表候補)の皆さんで大変楽しく素晴らしいプレーが楽しめました。NPO法人日本フットサル振興会k9PROJECTのホームページは下記を下記で見てください。
{URL}http://K9PROJECT.JP

1.綾部フットサルフエステイバル2010のポスター。
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2..綾部市上杉体育館受付風景バックはK9Projectのメンバー
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3.午前9時30分DJ・ジャンボーの司会で始まる!
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4.今回のフットサルフエステイバルの立て役者・綾部市出身で元日本代表・日本人初のイタリア・セリエAプレヤーの相根澄(さがねきよし)氏
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5.綾部サッカー協会々長・森本一郎氏挨拶
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6.NPO法人日本フットサル振興会・理事長相根澄氏の挨拶
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7.小学生3・4年の班編成中
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8.小学生3・4年のミニサッカー大会その1.キックオフ
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9.同 上その2.ペナルテイキック
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10.午後3時30分 相根君によりK9PROJECTメンバーの紹介
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11.現日本フットサル代表監督・ミゲル・ロドリゴ氏
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12.午後3時40分 チャレンジマッチ(フルコート)但し、フットサルは5対5人だが変則で8対8人10分1本
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13.小学生でも5.6年になると中々大したものだ!
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14.同 上 その2.
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2010/12/14

綾部市制施行60周年記念・第31回綾部市民合唱祭第2部  あやべの街

恒例の綾部市民合唱祭が「第26回国民文化祭・2011プレイベント・綾部市制施行60周年記念・第31回綾部市民合唱祭」として12月12日(日)午後1時から京都府中丹文化会館で開催された。Openiningは合奏団あやべ(127名)オーケストラ・MAF管弦楽団の合同合唱・演奏で「ふるさとの四季」「ふるさたとあやべ」が大変素晴らしく見て・聞けました!ただ、小生腕が悪くオープニング後、開会挨拶の第26回国民文化祭2011年綾部市実行委員長の山崎善也市長の写真がミスで掲載出来ないことです!第二部では会館のステージ近くに移動し撮影しましたので、少しは良くなっています。

1.綾部高等学校・福知山高等学校合唱部(16名、綾部高校5名、福知山高校11名)曲目は「Seans of love」「Butterfly」でした。
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2.綾部児童合唱団(16名、綾部市の三つの小学校の児童が集まって結成しています。)曲目は「なんでかな?」「プロポーズ」「こんやく」「だれや?」
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3.コール・アマデウス(20名、聖歌を歌いあげられるグループ)モーツアルトの「
Agnus Dei」と「パレストリーナの「Ave Maria」です。
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4.綾部混声合唱談(26名)曲目は「青い山脈」「銀座カンカン娘」「たきび」「冬の夜」でした。
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5.メリーゴーランド(28名)曲目は昨年の雨に引き続き「川」「あなたへ」
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6.サンシャイン・ママ(21名)曲目「雪の日に」「真昼の星」
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7.木声会合唱団(舞鶴市からのゲスト出演、28名)曲目「生まれた街へ」「花」「自己」さすがゲスト出演の皆様で素晴らしいコーラスでした!
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8.福知山混声合唱団(50名、創立44年目、さすがゲスト出演!見事でした!)曲目は「カチューシャ」「峠のわが家」「アニーローリー」「翼をください」「行こうふたたび」
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9.和沙(かずさ)コンサート(第26回国民文化祭・京都2011のメッセイジソング「微笑(ほほえみ)の空」「Stand up For Love」「アイタクテ」
いずれも東儀秀樹氏の作詞・作曲で彼のヒチリキの音をバックに彼女は歌いました!東儀秀樹氏は1959年生まれ奈良時代から今日まで1300年続き雅楽を世襲してきた楽家。2008年11月14日大坂のザ・シンホンニーホールで「上海民族楽団(60名二胡だけでも25名、BAOのメンバーも出演)・東儀秀樹の合奏」を見に行き夜遅く帰ってきたのですが!家内は彼のヒチリキや他の雅楽器、小生は中国の上海で3度見たいと思ってトライしたが海外演奏中とか席が満席でダメとかで之が始めてで大感激でした。今回の彼女の写真も撮影禁止で未掲載です!

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2010/12/13

綾部市制施行60周年記念・第31回綾部市民合唱祭第一部  あやべの街

恒例の綾部市民合唱祭が「第26回国民文化祭・2011プレイベント・綾部市制施行60周年記念・第31回綾部市民合唱祭」として12月12日(日)午後1時から京都府中丹文化会館で開催された。Openiningは合奏団あやべ(127名)オーケストラ・MAF管弦楽団の合同合唱・演奏で「ふるさとの四季」「ふるさたとあやべ」が大変素晴らしく見て・聞けました!ただ、小生腕が悪くオープニング後、開会挨拶の第26回国民文化祭2011年綾部市実行委員長の山崎善也市長の写真がミスで掲載出来ないことです!第二部では会館のステージ近くに移動し撮影しましたので、少しは良くなっています。

1.綾部市里町にある会場・京都府中丹文化会館
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2.Opening:合唱団あやべ・MAF管弦楽団(合唱団あやべは平成11年に結成、今年で12年目、団員127名、MAF管弦楽団は1977年Maizuru、Ayabe、Fukuchiyamaの頭文字を取ってMAF管弦合奏団18名でスタート、1991年編成の大型化に伴い現在のMAF管弦楽団となった。)曲目は「ふるさとの四季」「ふるさとあやべ」で圧倒的な合同演奏であった。
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3.アイヤー合唱団(視覚や聴覚に障害のある者と手話しや要約筆記、ガイドヘルパー等のボランテア47名で構成している合唱団です)曲目は「赤とんぼ」「村祭」「ふるさと」でした。
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4.綾部市立幼稚園(東八田・西八田・綾部の3つの市立幼稚園児54名で構成)曲目は「おひなさまになりたい」「カスタネット」
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5.綾部市老連・やまびこコーラス(平成19年に結成、現在31名)曲目は「青い山脈」「富士の山ルンバ」「さくらさくタンゴ」
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6.綾部中学校合唱部(13名の内3年7名が引退のため、1・2年の6名です)
曲目は「Amazing Grace」「もろびとこぞりて」「卒業写真」
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7.聖マリア幼児音楽院(12名)曲目は「しゃしんをハイ」「げんこつ山のたぬきさん」でした。
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8.うたごえサークル「ひろば」(12名)曲目は「ふりそでの少女」「あきらめない」
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9.綾部市立幼稚園PTA連絡協議会(西八田・東八田・綾部の幼稚園児が市民合唱祭に参加して5年目となり、PTAもさん参加しようということで結成27名)曲目は「さんぽ」「君をのせて」
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10.コーラス・わすれなぐさ(28名)曲目は「まっかな秋」「落葉松」
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11.コーラス・すみれ(30名)曲目は「百万本のバラ」「おもかげ」
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12.ひよこ合唱団(今年のひよこ合唱団は平均年齢8歳ととても若返りました。15名)曲目はオペレッタ「浦島太郎」です。大変面白かったですね!衣装や動作もね!
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2010/12/9

山ノ神神社例祭 東神宮寺自治会の人々で盛大に開催  綾部の文化財

神宮寺町にある波多野記念碑参道に平行する東側の小道を上がると「山の神池」があり、その奥にこの「山ノ神神社」が建っている。近年、東神宮寺の神社として、町内に赤い幟が立てられ、盛大な祭りが行われるようになった。

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焚き火を囲んでいた人々が祭事の始まりで神社前に集合
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安積将明自治会長から「山ノ神神社」の説明。
 綾部の旧町区においても以前この辺りは人家も少なく田畑が広がっていた。農業用水の溜池として「藤山池:350年前」と「山ノ神池:200年前」が出来た。しかし昭和年代になってから市街化が進み、現在では非常時の防火用水としての役割を担っている。
 両池の水源に位置する「山の神神社」を現在も毎年12月第一日曜日に例祭を行っている。京大合格者等も出ており進学祈願で参拝する人も多い。
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子供たちも参列して、八木道正金光教綾部教会長が祭主
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願文を奏上される八木道正金光教綾部教会長
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玉串を奉奠される山崎善也綾部市長、続いて佐々木幹夫府議会議員、安藤和明市会議員、自治会の組長、部長など
神事のあと境内で御神酒、焼き鳥など、下の神宮寺公会堂で作品展も行われた。


2010/12/9

六波羅蜜寺仏像と六波羅探題 図書紹介など  図書紹介

綾部の文化財を守る会の来年秋の研修旅行予備調査「仮題:建仁寺と六波羅蜜寺の国宝と文化財を訪ねて」に村上会長、泉副会長、四方事務局長に同行しました。建仁寺で京都散策愛好会:渉外担当の田中雅章様と合流してご案内いただきました。

田中雅章様には今秋の研修旅行「南禅寺と智積院の国宝と文化財を訪ねて」においても1号車のガイドとしてお世話になった方です。建仁寺、六波羅蜜寺ともに大型観光バス2台の駐車場がなく、参加者一行の乗降の場所から見学先の交通路調査、記念写真撮影場所などの課題が解決出来ました。

来秋に行うこの研修旅行のために、お世話になる京都交通観光バスの行程スケジュールが出来ており、午後から六波羅蜜寺に行きました。
ここでは国宝秘仏のご開帳が行われており、「十一面観世音菩薩立像」などたくさんの仏像を田中雅章様の解説を聞きながら拝観できました。
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有名な「空也上人像」と「夢見地蔵像」など沢山の国宝・重文を宝物館で拝観しました。勿論写真撮影は禁止でしたが、地元の書店でこの2躯の重文が載っている図書を見つけましたので紹介します。

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一度は見ておきたい仏像100選 全図像 著者:瓜生 中 発行所:(株)静山社
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空也上人 六波羅密寺 重文
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地蔵菩薩(夢見地蔵) 六波羅密寺 重文

またガイドいただいた田中雅章様に「六波羅探題」のことをお尋ねし、丁寧に教えていただきました。
WIKIPEDIAを借りて、私の忘備録としてここに採録します。

六波羅探題(ろくはらたんだい)は、鎌倉幕府の職名の一つ。承久3年(1221年)の承久の乱ののち、幕府がそれまでの京都守護を改組し京都六波羅の北と南に設置した出先機関。探題と呼ばれた初見が鎌倉末期であり、それまでは単に六波羅と呼ばれていた。
概要
承久の乱の戦後処理として、後鳥羽上皇方に加担した公家・武士などの所領が没収され、御家人に恩賞として再分配された。これらは、それまで幕府の支配下になかった荘園で、幕府の権限が及び難い西国に多くあった。再分配の結果、これらの荘園にも地頭が置かれることになった。また、幕府側は、朝廷方の動きを常に監視し、これを制御する必要が出てきた。
そこで、朝廷の動きをいち早く掴める白河南の六波羅にあった旧平清盛邸を改築して役所にし、北条泰時・北条時房の二人が六波羅の北と南に駐留してこの作業にあたり、西国の御家人を組織し直して京の警備・朝廷の監視・軍事行動などを行わせた。これが六波羅探題の始まりである。
探題は執権・連署に次ぐ重職とされ、伝統的に北条氏から北方・南方の各一名が選ばれて政務に当たった。探題には北条氏一族でも将来有望な若い人材が選ばれる事が多く、鎌倉に帰還後には執権・連署にまで昇進する者が多くいた。また、その下には引付、評定衆などの鎌倉の組織に準じた下部組織なども置かれた。
六波羅探題は、朝廷では無く幕府の直接指揮下にあり、西国で起きた地頭と国司などのトラブルを処理する裁判機能、京都周辺の治安維持、朝廷の監視、皇位決定の取り次ぎなどを行った。更に文永の役翌年の建治元年(1275年)には六波羅探題の機能はさらに強化され、御家人処罰の権限と裁判制度が充実された。
一方で、権限に伴う実際の強制力は十分とは言えなかった面もあった。時には有力寺社への処分を行った担当官吏が、当時力をつけていた僧兵の圧力により流刑などの処分を受けるという事態も起きており、例として寛喜元年(1229年)に不法を働いていた延暦寺傘下の日吉社の神人が、探題北方北条時氏の配下三善為清の制止命令を無視し為清の部下に斬られた件がある。これについて延暦寺が幕府に抗議をし、六波羅探題は為清主従に過失がなかった証拠を提示したが、幕府は延暦寺との対立を避けて為清を流刑にしている。
また、幕府から直接派遣された“東使”と称される特使が朝廷との直接交渉や探題への指揮の権限を与えられる事例もあり、その権限は常に幕府中枢によって掣肘を加えられていたと言ってよい。そのため、その事情をよく知る者の中には六波羅への赴任を嫌う者もいたと言われる。
元弘3年/正慶2年(1333年)に後醍醐天皇の討幕運動から元弘の乱が起こると、令旨に応じた足利高氏(尊氏)や佐々木道誉・赤松円心らは京を攻めた。これによって当時の探題であった北条仲時らは京を追われ、六波羅探題は消滅した。その跡地は現在京都市立六原小学校になり、近隣には六波羅蜜寺が存在する。


2010/12/8

晩秋の京都の文化財を訪ねて!6回(最終回)空也上人像で有名な六波羅蜜寺  文化財研修記

六波羅蜜寺は天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された西国代十七番札所です。当時京都に流行した悪疫退散のため、空也上人自ら十一面観音立像(平安時代の作で国宝、秘仏で16年に一度開扉)を刻まれ御仏を車に安置し、市中を曳き廻り、青竹を八葉の蓮片の如く割り茶を立て、中へ小梅干と結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け歓喜踊躍(かんききやく)しつつ念仏を唱えいえてついに病魔を鎮められたという。(現在も皇服茶として伝わり、正月3日間授与している。)現在の本堂は貞治2年(1363)の修営であり、明治以降荒廃していたものを昭和44年(1969)か開創1000年を記念して解体修理された。宝物間入館料500円で中には国重文の平安時代の薬師如来坐像、地蔵菩薩立像、多聞天、広目天、持国天の各像、処して鎌倉時代の重文は増長天像、地蔵菩薩、吉祥天女、閻魔大王、弘法大師、空也上人、平清盛、運慶、湛慶の各像が安置されています。撮影禁止ですので掲載していませんが大変素晴らしい物ばかりです。

1.六波羅蜜寺
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2.日本最古の都七福神の唯一の女神「六波羅弁財天」はセイロンから来た仏像でその
本堂です!
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3.六波羅弁財天です!日本の仏像と違ってオリジナルの金ぴかの像です!
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4.本堂
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5.本堂に向って左側横に平清盛公の塚(下記)があります。
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6.阿古屋塚の説明板
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7.阿古屋塚
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8.本堂正面の蔀戸(しとみと、格子状の引き上げて開く戸)
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9.本堂内陣(厨子の中には16年毎に開扉の国宝・十一面観音菩薩様が祀られています。)
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10.宝物間内部(撮影禁止です!)
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2010/12/7

晩秋の京都の文化財を訪ねて!その5.和気清麻呂公を祀る護王神社  文化財研修記

京都市上京区烏丸通下長者町は京都御所西側にあるホテル平安会館は京料理としては比較的安価で、御所の見学、和気清麻呂公を祀る護王神社も徒歩3分で行けます。今回来年秋の研修旅行での、昼食のため訪れました。護王(ごおう)神社の祭神は和気清麻呂公と姉の広虫(ひろむし)で,藤川百川(ももかわ)と路豊永(みちのとよなが)を合祀したいる。文額上人が高雄の分気氏の氏寺・神護寺を復興した時、清麻呂公を護王善神として境内に祀り、鎮守社としたのが始まりと言われている。嘉永4年(1851)孝明天皇が清麻呂の忠節を賞して正一位護王大明神の神号を与えた。明治7年(1874)に護王神社と改称して、現在地へ本殿・拝殿・祝詞舎等も総て移築された。拝殿前の野猪(やちょ)石像はこの神社のシンボルで、和気清麻呂公が道鏡(どうきょう)の怒りをかって九州の大隈に流される時、イノシシが清麻呂公を守ったと云う故事によります。

1.ホテル平安会館の京料理竹籠弁当(高くない、税込み1,575円)
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2.内容は下記の通り。自家用車は2時間無料の駐車券を貰うこと!大型バス不可。
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3.ホテル平安会館の庭
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4.護王神社(左手の森が京都御所です)
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5.野猪(やちょ)が象徴する護王神社
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6.野猪の手水舎
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7.祝詞舎(舞殿)
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8.祝詞舎(舞殿)から拝殿と本殿を見る
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9.拝殿とその後のが本殿
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10.日本一の「さざれ石」
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11.和気清麻呂公銅像
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次回は真言宗で空也上人に始まる「六波羅蜜寺」を訪れます!

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2010/12/6

晩秋の京都の文化財を訪ねて!その4.栄西所縁の恵美須神社  文化財研修記

京都市東山区にあるに栄西禅師創建の建仁寺の西側には栄西禅師が入唐(宋)のとき、船中にわかに波風あらく吹きて船中の人々驚き騒ぐ折ふし、栄西禅師少しも騒がず海上に向いて拝し給えばいずくともなく「ゑびす神体」あらわれ給い船の軸先に立ち給うとたちまち波風鎮まりければ、それより御影を写し留めて帰国後、建仁寺の鎮守となし給う。京都で「ゑべっさん」と親しまれているこの恵美須神社は建仁2年(1202)に臨済宗大本山建仁寺の開祖栄西禅師です。禅師は岡山の加陽氏の出身で吉備津宮の神官の家系でであり、日本の古来の神も厚く敬われたのです。ゑびす神は「八代言代主(やえことしろぬしの)大神」と同一の神様です。ゑびすのお祭りでは「商売繁盛で笹もって来い」といいますが、この笹は古来京都では京都弁でお神酒(おみき)のことを「おササ」と呼んでおり、それに同じ音をもつ「笹」を「吉兆のお笹」としたのが、400年前の慶長年間代この恵美須神社の18代宮司であった中川数馬義幸(なかがわかずまよしゆき)氏でした。都七福神はゑびす神:恵美須神社(商売繁盛、旅行安全、豊魚など庶民救済の神で七福神の中で唯一日本生まれの神です)、天が付くのはインドの神様、その他の神は中国の神様です。大黒天:松ヶ崎大黒天妙円寺(日蓮宗、福財の神、商売繁盛)、毘沙門天:京都東寺(毘沙門天を信ずると十種の福が得られる)、弁財天:六波羅蜜寺(真言宗、唯一の女神、セイロンから来た神で言語・音楽・金運・財運の神)、福禄寿神:赤山禅院(天台宗、幸福・高禄・長寿の三徳)、寿老神:行願寺革堂(天台宗、中国の老子が天に登り神となった。人々の難を払う団扇を持ち、福財・子宝・諸病平癒長寿の神)、布袋尊:黄檗山万福寺(禅宗、中国では弥勒菩薩が姿を変えこの世に現れた存在として信仰されています。

1.恵美須神社第一の大鳥居
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2.恵美須神社、右側の石のゑびす大神に注目を!
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3.第二の鳥居の福箕(賽銭が投げられ旨く載ると福が来ると庶民は言っています。
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4.本殿(ここでは2礼2拍1礼して、本殿南側横の賽銭箱の上を叩いて祈る)
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5.本殿南側横の戸をどんどん叩き祈る習慣できている。
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2010/12/5

晩秋の京都の文化財を訪ねて!建仁寺の3.  文化財研修記

平成13年秋の文化財史跡学習会で「臨済宗東福寺派大本山東福寺の(通天紅葉)と呼ばれる素晴らしい紅葉と文化財・京都国立博物館・三十三間堂」を見学しました。その理由は全国安国寺の筆頭の綾部の安国寺がこの東福寺派であったのも一つの理由でした。その後、平成15年の第36回春の研修旅行で綾部安国寺で生まれた足利尊氏の関係から「京都・足利尊氏ゆかりの寺院を訪ねて」と称し臨済宗・京都七禅と主な由緒寺院を見学して来ました。相国寺とその山外塔頭寺院の銀閣寺、等持院(足利尊氏の墓がある)、金閣寺、平成18年には臨済宗建仁寺派のねね寺「創建400年祭の高台寺と圓徳院」、平成20年には「妙心寺派本山妙心寺と鹿王院」、21年には「大徳寺派大本山大徳寺」、平成22年には京都五山の上「南禅寺」、そして平成23年度秋の計画のため、村上会長、泉副会長、鍋師HP委員長と小生4名が下調べに行きました。小生は何回か見学していますが、予定の建仁寺、六波羅蜜寺共貸切バスの駐車場が無いので団体での建学は大変難しい所です。建仁寺派大本山・建仁寺は我国に臨済宗を伝えた明庵栄西の開創した京都最古の禅寺です。栄西(1141〜1215)備中吉備津宮の神職の家に生まれ、14歳で」比叡山に登り葉上坊と号し天台密教の奥義を極めて葉上流の一派を起こした。28歳で入宋、禅に関心を深めた。帰国後密教の研究を続け、47歳の時再び入宋、虚庵懐敞(こあんえじょう)に臨済宗を学び、4年後帰国し北九州に禅を広めた。後、入洛したが比叡山の圧迫を受け、九州に下り『興禅護国論』を著し、禅を持って天台の鎮護国家論をもりたてようとした。次いで鎌倉幕府に招かれ、北条政子建立の万寿寺の長老となり、建仁2年(1202)将軍頼家の援助で五条以北、鴨川以東400メートル四方の地を寄進され3年後、念願の寺を建立した。之が建仁寺土御門天王の勅願寺として、時の年号をとって建仁寺の号を与えた。延暦寺との対立を避け、真言・天台・禅三宗の道場とした。又、宋より持ち帰った日本で初めての「茶」を広め「喫茶養生記」を三代将軍実朝に献上し、養生と保健の効用を説いた。

1.大雄苑の西側の庭園の一部
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2.上記の端から庭へ降りて、建学する、安国寺恵瓊(あんこくじえけい)首塚の案内板
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3.安国寺恵瓊(あんこくじえけい)首塚
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4.田村月樵遺愛の大硯の案内板
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5.田村月樵遺愛の大硯
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6.茶席「東陽坊(とうようぼう)」草庵式二帖台目席。天正十五年(1587)に豊臣秀吉が北野大茶会で利休の高弟・真如堂東陽坊長盛が担当した副席と言われています!
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7.潮音庭の一部
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8.同上 本堂を見る
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9.塔頭寺院の禅居庵の境内にある摩利支天堂
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10.建仁寺の一番南側にある国重要文化財の「勅使門」銅板葺切妻造の四脚門で柱や扉に戦乱の矢傷があるところから「矢立門」とも呼ばれ、平重盛の六波羅邸の門、あるいは平敦盛の館門を移建したものといわれています。
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11.三門「望闕楼(ぼうけつろう)」御所を望むという意味で名付けられた。
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12.京都最古の禅寺「建仁寺の開山堂」非公開です。
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13.栄西禅師の茶碑
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次回は栄西禅師所縁の「恵美須神社」を訪ねます。

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2010/12/4

晩秋の京都の文化財を訪ねて!建仁寺の2  文化財研修記

平成13年秋の文化財史跡学習会で「臨済宗東福寺派大本山東福寺の(通天紅葉)と呼ばれる素晴らしい紅葉と文化財・京都国立博物館・三十三間堂」を見学しました。その理由は全国安国寺の筆頭の綾部の安国寺がこの東福寺派であったのも一つの理由でした。その後、平成15年の第36回春の研修旅行で綾部安国寺で生まれた足利尊氏の関係から「京都・足利尊氏ゆかりの寺院を訪ねて」と称し臨済宗・京都七禅と主な由緒寺院を見学して来ました。相国寺とその山外塔頭寺院の銀閣寺、等持院(足利尊氏の墓がある)、金閣寺、平成18年には臨済宗建仁寺派のねね寺「創建400年祭の高台寺と圓徳院」、平成20年には「妙心寺派本山妙心寺と鹿王院」、21年には「大徳寺派大本山大徳寺」、平成22年には京都五山の上「南禅寺」、そして平成23年度秋の計画のため、村上会長、泉副会長、鍋師HP委員長と小生4名が下調べに行きました。小生は何回か見学していますが、予定の建仁寺、六波羅蜜寺共貸切バスの駐車場が無いので団体での建学は大変難しい所です。建仁寺派大本山・建仁寺は我国に臨済宗を伝えた明庵栄西の開創した京都最古の禅寺です。栄西(1141〜1215)備中吉備津宮の神職の家に生まれ、14歳で」比叡山に登り葉上坊と号し天台密教の奥義を極めて葉上流の一派を起こした。28歳で入宋、禅に関心を深めた。帰国後密教の研究を続け、47歳の時再び入宋、虚庵懐敞(こあんえじょう)に臨済宗を学び、4年後帰国し北九州に禅を広めた。後、入洛したが比叡山の圧迫を受け、九州に下り『興禅護国論』を著し、禅を持って天台の鎮護国家論をもりたてようとした。次いで鎌倉幕府に招かれ、北条政子建立の万寿寺の長老となり、建仁2年(1202)将軍頼家の援助で五条以北、鴨川以東400メートル四方の地を寄進され3年後、念願の寺を建立した。之が建仁寺土御門天王の勅願寺として、時の年号をとって建仁寺の号を与えた。延暦寺との対立を避け、真言・天台・禅三宗の道場とした。又、宋より持ち帰った日本で初めての「茶」を広め「喫茶養生記」を三代将軍実朝に献上し、養生と保健の効用を説いた・

1.塔頭寺院の「両足院(りょうそくいん)」
入宋45年間の長期に渡り、中国で学んだ禅僧・龍山徳見(りょうざんとくけん、1284〜1358)が開山です。観応元年(1350)66歳で帰国するや足利直義(尊氏公の弟)に建仁寺35世住持として招かれ、又南禅寺や天龍寺の住持した。
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2.「大哉心乎」建仁寺・開山栄西禅師の真筆(おおいなるかな、心や)ここにいるだけで、心静かに自らと向かい合える!
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3.栄西禅師の頂相(ちんぞう)額が大変長いのが栄西(寺伝ではようさい、一般的にはえいさいと呼ばれています)
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4.国重文の方丈
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5.風神雷神屏風図「国宝」俵屋宗達の真筆で晩年の最高傑作とされています。*之は高精密デジタル複製図です!
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6.潮音庭(ちょうおんてい)三連の庭、建仁寺本坊中庭にある潮音庭は中央に三尊石その東に座禅石、周りに紅葉を配した枯淡な四方正面の禅庭です。
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7.同上 その2.
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8.○△□乃庭の案内板
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9..○△□乃庭は単純な三つの図形は宇宙の根源的形態を示し禅宗の四大思想(地水火風)を示しています。地は□、水は○、火は△で象徴したものと言われています。
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10.建仁寺垣と奥は一般用の茶室
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