2010/11/28
紅葉の名庭園・京都南禅寺と智積院の国宝・文化財を訪ねて5 文化財研修記
利休好みの庭と伝えられる真言宗智山派総本山智積院の名勝庭園を拝観
名勝庭園(江戸時代)
庭園は北を石垣、中央を枯滝組み、南を池泉とした名園で、旧祥雲寺の庭園というが、七世運敞上人が手を加えて中国の盧山の景をかたどって造られたといわれています。
拝観受付から山門を入り講堂・名勝庭園・大書院・畏殿・奥書院・本坊・壇信徒受付などの広い回廊を巡り拝観した

山門を入った一行

高浜虚子の句碑を観る一行

高浜虚子の句碑

ひらひらと つくもをむひて 落花かな 高浜虚子

講堂の外を庭園に沿い歩く

角を曲がり名勝庭園の正面に出る

庭園正面大広間の襖絵を観る 長谷川等伯・久蔵の彩色画
智積院講堂の襖絵 60点の襖絵が平成20年に奉納されました。作者は現在日本画壇における第一人者、前東京芸術大学副学長・田淵俊夫画伯です(日本の春夏秋冬を題材にした墨絵)

祥雲禅寺時代に造られた石橋より奥の庭園は自然石のみ用いて刈込みを主体とし、深山の中にいるような奥行きのある野生的な雄大さ勇壮さを感じさせてくれます。

縁台廊下に座り庭園を楽しむ

滝の落ちている正面は江戸時代に修築されたもので、石組と植込みとが交互に並び、洗練された美しさが築庭の極限を表現している

座って名勝庭園を楽しむ

石橋が架かる

落ち着いた内庭の佇まい

石灯籠が立つ

真砂の中に石一つ

植生と苔と

布袋図など

伴鐘の吊られた廊下を回る

趣の異なる庭が次々と

廊下伝いに中を一周して最初に外を歩いていたところへ戻って来た

名勝庭園のほぼ全景が見える

長い廊下、高浜虚子の句碑のあるあたり 拝観を終え外に出る

真言宗智山派 総本山智積院の門柱 第13回壇信徒研修会の看板

総本山智積院境内図

総本山智積院の歴史
名勝庭園(江戸時代)
庭園は北を石垣、中央を枯滝組み、南を池泉とした名園で、旧祥雲寺の庭園というが、七世運敞上人が手を加えて中国の盧山の景をかたどって造られたといわれています。
拝観受付から山門を入り講堂・名勝庭園・大書院・畏殿・奥書院・本坊・壇信徒受付などの広い回廊を巡り拝観した

山門を入った一行

高浜虚子の句碑を観る一行

高浜虚子の句碑

ひらひらと つくもをむひて 落花かな 高浜虚子

講堂の外を庭園に沿い歩く

角を曲がり名勝庭園の正面に出る

庭園正面大広間の襖絵を観る 長谷川等伯・久蔵の彩色画
智積院講堂の襖絵 60点の襖絵が平成20年に奉納されました。作者は現在日本画壇における第一人者、前東京芸術大学副学長・田淵俊夫画伯です(日本の春夏秋冬を題材にした墨絵)

祥雲禅寺時代に造られた石橋より奥の庭園は自然石のみ用いて刈込みを主体とし、深山の中にいるような奥行きのある野生的な雄大さ勇壮さを感じさせてくれます。

縁台廊下に座り庭園を楽しむ

滝の落ちている正面は江戸時代に修築されたもので、石組と植込みとが交互に並び、洗練された美しさが築庭の極限を表現している

座って名勝庭園を楽しむ

石橋が架かる

落ち着いた内庭の佇まい

石灯籠が立つ

真砂の中に石一つ

植生と苔と

布袋図など

伴鐘の吊られた廊下を回る

趣の異なる庭が次々と

廊下伝いに中を一周して最初に外を歩いていたところへ戻って来た

名勝庭園のほぼ全景が見える

長い廊下、高浜虚子の句碑のあるあたり 拝観を終え外に出る

真言宗智山派 総本山智積院の門柱 第13回壇信徒研修会の看板

総本山智積院境内図

総本山智積院の歴史

2010/11/28
紅葉の名庭園・京都南禅寺と智積院の国宝・文化財を訪ねて4 文化財研修記
真言宗智山派総本山智積院
京都市東山区東大路七条下がる東瓦町にある智積院は真言宗智山派の総本山として現在全国に末寺三千余ヶ寺を擁し、その中には成田山新勝寺、川崎大師平間寺、高尾山薬王院の大本山を始め、高幡山金剛寺、大須観音宝生寺の別格本山があり壇信徒数は約三十万人にのぼります。
真言宗は弘法大師空海上人により開宗されましたが平安時代末期となると宗風は衰微してしまいます。その時、鳥羽上皇の信任を得た興教大師覚鑁上人が高野山に登り真言教学を再興しました。
晩年覚鑁上人が移り住んだ紀州(和歌山県)根来寺は、最盛期の戦国時代には坊舎二千七百余、住侶六千、所領七十万石を数えるまでに勢力が拡大し、中でも智積院は真言教学を学ぶ学問所として隆盛しました。天正十三年(1585)、根来寺は豊臣秀吉にことごとく焼払われてしまいますが、智積院の学頭(今の学校長)玄宥僧正は、根来の再興を願いつつ多くの学僧と共に高野山、京都と難を逃れていました。元和元年(1615)、徳川家康は秀吉が愛児鶴松の菩提を弔う為に建立した祥雲禅寺を智積院能化(住職)に寄進、以来「五百仏根来寺智積院」と称し、学山の伝統を保ち、法燈を保ち続けています。現在の金堂は昭和五十年弘法大師ご誕生一千二百記念事業としてご本尊大日如来と共に造営されました。

金堂 昭和50年6月15日に宗祖弘法大師ご誕生1200記念事業としてご本尊大日如来の尊像と共に造顕された。

明王殿 奉灯護摩道場

鐘楼

赤い紅葉と黄色の銀杏の対比が見事

金堂の前に集まる参拝者 写真撮影者も多い
ここで待ち受け1号車、2号車の順で記念写真を撮る

記念写真を撮り終え、デジカメで紅葉を撮る

金堂内へ参拝に上がる2号車の一行

金堂ご本尊 金色に輝く大日如来像

右手の明王殿に向かう

参拝する会員たち

大日大聖不動明王 明王殿

研修の僧侶、一列になってここまで進まれたが、大勢の参観者に阻まれ一団になって進まれる

金堂の下に集まった2号車の一行
国宝障壁画
桃山時代全盛期であった狩野派に対抗し、独自の画風を確立した長谷川等伯。その一派によって描かれた障壁画。画面中央に描き出された幹や枝の激しい動き、紅葉や秋草の写実性、空や池の抽象的な表現、それら全てが和合し生き生きと豪華絢爛に描かれた「楓図」等二十五図を見学。
この5月に京都国立博物館で行われた長谷川等伯展で参観した国宝障壁画:「楓図・壁貼り付け」と「松に秋草図・屏風」に再会した

そろって名勝庭園の拝観に向かう
京都市東山区東大路七条下がる東瓦町にある智積院は真言宗智山派の総本山として現在全国に末寺三千余ヶ寺を擁し、その中には成田山新勝寺、川崎大師平間寺、高尾山薬王院の大本山を始め、高幡山金剛寺、大須観音宝生寺の別格本山があり壇信徒数は約三十万人にのぼります。
真言宗は弘法大師空海上人により開宗されましたが平安時代末期となると宗風は衰微してしまいます。その時、鳥羽上皇の信任を得た興教大師覚鑁上人が高野山に登り真言教学を再興しました。
晩年覚鑁上人が移り住んだ紀州(和歌山県)根来寺は、最盛期の戦国時代には坊舎二千七百余、住侶六千、所領七十万石を数えるまでに勢力が拡大し、中でも智積院は真言教学を学ぶ学問所として隆盛しました。天正十三年(1585)、根来寺は豊臣秀吉にことごとく焼払われてしまいますが、智積院の学頭(今の学校長)玄宥僧正は、根来の再興を願いつつ多くの学僧と共に高野山、京都と難を逃れていました。元和元年(1615)、徳川家康は秀吉が愛児鶴松の菩提を弔う為に建立した祥雲禅寺を智積院能化(住職)に寄進、以来「五百仏根来寺智積院」と称し、学山の伝統を保ち、法燈を保ち続けています。現在の金堂は昭和五十年弘法大師ご誕生一千二百記念事業としてご本尊大日如来と共に造営されました。

金堂 昭和50年6月15日に宗祖弘法大師ご誕生1200記念事業としてご本尊大日如来の尊像と共に造顕された。

明王殿 奉灯護摩道場

鐘楼

赤い紅葉と黄色の銀杏の対比が見事

金堂の前に集まる参拝者 写真撮影者も多い
ここで待ち受け1号車、2号車の順で記念写真を撮る

記念写真を撮り終え、デジカメで紅葉を撮る

金堂内へ参拝に上がる2号車の一行

金堂ご本尊 金色に輝く大日如来像

右手の明王殿に向かう

参拝する会員たち

大日大聖不動明王 明王殿

研修の僧侶、一列になってここまで進まれたが、大勢の参観者に阻まれ一団になって進まれる

金堂の下に集まった2号車の一行
国宝障壁画
桃山時代全盛期であった狩野派に対抗し、独自の画風を確立した長谷川等伯。その一派によって描かれた障壁画。画面中央に描き出された幹や枝の激しい動き、紅葉や秋草の写実性、空や池の抽象的な表現、それら全てが和合し生き生きと豪華絢爛に描かれた「楓図」等二十五図を見学。
この5月に京都国立博物館で行われた長谷川等伯展で参観した国宝障壁画:「楓図・壁貼り付け」と「松に秋草図・屏風」に再会した

そろって名勝庭園の拝観に向かう

2010/11/28
紅葉の名庭園・京都南禅寺と智積院の国宝・文化財を訪ねて3 文化財研修記
綾部の文化財を守る会一行74名の昼食は宿坊・智積院会館・一休庵であった。5月に長谷川等伯展を参観した京都国立博物館の近くにバス2台を連ねて移動、境内に入ると随分広い境内駐車場がある。

宿坊・智積院会館 精進料理 こんにゃく料理 一休庵

智積院会館に入る一行

1号車38名・2号車36名の合計74名が2列のテーブルにつく

用意された精進料理をいただく

いろいろな食材が揃えられた精進料理 笊に入った豆腐も美味しい

京みやげ つくだに 縮緬雑魚のつくだにを買った

賑わう土産売店
一足先に四方續夫事務局長と二人で、記念写真撮影場所の選択に出る。場所決定後カメラ機材を取りに一休庵にもどり、食事中のバス運転手一行を探す。バスガイドと一緒に遠くに停められたバスに行き、回覧中のブログ:綾部の文化財日誌のコピー冊子を5冊、1号車・2号車と入れ替え、カメラ機材を持って出る

宿坊・智積院会館 精進料理 こんにゃく料理 一休庵

智積院会館に入る一行

1号車38名・2号車36名の合計74名が2列のテーブルにつく

用意された精進料理をいただく

いろいろな食材が揃えられた精進料理 笊に入った豆腐も美味しい

京みやげ つくだに 縮緬雑魚のつくだにを買った

賑わう土産売店
一足先に四方續夫事務局長と二人で、記念写真撮影場所の選択に出る。場所決定後カメラ機材を取りに一休庵にもどり、食事中のバス運転手一行を探す。バスガイドと一緒に遠くに停められたバスに行き、回覧中のブログ:綾部の文化財日誌のコピー冊子を5冊、1号車・2号車と入れ替え、カメラ機材を持って出る

2010/11/28
紅葉の名庭園・京都南禅寺と智積院の国宝・文化財を訪ねて2 文化財研修記
赤レンガのローマ風な水路閣をくぐって石段を上がった一段高い所にある離宮禅林寺殿の「上の宮」遺跡で南禅寺発祥の地である南禅院にやってきた
南禅院(鎌倉時代国史跡・名勝庭園)
南禅院は亀山法皇の離宮跡で、南禅寺の発祥の地である。南禅寺山を背にした庭園は、亀山法皇みずから作庭したとも伝えられる地泉回遊式庭園。東北隅に滝石組み、曹源池という名の大小の池には、鶴・亀・蓬莱・神仙の四島を配する。とりわけ、新緑と紅葉の季節が美しい。

南禅院の名勝庭園拝観の手続き中の四方事務局長と入門を待つ一行

南禅院国師跡名勝庭園

名勝庭園に沿って散策路を回遊する

紅葉のきれいな中を歩く

亀山法王遺愛の幽邃閑寂な林泉

池の周りを巡る

続々と紅葉を愛でる一行が続く

学生たちの集団に追いつかれた

一山国師霊塔 勅旨により建立

林泉をはさんで紅葉がきれい

築庭に当たって竜田の楓を移植し、井手の蛙を放ったと伝えられる

山裾を林泉にそって巡る

林泉の水面に映る紅葉が万華鏡

戻り道

水路閣の上に上がり琵琶湖疏水の流れを見る 上に建つ塔屋を回る

1号車の方々は先に行かれた様子 集まった2号車の一行

水路閣の見事な煉瓦づくりの橋脚

史跡 琵琶湖疏水のうち「水路閣」

見事な紅葉の下を法堂に向かう

法堂に参拝
法堂(はっとう)
本坊の西側一段低い所に建っている伽藍が法堂である。豊臣秀頼の寄進した法堂は明治28年に消失して、明治42年現在のものが建立された。天井の龍は今尾景年翁崋生の大作である

法堂を後に紅葉の道を散策 昼食場所に向かう
南禅院(鎌倉時代国史跡・名勝庭園)
南禅院は亀山法皇の離宮跡で、南禅寺の発祥の地である。南禅寺山を背にした庭園は、亀山法皇みずから作庭したとも伝えられる地泉回遊式庭園。東北隅に滝石組み、曹源池という名の大小の池には、鶴・亀・蓬莱・神仙の四島を配する。とりわけ、新緑と紅葉の季節が美しい。

南禅院の名勝庭園拝観の手続き中の四方事務局長と入門を待つ一行

南禅院国師跡名勝庭園

名勝庭園に沿って散策路を回遊する

紅葉のきれいな中を歩く

亀山法王遺愛の幽邃閑寂な林泉

池の周りを巡る

続々と紅葉を愛でる一行が続く

学生たちの集団に追いつかれた

一山国師霊塔 勅旨により建立

林泉をはさんで紅葉がきれい

築庭に当たって竜田の楓を移植し、井手の蛙を放ったと伝えられる

山裾を林泉にそって巡る

林泉の水面に映る紅葉が万華鏡

戻り道

水路閣の上に上がり琵琶湖疏水の流れを見る 上に建つ塔屋を回る

1号車の方々は先に行かれた様子 集まった2号車の一行

水路閣の見事な煉瓦づくりの橋脚

史跡 琵琶湖疏水のうち「水路閣」

見事な紅葉の下を法堂に向かう

法堂に参拝
法堂(はっとう)
本坊の西側一段低い所に建っている伽藍が法堂である。豊臣秀頼の寄進した法堂は明治28年に消失して、明治42年現在のものが建立された。天井の龍は今尾景年翁崋生の大作である

法堂を後に紅葉の道を散策 昼食場所に向かう

2010/11/26
紅葉の名庭園・京都南禅寺と智積院の国宝・文化財を訪ねて1 文化財研修記
臨済宗南禅寺派大本山・南禅寺と真言宗智山派総本山・智積院の国宝・文化財を訪ねて
綾部の文化財を守る会の行う第16回秋の文化財・史跡学習会が好天に恵まれ、11月18日(木)午前8:00JR綾部駅北口出発でバス2台74名の参加で行われた。
南禅寺に到着すると京都散策愛好会のガイドさん2名が待っておられた。1号車:田中雅章様、2号車:林千鶴様で、号車毎に京都交通のバスガイドさんとペアで案内していただき、先ず重文の三門前で記念写真を撮影した。
会報:綾部の文化財に紹介の研修旅行募集記事:事務局長四方續夫氏編集および参観パンフレットなどと合わせて、この研修の様子を紹介する。
京都市左京区南禅寺福知町にある臨済宗南禅寺派大本山・南禅寺は京都五山の上(最高位)であります。正式には山号は瑞龍山「太平興国南禅禅寺」といいます。鎌倉時代後期、名僧円爾弁円に禅の教えを乞い、のち出家した亀山法皇は正応四年(1291)、離宮禅林寺殿を改め禅院(禅林禅寺)とし、円爾弁円の弟子大明国師無関普門を迎えて開山とした。
大明国師は同年末に遷化(死去)したので、亀山法皇は、翌年門下の南院国師規庵祖円を第二世住持として迎えた。
南院国師は、十五年を費やして七堂伽藍を整備、創建開山とよばれている。この間,正安年間(1299〜1302)には「太平興国南禅禅寺」と改称する。その後は法流にとらわれず逸材を住持にするという亀山法皇の勅命によって、一山一寧や夢窓疎石ほか名だたる名僧が相次いで住持として入山した。
南北朝時代には禅宗寺院を統制、格付けする五山の制度のなかで「五山の第一」、室町幕府三代将軍足利義満が設けた「五山十刹の制」では、天下第一の禅寺として「五山の上」におかれ、約十万坪の境内に塔頭寺院数十を擁する大寺となって繁栄した。
のち、応仁の乱など三度にわたる大火で壊滅的な打撃を受け、復興は困難を極めたが、慶長十一年(1606)には豊臣秀頼が後陽成天皇の勅命を受けて仏殿を建立して再興。次いで徳川家康の信任篤かった塔頭金地院住持の以心崇伝の活躍により目覚しい復興をとげた。現在、塔頭十二、末寺四百三十ヶ寺。
国宝の方丈は狩野派華やかな襖絵(国重文)で飾られ、国重要文化財の三門(山門)は京都で楼上が公開されている唯一の三門である。又塔頭寺院に蔵される指定文化財、名園も数多い。

大本山南禅寺の山門 外側がバスの駐車場

三門の前方正面にある重要文化財:勅使門の内側(外側はバス駐車場が際までありバスの陰になり写真が撮れない)
勅使門(桃山時代・国重文)切妻造、桧皮葺四脚門。慶長十六年(1611)から造営された御所の「日の御門」を寛永十八年(1641)に賜り移築したもの。虹梁上の蟇股や側面本柱上方の笈形彫刻などに、桃山時代のはつらつした特色が良く現れている。

三門に向かう紅葉の参道

重要文化財:三門 石川五右衛門の伝説で有名
三門(山門・江戸時代・国重文)
五間三戸、二階二重門、入母屋造り、本瓦葺で左右に階段を覆う山廊を備えた典型的な禅宗様の三門である。高い石垣上に西向きに建ち「天下竜門」とよばれる。寛永五年(1628)、津藩主藤堂高虎寄進のもの

三門手前の石段で記念写真を撮り、三門柱廊でガイドさんの説明を聞く1号車の会員に追いついた

南禅寺本坊に向かい拝観に入る、お茶室がある。廊下をまわると紅葉が鮮やかな庭園があった

名勝指定庭園:代表的な禅院式枯山水の方丈庭園
方丈庭園・国名勝は小堀遠州作の「いわゆる虎の子渡し」である。
方丈(桃山時代・国宝)
方丈は大方丈と小方丈からなり、従来女院御所の遺構とみられていたが、近衛信伊の手紙で天正十七年(1589)に秀吉造営の清涼殿の遺構であることが明らかになった。大方丈の中央北に内陣、その南に御昼の間、東に鳴滝の間と麝香の間、西に鶴の間と西の間、南側前面板ばりの広縁、東側に柳の間、西側に狭屋の間がある。小方丈は大方丈に接するが別の建物で伏見城の遺構説と増築説がある。方丈内陣には木造聖観音立像(平安・国重文)、各室には華やかな狩野派の金壁の室の名にちなむ障壁画(桃山・国重文)がある。
元信、永徳、探幽などの襖絵を見て歩く、如真庭を回る

蓬莱神仙庭園

六道庭

鳴滝庭

紅葉のきれいな庭の向こうに緋毛氈が見える

涵龍池 龍吟庭

茶室の不識庵、窮心亭が池を挟んで建っている

苔と石の配置がきれいな庭

ツワブキの黄色い花が印象的な中庭 バックが南禅寺垣か?

紅葉のきれいな庭を見て歩く

紅葉のきれいな庭を見て歩く

紅葉のきれいな庭を見て歩く

お庭を見て歩いて最初の「名勝指定庭園:方丈庭園」に戻ってきた

南禅寺本坊をでると2号車の一行が集まっていた

水路閣に向かって歩く2号車の一行38名とガイドさん

京都散策愛好会ガイドさんの案内で南禅院に向かう
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綾部の文化財を守る会の行う第16回秋の文化財・史跡学習会が好天に恵まれ、11月18日(木)午前8:00JR綾部駅北口出発でバス2台74名の参加で行われた。
南禅寺に到着すると京都散策愛好会のガイドさん2名が待っておられた。1号車:田中雅章様、2号車:林千鶴様で、号車毎に京都交通のバスガイドさんとペアで案内していただき、先ず重文の三門前で記念写真を撮影した。
会報:綾部の文化財に紹介の研修旅行募集記事:事務局長四方續夫氏編集および参観パンフレットなどと合わせて、この研修の様子を紹介する。
京都市左京区南禅寺福知町にある臨済宗南禅寺派大本山・南禅寺は京都五山の上(最高位)であります。正式には山号は瑞龍山「太平興国南禅禅寺」といいます。鎌倉時代後期、名僧円爾弁円に禅の教えを乞い、のち出家した亀山法皇は正応四年(1291)、離宮禅林寺殿を改め禅院(禅林禅寺)とし、円爾弁円の弟子大明国師無関普門を迎えて開山とした。
大明国師は同年末に遷化(死去)したので、亀山法皇は、翌年門下の南院国師規庵祖円を第二世住持として迎えた。
南院国師は、十五年を費やして七堂伽藍を整備、創建開山とよばれている。この間,正安年間(1299〜1302)には「太平興国南禅禅寺」と改称する。その後は法流にとらわれず逸材を住持にするという亀山法皇の勅命によって、一山一寧や夢窓疎石ほか名だたる名僧が相次いで住持として入山した。
南北朝時代には禅宗寺院を統制、格付けする五山の制度のなかで「五山の第一」、室町幕府三代将軍足利義満が設けた「五山十刹の制」では、天下第一の禅寺として「五山の上」におかれ、約十万坪の境内に塔頭寺院数十を擁する大寺となって繁栄した。
のち、応仁の乱など三度にわたる大火で壊滅的な打撃を受け、復興は困難を極めたが、慶長十一年(1606)には豊臣秀頼が後陽成天皇の勅命を受けて仏殿を建立して再興。次いで徳川家康の信任篤かった塔頭金地院住持の以心崇伝の活躍により目覚しい復興をとげた。現在、塔頭十二、末寺四百三十ヶ寺。
国宝の方丈は狩野派華やかな襖絵(国重文)で飾られ、国重要文化財の三門(山門)は京都で楼上が公開されている唯一の三門である。又塔頭寺院に蔵される指定文化財、名園も数多い。

大本山南禅寺の山門 外側がバスの駐車場

三門の前方正面にある重要文化財:勅使門の内側(外側はバス駐車場が際までありバスの陰になり写真が撮れない)
勅使門(桃山時代・国重文)切妻造、桧皮葺四脚門。慶長十六年(1611)から造営された御所の「日の御門」を寛永十八年(1641)に賜り移築したもの。虹梁上の蟇股や側面本柱上方の笈形彫刻などに、桃山時代のはつらつした特色が良く現れている。

三門に向かう紅葉の参道

重要文化財:三門 石川五右衛門の伝説で有名
三門(山門・江戸時代・国重文)
五間三戸、二階二重門、入母屋造り、本瓦葺で左右に階段を覆う山廊を備えた典型的な禅宗様の三門である。高い石垣上に西向きに建ち「天下竜門」とよばれる。寛永五年(1628)、津藩主藤堂高虎寄進のもの

三門手前の石段で記念写真を撮り、三門柱廊でガイドさんの説明を聞く1号車の会員に追いついた

南禅寺本坊に向かい拝観に入る、お茶室がある。廊下をまわると紅葉が鮮やかな庭園があった

名勝指定庭園:代表的な禅院式枯山水の方丈庭園
方丈庭園・国名勝は小堀遠州作の「いわゆる虎の子渡し」である。
方丈(桃山時代・国宝)
方丈は大方丈と小方丈からなり、従来女院御所の遺構とみられていたが、近衛信伊の手紙で天正十七年(1589)に秀吉造営の清涼殿の遺構であることが明らかになった。大方丈の中央北に内陣、その南に御昼の間、東に鳴滝の間と麝香の間、西に鶴の間と西の間、南側前面板ばりの広縁、東側に柳の間、西側に狭屋の間がある。小方丈は大方丈に接するが別の建物で伏見城の遺構説と増築説がある。方丈内陣には木造聖観音立像(平安・国重文)、各室には華やかな狩野派の金壁の室の名にちなむ障壁画(桃山・国重文)がある。
元信、永徳、探幽などの襖絵を見て歩く、如真庭を回る

蓬莱神仙庭園

六道庭

鳴滝庭

紅葉のきれいな庭の向こうに緋毛氈が見える

涵龍池 龍吟庭

茶室の不識庵、窮心亭が池を挟んで建っている

苔と石の配置がきれいな庭

ツワブキの黄色い花が印象的な中庭 バックが南禅寺垣か?

紅葉のきれいな庭を見て歩く

紅葉のきれいな庭を見て歩く

紅葉のきれいな庭を見て歩く

お庭を見て歩いて最初の「名勝指定庭園:方丈庭園」に戻ってきた

南禅寺本坊をでると2号車の一行が集まっていた

水路閣に向かって歩く2号車の一行38名とガイドさん

京都散策愛好会ガイドさんの案内で南禅院に向かう
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2010/11/26
第一回京都府指定無形文化財・黒谷和紙ともみじ祭が11月23日実施された!その3.(最終回) 綾部の文化財
京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」黒谷町(くろたにちょう)は国道27号線の綾部市から舞鶴市に最も近い山間部にある。今から800年前、戦いに敗れた平家の一団が人家の少ないこの山間に身を隠し、周りに自生していた植物「楮(こうぞ)」と谷間を流れる清流の水を利用して紙を作り始めた。その後、この地は黒谷(くろたに)と呼ばれるようになり、紙漉(かみす)き村として発展して来ました。ここには平家の平清盛が紀伊の国熊野詣でを盛んにしたように、古式豊かな熊野神社があり、その紅葉は隠れ郷に相応しく地元の人々のみで「黒谷紅葉祭」が行われて来た。この京都府指定無形文化財黒谷和紙協同組合の福田組合長や自治会に提案したのは他の都市から移住してきた吉野綾野さんが若者達に呼びかけ「黒谷和紙と紅葉祭」実行委員会代表として綾部市の後援をも受けて実行したものである。この素晴らしい和紙を「見て、触れて、体験して」と共に京都府綾部市の隠れた「紅葉の名所」熊野神社で実施したいとの願いでもあり、見学には山崎善也綾部市長や前綾部市長の四方八洲男氏ご夫婦も見学され、四方氏は11月18日に「綾部の文化財を守る会」で日帰り旅行したが、「南禅寺の紅葉もいいがここも又隠れた紅葉の郷だ!」と小生に言われた!全く小生も同感です!小生も秋の紅葉の熊野神社を見たのは初めてであった。圧巻であったのは午後1時30分時からこの黒谷和紙を使って自分でデザインされた服装で篠笛演奏家・森美和子さんが5種類の横笛を使ってコンサートをされたことであった!通常3,000円以上の会費で聞くのだがここでは無料、熊野神社前での個人コンサートは凄かった!第3回目で登場です。
1.熊野神社本殿裏側から境内の紅葉を見る。

2.拝殿と本殿を横から見る。

3.昼食時、11時30分にはかやくご飯、おでんは売り切れ!一杯100円の最期の豚汁を頂き、お不動さんと滝を見に片道500メートルの裏山に登り、12時過ぎ熊野神社へ返り、30分並んで待ち、8個100円のたこ焼き2つ、合計300円で昼食は終りです!たこ焼きを購入のため並んで待つ人々!

4.午後1時30分「第一回黒谷和紙と紅葉祭」実行委員の挨拶

5.福田京都府指定無形文化財・黒谷和紙協同組合長の挨拶

6.篠笛演奏家・森美和子さんが五種類の横笛を使っての素晴らしい演奏です.

7.同上(着物は黒谷和紙を使って森美和子さん自身のデザインの服装です!)

8.同上その3.(森美和子さんの演奏会は全国で実施されてます。特に今年は「風の彩(いろどり)二管の綾(あや)」今第3回の演奏会が篠笛(しのぶえ)・森美和子、真笛(まこぶえ)・山口幹文氏との共演演奏会が全国で「月灯りコンサート」として全国展開しています。次に綾部での開催を案内します!

9.同上その4.「12月5日(日曜日)午後2時から京都府綾部市向田町の真福寺(しんんぷくじ)前売り3,000円、当日3,500円、問い合わせ:090−8574−3658(柏原まで)」

10.同上5.京都府綾部市向田町の真福寺(しんぷくじ)については最期の真福寺の
紹介をクリックして見て下さい!

京都府綾部市向田町(むこだちょう)の真福寺は下記をクリックして見て下さい!
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/271.html
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1.熊野神社本殿裏側から境内の紅葉を見る。

2.拝殿と本殿を横から見る。

3.昼食時、11時30分にはかやくご飯、おでんは売り切れ!一杯100円の最期の豚汁を頂き、お不動さんと滝を見に片道500メートルの裏山に登り、12時過ぎ熊野神社へ返り、30分並んで待ち、8個100円のたこ焼き2つ、合計300円で昼食は終りです!たこ焼きを購入のため並んで待つ人々!

4.午後1時30分「第一回黒谷和紙と紅葉祭」実行委員の挨拶

5.福田京都府指定無形文化財・黒谷和紙協同組合長の挨拶

6.篠笛演奏家・森美和子さんが五種類の横笛を使っての素晴らしい演奏です.

7.同上(着物は黒谷和紙を使って森美和子さん自身のデザインの服装です!)

8.同上その3.(森美和子さんの演奏会は全国で実施されてます。特に今年は「風の彩(いろどり)二管の綾(あや)」今第3回の演奏会が篠笛(しのぶえ)・森美和子、真笛(まこぶえ)・山口幹文氏との共演演奏会が全国で「月灯りコンサート」として全国展開しています。次に綾部での開催を案内します!

9.同上その4.「12月5日(日曜日)午後2時から京都府綾部市向田町の真福寺(しんんぷくじ)前売り3,000円、当日3,500円、問い合わせ:090−8574−3658(柏原まで)」

10.同上5.京都府綾部市向田町の真福寺(しんぷくじ)については最期の真福寺の
紹介をクリックして見て下さい!

京都府綾部市向田町(むこだちょう)の真福寺は下記をクリックして見て下さい!
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/271.html
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2010/11/24
第一回京都府指定無形文化財・黒谷和紙ともみじ祭が11月23日実施された!その2. 綾部の文化財
京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」黒谷町(くろたにちょう)は国道27号線の綾部市から舞鶴市に最も近い山間部にある。今から800年前、戦いに敗れた平家の一団が人家の少ないこの山間に身を隠し、周りに自生していた植物「楮(こうぞ)」と谷間を流れる清流の水を利用して紙を作り始めた。その後、この地は黒谷(くろたに)と呼ばれるようになり、紙漉(かみす)き村として発展して来ました。ここには平家の平清盛が紀伊の国熊野詣でを盛んにしたように、古式豊かな熊野神社があり、その紅葉は隠れ郷に相応しく地元の人々のみで「黒谷紅葉祭」が行われて来た。この京都府指定無形文化財黒谷和紙協同組合の福田組合長や自治会に提案したのは他の都市から移住してきた吉野綾野さんが若者達に呼びかけ「黒谷和紙と紅葉祭」実行委員会代表として綾部市の後援をも受けて実行したものである。この素晴らしい和紙を「見て、触れて、体験して」と共に京都府綾部市の隠れた「紅葉の名所」熊野神社で実施したいとの願いでもあり、見学には山崎善也綾部市長や前綾部市長の四方八洲男氏ご夫婦も見学され、四方氏は11月18日に「綾部の文化財を守る会」で日帰り旅行したが、「南禅寺の紅葉もいいがここも又隠れた紅葉の郷だ!」と小生に言われた!全く小生も同感です!小生も秋の紅葉の熊野神社を見たのは初めてであった。圧巻であったのは午後1時30分時からこの黒谷和紙を使って自分でデザインされた服装で篠笛演奏家・森美和子さんが5種類の横笛を使ってコンサートをされたことであった!通常3,000円以上の会費で聞くのだがここでは無料、熊野神社前での個人コンサートは凄かった!第3回目で登場です。
1.黒谷川の清流

2.臨済宗東福寺派の門徳寺への坂道

3.門徳寺の素晴らしい紅葉の庭園その1.

4.同上 その2.

5.熊野神社への参道

6.熊野神社の鳥居と銀杏の落ち葉のまるで絨毯の参道

7.熊野神社の拝殿

8.拝殿から菱垣の塀が本殿へと続く

9.本殿の裏山の狭い山道を約500メートル登るとお不動さんと約40メートルの滝
が見れる!

10.熊野神社本殿裏の紅葉の木々

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1.黒谷川の清流

2.臨済宗東福寺派の門徳寺への坂道

3.門徳寺の素晴らしい紅葉の庭園その1.

4.同上 その2.

5.熊野神社への参道

6.熊野神社の鳥居と銀杏の落ち葉のまるで絨毯の参道

7.熊野神社の拝殿

8.拝殿から菱垣の塀が本殿へと続く

9.本殿の裏山の狭い山道を約500メートル登るとお不動さんと約40メートルの滝
が見れる!

10.熊野神社本殿裏の紅葉の木々

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2010/11/24
第一回京都府指定無形文化財・黒谷和紙ともみじ祭が11月23日実施された!その1. 綾部の文化財
京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」黒谷町(くろたにちょう)は国道27号線の綾部市から舞鶴市に最も近い山間部にある。今から800年前、戦いに敗れた平家の一団が人家の少ないこの山間に身を隠し、周りに自生していた植物「楮(こうぞ)」と谷間を流れる清流の水を利用して紙を作り始めた。その後、この地は黒谷(くろたに)と呼ばれるようになり、紙漉(かみす)き村として発展して来ました。ここには平家の平清盛が紀伊の国熊野詣でを盛んにしたように、古式豊かな熊野神社があり、その紅葉は隠れ郷に相応しく地元の人々のみで「黒谷紅葉祭」が行われて来た。この京都府指定無形文化財黒谷和紙協同組合の福田組合長や自治会に提案したのは他の都市から移住してきた吉野綾野さんが若者達に呼びかけ「黒谷和紙と紅葉祭」実行委員会代表として綾部市の後援をも受けて実行したものである。この素晴らしい和紙を「見て、触れて、体験して」と共に京都府綾部市の隠れた「紅葉の名所」熊野神社で実施したいとの願いでもあり、見学には山崎善也綾部市長や前綾部市長の四方八洲男氏ご夫婦も見学され、四方氏は11月18日に「綾部の文化財を守る会」で日帰り旅行したが、「南禅寺の紅葉もいいがここも又隠れた紅葉の郷だ!」と小生に言われた!全く小生も同感です!小生も秋の紅葉の熊野神社を見たのは初めてであった。圧巻であったのは午後1時30分時からこの黒谷和紙を使って自分でデザインされた服装で篠笛演奏家・森美和子さんが5種類の横笛を使ってコンサートをされたことであった!通常3,000円以上の会費で聞くのだがここでは無料、熊野神社前での個人コンサートは凄かった!第3回目で登場です。
1.国道27号線の黒谷バス停付近

2.紙漉きの町・黒谷町への橋から見る

3.黒谷和紙ともみじ祭のパンフレット

4.黒谷町案内板

5.毘沙門天堂

6.堂内のユニークな毘沙門天像

7.茅葺の家での黒谷青年会の皆さんの持ち寄った作品販売と製作中

8.上記作品の値段表

9.職人の紙漉き風景その1.自分での体験は500円で一度で葉書サイズの紙が8枚取れるそうです!

10.同上 その2.綾部市のほとんどの小学校の6年生は自分の卒業証書の和紙を口上林の黒谷和紙瀬作所で授業の一環として作ります!

11.京都府指定無形文化財の黒谷和紙協同組合

12.同上 良く売れている販売所内

13.販売所の2階は黒谷和紙資料館で無料で見学できます。

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1.国道27号線の黒谷バス停付近

2.紙漉きの町・黒谷町への橋から見る

3.黒谷和紙ともみじ祭のパンフレット

4.黒谷町案内板

5.毘沙門天堂

6.堂内のユニークな毘沙門天像

7.茅葺の家での黒谷青年会の皆さんの持ち寄った作品販売と製作中

8.上記作品の値段表

9.職人の紙漉き風景その1.自分での体験は500円で一度で葉書サイズの紙が8枚取れるそうです!

10.同上 その2.綾部市のほとんどの小学校の6年生は自分の卒業証書の和紙を口上林の黒谷和紙瀬作所で授業の一環として作ります!

11.京都府指定無形文化財の黒谷和紙協同組合

12.同上 良く売れている販売所内

13.販売所の2階は黒谷和紙資料館で無料で見学できます。

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2010/11/23
阿須々岐神社の御年貢(みねぐ)奉納言葉より 綾部の文化財
先般の綾部市総合文化祭に初めて参加して行った「綾部の文化財ミニ・シアター」の第5番目のビデオ「阿須々岐神社の芸能祭礼・御年貢(みねぐ)」の内容について知るために、ビデオ提供元の梅垣正一幹事のお宅に、お怪我のお見舞い方々、先日の文化財研修旅行で昼食を食べた「総本山智積院・一休庵売店」で買った手土産と「当日の報告ブログのコピー」を持って訪問した。
梅垣正一氏は阿須々岐神社(志賀郷地区金河内町)の直ぐ近くにお住まいで、少し怪我をされ、このご提供いただいたビデオの解説に来ていただけなかったが、お元気になっておられる様子で何よりであった。
お借りした「古典儀式祭礼 御年貢奉納言葉 阿須々岐神社」(加柴嘉雄氏編、B5版10ページコピー資料)から、その、さわりの一部を提供ビデオの画面記録とともに下記に記録する。なお筋書き的な文書はないとのことであった。
少子化により、京都府指定無形文化財:阿須々岐神社の芸能祭礼は、金河内町が当番をされる4年毎にしか行われず、しかも前回取材したときは、御年貢は行われず、子供の太刀振りだけであった。
それでこの子供狂言:御年貢の取材を当会では未だ出来ていない状態である。
ビデオの概要:90分(仕上リハーサル、本番、最後に餅まき風景まで)
出演者:有田ひろみ(3年生)、坂根啓太、有田光文君
大弓神事(金的)のあと、府道口から参道を経て神社まで境内での練り込み行列(途中で御年貢出演3名のお目見栄)、神殿内で3名の参拝後に神殿向かいの籠り屋(演場)に移り、御年貢(みねぐ)が始まる

殿 拙者義な今日た奏者の番に当って御座る。如何様の使者等もお執次な致すで御座る。先ず此の所に控えて居ましょう。

住 私津の国住吉の百姓、毎年の御年貢として、年の松を持って都禁中様へ伺候申す。当年は兎や角と仕る間に年改まって御座れ共、持って参ろうかと存じます。

片 やっとこ取ってはうんとこせ、罷出でましたる者は私津の国片山家の百姓、毎年の御年貢として年のユズリハを持って都禁中様へ伺候申す。当年は兎や角と仕る間に年改まって御座れ共、持って参ろうかと存じます。
ハレヤレ好き連が名ァア。此の先へは誰人やら見える呼バはって連れに致そう ホオイ ホオイ

住 してこっちの事か。
片 成程御自分の事 御自分何処人で御座る。
中略
片 して何処へお出でなさる。
片 私も都禁中様へ さて好い道連れに出会いました 急ぎましょう 急ぎましょう。
住 成程 成程。

片 してこなたの持たっしゃったは何で御座る。
中略
片 これか
住 如何にも
片 これ ゆずりは
住 ゆずりは どこへ
片 これも都禁中様へ
住 さて好い道連れに出会いました 急ぎましょう 急ぎましょう
片 成程 成程 してこなたは奏者を持たっしゃったか。 後略

住 成程 成程やあ急ぐに程なく禁中様の館に着きまして御座る 片山家殿ものも乞はっしゃれ。
片 いいや住吉乞はっしゃれ。
住 然らば乞いましょうか のもう のもう。
殿 ものも たそう。

住 私津の国住吉の百姓 毎年の御年貢として年の松を持って伺候つかまつりまして御座ります 差し上げましょう。
片 中略 差し上げましょう。
殿 やい
住・片 はぁあい
殿 松ゆずりはと言う者は師走の二十七日 早八日にはお祝いこめなさるる者 何として延引仕った其の仔細を申せ。
住・片 はぁあい
住 住吉と申しますは国も大国優長な国で御座りますれば五歳になれば烏帽子を着せ七歳になれば嫁を摂り 彼方の祝儀此方の祝儀と仕る間に年改まりまして御座ります。 後略

殿 それに待たれ 其の由申そう 津の国両所の百姓 松ゆずりは斯くの如し はぁい はぁい はぁぁい
殿 申し上げて有るが 松ゆずりはは延引の処上にもいかい御腹立じゃ 然しながら国も大国優長な国じゃと申し上げてあれば、又た反って御機嫌じゃ それにつき三十一字の歌を読めとある。
住・片 はぁい

住 五月のさんのぼにゃ春の鶯は(この歌は俗に苗取歌という)
片 ほぉい ほぉい ほぉい ほぉい(これは歌のハヤシなり)
殿 やぁい
住・片 はぁい
殿 それは田植歌ではないか。
住 成程田植歌で御座ります 住吉と申しますは何ぞう目出たい事には田植歌を謡います。
中略
殿 して片山家は
片 ふうだぁらくうふや 岸打つ浪は三熊野の那智の御山に響く滝津瀬。
殿 やぁい
片 はぁい
殿 それは巡礼歌ではないか。
片 成程 巡礼歌で御座ります 片山家と申しますは 何ぞう目出たい事には巡礼歌を謡います。
殿 いいや其儀ではない ゆずりはに付て三十一字の句に詰まったる歌を詠めとある。
片 はぁい 吟じて見ましょう。
殿 住吉出来たか。
住 こうも御座りましょうか。
殿 何と
住 住吉の角に雀が巣をくうて。
殿 巣をくうて。
住 さこそ雀が住みよかるらん。
殿 住みよかるらん ほほお 出来た出来た して片山家は。
片 こうも御座りましょう。
殿 何と
片 今年より蔵大宮の譲り得て。
殿 譲り得て。
片 殿も徳わか 我も福わか。

殿 我も福わか ほほお 出来た出来た それに待たれ 其の由申そう 津の国両所の百姓 連れたる歌斯くの如し はぁい はぁい はぁい やい。
住・片 はぁい
殿 申し上げてあるが歌が出来たとあって 上にもいかいご機嫌じゃそれに付 酒三献汲んで相舞に舞うて立てとある さあさあ住吉。

これより 謡い舞い。
ざざんざぁー 浜松の音はざざんざぁー 今年より蔵大官の譲り得て 殿も徳わか 我も福わか とつ盃。

片 やれやれ やれやれ 今日の御年貢も首尾ようすんで目出度い、目出度い。
住 首尾のよい内に急ぎましょう 急ぎましょう。
片 成程 成程

平成14(2002)年の祭礼では、子供の振物はなく、大人の二人による「真剣」の披露(はらり)が行われた
梅垣正一氏は阿須々岐神社(志賀郷地区金河内町)の直ぐ近くにお住まいで、少し怪我をされ、このご提供いただいたビデオの解説に来ていただけなかったが、お元気になっておられる様子で何よりであった。
お借りした「古典儀式祭礼 御年貢奉納言葉 阿須々岐神社」(加柴嘉雄氏編、B5版10ページコピー資料)から、その、さわりの一部を提供ビデオの画面記録とともに下記に記録する。なお筋書き的な文書はないとのことであった。
少子化により、京都府指定無形文化財:阿須々岐神社の芸能祭礼は、金河内町が当番をされる4年毎にしか行われず、しかも前回取材したときは、御年貢は行われず、子供の太刀振りだけであった。
それでこの子供狂言:御年貢の取材を当会では未だ出来ていない状態である。
ビデオの概要:90分(仕上リハーサル、本番、最後に餅まき風景まで)
出演者:有田ひろみ(3年生)、坂根啓太、有田光文君
大弓神事(金的)のあと、府道口から参道を経て神社まで境内での練り込み行列(途中で御年貢出演3名のお目見栄)、神殿内で3名の参拝後に神殿向かいの籠り屋(演場)に移り、御年貢(みねぐ)が始まる

殿 拙者義な今日た奏者の番に当って御座る。如何様の使者等もお執次な致すで御座る。先ず此の所に控えて居ましょう。

住 私津の国住吉の百姓、毎年の御年貢として、年の松を持って都禁中様へ伺候申す。当年は兎や角と仕る間に年改まって御座れ共、持って参ろうかと存じます。

片 やっとこ取ってはうんとこせ、罷出でましたる者は私津の国片山家の百姓、毎年の御年貢として年のユズリハを持って都禁中様へ伺候申す。当年は兎や角と仕る間に年改まって御座れ共、持って参ろうかと存じます。
ハレヤレ好き連が名ァア。此の先へは誰人やら見える呼バはって連れに致そう ホオイ ホオイ

住 してこっちの事か。
片 成程御自分の事 御自分何処人で御座る。
中略
片 して何処へお出でなさる。
片 私も都禁中様へ さて好い道連れに出会いました 急ぎましょう 急ぎましょう。
住 成程 成程。

片 してこなたの持たっしゃったは何で御座る。
中略
片 これか
住 如何にも
片 これ ゆずりは
住 ゆずりは どこへ
片 これも都禁中様へ
住 さて好い道連れに出会いました 急ぎましょう 急ぎましょう
片 成程 成程 してこなたは奏者を持たっしゃったか。 後略

住 成程 成程やあ急ぐに程なく禁中様の館に着きまして御座る 片山家殿ものも乞はっしゃれ。
片 いいや住吉乞はっしゃれ。
住 然らば乞いましょうか のもう のもう。
殿 ものも たそう。

住 私津の国住吉の百姓 毎年の御年貢として年の松を持って伺候つかまつりまして御座ります 差し上げましょう。
片 中略 差し上げましょう。
殿 やい
住・片 はぁあい
殿 松ゆずりはと言う者は師走の二十七日 早八日にはお祝いこめなさるる者 何として延引仕った其の仔細を申せ。
住・片 はぁあい
住 住吉と申しますは国も大国優長な国で御座りますれば五歳になれば烏帽子を着せ七歳になれば嫁を摂り 彼方の祝儀此方の祝儀と仕る間に年改まりまして御座ります。 後略

殿 それに待たれ 其の由申そう 津の国両所の百姓 松ゆずりは斯くの如し はぁい はぁい はぁぁい
殿 申し上げて有るが 松ゆずりはは延引の処上にもいかい御腹立じゃ 然しながら国も大国優長な国じゃと申し上げてあれば、又た反って御機嫌じゃ それにつき三十一字の歌を読めとある。
住・片 はぁい

住 五月のさんのぼにゃ春の鶯は(この歌は俗に苗取歌という)
片 ほぉい ほぉい ほぉい ほぉい(これは歌のハヤシなり)
殿 やぁい
住・片 はぁい
殿 それは田植歌ではないか。
住 成程田植歌で御座ります 住吉と申しますは何ぞう目出たい事には田植歌を謡います。
中略
殿 して片山家は
片 ふうだぁらくうふや 岸打つ浪は三熊野の那智の御山に響く滝津瀬。
殿 やぁい
片 はぁい
殿 それは巡礼歌ではないか。
片 成程 巡礼歌で御座ります 片山家と申しますは 何ぞう目出たい事には巡礼歌を謡います。
殿 いいや其儀ではない ゆずりはに付て三十一字の句に詰まったる歌を詠めとある。
片 はぁい 吟じて見ましょう。
殿 住吉出来たか。
住 こうも御座りましょうか。
殿 何と
住 住吉の角に雀が巣をくうて。
殿 巣をくうて。
住 さこそ雀が住みよかるらん。
殿 住みよかるらん ほほお 出来た出来た して片山家は。
片 こうも御座りましょう。
殿 何と
片 今年より蔵大宮の譲り得て。
殿 譲り得て。
片 殿も徳わか 我も福わか。

殿 我も福わか ほほお 出来た出来た それに待たれ 其の由申そう 津の国両所の百姓 連れたる歌斯くの如し はぁい はぁい はぁい やい。
住・片 はぁい
殿 申し上げてあるが歌が出来たとあって 上にもいかいご機嫌じゃそれに付 酒三献汲んで相舞に舞うて立てとある さあさあ住吉。

これより 謡い舞い。
ざざんざぁー 浜松の音はざざんざぁー 今年より蔵大官の譲り得て 殿も徳わか 我も福わか とつ盃。

片 やれやれ やれやれ 今日の御年貢も首尾ようすんで目出度い、目出度い。
住 首尾のよい内に急ぎましょう 急ぎましょう。
片 成程 成程

平成14(2002)年の祭礼では、子供の振物はなく、大人の二人による「真剣」の披露(はらり)が行われた

2010/11/23
綾部市文化協会会報への提出原稿 綾部の文化財
<題、氏名>16文字x5行の指定
綾部市総合文化祭初参加
文化財と人とのふれあいをテーマに 綾部の文化財ミニ・シアター開催
綾部の文化財を守る会 ホームページ委員長 鍋師 有
<本文>16x60行=960文字の指定
6年前に当会創立35周年記念事 業としてインターネット・ホームペ
ージを開設し、記念式典で展示・映 写を行い開設報告をしました。
その後順調に綾部の文化財、観光 イベント、各地の文化財研修、会報
紹介などの記事公開を重ね、千数百 件の内容になりました。
今回「くらしを彩り、人々のコミ ュニケーションを深め、地域の活性
化を生み出す、文化財と人とのふれ あい」をテーマに2800枚を超える
写真スライドを作成し、中型モニタ ーで連続映写するとともに、ハイラ
イトをA4写真で展示、コピー冊子、会報、ゲスト関連のHPを日替わり
展示しました。
シアターでは公開中のHP・ブロ グを大型スクリーンで映写し、内容
を紹介後にゲストの話し、或いはビ デオの解説をしていただく8回のイ
ベントを組みました。
HP最多登場人物である前綾部市 長の四方八洲男氏を招き「まちづく
りのエピソード 市長在任12年間 をふり返る」市制55周年での足利
尊氏公生誕700年祭から中東和平 プロジェクトまでのHPを紹介して、
Q&A形式でトークショウ。
木下芳信氏には当会の35周年時 も議長祝辞の記録を紹介、嶋万神社
の太鼓踊り・太刀振りHP紹介の後、同保存会提供のビデオを映写、解説
をしていただきました。
吉田晟風氏には弥仙山の春秋行事、於与岐八幡宮の祭礼HP紹介のあと、
当会報に本人投稿記事から、天狗の 鼻高の舞いを解説、市資料館提供ビ
デオの解説もお願いしました。
高倉神社のヒヤソ踊り:四方續夫 氏。阿須々岐神社の御年貢:梅垣正
一氏提供ビデオ。綾部八幡宮のお田 植え式再興を元宮司の四方彰氏投稿
記事より紹介。村上高一会長からは 「人々の努力が文化財を守る」のテ
ーマで、会報の会長記事から仏像の 保存、文化協会の研修旅行:平城京
1300年祭から高津発の木簡など について話されました。
この活動の中で、伝統芸能伝承の 問題、当会の悲願である民俗民具資
料館に廃校舎跡を活用する課題もア ピールでき、ふるさと綾部の各地で
行われている祭りや行事を地域を越 えて市民に紹介できました。
会報「綾部の文化財」も無料配布 し当会の規約や活動についてもPR
出来ました。
詳しい内容報告は、ブログ:綾部の文化財日誌をITでご覧ください。
<添付写真と脚注>

綾部の文化財ミニ・シアター全景
手前から写真・HP展示・写真スライド・ゲストスピーチ・HP・ビデオ映写
写真提供:為廣英隆理事(楞厳寺副住職)

前綾部市長:四方八洲男氏のトーク「まちづくりのエピソード」より
足利尊氏公生誕700年祭(市制55周年事業)を見ながら・・合成写真
写真提供:綾部市文化協会会報編集部
綾部市総合文化祭初参加
文化財と人とのふれあいをテーマに 綾部の文化財ミニ・シアター開催
綾部の文化財を守る会 ホームページ委員長 鍋師 有
<本文>16x60行=960文字の指定
6年前に当会創立35周年記念事 業としてインターネット・ホームペ
ージを開設し、記念式典で展示・映 写を行い開設報告をしました。
その後順調に綾部の文化財、観光 イベント、各地の文化財研修、会報
紹介などの記事公開を重ね、千数百 件の内容になりました。
今回「くらしを彩り、人々のコミ ュニケーションを深め、地域の活性
化を生み出す、文化財と人とのふれ あい」をテーマに2800枚を超える
写真スライドを作成し、中型モニタ ーで連続映写するとともに、ハイラ
イトをA4写真で展示、コピー冊子、会報、ゲスト関連のHPを日替わり
展示しました。
シアターでは公開中のHP・ブロ グを大型スクリーンで映写し、内容
を紹介後にゲストの話し、或いはビ デオの解説をしていただく8回のイ
ベントを組みました。
HP最多登場人物である前綾部市 長の四方八洲男氏を招き「まちづく
りのエピソード 市長在任12年間 をふり返る」市制55周年での足利
尊氏公生誕700年祭から中東和平 プロジェクトまでのHPを紹介して、
Q&A形式でトークショウ。
木下芳信氏には当会の35周年時 も議長祝辞の記録を紹介、嶋万神社
の太鼓踊り・太刀振りHP紹介の後、同保存会提供のビデオを映写、解説
をしていただきました。
吉田晟風氏には弥仙山の春秋行事、於与岐八幡宮の祭礼HP紹介のあと、
当会報に本人投稿記事から、天狗の 鼻高の舞いを解説、市資料館提供ビ
デオの解説もお願いしました。
高倉神社のヒヤソ踊り:四方續夫 氏。阿須々岐神社の御年貢:梅垣正
一氏提供ビデオ。綾部八幡宮のお田 植え式再興を元宮司の四方彰氏投稿
記事より紹介。村上高一会長からは 「人々の努力が文化財を守る」のテ
ーマで、会報の会長記事から仏像の 保存、文化協会の研修旅行:平城京
1300年祭から高津発の木簡など について話されました。
この活動の中で、伝統芸能伝承の 問題、当会の悲願である民俗民具資
料館に廃校舎跡を活用する課題もア ピールでき、ふるさと綾部の各地で
行われている祭りや行事を地域を越 えて市民に紹介できました。
会報「綾部の文化財」も無料配布 し当会の規約や活動についてもPR
出来ました。
詳しい内容報告は、ブログ:綾部の文化財日誌をITでご覧ください。
<添付写真と脚注>

綾部の文化財ミニ・シアター全景
手前から写真・HP展示・写真スライド・ゲストスピーチ・HP・ビデオ映写
写真提供:為廣英隆理事(楞厳寺副住職)

前綾部市長:四方八洲男氏のトーク「まちづくりのエピソード」より
足利尊氏公生誕700年祭(市制55周年事業)を見ながら・・合成写真
写真提供:綾部市文化協会会報編集部
