2010/7/10

7月10日(土)11日(日)知る人ぞ知る有名な「綾部愛石会主催の第41回水石展」が開催された  綾部の文化財

京都府綾部市青野町にあるグンゼ博物苑・集蔵(つどいくら)(入場無料・無料駐車場あもある)で第41回「水石展」が7月10日午前10時から午後5時、11日(日)は午前10時から午後4時まで展示会がみれます。綾部愛石会々長・松本卓二氏にいろいろお伺いした。水石は、砂を敷いた水盤や台座に置いた自然石を卓とともに鑑賞する。展示の石は毎年各会員が違った石を展示する。元は各県の河川で捜したものだが、現在では殆ど見つからないから、購入するか交換で手に入れるかです。今回の出展は23点で小生がはじめて知ったのだが、昨年は佐治川石がもっとも多かった。之は鳥取県の佐治川で良い自然石が出ていたためとの諭旨。綾部の上林川(かんばやしかわ)石も1点展示されていた。今回特に理解できたのは交換や売買のルートがあり、この展示場内でも「売買」が行われていた。3千円のものから数十万円と多種多様である。京阪神からの見学者・購入者も多かった。毎年大体この時期に開催されるので是非自然の「文化財」として見に来て欲しいと願っています。

1.グンゼ博物苑・集蔵前の案内板
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2.開会は午前10時だが9時20分には多数の方々が見学に集まって居られた!で9時50分にオープン
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3.受付風景と水石の専門書「愛石」の販売(昨年は小生も購入した、毎年特別号が出版される諭旨)
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4.今年4月に亡くなられた新宮千秋(昨年別な石の写真を掲載した覚えがある)の「遺愛石・三方石」(福井県の三方五胡の石であるとの事)
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5.左、井上成江氏の「加茂川石」、右は入江幸野氏の「佐治川石」
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6.多くの見学者及び出展関係者
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7.岸見直氏の「大江山石」(京都府福知山市の大江山の石)
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8.宮本太資氏の「佐治川石」
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9.横山巖先生の「多摩川石」(東京の多摩川で取れた自然石)
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10.酒井英一氏の綾部市の由良川の上流「上林川石」
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11.松室信義先生の「佐治川石」
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12.綾部愛石会々会長・松本卓二氏の「矢掛石」岡山県の山奥の自然石の諭旨
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13.全員の方の「水石」を掲載したのですが、不可能で出展目録を掲載します!
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14.自然石の販売(3,000円から数十万円)
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2010/7/9

初夏の奈良の国宝・文化財を訪ねて第7回・国宝の十一面観音像を持つ聖林寺  文化財研修記

奈良県桜井市の多武峯(とうのみね)山麓にある真言宗「聖林寺(せいりんじ)」は藤原鎌足公の長男・定慧(じょうえ)和尚が和銅五年(712)に創建したといわれています。ここからは眺望が良く三輪山や大和盆地がみえます。尚この寺の本尊は石造延命地蔵で安産・子授けの地蔵として知られています。更に国宝の十一面観音像は木心乾漆(きずくりかんしつ)で、高さ196.4センチメートル、流麗な衣文(えもん)の天平時代後期の代表的な仏像です。元は大神神社の神宮寺であった大御輪寺の本尊でしたが明治の廃仏毀釈のとき、当寺に移されました。この寺の裏の山は小倉山であり万葉集に舒明天皇が読んだ歌「夕されば 小倉の山に鳴く鹿は 今宵(こよい)は鳴かず寝(い)ねにけらしも」(巻八・1511)京都の平安京が出来た時に同じ名前の小倉山を名付けたという。次回は天理市の石上神宮(いそのかみじんぐう)です。

1.聖林寺への案内看板
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2.聖林寺下の墓地
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3.聖林寺
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4.聖林寺三門
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5.聖林寺から三輪山と」大和盆地を見る
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6.梵鐘
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7.本堂その1.
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8.本堂その2.
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9.国宝十一面観音立像(上半身のみ、宝相華唐草の光背は奈良国立博物館に寄託中)
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2010/7/7

初夏の奈良の国宝・文化財を訪ねて!その6.大織冠・藤原鎌足を祀る談林神社その2.  文化財研修記

奈良県桜井市はその山頂(標高608メートル)付近にある。藤原鎌足を祀る旧別格官幣社である。建物の多くはあでやかな朱色に彩しられ、春はサクラ、秋は紅葉覆われている。いわば関西の日光であるとも言われている。多武峯の駐車場から天を突く杉の木立が続くが是が参道である。談林神社は明治の廃仏毀釈で神社になる前は、多武峯寺、多武峯と称する寺院であった。参道入口には江戸時代の両袖付きの高麗門である東大門があり、門の手前に「女人堂道」と記した石標がたっており、多武峯は女人禁制であったことを示している。舒明・皇極二代の天皇の世、曽我蝦夷と入鹿の勢力は強まり、国の政治を欲しいままにしていた。この時、中臣鎌子(後の藤原鎌足)は強い意志で国家のあり方を考えておりました。たまたま飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)で聡明な皇太子と知られていた中大兄皇子の蹴鞠の靴をひろい見しりあっていた中大兄皇子と西暦645年の5月二人は多武峯の山中に登り、「大化の改新」の談合を行ったのです。後にこ野山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び談林神社の社号の起こりとなりました。鎌足は天智天皇(元、中大兄皇子)の元で日本を世界に誇る国家にするため一生涯を国政に尽くしました。天智天皇8年(669)鎌足公病床の時、大織冠(だいしょくかん)を授け内大臣に任じ藤原の姓を与え、ここに藤原の姓が始まったのです。鎌足没後、長男の定慧和尚は留学中の唐より帰国、父の由縁深い多武峯に墓を移し、十三重塔を建てました。大宝元年(701)に神殿が創建され、鎌足公の御神像を祀り今日に至ります。尚、談林神社の裏の御破裂山(標高607メートル)には鎌足公の墓所があり国家異変の場合に本殿(松霊院)に祀られている鎌足公の神像が破裂するといわれ、中期以降は藤原一門を震害させ、都から告文使が送られ奉幣祈願の儀式が行われてきた。次は国宝の十一面観音立像を持つ聖林寺です。

1.談林寺周辺マップ
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2.神廟拝所内16歌仙
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3.国重要文化財の室町時代の十三重塔(各層は3間、屋根は桧皮葺で初重の屋根を特に大きくし、二重以上は軸部を非常に短く造り、頂きに青銅の相輪をのせている。)
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4.国重要文化財・楼門(江戸時代)
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5.西側の校倉(あぜくら)造りの西宝庫(国重文、江戸時代)
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6.国重文・朱塗りの楼門(江戸時代)
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7.鎌足公長男の定慧が唐から持ち帰り植えた「菴羅樹(あんらじゅ)」の木
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8.楼門内から本殿を拝する
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9.本殿(国重文、旧寺の聖霊院で三間社・隅木入りの春日造りで朱塗りの上に極彩色の装飾施し、内部に藤原鎌足公の木像を安置している。)
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10.拝殿内の藤原鎌足公の肖像画の掛軸
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2010/7/7

初夏の奈良の国宝・文化財を訪ねて!その5.大織冠・藤原鎌足を祀る談林神社その1.  綾部の文化財

奈良県桜井市のJR桜井駅かの南方に広がる山麓一帯を多武峯(とうのみね)と呼ぶが、談林神社はその山頂(標高608メートル)付近にある。藤原鎌足を祀る旧別格官幣社である。建物の多くはあでやかな朱色に彩しられ、春はサクラ、秋は紅葉覆われている。いわば関西の日光であるとも言われている。多武峯の駐車場から天を突く杉の木立が続くが是が参道である。談林神社は明治の廃仏毀釈で神社になる前は、多武峯寺、多武峯と称する寺院であった。参道入口には江戸時代の両袖付きの高麗門である東大門があり、門の手前に「女人堂道」と記した石標がたっており、多武峯は女人禁制であったことを示している。舒明・皇極二代の天皇の世、曽我蝦夷と入鹿の勢力は強まり、国の政治を欲しいままにしていた。この時、中臣鎌子(後の藤原鎌足)は強い意志で国家のあり方を考えておりました。たまたま飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)で聡明な皇太子と知られていた中大兄皇子の蹴鞠の靴をひろい見しりあっていた中大兄皇子と西暦645年の5月二人は多武峯の山中に登り、「大化の改新」の談合を行ったのです。後にこ野山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び談林神社の社号の起こりとなりました。鎌足は天智天皇(元、中大兄皇子)の元で日本を世界に誇る国家にするため一生涯を国政に尽くしました。天智天皇8年(669)鎌足公病床の時、大織冠(だいしょくかん)を授け内大臣に任じ藤原の姓を与え、ここに藤原の姓が始まったのです。鎌足没後、長男の定慧和尚は留学中の唐より帰国、父の由縁深い多武峯に墓を移し、十三重塔を建てました。大宝元年(701)に神殿が創建され、鎌足公の御神像を祀り今日に至ります。

1.談林神社周辺マップ
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2.談林神社全景
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3.旧別格官幣社「談林神社」
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4.鳥居と140段の石段
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5.途中から左側へ向い入山して行く。
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6.国重文の総社本殿(江戸時代)
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7.国重文の定慧和尚が創建した「閼伽井屋(あかいや)」創建時、この井戸から龍がでたといわれている。(江戸時代)
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8.国重文の「神廟拝所」(元、講堂)
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9.大和七福八宝「福禄寿大師」毎年1月3日大祭が行われます。
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10.神廟拝所入口から十三重塔を見る。この前の広場は「けまりの広場」と呼ばれ毎年4月29日(祝)「春のけまり祭」11月3日に「けまり祭」が行われます。
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11.国重文の神廟拝所への入口
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12.如意輪観音坐像
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2010/7/5

第25回琴城流・大正琴演奏会が7月4日京都府中丹文化会館で華麗に実施された  綾部の文化財

大正琴はその名の通リ、大正元年に名古屋の「森田吾郎」の手によって誕生した楽器で、既にその誕生から90余年の歳月が過ぎています。誕生当時は、現在のようにマスコミもなく、地道な普及活動でその楽器の素晴らしさを広めてきました。弦を押さえるキーは、当時流行っていた,お洒落なレミントンのタイプライターのキーをヒントにどのような年代の人も楽しめるようにつくられました。その努力が約90年の年月を経て、ようやく結実し始めています。現在、大正琴を楽しまれている人々は約300万人とも500万人ともいわれ、その実数は定かではありませんが、大正琴は確かに人々の間に根ずいてきています。大正琴のその名を後世に残すため名古屋の大須観音境内に「大正琴発祥の地の碑」が建立されており、9月9日を大正琴の日と定め、毎年多くの愛好者が集い大正琴大祭を開催しています。2002年度から全国の中学校で和楽器を活用した音楽教育が始まり、区分によれば大正琴は和楽器に分類され、その時から音楽教育に大正琴が加わったことになります。(プログラムの案内文章から抜粋)午後1時から始まり午後530分まで華麗な独特の哀愁のある演奏を楽しませてもらいました。

1.京都府中丹文化会館前の案内板
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2.プログラム表紙
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3.プログラム(第一部9景、第二部15景、第三部5景
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4.第一部・第一景 オープニング「大正琴一代」
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5.琴城流大正琴家元代理のご挨拶
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6.第七景 アンサンブル「テネシーワルツ」
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7.第二部 第一景中部西日本ブロック大会びわ湖ホール出場のアンサンブル「五番街のマリー」「なごり雪」
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8.功労者の表彰「代表:琴城流大正琴教授・鈴木琴修麗(宮崎愛子先生)」が挨拶
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9.第六景 賛助出演:子供たちによる 「岸の上のぽにょ」
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10.第七景 賛助出演:SKIフラ北部サークルいよる「フラダンス3曲」
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11.第三部 新名取披露(過去最大の15名)
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12.新名取になられた方々
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13.新名取披露「手ぬぐい撒き」
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14.第一景 新名取披露 邦楽「小鍛冶」
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15.第二景 新准師範披露 邦楽「娘道成寺」
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16.第三景 新師範披露 邦楽 前弾き付「連獅子」
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17.第四景 高資格者(講師、准教授、教授)邦楽 前弾き付「新勧進帳」
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18.第五景 フイナーレ「遠き山に日は落ちて」「蛍の光」
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2010/7/4

初夏の奈良の国宝・文化財を訪ねて!その4.国宝・重文の山・當麻寺その4.別格本山・当麻寺中之坊  文化財研修記

既に当麻寺の由緒、中将姫信仰物語など掲載して来ましたが、高野山真言宗別格本山當麻寺中之坊は白鳳時代(7世紀末)の當麻寺開創に伴い、役行者(えんのぎょうじゃ)が道場として開いたのが中之坊で、天平期(8世紀)、十一世実雅上人(中将姫の師)の代に當麻寺住職の住房「中院御坊」として成立。以来、山内の筆頭寺院として代々當麻寺を護持してきた。弘仁時代(9世紀初)十四世実弁上人が弘法大師空海に教えをさずかり、以後、當麻寺は真言宗の霊場となり、今も中之坊は別格本山として大師信仰、観音信仰の中心を担っています。次回は桜井市の山奥にある(山を越えると明日香村)藤原鎌足を祀る「談山神社」を訪れます。

1.大和三名園の1つの案内駒札
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2.国の重要文化財の書院
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3.松尾芭蕉句碑
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4.本堂「中将姫剃髪堂、導き観音を祀る、大和七福神霊場」その1.
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5.同上 その2.
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6.茶筌塚
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7.大和三名庭園の一つ史跡・名勝・桃山時代「香藕園(こうぐうえん)」他は吉野山の竹林院と慈光院の庭園です。その1.
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8.同上 その2.
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9.国重要文化財の茶室「双塔庵」
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10.中之坊での精進料理4名以上で1週間前までに申し込む。水曜日休み。之は@1,575円の精進弁当で大変美味であった。
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大和三名園の一つ「竹林院」は下記をクリックして見てください。
http://www.ayabun.net/kensyu/yosino2/yosino.html

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2010/7/4

初夏の奈良の国宝・文化財を訪ねて!その3.国宝・重文の山・當麻寺その3.見事な国宝東塔から中之坊へ  文化財研修記

奈良県から大阪府河内(今の堺市)に続く、古代の竹之内街道(たけのうちかいどう)、ここを越えると大阪府太子町(聖徳太子廟がある)、そして右側が雄岳、左が雌岳(標高515メートル)」の麓に当麻寺ある。この寺は現代真言宗・浄土宗の両宗を奉ずる珍しい寺である。今回は過去2回にわたって見てきた部分に加えて、見事な国宝東塔を中心に高野山別格本山の当麻寺中之坊までを見てみます。次回は当麻寺の最終回で「導き観音(中将姫を手引きしたことで有名)」で有名な大和三名園の1つを持ち、又国の重要文化財の書院・茶室を見ます。尚、最期の所に竹之内街道から大阪府の太子町の「聖徳太子廟」をクリックして見れるようにしました。

1.西側から見る国宝の東塔
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2.東側から見る見事な国宝の東塔
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3.東塔の見事な桁(けた)や梁(はり)
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4.東塔から西方浄土に向かって太陽が沈む二上山(ふたがみやま)、右が雄岳(標高515メートル)、左が雌岳
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5.本堂右奥にある寺は浄土宗大本山京都知恩院の奥院です。南北朝時代戦乱を避け多くの寺宝がここに移されていました。今も知恩院の奥院として参拝者があります。
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6.高野山真言宗別格本山当麻寺中之坊 その1.(奥に国宝東塔が見える)
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7.同上 その2.入口前の駒札
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8.中之坊の土間にある秘薬「陀羅尼助」精製の釜
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古代の竹之内街道を大阪府の太子町に入ると「聖徳太子廟」がある。見たい方は下記をクリックして見て下さい。
http://www.ayabun.net/kensyu/naniwanokuni.htm

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2010/7/3

初夏の奈良の国宝・文化財を訪ねて!その2.国宝・重文の山・當麻寺その2.中将姫とその信仰  文化財研修記

當麻寺(たいまでら)の創建は612年に聖徳太子の教えに従って、異母弟の麻呂子親王が河内に万法院を建立した。その後、親王の夢に従って、681年当麻国見(たいまのくにみ)が、役行者(えんのぎょうじゃ)開山のこの地へ移したのが当麻寺です。金堂に本尊として弥勒菩薩像が祀られ」、役行者が百済(韓国のくだらのくに)より四天王を飛来させ、次いで講堂、東塔、西塔、そして現在の本堂である曼荼羅堂(まんだらどう)が完成し、伽藍が整えられた。平安期には四十余坊、江戸期にも三十一坊があったと言うことです。天平時代,藤原家の娘・中将姫(ちゅじょひめ)は継母に妬まれ命を狙われ続けられました。そして1000巻の写経を成し遂げた16歳のある日、この二上山(ふたがみやま)に沈む夕陽に阿弥陀如来の姿を見た姫は、現世の浄土を求めて都を離れ、観音様に手を引かれるように当麻寺を訪れます。当時の住職・實雅法印(じつがほういん)に認められ中之坊にて尼僧にとなり、法如(ほうにょ)という名を授かりました。その後、あの日見た阿弥陀如来さまの居られる極楽浄土の光景を,五色の蓮(はす)の糸によって織り表しました。これが国宝・当麻曼荼羅(たいままんだら)です。その輝きに心を救われた法如(中将姫)は、人々に現世浄土の教え(この世で浄土を観じる教え)を説き続け、29歳の春、不思議にもその身のまま極楽浄土へ旅立たれたと云うことです。次回は東塔、二上山、仲之坊へ行きます。

1.中将姫(ちゅじょひめ)案内板
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2.中将姫の銅像
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3.仲之坊にある中将姫の髪塚案内板
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4.仲之坊にある中将姫(法如)の髪塚
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5.中将姫の周りの人々
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6.見事な国宝の西塔(最近、奈良県立樫原考古学研究所の発掘により680年白鳳時代の創建と判明)
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7.西塔近くの浄土宗の塔頭寺院「護念院」
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8.国宝の東塔へ行く途中の「日本最古の石灯籠」案内板
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9.国の重要文化財「日本最古の石灯籠」
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2010/7/2

初夏の奈良の国宝・文化財を訪ねて!その1.国宝・重文の山・當麻寺その1.  文化財研修記

7月1日(木)大変蒸し暑い中、大和の国・葛城市の高野山真言宗別格本山の国宝と重文の山・當麻寺(たいまでら)を訪れた。案内は奈良県文化財保護委員の岡田清氏である。この当麻寺はもとは聖徳太子の異母弟の、麻呂子親王が(この麻呂子親王は京都府の大江山の鬼退治でも有名で、源頼光を率いて、京都府の宮津市まで追いかけて首を取ったと云われている。大江町の元伊勢神宮内宮には麻呂子親王お手植えの巨大な神木のスギの木がある。)が612年に河内国(かわちのくに、今の泉大津市など)につくられたという禅林寺を、681年に役行者(えんおぎょうじゃ)開創の当地に移したものと伝えられる。白鳳時代(650)から天平時代(730)にかけて金堂(国重文)、講堂(国重文)、国宝の東西両塔、本堂(国宝)などの伽藍が完成したと見られ、現在幾つかの塔頭寺院(たっちゅうじいん)その伽藍を守護する形をとっている。初めは南都六宗の一つ,三輪宗を奉じていたが,弘仁年間(810〜24)に弘法大師空海が本堂に参籠して以来真言宗となる。本堂内に空海参籠の間がある。同じく役行者の間もある。その後、南北朝時代(1345頃)に浄土宗も入り、現在では真言・浄土両宗を奉ずる珍しいかたちをとっている。有名な藤原中将姫(ちゅしょうひめ)の信仰の話は次回で!

1.東大門(乗用車は東大門近くの有料駐車場に置けるが、大型バスの場合は大和高田バイパスの駐車場から両側の古い門前町を登って約10分です)
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2.東大門の阿形(あぎょう)
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3.東大門の吽形(うんぎょう)(阿吽の呼吸はここからきたのです)
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4.今日の案内は奈良県文化財保護指導員の岡田清氏で「国宝・当麻寺曼荼羅(その原本は中将姫によって蓮糸で織られた根本曼荼羅で国宝)」の写真を使って説明された。
阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩を中心に極楽浄土の有様が華麗豪華に描かれている。
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5.日本最古の国宝の梵鐘
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6.国重文の金堂(中には後で入って拝観したが、国宝の塑像(そぞう)の弥勒菩薩坐像や乾漆(かんしつ)造りの国重文の四天王立像、国重文の木造吉祥弁天立像が見られる。
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7.国宝の本堂「中には当麻曼荼羅厨子(国宝)」、役行者の間と像、弘法大師空海参籠の間もある。
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8.本堂入口
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9.西塔(国宝)への途中には最近女性に人気のある関西花の寺第21番札所の塔頭寺院・西南院がある。
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10.西塔(国宝)が見える。この西塔は平安時代ものと考えられてきたが、最近奈良県立考古学研究所の調査では飛鳥時代(680)の創建の瓦が発掘された。
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丹波のカラス寺・関西花の寺第2番札所は京都府綾部市にあります。見たい方は下記をクリック願います!
http://ayabun.net/bunkazai/annai/ryogonji/ryogonji2.html

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2010/7/2

綾部の文化芸術活動家シリーズ第4回野崎義典水彩画展が開催中  綾部の文化財

小生の入院等で取材停滞中であった「綾部の文化芸術活動家シリーズ」第4回は小生の綾部高等学校時代の同級生の野崎義典君(西原町)の水彩画展が綾部アスパ2階Bホールで2010年7月2日(金)午前10時〜午後6時まで開催されています。最終日の7月4日(日)は午前10時〜午後5時で終了です。彼の専門は油絵出すが、今回の出展は「水彩画展」と言うことで、見に行ってきました。油絵は「子供の頃」など良く見ていますが、この水彩画展の絵も素晴らしく、44点が展示されています!彼の父上も学校の教師で絵画の先生でした。その血を引く蹴れも京都教育大学、中央美術学校卒業後、綾部市の中学校教師となり、絵画を教えていたが、教師は忙しくて年休も取れない状況で絵を描くため綾部市の事務職員に衣替えして、多くの作品を描きました。

1.作品「春野」の横に立つ野崎義典画伯
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2.見学者と作品群
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3.作品「春の流れ」
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4.冬の川
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5.残雪
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6.山間の流れ
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7.展示作品と野崎義典画伯略歴
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