2009/7/17

綾部井堰取水口〜綾部用水へ  綾部の文化財

満々と湛えられた綾部井堰の左端、並松側の一角に取り入れ口がある。これが綾部の市街化区域と農業調整区域の境を高津まで流れる綾部用水である。
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綾部井堰の取り入れ口
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灌漑用水取り入れ口から上流を見る。国の登録有形文化財(建造物)に指定された綾部大橋が見える
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内堤防と外堤防の2重になった堰堤の間を用水が流れる
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用水路は新丹波大橋をくぐって、両堤防間にある河川敷に設けられた市民グランドの方へ流れていく
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綾部用水水門
市民グランドの野球場とテニスコ−トの間にあり、この水門までは、味方井堰の取水口から入った由良川の水は市民グランドを夾む東西の2重堤防の外側下を流れて、この水門から堤防外に出る
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綾部市井倉町より福知山市前田まで近代的な用水路に構築
綾部・福知山用排水改良工事
昭和29年〜40年、13年間の府営工事
用水総延長:8611m 総工費:7、770万円
排水路総延長:7505m 総工費:13,394万円
綾部、福知山両市より特別助成
 昭和41年11月11日 竣工式典
「水は人々の 且つ 万物栄養の素」
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上記の綾部用水取水口の上流にある。川糸樋管 樋門放水路 排水
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川糸樋管 樋門放水路 排水
上記の樋門の百メ−トル程下流にあり、こちらは用水路の中に設けられている

2009/7/16

滔々と流れる綾部井堰の景観を楽しむ  綾部の文化財

遠く京都市北部である芦生の源流から美山、和知と流れくだり、京都北部を流れる大河「由良川」の水流が、しばし静止する綾部井堰を写した
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綾部井堰、この上流は広々とした水面で、ボ−ト遊びも出来る
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綾部大橋が見える。市内に入る一方通行の車道で、大本節分祭の人型流しは、この橋の上から行われる。大本では由良川を和知川と呼び、弥仙山と和知川を毎朝の祈りの言葉の中で、たたえられている
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四角いブロック平面を流れる
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綾部井堰を流れる水流
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重なった段を次々と泡を立てて流れる
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綾部井堰下流からの全景

2009/7/16

由良川の流れに沿って・・並松史  図書紹介

緑の文化財「綾部の古木名木100選」の由良川並松町川岸:クロマツ、並松の由来となったの紹介資料(後日、四方續夫事務局長が記事アップ予定)
さらに、先の「由良川井堰中興の祖 近藤勝由頌徳碑」および「綾部井堰堰堤工事などの記念塔」の関係資料として、この「並松史」を求めたところ、早速にも四方續夫事務局長より届けていただいた。
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並松町自治会編A4版60ページ、並松史編集委員会(四方真人、朝日達郎、余田修、上西信行、四方源太郎)の手になる冊子である。

上記の近藤勝由、綾部井堰に関係する記述を以下に引用させていただく。頌徳碑の碑文についての解読はまた別の資料をさがすこととする。

☆由良川の井堰
 並松には綾部井堰がある。井堰は灌漑用として田畑で利用する水を確保するために築かれた。「伝承によると、綾部井堰は平重盛が綾部を領していたときに築いたということであり・・」と『綾部市史』には記されているが、いつ頃からのものであるかの確かな史料はない。寛永11年(1634)に九鬼隆季が綾部に入ったときの絵地図には、すでに綾部井堰が記されている。
 綾部史談会の山崎巌会長によると、史談会の歴代会長によって、この点については異なる見解があるそうだ。重盛による築造というのは村上祐二さんの説であり、その後、梅原三郎さんは『大規模な土木工事には、この地域をまとめる大きな権力が必要だ」と見ていて、室町・戦国時代の頃ではないかと考えておられたという。
 山崎さんは江戸時代後期に福知山藩士が書いた『丹波志』の「何鹿郡の部」に、「綾部井堰は明智氏によって作られた」という記述があることを根拠に、明智光秀が築造したのではないかとの説を支持しておられる。ただ、光秀は2年程しか丹波を治めていなかったので、その短期間に綾部井堰のような大事業ができたのかという疑問もあり、今のところ築造時期は不明とのことであった。
 堰の杭や桁に使用する材木は、須知山口井根山(大師山)と田野村宮ノ奥のニケ所を井堰御留山として、藩の許可を得て切り出していた。井根山の名は、井堰の杭に由来している。

 綾部藩は、天田井堰の復修や上流と下流の農民による水をめぐる紛争に手を焼いていた。慶応2年(1866)の大洪水で綾部井堰の下流にある天田井堰が大破したため、綾部藩の代官近藤勝由は、藩主九鬼隆備に二つの井堰を一つにすることを提案し、中筋村の大庄屋羽室嘉右衛門の協力を得て、慶応3年3月にエ事を完成させ、これにより、現在の綾部用水の基礎ができた。
 明治17年にも、近藤(当時は士族)は綾部井堰を急斜式(登り堰)に改造する工事を行った。この近藤の功績を顕彰する碑が並松町の市民センター横に建てられている。
 後に、昭和28年の台風13号によって、江戸時代からのこの綾部井堰は跡形もなく流失した。これは灌漑や水道に大きな影響を与えたため、早急な復旧が求められ、綾部市が建設省から1億円余りの災害復旧費を受けて、29年2月から工事を開始し、35年に完了した。
 古い綾部井堰は、由良川を斜めに横断していたので、28年の水害では味方地区に大きな被害を与えた。そのため、現在のものは水流と直角になるように設計されている。現在の井堰は、長さ212.3m、幅45m、落差2mの当時としては近代的な堰堤であった。

2009/7/16

綾部に又名物「自家製麺のうどん店・こさか」が開店大繁盛  あやべの街

綾部市本町8丁目101番地にに平成21年4月に自家製麺・うどん店「こさか」が開店した。小生入院中で紹介が遅れましたが、この度、姉の案内で家内と3名で昼食を「うどん」に決めて食事に出かけた。噂さにたがわず、店はカウンター7席と待合席6つのこじんまりとした店であったが、お客は絶え間なく入れ替わって入ってくる。なるほど昼定食はたった500円で自家製麺のうどん、おでん2個、小盛のご飯が付いていた。これで女性の方は満腹。小生欲張って「1個100円のおでん」を三個追加して食べたら腹一杯となり困ったが満足。店の名の由来は旦那さんの小村の「こ」と奥様の旧姓・さかむらから「さか」を取って「うどん店・こさか」と名付けたとのこと。水曜日は閉店、通常午前11時30分〜午後2時30分、夕方は午後5時〜午後8時30分の諭旨。因みに電話は0773−43−2234です。!駐車場も横にあり、多数の駐車は可能です。

1.自家製麺・うどん店「こさか」
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2.入口から入る人々
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3.入り口のメニューの案内板
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4.カウンター7席と待合席6席とこじんまりとしているがご夫婦の笑顔とサービスは満点
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5.ご主人の自家製麺作り
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6.おいしい「うどん」昼は300円のみで、おでんは一個100円、ご飯小100円、ご飯大150円(小生は辛口が好み、辛口好みは事前に言った方が良い)
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2009/7/16

綾部井堰堰堤工事などの記念塔  綾部の文化財

綾部市民センタ−の裏側に一郭を設けて二つのモニュメントが立っている
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記念塔の建設
綾部井堰水利組合が土地改良法の改正で解散、綾部井堰土地改良区を設立、改良事業誌を編纂、刊行するに至った。それ等を記念し記念塔を建設
晴れわたる空を まみずの 尊さを想う
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綾部福知山用排水改良工事
水は人々の且つ万物栄養の素
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綾部井堰堰堤工事
昭和28年9月の大洪水に堰堤が全部決壊したので、災害復旧事業として建設省の査定を受け綾部市が施工する。
堰堤長:212.3m 幅員:45m
総工費:113,01千円 にて完了する。
岩をも打ちくだく水 しばし砂中を むげに歩む
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災害復旧本宮堤防
国営由良川改修工事
水は雲と化し台風を起こし洪水を生む
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綾部用水改良工事
水は水平にすなをにつく本性あり
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綾部福知山排水事業完工記念塔
水の能らきとその性を称える

舞鶴のバスの屋根に取り残され由良川の濁流に耐えた報道など、先年の台風23号も大きな被害をもたらし、福知山市に洪水記念館が建てられ洪水の歴史資料を保存する報道がされている。
「28水」と呼ばれる洪水では、由良川の湾曲部であるこの辺り一帯:並松の堤防が決壊し、市街地に水がまともに流れ込んだ。綾部市街のかなりの土地が冠水する大被害となった

2009/7/16

由良川井堰中興の祖 近藤勝由頌徳碑  綾部の文化財

綾部市民センタ−の裏側に一郭を設けて二つのモニュメントが立っている。その一つが昭和10年建立になる「近藤翁頌徳碑」である。碑文は難しくて私の力では読めないので、最近編纂されたと聞く「並松史」を参照させてもらえるよう四方續夫事務局長に依頼する。
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近藤勝由頌徳碑
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近藤勝由頌徳碑 拡大(写真をクリックください)

丹の国綾部 第4話 九鬼氏と綾部の人々より
http://www.nbcayabe.com/kaiki/kuki.htm
に九鬼藩士で由良川改修に功績のあった近藤代官(近藤勝由)のことが書かれているので紹介する
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綾部藩と由良川
九鬼氏の治世をしのぶとき必ず思い出されるのは、丹波にとって母なる大河由良川である。山間の地に 塞せしめられた日本水軍の総帥九鬼氏の郷愁をなぐさめた由良川は、古来郷土の文化、産業、経済、交通その他あらゆる社会事象の母胎をなして来た。明治までの日本海表日本への物質の運搬はほとんど、大島福知山由良湊を経て通船で行われた。川筋の村々には船舶があり、庄屋は船問屋役をかねて大いに繁盛した。
 ”位田、栗村、大島、高津、人の情けのない所”と、いまだに人々の口にされるのは、川筋の村々にとって度重なる洪水との戦いと、通船による商いの活発化によって、綾部人としてはどちらかといえば、きびしい合理性を身につけていたためと推察される。
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丹波からの下り船は、茶、木綿、うるし実、木材、竹、桐油美、木炭、楮三つ又、こんにゃく、柿、大豆等であり、上り船は酒、油かす、干いわし、塩等であった。
由良川水路が商業交通路として重要であったことは、京都、長柄屋治兵衛が宝暦九年(1759)に由良川と保津川とを運河で結んで京阪神と北国の物産とを直結しようと計ったことでもわかる。
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由良川の水を治めて五穀豊穣を願う心は、古来から綾部領主の願う処で、並松の景勝を作る綾部井堰、義人吉次郎の物語も悲しい位田井堰は、両丹最大の灌漑施設で、その建設年代も定かでない。九鬼隆季公が寛永十年(1633)入部された時の陣屋古図にはすでに井堰用水路が描かれており、それ以前の記録はないが、井倉八幡宮の社伝には、平氏の施工と伝えられており、福原新都の大工事をなしとげた平氏の実力からして、正歴寺熊野新宮社ゆかりの重盛公がなされたとしても、少しも不思議ではない。
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領民の幸せを願う九鬼氏の心は、この井堰の改修にはたえず力をそそぎ、井堰中興の祖と仰がれる近藤代官(勝由)の名と共に綾部人にとって忘れてはならないものである。
 ”綾部川の水のひびきの中にきく
 人の心の高きしらべを” 吉井 勇
 古代より悠々と流れ、大地を潤し、時には氾濫して人々を恐れせしめ、また舟を通わせて他国の物産と情報を伝え、丹波ラインに並松に私達の心を和ませてくれる由良川は、綾部のことを次の様に語ってくれる。
 「出雲文化の土壌の上に大陸の文明が融和して高度な民力を養い、強力に流れ入る平安文化は更に伝統に磨きをかけ、足利尊氏を生んだ誇り高き里は、平和な二百三十年の九鬼氏の治世を経て、初めて郡是と大本による綾部ナショナリズムの第一の開花を見るのである」と。

2009/7/16

ぶらり城下町宮津の社寺を歩く!第13回今回のハイライト浄土真宗西本願寺派の真照寺  綾部の文化財

浄土真宗本派本願寺(西本願寺派)の古刹・真照寺の山号は閑雲山と云い、山門にある「扁額・閑雲」は京都府宇治市の万福寺の第二世木庵上人の書であり、この山門は万福寺の山門をまねて造営されたと云う。開基は岡美太郎で元は天台宗に属し、滝馬にあったが、火災により天正三年(1575)大久保に移り、丹後守護の一色五郎義俊の祈願により、本願寺十一世顕如上人(けんにょしょうにん)により真照寺の寺号を得た。その後、丹後守護京極高広(かの有名な豊臣秀吉の愛妾・龍子の甥)の頃の十七世紀前半に現地の小川町に移転した。第七世恵乗上人(俳号:鷺十ろじゅう)は前回紹介した通り与謝野蕪村の友人・三俳僧の一人であった。その後、この寺では代々俳僧を出し、丹後の俳壇に活躍したと云う。

1.真照寺の山門と鐘楼
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2.宇治市の万福寺の山門を真似て造営した山門・万福寺二世木庵上人の扁額・寺宝の「閑雲」が見える。
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3.見事な本堂正面の欄間彫刻
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4.本堂から庭園と山門を見る
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5.見事な鎌倉時代初期の作・ご本尊・木造阿弥陀如来像
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6.正徳三年(1713)狩野派・片山尚量晩年86歳の「花鳥図」その1.
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7.同上「花鳥図」その2.両方とも襖に貼り付けのものである。
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2009/7/15

ぶらり城下町宮津の社寺を歩く!第12回浄土宗・無縁寺  文化財研修記

この寺の山号は大悲山で無縁寺と云う浄土宗のお寺です。開山は笑誉吟雪上人と云われ元禄二年(1689)の創建と云われております。宮津市の寺町ではもっとも新しい寺院であるとのことです。無縁寺の第九世・輪誉上人(りんよしょうにん)は俳号を両巴(りょうは)といい見性寺「通称:蕪村寺」の触誉上人(俳号:竹渓)で紹介したようにこの二人に加え、次回の第13回で紹介予定の浄土真宗・真照寺の恵乗上人(俳号:鷺十)三人が与謝野蕪村が宮津在住時代(宝暦4〜7年、1754−57)の俳諧(はいかい)仲間であり、蕪村の「三俳僧図(さんはいそうず)」にユーモラスなタッチで描かれています。
この下をクリックして頂くと「宮津市寺町周辺の地図が出ます」
http://www.mapion.co.jp/m/basic/35.532771112803914_135.19332324757946_9/t=simple/size=600x550/icon=home,135.28046,35.3276/

1.無縁寺の山門
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2.山門のアップ
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3.無縁寺の駒札
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2009/7/15

ぶらり城下町宮津を歩く!第11回浄土宗の古刹「光明山・悟真寺」  綾部の文化財

宮津城下では寺院のほとんどが城下の西側山麓地域に配されていて、現在でも、12ヶ寺が金屋谷(かなやだに)、小川、宮町に集まっている。佛生寺の鷲尾住職様との話しの中、宮津市は今人口21、000余名、この12ヶ寺がある旧町内は人口1万余人であり、お寺を維持していくのが大変とのこと。小生の住む綾部市でも市制制定の昭和25年では人口5万4千名であったが、平成20年現在で3万7千余名の少子高齢化の波を諸に受けている両市である。今回紹介する浄土宗の古刹「光明山・悟真寺」は光誉悟真上人によって元和二年(1616)に開かれた寺であり、その名を取って「悟真寺」と云う。この寺のご本尊は素晴らしい阿弥陀如来様と聞いていたが、ご住職不在で写真等は撮影できなかった。尚、当寺には丹後地方の著名な俳人の句が献じられている諭旨。更に地蔵堂の地蔵菩薩像、慈眼堂の観音菩薩像が過ってはあったが現在は無く、その素晴らしい像は本堂に安置されていると聞いていたが、この像も撮影できず又の機会としたい。

1.寺院の案内板が電柱に掲げられている。奥に北近畿タンゴ鉄道の下を通る道が見える。線路を越えて右に行くと宮津中学校があり、道を聞いたら「確り教えてくれた。」感謝!
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2.浄土宗・悟真寺の見事な鐘楼門
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3.本堂
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4.本堂に掲げられた扁額「光明山」、おそらく創建当時の扁額と見え、字がかすれて明確には読めない。
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5.本堂から庭園・墓地を見る
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2009/7/14

ぶらり城下町宮津を歩く!第10回浄土宗・一心山・見性寺「別名:蕪村寺」  文化財研修記

佛生寺を右手に出て30メートル、そして電柱の案内看板を左手に50メートル浄土宗・一心山・見性寺(けんしょうじ)の見事な朱塗り(大分剥げ落ちている)の山門に至る。この寺は別名「蕪村寺」と云い、名の如く与謝野蕪村が、この見性寺に宝暦四年(1754)、39歳の時来寺。約3年余り、この寺を足だまりとして、天橋立の周辺から加悦谷(かやだに)(加悦谷高等学校は世界合唱コンクールで有名)、そして北丹後地方へと出歩き、宝暦七年(1757)再び京都の人となった。この宮津時代三年余は、蕪村に大きな影響を与え画家無村として又俳諧(はいかい)の道としては、この見性寺では竹渓(ちっけい)、後ほど訪問する真照寺では鷺十(ろじゅう)、無縁寺では陸巴(りょうは)などと親交を結び励んだ。現在の見性寺には蕪村をしのぶものは無いが、当時の山門と後日建立された「句碑」のみが残っている。

1.江戸時代そのままの真性寺の山門(与謝野蕪村もここを潜った)
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2.山門前の「宮津市教育委員会の駒札」
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3.山門の両脇の「句額」その1.
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4.山門の「句額」その2.
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5.境内にある与謝野蕪村の「句碑」は河東碧悟桐(かわひがしへきごどう)書で「短夜や六里の松に更にたらず」と記されている。
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