2009/7/31

ぶらり城下町宮津の社寺を歩く!第16回(最終回)の浄土宗の栄照院とかの有名「大頂寺」と妙照寺  文化財研修記

京都府宮津市「丹後の宮津でピンとだしたよ!縞の財布がからになる」の民謡が思い浮かびます!この城下町を懐かしくって、ぶらぶら歩いたのは4回目です。縁があったのですね!宮津市には天橋立を含めて訪れた回数はなんと数百回です。でもその内の大方はビジネスでありほとんど町の見学は無かった。ただ今、残る懐かしいことはこの「宮津市とニュージーランドのネルソン市が姉妹都市」なのです。天橋立は日本三景観の1つで真に股除きをして撮った写真を、HP委員長から写真を反転したのだろうと言わショックをも受けたからです。僕には残念ながらデジカメでまともに撮影する能力しかない。話がずれたね。天橋立同様にニュージーランドネルソン市(有名なスペイン艦隊を撃滅しした英国のネルソン提督の名を付けた市、自分も負傷で後日死亡。彼に匹敵いやそれ以上世界に賞賛されているのが日本の東郷平八郎元帥です。初代舞鶴鎮守府長官、外国のトウゴウビール飲むみましたよ!日本にはない。又ずれた、とにかく天橋立と似ているが貧弱なものでした。夏休み宮津の中・高生17名と先生と小生でホームステーでした。面白い余談があるのですがその話は別途の機会にします。

1.浄土宗・佛光山「栄照寺」山門。この寺は今から350年前宮津藩の家臣・落合蔵之助が母親の菩提のために建てたと伝えられている寺です。又、同じ浄土宗「西方寺」と合併し、西方寺が吸収合併されたことは「西方寺」の項で述べました。この寺を有名したのは12月中旬に境内がライトアップされ、今年で言えば12月30日(土)が最高にライトアップされ大晦日まで続くことです。本堂では暗闇の中で燈篭が点り厳かに読経が営まれます。(詳しくは宮津市観光協会へ問い合わせ願います。)
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2.本堂前の庭園
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3.栄照院の見事な鐘楼
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4.大頂寺の案内看板。いよいよフイナーレの浄土宗・宝徳山「大頂寺(だいちょうじ)」です。
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5.見事な登り参道
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6.山門を通して絶景の宮津湾を見る(撮影が少し遠過ぎた、時間が無いのであせっていた)
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7.大頂寺の説明は「宮津市教育委員会設置の駒札」を参照願います。
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8.歴代将軍の御霊(みたま)を守る宮津市指定文化財「霊屋(みたまや)」残念ですもう暗くなって拝観できず。
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9.巨大な徳川秀忠、家光の「宝筐印塔(ほうきょういんとう、お墓)」
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10.宮津市には素晴らしい寺院が数多くあります。隣の有名な日蓮宗・妙照寺を最後のサービスで2枚いれます。というのはこの寺の初代が丹後一円に日蓮宗を広めた日養上人のお寺です。
見事な山門を仰ぐ。
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11.明治の神仏分離令を逃れた江戸時代の見事な「神仏混合のお寺」
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後記:6回位いにまとめる予定がなんと16回となりました。今住む綾部が第一の故郷、勉学に励んで青春時代を過ごした京都が第二、営業・販売促進で頑張った大阪が第三、最後の宮津市いや丹後半島が第四の故郷です。次回、機会あれば「車で見回る宮津市の社寺!」のようなタイトルで日吉神社(この祭りは凄い)、如願寺、智源寺、盛林寺などすぐ目に浮かびます。ありがとうございました。四方拝

2009/7/30

伝統ある第311回熊野新宮神社」の神事が7月28日に全面公開  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」並松町には熊野新宮神社がある。この神社は2つの大祭で名馳せる神社として知られている。1つは毎年1月10日に開催される境内社の「恵比寿神社の「恵比寿祭」、もう1つは之も毎年7月28日に開催される「水無月(みなつき)大祭」である。この神社は、私ども「綾部の文化財を守る会」とは深い関係がございます。昭和44年12月10日創立で当時の初代会長はこの神社の宮司様でもありました故・出口榮二先生でありました。今年、創立40周年を迎えます。5年前の平成16年11月30日には西町にあるITビルの2階を貸切って「創立35周年記念式典」を実施しました。その時の記念事業として始めたのがこのインターネットのホームページ「綾部の文化財」であります。この35周年記念式典では出口榮二先生はご健在でありまして、本日ご来賓の四方八洲男市長様から27名もの「市長感謝状」頂かれた内の一方でもあります。「何故35年前この会が結成されたのか!」と云うご説明の話を元気な迫力ある言葉で説明頂きました。その守る会の意思をついだ私どもがこの神事を日本中に知らしめたいの願いの元に取材に来させて頂きました。故・出口榮二先生は当時このように云っておられます。「古来、水は神聖なものとしてして親しまれ、罪や穢(けが)れを祓(はら)い清め天地自然の安定正常化の中に人間的存在、社会の平和と繁栄を神に祈る大切な神事が毎年6月と12月の晦日に執り行われてきた。その後、12月の祭りは廃絶し、6月の祓いのみがのこってこの名で呼ばれようになった。」と。後略。7月28日実施されたこの神事については出口孝樹宮司様の特別許可を頂き、いつもご参拝頂いても見て頂けない神事を公開ささせて頂くことになったわけであります。お陰様で私度ものHP「綾部の文化財」はこの5年弱で延べ8万名を超える全国の方々に見て頂いて居ります。神事の詳細を順次見て頂きます。

1.午前9時45分司会の方の合図で「綾部太鼓保存会」のベテラン3名による勇壮な「綾部太鼓」の奉納です。先ず一人で打つ「一人太鼓」です
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2.同上 奉納二番太鼓「二人打」(二人で太鼓を打ちます、勇壮な力強い太鼓ですから右の控えての方と順次交代して打ちます)
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3.同上 奉納三番太鼓「三人打」(出演者の三人が同時に力強く勇壮に打ちます)
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4.神社関係者による「宮司様並びに祭員にご出座を促す合図の太鼓」
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5.宮司様・祭員の禊(みそぎ)
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6.宮司様・祭員は祓所」向かう
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水無月大祭
7.「祓所での宮司様・祭員の儀式」その1.
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8.「祓所での宮司様・祭員の儀式」その2.
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9.拝殿への宮司様のお参り並びにお払いのの儀式
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10.参列者・ご来賓・一般参列者へのお祓い
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11.拝殿の座席へ移動される宮司様・祭員
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12.所定の位置に宮司・祭員着いた後、「宮司一拝」(参列者一同合わせて拝礼)
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13.祭員神饌「(しんせん、神の食事)」を供される(おそなえ)祭員
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14.宮司様「水無月大祭祝詞」奉す
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15.宮司様が玉串を奉され拝礼(禰宜・祭員一同列拝)後一番の玉串奉納は四方八洲男綾部市長、森永功綾部市議会議長、佐々木幹夫京都府会議員等のほか来賓の玉串を奉りて拝礼
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16.故出口榮二先生の奥様直美さまの玉串奉りて拝礼
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17.参列者の玉串奉りて、そして、祭員の神饌(しんせん、神の食事)を撤すの後に、出口孝樹宮司様から参列のご来賓並びに一般の参拝者の方々に参列御礼のことばがありました。更に当神社が「綾部に鎮まりになって一千年を経す」という当神社の縁記を延べられ更に「かわりゆく代の中にあって、これからも変わらぬお宮であり続けるよう微力ながら務めさせて頂きたい」と参列者の方々に謝辞を述べられる宮司様
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18.ご来賓を見送られる宮司様1.
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19.四方八洲男綾部市長を見送られ言葉を交わされる宮司様2.
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このインターネットホームページ「綾部の文化財」を創立35周年記念事業とし当時、11月30日にはある程度の内容をスライド映写しようと役員一同が決めたのですが、パソコンが使え、デジタルカメラで写真が撮れ、それを又、会報やHP(ホーム頁)に文章とも入力し、更に子古文書も読めれば理想的なHP担当となるのですが、そのような人物は少なく、パソコンの権威・鍋師有理事をHP担当委員長、小生会報担当の事務局長の為HP副委員長となりましたが、カメラ・パソコン音痴で毎日の如く鍋師兄を自宅に呼びたて助けもうらう日々は5年後の今も変わらずです。当神社に関係する失敗談も掲載されて居ます。クリックしてみてください。

熊野新宮神社「熊野神社迷走記」
http://www.ayabun.net/bunkazai/annai/kumanoa/kumanoa.html
大本教と熊野新宮神社
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/291.html
第309回熊野新宮神社「水無月大祭」とYURAGAWA ROCK FESTVAL,「あやべ良さ来い踊り」
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/327.html
熊野新宮神社の境内「恵比寿神社の恵比寿祭り」七福神の巡航
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/382.html

2009/7/30

綾部水無月大祭宵宮風景 花火大会2  綾部の文化財

由良川の川岸から次々と打ち上げられ、夏空を彩る花火を連写
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夏の夜空を彩る水無月花火
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夏の夜空を彩る水無月花火
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夏の夜空を彩る水無月花火
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夏の夜空を彩る水無月花火
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夏の夜空を彩る水無月花火
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夏の夜空を彩る水無月花火
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夏の夜空を彩る水無月花火
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夏の夜空を彩る水無月花火

2009/7/30

綾部水無月大祭宵宮風景 花火大会1  綾部の文化財

先に図書紹介した「並松史 由良川の流れに沿って・・・並松自治会編」から次の文章を再度引用紹介します。

 あやべ水無月まつりは、大正7年、綾部実業協会によって、現在の花火と万灯流しを組み合わせた一大夏祭りとして始められた。万灯流しは当初、並松同志会(40才までの青年男子の会)によって行われていた。
 メインである花火大会は、中丹3市の中でも最も早くから開催されておリ、製糸業を中心として栄えた当時の綾部の隆盛がうかがえる。打ち上げ花火が上げられるようになると、綾部の名物祭りとして広く近郷近在の人々に親しまれるようになった。臨時バスや臨時列車が出された時代もあった。

次々と上がる花火を連射紹介する
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夏の夜空を彩る水無月花火
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夏の夜空を彩る水無月花火
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夏の夜空を彩る水無月花火
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夏の夜空を彩る水無月花火
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夏の夜空を彩る水無月花火
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夏の夜空を彩る水無月花火
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夏の夜空を彩る水無月花火
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夏の夜空を彩る水無月花火

並松史に書かれているように、中丹3市の中で最も早く開催されてきたと云われるこの「水無月花火大会」は、7月末の梅雨明け早々の開催時期のこともあり、広く近隣からも人が繰り出して賑わう、綾部の一大イベントである。
小さくても、きらりと光る街づくり」の四方八洲男綾部市長の標語を、いつしか何故か思い浮かべる。

2009/7/30

綾部水無月大祭宵宮風景 花火があがった  綾部の文化財

次第に暗闇も増し花火の上がる時刻も近づいたので、再び熊野新宮神社境内に戻ってきた。人混みが増して押すな押すなの盛況。交通整理に気を使う消防団員や警察官の姿も増えた
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露天店の灯かりに照らされて買い物客の間を人々が行き交う
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思い思いの向きで露天店に並んでいる。浴衣姿が多い
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少し人混みの少ないところでカメラを構える
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露天店越しに上空に初花火があがった!
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次々と赤、青、金銀色の打ち上げ花火が、威勢の良い音と共にあがる
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仕掛け花火も空を照らして上がり始めた

2009/7/29

綾部水無月大祭宵宮風景 万灯ながし  綾部の文化財

先に図書紹介した「並松史 由良川の流れに沿って・・・並松自治会編」から次の文章を引用紹介します。

☆万灯流しの起こり
 大本の出ロ王仁三郎が、明治40年11月3日(旧暦9月28日)に竜宮乙姫の祭典を行い、28本の燈明を由良川に流したのが、水無月大祭の万灯流しの始まりだとも言われているが、これについては諸説があって定かではない。
 明治39年頃から、並松を中心とする観光開発が始まった。旧綾部藩士の吉川正中、大串重事、石川正時などが資本金65円で「短艇矢艪会(やともかい)」をつくり、大型ボート2隻、小型ボート3隻を買って、貸しボート業を始めた。
 この事業は、翌年の大水害で被害を受け廃業したが、3人は船を浮かべて酒を飲み、釣りをしたリして、悠々自適の生活を楽しんでいた。ある夜、漁師のかがり火が美しく水に映えている様子に感勤し、板に釘を打ちロウソクを灯して川に流しだのが、万灯流しの起こりだという説もある。
 明治40年、綾部実業協会(初代会長四方幸太郎)が設立され、並松で遊船場と貸舟屋が運営されていた。
 並松の現在今枝敏毅さん宅の場所で蚕種製造業や車大工などを営んでいた四方敬肋は、私財を投げ打って並松や味方の川原に桜や松を植えたリ、ペンチを設けたりして観光開発に尽くした。並松区の区長代理も務めた人物である。
 明治44年頃、敬助を中心に梅原弁蔵、梅原宗三郎、白波瀬弥太郎の4人が合資して、今の現長さん前あたりに遊船場を経営した。また、敬肋は遊覧客を集めるためにと火流しを研究し、後に料金をとって20〜30と灯ろうを流すようになったという。
 その後、屋形船も出現した。大正5〜6年頃の好景気の時には、夜も昼もドンチャン騒ぎが行われ、三味線の音が屋形船から流れていたという。

 あやべ水無月まつりは、大正7年、綾部実業協会によって、現在の花火と万灯流しを組み合わせた一大夏祭りとして始められた。万灯流しは当初、並松同志会(40才までの青年男子の会)によって行われていた。
 メインである花火大会は、中丹3市の中でも最も早くから開催されておリ、製糸業を中心として栄えた当時の綾部の隆盛がうかがえる。打ち上げ花火が上げられるようになると、綾部の名物祭りとして広く近郷近在の人々に親しまれるようになった。臨時バスや臨時列車が出された時代もあった。
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夜の由良川を彩り流れる万灯ながし
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万灯の連がりの中に、かすかに流す舟の姿が浮かぶ
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水に万灯が映えて流れる。ホテル綾部の姿が川面にも浮かぶ
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万灯を拡大で撮る。手持ちの小型デジカメでぶれている。露出時間が長い
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綾部大橋の上から流れてくる万灯を撮影

2009/7/29

綾部水無月大祭宵宮風景 熊野新宮神社参拝  綾部の文化財

あやべ水無月まつりの賑わいを取材しています
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露店が建ち並び混雑する奥に熊野新宮神社の鳥居が見えてきた
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熊野新宮神社の境内。早めに御参りする人が次々と訪れている
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参拝前の人ごみ
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順番に参拝する人々
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綾部大橋たもと(由良川左岸・並松側)に涼む人々
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「万灯ながし」や「花火の上がる」のを橋の上から見ようと集まった人々。まだ暗くないので30分は待つ必要がある

2009/7/28

綾部水無月大祭宵宮風景 賑わう露天店  綾部の文化財

今年の梅雨は長引いている。北海道で中高年者の登山事故が報道され、また九州などでは大雨による土砂崩れなどでの死者や行方不明が報道されている。日曜日の朝は曇天で7時に「極楽寺の見事に咲いた大賀ハス」を見に行った。しかし帰宅してすぐに雨になり水無月花火大会の開催が危ぶまれる。午後3時半ごろやっと雨が上がったので、山麓伝いに歩いて正暦寺に行き「綾部の古木名木100選:ケヤキ」を取材する。正暦寺の長い石段を降りると「万灯流し」の船着場があり、船が4艘繋がれて準備が進んでいた。新熊野神社に行くと露天商の店が建ち並び準備に余念がない様子。参拝を終えて境内を離れると、花火大会実行合図が「パンパン」と鳴り響いた。西町アイタウンも夜の「良さ来い」準備が整っていた。
 夕暮れになったので家を出るときは小雨で傘をさして西町まで歩いた。アイタウンに着くとすでに「良さ来い」が始まっており、北都信金に近いところで「よさこい健美連」の演技、さらに手の込んだ演技が続けてあり、オムロンの大人数の演技に移ったところで四方續夫事務局長に出会った。「第10回記念のあやべ良さ来い」の記事をご覧ください。
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西町良さ来い会場で愛嬌を振舞うノッポさん一行
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本町通りを並松の新熊野神社(由良川)を目指す人の流れと歩く。踏切手前から露天店が建ち並ぶ
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踏み切りを渡ると広くなり露天店が建ち並び、人々が行列して賑わっている
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いろいろな店が沢山、建ち並んでいる
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市民センター側にも両側に屋台店が並ぶ
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行列で混雑する中を歩いて通り抜ける
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光るイルミネーションが子供たちに人気

2009/7/27

7月25日(土)本番のダイナミックな踊り「第10回記念のあやべ良さ来い」です京都市の華麗な踊りも披露  綾部の文化財

7月25日(土)午前中は行事無しですよ!でも前回も掲載した様に午前中はに室町初代将軍・足利尊氏公が生まれた上杉庄(上杉謙信公の上杉の姓の発祥地はこの綾部市上杉町です。何!初めて知ったて!残念貴女は歴史好きでないね!特に全国のお祭りを取材している女性の方にも事実現地で出会って、何見てこの祭り知りましたか?と聞くとインターネットで綾部の文化財を見たら祭りが詳しく載っていたので来たと言ってましたよ!)新潟県や神奈県・京都市内の関係先から「全国安国寺の筆頭の綾部安国寺の国の重要文化財の仏像京都府指定文化財の茅葺の本堂、足利尊氏公産湯の井戸」を見にこられますよ!特に11月の紅葉の時が最高です。更に京都府北部唯一の国宝の光明寺の「ニ王門」を見て「綾部温泉」で夏の汗を流してからこの温泉の宿で昼食がお薦めです。綾部市(あやべし)でインターネットを開けば綾部市が出るのでクリックすると簡単にアプローチできます。再々綾部にお越しの方は当会の「綾部の文化財」でまた格別な綾部「漢部(あやべ)昔の書物にはそう記載されています!)を発見できます。午後一時には恒例の京都府北部の大河・由良川にちなんでつけた「YURAGAWA ROCK FESTIVAL」が開催されます。出演者の主力は地元綾部のメンバーですが、東京・大阪・京都市からの有名なロックバンドが来てダイナミックな凄い生演奏が無料で見れます。今年は午前中めったに降らない雨で、30分ずれ込み小生が聞いて見たかった「東京のTHE SCENE」が無料で見れました。午後、5時20分にはアイタウン一・二番街でダイナミックな踊り「第10回あやべ良さ来い」が始まりました。第一部のみ掲載しますが第一部でも16チームがそれぞ2曲の見事な踊りを披露してくれました。後の「綾部水無月(あやべみなつき)花火大会」の風景はなべちゃんこと鍋師HP担当委員長にバトンタッチです。

1.午後:5時20分綾部太鼓連合会による「和太鼓演奏」でスタートですまだ見物者は少ないですね。夜7時ころから佳境に入ります。
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2.「あやべ良さ来い」の踊り開始は地元高津「歴史好きなら高津(たかつ)で判るでしょう奈良の長屋王邸宅跡で数万点の木簡が発掘され高津庄から鮎の干物が租庸調の一つとして送られた事を記載した木簡もあった。」この高津町のメンバー「高津よさこい」が2曲(あやべよさこい、よっちょれ)を披露
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2−2.同上「高津よさこい」女性チームが反対側の2番街で踊披露
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3.地元「ほたる連」が(京都まつり音頭、京都府女性の船ステップあけぼのよさこい)を披露
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4.福知山市からの「福知山よさこい 絆」チームが(よさこいサンバ、よさこいどっこいせ)を披露
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5.二人のリーダーに導かれ披露する地元の可愛い5歳から中学生の「フエアリーズ」です(曲はオブオブです)
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6.地元の「太鼓人」さこいソーラン、よっちょれの二曲で披露
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7.福知山の淑徳高校の卒業生などの関係者でつくる「淑徳民謡」が(エイサーケチャンバ、淑徳ソーラン)若さ溢れるダイナミックな踊りを披露.あれ何時の間に写真に入ったのか、良くチェックするとこの踊りの主催者:綾部商工会議所青年部の写真担当の西村君だ!!まだどこかで入っていたよ!写真は大変だった!小生も一番街・二番街で出演者が交互にでて来るのだら!こちらで良いのが撮れたかチェックし,すぐに反対側へ移動して撮影する。小生ダウンで第一部のみと成りましたので、最後に第二部の出演内容リストをねじ込みましたので見てください。体を鍛え直します。来年にこうご期待
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8.地元綾部市最大のチームでこの「あやべ良さ来い」を始めた踊り好きの女性のチーム「響連」が(さむらい、おかみさんソーラン)を披露してくれました。
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9.京丹波町の若いグループで参加人数は少ないがダイナミックな踊りは最高でしたね!「Rainbow children project kukui」の皆さんが(Why we are here,Freedom)披露してくれました。
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10.京丹波町からお越しの「京丹波よさこい連」です(正調よさこい節、祈〜INORI〜の二曲で披露
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11.亀岡市からご出演頂いた「よさこい健美連」YOSAKOIかめおか、”春夏秋冬”祭だ!亀岡の二曲で披露
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12.オムロン(株)綾部事業所チームが大人数で(よっちょれ、南中ソーラン)で披露
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13.京都市からご出演頂いた「楽京乱舞」のチームで華麗な(京の音、OBURAJA)で披露頂きました。
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14.丹後半島の伊根町からご参加頂いた「伊根よさこい連」の皆さんで(元気、南中ソーラン)でご披露
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15.地元綾部の「日東よさこい連」です今年初出演ながら男女共同で最大の人数の「日東よさこい連」で(あやべよさこい、よっちょれ)で盛り上げてくれました
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16.はるばる京都市からお越し頂いた「京都チーム[櫻嵐洛]」のメンバーさすが京都!言ったところでしょう!見事な(京ノ神、都の詩と京ノ神、都の詩)で踊りを披露して頂きました。
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17.いよいよ午後5時20分の和太演奏から始まった第10回あやべ良さ来いの第一部のフイナーレの出演者全員で踊る「総踊り!」です午後7時55分、途中で8時となり花火がバンバン上がり出演者全員大変な盛り上がりです。その中から面白いのを1
枚何とか押し込みます。一度に18枚もの写真を入力したのは始めてのチャレンジでした。是で限界です。あれ!!!この外人さん何処かで踊ってるの見たよ!京都平安神宮前の広場?昨年の「あやべ良さ来い」だったかも?
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第二部の出演は下記のリストをご参照下さい。
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2009/7/26

7月24日(金)綾部天満宮の大祭(天神祭)盛大に催された。  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」旧綾部町内に天神町がある。町名の通り其処には「綾部天満宮」がある。この神社の駒札には次の様に記載されている。「御祭神:菅原道真公・文道の祖神、学問書道の神、相殿の御祭神:賀茂大神・五穀豊穣天下豊平雷の神威のよって人類の罪悪を除し給い又方位除災等の加護を垂れ給い社会平等の確立平和福祉の増進を守護し給う家庭日常生活の守り神」内容は良くご理解頂けると思います。唯、多少付け加えますと「平安時代の菅原道真公は参議・菅原是善の三男で宇多天皇に重要され昇進、醍醐天皇の時代には従二位右大臣にまで昇進。左大臣(右大臣より上位)藤原時平から醍醐天皇に讒訴(ざんそ)され、九州の大宰府へ太宰権師「(だざいごんのそち)師(そち)が長官で、所謂、副官(次官)である。」として左遷され現地九州の大宰府にて亡くなって現在の有名な大宰府天満宮に葬られた。その左遷で京を離れる時に詠んだ「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花、主なしとして 春なわすれそ」は有名。道真公亡き後、醍醐天皇の子で東宮(とうぐう、皇太子(時平の甥)をはじめ次々と朝廷要人に多くの死傷者(清涼殿に落雷)が出たので、朝廷は罪を許し、落雷後には「贈正一位、左大臣に名誉回復。更に時平死亡後には「贈太政大臣(だじょうだいじん)」となる。更に後、京都の北野に北野天満宮として祀られた。かくして、「天神様」となったのであります。賀茂大神については長くなるので下記をクリックして7月24日(金)に催された「綾部天満宮のお祭」や「京都の上賀茂・下鴨社」を見て下さい。

1.大槻昭(当会々員)神社総代の司会で神事始まる
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2.綾部八幡宮々司・奈島正倫(なじままさみち)様参拝(一)「修祓の儀」(しゅばつのぎ、天神さまへ祝詞を奉上される儀式)、「宮司一拝」(参列者は全員宮司様に合わせて拝礼する。)、「献饌の儀」(天神さまへ食事をお供えする儀式、昔は魚介類も含めて豊穣を祈り野菜類をもお供えしました。)続いて、宮司様の「祝詞奉上」(天神様へのりとを読み上げる儀式)、続いて宮司様の「玉串奉奠」(榊の葉がついた木をお供えする儀式)を終えました。
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3.お祓い(お清め)される奈島宮司様と来賓の綾部市・市長四方八洲男(しかたやすお)様、森永市議会議長、佐々木京都府々会議員、8町区を代表する自治会長及び関係神社役員やご来賓の梅原綾部市連合自治会長等です。午前10時過ぎ
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4.玉串奉奠の儀(たまぐしほうてんのぎ)トップは四方八洲男綾部市長です、以下参列のご来賓数十名が玉串を奉奠されました。
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5.「撤饌の儀」(てっせんのぎ、天神さまへ供えた食事を取り収める儀式)終了後、続いて奈島宮司様の「神幸祝詞奉上」(しんこうのりとほうじょう、祝詞を天神様へ読みあげる儀式)をし、「出御」(天神様の御霊を神輿に移す儀式)
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6.子供神輿巡航に先立ち子供達に内容を判りやすく説明される奈島宮司様
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7.奈島宮司様が先導役で子供神輿巡航開始です。午前10時50分頃
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8.続いての行列2.関係する8町区を巡航します。
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9.続いての行列3.
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10.続いて神輿です。4
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11.昼12時30分無事帰着,天神様の御霊を天満宮へ戻す儀式です。
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12.午後5時50分夜の参拝開始の「振れ太鼓」です。
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13.早速若いギヤル達のお参りです。午後6時頃。恋の祈願か!最近出かけた京都室町にある「阿部清明神社」(あべのせいめい、平安時代の天文学者、占師)等は凄い若い修学旅行の女子高生で押されて大変だった!!
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14.参拝の方は無料の「大福引」です。若い女性のお参りで天神様も喜ばれたのでしう。大当り続出!!午後6時頃
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「賀茂大神は通称であり、本姓は賀茂別雷命(かもわけいかずちのかみ)で京都の上賀茂神社が一番有名です。下記をクリックして当会の研修旅行を見て下さい」
http://www.ayabun.net/kensyu/toji/kamojinjya.html



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