2009/1/25

あやべの文化財日誌・府県別取材リスト  文化財研修記

京都市内外、近畿各地をはじめ、北陸、山陰など広範囲にわたる綾部の文化財日誌取材一覧表を作成しました。
主として綾部の文化財を守る会事務局長:四方續夫氏の精力的な取材活動で、数多くの素晴らしい文化財の紹介記事です。
綾部の文化財を守る会の研修旅行などの記事も含まれています。楽しくご覧ください。
http://www.ayabun.net/gaiyo/fuken/fuken.html
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2009/1/21

関西花の寺第2番札所で丹波のカラス寺と呼ばれる古刹・楞厳寺の初弘法さん  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」館町楞厳寺には高野山真言宗の古刹で関西花の寺25ヶ寺の第番札所・綾部西国観音霊場第14番札所で通称丹波のカラス寺と呼ばれる楞厳寺(りょうごんじ)がある。1月21日(水)午前9時30分から初弘法さんが厳修された。新本堂では「四国八十八ヶ所霊場お砂踏」が始り、四国八十八ヶ所の御本尊とお砂をお祀り、お砂の上を巡道してお大師の霊徳を授かるのです。又、10時から「柴燈不動ゴマ祈願」が約1時間始った。午後1時に諸行事は修了した。

1.賑う新本堂
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2.新本堂の中の「四国八十八ヶ所お砂踏」その1.
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3.その2.
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4.午前10時30分「柴燈不動ゴマ祈願」が始る。関係者が不動明王に参拝。
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5.修験者(山伏)霊場入場問答
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6.修験者(山伏)破魔矢祈願
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7.修験者(山伏)破魔矢で東西南北祈願
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8.修験者(山伏)剣祈願
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9.ゴマの松明祈願
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10.柴燈不動ゴマに点火
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高野山真言宗楞厳寺(りょうごんじ)の文化財等は下記をクリックして見て下さい。
http://ayabun.net/bunkazai/annai/ryogonji/ryogonji2.html
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/370.html
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/619.html

2009/1/11

但馬の国の文化財を訪ねて!最終回出石城址  文化財研修記

但馬国「たじまのくに(今の兵庫県北部)」の出石川に沿った静かな山あいに、但馬の小京都と呼ばれる町並みがある。そこにある現在の出石城跡は慶長9年(1404)小出吉英が築いたものであり、本丸跡には昭和43年(1968)に隅櫓(すみやぐら)が復元された。室町時代、出石は山陰・山陽など11ヶ国を領有した守護大名山名氏(やまなし)の居城が置かれた所である。山名氏は元上野国(こうずけのくに)の一名主で、元弘の役で新田義貞に従い勢力を得、南北朝時代の14世紀中頃には、山陰地方を支配する守護大名になった。応仁元年(1467)に始った応仁の乱で、山名持豊(宗全)は西軍の総大将を努めたが、その後山名氏の勢力は衰退した。その後、豊臣秀吉の弟、羽柴秀長に攻められ滅亡した。文禄4年(1595)に小出吉英が播州龍野より入封。宝永3年(1706)小出氏は京都府園部町に移封。その後に仙石氏(せんごくし)が入封し、明治維新に至るまで仙石氏の城下町として栄えた。

1.出石城登城門
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2.出石城跡右の隅櫓
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3.二の丸跡
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4.左の隅櫓
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5.出石城から樹下町を見る
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6.真ん中に出石城辰鼓櫓を見る
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7.出石城跡全景
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2009/1/8

臨済宗妙心寺派の古刹・宝住寺で1月8日「初薬師祈願」が厳修された  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」井上寺にある臨済宗妙心寺派の古刹・宝住寺では1月8日(毎月8日はお薬師様の縁日です。)に午前10時〜午後2時まで「初薬師祈願」が催行された。33ヶ寺、番外6ヶ寺で構成されている綾部西国観音霊場の第三番でもあるこの宝住寺の河野義方住職様は同会を実施している綾部観音霊場会々長も務めておられます。又、この木造薬師如来坐像は綾部市の指定文化財です。初薬師では本堂の方で祈願料お一人2千円を支払い、薬師堂内にてこの「初薬師祈願」をして頂ます。その様子を順次掲載しますが、堂内ではこの寺が所蔵する1、000体の牛のコレクションのうち500体がこの一年間展観されています。

1.開始を待つ宝住寺の薬師堂
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2.綾部市指定文化財「木造薬師如来坐像」
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3.薬師堂内で展観されている牛のコレクション500体の一部
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4.初薬師祈願始まる
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5.太鼓を打ち般若心経を祈願者3名と一緒に唱え、祈願される河野義方住職様
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6.最後のお経を唱えられるご住職、この後3名方順次焼香された。
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7.この薬師堂からの眺めは最高、京都府北部の大河・由良川と丹波大橋
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宝住寺のホームページは下記をクリックして見て下さい。
http://www.rakanzan.com/
宝住寺関連記事は下記をクリックして見て下さい。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/135.html
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/163.html
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/495.html
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/545.html

2009/1/6

但馬の国の文化財を訪ねて!5回出石郡の式内社・出石神社  文化財研修記

但馬国(今の兵庫県北部)の出石郡(いずしぐん)には大9座、小14座の式内社がある。その大座の一つ出石神社(いずしじんじゃ)は今の豊岡市出石町にあり、神社の祭神は但馬国を開いたと伝えられる天日槍(あまのひぼこ)と伊豆志八前大神(いずしやまえおおかみ)である。記紀によれば、新羅(しいら、韓国)の王子・天日槍は垂仁天皇のとき播磨・淡路・近江を賜り、更に諸国を巡察し、近江・若狭を経て但馬に来住した。この頃、但馬は一面泥の海であったので天日槍は大地を切り開き水を日本海へ流した。その時に、そのあとに豊岡や出石の盆地が出来たと伝えられている。天日槍は今でも但馬開発の神として、崇められ、当神社の5月の幟りまわし、9月の大網引き、11月のお花ビラの年中行事は、その土木工事完成のお祝いの名残と言われている。

1.出石神社の第二の鳥居等の全景
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2.出石神社正面
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3.楼門から拝殿を見る
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4.楼門内に飾られている巨大な旧鳥居の残欠
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5.拝殿から本殿を見る
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6.見事な本殿
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7.拝殿から第二の鳥居と参道を見る
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2009/1/5

但馬の国の文化財を訪ねて!4回・忠臣蔵・大石内蔵助妻・りくの遺髪塚と子供の墓  文化財研修記

兵庫県豊岡市日撫(ひなし)には円山川東岸に正福寺(曹洞宗)境内に、大石内蔵助の妻りくの遺髪塚と子供の墓がある。正福寺は、豊岡藩筆頭家老石束源五兵衛(いしずかげんごひょうえ)の私寺であった。りくは石束源五兵衛の長女として此処で生まれ、播州赤穂藩大石内蔵助に嫁した。赤穂事件の結果、赤穂浅野家は断絶、りくは元禄14年(1707)、京都の山科(やましな)で夫と長男主税と別れて、生家石束家へ次男・吉千代、長女クウ、次女ルリを連れて帰った。源五兵衛は隠居し真修院(現正福寺の場所)を建て、りく達とともに生活した。りくはここで3男代三郎を生んだ。その後赤穂浪士の討ち入り、そして処刑の報を、りくはこの地でうけた。その使者は赤穂浪士四十七の一人である寺坂吉衛門であり、実際に切腹をしたのは46名であった。次男吉千代は仏門に入ったが長女クワと相前後して没した。のち三男代三郎が12歳の時、芸州浅野家に1,200石で召し抱えられたのを機に、りくは次女とともに広島に移り住み元文3年(1738)68歳で生涯を閉じた。りくの墓は広島市の国泰寺にあり、豊岡の正福寺りくの墓は遺髪塚で、右側が次男吉千代、左が長女クワの墓である。

1.忠臣蔵・大石内蔵助妻りくの遺髪塚の案内看板
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2.正福寺
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3.正福寺境内の大石りく生誕記念碑,向かうは、円山川
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4.同境内の歌碑
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5.正面の大きな墓がりくの遺髪塚でその右側が次男吉千代の墓
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2009/1/4

但馬国の文化財を訪ねてその3.城崎郡竹野町の諏訪神社  文化財研修記

但馬国(現在の兵庫県の北部)城崎郡竹野町(現在は合併し豊岡市に編入されています)には諏訪神社がある。此れは長野県の諏訪湖の両岸にある諏訪大社より祭神の勧請を受けた神社である。諏訪大社の祭神は諏訪大明神とも言われる建御名方神とその妃である八坂刀売神であり、他の諏訪神社もこの二神を主祭神とし、又諏訪大神を総称する場合もある。諏訪大社では中世に狩猟神事を行なっていた所から、狩猟、漁業を守護する神社としても崇拝されている。諏訪大社では六年に一度、御柱と呼ばれる4本の杭を立てる御柱祭が行なわれるが、全国にある2,500以上の諏訪神社でも同様の祭りが行なわれます。綾部市の諏訪神社の秋祭りはヤッコさん行列や大屋台の行列もあり、大変面白いので最後の所をクリックして見て下さい。

1.竹野町の諏訪神社第一の鳥居と参道
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2.第二の鳥居と楼門
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3.楼門
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4.本殿
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5.竹野町の弁天浜その1.
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6.その2.
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7.京都府綾部市の諏訪神社の秋祭りはヤッコさん・大屋台行列で面白い。下記をクリックして見て下さい。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/184.html
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/345.html
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/511.html

2009/1/3

但馬国の文化財を訪ねてその2.但馬国養父郡随一の式内社・養父神社  文化財研修記

但馬国養父郡(やぶぐん)には大3座、小27座の式内社がある。その中で隋一の養父神社(やぶじんじゃ)を紹介します。兵庫県北部第一の円山川沿いの養父町には但馬国三神社・粟鹿神社・出石神社そしてこの養父神社です。摂社としては山野口神社が有名です。養父神社がある弥高山(いたかやま)全体がご神体であり、崇神天皇三十年(西暦前66)に鎮座されたと言われる古社であり、鎌倉時代には一山五坊、三重塔を持つ神社(神仏習合)で全盛期を迎えた。今日でも農業の神・和牛の神・養蚕の神として信されている。本殿は応永30年(1423)の建立、拝殿と摂社の山野口神社は元禄9年(1696)の建立である。

1.養父神社の石碑
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2.登り参道
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3.鳥居と楼門
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4.楼門から拝殿を見る
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5.楼門の左側には木造隋進の阿形が祀られている(大変珍しい)
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6.楼門の右側には木造隋進の吽形が祀られている。
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7.拝殿前の珍しい形の狛犬
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8.養父神社拝殿
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9.見事な千木・堅魚木を持つ本殿
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10.社務所へ渡る橋
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11.摂社山野口神社
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12.山野口神社前の天保5年(1834)の銘の入った石燈籠
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2009/1/1

但馬国の文化財を訪ねてその1.但馬国の一宮「粟鹿神社」  文化財研修記

但馬国「たじまのくに(今の兵庫県北部)」は古代の丹波国(たんばのくに)の強大な勢力を殺ぐため大和朝廷が、丹波国から、先ず、但馬国を独立させ、ついで丹後国(たんごのくに)を独立させそれぞれに国造(くにのみやつこ)を配置した。小生の11月の出雲国(いずものくに)・伯耆国(ほうきのくに)では出雲大社では、今なを出雲国造家(いずもこくそう)と呼ばれる出雲大社の宮司を出す千家家と北島家について掲載した。但馬国には式内社は大座と呼ばれる大明神18座と小座が113ある。その内の朝来郡は大1座、小8座があり、大一座は但馬国一の宮であったといわれる「粟鹿神社(あわがじんじゃ)大明神」が朝来郡(あさこぐん)山東町粟鹿にある。神社形式は大変古く春日造(奈良の春日神社)で持って造営られている。彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)・龍神・豊玉姫(とよたまひめ)を祭神としており、但馬国造として勢力を誇った日下部氏氏神であったと伝えられている。下記の写真を順次見て下さい。

1.粟鹿大明神の鳥居
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2.正式門(向かって右側、普段は開けていない)左が入場門
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3.入場門
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4.入場門の中には左右に「木造狛犬」が阿形、吽形の形で安置されている。
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5.見事な拝殿と本殿
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6.見事な本殿
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7.拝殿前の天明5年(1785)の銘の入った常夜燈
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