2008/10/31

綾部の古木・名木100選・江戸時代旗本十倉氏2千石の陣屋跡近くの菩提寺・如是寺したの巨大なクロマツ  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」口上林地区の十倉志茂町(とくらしもちょう)には戦国時代末期、山家藩衛友(たにもりとも、関ヶ原合戦の時、舞鶴の田辺城を西軍派として攻めたが空鉄砲を撃った話で有名。)は1万6千石であったが、6千石を分家し、早世した長男の子供に上杉家を2千5百石で分家、孫の時代に後継者無く、上杉家は断絶。梅迫谷氏は六男を旗本一千五百石に分家明治維新まで続く。そして、この十倉旗本2千石は三男の子供に分家2千石で明治維新まで続く。この旗本十倉谷家は陣屋をこの十倉志茂町に置き、菩提寺を如是寺とし、代官岩本家が支配し、その記録が「岩本家文書調査報告」として、綾部市資料館で平成16年秋に特別展が開催された。小生もその時、綾部史談会の一員として協力させて頂いた覚えがある。さて、このクロマツだが数年前までは、元気であったのだが、今回撮影に訪れると「松食い虫にやられたのだろうか、」立ち枯れの状態であった。稲荷山のゴヨウマツといい、真に残念である。この木は畑に有り畑の持ち主は不在でこの松を「綾部の文化財を守る会」の常任幹事であった渡辺正之助氏(元教師)が管理されていたが、5年前亡くなられ、管理者が無かったことも、一因であろう。

1.つたや、宿木にまとわられたクロマツ
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2.綾部の古木名木100選の「駒札」
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3.クロマツ(幹周2.31メートル、樹高13メートル、推定樹齢200年)
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2008/10/30

樹齢500年以上丹波地方随一・江戸時代大庄屋であった志馬家の巨大で優雅なイチイの木  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」の奥上林地区の光野町(みつのちょう)には江戸時代を通じて大庄屋であった志馬家(しまけ)のイチイの見事な木がる」。このイチイの木は樹齢500年以上で、丹波地方随一とも京都府屈指とも言われている名木で、大小150にも及ぶ階段状の枝は見事である。江戸時代、年貢を取り立てに来る代官の心を和ませるために植えられたと云う。数百年の自然の災害にも耐え抜き、人の施す技工に逆らわず、美しい調和の取れた姿は真に見事というほかない。この木の前に立って静かに見上げるときに、日々の苦労に疲れた大庄屋の心を優しくいたわり続けたであろうこのイチイの心と歴史に触れる思いがする。綾部自然の会「綾部の古木名木100選」より抜粋した記事である。尚、この志馬家の家の6間撮りの家は、明治時代のもので上林地区では図抜けて、一番大きな家である。

1.志馬家に向かって右手にこのイチイの木が見える。
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2.イチイの「綾部の古木名木100選の駒札」
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3.志馬家の見事なイチイの名木(幹周1.6メートル、樹高7メートル、樹齢500年以上)
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2008/10/30

平安時代の武将・鎌倉権五郎景政公を眼の神として祀る若宮神社  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」中上林地区の五津合町(いつあいちょう、5つの村が集まって五津合町となった)の陸志公会堂に乗用車を止めて、そこから150メートル位い、歩いて奥に行くと、左手に急な傾斜地の山道が見えてくる。そこを約80メートル登ると「平安時代末期の武将、鎌倉権五郎景政公を祀る若宮神社」がある。この鎌倉権五郎景政公は桓武帝の後裔で,後三年の役に源義家公(みなもとよしいえ、通称、八幡太郎義家)に弱冠16歳で従軍し活躍した人で、奥州後三年記によれば、敵将の鳥海弥三郎に左眼を射抜かれたが、怯むことなく、射返して相手を倒したと云う。傍に居た従兄弟の三浦為継がその矢を抜き取ろうとし、景政公の顔に足をかけたところ、武士の顔に土足をかける無礼を咎め、謝らせた話で有名である。鎌倉市に景政公を祀る御霊神社があり「権五郎さん」の愛称で、眼病の神様として崇められている。又、眼を負傷した景政公が戦場から帰途,霊泉に浴して矢傷をなおしたと云う伝説から眼の神として東北地方各地に崇祀されている諭旨。又、丹波史には、丹波雀部庄(たんばささべのしょう)に景政公の末裔梶原氏の領地が存在した記録がある。又、当地古伝によれば、当地には虫害獣が多く棲息して、虫村狢村(むしむら、むじなむら)と云われる程未開の地であったが、景政公此地に来りて虫獣の害を除き上林村の基を作った功績に、里人一祠を造営して「眼の癒し神・村落の守護神」として崇敬し今に至ると云う。神社は永久元年(1113年)に造営され以後7度改修され現在に至る。社務所の「由緒書の駒札」から抜粋し記した。

1.京都府々道51号線の「若宮神社の看板」
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2.若宮神社へ登り参道
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3.第一の鳥居を通して若宮神社を見る
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4.第ニの鳥居と若宮神社
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5.若宮神社の拝殿内
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6.若見神社に向かって左側の自然石を使った常夜燈(明治二巳九月吉眼と彫り込まれている。高さ約1.5メートル)
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7.境内社の稲荷社
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8.社務所横壁の「由緒書の駒札」
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2008/10/30

綾部の古木名木100選中上林地区の芝原家の2本の古木・名木  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」中上林地区の五泉町市野瀬には「綾部の古木・名木100選」のうち2本の古木・名木を持つ芝原家がある。市之瀬バス停から約1キロメートルほど、水源の里・市志に向かっていくと左側高台にこの芝原けがある。この西側の庭園は見事であり、綾部の古木・名木100選に選ばれた2本の古木・名木がある。この古木・モチノキはモチノキとは思えない程ずんぐりとした太さがあり、灰白色を帯びた木肌はまろやかで餅肌を思わせる。このモチノキは雌株で、秋には直径1センチメートル位の赤い実をつけ、よく鳥が食べにくる諭旨。樹勢は大変よく、外観上、空洞も無く、直立している。樹齢は200年以上と思慮され、先々代の祖父の時代に植えたものとの事。又、直ぐ横には、名木・イチイの木がある。古木に相応しく主幹はどっしりとし、永年にわたって刈り込まれ、下部から横に伸びる枝々は庭木として素晴らしい景観をかもし出している。芝原家の先代の言い伝えでは、この家がこの地に居を構えたたときにモチノキと共に植えられたと言われ、推定樹齢200年以上と思慮される。イチイは雌雄異株であり、この木は雌株である。赤い種皮はトロットした味があり、食べられるが、但し種子には毒があるので噛み砕かないようにして食べるとよい。又、この木の材で笏(しゃく、神主が持つしゃくの事)一位の位にちなんでこの名がつけられたといい、アララギともいい、キャラに似た枝葉を着けている。

1.綾部の古木・名木100選のモチノキの「駒札」
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2.モチノキ(幹周1.88メートル、樹高9メートル、推定樹齢200年以上)
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3.綾部の古木・名木100選のイチイの「駒札」
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4.イチイの木(幹周1.8メートル、樹高8メートル、推定樹齢200年以上)
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5.2本の古木・名木が並び素晴らしい景観をかもし出している庭園。
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2008/10/29

綾部の古木名木100選中上林地区にある水源の里、稲荷山山頂のゴヨウマツ  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」中上林地区にある「水源の里」市志には「市志公会堂」に向かって左手に急な勾配をもつ稲荷山がある。その急勾配を約150メートル登ると素晴らしい景観の「市志(いちし)」の村が見れる。更に100メートル位登ると頂上に上がると正一位稲荷大明神々社がある。神社に向かって右手に「綾部の古木名木100選の一つ稲荷山のゴヨウマツ」があるが現在立ち枯れの状態である。恐らく松食い虫にやられたものと思われる。口上林の如是寺の下の畑にある綾部の古木名木100選のクロマツも同様である。「下枝が無く、やや傾斜して直立、亭々としてのびている。推定樹齢200年以上。」と綾部自然の会が平成9年6月1日付け発行の「綾部の古木名木100選」の本に書いてある。稲荷山上り口の「常夜燈」には天保五年(1834)の銘が入って居る事から、神社は江戸時代後期からあったと考えられる。

1.急勾配の石段、左の常夜燈(天保五年の銘がある)、中央に第一の鳥居が見える。
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2.天保五年(1834年)の銘がある常夜燈
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3.第一の鳥居の扁額「正一位稲荷大明神」
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4.稲荷山頂上へ登る途中で絶景の「水源の里、市志」の村を見る。
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5.第ニの鳥居と稲荷神社
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6.綾部の古木名木100選の「ゴヨウマツ」の「駒札」
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7.立ち枯れ状態のゴヨウマツ
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2008/10/29

綾部の古木名木100選神谷共同墓の地巨大なツブラジイ  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」中上林地区の神谷の共同墓地には綾部の古木名木100選の一つに選ばれた「巨大なツブラジイ(幹周3.65メートル、樹高22メートル)の木」がある。八津合八幡宮の第二の鳥居から右手の林道を登っていくと神谷の共同墓地がある。その奥の左側(東隅)に立っている。周りは雑木林でこの一本のみが苔むした姿で他を圧して立っている。主幹は途中から斜めに伸び、根本より2〜3メートルの高さにニヶ所の空洞がある。梢は大きな傘状に繁り,樹勢はよい。樹齢は350年以上と言われている。この木の周辺にも墓石があり、又、根本の空洞に石仏が祀られていることから、供養のためと思われる。このツブラジイの実は食べられる。

1.ツブラジイの木(右下の根本の空洞に石仏が祀られている。しかし綾部の古木名木100選の駒札は無い。墓地の関係から抜き取られたのだと思われる。)
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2.その2(幹周3.65メートル、樹高22メートル、推定樹齢350年以上,この木の根元の空洞をよく見て下さい。石仏が見える。)
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3.その3.(梢は傘上に広がっている。)
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2008/10/29

綾部の古木・名木100選・綾部NO1.の大末の大銀杏のき幹周4.8メートル樹高28メートル  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」口上林地区の福井県大飯町へ向かう府道を井根町バス停を過ぎると左側の山裾に巨大な一本のイチョウが見えてくる。まるで枝を広げて、下の民家を護るかのようである。毎年11月には見事な黄葉をした姿を見せてくれる。2キロメートル先の十倉志茂町あたりからでも浮き立つ姿を遠望できる。太い幹には鍾乳石のような乳根が下がっている。太いものは50センチメートルを筆頭に大小14本ある.樹勢はよく空洞は無く、樹齢は450余年と言われている。以前花の万博のに身売りの話が出たこともあったが事無きを得た。江戸時代以前の人が墓地標として植えたと言い伝えられている。この樹は現在まで四方株の人が百年以上も管理している。市内ではNO.1のイチョウであり、市内の古木・名木10選(平成2年)に入っており、10月末には多くの銀杏の実が取れる。小生の撮影は10月28日で黄葉はまだだが、銀杏の実が多数落ちており撮影時、足で踏み、匂いが取れなかった。

1.大末の大イチョウの「駒札」
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2.大末の大イチョウその1.(幹周4.8メートル、樹高28メートル)
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3.大イチョウその2.
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2008/10/28

綾部の古木・名木100選・篠神社のムクロジと長屋門を持つ豪農山室家  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」高槻町には古社・篠神社がある。この高槻町は江戸時代は今の兵庫県の丹波市(元氷上郡柏原町)の柏原(かいばら)織田藩「(おだはん、織田信長の次男の後裔)と綾部(元何鹿郡)の山家藩(やまがはん)谷家1万6千石、後、五男や孫を分家し旗本にしたので1万石となった。(関ヶ原の戦いのとき西軍は舞鶴市の田辺城の細川幽斎を攻めたが、内輪では谷家は東軍の徳川家康派であり、谷の空鉄砲の話で有名」の相給地(あいきゅうち)で最後に掲載する豪農山室家は山家谷藩の庄屋であったのであろう。門は長屋門であり、屋敷は四間取りで、庭は室町時代のものと推定できる。室町幕府初代将軍足利尊氏が亀岡市にある篠神社で執権北條幕府を追討の旗揚げをした。この神社と名前が同じで雰囲気が似ていた。又、珍しい無農薬稲作のための合い鴨の囲いがあったので撮影した。

1.篠神社の鳥居
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2.篠神社の第2石の鳥居と本殿その1.
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3.本殿
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4.綾部の古木・名木100選ムクロジの「駒札」
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5.ムクロジ(幹周3.6メートル、樹高14メートル)
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6.見事な長屋門をもつ山室家
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7.4間型の家(江戸時代末期と推定できる)
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8.本宅と長屋門の間の庭園は室町時代のものと推定できる。
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9.無農薬の稲作のための合い鴨の囲い
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亀岡市にある足利尊氏旗揚げの地、篠神社は下記をクリックして見て下さい。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/378.html

2008/10/28

あやべ西国観音霊場27番札所で2本の綾部の古木・名木100選の古木と室町時代の庭園を持つ禅徳寺  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」上杉町(うえすぎちょう)森東にはあやべ西国観音霊場第ニ七番札所で臨済宗東福寺派の古刹・如意山・禅徳寺(ぜんとくじ)がある。綾部の古木・名木100選のうち、ビャクシンとモッコクの2本がある。尚この古刹の寺には素晴らしい仏像・不空羂索観音(ふくうけんじゃくかんのん)像があるので最後に掲載したのでクリックして見て下さい。名を、今回は素晴らしい室町時代の庭園も合わせて掲載します。近くに越後の上杉謙信の姓「上杉の姓発祥の地の石碑」があるので之もクリックして見て下さい。

1.あやべ西国観音霊場第27番札所・臨済宗東福寺派・禅徳寺
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2.綾部の古木・名木100選のビャクシンの「駒札」寺の前庭にある。
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3.禅徳寺の前庭にそびえる名木・ビャクシン(幹周2.05メートル、樹高16メートル)
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4.裏庭は室町時代の庭園であり、此処に古木のモッコクの木の「駒札」がある。
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5.モッコク(幹周2.23メートル、樹高15メートル)背後は室町時代の庭園
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あやべ西国観音霊場33ヶ寺番外6ヶ寺で唯一不空羂索観音(ふくうけんじゃくかんのん)をもつ古刹・禅徳寺の仏像群
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/280.html
上杉の姓発祥の地
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/275.html

2008/10/27

綾部の古木・名木100選・古社・三柱荒神社のイロハモミジ  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」渕垣町中町には三柱荒神社がある。この神社では例年10月21日の秋祭りがこの荒神社の「綾部の古木・名木100選」のイロハモミジの下で「瓦に油をひいた露天いも焼き」が出ることで有名だ。通常イロハモミジは公園、庭木、盆栽などに使われ、普通、単に「モミジ」といわれている。このモミジは梅迫町公民館の裏の高台の上記神社の境内正面広場の左側にあり、樹幹を西方に向けて傾斜し立っている。これは西方に樹木が無く開けているためと思われる。樹勢は良いが,樹歳については資料も無いので判明しないが、毎年の紅葉の時期には大変素晴らしいものが見れる諭旨である。

1.三柱荒神社参道
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2.三柱荒神社
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3.素晴らしい狛犬(残念銘が無い。真ん中の常夜燈は比較的新しく昭和19年10月20日と刻まれていた、通常吉日なのだが!!!、一番下の自然石の常夜燈が最も古いものであることは理解できる。)
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4.綾部の古木・名木100選の「駒札」
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5.イロハモミジ(幹周2.35メートル、樹高11メートル)
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