2008/7/31

お茶を楽しみながら古美術を楽しむ「燦々堂」  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(もと、いかるがぐん)本町4丁目(ITビル前)には「燦々堂」がある。 平成十七年四月「綾部の文化財を守る会」の中で宮本太資副会長、森田弘理事を中心に「丹波古美術研究会」が発足した。そして、平成十九年度京都府1/3、京都市長村振興協会から1/3の補助金をもらい「あやべ蒐集財振興会“彩工房”燦々堂」(代表宮本太資会長)が平成二十年一月十九日(土)綾部市長代理・松本哲朗副市長、京都府中丹広域振興局長代理・永井秀明農林商工部長、綾部商工会議所・由良龍文会長、綾部市議会議長・川北敦氏、綾部市文化協会々長・田所卓氏、綾部の文化財を守る会々長・村上高一氏等二十五名のご来賓を迎えてテープカットでオープンし、初釜と点心の接待が行なわれた。特に初釜は二十五名ずつ、五回に渡り計百二十五名をも接待があった宮本会長の話では「この度、文化と癒し館“燦々堂(さんさんどう)は築約八十年の金物店(宮本三光堂)の建物を改装し、和室とギャラリーを兼ね備えたスペースとしてオープンしました。丹波地方の文化的なものを残すことと理解を深めることに加えて、お茶や囲碁会、音楽界などの高齢者交流の場として、叉、歴史文化財の展示による憩い場、生涯学習の場として、皆様のご支援で多目的にご利用頂ければと思っておりますので、宜しくお願いします。」とのが挨拶もありました。現在の展示物は「与謝蕪村の屏風」がメインで、骨董品の即売や喫茶、軽食も格安で提供されていますので是非一度ご来店下さい。入場料は無料、但しギャラリーの展示利用は一日二千円のみ、和室(茶室)一時間千円のみです。駐車場は隣の駐車場とアイタウンの駐車場が利用できます。
 基本営業時間は朝九時〜午後六時まで
(相談により夜十時まで利用できます。)
(火曜日は休み)
話:0773−42−0330  綾部市本町4丁目23
(市外の方のご利用も歓迎します。)

綾部市本町4丁目(ITビル前)の「燦々堂」
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店内内部・奥の和室で抹茶、囲碁、将棋が楽しめます。
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店内内部2.
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店内の展示室(喫茶しながら楽しめる)「与謝蕪村の屏風」
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骨董品の即売(安いね!!!!)
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喫茶・軽食も格安です。
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2008/7/31

綾部天神まつり  綾部の文化財

綾部天満宮の天神祭が7月24日に行われました。
綾部天満宮 御祭神:菅原道真公 文道の祖神 学問書道の神、相殿:御祭神 賀茂大神 五穀豊穣、天下豊平、雷の神威によって人類の罪悪を祓除し給い、又、方位除災の加護を垂れ給い、社会平等の確立、平和と福祉の増進を守護し給う、家庭日常生活の守り神
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奈島正倫宮司による参列者お祓い
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奈島正倫宮司の祝詞奏上
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参列者に式微渡し
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御輿と境内
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奈島正倫宮司が子供達にお話し
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御輿巡行の飾り物、宝刀、弓、鉾など子供達に手渡し
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市内御輿巡行に出発
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御輿巡行
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ストック・アスパ前を御輿巡行の横断中

2008/7/29

口上林川まつり  綾部の文化財

綾部の文化財歳時記」に「市観光協会の年間イベント」を加えようと旧上林三村(奥上林:二王公園まつり 中上林:ホタルまつり)に続き、今回「口上林:川まつり」を取材してきた。

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若狭へ通じる府道1号線を右折すると上林川に下りる道路があり、渡し舟で対岸の会場に渡れる
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対岸の広い河原が「上林川まつり」の会場。鯉のぼりが吊られたラインの真下に「渡し船」が往復している
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オープニング・セレモニー 川端勇夫口上林地区連合自治会長歓迎挨拶に続き、四方八洲男綾部市長の挨拶
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るんびに学園の生徒による力強い「るんびに太鼓」演奏
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カンカン照りで暑いので、子供たちは早速川に入り水遊び
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簀の子張りの涼しい屋台店が建てらた自治会名物の模擬店
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川岸にも「ヨーヨ釣り」「恐竜の卵」「ソーラ鍋」「一般休憩所」など一群の簀の子張り建物
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子供たち待望の「魚つかみ」が始まった。河原に本流に沿って浅い細い川が作られ水が流れている
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上流側には「あゆ500匹」、下流側には「うなぎ100匹」が2回に分けて放される
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自治会対抗の懐かしい「水きり遊び」練習風景

2008/7/26

信州一ノ宮から来た「諏訪神社」の天神祭り  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」物部町(ものべちょう、物部氏縁の地)の下市には信州一ノ宮から来た「諏訪神社」があり、この神社の境内には天満宮社があり、江戸時代から続いている「下市の天神祭り」が例年7月24日に開催される。祭りの形態は時代と共に変遷しているが、天神祭り実行奉賛会と下市自治会が中心となって毎年催している。近年はスポンサーを募り、フイナーレとして大阪府岸和田市出身の小村美貴ショーを実施した。式典等は午前7時から始まり、昼間は子供達様に遊びの広場、宝探し広場、ぞうり飛ばし大会、書道学習とその展示、金魚すくい等が行なわれた。大変賑やかになるのは午後5時から始る夜の催し物である。午後5時時丁度地元の「何北中学校(かほくちゅうがっこう、何鹿郡いかるが郡の北の意味がある)のブラスバンド部のゆかたを着た女学生の演奏で始まり夜9時頃まで続いた。諏訪神社の詳細は下記をクリック願います。

諏訪神社の天満宮社
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諏訪神社横の物部小学校のセンダンの木(綾部の古木・名木100選の一つ、幹周2.18メートル、樹高12メートル)
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何北中学校ブラスバンド部の演奏(午後5時)
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ひよこ合唱団(午後5時30分)
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この頃から下市公会堂前広場の会場は大賑わい
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地元出身者を含む素晴らしい「フラメンコ舞踊」
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地元和太鼓演奏「和つ鼓」
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地元出身者による愉快な「漫才」大喝采
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小村美貴歌謡ショー夜8時15分から
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「諏訪神社の由来」は下記をクリック願います。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/181.html

叉、「信州一ノ宮来たこの諏訪神社の秋祭りの奴さん」は下記をクリック願います。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/345.html

2008/7/18

明日香紀行その6.(最終回)奈良県立橿原考古学研究所附属博物館  文化財研修記

奈良県橿原市の畝傍山の直ぐ近くに「奈良県立橿原考古学研究所附属博物館」がある。この博物館は、橿原考古学研究所が1938年以来行なってきた発掘調査の出土資料を中心に展示を行なっていることです。博物館の特色は橿原考古学研究所の調査・研究活動と一体となっていて、学芸活動と展示公開を行なっていることです。展示は、発掘調査で出土した実物資料が中心で常設展「大和の考古学」は日本考古学の基準資料をもとに「目で見る日本の歴史」になっており、是非一度は見て欲しい所です。

奈良県立橿原考古学研究所附属博物館
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室内展示の一つ
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室外展示の一つ
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室外展示の一つ
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室外展示の一つ
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2008/7/17

明日香紀行その5.岡寺(龍蓋寺)  文化財研修記

奈良県高市郡明日香村岡には西国33ヶ所代七番札所で通称・岡寺「真言宗・東光山龍蓋寺(りゅううがいじ)」がある。創建の伝説と義淵(ぎえん)僧正について、天智天皇2年(663)、草壁皇子のお住みになっていた岡の宮を仏教道場に改め、当時の仏教の指導者であった義淵僧正に下賜され、創建一千三百余年の歴史がある。このため本尊の如意輪観音像は国の重要文化財であり、日本最大(4.58メートル)、最古の塑像「そぞう、土の像には塑像と摶(せん)があり塑像は像の基礎部分に座板をおき、それに胸部から頚部(けいぶ)まで心木を立て支柱等を使い之に荒縄や麻緒を巻きつけ、土を塗りやすくして順次仕上げていく。」叉、義淵僧正は奈良の東大寺の基を開いた良弁僧正や菩薩と仰がれた行基、その他奈良時代の仏教を興隆した多くの先駆者の師として知られておいます。義淵僧正は優れた法力の持ち主でもあり、その頃、この寺の近くの農地を荒らす悪龍を法力により小さな池に封じ込め大石で蓋をした「龍蓋池(りゅがいけ)」も現在残っている。岡寺のもう一つの名物は花の寺。4月中旬から5月中旬は3,000株の石楠花(しゃくなげ)さつき、秋は紅葉が美しい。

岡寺の朱塗りの「仁王門(国重文)」
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樹齢500年以上のさつき
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岡寺(龍蓋寺)本堂
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岡寺の見事な本堂
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龍蓋池
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岡寺三重塔「文明4年(1472)に台風で倒壊、昭和61年再建)」
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2008/7/16

由良川下り32・33回記録から  綾部の文化財

綾部の文化財を守る会の「祭り・行事の歳時記」の7月20日(日)由良川下りの取材が、「上林川まつり」と重なり出来なくなったが、事務局の久木時哉君から「第32、33回由良川下り」の写真記録をいただいたので、取材は来年度に回し、今回はこれを使わせて貰うことにした。
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第33回 由良川下り70名の参加者集合写真
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「就活中職求」の看板を立て四角い容器?に乗り愛嬌を振りまく女子5人組
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舟形のいかだに乗り櫂と長竿を持つ5人衆とゴムチューブの筏で後ろにつく男子3人衆
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スリル満点の激流に乗り川下りの醍醐味満喫のゴムチューブ5人衆
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大波に腕を伸ばして戯れる子ども、オールを手に笑っているお父さん
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「由良川を美しく」の垂れ幕を下ろし激流に翻弄される樽の筏に立つ 綾部ローターアクト
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大きなつくりものを乗せて、後からもいかだが迫る
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竹のいかだに乗る冒険者たち
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赤い三角旗を立てたいかだで

2008/7/16

明日香紀行その4.石舞台古墳  文化財研修記

奈良県高市郡明日香村島の庄には国営飛鳥歴史公園の石舞台(国特別史跡)地区がある。この石舞台は横穴式石室を持つ方形墳で、築造は7世紀の初めと推定されています。既に古墳上部封土は失われ巨大な天井石が露出した姿になっています。被葬者は不明ですが、6世紀後半にこの地で政権を握っていた蘇我馬子の墓ではないかといわれています。石舞台の西方には,嶋宮(しまのみや)があったと推定されており、嶋宮の前身は、蘇我馬子の邸宅であったと推定されており、庭の池の中に小さな嶋を作ったところから馬子は嶋大巨(しまのおおおみ)といわれた記録が残っています。昭和8年と10年に本格的な発掘調査がおこなわれ、その結果玄室の長さ7.8メートル、幅約3.4メートル、高さ4.8メートルだ大小30数個の花崗岩が使用されており、天井に使われている石の重さは、北側64トン、南側77トン、総重量2,300トンという大規模な古墳であることが判明しました。「石舞台」の由来は、一般には石の形状からとられたとされていますが、昔狐が女性に化けて石の上で舞をみせたとか、この地にやって来た旅芸人が舞台が無かったので、仕方なくこの大石を舞台に演じたともいわれています。

石舞台案内板
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石舞台その1.
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石舞台その2.東側から見る。
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石舞台その3.玄室
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2008/7/15

明日香紀行その3.甘橿(樫)丘と飛鳥川  文化財研修記

奈良県高市郡明日香村豊浦には「国営飛鳥歴史公園甘樫丘(あまかしのおか)地区」があり、近年順次整備され、この甘樫丘(標高148M)は舗装整備され容易に登れるようになっている。この展望台からは東に遠く金剛山・葛城山・二上山連山がみえる。叉、西側遠くには三重県の山々も見える。大和三山「左手、畝傍山(うねびやま)男山・標高198.8M、その山を神体にして神武天皇を祀る樫原神宮がある。」中央には「耳成山(みみなしやま)女山・標高139.6M,そして右手には「天香久山(あまのかぐやま)女山・標高152Mに囲まれた所に藤原宮跡が現在整備されつつある。この展望台からの眺めは素晴らしく、この大和三山を歌った万葉集の中大兄(天智天皇)三山歌は二人の女性山が一人の男山を争う歌である。「香具山は 畝傍ををしと 耳梨と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古も 然にあれこそ うつせみも 妻を争ふらしき」、飛鳥川を歌った歌では、「明日香川 瀬々に玉藻は 生(お)ひたれど しがらみあれば 靡(なび)きあはなくに。作者不詳」。なにしろわが国で現存する最古の「万葉集」には長歌・短歌・施頭歌(せどうか)など約4,500首、地名も2,900、その内大和に関する歌は約900首その内の約230位が飛鳥関連の歌である。天皇・皇族・貴族・柿本人麻呂、山部赤人らが飛鳥をうたった歌を残している。

甘樫丘への道の楠
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畝傍山(男山)樫原神宮のご神体、近くに奈良県立橿原考古学研究所附属博物館が有名
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耳成山・手前が藤原京
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展望台の銅板の案内図
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飛鳥川の清流
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2008/7/14

明日香紀行その2.橘寺  文化財研修記

奈良県高市郡明日香村橘には、聖徳太子生誕の地とされ、聖徳太子創建7ヶ寺の一つ「仏頭山上宮皇院菩提寺(通称:橘寺)」がある。伽藍は東面し、東門から太子殿まで一直線に参道が通っており、参道の北側には本坊・観音堂・護摩堂、南側に鐘楼・塔跡・宝殿・経蔵・蓮華塚が並んでいる。しかし、創建当時のものは塔跡や二面石のみである。橘寺についての創建については詳(つまび)らかでないが、文献上の初見は「日本書記」天武天皇9(680)の条に橘寺の尼房10房が焼失したという記事がある。またこの地は用明天皇の別宮である上宮があった所で、皇后穴穂部間人(あなほべたいざ)皇女はここで聖徳太子を産み、太子はここで成長したので、太子は上宮太子と呼ばれた説もある。この寺がもっとも栄えた時代は藤原時代で、関白藤原道長も参詣した。戦国時代には多武峰(たぶみね)の僧兵に焼き討ちにあったりして次第に衰ええた。今日の諸堂は江戸時代末に再建されたものといわれる。

橘寺東山門
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太子殿
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太子殿内陣
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太子堂外陣
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太子堂その2・中央太子母・穴穂部間人皇后、右側・聖徳太子孝養像(鎌倉時代・国重文)
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二面石(飛鳥時代の石造物で太子堂の横にある。人の心の善悪二面を表している。)
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