2007/7/30

式内社「高倉神社と十二士講神社」天一さんの土用の丑祭り  綾部の文化財

京都府綾部市「元、何鹿郡(いかるがぐん)」高倉町には「式内社で高倉宮以仁王(たかくらのみやもちひとおう)」を祀る高倉神社がある。「土用の丑のお祭りでは綾部で最大の祭り」であり、7月30日(月)夜、0時宵宮祭りが始まり、0:30分お札売りが開始された。午前9時には「本殿祭」の神事が催行され、又10時には「十二士講神社祭」が催行された。平家打倒に源氏政とともに挙兵されたが宇治平等院にて、氏政やその子供やほとんどの武士が殺されが、以仁王は身代わりに自分の甲冑を着せ、この綾部の吉美(きみ)の里町まで逃れてきた。それはこの吉美地区に領土をもつ武士たち12名が同行引率して来たからであり、以仁王は腹に受けた矢傷で、非常に苦しみ亡くなった。その折、今後、私は皆を腹痛から守ろう、そして「五葉の笹の葉」は五臓を意味し、それは「心・肺・肝・脾・腎」であり、笹の葉にはこの五臓を活性化する成分を含んでおり、健康飲料としてお茶代わりに飲むと良い諭旨。

京都府指定文化財の式内社・高倉神社拝殿
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奥社の大地主神社(国造りの神・伊佐那伎命と伊佐那美命を祀る)後ろは、綾部の百古木名木の一つ「夫婦(めおと)杉」
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遥拝所から本殿祭がはじまる。
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本殿前での神饌の儀式
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「五葉の笹」を買い求める人々
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大人気の天一さんの「はらわたもち」を購入する人々
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京都府立総合資料館所蔵の明治9年調査の時、「延喜式内並国史見在神社考証」に描かれた、何鹿郡(いかるがぐん)十二式内社の一つ「高倉神社」
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高倉神社の詳細は下記をクリックねがいます。
http://www.ayabun.net/bunkazai/annai/takakura/takakura.htm
又、秋の大祭りの詳細は下記をクリック願います。
http://www.ayabun.net/bunkazai/annai/takakura/hiyaso.htm

2007/7/29

第309回熊野新宮神社の「水無月大祭」と綾部良さ来い祭り  綾部の文化財

京都府綾部市の最大の「水無月(みなつき)まつり」が始まった、7月27日(金)夜6時30分より9時まで、「綾部良さ来い祭りの前夜祭」が綾部駅前で始まり、28日(土)の午前10時から「熊野新宮神社(出口孝樹宮司)」にて第309回目の「水無月大祭の神事」が行なわれた。午後、12時30分からは、綾部駅前南口広場にて第3回目の「YURAGAWA ROCK FESTVAL’07」午5後時30分まで開催され、多くの人がロックミュージックを愉しんだ。又、午後1時30分からは午後3時30分まで「綾部太鼓市街地順演」も行なわれ、引き続き、午後5時30分からはアイタウンの道路が歩行者天国となり、京丹波町の和知太鼓が一番に始まり、「綾部良さ来い祭り」の本祭りが始まり、午後7時50分に第一部を終え、又、同時刻午後7時20分には「大本教綾部本部の献灯神事と平和祈願万灯流し」が午後7時30分に催行された。午後8時から8時45分まで4,000発の花火大会が催行され、早内40連発のスターマイン等が出て、大いに愉しんだ。「綾部良さ来い」の祭り、第二部が午後8時50分から10時10分まで催され、市民、市外の見学者等は古式豊かな神事行事と新しい行事が上手く調和していて、多いに愉しめた2日間であった。ホテル綾部からの花火の眺望も良く、国指定有形文化財のトラス橋「綾部橋」も良く見れるので、この祭事と花火見学者と夕食を兼ねた宿泊者等は過去最大であった諭旨。

7月27日(金)夜、7時「綾部良さ来い祭り」前夜祭で駅前通りで、踊るチーム「フエアリーズ」。
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7月28日(土)午前10時から古式豊かな「熊野新宮神社での水無月大祭」の神事が行なわれた。「第一番奉納太鼓」
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宮司と禰宜による神事。
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参列される大本関係者
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奉奠される、四方八洲男綾部市長と、次には準備挨拶の佐々木幹夫府会議員
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綾部駅南口広場で「第3回YURAGAWA ROCK FESTIVAL’07」がリハーサルの関係で少し遅れて、12時30分から始まった。
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アイタウンでの「綾部良さ来い祭り」第一部は「京丹波町の和知太鼓」で始まった。
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大本教と熊野新宮神社については下記をクリック願います。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/291.html
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/286.html
献灯神事は綾部大橋「国指定文化財」トラス式橋で行なわれた。
http://star.ap.teacup.com/applet/ayabebunnkazai/302/trackback
HP:新熊野神社はここをクリックください。

2007/7/28

綾部の古刹・真言宗高野山派「願成寺とその文化財」  綾部の文化財

京都府綾部市「元、何鹿郡(いかるがぐん)」別所町神宮寺には真言宗高野山派の「願成寺(がんじょうじ)」がある。この寺は大変古く「明治16年調査の何鹿郡神社明細帳」には本尊は「木造阿弥陀如来坐像(推定像高40センチメートル)」様、両脇侍は「聖観世音菩薩」様と推定されるを祀る。記録では創立天歴七年(953)発三月二十一日、開基は空也上人で仁王門等のある七堂伽藍もあった云う。徳治元年(1306)、足利尊氏公の武運長久の祈願所とし、尊氏公は歴応元年(1338)幕府を開いた。その後荒廃したが、正保二年(1645)盛尊法印が一宇(堂)を再建したと、記されている。綾部市資料館々長の承認をもらい、寺総代さんにお願いし、上記のご本尊や綾部市指定文化財の平安時代の「木造十一面観音」や同じく市指定の「蔵王権現像」やさらには珍しい、熊野十二所権現の一つの「縣仏(銅の円板に薄彫り、又は鋳物か、槌で叩き出す)」を撮影させて頂いた。記された通り、境内内の薬師堂の「薬師像(像高40センチ位)」も撮影させてもらったが、神社明細帳には一度焼失し、天保二年(1832)に再建されたと記されている。寺総代さんの話によると、仁王門は大正八年に焼失した諭旨である。

願成寺本堂
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見事な寺の彫刻
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ご本尊の阿弥陀如来坐像と両脇侍の聖観音像
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綾部市指定文化財「十一面観音立像」平安時代後期の檜の一木造。十二世紀頃この地は京都の新熊野神社の荘園・吾雀庄であり、別所熊野神社は守護神として祀られ、この願成寺は神宮寺であった。
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同じく市指定文化財の「熊野の蔵王権現像」平安末期の一木造。
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同じく市指定文化財であり、珍しい平安時代末期の「縣仏」であり、熊野十二所権現像の一つ。
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境内社の「薬師如来坐像」
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別所熊野神社については、詳細は下記をクリック願います。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/317.html
願成寺のホ−ムペ−ジは、ここをクリックください

2007/7/27

あやべ西国観音霊場第7番札所阿日山・佛南寺とその仏像文化財  綾部の文化財

京都府綾部市「元、何鹿郡(いかるがぐん)大字吉美(おおあざきみ)小字里」の里町にあやべ西国観音霊場第七番札所で臨済宗妙心寺派の阿日山・佛南寺(ぶつなんじ)がある。この寺は綾部市でも極めて古い歴史を誇る寺院であり、今回、秋の会報65号にご住職署名記事を掲載するため、特に入念に写真撮影をさせて頂いたので掲載します。故実を記した国家の歴史書である「三代実録」に貞観五年(863)と云う年代と共に佛南寺の名前が記録され、巨刹の官寺であった。戦国時代の荒廃を経て、江戸時代の万治年間(1658〜1660)に宗讃禅師が臨済宗妙心寺派として再建されました。江戸時代元禄の初め焼失しましたが、元禄八年(1695)再建され現在に至ります。ご本尊は一尺二寸(像高約40センチメートル)の木造釈迦如来で両脇侍は文殊・普賢菩薩様です。又、運慶作といわれる綾部市指定文化財の「木造大日如来坐像(像高117・2センチメート)」同じく市指定文化財の「木造虚空菩薩立像(座高165・8センチメートル)」で平安時代の特徴が良く出ている素晴らしい仏像です。又、観音堂(元、尼寺の善住寺)には聖徳太子の念持佛であったとされ、祈願によってと母乳湧出の願いが叶う「聖観世音菩薩」様が祀られています。寺の東横の地蔵堂にはお参りすると夜尿症を止める云われる「地蔵菩薩」様が祀られています。札所ご詠歌は「法のみち ひろく栄える 吉美が代を よろずよかけて 願ふさとひと」です。

佛南寺のご本尊・木造釈迦如来坐像と両脇侍の文殊・普間菩薩様
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運慶の作と云われる「木造大日如来坐像・像高117.2センチメートル」綾部市指定文化財
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同じく綾部市指定文化財の「木造虚空菩薩立像・像高165.8センチメートル」
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元、尼寺の善住寺にあった「聖観世音菩薩」様
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観音堂内の見事な欄間
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夜尿症を止める「地蔵菩薩」様・多くの小さな梯子が供えてある。
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小さいが見事な禅庭「素心庭」と後方にどんぐりの古木と観音堂が見える。
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HP「綾部の文化財・佛南寺」ここをクリックください

2007/7/25

近江国・湖南三山その三・長壽寺  文化財研修記

滋賀県の湖東三山は昔から有名であるが、小生は最近売り出した、湖南市の、全て国宝の本堂を持つ「湖南三山」の方が好きです。第三番目は湖南市石部町(いしべ宿)がある所で、常楽寺から車で8分の直ぐ近にある天台宗の「長壽寺(ちゅじゅじ)」通称「東寺(ひがしてら)」とも呼ばれています。この寺は天平年間(729〜749)に良弁僧正が天皇の勅願により建立した寺です。いわれは、当時の聖武天皇が大仏造営のために、柴香楽宮(しがらぎぐう)に遷都されていた折、世継ぎが無かったので良弁僧正に祈祷を申し伝え、良弁が阿星山中の瀑布に籠って祈願したところ、間もなく皇女が降誕された。そこで天皇は、柴香楽宮の鬼門にあたるこの地に、七堂伽藍、二十四坊の立派な寺を建立して、皇女降誕因んで子安地蔵尊を行基菩薩に刻ませ本尊とし、皇女の長壽を願い、長壽寺の号を与えたのが始まりとされている。国宝の本堂は一度焼失したが、鎌倉時代に再建された。桁行(正面)五間、梁間(側面)五間、屋根一重寄棟造,向拝三間桧皮葺、四面回廊と、天台伽藍には珍しい建築です。中央三間は桟唐戸(さんからど)の入口、左右には連子窓(れんじまど、和様窓)、内部は正堂と礼堂にとに分かれ、奥行きの深い堂を構成している。本堂内部の厨子は文明十二年(1480)作られた国宝で、内部に秘仏の木造子安地蔵尊を安置する。50年に一度2日間のみのご開帳で平成22年にご開帳予定との住職の話でした。向かって左の釈迦如来座像(国重文・座高177CM)と右手に阿弥陀如来坐像(国重文・座高142CM)が拝顔できる。
拝観料は同じく500円で、春秋のシーズン以外拝観予約が必要です。

長壽寺の山門
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聖武天皇を弔う巨大な「石造多宝塔」およそ4メートル(市指定文化財)鎌倉時代
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国宝・本堂
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国重文の弁天堂「桁行一間、梁間一間、文明16年(1484)の建立
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長壽寺の鎮守「白山神社」の鳥居
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白山神社拝殿(国重文)永享8年(1436)室町末期の建築
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2007/7/24

近江国・湖南三山その二・常楽寺  文化財研修記

近江国の湖東三山は昔から有名だが、それよりも現在紹介している「湖南三山」全て国宝の本堂を持っている。秋の紅葉の時期が一番良いのだが、駐車場が狭く、乗用車の列で入れない場合いがある諭旨。当方来年の6月さつきの時期に研修旅行を実施予定です。この湖南市石部町「宿場町石部(いしべ)」西寺にある天台宗の「常楽寺」は「西寺」とも呼ばれ国宝の本堂と国宝の三重塔がある。この常楽寺は十四世紀の二十八部衆像立勧進状、本堂再建勧進状によると、和銅年間(708)良弁(ろうべん)が開基した阿星寺(あせいじ)五千坊の中心寺院の一つであり、鎮護国家、鬼門除けのために元明天皇(女帝)の勅願により創建された、平安時代後期には、行胤(ぎょういん)が比叡山の末寺に位置づけたと考えられている。国宝の本堂は延文五年(1360)三月二六日、火災で焼失し、同年(南北朝時代)に観慶(かんけい)により再建された。本堂は桁行七間、梁間六間、屋根は入母屋造の桧皮葺である。堂内は下陣と内陣に別れ、内陣の須弥檀(しゅみだん)上の寄棟造の・板葺の厨子は国宝であり唐様を主として構造で立派なものである。本尊は秘仏・千手観音座像(国重文)で見ることは出来ないが寄木造りで、本手と脇手を合わせて40手もある諭旨。本堂左手の山腹にある国宝の三重塔あは三間本瓦葺、総高77.八尺もある見事なもので釈迦如来像が安置されているが見る事はできない。近江国33番の石佛が第一番からお山の上一廻りで33番まで巡ることが出来る。尚、拝観料はお一人500円乗用車駐車無料。

常楽寺の山門
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国宝の本堂と左山腹に国宝三重塔が少し見える。
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国宝の三重塔
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近江33番石仏の第一
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薬師如来堂
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薬師如来立像
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山聖神社(さんしょうじんじゃ)明治まで神仏混合であり、比叡山の山王社の分霊で見事な舞殿と本殿がある。
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2007/7/23

近江国・湖南三山その一・善水寺  文化財研修記

滋賀県の「湖東三山」の百済寺、金剛輪寺、西明寺は昔から有名であるが、最近「湖南三山(こなんさんざん)」として、めきめき売り出してきたのが、合併し、湖南市となった所にある全て国宝の本堂を持つ、善水寺、常楽寺、長寿寺である。平成20年度の研修旅行実施の為、調査に行ってきたので、本HP読者にはここで順次紹介していきます。先ずは湖南市岩根3518にある西国薬師霊場第47番札所でもある岩根山・善水寺(ぜんすいじ)を紹介します。このの寺は奈良時代和銅年間(708〜715)元明(女帝)天皇勅命により鎮護国家の道場として創建され和銅寺称した。平安時代に入って比叡山延暦寺を開創された伝教大師が、この甲賀の地に入り、比叡山・延暦寺建立の為の用材をこの地に求め、居住していた所、この寺のある岩根山(標高405・5メートル)の中腹より一筋の光が目に射し込み、その光に誘われままに当地に登られた。山中に堂、その東に百伝池あり、地中より一尺八分、閻浮檀金の薬師仏を勧請され、その薬師仏を本尊として請雨の祈祷を修すること七日間、満願の日に当たって大雨が一昼夜降り続き、流れの勢いで、そのまま用材は川を下り琵琶湖の対岸比叡の麓に着岸したと云う。後に、京の都で桓武天皇御病の祭、伝教大師、霊仏出現の池水を以ってこの薬師堂の宝前で病気平癒の祈祷を修すること七日、この霊水を天皇に献上されたところ御病気忽ち平癒されたと云う。この縁によって「善水寺」の寺号を賜ったと云う。本堂内部には厨子(国宝)が有り、国重文の薬師如来像(座高103CM)や多くの国重文の梵天・帝釈天・や昭和28年の大水害で流出した、仁王門の一対の仁王像(高さ2・5M)も見学できる。春秋の特別拝観期間以外は予約が必要で拝観料500円です。

善水寺山門
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国宝・善水寺の全景(七間に五間・入母屋造・桧皮葺で前面に向拝がない。)
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善水寺本堂正面「南北朝時代,貞治五年(1366)再建}
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元三大師堂「江戸時代、正徳三年(1713)再建で本尊・元三大師良源大僧正の等身大像を安置している。」
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元三大師堂内部(等身大の大師像が少し見える。)
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百伝池(百伝の池、ももつての池に訓ず。岩根池とも云う。)
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善水寺の謂れの「霊水場」
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2007/7/18

あやべ西国観音霊場33ヶ寺の番外2番札所・長福寺  綾部の文化財

京都府綾部市「元、何鹿郡(いかるがぐん)」の「あやべ西国観音霊場」33ヶ寺と番外6ヶ寺番の中の同じ名前の「長福寺」が2ヶ所ある。向田の観音さんは第29番札所で既に紹介しましたが、この栗町の光明山・長福寺は通称「平田の観音さん」と呼ばれ番外2番札所で曹洞宗で柔和な顔の十一面観世音菩薩様が安置されている。この観音像は六尺(約190センチメートル)もある大きな観音さまで三間四面のお堂には不釣合いとも言える威容を誇っています。札所御詠歌は「六つの道 暗き巷に 迷はじと 光明山のみなや頼まん」と謡われ、「六つの道」とは、輪廻転生を繰り返す魂の行き先である六道のことであり、「暗き巷」とはその別れ道にあたる六道の辻です。薄暗い中ですが閻魔様も祀られています。
尚、直ぐ近くに「史跡廣胖堂」がある。綾部九鬼藩十代藩主九鬼隆備が慶応2年(1866)に藩校として「廣胖堂(こうはんどう)」を設立し、明治6年廣胖尋常小学校となり、明治26年以久田’いくた)尋常小学校となった。グンゼ創設者の波多野鶴吉翁等もこの学校で学んだのである。

長福寺本堂
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お堂の正面の像が190センチメートルもある十一面観音像で左側に閻魔大王とその従者達
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史跡廣胖堂
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史跡廣胖堂についてより詳しくは下記をクリック願います。
http://www.ayabun.net/bunkazai/annai/kohando/kohando.htm

2007/7/17

島万神社の太鼓踊と太刀振 DVD完成  図書紹介

島万神社無形文化財」記録映像
京都府登録無形民俗文化財 綾部市指定無形民俗文化財
記録編
祭礼の記録:21分 太鼓踊編:61分 太刀振編:59分
平成19年3月クリックすると元のサイズで表示します
お求めは、嶋萬神社無形文化財保存会会計(副会長)渡辺和昭さま0773-42-0651
綾部市七百石町竹安3まで 5枚組DVD:4000円
企画:嶋萬神社無形文化財保存会
製作:株式会社CNインタ−ボイス
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資料編:38分のDVDカバ−
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教材編 太鼓踊:1時間38分 DVDのカバ−
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教材編 太刀振T 2時間1分 DVD
教材編 太刀振U 2時間5分 DVD カバ−

2007/7/17

大槻重助伝 村上利男著  図書紹介

変動の渦の中に置かれた一人の丹波の青年が、勤王僧月照と行動をともにするうち、いつの間にか世の変革に貢献し、歴史のひとコマを作る手助けをしたのである。それは丹波人特有の実直さから来るものであるが、月照からの信頼感、また平野国臣や西郷隆盛といった幕末の志士との交流によって培われたひたむきな行動力の賜でもあった。
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維新の影の功労者 1000円+税
勤王僧月照に信頼され、幕末の志士、平野国臣と悲嘆に暮れ、西郷隆盛に感謝された、誠実一筋の人、大槻重助の本格的評伝
動乱の京都から薩摩への逃避行!その行く手に待ち受ける過酷な運命を描く!
著者プロフィ−ル
村上利男(むらかみとしお)氏
1925年、京都府綾部市高津町出身。「大槻重助を顕彰する会」主催。平成9年、勲五等双光旭日章の勲章授章。



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