2007/6/30

夏越(なごし)大祓い「若宮神社と高倉神社」  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」上野町には明治16年調査の丹波国何鹿郡神社明細帳には、本宮村には「若宮神社があり郷社で祭神仁徳天皇、建物は梁行四間、桁行六間と記載されているが、現在は上野町に移っている。この若宮神社と吉美地区高倉町にある高倉神社は、例年6月30日に「夏越(なごし)の大祓い」の神事がある。先ず若宮神社を見てみよう。当若宮神社の創建は治承年間(1177〜1181)にかの有名な平清盛の嫡男、小松内府三位中将平重盛が丹波国の国守であった時、山城国岩清水八幡宮を此の地に勧請したものと伝えられている。その後、鎌倉、室町、戦国時代から徳川初期までの記録が現存していないので、同期間の状況は知る由もないが、以後の由緒はについては綾部九鬼藩(兵庫県三田に三田九鬼藩の兄弟藩がある。)の旧記録により明らかである。即ち、寛永十年(1633)三月、徳川三代将軍家光の時、九鬼隆李(たかすえ)が綾部九鬼藩初代藩主として鳥羽からこの山国の丹波国何鹿郡に転封させられ、ニ万石であり、三田九鬼藩(異腹の弟が藩主)は三万石だが、此れは徳川幕府の大名鉢植え政策であった。しかし、綾部九鬼藩はニ万石の内、実際は福知山にある飛地の500石を弟に与え旗本にしているので実際は19,500石であった。当神社が御屋敷内にあったので、隆李は厚く崇拝し、このの乏しい中から見取田及び金穀を奉納し、綾部藩の総氏神とした。以来、明治の廃藩置県まで第11代まで「任先規永代無退転可令執行也」との御朱印書を持って祭礼費、修理費を献納された。元禄十四年(1701)第三代隆直公の自筆の「若宮」の鳥居額を奉献され現在の拝殿に掲額されている。茅の葉で作った「茅輪(ちのわ)」は若宮神社では宮司・権宮司2人を先頭に三回くぐるが、吉美地区の高倉神社は1回のみくぐる。若宮神社は午後3時から、高倉神社は午後4時から神事が行なわれた。若宮神社には他に、明治16年の調査の何鹿郡神社明細帳には境内社、として猿田彦神社・祭神:猿田彦命=現在は厄除神社・祭神:猿田彦命、稲荷神社・祭神:稲蒼塊神のみ掲載されているが、境内には九鬼神社もあるので又、2月の厄除神社のお祭りで紹介しましょう。
若宮神社参道1.
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若宮神社参道2.
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若宮神社午前8時氏子代表等が拝礼し「夏越(なごし)大祓い茅輪」造りを始める。
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若宮神社「夏越の大祓い」
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若宮神社では宮司様を先頭に「三回茅輪」を廻る。
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吉美地区高倉町の「高倉神社の茅輪」
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高倉神社は式内社であり、拝殿・本殿を持つ。来賓は拝殿にて参拝する。
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その他、高倉神社については下記をクリック願います。
http://www.ayabun.net/bunkazai/annai/takakura/takakura.htm
http://www.ayabun.net/bunkazai/annai/takakura/hiyaso.htm

2007/6/28

あやべ西国観音霊場番外1番妙徳寺とその禅庭  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」渕垣町奥の谷には「あやべ西国観音霊場番外1番で臨済宗妙心寺派の大應山・妙徳寺がある。ご本尊は釈迦三尊像ですが、霊場本尊は十一面観音様です。建武元年(1334)の創建で、開基は七百石(しちひゃこっく)の高城の城主・大槻備中守です。参道を共有する隣の八幡神社は丁度同時代に造営されたもので府の指定文化財です。これは後ほど紹介します。山門を抜けると、箒目をつけた砂の敷き詰められた中、右手には中々素晴らしい禅庭があります。この十一面観音様は厨子入りでりで、その裏面には「伝定朝作、宝暦十四年(1764)野瀬左兵衛修理」とあり、不確定ながら、宇治の平等院鳳凰堂の阿弥陀如来像を作った仏師・定朝の作と伝えれています。毎年8月20日は観音例祭で多くの人々がお参りされます。又、前住職の村田陶石さんは名の如く50数年の作陶歴があり、今もその後を引き継ぎ「陶芸教室」が開かれています。


あやべ西国観音霊場番外1番「妙徳寺」正面
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禅庭その1.大應石庭
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禅庭その2.
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延命地蔵菩薩様
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陶芸工房の常楽庵
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高熱をだす「登り窯」
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2007/6/24

木の神・久久能智神を祀る木祖殿神社  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるが)」岡町には珍しい「木の神・久久能智神(くくのちのかみ)」「を祀る「木祖殿神社(きそどのじんじゃ)」がある。同社の創建は定かでないが、古代に古船に乗って流れ着かれ、此処に斎き祠り境内を船の形になぞらえたのでこの名がついたと言う。明応2年(1501)の乱で兵火にかかり、社殿の古記録等は焼失したが、今の建物は元禄16年(1703)のものである。木祖神は日本書記によると伊邪那岐命・伊邪那美命の国生の時、海川山の神の久久能知を生むとある。又、境内社は合祀だが、左手に愛宕神社、大川神社、天満宮、稲荷社、堺荒社、右手に豊受神宮、大国主神、大神宮、金毘羅神社、大森分神を祀る。又境内の常夜燈は台座から2メートル余もある見事なもので嘉永七寅(1854)九月吉日の銘がある。本日6月24日(日)午前10時から新社務所の完工式が大雨の中で行なわれたものを撮影したものであり、雨が降るとは、天から神が降るとも言う。写真は見苦しいのは、その為です。

雨の中の木祖殿神社
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左手側の境内社
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右手側の境内社
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嘉永七寅九月吉日の銘の入った常夜燈と新社務所完工式
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夫婦の関係があるとされる「福田神社」との秋祭りは、こちらをご覧ください
http://www.doblog.com/weblog/myblog/15478/1947678#1947678

2007/6/23

綾部愛石会第38回展・第8回「集蔵」水石展  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」青野町のグンゼ博物苑「集蔵(つどいぐら)」にて6月23日(土)午前10時〜午後5時、24日(日)午前10時〜午後4時の間で「綾部愛石会第38回展・第8回集蔵 水石展」が開催された。出展の石は、佐治川石、加茂川石、貴船石、四万十川石、与布土川石、江波石、犬上川石、根尾川石、帝釈川石、大江山石、耳川石、三方石、根尾菊花石、鞍馬石等素晴らしいもので石の「文化財」と云われるものである。入場料無料で毎年この時期に開催され多くの人が見学に訪れる。

グンゼ綾部本社
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船越八太郎氏出展の加茂川石
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当会「綾部の文化財を守る会々員」の岸見直氏出展の与布土川石
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手前、衣川武氏の佐治川石、真中、新宮千秋氏の犬上川石、奥、井上成江氏の佐治川石
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2007/6/22

あやべ西国観音霊場第28番「施福寺」の仏像  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)上杉町施福寺には「あやべ西国観音霊場第28番・高野山真言宗の集宝山・施福寺(せふくじ)がある。札所本尊は千手観世音菩薩様ですが、秘仏でお顔は撮影させてもらえませんでしたが仏壇で一部見れます。、此処には綾部市指定文化財の平安時代の木造地蔵菩薩半跏(はんか)像がは綾部市資料館から写真提供頂いたので掲載します。施福寺の歴史は古く、伝えるところでは奈良時代の和銅3年(710)宝珠に似た山の形を好んで行基がここに庵居し、自ら千手観音像を刻んでお祀りしたのがはじまりと言われます。その後、天徳3年(959)に空也上人が荒廃していた本堂を再興したと伝えられています。以来千余年の間に幾度も倒壊・焼失しましたがその度ごとに再興されてきました。現在の七間四面の堂々たる本堂は文化6年(1809)に建立されたものです。等身大のご本尊・千手観音菩薩様は、それぞれ手に一眼を備えておられ、どのような衆生救わずにおかない広大無辺の慈悲を示されています。又、「世の人も 来て願うべし 観音の 御手に宝を 集めたる山」と謡われています。

施福寺の石段と右手は綾部の古木・名木100選の一つ幹周3.67M高さ23M「コウヤマキ」
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堂々たる本堂
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本堂内部「千手観音様は下半分のみ」
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昭和49年綾部市指定文化財・平安時代・像高57.6CM「木造地蔵菩薩半跏(はんか)像(綾部市資料館提供)
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実物写真(綾部市資料館提供)


関連HP 綾部市指定文化財:木造地蔵菩薩半跏像および蓮ケ峰・歴史街道探訪

2007/6/21

あやべ西国観音霊場第23番曹洞宗永平寺派「長福寺」  綾部の文化財

長らくご無沙汰しておりました。指を切りPCに入力出来なかったのです。
京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」向田町には「あやべ西国観音霊場第23番滝本山・長福寺」がある。宗派は曹洞宗永平寺派で(秘仏)聖観世音菩薩様であり、年一度8月17日の祭礼の夜9時から1時間のみご開帳される。寺総代さんから今年当会のみに撮影の許可を貰ったので、小生のデジカメでは届かないのでHP担当理事・委員長の鍋師有さんに同行依頼し、撮影の予定です。請うご期待!!!!
この寺は通称「向田の観音さん」(むこだのかんのんさん)と呼ばれ聖観音は、東向きの観音として、又眼病に霊験あらたかな仏様として親しまれています。山城国浄土宗楊谷寺にある柳谷観音(806年製作)と同木から彫られたものと言われ、かなり歴史のある仏様に間違いありません。このご本尊がここに祀られるにあたって逸話があります。明智光秀が武将の岡部山城守に戦賞としてこの観音像を与えました。自領へ持ち帰る途中、山城守がこの向田の地で休んだところ、仏様も自分も地に根が生えたように身動きできなくなり、ついにあきらめてこの地に奉安することにしました。大きな鬼瓦を持つ三間四面の立派なお堂は、八つ棟唐破風造(からはふうつくり)といわれる大変珍しいものである。又「後の世も 花のはじめに 頼む身は 滝のながれの もとにたよりて」と謡われています。

八つ棟唐破風造(からはふうつくり)の観音堂
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見事な本堂の扁額
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本堂前のお地蔵様
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地蔵堂にも厚い信仰が寄せられている
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8月10日は千日参り、8月17日夜は大祭で盛大な向田の盆踊りや、本堂前の東側に立つ舞堂にて、舞台に使われる襖絵の話をされる寺の筆頭総代さん
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2007/6/14

舞鶴市市展が赤レンガ倉庫で  文化財研修記

今年も舞鶴市の市展を見に行った(6月17日(日)まで)。舞鶴市総合文化会館で「日本画」「書」「工芸美術」の部門が展示されていたが、今年は赤レンガ倉庫の舞鶴市政記念館で「写真」、まいづる智恵蔵で「洋画」の部門が展示されていた。
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舞鶴市市政記念館
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赤レンガ倉庫の中にパネルを設置して「写真」の作品展示があり、引き立っていた
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まいづる智恵蔵の2階に「洋画」の作品展示があった。作品が赤レンガの重厚さに力負けの感じを受けた
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舞鶴ジオラマ(一部)綾部の文化財掲示板に「田舎の駅長」さまから投稿をいただいたので、情報交換でもと思い「赤レンガ博物館」「まいづる智恵蔵」で尋ねたが、職員の方でなく出会えなかった。
四方事務局長取材のまいずる知恵蔵開館と浮世絵「糸井文庫」
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舞鶴市には、明治34年(1901)の旧海軍舞鶴鎮守府の開庁に伴い、海軍が建設したものを中心に多くの建造物が現存し、風雪を経た赤レンガはエキゾチックな雰囲気をかもしだしています。
この赤レンガ博物館建物は、明治36年(1903)に旧舞鶴海軍兵器廟魚型水雷庫として建設されたもので、本格的な鉄骨構造のれんが建築物としては、わが国に現存する最古級のものとされています。舞鶴市指定文化財

2007/6/8

播磨の国宝と文化財を訪ねて記念写真  文化財研修記

バス2台(81名)の参加で6月7日実施の綾部の文化財を守る会の春の研修旅行が終了しました。研修コ−スは、浄土寺(小野市)、一乗寺(加西市)、鶴林寺(加古川市)、明石文化博物館の4ケ所。記念写真係を務めました。クリックすると元のサイズで表示します
極楽山・浄土寺(小野市)国宝:浄土堂(阿弥陀堂)公認ガイド:西尾泰彦氏と共に
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上の人物拡大写真です(ここをクリック)国宝の建造物を入れないと価値がありませんが、大きな建物をバックに90名を一度に撮るには、人物を手前に並べ、マニュアルモ−ドでピントをしっかり人物に合わせてから、三脚のカメラを動かして全体が入るように構図をつくります
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刀田山・鶴林寺(加古川市)国宝:本堂前にて幹栄盛師と共に。
下見に行った時の予定では、参道両脇の灯篭の前に90名が並んで撮影するつもりであった。しかし中心に居られる幹栄盛師が本堂(国宝)の登り段でと、一方ならぬご好意を賜ったので、予定変更をして、この写真となりました
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人物拡大写真:鶴林寺本堂(国宝)の建造物が巨大なので人物のみ拡大する(ここをクリック)記念撮影の人物は写真の構図の下部になり、中央焦点ではピントが合わないので、マニュアルで合わせ大型フラッシュも使用しました
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人物に近づいた写真も撮影。こちらを焼き付けて浄土寺の写真と2枚を参加者に配布することにします

2007/6/2

あやべ西国観音霊場第15番惣持院  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)小西町中小路28番地には「あやべ西国観音霊場第15番高野山真言宗の今田山・惣持院(そうじいん)」がある。真言宗は秘仏が多く撮影はできなかったが、その境内やさつき参道は抜群で有った。ご本尊は如意輪観世音菩薩様で、通称「今田(こんだ)の観音さん」は室町時代の作といわれ、安産・子安観音とも称されて、昔から特に女性の厚い信仰を集めてきました。開創は弘法大師の弟子の真如親王で、藤原氏の繁栄のために建てられたと伝えれています。その際に奈良の興福寺の南円堂にならって如意輪観音を安置したもので、当時は総持寺と呼ばれ、七堂十七坊を有する規模であったが、一旦、荒廃し、後に空也上人の手によって再興されました。境内東には鎮守の今田八幡宮、西の山腹には四国から勧請された金毘羅大権現、弁天堂、大師堂などもお祀りされています。本堂前の庭園や茶園も素晴らしく、や藤の古木は「綾部の古木名木100選」の一つであります。


見事なさつきの参道その1.
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さつき参道から本堂を見る。
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ひさしのはりだしが、見事な本堂
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弁天堂
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西の山腹の金毘羅大権現
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