2007/5/28

国の登録有形文化財:7連のトラス綾部大橋  綾部の文化財

今日は小生にとっては少し変わった分野の「国の登録有形文化財・綾部大橋」を紹介します。京都府「元何鹿郡(いかるがぐん)味方町には昭和4年(1929)に建設された鋼製の7連のトラス橋があります。橋長210メートル、幅5.2メートルで現在は国道27号線から旧町内の本町筋への一方通行です。高さも2.7メートルに制限されています。このトラス橋は大変珍しく、この綾部大橋は平成17年7月12日「国の登録有形文化財」に指定されました。
 綾部のお泊りや食事はホテル綾部を是非ご利用ください。風景抜群です。詳細は下記をクリックねがいます。
ホテルでのイベントやレストランのお勧めなどをご紹介をしています。 www.hotelayabe.jp/

国の登録有形文化財のトラス橋「綾部大橋」
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風景抜群の「ホテル綾部」から撮った写真、橋の向こうの大屋根の建物は大本教・綾部本部の「弥勒殿」と四尾山(尾根が四つあるとこらから名付けられたと云う。)
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京都府北部の大河・由良川や眺望が素晴らしく、綾部一番の枝垂れ桜が咲く。
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2007/5/27

あやべ観音霊場唯一の腹蔵聖観世音菩薩と仏像  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」五泉町家尻25番地には「あやべ西国観音霊場第32番円林山・五泉寺(ごせんじ)がある。33ヶ寺番外6番の中で唯一の胎内仏を持つ「腹蔵観世音菩薩」様がご本尊です。府道綾部小浜線から中上林に北に折れ、東舞鶴へと通ずる菅坂峠方面に進むと、眼前に赤屋根のお寺が見えてきます。昨年菅坂峠にトンネルが2つ開通し、東舞鶴からも容易に来れるようになりました。開創された当時は真言宗でしたが、江戸時代の初めの元和元年(1615)に総本山臨済宗南禅寺の頭塔(たっちゅう)寺院より禅師を請じて新たに小林庵として中興されました。この小林庵と新たに創建された円明庵の2坊が昭和26年檀家の総意により合併し、現在の五泉寺となりました。山号の円林はこの二つの寺院名から一字づつ採られたものです。現在は臨済宗南禅寺派で、従ってご本尊は上記の胎内仏をもつ「腹蔵聖観世音菩薩」と「聖観世音菩薩」様の二つのご本尊があります。又、ご詠歌は「円林の山も浄土も ふだらくも 救う佛に かわりなければ」。これらの仏像は春と秋の「あやべ西国霊場33ヶ寺と番外6番霊場」ABCの3コースに参加しないと拝観できません。申し込みは下記へ。宿泊は前日「ホテル綾部」に宿泊すれば迎えのバスが来ます。
http://www.ayabun.net/gaiyo/saigoku.html

五泉寺
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古い襖絵(禅画だが作者は読めなかった。)
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ご本尊「腹蔵聖観世音菩薩」様(胎内仏をもつ)高さ40センチメートル位
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ご本尊・腹蔵聖観世音菩薩様とその胎内の仏
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二つ目のご本尊「聖(しょう)観世音菩薩」様
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達磨大師像
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お寺を火災から守る「韋駄天」様
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五泉寺の風景は下記をクリック願います。
http://www.nbcayabe.com/bunka/gosen/gosen.htm

2007/5/26

倉敷、後楽園、吉備津神社(最終回)  文化財研修記

今日は岡山県に5つある国宝の一つ、「吉備津神社」を紹介します。記紀に伝える孝霊天皇の皇子、大吉備津彦命(おおきびつのみこと)を主神とする吉備津神社は、古墳時代、大和(奈良県)、出雲(島根県)に並ぶ巨大な勢力を持っていた吉備国(岡山県)隋一の宮。今の建物は正平6年(1351)の火災後、応永12年(1405)に足利義満が再建し、20年後に正式な遷宮をしたものです。入母屋造りを前後2つ並べて連結した特異な屋根、本殿が建つ白漆喰塗(しろしっくいぬり)の亀腹(かめばら)とよ呼ぶ檀は、中世建設もっとも高い。内部も主神を祀る内々陣と内陣の周囲を中陣が囲み、その周りを外陣(げじん)が取り巻く珍しい造りです。堅固で豪快な意匠の大仏様の装飾が見られるのもここだけである。広島の厳島神社本社本殿(国宝)とともに、全国最大級の吉備津神社本殿・拝殿は規模、形式とも比類のない建築である。現在は平成20年に完成に向けて修理中で全容が見れなかったので掲示してある完成予定の物を撮影した。

吉備津神社の手水舎
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吉備津神社への階段
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吉備津神社拝殿(国宝)の扁額
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本殿(国宝)の扁額
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お釜殿への広大な通路
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平成20年修理完了予定の拝殿・本殿をバックに綾部市文化協会吉田晟風理事長
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2007/5/25

倉敷、後楽園、吉備津神社3  文化財研修記

今日は日本三名園・国特別名勝の岡山の「後楽園」と美人画で有名な竹久夢二の「夢二郷土美術館」を紹介します。岡山池田藩は豊臣秀吉の時代から上手に生きて来ましたが、江戸時代には徳川幕府の大名鉢植え政策で兄弟藩の鳥取池田藩からこの岡山へ移ってきました。この後楽園は旭川にかこまれ元岡山城があったのですが、天守閣を持つ岡山城は対岸の岡山へ橋をかけ、移され、今の岡山城下町が出来上がってきました。この後楽園は藩主池田綱政公が家臣の津田永忠に命じ、貞享4年(1687)に着工、元禄13年(1700)に一応完成し、その後も藩主の好みで手が加えられ現在の後楽園となっています。庭園は広大すぎ写真は上手く撮影できませんでした。入場料は65歳以上はうれしいことに運転免許・健康保険証等を提示すれば無料、一般は350円です。竹久夢二は明治17年岡山県邑久郡生まれで、美人画を多く書き、又、版画で増す刷りをし、多くの人々に感銘を与えましが、昭和9年亡くなり東京の雑司ヶ谷墓地にお墓があります。この夢二郷土美術館以外にも、夢二生家、少年山荘などがあります。


後楽園からみた岡山城(川は旭川)
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栄唱橋と茂松庵
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池田綱政が好んだ「廉池軒」
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唯心山
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遠方に岡山城を望む後楽園の沢の池
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夢二郷土美術館(後楽園から旭川を渡るとすぐ)
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夢二の美人画(この本物は和歌山県の美術館にある諭旨)
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2007/5/24

倉敷、後楽園、吉備津神社2  文化財研修記

今日は倉敷の「くらしき美観地区」を少し、紹介しますが、椎名誠氏は「日本細末端真実紀行」で「倉敷は今日もウスラバカだった。」と云う表現でけなしてますが、良い面を見る方が楽しいですね。小生方の文化財はやはり、寺社が主力なので、「宝壽山・観龍寺」を見て来ましたので紹介します。この寺は別格本山で約1,000年前の寛和元年(986)に倉敷の西岡に「慈照院」として建立され、2度目の移転で現在地に本堂は寛延三年(1626)は再建され寺名が「観龍寺」と変ええられたと記してありました。
 ご詠歌は「つみもかも 消えよ祈る 観龍寺 遠きくによりまいる身なれば」と記してありました。他にも、誓願寺や阿智神社があります。昼食は各自なので、阿知2丁目21−12鉄板焼「カンナ」2階で14名位の店ですが黒牛和牛のハーフステーキと野菜類は1,500円で最高に美味でした。因みに電話:FAXは086−427−1214です。

倉敷民芸館
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この船頭の案内で美観地区を廻りたいものです。
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倉敷考古館
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宝壽山「観龍寺」山門
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観龍寺
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観龍寺の鐘楼と銘木と駒札
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2007/5/23

倉敷、後楽園、吉備津神社  文化財研修記

綾部市文化協会の日帰研修旅行で倉敷の「大原美術館」、「くらしき美観地区」、岡山の「後楽園」、「夢二郷土美術館」と小生が久し振りに見たかった「国宝・吉備津神社」を見学撮影して来ましたので、掲載します。先ずは「大原美術館」、圧巻はやはり、「エル・グレコの受胎告知」とゴーギャンの「かぐわしき大地(タヒチ女性のヌード)」でした。
写真が撮れないので庭を入れてみました。

大原美術館
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玄関の前のロダン「洗礼者ヨハネ」像
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館内から庭をみる。
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庭園1.
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庭園2.
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庭園3.
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2007/5/22

キトラ古墳壁画「玄武」特別公開と飛鳥(最終回)  文化財研修記

万葉集の歌はあまり紹介してこなかったので、ここで雷丘(飛鳥川はさんで甘橿丘と向かい合う丘で標高105メートル)で歌われた小生の好きな歌巻3−235(天皇持統又は文武天皇)、雷の丘に出ます時に、柿本朝臣人麻呂の歌「大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に 廬りせるかも」。今回は時間もなくキトラ遺跡の「玄武」の特別展示を見るのが主体であったので、石舞台等には行っていない。但し、畝傍山の下にある「橿原考古学研究所附属博物館」を久し振りに訪れ、最後に見学したので掲載します。月曜日休館、入館料400円は安い。今回の特別展示は「山の神と山の仏」であったが、余り感動しなく、むしろ常設展示の「大和(やまと)の考古学」が圧巻であった。この研究所が1938年以来行なってきた発掘調査で出土した実物中心に「目で見る日本の歴史」となっている。内部は撮影禁止で外部の庭に展示の物を掲載した。尚、大型バスの駐車場は甘樫丘の下で5台、石舞台の駐車場で20台で皆レンタサイクルの自転車で外人さんも見て廻っている。

樫原考古学研究所附属博物館
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組合式石棺
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石の修羅
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2007/5/21

キトラ古墳壁画「玄武」特別公開と飛鳥その3  文化財研修記

甘橿(樫)丘(あまかしのおか)は標高145メートルで平成19年(今年)の調査でも石垣が見つかり新聞でも掲載され、話題になった。蘇我入鹿は中大兄皇子によって暗殺され、甘樫丘の上の屋敷立てこもり父の蝦夷は自刃し、蘇我氏は滅亡。屋敷も消失(645年)。この丘は登る道もない荒地であったが昭和40年代に「国営飛鳥歴史公園」として整備されてきた。大和三山(やまとさんざん)とは甘樫丘展望台から、北方に眺められ、左手側が畝傍山(うねびやまで、男性の山と言われ、下にこの山をご神体とした神武天皇を祀った樫原神宮がある。199メートル)、真ん中に耳成山(みみなしやま、女性の山で139メートル)、そして右手の香具山(かぐやま、女性の山で148メートル)、藤原宮はその三山に囲まれて造営された。ここで万葉集の巻1−13に記された中大兄三山歌(2つの女性の山が男山をあらそった歌)「香具山は 畝傍ををしと 耳梨と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古るも 然るにあこそうつせみも 妻を争ふらしき」。今回は聖徳太子誕生地の橘寺はないので「飛鳥寺」について掲載します。飛鳥寺は第32代崇俊天皇元年(588)蘇我馬子が発願し、第33代推古天皇4年(596)に創建された。寺名は法興寺、元興寺、飛鳥寺(現在は安居院)とも呼んだ。昭和31年の発掘調査で創建時の寺は塔を中心に東西と北にそれぞれ金堂を配置する日本最初の本格的寺院で、その外側に回廊を廻らし、更に講堂を含む壮大な伽藍であった。本尊飛鳥大仏(釈迦如来坐像)は推古天皇17年(609)天皇が詔して鞍作鳥(止利仏師)に造らせた日本最古の仏像である。旧伽藍は仁和3年(887)と建久7年(1196)に消失したが、寛永9年(1632)と文政9年(1826)に再建、現在真言宗豊山派で安居院(あんごいん)といい、新西国第9番、聖徳太子第11番の霊場である。

飛鳥寺入口(国史跡)
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飛鳥大仏(釈迦如来坐像・国重文・高さ3M・銅3トン・黄金30キロ、平安・鎌倉の消失で再建されたが、はっきりした飛鳥の特徴が残っている。)
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飛鳥大仏の右手「木像の阿弥陀如来坐像・藤原時代」
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飛鳥大仏の左手「聖徳太子孝養像・太子16歳の時父・用明天皇の病気回復祈願の姿」
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聖(しょう)観音を祀る「思惟殿」
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すぐ近くの蘇我入鹿首塚へ
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蘇我入鹿首塚
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2007/5/20

キトラ古墳壁画「玄武」特別公開と飛鳥その2  綾部の文化財

明日香・飛鳥・飛ぶ鳥の明日香!!!飛鳥の時代・飛鳥の範囲(狭義と広義)
 飛鳥の時代は、舒明天皇の頃(630年頃)から持統天皇の藤原宮遷都(694年)までの約65年間。その範囲は、北は香具山の麓から南の橘寺に至る約2キロメートル東西約0.5キロメートルの地を言う。(清原和義著「万葉の歌」)しかし今日の通説では、推古天皇即位位(592年)から、元明天皇の平城遷都(710年)までの約110年間、北は藤原宮跡から南の檜隈、キトラ遺跡のあたりまで、現在の明日香村全域きをよんでいる。甘樫丘は、そのほぼ中央に位置し、丘の東側を通って南から北へ飛鳥川が流れる。そんなに広くない所に、豊浦宮(推古天皇)・飛鳥岡本宮(舒明天皇)・飛鳥板蓋宮(皇極天皇.蘇我入鹿はここで謀殺されたという)・飛鳥淨御原宮(天武天皇・持統天皇)等の宮が造営された。檜隈大内陵や高松塚古墳、キトラ古墳等の墳墓や、たくさんの遺跡がある。激動の歴史の舞台、万葉人達が往来した所、私達の心の古里である。標高145メートルの甘樫丘、何処からでも眺められる丘陵。ここに蘇我氏の邸宅があった。「蘇我大臣蝦夷・児入鹿臣、家を甘檮岡に雙べ起つ。大臣の家を呼びて、上の宮門と曰う。入鹿の家をば谷の宮門と曰ふ」と「日本書記」に記される。平成17年、東麓から6棟の建物跡が出土し、その家の一部でではないかとされた。次に続く。

実物は撮影禁止なので解説本からの「玄武」
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甘樫丘から下りる途中の「志貴皇子の歌」
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聖徳太子誕生の地
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明日香村埋蔵文化財展示室(入場無料)
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展示室内部(写真可)
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飛鳥水落遺跡説明版
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飛鳥「国史跡の水落遺跡」
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2007/5/19

キトラ古墳壁画「玄武」特別公開と飛鳥その1  文化財研修記

奈良県明日香村「飛鳥資料館」にて5月11日(金)」から5月27日(日)公開されるので5月18日(金)に綾部自主郷土史講座のグループ50名は大型バス満杯で見学に出かけた。その他の明日香村の史跡も掲載します。このキトラ奇跡発見の発端は高松塚古墳の発掘で、他にもあるのでは!!!で発見された。玄武はお墓の守り神で亀と蛇の絡み合った「神獣」一つであり、墓の石洞窟には北に玄武、東に青竜、南に朱雀、西に白虎が画かれています。
 今回は元綾部高等学校の万葉集の専門家・寺田理子先生を講師として、同じく元綾部高校の先生で現・綾部史談会副会長で当会の幹事も務めて頂いている川端二三三郎先生の案内で往路は、国営飛鳥歴史公園の甘樫丘から謡った万葉集の解説を、復路では同じく歴史公園の「万葉植物40ヶ所」の植物名と謂れを口演され天候にも恵まれ、甘樫丘の上で弁当を頂き、そこで解説を聞き大変有意義な一日の旅であった。

午前10時飛鳥歴史博物館到着、11時30分出発、大変な行列であったが本物の「玄武」を見れた。入り口。
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博物館内部「川原寺」本物を一部使い復元。玄武は撮影禁止で残念
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キトラ遺跡保存状況
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キトラ遺跡の「白虎」
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甘樫丘(あまかしのおか)登山口
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甘樫丘から左手の山は大和三山の「畝傍山」下に樫原神宮、右手の山「香久山」
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真ん中の山は「香久山」でこの下の田の中に「藤原宮遺跡」がある。
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