2007/4/29

霊山・頭巾山と古和木大権現  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)故屋岡町(こやおかちょう)古和木には京都府北部で2番目に高い頭巾山(ときんざん)標高871M、「一番は和知町(今の丹波町)の長老ヶ岳標高917M(ここは頭巾山と同じく日本石楠花で有名)」此処の頂上には古和木(こわぎ)大権現が祀られている。この頂上からは、福井県、京都府北桑田郡の山々、京都府の比叡山三石岳(標高は676M)のみ、京都の愛宕山(標高924M)、そして綾部市の霊山の弥仙山で大本教の出口直教祖は修行し開教した。(みせんさん664M)です。4月29日(日)はこの頭巾山頂上で3つの地区、綾部市、福井県、京都府北桑田郡から集まって祭礼が午前9時からあるので5時起きで家を出たのだが、小生過去2回道に迷い失敗、今回3度目だが、やはり徒歩登山道が新しいのが出来ていたのでそちらへ上ると間違っていたので、再び下りて、登り直したところ、漸く10時到着で祭典は終わっていた。しかし、10数を越える滝や、渓谷美、ブナやミズメ林、アルプスの這い松のような日本石楠花、そして待望の明治16年の調査漏れの「神祇志料に載っている若狭国遠敷郡(おにゅうぐん)の延喜式内社・許波伎(こわぎ)神社は丹波国境に有り=現在京都府の古和木大権現」が撮影できた。奥上林村誌(おくかんばやしそんし)には次のような二つの面白い話が掲載されている。1.清和天皇の天安元年(857)に旱魃で各地の万民難渋し、守敏僧都に命じ、雨乞いを祈祷させた所、7日目に京都のみに雨が降った。朝廷は弘法大師に命じ、神泉苑にて雨乞いを祈祷させた所、降らず、弘法大師は先の僧都が諸龍を瓶中へ呪力で閉じ込めたと思慮し、別な法で祈祷すると、雨が降り、一龍がこの頭巾山へ入ったと云う。2.一僧が長旅の為汚れた白衣で登るのを見た山森村の土民某の女が、白衣を川で洗い進めたところ、僧は大変喜び登山し、再び下山しなかったといい、この僧は古和木大権現であり、その後女人禁制の頭巾山には山森村の女は登れ、参拝者は必ずこの山森村で1泊し、登山するようになったと云う。
尚、5月3日(祭)於与岐町にて弥仙山三社大祭と・山菜祭りがあります。最後の行をクリック願います。

頭巾山(標高871メートル)途中の渓谷美
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苔むす山腹に太陽が当たる。
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綾部いや世界の霊山・弥仙山(664M)登る途中で撮影(左手で少し霞む尖がった山)
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美しい滝(10数滝あり)
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原生のミズメ、ブナ林
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手水台「奉上 銅禁(あてじでパソコンにない)山・大権現御神 安永二年(1773)六月山森村 願主 久左衛門)
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古和木大権現(若狭国遠敷郡の延喜式内社・許波伎神社)
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綾部いや世界の霊場「弥仙山」については下記をクリック願います。
http://www.eonet.ne.jp/~misensan/

2007/4/24

あやべ西国観音霊場第30番高野山真言宗「善福寺」  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)睦合町「上林(かんばやしのむつあいちょうは戦後6つの村が合併され睦合町となった。)大門65番地にはこの府道沿いの左手に愛宕山、秋葉山と彫られた巨大な石灯篭がある。これがあやべ西国観音霊場第30番札所の高野山真言宗「悲喜慈山 善福寺(ぜんぷくじ)」の参道である。すぐ眼前には参拝者を威圧するように立ちはだかる苔むした急な108段の石段が現れます。33番札所で京都府北部で唯一の国宝の建造物「二王門」を持つ、光明寺と同じく聖徳太子の建立と伝えられご本尊の十一面漢音像も光明寺と同じ香木が使われたといわれ、撮影はできませんでした。「あらとうと めぐり納める 善福寺 願いもかなふ みのりなるらん」と謡われたこの寺は往時は相当な寺勢を誇り、一時は本堂、宝塔、阿弥陀堂、などの七堂伽藍が整い東西300メートルにも及ぶ寺域のなかに六坊があったという。しかし大永七年(1527)、世に「赤井の乱」と呼ばれる戦乱の兵火で全山焼失し、その後再興の歴史を重ね現在の観音堂が享保四年(1719)に落成今日に到っています。

巨大な参道前の石燈籠の一つ
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急な苔むした108の煩悩を表す108段の階段
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十一面観世音菩薩様の観音堂
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観音堂前のあつい信仰を感じさせる「びんずる」さん
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古い時代の石仏群
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何鹿郡(いかるがぐん)上林庄(かんばやしのしょう)について
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/244.html

2007/4/20

あやべ観音霊場唯一の不空羂牽観音と変化観音像群  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」上杉町森東8番地に臨済宗東福寺派であやべ観音霊場第27番札所の如意山・善徳寺(ぜんとくじ)がある。マイクロバスか乗用車しか火入れないが、素晴らしい仏像群がある。「ふるさとに 心のうちを 善徳の にわのちぐさと 頼むうれしき」と詠われているこの寺には本堂にお祀りされているご本尊は室町時代の作といわれる阿弥陀如来で、後年作られた獅子の台座にお座りで「獅子座の弥陀」と呼ばれています。このご本尊は寺の前身である延福庵という小庵に祀られていたもので応安3年(1730)に全国安国寺筆頭の綾部の安国寺二世和尚が開山して善徳寺となり又明治になって近隣の如意山・宝積寺を合寺していまに到っている。観音堂にはご本尊の脇仏であった千手観音と新たに入仏された27番札所の不空羂牽観音(ふくうけんゃくかんのん)や多数の変化観音菩薩像(観世音菩薩が聖観音菩薩(しょうかんのん)・千手、如意輪、十一面、馬頭観音と増えてきた。)等の安置されている観音堂がある。あやべ西国観音霊場会で不空羂牽観音(ふくうけんじゃくかんのん)を祀っているのはこの寺のみです。この観音様は羂牽(ひも)で煩悩の大海におぼれる私達凡夫をもらさず救いくださる観音様です。また、境内には綾部古木名木100選の内の2本ビヤクシンとモッコクがあります。

正面が本堂で左が観音堂
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参詣者を迎えて下さる地蔵菩薩様
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ご本尊の阿弥陀如来像
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観音堂の真ん中の像が不空羂牽観音(ふくうけんじゃくかんのん)様
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真ん中が聖観音像
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真ん中の厨子の中が千手観音像
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綾部の古木名木の一つビヤクシンの木(ヒノキ科、幹周2.05M、樹高16M、樹齢400年以上で京都の大本山東福寺より分植されたと記されている。)
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全国筆頭の綾部の安国寺は下記をクリック願います。
http://www.ayabun.net/bnk/yukari/ankokuji.htm

2007/4/18

白尾稲荷神社初午まつり  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」青野町の由良川の元井堰には白尾稲荷神社がある。3月25日(日)に初午まつりが催された。この神社は元はここに有った桜井家の屋敷神で有ったが明治40年の大洪水で桜井家の屋敷が流され西青野に移ったとの事。綾部史談会々長山崎巌先生が桜井八郎右衛門が「桜井家の白尾稲荷縁起文書」嘉永2年(1849)及び明治16年頃に記したものを調べられた内容では、又、寺の過去帳によると初代桜井八郎右衛門は元和3年(1617)に戒名は常園信士で亡くなっている。青野井堰は「丹波志」によると明智光秀の時代に出来た記録があり、この時分に青野井堰を利用して青野新田が開発された時、館の後へ定住したものではないだろうか。桜井家では代々八郎右衛門の名をつぎ、元禄時代(1750年代)には庄屋にまで成長している。この文書を書いた桜井八郎右衛門は明治38年に亡くなっている。元の神社と館は現在の稲荷神社の位置はこの神社を含んだ元井堰の右岸から堤防の辺りまでにあったと想定されている。
 稲荷神社は昔も今も農業・商売等の繁栄の神様であり、全国に約4万社と一番多い神社は稲荷神社であります.

白尾稲荷神社正面
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神社内部
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境内のの稲荷神社
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御祓いを受ける神社総代達
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一般参拝者への御祓い
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2007/4/14

あやべ西国観音霊場第6番「梅巌寺」の仏像と襖絵  綾部の文化財

京都府綾部市「もと何鹿郡(いかるがぐん)」下八田町26番地にあおりやべ西国観音霊場第6番札所で臨済宗妙心寺派で瑞雲寺・梅巌寺(ばいがんじ)がある。建武年間(南北朝時代)は真言宗の大寺として偉容を誇っていたが、室町時代には大火でほとんど廃寺同様となっていたが、この下八田地区が天正年間に山家藩谷家領となり元禄年間に再興され小浜の常光寺より禅師を迎えて臨済宗となった。3回目の投稿となるが恵心僧都の等身大の一刀彫の地蔵菩薩様やその右側に安置されている達磨大師や山家藩お抱え絵師の山家(長谷川)素后の襖絵の禅画2つを掲載したので是非見てください。特に地蔵菩薩様は等身大約160センチメートルで珍しいものです。

境内より観音堂を望む
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恵心僧都作と伝えられる等身大の一刀彫の地蔵菩薩様
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達磨大師像
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天満宮(元、境内に祀ってあったものを、現住職が寺内に移された。)
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菅原道真公像
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長谷川(山家)素后作の禅画襖絵4枚のうちの一つ
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その2.
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過去2回の投稿は下記をクリック願います。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/121.html
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/209.html

2007/4/10

あやべ観音霊場第4番栴林寺とその仏像  綾部の文化財

京都府綾部市「もと何鹿郡(いかるがぐん)」釜輪町(かまわちょう)には国道27号線山家の奇岩「立岩」の手前から乗用車(マイクロバス可)で坂を登ると、戦前は元何鹿郡西国観音霊場第2番で現在はあやべ西国観音霊場第4番札所で臨済宗妙心寺派の普門山「栴林寺(せんりんじ)」に到る。ご本尊は十一面観世音菩薩坐像であるが、両脇に2つの大日如来坐像がある。その一つは昭和20年に戸奈瀬町の興源寺が合併した時のご本尊である。栴林寺の開創は安土桃山時代の文禄元年と伝えられている。此処からは京都縦貫道が見え、松竹梅の植えられた上品な庭が見れる。栴林(せんりん)の栴とは白檀などのその種類の芳香木の栴檀(せんだん)のことで仏像の原木やお香に用いるなど、仏教に大変縁の深い木であります。

栴林寺庭園
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寺を守る韋駄天様
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ご本尊「十一面観世音菩薩」座高約40センチメートル
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ご本尊の右手に祀られている「大日如来坐像」元興源寺のご本尊と云われている。
座高約35センチ
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ご本尊左手に祀られている「大日如来坐像」座高約40センチ
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釈迦如来立像・約40センチ
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達磨大師像・約40センチ中々なものである。
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2007/4/8

四ツ尾稲荷大明神大祭  綾部の文化財

京都府綾部市「もと何鹿郡(いかるがぐん)神宮寺町の高野山真言宗の「霊唐山 千手院」境内にある「四ツ尾稲荷大明神大祭」が例年なら3月であるが4月8日(日)午前
10:30〜12時迄盛大に実施されました。当大明神は古くから、家々の屋敷神、豊作の神、大魚の神、商売繁盛の神などあらゆる方面の神としていろいろな功徳があると云われてきました。行事は「柴燈大護摩供」1本200円で小生もお供えしました。火生三味(火渡り)千手院の住職の「湯立ての神事(熱湯を神木を使い浴びる)」次に「住職の渡り始め」「山伏火渡り」のあと一般の方は一人500円で「火生三味」をお供えし、渡られました。住職の「湯立ての儀式」も珍しく、又、薬師瑠璃光菩薩様の本堂の太鼓を東光院の住職が一人で1時間30分も打ち続けられたのには驚きました。このような素晴らしい儀式は皆様にも是非見て頂きたいものです。

一同山伏を先頭に千手院の上の同道へ
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正面は千手院の「薬師瑠璃光如来の本堂」右手の神社が「四ツ尾稲荷大明神」
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千手院住職の願文後、護摩壇に点火
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阿弥陀瑠璃光如来様の本堂で1時間30分続けて太鼓を打つ、東光院住職
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火渡り道道の火伏せ作法
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千手院住職の「湯立の神事」(熱湯を浴びる。)
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住職の渡り初め
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下記の「霊唐山 千手院」のHPをクリックして見て下さい。
http://www11.ocn.ne.jp/~senjuin/index.html



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