2007/3/18

上杉姓氏発祥の地記念碑除幕式  綾部の文化財

鎌倉時代中期の丹波国何鹿郡(いかるがぐん)上杉荘(うえすぎのそう)。此処は今の京都府綾部市上杉町です。京都の公家・勧修寺重房(室町初代将軍足利尊氏公の母、上杉清子の父)は後醍醐天皇の第2皇子・宗尊親王が鎌倉の四代将軍に就任する時、重房が同行し、将軍に就任させた功により、この綾部の上杉荘を与えられ、苗字を「上杉」の姓に変えた。この上杉重房の娘・清子が足利貞氏の家女房となり、綾部にて足利尊氏公を出生した。又、この上杉家は代々強大権力を持つな関東管領として続いたが、戦国末期にはすたれてきて、この上杉の姓は越後国(新潟県)で強大な武力を誇った長尾景虎(ながおかげとら)に譲られえ上杉景虎、後剃髪し、かの有名な上杉謙信公と名乗った。全国に散らばる上杉家の有志が「上杉家ゆかりの会」を結成し平成19年3月18日(日)にゆかりの会と綾部市の共催で「上杉姓氏発祥の地記念碑除幕式」朝9時30分より催された。特に、興味を引いたのは「ゆかりの会」会員で横浜市港区から来られた清水唯弘氏の「鳴鏑(なるかぶら)の奉射の式であった。源平時代では武士はこの鏑矢(かぶらや)で戦闘開始の合図をしたものである。

稲葉達夫宮司による「御祓い」
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除幕式
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玉串奉尊(上杉家ゆかりの会の一人、横浜の清水唯弘氏)
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鳴鏑の奉射・清水唯弘氏(1)同伴・東八田弓道クラブ会員
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同 上 (2)
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同 上 (3)鳴鏑矢奉射直後
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四方市長の祝辞、右手の方が「上杉ゆかりの会」会長・大澤成四郎氏
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