2007/1/29

正暦寺の不動明王大祭  綾部の文化財

京都府綾部市(もと何鹿郡いかるがぐん)寺町のあやべ西国観音霊場第一番札所・高野山真言宗の正歴寺(しょうれきじ)で1月28日(日)に那智山不動明王祭、大護摩供奉修、西国八十八ヶ所お砂踏み法会がありました。この不動明王は新議真言宗の開祖・興教大師の作と伝えられ、元綾部九鬼藩の藩主より寛永年間(1624〜1644)に寄進されたもので、毎年初不動の縁日に大祭が催される。郷土の繁栄や交通安全の祈願があり関係者が多数参拝された。尚、四方八洲男綾部市長がこの寺の筆頭総代で不動明王祭の説明をされた。正歴寺については最後の部分をクリックして見てください。

正歴寺正面の山門
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四国八十八ヶ所霊場お砂踏み法会
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不動明王祭への行列
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不動明王祭開始
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不動明王祭の説明をされる筆頭総代の四方八洲男綾部市長
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正歴寺につての詳細は下記をクリック願います。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/136.html
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/176.html

2007/1/27

眞福寺の脳天大神大祭  綾部の文化財

京都府綾部市(もと何鹿郡いかるがぐん)向田町(むこだちょう)の曹洞宗の眞福寺があり、1月27日(土)午前10時45分住職・寺総代の萬國英霊塔参拝から「脳天大神大祭」が始まった。この脳天大神は奈良の吉野山の国宝・蔵王堂の向かって左下にある「脳天神社(のうてんじんじゃ)・龍王院」からの分霊が、同寺に安置されたもので、蔵王権現の変化身として、首から上のあらゆる難病・苦痛(ノイローゼ脳卒中他)を救い賜る神様です。進学祈願、除災難招福、交通安全、諸願成就にも良い諭旨である。御真言は
「オンソラ、ソバ、テイ、エイ、ソワカ」である。

眞福寺正面
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多数の参拝者
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萬國英霊塔に参拝する住職・寺総代
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脳天大神大祭の始まり
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脳天大神大祭(般若心経)
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護摩壇の火入れ
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護摩壇へ護摩木を焼納
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吉野山・国宝蔵王堂については下記をクリック願います。
http://www.ayabun.net/kensyu/yosino2/yosino.html
http://www.ayabun.net/kensyu/yosino/yosino.htm

2007/1/24

愛宕山の火祭り  綾部の文化財

京都府綾部市(もと何鹿郡いかるがぐん)田野町(たのちょう)に愛宕山があり、その頂上には「火の神様」を祀る神社として厚い信仰を集める「坂本神社」で1月24日(水)10;00から「火鎮式(ほしずめしき)」が始まり、火がつけられた護摩壇の中に護摩木を投げ入れ、火災予防や家内安全などを祈願された。綾部市消防団の関係者や多数の参拝者があった。

愛宕山上り口
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頂上の愛宕山・坂本神社と参拝者達
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火鎮式 1
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火鎮式 2
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火鎮式 3
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火鎮式 4
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2007/1/23

楞厳寺の初弘法2.  綾部の文化財

京都府綾部市(もと何鹿郡いかるがぐん)舘町(たちちょう)に古儀真言宗の楞厳寺(りょうごんじ)がある。この寺は綾部で唯一の「関西花の寺霊場第2番札所」、「あやべ西国観音霊場第14番札所」の古寺である。1月21日(日)が初弘法であり、特に「柴燈大護摩祈願」が有名であり、撮影してきたので2回にわたり掲載します。加えてこの寺は丹波のカラス寺と云われて、明治の大画家「長井一禾(ながいいっか)」のカラスの襖絵でも有名であります。

柴燈大護摩祈願の続き1.
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同 上 2.
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同 上 3.
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同 上 4.
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同 上 5.
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同 上 6.
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同 上 7.
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2007/1/21

楞厳寺の初弘法1.  綾部の文化財

京都府綾部市(もと何鹿郡いかるがぐん)舘町(たちちょう)に古儀真言宗の楞厳寺(りょうごんじ)がある。この寺は綾部で唯一の「関西花の寺霊場第2番札所」、「あやべ西国観音霊場第14」の古寺である。1月21日(日)が初弘法であり、特に「柴燈大護摩祈願」が有名であり、撮影してきたので2回にわたり掲載します。加えてこの寺は丹波のカラス寺と云われて、明治の大画家「長井一禾(ながいいっか)」のカラスの襖絵でも有名であります。最後にクリックして頂くと見れます。

楞厳寺
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本堂への上り口の日限地蔵尊
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本堂
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柴燈大護摩祈願の始まり10:30〜12:00(本堂横)
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同 上 山伏のこと初め
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同 上 2
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同 上 3
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カラスの襖絵は下記をクリック願います。
href="http://www.ayabun.net/bunkazai/annai/ryogonji/ryogonji2.html">http://www.ayabun.net/bunkazai/annai/ryogonji/ryogonji2.html

2007/1/8

京都逍遥2日間15.詩仙堂丈山寺  文化財研修記

今日は京都逍遥2日間最後です。一乗寺下り松の東約100メートルに「詩仙堂丈山寺」があります。この寺院は国史跡で曹洞宗万福寺の由緒寺院であったが現在は永平寺の末寺となっている。石川丈山(1583−1672)30年間隠棲した草庵であった。石川丈山は三河国の出身で最初、徳川家康につかえたが大坂夏の陣のあと、文人の道を歩む。藤原惺窩(ふじわはせいか)に朱子学を学び、広島の浅野家につかえたが、京都に帰り詩仙堂に居す。丈山は中国の詩家36人の肖像画を狩野探幽・尚信に描かせ、それに詩を書いて壁にかけた、昭和38年36歌仙として修復されたが、現在は小早川秋声(しゅうせい)の模写が華が掲げれれている。京都駅へは市バスNO5一乗寺下り松バス停ーーー58分(220円)で京都駅着。

詩仙堂丈山寺と当時植えられた巨木の山茶花(さざんか)
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庭園1.
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庭園2.
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詩仙堂の36歌仙の一部
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2007/1/7

京都逍遥2日間14.一乗寺下り松近辺  文化財研修記

大徳寺前ー市バスNO北8ーー高野下車ー徒歩20分ーー一乗寺下り松(いちじょうじさがりまつ)元一乗寺があったのでこの名がついいた。この四辻に「宮本吉岡決闘の地」の大碑が立っている。宮本武蔵と吉岡拳法(よしおかけんぽう)一門と決闘したと言われる所だが、確証はない。後に徳富蘇峰の「大楠公戦陣蹟」の碑も此処に遷された。

宮本吉岡決闘の地、一乗寺下り松
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宮本武蔵の銅像のある八大神社(はちだいじんじゃ)
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左に宮本武蔵の八大神社
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西本願寺北山別院へ
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西本願寺北山別院(親鸞聖人が得度後、1年間修行した所)
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同 上
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2007/1/6

京都逍遥2日間13.臨済宗大本山大徳寺2.  文化財研修記

臨済宗大本山大徳寺前下車。開山は宗峰妙超「しょうほうみょうちょう・大燈国師(だいとうこくし)1282−1337」で播磨の出身で浦上一国の子で赤松則村の姉が母と云う。浦上家の家老が例の黒田長政である。寺は応仁の乱で消失、15世紀に一休禅師が復興した臨済宗大徳寺派の大本山である。従って、後小松天皇の子であった一休禅師の終焉の地、京田辺市にある酬恩庵は由緒寺院として有名であり、墓所は宮内庁管轄である。三大唐門は豊国神社、西本願寺、そしてこの大徳寺と云われているが今回撮り漏れしてしまった。又、今年度中に紹介したいと考えています。国宝の唐門、方丈、重文の法堂、勅旨門や塔頭(たっちゅう)21が並ぶ大寺院はのこれらはほとんど戦国武将の寄進である。重文の山門は、楼上に千利休の木像を置いたことで豊臣秀吉の逆鱗にふれ、利休が切腹を命じられたことで知られている。堂内、庭園は特別な時のみ公開。一般公開されている、竜源院、高桐院、瑞峰院の内と大仙院がある。この内の「枯山水庭園と国宝方丈」を持つ「大仙院」を紹介します。大仙院の開祖は大聖国師で永正6年(1509)応仁の乱の直後に作られた。鶴島と亀島の間に蓬莱山があり、そこから瀧が流れ落ちる。石橋の下をくぐり透渡殿の下をくぐった水は一旦堰を落ちて大河となり、石の宝船が浮かび小亀の泳ぐ景色を見せて遂に方丈南側の大海に至る。同じ蓬莱山の瀧の水が亀島の前を通って西行すれば方丈の北の中に至る。

国宝「大仙院の方丈」
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大仙院入口の庭園
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枯山水の石庭1.
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枯山水の石庭2.
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枯山水のつくばい
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2007/1/4

京都逍遥2日間12.臨済宗大本山大徳寺1.  文化財研修記

ホテル松井08:30ーー徒歩5分ーー四条高倉バス停NO。12(38分220円)ーー臨済宗大本山大徳寺前下車。開山は宗峰妙超「しょうほうみょうちょう・大燈国師(だいとうこくし)1282−1337」で播磨の出身で浦上一国の子で赤松則村の姉が母と云う。浦上家の家老が例の黒田長政である。寺は応仁の乱で消失、15世紀に一休禅師が復興した臨済宗大徳寺派の大本山である。従って、後小松天皇の子であった一休禅師の終焉の地、京田辺市にある酬恩庵は由緒寺院として有名であり、墓所は宮内庁管轄である。三大唐門は豊国神社、西本願寺、そしてこの大徳寺と云われているが今回撮り漏れしてしまった。又、今年度中に紹介したいと考えています。国宝の唐門、方丈、重文の法堂、勅旨門や塔頭(たっちゅう)21が並ぶ大寺院はのこれらはほとんど戦国武将の寄進である。重文の山門は、楼上に千利休の木像を置いたことで豊臣秀吉の逆鱗にふれ、利休が切腹を命じられたことで知られている。堂内、庭園は特別な時のみ公開。一般公開されている、竜源院、高桐院、瑞峰院の内と大仙院がある。この内の「枯山水庭園と国宝方丈」を持つ「大仙院」を次回紹介します。

山門(国重文、利休の木像を置き、豊臣秀吉の逆鱗にふれ木像は三条河原で磔。金毛閣とも呼ばれている。)
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巨大な古木と仏殿(国重文)
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石田三成の墓のある塔頭「三玄院」
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塔頭「真珠庵(しんじゅあん)」一休宗純の開祖で特別な日のみ公開
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塔頭「芳春院」は加賀100万石前田利家の妻、芳春院が慶長13年(1608)に創建。
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塔頭「枯山水庭園の大仙院」への道
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2007/1/3

京都逍遥2日間:11.頂法寺(六角堂)  文化財研修記

妙心寺前バス停ーー市バスNO91(220円)−−四条烏丸(しじょうからすま)下車ーー徒歩10分ーー頂法寺「ちょうほうじ(通称)六角堂」に至る。この寺は天台宗単立の寺で池坊(いけのぼう)の華道で有名である。当初、聖徳太子が大坂の四天王寺を造営する為、この地に用材を求めてきた時、池の側の木に持仏の如意輪観音かけたところ、この観音様が離れなく、夢のお告げでは観音様はここにとどまり、衆生済度を望むというので、ここに観音様を安置し、六角のお堂を建てたと云う。この六角堂のご本尊は如意輪観音で、西国三十三ヶ寺の第18番札所として、庶民の信仰を集めた。鎌倉時代初期、親鸞がここに100日間参籠し、夢のお告げで浄土宗の法然に師事した有名な話がある。堂前の「要石(かなめいし)」は京都の中心地のへそ石と呼ばれている。又、本坊は池坊といい,太子水泳池(井戸)にちなんでいる。寺僧には立華(りっか)の名手が出、代々華道の池坊を称した。

六角堂の山門
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六角堂
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頂法寺の名が見える。
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金網越で如意輪観音様を見る。
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京都の要石(へそ)
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華道「池坊の象徴」
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